二俣事件
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少年を尋問した紅林麻雄警部補は拷問による尋問、
自白の強要によって得られた供述調書の作成を以前から行っており、
幸浦事件や小島事件の冤罪事件を発生させている。

本事件を捜査していた山崎兵八刑事は読売新聞社に対して、
紅林麻雄警部補の拷問による尋問、自白の強要、
自己の先入観に合致させた供述調書の捏造を告発した[注釈 3]。

法廷では弁護側証人として本件の紅林麻雄警部補の拷問による尋問、自白の強要、
自己の先入観に合致させた供述調書の捏造、
および、紅林麻雄警部補が前記のような捜査方法の常習者であり、
県警の組織自体が拷問による自白強要を容認または放置する傾向があると証言した。

県警は拷問を告発した山崎刑事を偽証罪で逮捕し、
検察は精神鑑定(名古屋大学医学部の乾憲男教授による。山崎兵八は脊髄液を採取された)
で「妄想性痴呆症」の結果が出たことにより山崎刑事を不起訴処分にして、
警察は山崎刑事を懲戒免職処分にした[注釈 4]。

注釈3)
山崎は警官の職を辞してから告発すると言ったが、読売新聞の記者は万一の場合、
本社が一家の生活を保証すると空約束をした。
注釈4)
なお、山崎刑事の自宅は1961年3月14日昼、不審火で焼失。
二俣事件関連の書類も全て燃えた。小6の次女と小3の次男は
「長靴の男が入るのを目撃した直後に火が出た」と証言したが、
警察は次男を補導して犯人扱いし尋問した。
火をつけたことが立証されなかったため次男の身柄は解放されたが、
この不審火については未解決となった。
山崎兵八は運転免許があるので、
警察を辞めてもトラック運転手で生計を立てるつもりだったが、
精神障害と診断されたために免許を剥奪された。

※放火事件は静岡県警の現職警察官の仕業で、目的は山崎氏が集めた事件資料の消去
にあったとされている