稀有じゃなくて「類まれな」だったニダ、ミアネ
本当に北京まで今みたいに居座り続けたらミスパーはニョンアもビックリな八百長ソンスへ
クラッシャーはソンスクラッシャーからイルボンピギョクラッシャーへ進化()しそうで


その頭脳は平昌、そして北京を標的に。宮原知子がこの1年間で築いた“芯”。
text by松原孝臣
ttp://number.bunshun.jp/
articles/-/829563
>代表内定のあと、平昌への思いを表した宮原は、こうも語った。
>「まだまだ足りないところがあります。平昌オリンピックのあとも、たくさんやることがあります。
>次の(北京)オリンピックでは、より成長した姿を見せられると思うので、
>5年後はもっと良いスケーターになると思います」
> 大仕事を成し遂げた直後なのにもかかわらず、表彰台に立っていたときと同様、
>より遠くへと射程を定め、より成長した自らの将来を思い描いていた。
>その言葉は、宮原知子という類まれなスケーターを象徴しているようでもあった。