集合論について
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いくらなんでも数学板に集合論全般を扱うスレがないのはおかしいだろ >>195 ω_1 のような非加算順序数の場合は?整列順序を、論理式
x∈y∨x=y で定義できると思うけど。 「芳しい」というより、「香ばしい」やりとりだな。
自然数の整列性は、自然数の定義にもよるだろうが、
普通の定義、例えばベアノの自然数なら、証明できる。
その上で、整列順序の存在は、
可算集合と自然数集合との全単射の存在と同値。
可算選択は、数学的帰納法に過ぎない。 >>190
自然演繹の∃除去の規則を思い出せば分かると思うんだけど。 >可算選択は、数学的帰納法に過ぎない。
可算整列は、数学的帰納法に過ぎない。
の間違い? 190はそもそも、fが消えるとか自然演繹とか、意味わかっとらんのやろ >>183
可算選択公理 axiom of countable choice ってのは
A_n≠φ(n∈ω)のとき選択函数 f : N→∪A_n で f(n) ∈ A_nとなるものが存在する、
という主張のことを言うと思うんだけど。
https://www.google.co.jp/search?q=axiom+of+countable+choice
可算集合が整列できないなんていう変な主張のことじゃないよ。
一個以上あるものから一個を取り出すだけなら
(具体的なものを取れるかどうかは分からないけど)選択公理は要らない。 >>203
だからそれ(存在量化された命題から、一つの実例を選び出す)は選択関数じゃないっての
選択公理とは、「存在量化された命題から、一つの実例を選び出す」という操作を無限回行えることを保証する公理 「存在量化された命題から、一つの実例を選び出す」という操作を無限回 しかも一括で 行えることを保証する公理
と言った方がいいかも 選択函数ってのは
空でない集合の族 F = {A_i} (i∈I), A_i ≠φがあったときに
f(i)∈A_i となるような函数
(つまり A_i たちからそれぞれ要素 f(i) をチョイスする函数)
のことを言う、という風に定義されてると思うけど。
選択函数とか或る集合が可算であるとか、可算選択公理とかの
定義を確認した方が良いと思う。 与えられた集合 X の整列順序を ZFC の具体的な論理式で書き下してくれとか、
与えられた、空でない集合族 (A_i)_{i∈I} (A_i ≠ φ)の
選択関数を具体的に構成してくれとか、そういう要求でないのかな? たとえば、実数の全体の整列順序関係を、ZFC + GCH 内で具体的な論理式で
書き下すことが不可能なことは、すでに知られているよ。 >>192
バナッハタルスキの件も、「具体的には整列しようがない」非可算集合を整列しちゃう
ところから生じているの? 代表元が取り出せることだったような。まあ同じことか バナッハ・タルスキーは、体積が違う球体が作れてしまうのが
選択公理のせいではないことは分かっている 今までの議論ざっくり見ましたが,大学2,3年生ぐらいの議論という事ですか?
曖昧な表現や思い込み・勘違いな表現が多数見受けられましたが。 単に定義について勘違いをしてた人が居ただけ
まああまり高度なポイントではなくて
きちんと本に書いてある定義に則って話をするかどうかということだけど 選択公理→ハーンバナッハ→バナッハタルスキ
だから、選択公理のせいではないとは言えない Banach-Tarskiの定理そのものはACが無いと証明できないけど
同じようにパラドクシカルな定理がAC無しに示せるので、
ACの関わっている部分はかなり微妙な部分になる
http://www.pnas.org/content/89/22/10726.full.pdf ACがあれば証明されるけどACより弱い定理から導かれるのでACが必要というわけではなくAC無しでも証明できる >>183を見る限り、定義の勘違いだけではなさそうだが…
本当は必要ないのに、特別な公理が必要だと思い違いをしてて、こっちの方が深刻 選択公理も含めて、どの公理もその独立性は直感的に明らかだと思うんだが、
独立だと思っていたら実は独立でなかったというような公理はなにかあったの? ZF + not ACのモデルの存在は直感的に明らかということでOK?
というか分出公理は置換公理から出て来るとか、
公理同士の依存関係は結構あるよ
分出公理や空集合の存在を除いても確か除いて良い公理があったような > ZF + not ACのモデルの存在は直感的に明らかということでOK?
そのつもり。+ ACも + not ACもどちらも直感的に矛盾しそうにない。
> というか分出公理は置換公理から出て来るとか
分出公理と置換公理は、むしろ直感的に等価だと感じる方に属する。 分出公理から置換公理は出ないから等価というのはおかしいよ。
置換公理の方が遥かに強い。 不用意だった。あなたの言うとおりだ。
ただ、置換公理->分出公理であることは、直感的にもわかりやすいよね。
一方、分出公理!->置換公理であることはオレにはすぐにはわからないのだが >>229
累積的階層のR(ω+ω)がZCのモデルになって
置換公理以外は分出も含めて成り立つけど置換公理は満たさない
特に順序数ω+ωが存在しない
「明らか」という言葉は簡単に証明できると言える場合以外使わない方が無難だと思う 僕は昔集合論を勉強し始まったころ、ZF から AC が証明できると思い込んで、
しかもそれが「直観的にも明らか」だと信じてしまっていた経験がある。
後でゲーデルやコーエンの理論を読んで、じっくり反省しました。 ちょっと初歩的な質問をさせて貰いますが,
「ACがZFから独立である事を証明するには,ZF+¬ACのモデルの存在を言えばいい」って言うのは何故ですか? >>233
それがあなたなりの根拠があってそう直感したということだったとしたら
おもしろいね。どういう根拠だったか知りたい。少なくとも、¬ACの独立性は
正しく直感していたということなわけだし。
>>234
なにか代わりの公理を入れて?
>>235
完全性定理 ブルバキのは確かR(x)を満たすxが存在するならその存在するもののうちひとつを表す記号(なければなんでもよい)
τ_xR(x)
があるので、これを用いれば選択関数が簡単に作れてしまうという、半ば反則的な方法をとっていたと思う。 そのものじゃないでしょ。でもすべてのx∈Xについてf(x)≠φならば、選択関数gが
g(x)=τ_y(y∈f(x))
で定義できる。 数理論理学的にはちょっと違うけどね。
たとえば選択公理を認めても選択函数はdefinableなもの
(上で言うところの「具体的」な函数)になるとは
限らないけど、ブルバキのτ(ι記号とも言う)を使。うなら
必ず論理式で具体的に書けるような関数になる
集合論は「明らか」だと思われるようなことに
実は数学的・論理学的にすごく微妙subtleな点があるのが面白さの一つだと思う キューネン『集合論』は、集合論の入門書ですか?それとももっとレベルが高いですか? レベルが高い入門書です。
何年か前に30年近くぶりに新版が出て内容が一変してます。 ある程度集合論について知識持った方に聞きたいんですけど,
どの学年でどの程度の知識を持っているのが大体の相場なんでしょうか?
例えば, 学部○年で,松坂の集合位相入門の,濃度・順序数をほぼ完璧に理解。○年で,不完全性定理を理解。
修士or博士○年で強制法理解・・・・とか・・ >>241
>集合論は「明らか」だと思われるようなことに
>実は数学的・論理学的にすごく微妙subtleな点があるのが面白さの一つだと思う
それは集合論に限ったことではないと思うのだが、どう?
それに、(これも一般に)微妙な点というのは弱みであることも多い
(むしろふつううはそう)と思うが、どう? しかし研究対象がそもそもsubtleに出来ているのなら
それをそのままsubtleに(霊妙に、とでも訳せば良いのか)理解しないといけない。
Einstein曰く、"Subtle is the Lord, but malicious He is not."
神は霊妙ではかりがたい。だが悪意は持たない。 >>237
根拠となったのは、以下の主張です。
ZF の任意の可算モデルを M とします。以下、ZF の論理式A(x_1, ... , x_n)
は M に変数を持つものとして解釈します。M は可算だから、整列可能。従って、
任意の論理式 A(y, x_1, ... , x_n) と M の元の列 a_1, ... , a_n に対し、
A(y, a_1, ... , a_n) なる y∈M が存在すれば、そのような y の最小限を
f(a_1, ... , a_n) とおき、A(y, a_1, ... , a_n) なる y∈M が存在しなければ、
M の最小元を f(a_1, ... , a_n) とおきます。
こうすることによって、M 上の論理式には全てスコーレム関数が定義できるわけで、
M は ZFC のモデルとなります。
従って、M 内で AC は真。したがって、完全性定理より、ZF から AC は証明可能。
この論証の間違いを理解するのに、数ヶ月かかりました(笑) 様相論理って面白いんですか?
結構体系が別れていて,研究分野としての整理があんまり出来ていない感じがしてるんですけど 体系に番号や記号もそれぞれ振られているし整理はそれなりにされてると思う。。
ただ一言で様相と言っても我々の言語にはいろいろな種類の様相
(証明可能性、義務、知識、信念、……)があり得るので
そういったことに応じていろんな体系があるという感じに理解すると良いと思う。
唯一のthe 必然性がある訳じゃない。 >>248
ACを証明するのにACを使ってしまった、ということでしょ?
ここに書かれたことは、あなたにとってACは、それ自身他の論証の根拠として
つい使ってしまうほど自明のことであったということではないの?あなたが
ACを導いた根拠なのではないよね? >ACを証明するのにACを使ってしまった、ということでしょ?
違うような。
ZFの可算モデルを取るときにACを使ってるけど、
「ZFの任意のモデルで〜〜が成り立つ。よってZF |- 〜〜」
を示す時にACを使うのは(あまり)問題が無い。
問題なのはMの住人が「Vは可算」だと信じていないといけないような証明になっているということ。 V=L |- CH は、まあそうだろなと思うが、V=L |- ACの方は、なんでこの二つが
関係するのかと思ってしまうのだが、みなさんはどう? __ノ)-'´ ̄ ̄`ー- 、_
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| /:::::::::::::::::::::::::::::::::|:::::::::::::::::::::O::|::|::::::|:::::::::::::::/ 論理式を使って定義できるような対象しか存在しないなら
その定義のされ方に着目することで整列順序付けができてもおかしくは無いのかな、
というイメージはあるけど。 >>256
あっ、そうだね。
私がわからないのは、整列可能性 <-> AC の方かな?
これもそんなにおかしいことではない? →は、考えている集合たちの要素たち全体を整列する。
あとはただ整列順序に関する a の最小要素を選べば(choiceすれば)良い。
←は、まず全体から一つ要素を選んで一番小さい 0 番目の要素とする。
次に残りから一つ要素を選んで(choiceして)その次に小さい 1 番目の要素とする。
次に残りから……
次に残りから一つ要素を選んで ω 番目の要素とする。
次に残りから一つ要素を選んで ω + 1 番目の要素とする。 ……
というのを残りが尽きるまでひたすら繰り返す。アイデアは簡単だが厳密に書くと結構分かりにくくなる。 >←は、まず全体から一つ要素を選んで一番小さい 0 番目の要素とする。
>次に残りから…
こう言うと、これらの操作を順々にやるように聞こえるが、ACではもちろん、
これらの操作を一気に(同時に)やるんだよね。
たしかにアイデアは簡単だ。
なのにその独立性を示すのになんで強制法もようなテクニックがいるの? >>259
整列可能性 <-> ACの証明と、ACの独立性証明に、何か関係が? うん、それは関係ないとは思うが、
V=Lが独立なら、CHもACも独立なのじゃなかった?
そして、V=Lが独立なのは明らかだろうと思うのだが。 not[ZF|-V=L], ZF|-(V=L->CH), ZF|-(V=L->AC) に比べて、
not[ZF|-AC] やnot[ZF|-not AC]を示すのが難しくなるのは
どうしてだろう?ということかな 数学において「明らか」とか「自明」という表現は
「あまりにも簡単に証明できるのでバカバカしくて書いてられない」という
意味です。 〜セミナーにて〜
優秀なA君「明らかです」
馬鹿なB君「明らかです」
意味が違う ACの独立性などに比べると不完全性定理は自明な定理だと言っても264には注意されるのかな? V=L → GCH → ACなので、
ZFからACが導けないなら当然V=Lも導けないが
逆を言うのはかなり困難だと思う。
>V=Lが独立なら、CHもACも独立なのじゃなかった?
これは何情報?
そもそもACを認めない時点で基数の一般論が
ちょっと工夫しないといけなくなるのでその時点で自明とは言い難い 松坂和雄の整列定理から選択公理を導くところだけど、整列集合にする順序関係
があるとしても、そのうちどれを選ぶのかということを指定するルールを明示しない
限り証明になっていない気がするんだけどあれでいいの? >>181あたりからの書き込みを追ってみよう
彼と同じ勘違いをしてるみたいだから Xを集合とし、X上の整列順序全体の集合を X’とする。
整列可能定理とは、任意の集合Xに対してX’≠φが成り立つということ。
選択公理とは、添え字付けられた空でない集合の族(A_λ|λ∈∧)に対して
Π_λ A_λ ≠ φが成り立つということ。
選択公理を証明するとはすなわち、単にΠ_λ A_λ ≠ φを示すことに他ならない。
Π_λ A_λ ≠ φを示すには、空でない集合YであってY⊂Π_λ A_λを満たすものを
1つ作れば十分である。
添え字付けられた空でない集合の族(A_λ|λ∈∧)は(∪_λ A_λ)’≠φを満たすとする。
写像 F:(∪_λ A_λ)’→ Π_λ A_λを以下のように定める。
まず、ρ∈(∪_λ A_λ)’を任意に取る。このとき、(∪_λ A_λ, ρ)は整列集合である。
各λ∈∧に対して、f(λ):=min A_λとして写像 f :∧→∪_λ A_λを定める。
ただし、右辺のminは(∪_λ A_λ, ρ)におけるminとする。従って、このfはρごとに定まる。
F(ρ):=f として F(ρ) を定義すれば F(ρ):∧→∪_λ A_λである。
特にF(ρ)∈Π_λ A_λである。ρ∈(∪_λ A_λ)’だったから、以上より
写像 F:(∪_λ A_λ)’→ Π_λ A_λが定義できた。
Y={ F(ρ)|ρ∈(∪_λ A_λ)’}と置けば、(∪_λ A_λ)’≠φにより Y ≠ φ である。
また、F:(∪_λ A_λ)’→ Π_λ A_λにより Y ⊂ Π_λ A_λ である。
従って φ ≠ Y ⊂ Π_λ A_λ となったので、Π_λ A_λ≠φである。以上より、次が言えた。
・添え字付けられた空でない集合の族 (A_λ|λ∈∧) が (∪_λ A_λ)’≠φを満たすならば、
Π_λ A_λ ≠ φである。
系:整列可能定理が成り立てば選択公理も成り立つ。 >>272
いや、>>270の人が言っている疑問とは違くて、ある集合に適切な順序関係を加えれば整列集合とすることができるので
個々の部分集合から最小値を取り出せる、よってその最小値を取り出す操作を選択関数
とするって証明に書いてある。だけどその際適切な順序関係がたくさんある中からひとつを
選ぶ操作を指定しない限り選択関数を指定していることにならないと思うんだけどどうなんだろ。 >>274
あ、分かった。ありがとう。そうか空でないと言えればそれでいいのか。 教科書にはそうとしか書いてないはずだけど、
整列可能の定義を何だと思ってたの? 公理論的集合論について予備知識なしで読める本を教えてください。
赤 攝也『集合論入門』(ちくま学芸文庫)は古すぎるでしょうか? >>278
共立『Q&A数学基礎論入門』
文系学生対象の講義を元にした本らしい
一応ZFの公理系は書いてある 『復刊 公理論的集合論』西村 敏男・難波 完爾 (2013/4/2) 共立出版
この本はどうですか? ZF+V=Lの無矛盾性の証明よりZF+not{V=L}の無矛盾性の証明の方がずっと
難しいのね?なぜ? それぞれどうやって証明するのか考えたら、難易度の差は歴然だろう どこが違うからなの?
歴史的には、ZF+not{V=L}の無矛盾性の証明はできることはわかっていたが、
どのように証明するかに手間取ったの?
人間版不完全性定理っていうのはないの? 「『数学上の問題を解くには方程式書いてコツコツやってもはじまらない。仏の境地に
達すれば何だってスラスラ解けるものだ』。こういう表現だったかどうか正確ではないが
確か(岡潔)先生はそういう意味のことをおっしゃったと思う」
--- 広中平祐 __ノ)-'´ ̄ ̄`ー- 、_
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赤さんの本は公理的集合論の本ではないけど、
公理的な集合論を勉強する前に学部レベルの
素朴集合論の本の内容を身につけた方が効率が良いと思う
(ついでに言うと一階述語論理は先に勉強するに越した事は無い)。
難波完爾先生の本は独特な味がある本だけど、初学者には難しい。
正直な所、Kunenを読む一歩手前の人に適当だと言えるような
水準の本は日本語ではなかなか無い。
「ゲーデルと20世紀の論理学」シリーズの四巻第一章が割とそれに近いか。 上のレスのアンカーは>>278>>280の間違い
>>283
具体的に構成したり定義したり出来るような対象は
必ずLに含まれるので、V=Lとその否定のどちらが正しそうかと
集合論の知識の無い非専門家の数学者に聞くと、
V=Lが成り立つ方が尤もらしいと答える人が多い。
V=Lの無矛盾性は、実際にLの要素の集まりを考えて
それがZF+V=Lのモデルになっていることを示すだけで良いけど、
その否定の無矛盾性はその種のVを削るような方法では示せず、
モデルを拡大する操作が必要になる。 >>286
>赤さんの本は公理的集合論の本ではないけど、
>公理的な集合論を勉強する前に学部レベルの
>素朴集合論の本の内容を身につけた方が効率が良いと思う
>(ついでに言うと一階述語論理は先に勉強するに越した事は無い)。
えっと、よくわからないですが、赤さんの文庫本は「学部レベルの素朴集合論の本」ではないんですね?
別の本で「学部レベルの素朴集合論」をやるべきということですね?具体的な書名をおしえてください。 公理論的集合論の本じゃないけど
学部レベルの素朴集合論の本だとは言っても良いんじゃないの?
このレベルの本はどれも大して優劣は無いからどれでも気にいった本で良いよ。
日本語の本で
諸定義、集合に関するブール演算、選択公理、濃度、順序数、
という順序で基本的なことを解説するパターンの本はどれでもほぼ同じ。 >>287の前半
>集合論の知識の無い非専門家の数学者に聞くと、
>V=Lが成り立つ方が尤もらしいと答える人が多い。
それは違うのじゃないかな?一般人(非専門家)はむしろ「世界は具体的
に構成したり定義したり出来るような対象だけとは限らないだろう」と
考えて、not{V=L}はあり得ることと考えるのではないか?「V=Lだ!」
とも言わないだろうが。つまり、一般人は、V=Lとnot(V=L)のどちらも
あり得ることだと直感しているのじゃないかな? 無矛盾性(独立性)を示すのに、モデルの存在を示すという方法でなく、
syntacticalにやる方法を書いたものってなにかありますか? 証明論の順序数解析の本とかにはそういう証明があるよ
たとえば新井敏康の数学基礎論の第八章(証明論の章)には
集合論KPの無矛盾性の統語論的証明がある >>292
ありがとうございます。見てみます。(モデルの有無だけでは、なぜ無矛盾
なのかはわかりにくいと思ったので) モデルが存在するならば無矛盾というのは
健全性定理という一つの定理 >>294
完全性定理ですね。それはわかっているのですが、
私が「なぜ」と言ったのは、「どういうしくみ・理由で」無矛盾なのかを知りたい
という意味でした。モデルの存在からは、「とにかく無矛盾」としかわからないと
思うので。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています