同じものを違うものと見做すって、IUT特異なものでなく、
IUT以前のタイヒミューラー理論でも似たような事やってるって思ってんだけど、違うのかな?
p進タイヒミュラー理論に対する異論は聞いた事ないので、
つまるところ、IUTでは対象とするオブジェクトの定義が、
複雑過ぎて認知できない状態なんじゃないかと思う。

一般に単純化された理論の方が美しいと考えるから、
ショルツの様に考えたくなるんだけど、
学問の歴史を見るに、複雑性と単純化ってお互い2重螺旋のように絡みあって昇華してきたもので、
複雑から単純への過程はある種ブレイクスルーであって
認知されるには時間がかかるのだろう。

っで、結局何が言いたいかというと、
ショルツはIUTを曲解して単純化して不十分。
一方望月は第三者への認知可能な説明が不十分。

これは、両者に加藤さんが言う認知のギャップがある状態である。

ギャップを埋めるには望月側が皆が認知できる(腑に落ちる)形の説明をする必要がある。

その説明は、単純化かもしれないし、形式的表現かもしれないし、もっとメタ的な何かかもしれない。

私は、IUTに否定的ではない。
望月はIUT研究の中で審美性を見出していることから、
IUTに何かしらの真理があると思っている。

ただその真理への到達には今しばらく時間が必要かもしれない。

以上、素人の戯言でした。