“球界の寝業師” 根本陸夫の謀略

日本プロ野球界で実質的なGMとして機能し成功を収めた先例は、やはり八〇年代の西武で管理部長≠ニして辣腕を振るった根本陸夫だろう。
GMとは、チーム編成の権限を持つ者であり、ドラフト戦略やトレード、FAや外国人補強等、いかにしてチームを強くするかを担うポジションである。
試合の采配や球団経営には携わらない。

八一年秋から西武の管理部長≠ニいう要職に就いた根本は、近鉄、阪神の監督就任を断った広岡を監督に招聘するためすぐさま声をかけた。
根本は、広島監督時代に広岡をコーチとして呼び寄せた男だ。
根本には指導者としての資質はなかったが、人脈作りにめっぽう長けていた。

人脈に必要なのは情報とスピードだ。一歩出遅れたために、すんでのところでチャンスを取り逃がすことなど人生には山ほどある。
百戦錬磨の根本は、情報収集とスピード感こそ肝だと心得ており、広岡が近鉄と阪神の監督就任を断ったという話が球界内を駆け巡る前にキャッチし、すぐに広岡へと接触を図ったのだ。

「阪神の監督を断ってすぐに、根本(陸夫)さんから西武の監督にならないかと誘いを受けた。最初は長嶋に断られ、次の上田(利治)はやるって言っていたはずなのに土壇場で断られたという。
オーナーの堤さんが『広岡がいるじゃないか』と言ったから、しょうがなしに俺のところへ話が来ただけ」