■歩兵第66連隊第一大隊戦闘詳報(旧日本陸軍の正式報告書=公文書)
「旅団命令により捕虜は全部殺すべし」


■昭和天皇の弟・三笠宮(陸軍士官として南京に赴任)の自伝
「一九四三年一月、私は支那派遣軍参謀に補せられ南京の総司令部に赴任、一年間在勤。
その間に私は日本軍の残虐行為を知らされました。
ここではごくわずかしか例をあげられませんがそれは氷山の一角に過ぎないものとお考え下さい」


■中島今朝吾第十六師団長の従軍日誌
「佐々木部隊だけにて処理せしもの約一万五千、太平門に於ける守備の一中隊長が処理せしもの約千三百」
「大体捕虜(に)はせぬ方針なれば片端よりこれを片付ける事となし


■陸軍省人事局長・阿南少将(のち大将、陸軍大臣)南京視察報告
「軍紀風紀の現状は皇軍の一大汚点なり。強姦、略奪絶えず」
「婦人方面、殺人、不軍紀行為は国民的道義心の廃退、戦況悲惨より来るものにして言語に絶するものあり」


■第11軍司令官・岡村寧次中将(のち大将)
先遣の宮崎周一参謀、中支派遣軍特務部長原田少将、抗州特務機関長萩原中佐等から聴取したところを総合すれば次のとおりであった。
一、南京攻略時、数万の市民に対する掠奪強姦等の大暴行があったことは事実である。
一、第一線部隊は給養困難を名として俘虜(捕虜)を殺してしまう弊がある。


■畑俊六陸軍大将(中支那派遣軍司令官)
支那派遣軍も作戦一段落と共に軍紀風紀漸く類廃、掠奪、強姦類の誠に忌はしき行為も少からざる様なれは