心を修めることは、別に何も難しいことではないが、今日の人類虚構に溺れて、財貨、利益、名誉、地位などのために心を奪われ、自分自身のことばかりを考え、人のことなど眼中にないのである。
そこで、心を修めるとは言っても、一体どこから手を着けたらよいのかわからない状態である。

この心とはつまり良心であり、道心でもある。
もし何事でも良心にそむくことがなければ、道に合するのである。もし何事においても道に合致すれば、修める必要はないのであり、社会はこのように悪くならず、世界もこのように乱れることはなかったのだ。