消失するのではなく、その現象で言えるなら消失したという思いが生じただけ
自分が消失したと思っても実際に消失したかどうかの根拠はない
簡単に言えば知覚器官を通さず何かを分かることはない
何であろうと対象が○○だというとき、実際に対象が○○である根拠はなにもない
誰も対象に直接アクセスしていない
知覚を通して対象が○○であると判断しているだけである

そのように一切の事柄はそのように思った、思えたとしか言えない
つまり消失うんぬん以前にそもそも消失する何かが元々在ったとも言えず、在るという思いが生じていただけ
在るという思いが現われ、それが消えるかわりに無い(消失)という思いが現われただけである

このような言い方をすると唯識のように思われるかもしれないが、識だけがあるというのではない
識が在るとか無いとかいうのもそのような思いが現われているということしか根拠はない

つまり何かが在るとか無いとかいうことに根拠など見いだせず、一切はそのように現われるとしか言いようがない
在るということが現われ、無いということが現われ、では何に現われるかというと対象とならない涅槃に現われる(と初めは思える)
しかし涅槃と現われるものに距離も時間もない
何故なら距離や時間も現われるもの(対象)であり対象とならない涅槃と区別はないからである
このようなことは言語で説明すれば必ず矛盾が出る
涅槃が何であるのかわかったときに、では涅槃でない現われているあらゆる対象がなんであるのかを考察したときに言語で説明できないなりにわかってくる