「現行憲法の自主的改正」をめざすと自由民主党の綱領には明記され、これは one of them
ではなく、党是であり続けてきた。消費税を付加したり上げたりすることも党綱領にはなく、
また核兵器所有もない。一貫して自民党を自民党たらしめている中心軸が、自主憲法制定だ
った。

 世界標準と方向や常識が違っても、それはそれとして自覚している限りはアリだが、大問
題なのは真逆な定義であることにマスコミも政治家もまったく無自覚だった事実である。
つまり、この〈保守=改憲、革新=護憲〉という単純錯誤が日本政治の軸になってきたネジレ
に、そろそろ気づいて改めましょう、という話なのだ。
 そもそも絶対護憲などという党是はクレイジーであり、結局のところ右も左も護憲して
きたことが哀れなのである。

 憲法は最高法規であり、最も柔軟に国の現状を踏まえた羅針盤とならなければ意味がな
い。だが、右も左も中間勢力も憲法を改正できなかった。戦後70年あまり、憲法改正のチ
ャンスは幾度もあった。世界の国々で成文憲法を改正したことがないのは日本と、(法治と
は無縁の)宗治国家か党治国家だけだ。50回や100回の改正が、ごく普通の近代国家の姿
なのである。

 ここで、問題設定を大きく変えてみるといいかもしれぬ。日本は、議論のすえ改憲しなか
ったのではなく、改憲できなかったのではないかーーと。もっとハッキリいえば、日本の憲
法は虚構だったと、そろそろ誰か(俺ね)が本当のことをいってしまったほうが良いのでは
ないか?

 成文憲法の下位法としての刑法、民法、刑事訴訟法、民事訴訟法、少年法やら建築基準法
やらに至るまで、近代国家の体をなしているものの、例外は実のところ憲法なのだ。