ヤクルト監督時代、広島市民球場で非力なバッターにホームランをよく打たれることがあった。
私はすぐに、おかしいぞと疑った。スコアボードを凝視していると、2枚くらいパネルが開くんですよ」

 76年にヤクルト監督に就任した広岡氏は、79年の広島優勝の時は同一リーグのライバルだったが、
その舞台裏をこともなげに語る。

「すぐにうちのオーナーの松園尚巳さんに伝えたら、怒られたのは私のほうだった。
『スポーツマンがサイン盗みのインチキなんてするか!』と。でも、確信はあったので、
のちに広島の関係者にサイン盗みについて問いただしたら、『のぞいていました』と白状したんだよ」