【ゼオスキンの歴史】
さあ、では、ゼオスキンとは何でしょう。

日本では、昭和中期にハイドロキノン-モノベンチールエーテルが白斑を起こしたことで
ハイドロキノンも化粧品に配合できませんでしたが、2001年から4%まで許可されました。

ゼイン・オバジが、1987年から自身の考えたオバジニューダーム・システムを商品化した。
そのシステムとは、フィチン酸(トーナー)で浸透を高めハイドロキノンを併用したもの。
システムではないトレチノインを併用した。

しかし昔と違い、連用できないハイドロキノン・トレチノインの休止中に、レチノール、アルブチンを使う
新しいプログラムを提唱し、2013年にZOスキンとなった。
フィチン酸トーナーはグリコール酸トーナーになり、2016年にグリコール酸が濃度によって劇薬指定になり、
日本では一部の商品が消えた。

世界は脱ハイドロキノンに向かっている。しかしオバジのシステムは昔からハイドロキノンだ。
世界は副作用の少ないレチノイド(ビタミンA)を探している。しかしオバジはトレチノインだ。
グリコール酸トーナーで浸透を高めたハイドロキノン・トレチノイン、
連用できない休止中にレチノール、アルブチン、このシステムが
ZOスキン。原理的に世界の流行についていくものではない。