アルナ:だよね、そんな記憶…。
 
鳥谷:子供の頃は、プロ野球選手になりたいとも思っていなかった。高校時代までは
家で自主練をしたこともなくって、自分が一番(上手い選手)っていう経験もなかったし
ね。そもそも野球を始めたきっかけは、小学生の頃になるけど、最初は柔道をやってい
たんだ。野球を始めたのは、小学校3年生のときぐらいかな…。父親と遊びで、ほとん
どの球技をやっていたから、キャッチボールなんかは普通にできていたと思うけど…。
で、本格的に野球をするようになった。今では左打ちだけど、そのころは右投げ右打ち。
もともとは左利きだったけど、柔道では右組みでやっていたので、体の使い方や文字
を書くのは右にしたんだ。「右でもできなければ左でもできない」というのが、父親の考
えだったから。

アルナ:右変えるのって簡単だったの? 
 
鳥谷:僕が中学生の頃は、野球界で活躍している選手は左打ちが多かったし、そのとき
の監督にも左打ちに変更するようにって言われたから、素直に左に変えようと思って…
そうしただけ。そう辛くはなかったなぁ。中学に入ってから成長痛が始まって、膝の痛み
で満足に運動ができなかった…そのほうが辛かったね。高校に入ってからも成長痛は
続いて、始めの3カ月半くらいは、試合中ベンチに座っていたなぁ。高校はシニアのチー
ムの繋がりで聖望学園高等学校のスポ特(スポーツ特別推薦)に入ったわけだけど、聖
望はそれまで甲子園の出場経験があったわけではないじゃん。僕は特に甲子園を目指
して野球をしていたわけでもなかったし、聖望学園高等学校自体、埼玉県では毎年ベス
ト4くらいまではいくけど…くらいの実力だったよね。それでいいと思っていたんだね、そ
の頃は。