反出生主義の孤男
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生まれさせられてしまったことを恨む気持ちは分かるが、結婚しないこども持たないってことでその恨み晴らせる? 人生甘くない、辛いということを身に染みて理解した上で子ども作ってるんだから確かにおかしいよな。 ホモサピエンスは反出生主義を理解した上で20万年前から繁殖を繰り返し、これからも繰り返し続ける。
「だからなに?」だ。 5ちゃんでマウント取ることすらできないぐらいに低スペックな俺
おれじん状態だ さっきうんこもらした
屁と同時にうんこも出てしまった
パンツを確認したら、肛門付近に粘土質なうんこがべっとりついてた
人生にはうんこリスクが付き物
これから親になろうとしている人はその辺のことを是非とも考えて頂きたい
おれじん状態、おれうん状態で人生が終わることがあるということもお忘れなく 君子は平安でのびのびしているが、小人はいつでもくよくよしている。
孔子 人間に限らず生物は何故子孫を残そうとするんだろう。
生物学的な見地からどなたか教えてくらはい。 生命には特に意味はない
子孫を残すか残さないかを決定する遺伝子があるとして、それらをXとYとする
子孫を残す遺伝子Xについて考えてみよう
Xを持っている個体は子孫を残すので、遺伝子Xはその子孫に受け継がれる
つまり、子孫はXを持っているので、また子孫を残そうとする
そのまた子孫も、遺伝子Xを持っている限り、またまた子孫を残そうとする
したがって、遺伝子Xは子孫にずっと受け継がれていく
子孫を残さない遺伝子Yについて考えてみよう
Yを持っている個体は子孫を残さないので、子孫は存在できない
したがって、遺伝子Yはその個体限りで終わり、他の個体に広まることはない
私やあなたが存在するということは、我々の先祖が遺伝子Xを持っていたということである
長い生命の歴史において、遺伝子Y(子孫を残さない)を持つ「変わり者」がいたとしても、
子孫を残さないが故に、後世に影響を与えることはできない。遺伝子Yは一代限りで消える運命にある
だって、子孫がいないんだから。
繁栄するのは子孫を残す遺伝子Xをもつ集団に限られる。遺伝子Yはけっして集団内に広まらない
お分かりだろうか
生命にはとくに意味はない
生命がとぎれないで存在し続けるためには、子孫を残すようなプログラムが生命に存在し続けないといけないのだ
もしそのようなプログラムを持たない生命が過去に存在したとしても、とっくに消え去っていることだろう
これが、今ある全ての生命が子孫を残そうとする強い傾向をもつ理由である でも子孫を残せないのにはそれなりの理由があるわけだろ?
ブサイクとかコミュ障とか勉強苦手とか仕事無能とか・・・・(俺のことでもあるんだが・・・)
そういう特徴を持って生まれてしまった者への仕打ちってあまりにもひどくないか?
そういうエラーっていうのは健常者同士の夫婦からも産まれる可能性は充分にあるわけで、出生というのは非常にリスクの高い行為だと思うんこ なぜそもそも遺伝子Xは種族を保持しようとするんだよ。
問題の核心はそこだよ。 >>241
それが生命の目的だから
わかる?この論理
生命のルールは
1、生き延びろ
2、自分の複製を増やせ
の二つ。
このルールに反するような個体が過去に存在したとしても、
生き延びれないし、自分を複製(子孫を残す)もしないから
その子孫はいない。だから、このルールに反するような生命は今はもう存在しない。
昔はいたと思うよ。でもすぐに競争相手に敗れて滅んだ。
生き延びて子孫を残す競争相手にね。
我々はその競争相手の子孫なので、やっぱり生命のルールに従って行動する。
わかる、この論理? 生物学は難しい。
>>240
俺たちみたない非モテが悲惨なのは、
女とか社会に文句をいうしかないのかなぁ。。
でもまあ本当に持てない、静的魅力の皆無な個体ってまずいないわけで
タデ食う虫も好き好きじゃないけど相手は潜在的にいるはずなんだけど
出産のリスクは人間は確かに大きいんだよね(頭がデカすぎるて、マンコから出てこない)
実際、難産で死ぬなんてちょっと昔では当たり前だったんだろうし
それにもかかわらず人類が滅んでないのは、多分セックスが圧倒的に気持ちいいからだろう 遺伝子は人間とチンパンジーで98%同じ
人間同士だと99.9%似通ってるんだっけ
だから個体一人一人の遺伝子が残るかどうかの問題は別に大した問題じゃなくて
種全体が存続していけば自然的には正解じゃないかな
現在、人類は70億超えてまだまだ増える余地があるんでしょ、だったら問題ないんだよ多分 >>242
それが生命の目的だから
いつもここで思考停止しちゃうんだよな。
何故その二つが生命に課せられた命題なんだろ。 >>245
自分が年を取って老老介護になったり、子供が何かの理由で不幸になればなるよ。 つまり我々は獣に勝利したのだ
人間だけに与えられし知が本能に勝利したのだ
人間は獣と神の中間だというが人間のみが
1、生き延びろ
2、自分の複製を増やせ
を拒否できる
人が本物の人として命をまっとうするなんと素晴らしいことでしょう 何故、固体の保存と種の保存が生物の本能なのかを知りたいんだ。
繁殖を繰り返した先に何があるんだ? 何もない
最後は宇宙も鉄の塊になって終わりだ
この世には意味のあるものなんてない >>250
じゃあなおさらなぜ?
もはやこっから先は神様の出番? 種の保存が何故生物に備わっているのかは誰にも分からないんだね。 思考とはラッキョウの皮をむくようなものだ。一枚一枚むいてゆくうちになくなって、サテ一体、ラッキョウの本体はどこにあるのか、本体がないのにどうしてラッキョウがあるのか?ということになる
人間を創った神があるとすれば、神を創った神があってもいいではないか、神の神はどうしてないのかというのは、ラッキョウの思考と全く同じといっていい
三次元の思考はどうしてもタマゴ鶏論議になってしまうのだ。卵が先か、鶏が先か、いったいどちらが先に生まれたか その前に、人間はなぜ退歩をのぞまず、向上や繁栄を求めて止まないのだろうか、ということを考えて欲しい
神の意思は無限の向上と調和を求めているのだ
その具体的な表れが人間なのだ
私達の好き嫌いの感情に拘らず、人間はそうした約束の下に生れて来、その約束を果たさなければ、その分量だけ苦悩を味わうように出来ている
自己中心的となり、周りの存在をないがしろにした時に、人間は苦痛を味わうようにできている
迷い、悩み、おれじん状態となり、退廃的なゴミクズと化す >>257
「聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。彼らはそれを足で踏みつけ、向きなおってあなたにかみついてくるであろう」
(新約聖書)
聖書を犬に与えても読んで悟ることができません。豚に高価なものを与えても、その値打ちを理解することができません
そのように、犬や豚のような人間に、教えを説いてもムダであるということです そんな運動原理はないよ
施政者や宗教家が徴用する下層の人間達を統制するために作り上げたご都合主義のでっち上げでしかない
苦しみの発生とはそれを感受する主体にとっては常に不随意かつランダムなものだ
後付けでどうとでも押し込める自己責任論にはクソほどの価値も無い
仏教的な論理で解き明かす因果応報や自業自得の筋道にしても、それは良い行いも悪い行い、正しいことを為したかどうかが自分にそのまま返って来るっていうような簡単過ぎで安直なものじゃない
誰も何故自分が自分の運命を与えられているかの証明なんかは出来ない
因果こそが無限にめくれるラッキョウのように、何処までも入り組んでいて、複雑で、多重的て、非限定的で、無限回廊のようで
最後まで完全に究明されることを拒む存在だからだ
それそのものがそういう構造になってるんだ
仮に自分にならそれを解明ー証明出来ると言い切る人間が居るなら、そいつは身の程知らずなパラノイアだろう
謎と不条理さに苦しむ者を更に鞭打つような理屈、侮辱し威圧する文言、それを用いる人間等信用に値しない
それは歪んだ万能感に溺れている人間、正に「人間」としての謙虚さと敬謙さを失い、「神」をも畏れなくなっている妄執狂にしか出来ない所業だからな 種を保存できた生命体が結果として今地球に生き残っている。
しかしそもそも何の目的で繁殖を繰り返しているのかは結局誰にも分からない。
ってことでおけ? 広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由
盲目の時計職人 自然淘汰は偶然か
生物はなぜ誕生したのか 生命の起源と進化の最新科学
以上三冊おすすめ
神は出てきません >>249
それはまだわからないけど、とにかく生命には「死ぬな、生き延びて繁殖しろ」
というルールに従う自意識がある(多分、例外はない)
>>248
人間も生物の一種に過ぎないので、あまり特別視するのもよくないのかもしれないが
とにかく特殊な種であることは間違いがない
宇宙の起源や生命の発生についてかなりのところまで解明した
これは色々な本を読んだ上での自分の意見なのだけど
おそらく、我々のいる宇宙でここまで来たのは人類だけだと思う
信じられないほどの偶然の積み重ねでここまで進化した
我々が一番乗り
もう二度とこんな種は発生しない可能性だってある 宇宙にはたくさん星があるので、生命のある星もたくさんあると思う
が、知性をここまで発達させたのは人類が最初(で最後かもしれない)と思う
感慨深いものがある 神は妄想である(R・ドーキンス )
は、上で挙げなかったけど笑える良書である
神の不在証明を(かなり)説得力のある形で行っている(と自分には思える)
道具立ては進化論だ
進化論で神の不在を証明できるとは思っても見なかった
でも、考えてみれば、人類は二十万年前にホモ・サピエンスになってから以降、
何十億も個体が存在したが
誰一人、つい19世紀になるまで誰一人として進化論を思いつかなかった
進化の証拠は身の回りにいくらでも転がっていたにも拘らずだ
神の不在照明も似たようなものかもしれない
私たちは進化論を教説としては受け入れているが
それが神の不在証明に使えるとは、よほど才能がある人でないと思いつかない
進化論とは(神の不在まで証明してしまう)すごい理論なのだ >>250
何兆年(京年?)先だかには陽子すら崩壊して光となり
宇宙は冷たい電磁波がかすかに存在する空虚な空間になるのだとか
人類はすごいね
宇宙の行末についてここまでの認識を持ったのは(たかだか140億年しかない)宇宙の歴史の中で初めてのことだと思うよ >>252
神はいないと思う
少なくとも、人格神は存在しない
存在するというわずかな証拠すらない >>253
科学は形而上学より優れている
もし形而上学に科学よりも優れているところがあれば
科学はその点を自らの理論に取り込む
科学が最強であるのはそういうわけ 宇宙といっても、「我々のいる宇宙」のほかに、宇宙はたくさんあるらしい。
(マルチバースとか、その他概念が微妙に異なる宇宙)
それらをまとめて「ゼンウチュウ」とすると、この「ゼンウチュウ」はとてつもなく巨大なので、
人類よりたかい知性を持った生命が「過去」に存在していた可能性も否定できない。
が、とにかく、「観測可能な宇宙」とよばれる「いわゆる我々の宇宙」の中では、
ここまで来たのはおそらく人類が初めて。
俺たちが一番乗り
だから、自殺しようとしているあなた、もったいないですよ
どんなに足掻いても我々は高々100年しか生きられなののだから
死ぬのは「我々の宇宙」を存分に味わってからでよいのではないですか 生物が子孫を残すそもそもの理由が分からないのなら子供を作らないってのも至極真っ当なことのように思えてきた。 なぜ人類が一番乗りと言えるかについては
ネタバレになるんだけど
先に挙げた三冊のうちの一冊で考察されている >>271
ないんだよ
子孫をのこする理由は全くない
我々が、なぜだかわからないが子孫を残そうとした生命の末裔であるからというのがその答え
特に理由はない 宇宙論で自分のお気に入りは
ブラックホール の中では新しい宇宙(子宇宙)が生まれていると言う説
ブラックホール は外側にいる我々にしてみれば一切通信ができない暗黒の存在だが
その内部では新しい宇宙が生まれており、その中ではブラックホール が生まれ、
また宇宙が生まれる(孫宇宙)
こうして宇宙は(無限に?)生まれ、いつまでも止むことはない
宇宙の膨張がいつか収縮に転じると言うビッグクランチ説は
近年の観測の結果否定された
我々の宇宙は膨張しっぱなしで、いつか熱的死を迎える存在に過ぎない
が、ブラックホール の内部で新しい宇宙が生まれると言うアイディアは
それに対抗する理論になりうる
もしそれが本当だったら、宇宙はやっぱり無限に存在し
無限ゆえどのような宇宙も存在しうるという可能性だってある もっと簡潔にお願いします
あんまり長文だと読んでておれじんになる 身近に反出生の者なんか一人も見当たらんのだがみんなどこにいるんだ
子持ちや出生に疑問を抱かん者と話をしてても次元が違いすぎてただただ虚しい 題名失念しちゃったけど(真っ黒な表紙に赤いリンゴの絵がついてる本だった)
以前読んだ本で、人間の行動はすべからく死の恐怖から逃れるためである的なものがあった
例えば、子供を産んだり更に孫を催促するのも、墓を建てて子孫がそれを拝んでくれることを期待するのも
まず死の恐怖があって、自分の肉体が滅びても続く「何か(子孫や墓)」を求める欲求が人間には非常に強いのだという
だから、子供が欲しい〜って思うタイプは、子孫に自分の無限の命の夢を描くんだな
なぜ無限の命を夢見るのかは「死の恐怖」からという事になるのだろうか
その割に、一個一個の細胞とかはバンバン死んでいくし、死の恐怖があるのは自我だけじゃなかろうか よくよく考えれば何のために種族を保存しているのか分からないのに人間は子供が産まれれば嬉しいという感情を抱き、おめでとうございますと祝福をする。
不思議なもんだな。 >>276
ツイッターに行けばたくさんいる
ニート無職から高学歴インテリ層に至るまで幅広い反出生主義者がいる
究極の主義主張だからみんなそれぞれに説得力があって面白い 中世以前の時代なら子供には農家やら丁稚奉公やらの労働力だとか跡取り息子だとか政略結婚の駒だとか
何かしら人間臭い理由付けがあったと思うんだが
今では、何となく幸せを感じたいとかいう感じのフワッとした理由しか無いような気がする
或いは社会のためだとか、人類繁栄のためとかいうお花畑な連中もいるかもしれないが
現代に於いては子作りも自己満足のオナニーであるという不思議な状態だな 今日も出生主義者たちが新たなるうんこ製造機をこの世に産み落としているのだろうか どんな人生も意味などないよ。
その人の捉え方一つだよ。 このうまもおれじんも結局生まれたくなかったってとこに行き着くからな。 もう8歳ぐらいの頃から既にこのうま感情あったわ
当時はドラえもん読んで現実逃避してた気がする
何かの話に出てきた、学校の先生をゴリラに変えるライトとか学校を吹き飛ばす扇風機とかいうのが、どこでもドアやタケコプター以上に欲しい道具だった 生まれさせられてしまった恨みが子孫を残さないことで晴らせるとは思えない。 現実的な話、恨みを晴らすことはできないだろうね
せめて子孫を残さないことで被害者を最小限にとどめるぐらいのものでしょう
もう幸せになることは諦めるしかない ( ^ω^)まぁたしかに人生とは他人をどう地獄に叩き落とすかみたいな面あるよな
そう考えると反出生は悪ではなく、正義とも言えるよな
俺もこの境地に来てある意味幸せなのだろう 反出生主義のことはうっすらしか知らないが、正直、中途半端な思考の産物という気しかしないなあ。 思想としては立派だがな、反出生主義者の実生活なんて惨めなもんだよ。 反論の余地のない鉄壁の要塞のような思想が有史以来支持されない理由を考えてみよう。 支持されなくてもいずれそうなるからからいいんじゃないの。 ( ^ω^)皆一度は反出生思うだろうけど、セックスしてしまうから指示しないんだろう 人間なんて地球の寄生虫だ!とか全ての悲しみや苦しみは生まれるところから始まてるんだ!
みたなおセンチな感性、発想自体が人間の生の内にあるという部分に気が付いてない
しょせんバックグラウンドにキリスト教的な発想があるんだと思うわ
だから全然鉄壁じゃない
中学生の妄想レベル 人間以外の生物は繁殖を止めない。
人間だけが止めたところで何になる。 キリスト教的なバックグラウンドがあると言うかヨーロッパ人にとってはキリスト教は押し付けられたものだからキリスト教がある種のトラウマで反宗教的思想がヨーロッパから出てくるのだろう 生存競争というものを良いと考えられる人は反出生主義にはならないだろうな。
若い頃は漠然と未来は明るい(勝ち残れる)と感じるものだし。
介護されるようになっても人生は素晴らしいと思える人だっているようだしね。 子供のころから競争事は嫌いだったな
どうせ勝ち目ないってわかってたし 体育の授業とかで校舎から外に出る時、少しでも先に人より早く
靴履きかえるために下駄箱の前で毎回毎回我先に
ものすごいケンカみたいな押し合いしてるの見てていつも不思議だった
人がはけるの待って1番最後に靴履き替えてたわ 一億年もすれば人類が生まれることはなくなっているだろうから強制的に達成されてしまう。
間違いだとしてもそうなってしまう。 社会的敗者が転じて反出生主義者になるんじゃないの。
大成功者で意図的に子供を作らなかった人いる? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています