>>10
ありがとうございます
これは、謎のプロ数学者さんか
鉄オタですね

私が、昔新潟がに出張したときがあって
新幹線は、もう開通していたけど
羽田から飛行機で行って、飛行機で帰った(営業の人に同行して)
一人だけ、新幹線使った人がいた
当時は、まだソ連で、新潟は日ソの貿易港だった

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E6%BD%9F%E6%B8%AF
新潟港
歴史
現代(戦後復興から現在まで)
1967年6月1日には日本海側初の特定重要港湾(現・国際拠点港湾)に指定された。また、整備が進められていた東港は復興策の一環として、市内中心部に集中していた製造や物流の拠点を分散配置させるための用地としても活用されることとなり、1969年(昭和44年)11月19日に開港。同時に元々の新潟港が通称新潟西港(にいがたにしこう)と称されるようになった。
その後、東港はソ連(現:ロシア)、東アジア、東南アジアとの外航コンテナ航路が就航し、液化天然ガス (LNG) バース、ガントリークレーンなど港湾施設が整備された。

https://www.niikei.jp/11518/
新潟県内のニュース|にいがた経済新聞
新潟港は開港150周年 現代にまで続く新潟における開港の意味とは
2019-02-06
例えばロシアへの北洋漁業に乗り出し、新潟から米や塩を輸出し、向こうで獲れた魚を使った塩鮭・塩鱒をまた輸入できたのは新潟が貿易港だったからこそ。結実することはなかったが、明治20年代にはもうウラジオストクと新潟との定期航路開設を図ったこともあったそうだ。

https://www.city.niigata.lg.jp/kurashi/doro/port/rekisi.html
新潟市
新潟港の歴史
最終更新日:2021年4月21日
1858年(安政5年) 日米修好通商条約により開港五港の一つとなる
 日米和親条約(1854年)より一歩進んだ日米修好通商条約(1858年)により、日本は五港(函館・新潟・神奈川・兵庫・長崎)を開港することとした。この頃から、新潟にも異国船が現れ始め、乗組員が上陸することもあった。
1869年(明治元年) 新潟港が開港
 開港の指定を受けた新潟港であったが、戊辰戦争の影響などで10年後の明治元年11月19日(西暦1869年1月1日)の開港となった。同時に緊急避難などのための補助港として、佐渡夷港(両津港)も開港した。