■政権復帰した2012年から自民党が急速に反日売国政策に突き進んだ理由。

その理由は、ネットが普及したことで戦前日本悪玉論が支配してきた中で、多くの真実が国民に知られるようになったことで、
2008年前後から中川昭一を中心に自民党が保守化しかけていた時代があった。
中川昭一は核武装議論など日本の対米自立の言動を続けた。

自民党内でも保守化路線の方が国民に受けるという認識も広がったのだろう。

そこで始まったのが、まだ記憶に新しい日本のDSアメ公マスゴミ総出の反自民キャンペーンであった。

その保守化の先頭に立っていた財務大臣だった中川昭一は、2009年2月のG7会議の会見で酒に薬を盛られて酩酊会見を演出されて、3日後に大臣を辞任。
(酒に薬を盛ったのは読売新聞記者の越前谷知子だとの説が有力なようだ)
そして中川は同年の2009年10月4日に自宅で変死しているところを発見される。

この年DSマスゴミ総出の反自民キャンペーンにより民主党政権が誕生。
ところがその民主党政権は、保守化しかけていた自民党政権よりもDSアメ公の言い成りにならないことがすぐに露呈する。
自民党は再び政権復帰するためにDSに対する忠誠を誓い、新自由主義路線に回帰。
自民党は2012年12月に再び政権に復帰。安倍晋三が再び総理に返り咲いた。

以後の自民党政権の凄まじい売国政策一辺倒の政策は知っての通り。