天理教学の検証として、
中山みきを天理王命としない大埃を、細部に至る迄掃除する。
2015年09月07日
立教について ⑴
天理教事典における説明 には埃が混じっている。
実例をみよう。
http://blog.livedoor.jp/rokkouoroshini/archives/1039444687.html


天理大学おやさと研究所編 天理教事典より (原典など必要箇所は加筆)

立教
一般に、ある宗教において、その教団としての歴史が始まったことを意味する。
天理教では、親神の歴史的啓示に基づいて、人間救済の親神の意思がこの世界に表明され、
それを実現する基礎が決定的なものになった時をもって立教としている。
天保9年(1838)10月26日、当時の大和国山辺郡庄屋敷村の中山家において、
中山家の主婦である中山みきが、親神のやしろ(社)に定められたことによって、
立教の内実が満たされたとされている。
その時と、所と、人に関する、立教の根本契機を立教の三いんねんと呼んでいる。
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まず立教論が、間違っている。
天理王命は「天の将軍」として「天の神宮」として、立教を予言したのである。