・煩悩に囚われた悪い行為をしないこと、
・煩悩に囚われない善い行為をすること、
・煩悩に囚われない心を持つこと、

これが釈尊の説いた教法のすべてで、信者さんたちの好きな言葉で
表現すると三十七道品そのものです。
「こんな程度?」と思った自分のほうがおかしいと思いませんか?
釈尊と信者さんたちでどっちが頭が良いでしょうか。
桐山さんみたいに釈迦を超えたと思っていた慢心僧衣は別として、
普通の人は釈尊のほうが知的にはるかに優れていると思っている。
その釈尊の説いたことが、「こんな程度?」に見えるなら、
信者さんたちのほうが理解が足りないと考えるべきです。

釈尊よりも信者さんたちのほうが理解力が低く、頭が悪い。
だったら、上記を倫理道徳などと侮蔑するのではなく、
理解するように努力し、もしまだ理解できないなら、
「自分はまだ釈尊の教法を理解できないでいる」と自覚するべきです。
桐山さんや宝生センセみたいに、理解できない自分の知性の低さを棚に
上げて、勝手な解釈を加えて、わかったかのように周囲に
お説教を始めるのは愚かであり、行先はブッ界という三悪道です。