ジョン・レノンはなぜビートルズを潰したのか? [無断転載禁止]©2ch.net
判明しているとおり、ビートルズを壊したのは実はジョン・レノンです
最初にリンゴ・スターがヨーコにあごで使われて嫌気をさして脱退し(ホワイト・アルバム期)、
次にジョージ・ハリソンを追い出し(ゲット・バック期)、エリック・クラプトン加入を構想し、
この時期にポール・マッカートニーと二人だけのシングルを発売します
最後に、アビーロード発売時期にポール・マッカートニーに脱退の意思を伝え、
ビートルズのメンバーはポール一人だけになりました。そしてポールがビートルズで居る事を辞める
これがビートルズ解散の真相です
いったいなぜビートルズを無くしてしまう必要があったのだろうか?
このスレはこの疑問を建設的に考えるスレになります ジョンの新バンド構想を考えるのに、68年から続く一連のセッションやライブ活動メンバーを
おさらいします ライブ活動終了後の外部ミュージシャンとジョンの交流関係@
You Know My Name (Look Up The Number) 1967/5/17-1967/6/9,1969/4/30
ナークトウィンズにブライアン・ジョーンズがサックスで参加
All You Need Is Love 1967/6/14-1967/6/26
ミック・ジャガー&キース・リチャーズ、マリアンヌ・フェイスフル
キース・ムーン(ザ・フー)
エリック・クラプトン(クリーム)
グラハム・ナッシュ(ホリーズ)
フェデリコ・フェリーニ
We Love You 1967/7
ローリング・ストーンズのシングルにポール・マッカートニーと共に参加
ニッキー・ホプキンス(ジェフ・ベック・グループ)参加
The Dirty Mac(The Rolling Stones Rock and Roll Circus) 1968/12/11
エリック・クラプトン(元クリーム→元ブラインド・フェイス)
ミッチ・ミッチェル(元ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス→ジプシー・サンズ&レインボウズ)
キース・リチャーズ(ローリング・ストーンズ)
ヨーコ・オノ
監督:マイケル・リンゼイ=ホッグ→『レット・イット・ビー』の監督
マネージャー:アラン・クライン
番組自体にはローリング・ストーンズ、ザ・フー、ジェスロ・タル、マリアンヌ・フェイスフル、タジ・マハールが参加 FILM-ALBUM『GET BACK』 1969/1/20-1969/1/31
ビリー・プレストン
監督:マイケル・リンゼイ=ホッグ
ALBUM『ABBEY ROAD』 1969/2/22-1969/8/22
ビリー・プレストン
Give Peace a Chance 1969/6/1
ヨーコ・オノ
トミー・スムーザー(ザ・スムーザー・ブラザーズ)
ティモシー・リアリー(心理学者)と妻のローズマリー
ジョセフ・シュワルツ(化学者)
ペトゥラ・クラーク(歌手)
ディック・グレゴリー(コメディアン)
アレン・ギンズバーグ(詩人)
マレー・ザ・K(ラジオDJ)
デレク・テイラー(ビートルズ広報)
フィル・スペクター(音楽プロデューサー)
Live Peace in Toronto 1969 1969/9/13
クラウス・フォアマン(元マンフレッド・マン)
アラン・ホワイト(セッション・ドラマー、後にイエス)
エリック・クラプトン(元ブラインド・フェイス)
ヨーコ・オノ
Cold Turkey 1969/9/30
クラウス・フォアマン(元マンフレッド・マン)
エリック・クラプトン(元ブラインド・フェイス)
リンゴ・スター
ヨーコ・オノ
Instant Karma! (We All Shine On) 1970/1/27
ビリー・プレストン
クラウス・フォアマン
アラン・ホワイト
ジョージ・ハリスン
オノ・ヨーコ
マル・エヴァンス
アラン・クライン他
フィル・スペクター 追加
While My Guitar Gently Weeps 1968/7/25
エリック・クラプトン(クリーム) Unicef benefit concert 1969/12/15
クラウス・フォアマン(Plastic Ono Band)
アラン・ホワイト(Plastic Ono Band)
エリック・クラプトン(Plastic Ono Band)
ヨーコ・オノ(Plastic Ono Band)
ビリー・プレストン
with
ジョージ・ハリソン(Delaney & Bonnie with friends)
デラニー・ブラムレット(Delaney & Bonnie with friends)
ボニー・ブラムレット(Delaney & Bonnie with friends)
ジム・ゴードン(Delaney & Bonnie with friends)
ボビー・キイス(Delaney & Bonnie with friends)
ジム・プライス(Delaney & Bonnie with friends)
キース・ムーン(フー)
ラリー・スミス(ボンゾ・ドッグ・バンド)
ディノ・ダネリ(ラスカルズ)
録音:ジェフ・エメリック、ピーター・ブラウン、ジョン・カーランダー
ALBUM『JOHN LENNON』 1970/9/26-1970/10/9
クラウス・フォアマン(Plastic Ono Band)
ヨーコ・オノ(Plastic Ono Band)
リンゴ・スター
ビリー・プレストン
フィル・スペクター Revolution 1968/7/10-1968/7/12
ニッキー・ホプキンス
ALBUM『IMAGINE』 1971/6/23-1971/7/5
クラウス・フォアマン(Plastic Ono Band)
アラン・ホワイト(Plastic Ono Band)
ジョージ・ハリソン(元ビートルズ)
ニッキー・ホプキンス(クイックシルバー・メッセンジャー・サービス)
ジョン・タウト(後にルネッサンス)
テッド・ターナー(ウィッシュボーン・アッシュ)
アンディー・クレスウェル・デイヴィス(スタクリッジ)
ジョーイ・モランド、トム・エヴァンズ(バッド・フィンガー)
ロッド・リントン、スティーヴ・ブレンデル(ルパーツ・ピープル)
マイク・ピンダー(ムーディ・ブルース)
ジョン・バーハム(後にQuintessence)
ジム・ケルトナー(元デラニー&ボニーwithフレンズ)
ジム・ゴードン(元フィル・スペクター・バンド、元デラニー&ボニーwithフレンズ、元デレク&ザ・ドミノズ)
キング・カーティス(キングピンズ)
フィル・スペクター
Fillmore East in New York City with Frank Zappa and The Mothers 1971/6/6
フランク・ザッパ&マザース 時系列的に並び直してみる
1967/6
○エリック・クラプトン、キース・ムーンとセッション
1967/7
○ニッキー・ホプキンスとセッション
1968/7/12
○ニッキー・ホプキンスとセッション
1968/7/25
○エリック・クラプトンとセッション
1968/12
●ヨーコ・オノ=エリック・クラプトンがバンド参加、キース・リチャーズ、ミッチ・ミッチェルがゲスト参加
1969/1-2
○ビリー・プレストンとセッション
1969/6
○ヨーコ・オノ、フィル・スペクターとセッション
1969/9/13
●ヨーコ=エリック=クラウス=アラン・ホワイトがバンド参加
1969/9/30
●ヨーコ=エリック=クラウスがバンド参加、リンゴがゲスト参加
1969/12/15
●ヨーコ=エリック=クラウス=アラン=ビリー・プレストンがバンド参加、ジョージ、ジム、キース・ムーンがゲスト参加
1970/1/27
●ヨーコ=エリック=クラウス=アラン=ビリー=フィル・スペクターがバンド参加、ジョージがゲスト参加
1970/7
×エリック・クラプトンがデレク&ドミノス結成
1970/9-10
●ヨーコ=クラウス=ビリー=フィルがバンド参加、リンゴがゲスト参加
1971/6-7
●ヨーコ=クラウス=アラン=フィル=ニッキーがバンド参加、ケルトナー&ゴードン、ジョージがゲスト参加
1971/7
×ニッキー・ホプキンスがローリング・ストーンズのアルバムとツアーに参加
1971/11-1972/3
●ヨーコ=ケルトナー=フィルがバンド参加、エレファンツ・メモリーがゲスト参加
1972/7
×アラン・ホワイトがイエス加入 プラステック・オノ・バンドは結成までに2年ほどの時間を掛けて1969/9/13に成立したが、
その寿命は短く、たった四ヶ月半後の1970/1/27にフィル・スペクターを加えた事を最後に
枯葉が落ちるように次々とメンバーが離脱して消滅していった
これを最後に、ジョン・レノンはパーマネント・グループを持つ事は二度となかったのである
腕達者なメンバーは存在したが、ウォール・オブ・サウンドのフィルをプロデューサーに迎える以上、
歌伴奏に撤した演奏を要求される事になるのが、エリックやアラン、ビリーの離脱を招いたのかもしれない
ニューヨークに拠点を移した事でクラウスまで離れてしまい、以降はアメリカのスタジオ・ミュージシャンと
音楽活動を続ける事になってしまう 何だ憎悪厨、このスレではアンチ・ジョンを演じるのかw
人脈オンリーの行き先は、得意のフィル・スペクター与太話って、
もうバレバレだぜwww
歌伴奏に撤した演奏だってw
さあさあニュー・ロックのお時間ですよって感じかw
誰も相手にしないぜwww
あっはっはw
お前にはフォー・シーズンズとビーチ・ボーイズがお似合いさw
スペクターマンセー、ナイアガラマンセーで、
余生を過ごすんだなwww ジョン・レノンがビートルズのメンバーの代わりに誰を選んだのか?
ジョージ→エリック・クラプトン
リンゴ→アラン・ホワイト
ポール→クラウス・フォアマン
→ビリー・プレストン
→ヨーコ・オノ
ビートルズのメンバーで最初に脱退の意思を示したのはジョージで、
1966年のライブ終了時あるいはその少し前だと判明している
プラスティック・オノ・バンドを得た直後からライブ活動を始めていた事から、
ライブを伴うバンド活動を行うためにジョージ抜きのグループを作ろうとしていた形跡がある
ゲット・バック・セッション時にも「ジョージの代わりにクラプトンを入れよう」と発言しているが
これはポールに否定されている。この判断に関してレノンはなにも語っていないが、
こころよく思っていなかった可能性を否定できるものではない 次にビートルズ脱退の意思を示し、また最初に脱退したのはリンゴ・スターだった
リンゴ脱退の理由については、本人はヨーコ・オノに指図されるのが嫌だったと発言している
ここまでのジョンのグループ構想はこんな感じであったとわかっている
@ライブ活動を行う
Aヨーコ・オノを加える
@によりジョージが、Aによりリンゴがジョンのバンド構想から外れた
ジョージについては69年1月の脱退騒動により、除外の意思はさらに固められたと思われる
その証拠になるのが1969年4月14日に録音された「ジョンとヨーコのバラード」だ
この曲の録音はわざわざジョージとリンゴが不在の時を狙うようにして、ポールと二人だけで行われている
この時点ではクラプトンを入れたポール・ヨーコ・ジョンの4+α人編成のバンドを考えていた可能性がある
プラスティック・オノ・バンドの最初のシングル曲はギブ・ピース・ア・チャンスだが、
これが単独クレジットではなくレノン=マッカートニーになっているのもその形跡だ
これが6月の事で、この時点でジョンはフィル・スペクターと久しぶりのコンタクトを取っている アビー・ロードの録音時期に、ジョン・レノンは何をしていたか?
実は作品をほとんど提供していない
1969年のこの時期に提供した作品は、アナログA面トップのカム・トゥゲザーと
B面のビコーズくらいである。アイ・ウォント・ユーはホット・アス・サン・セッション(1969年2〜3月)の作品
カム・トゥゲザーは盗作だし、ビコーズはLENNONO(LENNON=ONO)コンポーザー・チームの作品
つまり、作品創作に全くマッカートニーが関係していないのである
この時点で、ジョンはポールまでもバンド構想から外し、ビートルズから離脱する事を決めたと思われる
但し、ジョージ→クラプトンほど他の二人については積極的ではなかったらしく、
身近な友人であったフォアマンとセミプロのスタジオ・ミュージシャンもどきだったアラン・ホワイトに声を掛けていて
いわば見切った形のスタートをとっている ジョン・レノンのバンド遍歴
レノン=オノ=クラプトン=キース・リチャーズ=ミッチ・ミッチェル(1968/12)
レノン=オノ=ハリソン=マッカートニー=スター(1969/1)
レノン=オノ=ハリソン=マッカートニー=スター=プレストン(1969/1)
オノと結婚(1969/3)
レノン=オノ=マッカートニー(1969/4)
交通事故で負傷
レノン=オノ=スペクター(1969/6)
レノン=オノ=ハリソン=マッカートニー=スター(1969/7-8)
レノン=オノ=クラプトン=フォアマン=ホワイト(1969/9)
レノン=オノ=クラプトン=フォアマン=スター(1969/9)
レノン=オノ=クラプトン=フォアマン=ホワイト=プレストン(1969/12)
[マッカートニー=ハリソン=スター(最後のビートルズ)](1970/1)
レノン=オノ=ハリソン=フィル・スペクターによる『ゲット・バック』改変(1970/1)
レノン=オノ=クラプトン=フォアマン=ホワイト=プレストン=スペクター(1970/1)
ポール・マッカートニーがビートルズ離脱(1970/4)
エリック・クラプトンがデレク&ドミノス結成(1970/7)
レノン=オノ=スペクター(+スター+プレストン)(1970/9-10) ポイントは4点
@1968/12のハリソン・スター外し(代役に具体的メンバーが立ててある)
これは1969/4のジョンとヨーコのバラッドまで続くバンド構想(クラプトン=マッカートニーの参加)
A1969/6のスペクター参加
1972年のサムタイム・イン・ニューヨーク・シティまで続く
B1969/8のマッカートニーとの大喧嘩&脱退宣言
この時点よりマッカートニーを外してハリソン=スターを準メンバーとして起用し始める
C1970/4のマッカートニー離脱宣言
なぜか完全にバンド活動を休止してしまう
この流れを見る限り、ビートルズを脱退したかったわけでもなく
ビートルズにおける主導権奪回を目論んだ流れではないだろうか
異論を唱えるメンバーを一人ずつ叩き、グループから追い出そうという意思を表し
しかしそれはただの脅しだったのではないだろうか?
しかし、マッカートニーの離脱宣言により、主導権を取り戻したかったグループは完全崩壊となり、
結局レノンは思惑を実現できなかったのではないか
そしてそんな彼に見切りをつけた新バンドの虎の子ミュージシャンであったクラプトンに三行半を付き作られ
バンドの音を作り出すキーマンはスペクターだけになってしまう
Evaluation: Average. 今になってyoutubeで当時のいろんな曲を聴くとわかる
ビートルズってオレンジレンジと同じパクリ屋だ
やってる本人が一番わかってた
だからそんなグループが唯一無二だとは思わなかったし
メンバー変えたって変わらないと思ったんだろ 問題は自分が天才だと思い込んでいた事で、
バックは誰でも良いと勘違いしてしまった事なんだろうな
実際は自分こそがどうでもいい存在だったのになあ だからどうだって言うんだろ。もう存在しないバンドとミュージシャンに対して。 >>18
それだけじゃわからないよ
具体的に何が何のパクリか列記しないと
パクリ屋と言うくらいならざっと100曲はあるのかな? 何だ憎悪厨、このスレではアンチ・ジョンを演じるのかw
人脈オンリーの行き先は、得意のフィル・スペクター与太話って、
もうバレバレだぜwww
歌伴奏に撤した演奏だってw
さあさあニュー・ロックのお時間ですよって感じかw
誰も相手にしないぜwww
あっはっはw
お前にはフォー・シーズンズとビーチ・ボーイズがお似合いさw
スペクターマンセー、ナイアガラマンセーで、
余生を過ごすんだなwww ジョンとヨーコのバラッドが69/4でポールとのナーク・トウェンズ、
平和を我等にが69/6で、共作者にポールの名前を入れてスペクターと組む
恐らくこの時点でのジョン・バンド(=ニュー・ビートルズ)は
ジョン=ヨーコ=ポール=エリック=フィルで構成されていて、
ドラムスは特定の誰かを決めてない。あまり重要視してなかったっぽいね
ハリソンとマーティンを外す事だけ決めていたくさい。リンゴでもよかったんだろうな >>1
■◆衝撃!イエスタディはナポリ民謡だった◆■
イタリアの著名な作曲家リッリ・グレコ氏が18日夜、同国のテレビ番組で、
ビートルズのイエスタディは1895年に作曲されたナポリ民謡のカバー曲だとの新説を唱えた。
グレコ氏は、1965年にイエスタディを作曲したポール・マッカートニーは
世界の音楽について幅広い知識を持っており、特にナポリ民謡がお気に入りだったと主張。
同氏が番組の中で演奏した「原曲」は、確かにイエスタデイに酷似していた。
ビートルズの伝記には、ポールがイエスタデイの作曲直後、
無意識のうちに盗作したのではないかと心配し、
「一ヶ月ほど音楽関係者に、この曲を以前聴いたことがないか尋ねて回っていた」
と述懐したと記されている。
【ローマDPA時事】(日刊ゲンダイ7/21)
http://www.google.co.jp/search?hl=de&;;;;;;;;;;;;;ned=de&ie=UTF-8&filter=0&q=Yesterday++Lilli+Greco&btnmeta%3Dsearch%3Dsearch=Web-Suche
イエスタデイ盗作問題は世界中で大騒ぎ。
Wikipediaにも掲載。
http://en.wikipedia.org/wiki/Yesterday_(song)
グレコ氏は有名人だった。
http://www.google.co.jp/search?hl=it&;;;;;;;;;;;;;ned=it&q=Lilli+Greco&btnmeta%3Dsearch%3Dsearch=Cerca+nel+Web ジョンがビートルズを見放したのはヨーコのビートルズ加入を他の3人が認めなかったから
ヨーコはヨーコでジョンを自分専属の広告塔兼パトロンにしたかったんだろう >>25
↑この手の糖質は生きてるだけて社会に迷惑をかけるだけだから法律を改正して強制措置入院させる必要があるね オノ・ヨーコさん、ジョン・レノンのヒット曲「イマジン」の共作者としてクレジットされることが決定 [無断転載禁止](c)2ch.net [895142347]
http://hitomi.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1497601101/ 【6月16日 AFP】元ビートルズ(The Beatles)のメンバー、故ジョン・レノン(John Lennon)さんの楽曲「イマジン(Imagine)」の共作者として、
妻で芸術家のオノ・ヨーコ(Yoko Ono)さんの名が記されることが、このほど決まった。
全米音楽出版社協会(National Music Publishers Association)が14日、発表した。
今回の発表を受け、同楽曲の著作権保護期間が延長となる可能性がある。
米国では作品発表から70年で作者への印税支払いが停止する。(c)AFP
http://www.afpbb.com/articles/-/3132243?act=all これおかしくねえか?
本来ならクレジットはルー・リード/ヨーコ・オノだろ!
レノンは歌っただけだからな ●問い
何故憎悪厨は捏造歪曲してまでポールを貶めたいのでしょうか?
●答え
精神科へのリアル通院歴がある統合失調症だからです
その証拠に歪曲捏造してでもポールを貶めたい気持ちを抑える事が出来ません
本人にとってはポールを貶める行為は言わば精神安定剤みたいなものでしょう
ちなみに統合失調症は残念な事に完治の可能性はほぼゼロ
これからも死ぬまでポールを貶める行為はやめないものと思われます 【スクープ!】北朝鮮「核開発」協力疑惑の研究者
京大[原子炉実験所]韓国籍准教授は
「拉致実行犯」の、韓国籍在日娘と結婚していた
http://www.shinchosha.co.jp/news/article/379/
生活保護制度を悪用して
裕福な生活を送るサムスンファンニートが急増…
年間1200億円に達し、うち6割強が朝鮮半島出身者
http://myjitsu.jp/archives/17506 >>19
ポールを悪く言うのはポールオタの俺が許さん! 当初、ジョンはビートルズに新メンバーとしてヨーコを加入させたいと考えていた
ヨーコもそれを望んでいた
しかし、それはメンバー3人に拒否される
怒ったヨーコはジョンにビートルズをやめて自分と活動するように迫った
ヨーコのいいなりのジョンは、ヨーコを含めた新バンドの結成を模索し始める
しかしジョンは自分の作ったビートルズを潰したくないとも思っていた
それがポールの脱退宣言までの経緯 岡田ナルフミ著作 「悪魔のジョン・レノン」読んだ人いたら、感想聞かせて。 新スレ立ててやったぞw
ありがたく使えや中卒バカニート(笑)
【晒しあげ】静岡にレスしてるバカもまとめて氏ね!★3【バカの一つ覚え】
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/beatles/1522744925/ 今日も静岡と共に新しい一日が始まる。心躍る気持ちで>>40が静岡と楽しく会話していたある朝、突如不幸が訪れる。
通りすがりの私に
『まとめて氏ね!』
と罵倒され(藁) 、
それが【強烈なショック】となり、顔面の神経が麻痺し、手が震え、激しく動揺し、その場にうずくまってしまう。
(もっとも、元々寝たきりニートだったわけだが。)
そして今もなお心の傷を引きずり、布団の中から出られずにいる。
この話題に触れると激しい動悸・息切れを起こし、
自分を奮い立たせるため【あえて】>>40のように「まとめて氏ね」と罵倒された怨みのレスをコピペまたは引用し、【心の傷】と向き合っているようだ。
自分なりの心のリハビリであったが、
残念ながら傷は癒えるどころか【増幅する一方】で、
自分の部屋で喚き散らしながら激しい発作に苦しみ、
また【敵は1人だけ】と呪文を唱え、これを精神安定剤と併用して相乗効果を狙うが現実は厳しく、
味方はゼロ、他人は全員敵であることが判明(藁)。
相手を間違え私と無関係なコピペを乱発してしまうなどの痴態を次々とやらかし、ビートルズ板の酒の肴となる。
事態は日ごと悪化の一途をたどり、延々と連続コピペして果て、起きてすぐに連続コピペしては果てを繰り返し、生涯を万年床のまま過ごす【俺のコピペ奴隷】と化していった。
wwwwクソドゲラ大爆笑腹筋大崩壊wwwwwwwwww
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ゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラwwwwwwwwwww 中卒 笑
144 名前:ホワイトアルバムさん [sage] :2017/10/24(火) 09:00:08.03 ID:???0
静岡にレスしてるバカもまとめて氏ね!
ほんときもちわりい 自称創価大(笑)無職ひきこもりで精神病患っているバカチョンポールヲタの叫びを聞け!笑
552 名前:ホワイトアルバムさん [sage] :2018/04/22(日) 17:26:37.79 ID:???0
>>551
俺5ch書き込み最近始めたばっかだもん
お前みたいな廃人と違うよ 笑 >>43
余程悔しかったようだな、憎悪厨ムーブ 笑