日米プロ野球の年棒格差の推移

日本経済が成長を続けており実質賃金が最も高かった1995年と1997年の緊縮財政開始から20年以上も景気が低迷し、
相対的に日本経済が凋落した2021年の日米プロ野球の平均年棒を比較。
1995年の平均年棒の格差は少なく、アメの平均年棒は日本の3倍強しかなかった。

ところが2021年現在の平均年棒の格差は10倍近く拡大。
日本は1993年にFA制が導入(アメは76年)され定着したことで現在の平均年棒は1400万ほど微増したものの、
日米両国の経済状態とほぼ比例するように年棒格差が拡大したわけである。


日米プロ野球の年棒格差
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODH140M60U1A210C2000000/

日米のプロ野球 平均年棒
1995年 日本2700万  アメ1億488万   
2021年 日本4100万  アメ4億1535万


昔はアメ公プロ野球選手も大金を得るために喜んで日米野球に出場していた。
奴隷は現実逃避してご主人様に搾取されて惨めな人生を送るつもりか?

https://www.nikkei.com/article/DGXZQODH140M60U1A210C2000000/

以前も紹介したことがあるが、1971年に日米野球で来日し、後に3度のサイ・ヤング賞を獲得するジム・パーマー(オリオールズ)は
「あの年の僕の年俸は7万㌦。でも、日米野球に出場すると1万㌦ももらえた」と当時を振り返った。

ワールドシリーズの第7戦でパイレーツに敗れたオリオールズは、6日後に日米野球の第1戦を戦い、そのまま日本各地を転戦し、18試合を行った。
今の日米野球にはもう、疲労などを理由にスター選手が来なくなってしまったが、当時は「みんな、大喜びで日本へ行った」という。
「当時はオフにアルバイトをする選手もいたぐらいだから」

そんな時代はもうしばらく続く。