あほう。
KJVの新約の底本は、いわゆる『テクストゥス・レセプトゥス(公認本文』だが、
エラスムス本人が「編集というより大急ぎでこしらえたもの」と言っているほど
劣悪だ。
しかしティンダル、ルターが採用し、KJVは、ティンダルを踏襲しているだけ
なので、大きな影響を持った。
そしてファンダメンタルは、これをいまだに支持しているが、
まともな聖書学はTRを排斥している。これは主流派も福音派もだ。
全キリスト教の翻訳がTRを排斥してNA(USB)を採用している。

それはなぜか、エラスムスが収集した写本の中には10cのがあり、
これは4Cの大文字写本と同じ系統の良いものであったが、12cの
改竄されている小文字写本を採用しているからだ。
聖書学的にTRは捨てられた底本なのだ。

だからKJVがNAを底本としている口語訳/新共同訳と違う場合、
KJVの底本のTRが間違っているということだ。

B.M.メッガー『新約聖書の本文研究』p113
第三章 批評前の時代・「公認本文」の起源と普及
を確認しなさい。

これ、基本だから