人の生命に生まれ付き備わっている仏性とは、仏の生命境涯に至れる種のようなものになります

人の生命は、悪業や善業による曇りで、本来の発光体の性能や性質を十分に発揮出来ない状況と言えます
覚るは仏、迷うは衆生、とあり  鍛え続けることで、明確な判断の示せる明晰な頭脳へと変われるのです

他宗派の信仰の対象である仏像は、現実には意味が無い仏教芸術作品に過ぎない物です
神様や仏様とかいう、別の次元に存在する、全く掛け離れた全き人格であると、捉えるのでは無くって

人として仏菩薩の修行を行いながら、人の生命の中から仏の性分を最大に開花させてゆく修行に成ります

お題目であります、南無妙法蓮華経の言葉の中には、蓮華(蓮・はす)が有ります
泥水の中に沈んで幸不幸も不明な現実世界にいる存在から、水の上に顔を出して、華開く存在へと変われ
苦渋と混乱に満ちた現実世界を、悠々と見下ろせる高い境涯が手に入る事実や意味を内包、表現しています