びろーんくんはコモンセンスやら一般人やらという表現をよく使いますが
これは大きな落とし穴で、これを絶対化することこそが実は宗教なのです。
一般常識には規範に属するものと知識に属するものがあります。
このうち、規範に属するものは科学とは無縁で社会生活の基礎となります。
これに反する「行為」は「非常識」とされます。
しかし、知識に関する一般常識は、社会生活の基礎とはなりませんが
これを知らないことは「無知」とされます。
しかし、この一般常識とされている知識が間違っていることなどいくらでもあるのです。
特に科学や医学の分野、歴史の分野など、新しい発見によって覆る一般常識はいくらでもあります。
例えば、日本が南京で一般市民を数十万人虐殺したというのは一般常識でしたが
そもそもそんなものはなかったということは今では常識です。
卵は一日一個まで!も一般常識でした。
コレステロール値と卵の摂取量に正の相関関係はありませんでした。
これらはその分野に興味がある人々、詳しい人々にとっては「一般常識」への浸透の前にすでに「常識」だったのです。
つまり、知識に属する一般常識は変化する可能性があり、絶対的な基準とはなり得ないものなのです。
その時の一般常識を絶対化するのは科学的な態度とは言えません。
科学的な態度を否定して教義を信じることが宗教ですから、
これこそ、「一般常識真理教」と言って良いでしょう。