地獄のような人生で苦しんでる孤男 [無断転載禁止]©2ch.net
おれじん散歩はクリエイティブで文化度の高い趣味に相当しますか? ぽこにゃん今日は天気がいいから用事を済ませてお散歩してくるよ 生きるってつらいなぁ・・・
他人との約束を守らなかったり、相槌が全て否定形だったり
対人関係においてすぐマウントとってくる奴だったり
そういう人間と会社で関わらなくてはならないのが非常につらい 人が二人集まれば上下関係が生じるというからね。誰とも関わらない引きこもりが最強なのかも知れん、親がいるうちは。 5名前は誰も知らない2021/04/14(水) 00:25:31.75ID:TL4BYhXL
277:毛無しさん
09/12/12 18:52:22 e6ajVGt7
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| ≡ ≡ | | 今から昨日一人で逝った潮干狩りのあさりでボンゴレ・ビアンコ作る。
l ( `へ |
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|゛"' '"゛ | いろいろ持病が辛い
金もかかるし通院に時間もかかる
ただ息をしているだけで辛い
日常が辛い 地獄としか言いようがない
産まれてくるんじゃなかった ま、近いうちに死ぬかもな
何となく病気っぽいし、地震も多いし死因なんて何でもいい 業火に焼かれる地獄より、何もない無の時間が永遠に続くほうが苦痛だ。 無気力、常に眠気に苛まれている
これがなくなるだけでも相当人生が好転すると思うんだがなあ 「たぶん本当の未来なんて知りたくないとあなたは言う〜」って
曲が流れてた頃に戻りたくないか??
人生やり直せるだろあの時代からなら 知りたいの何も、自分の人生の先には孤独死しか無いわ。 🔵🟢🔵 (6 lゝ、●.ノ ヽ、●_ノ |!/
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', ,`ー'゙、_ l
\ 、'、v三ツ /
|\ ´ ` , イト、
/ハ ` `二 二´ ´ / |:::ヽ
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https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 私の人生の道にいかなる障害が横たわっていようとも、
私は波長の共鳴の法則によって、困難には自然に触れず
ただ善きもののみが集まって来るのである。
幸福を人に与えるもののみ、自分もまた幸福を与えられるのである。
私はその法則を知るがゆえに、常に人々に幸福を与えてやまないのである。 根本的な法則の一つは、
「 類は類を呼ぶ 」 ということなのである。
「 豊かなる想念は豊かなる事物をひきよせる 」
貧乏は決して人間に与えられた宿命ではないのである。
それは貧しきケチな想念の反映として現われて来たのにすぎないのである。
ケチな想念のうちには 「 与えることを惜しむ 」 心があるのである。
人に親切を与えることを惜しむ心、
物をなすのに親切丁寧さを与えることを惜しむ心、自分の労苦をだすのを惜しむ心
すべてこういう惜しむ心が、貧乏となって現われて来るのである。
与えれば与えられるのが心の法則である。 人は自分自身の信ずる通りものに自分自身の運命を決定するのである。
不安動揺限りなき心の状態では、
不安動揺限りなき有様が現われて来るほかはないのである。
われわれは不安を去り、取越苦労を避け、恐怖心を去り、
いかなる場合にもただ幸福のみが来たるを信じて待たなければならないのである。
信じてまてば必ず道は開かれるのである。
現象界に物が実現するためには必ず時間の要素がいるのである。
時間の要素を忘れてしまって、今、種をまいておいて、
翌日に芽がでないからといって、真理の法則を疑うようではならないのである。 まず何よりも自分が浄(きよ)まることが必要なのである。
不調和は、ただ、自分の心の持ち方が混乱した時に、これが影をうつすにすぎないのである。
すべての事情が行き詰って来たと見える時にも、
本当の行きづまりというものは決して存在しないのである。
行きづまりと見えるものは新しき道の開ける始めである。
新しい好機会が今、自分に開かれつつあるのである。
行きづまった時には、神が方向転換を教え給うているのである。
あまり昔の習慣に縛られていてはならないのである。 自分は今日より後、自分の周囲のすべての人々の善いところを見る。
吾は心の目をあげて周りをほめたたえるのである。
今まで親切や世話をしてくださった人々に感謝の言葉を発するのである。 人が不幸をなくし幸福を築く上で障害となるところの感情は、“甘える心”を起すことである。
別の言い方をすれば、“他から同情されたい”という念を起す事である。
また「この位なら、人が我慢してくれるだろう」と考えて、自己の努力を最大限まで出さずに、他の人の寛大さにすがって行こうとする生活態度である。
また病気や色々の都合を、自分が全力を出し切らずにいられる事の口実やアリバイに使おうとすることである。
これらの「甘える心」「甘える生活態度」はその人の能力の発揮を自縄自縛してしまい、自分の天分を発揮することが出来ず、自分自身を堕落させてしまうことになるのである。
自分自身を“弱い”などと考える心は“甘える心”だ。
それは自己憐愍の心であって、自分が自分に甘えているのだ。
あなたが自分の仕事に全力を尽さないで、いい加減で片づけて置くようなことがあれば、それは”甘える心”の表現である。
「他の人がこの位なら我慢してくれるだろう」と甘えているのである。 真理の法則は一面において 『与える法則』 としてあらわれ、他面において 『受ける法則』 としてあらわれるのである。
それは “与える” ことによって “受けられる” という “相互むすび” の法則である。
されば私は決して与える事なくして受けようというような、まずしいことを思わないのである。
私は常にゆたかに人のため国のため公けのために心を与え、言葉を与え、資を与え、労を与え、人々の幸福増進に尽すのである。
それゆえに、私が周りより与えられたる分量もまた豊かであるほかはないのである。 ああ、愛を与えることの悦びよ。 愛を与えない人は本当に幸福にはなれない。
私は今すべての人々を祝福しすべての人々に愛念を放送する。
それゆえに私は今幸福なのである。与える者のみが受ける資格があるのである。
私は、惜しみなく与えるがゆえに、一切の人々から送られる愛や親切を受けることができるのである。 第一にわれらが知らなければならない真相は、われわれの想念というものが自分自身の心の快不快を
変化すると同時に、自分を取りまいている環境、人間関係、供給、境遇、位置などを変化するということである。
これが真相である。
貝類は自分の分泌する液によって、自分の肉体の棲(す)む貝殻を造るように、
われわれは自分の分泌する想念感情によって自分の住む環境をつくるのである。 愛にそむいた思いや行為が病気を引き起すのは、自己の生命の本質を破壊する思いであるからである。
すべてに一体である生命を自覚して愛を尽せば病いは治るのである。
人間が病気から治るためには「病気になりたい意思」を捨てなければならないのである。
「この世が嫌になった」とかりそめにいう言葉の奥にも、死への願望や、病気への願望がひそんでいるのである。
夫婦喧嘩や、事業の失敗や、現世でとても遂げることの出来ない願望に絶望したのちに人間が病気にかかるなどはそれである。 手に入らないものを永遠に追い続ける人生って
やっぱ地獄なんだろうか??
学歴、金、女
ここらへんは手に入れるの無理だからな オッサンになったら 毎日、誰かに必ず役に立つことをしよう。
目の前にあるささいな愛行や、親切な言葉や、奉仕や、清掃などでよい。
何か誰かに悦ばれる事を必ずするがよいのである。
このようにあなたの日常生活を浄めることによって、あなたは幸運と波長が合うことになるのである。
その時、日常生活に必要なものは自然に整っていくことになるのである。 善い運命を作るには一言で言えば善業を積むことですが、利己的でない周りに幸福を与える生産的な行ないをすることであって、
和顔愛語ということもこの善業のうちにはいるのです。
別に道徳上、刑法上の罪悪を犯さなくとも、この和顔愛語ということがなくてはその人に本当の善い運命が得られない。
病気になったといっては家族に対して当たり散らすようなことでは病気は治りにくいのです。 心の内に、言うにいえぬ心配がいつもあるとか、腹立ちの感情を長く抑えていたとか、それでやたらわけもなくイライラするとか、これらが病気や悪しき運命を作る。
すなわち悪想念の集積が流動を起こしているのです。
浄化の方法は、過去に恩恵や世話を受けた事などを思い浮かべ、感謝の思念で調和的な言葉を繰り返し念ずるのです。
○○様、私に○○をしてくださりありがとうございます…。
念じ続けるだけでもよいが、言葉に出すことでより浄化される。 想念のセットをよくするほかに運命のリズムを良くする根本的方法はないのです。 自爆テロするやつがいても不思議じゃ無いのに
日本人はひっそり自殺するだけだよな 食べ物と言葉には、性格、運命を形成していく重要な働きがあり、
インスタントのものばかりを食していると神経過敏となり、運勢も落ちていく。
化学塩(イオン膜濃縮)は身体に悪い。
古い油や、化学添加物の含まれる食べ物をいつも摂取していると、血液を汚し病弱となり、精神も不安定になる。
塩、水、油はなるべく自然でよいものを使うべき。
柔らかい物ばかりを食べていると、あごが弱くなり、意志力が低下し、脳を使えない人間となる。
身体によい食べ物も、食べ過ぎると身体に逆効果となる。バランスが大切。
白砂糖の入った菓子やパンを多く食べていると、脾臓の働きが弱まり、神経過敏となって、鬱病・ノイローゼなどの心身症を引き起こす。
清涼飲料水などの過剰摂取は低血糖となって、鬱病を引き起こす。
運が悪いと思うならば、己の言葉のあり方と、食のあり方を見直すとよい。 その人の精神の安定度は、食べ物の中身と、内臓の状態が正常かどうかによって決まるといってよい。
老廃物と毒素を中和して排除すれば、食事が果たす役割はすばらしい体質改善につながる。
毎日一度は、生の青野菜をとること。
なるべく新鮮なものを。
沢山のレタスはほとんどの人に食べられるべきである。
レタスは浄化剤だ。
ホウレンソウ、レタスあるいはセロリを選ぶときは、白い部分よりも緑の部分を多く使うこと。
生のレタス、クレソン、人参は、特に血液を浄化する働きが高い。 動物の死肉はすべて、尿酸やさまざまな細胞の排泄物で飽和状態になっている。
肉食の人は、自身の身体が生む毒だけでなく、動物の死肉に含まれる有害物質も分解せねばならない。
肉の食べ過ぎは避け、あらゆる種類の野菜をたくさん食べること。
肉はできれば魚、鶏肉、羊であることが望ましい。他の肉はあまりとりすぎてはならない。
甘味料をつけないレモンやオレンジの生絞り汁を倍の水で薄めて朝に飲むのは、血液と体液を浄化する最良の方法。
顔色もよくなる。ただし同時に穀物を摂取してはならない。食事をしない時間帯に飲むこと。
日常的に食べているものと、周りに放つ言葉。
この二つが合わさって――肉体的にも精神的にも、いまの自分自身を作っているのだ
エドガー・ケイシー 桃井かおりのZippoストーリー
って日曜夜放送のラジオ番組聴いてた人いますか?? 前に>>369の書き込みした者だけど人生がもっと悪化したわ…
自業自得な所はあるけどやっぱり辛い エドガー・ケイシーは
不幸の原因はその人の行いと想いが関連しているという。
それは潜在意識下に蓄積している過去の行い(因縁)と繋がる。
「過去に蒔いた種は必ず刈り取ることになる」
最先端科学の量子論では、全ての思考、感情、言動はアカシックレコードという情報場に記録され続け、
あらゆる行いや想いが量子レベルで潜在意識に保存され、たとえ肉体を失っても、あの世と来世に受け継がれる。
ケイシーは、恨む相手や傷つけてしまった人、無関心だった相手を理解し、受け入れ、赦し、愛と祝福を送ることでその情報を書き換えることが可能と指摘する。
他者への理解と赦しと思いやりを持つことが大切になっていくのだ。 日本人は俺みたいな孤男に死ねばいいとかいうくせに安楽死も認めない
死ぬなら誰に迷惑かけ図に一人で死ねという
まさにこの世は地獄である 寛容の精神は我々すべてを兄弟にする
しかし不寛容の精神は人間を野獣にする
我々はすべて弱さと過ちから作られている
我々の愚かさを許し合おう
これが道徳の第一の掟である
ヴォルテール 外野はすぐに他人を罰したがるが、本当に罪を許すのは当の被害者だけなのだ
憎むべき加害者に、復讐に燃え同じ加害的存在へと堕ちないように、相手を許さなければいけない
それが道徳的な精神である
部外者が無責任に「どんな刑罰がいいかなあ?」などと書き込む
醜い他罰娯楽の現代に疑問を持たなければいけない 寛容の精神とは、この他罰的な野獣の世界でこそ、周りに流されることなく発揮しなくてはならないのだ 寛容の精神なんて発揮しようものなら
食い物にされ馬鹿にされ、言うことを聞かなければ脅され攻撃され
死ぬまで良いように使われるだけだわ
それが現代の田舎の実体 精神的地獄の人生なのに
今日は更に肉体的地獄を味わった
結石の激痛はまじで地獄