>>537
>教養と言ってしまったな

ふっふ、ほっほ
江戸幕府末期から明治維新にかけて
日本人は、かなり西洋数学の受容に成功した

なぜか?
「和算」の蓄積だ
江戸末期の日本の数学レベルが非常に高かった
さらには、ソロバンという計算機があるから、計算力でも西洋人を凌駕していた

一言でいえば、
『江戸時代の人の数学教養は高かった!』
ということですよ

(参考)
https://president.jp/articles/-/16450?page=1
実は世界最高水準だった! 江戸時代の「和算」とは
PRESIDENT 2015年8月3日号
桜井 進
サイエンスナビゲーター

「和算」をご存じだろうか。聞いたことはあっても、よく知らないという人が大半ではないかと思う。それもそのはず。学校の教科書でもほとんど触れられず、高校の日本史で和算家の代表格、関孝和の名前が出てくる程度だからだ。

和算とは、江戸時代から明治にかけて日本人が独自に研究、発展させた数学だ。そのレベルは極めて高度で当時、世界最高水準にあった。たとえば、関孝和の弟子である建部賢弘は、「円周率π」の計算で41桁まで弾き出すことに成功。これは天才レオンハルト・オイラーが微積分学を用いて同じ公式を発見する15年も前のことだ。

数学というと、我々は西洋から学んだものと思いがちだ。確かに明治維新で「西洋数学」を取り入れたが、それ以前に日本には和算という独自の数学があった。だからこそドイツの数学を輸入する際、いとも簡単に日本語に翻訳できたのだ。また、和算の発展があったから、数学のノーベル賞ともいわれるフィールズ賞を日本人は3人も受賞しているのだ。国別の受賞者数では、米仏ロ英に次ぐ5位で、日本はまさに世界に冠たる数学大国であり、その原点が和算なのだ。

和算は江戸を中心に全国の各藩で盛んに研究された。私の出身地の山形は、江戸に次いで和算が盛んな藩の1つだった。紅花などで大儲けした富裕層がいて文化的なものを尊ぶ風土があり、また冬は雪に閉ざされるため家で数学の問題に打ち込むのによい環境だった。