欧米白人による植民地統治の常套手段である分断統治

■戦後のGHQに始まりアメリカ(国際金融資本、軍産複合体などのディープステート)、政官界、マスゴミ、支那共産党、在日朝鮮人、南北朝鮮による反日包囲網の実態

経歴を見ても明らかにアメリカを支配するディープステートの代理人だった大韓民国の初代大統領の李承晩。
彼は1941年に日本の対米宣戦を予告してるわけで、当時、日本をどうやって戦争に引きずり込むか
戦略練っていたことが明らかになっているルーズベルト、マーシャル、スティムソンなどのアメリカ政府中枢の情報を知っていたわけです。

李承晩  大韓民国の初代大統領(在任1948年 - 1960年)
1907年(明治40年) - ジョージ・ワシントン大学で学士号取得。
1908年(明治41年) - ハーバード大学卒で修士号取得
1910年(明治43年) - プリンストン大学で政治学博士号取得。博士論文は「アメリカの影響を受けた永世中立論」。この年、帰国する。
1911年(明治44年) - アメリカに亡命。
1913年(大正2年) - ハワイに定住。
1919年(大正8年) - 中華民国の上海で大韓民国臨時政府樹立。李承晩によってワシントンD.C.に欧米委員部設立。
1933年(昭和8年) - 満州事変を討議する国際連盟総会に大韓民国臨時政府全権代表として出席。
1934年(昭和9年) - オーストリア人のフランチェスカ・ドナーと結婚。
1941年 -『日本の内幕記』を著す。日本の対米宣戦を予告。
1945年(昭和20年)10月 - 日本の降伏と朝鮮解放に伴い、在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁直接統治下の朝鮮半島に帰還。
1948年(昭和23年)8月13日 - 朝鮮半島南部単独で大韓民国建国。初代大統領に就任。
1948年(昭和23年)10月 - 連合国軍占領下の日本を非公式訪問(ダグラス・マッカーサーGHQ司令官などとの会談のため)
1956年(昭和31年)5月15日 - 大統領に3選。副大統領には野党の張勉が当選。
1960年(昭和35年) - 3月15日 大統領選挙。不正選挙が問題となり野党や国民の批判が公然化。
1960年(昭和35年)4月19日 - 不正選挙を糾弾するデモ隊と警官隊が衝突。死者186人。4月26日に下野を表明し、5月29日にハワイへ亡命(四月革命)
1965年(昭和40年)7月19日 - 亡命先のハワイにて90歳で客死。