1980年代半ばから1990年代にかけて「黄金時代」を築いた名将・森祇晶を筆頭に、西武ナインたちは清原が1986(昭和61)年に入団した当初からその才能に一目置いており、入団から何年も経過したあとでさえ、その鮮烈な記憶を生々しく証言している。

 しかし、森の前任者であり、清原とは入れ違いでチームを去った広岡達朗はこんな言葉も口にしている。

「西武球団も、森も、清原を甘やかしすぎましたよ。腫れ物に触るような扱いをしたことで、本来ならもっと伸びたはずの才能の芽を摘んでしまった。私が監督だったら、もっと清原には厳しく接したし、彼の野球人生ももっと違ったものになっていたと思いますね」