山崎兵八
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B4%8E%E5%85%B5%E5%85%AB
■拷問捜査の告発

山崎は事件を追及していた読売新聞東京本社と少年の担当弁護士に手紙を送り、
少年の冤罪を告発した。

告発内容は判決公判の前日に読売新聞に掲載され、拷問によって強要された自白である点、
現場に残された靴跡のサイズと少年のサイズが一致しないことを
現役の刑事が証言したため大きな反響を呼んだ[5]。

この記事により公判が延期となり、警察内部でも波乱が起こった。

告発後、署長は山崎へ辞職願を出すように強要したが、
山崎が拒んだため出勤停止処分に処した。

山崎は公判内でも弁護側の証人に立ち、警察の拷問捜査の実態を証言した。

それに対して、署長は山崎は事件当日に現場に行っていない、性格も変質的であり、
捜査から外したと山崎を不当に貶める証言を行った。

■偽証罪での逮捕、精神鑑定

同年12月27日に少年の判決審が静岡地裁浜松支部で開かれ、
静岡地裁は少年に死刑判決を下した[6]。

そして同日に山崎は偽証罪で逮捕され、さらに精神異常の疑いありとされて、
名古屋拘置所で名古屋大学医学部の乾憲男教授の精神鑑定を受ける[6]。

60日間にも及ぶ精神鑑定の結果、山崎は「妄想性痴呆症」と診断され、
偽証罪は不起訴となり釈放された[7][注釈 2]。

その後、署では辞職願を書かされ7年間務めた警察を退職させられた上、
公安委員会より精神異常を理由に自動車免許を取り消された。