>>373
の続き

牟田口が補給不足打開として考案した、牛・山羊・羊・水牛に荷物を積んだ「駄牛中隊」を編成して共に行軍させ、
必要に応じて糧食に転用しようと言ういわゆる「ジンギスカン作戦」は、
頼みの家畜の半数がチンドウィン川渡河時に流されて水死、さらに行く手を阻むジャングルや急峻な地形により兵士が食べる前にさらに脱落し、たちまち破綻した[35]。
所々にある狭く急な坂では重砲などは分解し人力で運ぶ必要があり兵士らは消耗していった[35]。
また3万頭の家畜を引き連れ徒歩で行軍する日本軍は、進撃途上では空からの格好の標的であり、爆撃に晒された家畜は荷物を持ったまま散り散りに逃げ惑ったため、
多くの物資が散逸した。このため糧食・弾薬共に欠乏し、火力不足が深刻化、各師団とも前線に展開したころには戦闘力を大きく消耗する結果を招いた。

Wikipediaより抜粋