>182-183

母が死んで、納骨の時の僧の話しである。

わたしは母の実家の墓に分骨したかった、ので、檀家をしている和尚さんに分骨してもよろしいものでしょうか、と尋ねていた。
分骨はよろしくないですよ、と和尚さんは言う。
納骨の時の立ち合いの僧に、あらためてお尋ねした。
「お母さんの魂は、この宇宙に遍満していらっしゃいます、ここにある、そこにある、と言うものではありません。
わtらしは、この言葉を頂いて、父や兄弟姉妹を納得させ、分骨した。

継ぎ目のない石塔、影の無い樹、
片手の人が叩く拍手の音、

ないのだ、そんなものは。

わたしは分骨して、祖父母や曾祖父母のところにも居させてやりたかった。
今は仏壇がわたしの家にあるので、母にも会える。

縫い目のない石塔、影の出ない樹、

空なればこそ、宇宙に遍満す、である。