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 役場の横の2階建て。「なんもくふれあいテレビ」とある。96年に村が開設し、山がちで難視聴地域のこの村で、ケーブルテレビやインターネットサービスを提供しているのだという。インフラの整備に気をつかっていることがうかがえた。

 ここでキャスターを務める黒岩真喜(まき)さん(35)は、村の人気者。小学3年の双子と小学1年の息子3人と一緒に2016年3月、村に移住してきた。

 幼少期を高崎市で過ごし、温泉で知られる草津町で結婚生活を送っていた。南牧村のことは名前すら知らなかったが、離婚を機に移住先を探すことになり、移住促進フォーラムで、この村を知った。

 格安の村営アパートに住み、テレビの仕事も村からの紹介で始めた。

 学童保育が無料。給食費も無料。食材は近隣の市町で買いためる。衣料品はヤフーショッピングで。ポイントもたまる。生活に困ることはない。

 いまは12人が住む地区の班長を務める。ひとが少なく、みなが、みなのことをとてもよく知っている。

 「見られるのが息苦しいと思うか、温かく見守ってくれると思うか。私は後者です」

 村での滞在には、そのケーブルテレビ局から200メートルほどのところにある民宿「かわくぼ」にお世話になった。

 オーナーは岩井武さん(59)。村で生まれ、94年に民宿を立ち上げた。当時、村の人口は4千人近く。それが半減したいま、なにを思うのか。

 岩井さんは村での生活に満足している。食事の仕入れは車で1時間走り、高崎市に行けば事足りる。趣味の山登りや釣り、ゴルフをするには故郷はうってつけの環境だ。

 ただ、こうも言った。

 「活気がなくなるのはさ、さみしいもんだよ」

 岩井さんが指摘したのは、子どもの声が聞こえなくなったということだ。

 「オレが子どものときは、川ででっけえうなぎとか捕まえてたけど、いまは川遊びする子、ほとんどいないもんな」

 村にはかつて小学校、中学校が三つずつあった。いまではそれぞれ一つ。小学生は29人、中学生は14人。子どもが相手の店も立ちゆかなくなり、村では、文具を買うことすらままならない。

 岩井さんの息子ら3人は東京や大阪、高崎にそれぞれ居を構える。35歳の次男は、高崎に一軒家を建てるとき、「建ててもいいか?」と聞いてきた。

 その質問は、民宿を継がないことを意味していた。「別に、好きにすればいい」。そう答えた。家に戻れとは言えなかった。「だって、これだけ子どもがいなかったら、孫たちにさみしい思いさせちゃうだろう」

 僕は、なにも言えなかった。6畳の客間に沈黙が広がる。背後のテレビは「なんもくふれあいテレビ」を映す。画面の中で、地元の保育園児10人ほどが校庭を走り回っていた。