なぜ現代は「価値」を見失ったのか

「価値」とは、もちろん、何が善いことで何が悪いことなのか、何が美しいことで何が醜いことなのか、何が尊いことで何が卑しいことなのか、それらの基準であり序列である。
それは、人間の生と死に意味を与え、行動に規範を与え、社会に秩序を与えるものである。
ところが、それが現代では根本的に見失われてしまった。

その結果、あらゆることについて、それは何のためなのか、それは本当に大事なことなのか、といったことが誰にもわからず、誰も問うこともできないまま、
ただただ「より大きく、より多く、より早く」という効率性や合理性、そしてそれらを測る数字そのものが、あたかも価値であるかのように祭り上げられてしまった。

そして、その本来価値にはなりえない疑似的な価値に向かって、誰もが、わけもわからないまま駆り立てられ続けている。

この状況を著者は、ハイデガーの言葉を借りて「総駆り立て体制」と呼ぶ。
これが現代文明の実相であり、また現代人の何か言いようのない息苦しさの根源でもあると、著者は言うのである。
言われてみれば、誰もが日々の生活を振り返って、なるほど確かにそのとおりだと、実感できるのではないだろうか。