南海ホークス32
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森口って辞めてから都ホテルの営業マンだったな
できればサウスタワーホテルにしてほしかったね 森口は阪急の動画で、胴上げ阻止まで後1人の場面で投げながら
加藤に同点3ラン打たれて崩れ落ちるシーンで見た 今週の週べ
工藤が大阪球場の思い出語っていた。
登板後球場食堂で肉うどん喰ってサイダー一気に飲んでくつろいだとか
サイダー飲んでっていうところが広岡の時代ではないな
森の時代かな。
大阪球場選手用食堂あったんだ。
西武だったら好きなもん注文し放題だったろ 広岡時代の西武なら「肉」うどんもダメだったと思う。 >>395
好きなもんってほどバリエーションなさそう 渡辺久信の話だと西武はおかずは豪華だったが当時の玄米は硬くて
それがキツかったそうだ 500円持ってマクド行く方が幸せなのか
選手食堂はもちろん南海でも有料なのか? 西宮球場では何故か広島お好み焼きだったそう
川崎はラーメン
>工藤
大阪球場の球場食堂肉うどんって何か美味そう。
吉本芸人行きつけのうどん屋も難波にあったっけ。 >>399
5000円でもきかない人もいましたけどね 二刀流元祖の永淵が「野球太郎」上で「東芝時代に店の女の子に使うため会社の金に手をつけたらばれて
金を返さなくてはならないのでプロ入りした」と笑顔で語ってたが、のどかな時代だったのだな・・と
感じた。 >>398
今、俺も玄米主体の食生活なんだけど、圧力IH(圧力鍋)じゃ無いと正直きついよね。 お粥くらいに水を入れるとそれなりにやわらかくはなるよ。 >>394
1979年後期の西京極、6-6で引き分けて阪急の優勝が決まった試合ですね
この年は前期も近鉄に1-1で引き分けて胴上げを阻止できませんでした
平野の好返球で定岡が本塁タッチアウトになった試合(大阪) 実は先発森口にはもう一つ悔しい試合があって、翌1980年9月、雨の後楽園
延長11回表に藤原のタイムリーで1点勝ち越したその裏、岡持にサヨナラ2ランを浴びて木田の20勝目が決まった
あの年の木田、嫌いだったなぁ 森口は中日移籍後、立て続けに援護がなく
星野が森口に勝たせてやりたかったと言ってて
結局勝てずじまいだったな 雨の後楽園から1年後の1981年9月、これも後楽園
門田の3ランで3-0とリード、ようやく間柴に黒星を付けられると思った9回裏、先発のルーキー山内孝が突如連打を浴びて終わってみれば3-4x
サヨナラヒットはまたも岡持で怒り心頭
幸運な13勝目を手にした間柴がシーズンを15勝0敗で終えたのはご存知のとおり 間柴の神がかり勝利はオフにプロ野球ニュースで
棄てられていた犬を拾ってから運がついたとか
言っていたな ケロヨンか・・槇原を少し不細工にしたみたいな顔だった記憶 そんな間柴の2年越しの連勝が16で止まったのが大阪球場の南海戦
間柴曰く「連勝が止まった事より甲子園で鍛治舎にホームラン打たれた事の方が悔しい」 ホークスob会ってあるん?
大阪南海と福岡ダイエーと統合しろよ。 >>408
あの時の間柴の何が凄いって、3.46って極々平凡な防御率でシーズン無敗を達成したことなんよなw
この記録について、”記録の神様”宇佐美徹也も「下位との対戦ばかりで価値は薄い」とかとケチ付けていたけど、
別に作為によるものじゃ無い(書くまでも無く、13勝2敗+最優秀防御率の岡部や、14勝6敗 2.94と奇跡の復活を遂げた
高橋一三が投手陣の柱だった)し、素直に何だか訳分からん強運振りを讚えるべきと思ったっけ。 ホークスって1980年代以外で
優勝してるな。
1930年代、38年南海軍創設
1940年代は46年、48年1リーグ制優勝
1950年代、100万ドルの内野陣、1期黄金時代
1960年代、400フィート打線、2期黄金時代
1970年代、73年前後期制プレーオフ優勝。
1980年代、門田活躍も優勝なし
1990年代、99年福岡ダイエーで初優勝日本一。
2000年代、ダイハード打線、投手陣最強。
2010年代、ソフトバンク黄金時代
2020年代、20年優勝日本一 新井の長女も結婚してたのを最近知った
結婚相手見て唖然とした 山内和の方が山内孝より投球フォームは
ダイナミックだな
山内孝は気合は十分だったけどね 星野タイプかな それぞれポジション確保してたのになんでわざわざ犬猿だったのか
そして新一はトシ離れてて常識人だったというからわれ関せずか 山内和宏は中日時代
まだ投球動作に入ってない時点で
オマリーに走られても気付かず楽々盗塁されたのは覚えてる
大差の敗戦処理でもう100勝無理だと思った最後の夏 1983年、山内和が最終戦で先に18勝目を挙げた後、東尾に追い付かれたのは残念でした
1981年の門田も44号を放った翌日に最終戦のソレイタが追い付き、残り5試合の門田は不発
門田の場合は翌々年、柳田(近)のお陰で単独キングを獲れたけど 春季キャンプでは何もナイマンと揶揄された新外国人のナイマン、1984年の今日5月3日の近鉄戦(日生)では3回一挙7点となる満塁6号に6回ダメ押し7号2ランの大当たり、ともに門田が歩いた後の一発(ナイマンはこの月8本塁打)でした
打線の援護に恵まれた竹口は、先発としてはキャリア最後の白星
引退後はずっと球団に残り、今もスコアラーとして御活躍です 竹口と言えば新大分の近鉄戦で4回までに10点の援護をもらいながら
勝ち投手になれなかった試合
最後は12-11と薄氷の勝利 >>422
その一年後のこの時期 日付けは忘れたが
「サンデー兆治」が大ウケする中で私には関東転居後初の川崎
「南海ホークス 先発ピッチャー たけぐち」
ええ 落合にボカスカやられて面白かったですね >>423
その試合、ドラフト2位大久保(静岡)が棚ぼたの初勝利ですよね
今は如水館の監督 >>424
調べてみました
1985年5月5日こどもの日ですね
ロ17-5南の無惨な試合
先発竹口と、あれっ?二番手大久保!の2人で15失点w 84年ぐらいの川崎で
5回で0-20(最終スコア9-22)という試合もあったな 83年だった
https://2689web.com/1983/HO/HO4.html
84年は日ハム戦で11-21の大味ゲームが
先に書いた新大分では牽制で飛び出した香川が
テリーリーの緩慢な深追いで二塁セーフになり盗塁を記録してる >>426
調べんなっ 忌わしい記憶を今さらクッキリさせおってw (でもグラシャス) 竹口とか平沢とか暗黒だったな
一塁側からあーあという先発アナウンス後の反応
杉田も微妙だった 平沢なんかは今を思えば貴重な左のサイドハンドだったんだけどな
制球に難がありすぎた 85年の9月18日大阪球場で近鉄相手に25-4でボロ勝ちした試合もある。
山内和が楽々完投勝ち。ただこの年は最後に10連敗でシーズンを終えるどん底最下位の
暗黒で、穴吹さんが解任されてしまったんだけど。 >>430
俺に南海ファンというロクでもない薫陶をほどこし
なおかつ出無精で年イチで連れてってくれるのがやっとというどうしようもないオヤジだったが
それでも外野席でワクワクしているところに
「ホークスの先発ピッチャーは 杉田」
俺の人格形成に少なからず影を落としていると思う >>432
その10連敗には先発中条が一死も取れずに降板した試合がありましたね
スコアを確認すると南8-17急
しかし先発中条って 南海最終年わの門田は子供の日の段階では.270程度の3本塁打でパッとしなかったんだな >>434
中条と言えば高校時代も甲子園で四球連発して5-18で負けたのがあったな
>>436
今年の村ナントカ様の打率を高くしたようなもんか 中条に橋本に巨人から左腕が立て続けに来たな
中条は投げまくった年あったけど橋本はどうだったか。
超ノーコンっていわれてたもんね >>433
多感な時期に、劣等感というか負け癖というか
知らず知らずのうちに、人格形成に影響してるかもな。
いい歳になってそう思うようになった。
でもいまだ昔話に心地良き。 >>439
4位の87年は中条・矢野・田嶋の井上につなぐ中継ぎ陣が機能した
まあ田嶋が前評判どおり先発でフタケタ勝ってたら余裕でAクラスだったろうが 矢野はタフな中継ぎだったね
時代はさかのぼるが合間の先発としては
上田卓三とか野崎が懐かしい
上田卓三は政治家に同名が居たな リクルート解放同盟 ローテーションの谷間というか山下律夫の先発が1試合だけあった
西武戦で先発の山内新がヘロヘロ、後を受けた山下が坦々と敗戦処理的ロングリリーフ、すると9回表に香川が永射から逆転3ランを放った
勘違いしたブレイザーだかシュルツだかが中3日で近鉄戦の先発に指名、はい、2回も持ちませんでした 竹口昭憲が竹口昭範になったときは、どっちでもええわと思った >>443
「坦々と」ね その時はピリッとしたんだな >>434
10連敗でシーズンを終えた85年は阪神が21年ぶりのリーグ優勝&日本シリーズも
勝って、大阪中がお祭りみたいに盛り上がっていただけに、毎日空っぽの大阪球場で
負け続ける南海のダメっぷりが際立っていた。
その21年前に阪神と日本シリーズをやって負かしたのは南海だったのにね。
本当にスタンドに誰もいない球場で連日照明をこうこうとつけてナイターやってて、
「ナイターの電気代も払えんやろ」とネタにされていたな。 >>448
あのナンバ球場で「新人類」の工藤や久信を擁する常勝軍団西武が試合してんのはなんか不思議な感じがした
日本ハムも85年にユニフォームが都会的になって、異次元から来た感じがした >>449
オレンジユニフォームは82年からでしょ
都会的というよりむしろ「ニンジン畑の戦い」という感じだったが >>450
日本ハムの前の日拓は伝説の7色ユニフォーム。
野球と言えばセ、巨人でパは見向きもされてない時代に何とか話題になろうとしてたん
やろうけど。
その頃は太平洋も背番号じゃなくて前の胸の方に番号をつけたり、変わったことを
やってたな。70年代半ばの話。 >>447
2689で確認すると5回2/3を被安打1の無失点
この夜が南海で唯一のgood job >>451
今みたいにレプリカユニ売ったら7種コンプリート目当てで大儲け…
なわけわるかw ユニフォームの色彩を自在に操るれるニット素材のユニをいち早く採用したのは72年の南海と阪急だったな 今は復刻ユニだのイベント専用ユニだのあるからある意味種類増えてるからな
南海ユニでやると現役時代他チームだった首脳陣の人が南海のユニフォーム切ると何とも言えない違和感ある
藤本博史や森浩之が復刻ユニ着ても違和感ないが。 そもそも九州に住む小学生だった私が南海ファンになったのは、あの筆記体のHawksと帽子のNHロゴが格好良く思えたから
ホークスというチーム名である限り応援しているが、もちろん今も観戦時は南海ユニ
仙台まで足を伸ばした際、1984〜1988のユニを見たビールの売り娘に「そのユニフォーム、カッコいいですね」と言われたことがある
おべっかだったのかも知れんけど嬉しかったな >>455
まさに王の南海ユニの事だな
ダイエー時代は巨人っぽい色合いであまり違和感なかったが
あれは王招聘を見越してたのかな >>455
まあ森の南海ユニ姿はほとんど見てないがな… 田淵:ホークスの監督で失敗して「自分はコーチまでだ。監督には向いていない。」と
あっさりと割りきってコーチしかやらなくなった
王:ジャイアンツの監督で失敗して他チームの誘いを受けて監督に再挑戦した
ここらへん2人のバッティングスタイルと似たものがある 中条投手の名前が出て、非常に懐かしいです。
当方、八十年代前半に宮城県の小学生で、東北高校での活躍もリアルタイムで知ってます。
同級生の女の子で彼の大ファンが居て、高校〜ジャイアンツ時代のことを学校でよく語ってました。
そんな中条投手が南海にトレードされた時、彼女が学校で大号泣したのが、未だに記憶に残ってます。 >>456
今竹七郎の見事なデザインだよね
俺はあと鷹のマークも緑のチームカラーも大好きだった
要するに全部だ
あのユニフォームロゴ
NPBユニの歴史上一番長く使われたものらしい
俺も>>457の南海ユニ復活の時に売り出したレプリカユニ着て甲子園で観戦して
阪神ファン10人くらいにええなぁと言われたよ >>460
カンネンしろ! ってネタがありましたな
だが大ファンだってんならどこ行こうが追っかけろよ な?過剰な要求か? 杉田って広島にいたと思う。
古葉監督や福士の近所に住んでた記憶。 東映・日拓・日本ハム〜南海〜広島
南海2年目の7勝14敗がキャリアハイで唯一の規定投球回数到達、ただし防御率が・・ 鷹バカ軍団に岡本伊佐美が出てるな
めちゃくちゃ滑舌いいわ >>461
阪神のホームユニの「Tigers」の方が長いんで無いかい?現在も使われてるし… 464
その年の杉田は防御率だけでなく
規定投球回達成者で奪三振率史上最低記録も残してる
確か9回平均1.7個とか >>455
ベルトレス時代のスマートなユニは、復刻だと現役選手の着方に合わせるからダボっとした感じになっていたな。 杉田って見たことないが風張(元ヤクルト)が投手不足で規定投球回数に達した感じか? 1981年の今日5月14日西武戦(大阪)は山内孝VS杉本のルーキー同士の投げ合いで0-0のまま9回に入ったが、久保寺のサヨナラ打で南海1-0西武
無四球完封の山内孝は先発5戦目で嬉しいプロ初勝利 山内孝徳はコントロールが良くて、試合を壊さない安定感 >>472
初めてナマでお姿見た85年の後楽園では「先発タカ!?うおーっ やった!」
と喜びも冷めやらない間に初回アゴー岡持の走者一掃などで4点とられてましたけどね
しかしその後ふんばり味方もコツコツ追いついたところで古屋の決勝ソロ
あ 親切なひと 調べないでいいですからね タカさん、一度打たれ出すとキレて投球が単調になりつるべ打ちにあう事がしばしばあったけど、
暗黒期の貴重なエース、キリッとした投球の時は頼りになる投手でしたね 全く474さんの仰るとおり
キリッ!としたピッチングと打たれ出したら止まらないマウンドがハッキリしてました
で、またもや憎き岡持の初回満塁走者一掃2ベースの試合、調べましたw
おぉ!ドラフト2位の高卒ルーキーが2番打っとる! せやから調べるなっちゅうねんw
その日はたしかヤンキースデーで在日軍人と家族を招待し
KKドラフトで一気に世間に知れ渡る直前のパンチョが
「バリングセカン!ユガミダーニ!」と英語場内アナウンスやってましたわ 球威はあまりなかったから丁寧に投げるかどうかで
結果が変わる投手だったと思う その試合でパンチョ伊東さん、若きせんたーふぃーるだー57はどうアナウンスなさったんでしょうか? 「バリングナインス!ササーキ!ナンバーフィフティセブン!センターフィールダー!」
「9番 センター 佐々木 背番号57 」をこんな感じでやっておられました
英語の語順はうろ覚えで多少ヅラてるかもしれないが >>479
なるほど、ありがとうございます
在日米軍人・軍属招待試合、知りませんでした
敬老の日のようですが、37歳門田は5打数ノーヒット4三振
佐々木は7番センターだったみたいです >>481
いつもどうもw
なるほど 佐々木はバリングセブンス!でしたか
まだ出始めの頃でトップは河埜に決まってるし9番あたりだったかなと適当に >>480
あっ まちがえたw 「ズラてる」です ん? >>439
当時巨人ファンだったから、巨人時代に敗戦処理役だった中条はともかく
谷間の先発で好投していた橋本はそこそこやるだろうと思ったけど
南海で戦力になったのは中条の方だったのが意外 >>484
好投… してたのか?
巨人戦など見なかったからとにかくマンガでノーコン揶揄されてた覚えしかない
第一人者のはた山ハッチ先生wのネタだと
杉浦さんが大阪球場のバックネット補強を指示するとか とにかく四球の多いピッチャーというイメージしかありません
岡本との交換でしたね 中条が甲子園で浜松商に負けた試合が俺が初めて野球の試合を1回から9回まで見た試合だった。
プロ野球では同年(1980)の夏?にNHKでやってた「ロッテ VS 西武(川崎)」の試合が初めて。たしか水谷(ロッテ)が
勝利投手で準レギュラー格の落合が打ち始めた試合だったように記憶している。 南海時代からの実働選手で99年の日本シリーズに出場した人は居ないのか…。
と思ったら翌2000年に湯上谷が出ていたw 湯上谷って胸のあたりにデッドボール受けて、その後吐血したことあったな
心臓打撲ってやつだったのだろうか。
最近そういう痛ましい事故があったから湯上谷よく無事だったなと思う >>489
湯上谷、吉永、若井?
ダイエー優勝日本一味わえたんとちゃう?
ダイエークビで他球団で
優勝日本一味わえた南海組多い。
根本就任してから同好会レベル言うて
南海組嫌ってたやろ。
今思えば根本に先見の目あったが・・・・。
福岡ホークスは福岡ライオンズのような
球団目指してしたから南海色消したんや。
後に秋山工藤石毛の西鉄の末裔が来た。
藤本ニャンコ→西武優勝 岸川→巨人日本一
村田→西武? 佐々木→西武優勝
藤本博→オリなし
カズ山本→近鉄なし 馴染みの選手たちがいなくなり
かわりによりにもよって、西武の人間があんだけ入ってきたら自然に気持ちが離れるわな >>490
それな
阪急山田の投球が心臓直撃したんだよな
で、一時的に心臓が停止してしまい病院搬送、ぶつけた山田もすぐに病院に行ったらしい
結果的に大事に至らなくて良かったけど
南海は数年前の久保寺の件もあって、その後釜が湯上谷だったからなぁ、何と言うか・・
引退間際だった山田はストレートが130キロも出ていなかったけど
それですら心臓を直撃すると危険なんだよなぁ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています