集合論について
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いくらなんでも数学板に集合論全般を扱うスレがないのはおかしいだろ どういうも何も、定義上 M |- not φ は M |- φの否定と同値だから 矛盾した理論を解釈するモデルがあったら 意味論のレベルで矛盾律(Aかつnot Aとはならない)が 破綻してしまう。だから 矛盾律 ⇒ 矛盾した理論にはモデルは無い i.e. モデルがあるなら無矛盾 としか言いようがない気がする。 集合論の公理系に限らず、およそ公理系を設定する人は、まあ間違うこと なく無矛盾で独立な公理系を設定するものだ。 そのとき彼らは必ずしもモデルの存在を確認してそれらの公理系を設定する わけではないだろう(たとえばユークリッドも)。 ということは、モデルの存在というのは力ずくの最終確認手段に過ぎず、 無矛盾性や独立性を察知するもっと早い方法があるということなのじゃ ないかな? フレーゲが最初に定義した述語論理の体系は矛盾していた。 チャーチの論理定数を含むラムダ計算の体系も矛盾していたため 数学の基礎付けに使おうという元の目的は達しなかった。 ラインハルト基数も矛盾していることが分かった対象の例。 およそ公理系を設定する人は〜というのは何を根拠に言ってるのか。 証明論的に無矛盾を示すためには、可算順序数で整列順序が複雑なものを 表記法を工夫して相当テクニカルに示さないといけないので モデルを構成するよりも難しくて面倒で「もっと早い方法」とは到底言えない。 デブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ね デブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ね デブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ね デブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ね デブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ね デブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ね >>300 まあ間違わないと言っただけで、間違う場合もあるでしょう。 それに、フレーゲ、チャーチの場合は(ラインハルトは知らないが)、 公理系の矛盾と言うより、言語そのものに内在したパラドクスと言うべきと 思うのだが。 3次元空間で4つの基底を指定されたときにはすぐに独立でないと察知できる わけだが、公理系の場合も或る程度それに似たことができるのではないかな? 少し前に議論されていたACなんかも、ACを一見しただけで、ZFからはそれ (あるいはその否定)が出てくるはずはないと察知できるよね? >3次元空間で4つの基底を指定されたときにはすぐに独立でないと察知できる さすがクズ哲はあたまいいねー 集合論を勉強しようというわけでもないのに集合論のテクニカルな部分を知りたがる まともではない >公理系の矛盾と言うより、言語そのものに内在したパラドクス 述語論理のような論理学や言語の部分も公理や推論規則を立てて 形式的に扱うべきだ、というのがツェルメロ・フレンケル・スコーレムや ゲーデル・ノイマン以後の集合論の考え方。 そうしないと、「きっと独立に違いない」とただ信じることは出来ても独立性を証明することはできない。 >公理系の場合も或る程度それに似たことができるのではないかな? 「或る程度」、多少はね。ただモデルがあるかどうかはっきりせず、 意味論を後から考えないといけないような場合には一般には難しい。 >ACを一見しただけで、ZFからはそれ >(あるいはその否定)が出てくるはずはないと察知できるよね? じゃあ例えば>>248 や http://ai.2ch.net/test/read.cgi/math/1348851752/561 の疑問にすぐに答えられる? ここは集合論を勉強する上で初学者がかなり引っ掛かりやすいポイントで、 でも個人的にはかなり微妙で面白い部分だと思う。 実際にそういう察知が出来てればカントルはあんなに苦労してなかったはずだし、 (カントルやツェルメロの時代の数学者は>>>302 に比べてバカばかりだったとでも言わない限り) ツェルメロの公理系の選択公理に対する否定的反応も起こらなかったはず。 それにヒルベルトの23問題の第1問題は連続体仮説だけど、彼や当時のその他大勢の数学者は 連続体仮説が集合論の公理系から証明も否定もできない、という可能性は あまり深刻に考えてなかったはずだよ。 それとも連続体仮説は証明できそうに思えても仕方ないが選択公理はそうではない、 と言えるに足る理由が何かある? 歴史をあまり知らないと後知恵で当然だと思ってしまうことも、 知識が無い段階でいざ証明しようとすると全く自明でないことがしばしばある。 ニュートン曰く、" If I have seen further it is by standing on ye sholders of Giants." 私がより遠くまで見渡せたとするならば、それは巨人の肩の上に乗っていたからだ。 "Dicebat Bernardus Carnotensis nos esse quasi nanos, gigantium humeris insidentes, ut possimus plura eis et remotiora videre, non utique proprii visus acumine, aut eminentia corporis, sed quia in altum subvenimur et extollimur magnitudine gigantea." Bernard de Chartres(12C) >>248 >ZF の任意の可算モデルを M とします。... >従って、M 内で AC は真。したがって、完全性定理より、ZF から AC は証明可能。 ここは単に、Mが「任意のモデル」でないので完全性定理を適用できないだけではないの? そこはレーヴェンハイム・スコーレムの下降定理から 非可算でACが成立しないモデルがあったら 可算でACが成立しないモデルも取れるから良いんじゃないの? >>314 L-S-下降定理: 言語 L 上の理論 T の任意のモデル M は 濃度κ = max(|L|, ω)の初等部分構造 N < M を持つ。 (とくにNとMは全ての閉論理式の真偽が同じになる。) ZFの言語は可算だからκはアレフ0になる。 だから>>248 の最初の文は 「ZFの任意のモデルをM'とし、その可算な初等部分構造を M とします。」 とすれば、最後の部分も 「したがって M 内でACは真、したがって M' 内でACは真、したがって、完全性定理より」 とすれば通用する。 まあその間の部分に間違いがあるから結局ダメなんだけど。 モデルの濃度については、可算モデルの範囲でのみ考えていいんだよ。 完全性定理の証明を読んだことがあるならば、判るはずだ。 わしらスコーレムのパラドックスからしてよう分からん モデルの内外って分かりにくいわ モデルの内外なんて難しいことを考えるとわからなくなるよ(教科書には そう書いてあるものが多いが)。 無限公理とベキ集合公理を満足するモデルを空集合から始めて地道に構成 して行ってみればわかるよ。 >>316 >「ZFの任意のモデルをM'とし、その可算な初等部分構造を M とします。」 ここでACを使っていないの? 集合論の言語は有限文字しかないから 論理式の集まりに整列順序を入れられる。 だからこの場合ACは無くても可算な初等部分構造を取れる。 というか 「Tからφが証明できる⇔Tの任意のモデルでφが真」 を示すのにACが必要だという話と、 TがACを含まないZFだという話は水準が違う話だから区別しないと。 >>322 それってV=Lを仮定した議論じゃない? 完全性定理の証明はV=Lを仮定していると言いたいの? >>298 >>300 遅レスだが、ZFCの公理の中では、正則性公理だけが(集合存在について)禁止的公理だ。 だから、正則性公理を除いた公理系が無矛盾であることはほぼ自明であるし、 正則性公理を除かない場合も、無矛盾性を示すには正則性公理だけに注意しておけばよい、 なんていうことはないの?w >>327 > 禁止的公理だ。 「禁止的公理」ってなんだよ。任意の公理は(お前の言う)禁止的にも非禁止的にも表現できるぞ。 > 正則性公理を除いた公理系が無矛盾であることはほぼ自明である 数学を学ばないやつってある意味無敵、の一例だな。 >「禁止的公理」ってなんだよ。任意の公理は(お前の言う)禁止的にも非禁止的にも表現できるぞ。 どれか他の公理を禁止的に書いてみてくれるか? 数学村では定義がなされない自分用語を用いた質問を繰り返すと相手にされなくなる 正則性公理を使って ¬∃X∀x[x∈X] が証明されるから, "禁止的"って言うニュアンスを込めたように,俺は読める。 >>330 >任意の公理は(お前の言う)禁止的にも非禁止的にも表現できるぞ。 こう言ってるかれ(きみか?)は、定義がわかってるはずだよw 脳内変換してくれる相手がたまたまいることに感謝しなさい。 例えば選択公理を禁止的公理の形に書きなおしてみてくれたまえ 選択公理は整列できない集合が存在しえないと言ってるんだから 禁止的じゃないのかとか言わると困るんじゃないのかと思うんだけどね。 それに任意の集合族に選択函数が存在するという選択公理と 任意の無限ゲームに必勝法が存在するという決定の公理は矛盾するし。 任意の公理は禁止的には非禁止的にも表現できる という>>328 の主張に興味がわいたので質問しただけです。 >>328 以外の方はスルーしてください。 流れからはずれるのですが、 正則性公理をはずすと、∃X∀x[x∈X] を公理に加えても矛盾しなくなり ますが、これでなにかおもしろいことは起きるのでしょうか? 正則性公理をはずした時点で超集合論ができることは知っていますが。 >> 334 任意の集合 B について、{A_λ}_{λ∈Λ} をどれも空集合でないような集合の族とすると、それらの直積が (∏_{λ∈Λ}A_λ) ⊂ B となるような {A_λ} は存在しない。 >まず公理が禁止的という表現の解説を頼む。 >>335 によって粉砕された模様 >>343 ~は存在しないという形ならなんでもいいんだ? それなら「P(A)を満たすAが存在する」形式は「¬P(A)を満たすAが存在しない」と書き換えて終わる >>337 ∃X∀x[x∈X]を公理にすると分出公理からラッセル集合が作れるので正則公理無しでも矛盾します なるほど。 ∃X∀x[x∈X]で存在保証されたXをAとおいて、 B={x∈A|not(x∈x)}を考えれば不合理に陥りますね。 空集合の反対があってもよいのにと思ったのですが、 うまくいかないものですね。なぜでしょうか?w 空集合の逆なら、∃X∀x[¬(X∈x)]なのでは? これならどうなる? こんな超基本的なことも自分で分からないまま、 「証明は奴隷の仕事。俺は哲学徒だから物事を俯瞰的に観るのだ」などとほざいてんだろうなあ 奴は自分の脳内妄想の奴隷だってことを察してあげてwww 皆のコメをぼーっと見てたんだけど,博士課程以上のトークしている人も居れば, 集合論の話をブルーバックス程度で聞きかじった程度の知識で無知さらけ出してる人も居るようですね。 訳知り顔でしてないで、とっとと勉強始めたら?>>244 =355 >博士課程以上のトークしている人も居れば 居る?居ないと思うけど。 >>348 > 分出公理からラッセル集合が作れる ラッセル集合って真のクラスであって集合の元にはならないから、 分出公理からラッセル集合は作れないと思うのだが >>351-352 よくわからんが X∈{X} が成り立たないような X が存在してほしい、ってことなんじゃないの? そのためには対集合を作る操作に制限をかけざるを得ないが。 >>362 分出公理と内包公理をごっちゃにしてないか わざわざ >∃X∀x[x∈X] を公理に加え と書くくらいなのだから >>337 は、Xをクラスではなく集合のつもりで書いてあるのでは? >359 >>311 はその道のプロ。 その他はだいたいふつうの愛好家。 集合論を学んでいるwことを特別なことのように思っている若い学生が少し居るw まあ>>311 は俺が書いた訳なんだけど。 平均的な数学研究者よりは詳しいかもしれないけど 集合論の博士課程レベルの話じゃないよ。 学部には普通は集合論の講義は無いけど、 Kunen一冊読めば分かるレベルだからせいぜい修士初年級のレベル。 >>311 の一連のコメントがよいのは全体にopenな感じだからかな? 詳しいかどうかよりも。でもニュートンはいらんかったかな?w やっぱりKunenは有名なんだな カナモリの巨大基数挑戦したいしKunenも挑戦したい KunenとAwodeyではどっちを勉強するのがよいでしょうか いや分野違うし ほとんど数学と文学どっちを勉強するのが良いですか?って質問に近いぞ >>371 新版は、 ・モデル理論などの或る程度の知識を前提としているので その分self-containedではない ・その代わり旧版よりかなり議論が整理されている。 ・旧版出版後に分かって来た事実についてかなりupdateされている。 ・演習問題が、旧版では章末に纏められていたけど新版では本文の間に挿入されている ・旧版の演習問題は、訳者が解答集を作成している >>373 そんなに違わんやろw 英語と独語のどっち、くらいの違いだがや 答えてやれよ オレ的には躊躇なくKunen。Awodeyは時間を無駄にする可能性が大いにある。 大平さんの『関数のはなし』を読んでいたら、 その昔、関数とは1対1または多対1の因果関係を指すとはかぎらず、 何価関数なんて言葉もあったそうで、現在の意味での関数は写像と 読んでいたということが書いてありました。 しかし集合論の発展によって、従来のそうした概念は棄てられ、 現在の意味での関数という概念になったということが書いてあります。 詳しいことはその本では触れていません。この経緯について簡単に 解説してくださったり、その点について詳しく書かれている集合論の 著書をご存知でしたら、ぜひとも教えていただきたいです。 >>379 失礼。大村平らさんね。村を脱字してしまった。 ディリクレの定義だね(別の教科書で間接的に知ったから詳しくはわからないけど どうもいろんな数学者ごとの類似の概念がいくつも混在していた時期があったらしい >>379 へーッ。昔の関数概念の方が自然で好きだな。 >>380 大村たいら氏じゃなくて大村ひとし氏だよ。 >何価関数なんて言葉もあったそうで いや今でもあるけど…… いまでも数理論理の専門家以外は、(つまり代数や幾何や解析の専門家は) 一意に値が決まることよりも「関数」の代数的な性質が 「自然」で数学的本質をよく表していることの方を重要視する >>385 代数だと、多価関数を考えるよりも、 複数の一価価値どうしの共役性の話に してしまうような気がする。 解析では、関数は局所で定義されるものだから、 大域で眺めると自然に多価性が出てくる。 『数学基礎論へのいざない (数学基礎論シリーズ)』を読んでたら、初っぱなから 「p→q はもっとも日常的用法から『剥離』しているように見える」とか出てきてうんざりした。 >387 「ならば」という言葉を対応付けるのが間違っているのにな。 「pの時はqになる」とか他の言葉を考えないのかね。 (『は』による叙述範囲の限定) 叙述範囲に入ってない場合はどうなるか、 真偽値不定なのかデフォルトで真なのかという問題じゃないの? 日常言語学派的な語用論的説明が一番分かりやすいと思う >>387 まあまあ良い本だけど文章は正直上手くないよね 集合論って活用できる範囲や事柄は 具体的にどういったところが挙げられますかね? ちなみ自分は経済哲学の分野で必要で勉強し活用していました。 応用範囲について詳しい方いたら教えてくださいな。 経済学でいうところの集合論というのは、数学では普通、点集合論とか位相空間論と呼ばれるもののことだと思う 大昔、点集合論は(純粋)集合論の一分野とされていた どちらにせよ、数学の全範囲で使われるんだけど 全範囲は言い過ぎか 群論・環論で位相抜きの議論はいくらでもあるし ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる