街灯の下で鍵を探す
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%97%E7%81%AF%E3%81%AE%E4%B8%8B%E3%81%A7%E9%8D%B5%E3%82%92%E6%8E%A2%E3%81%99
抜粋
街灯の下で鍵を探す(がいとうのしたでかぎをさがす)は、古くはアラブに起源があるというたとえ話。多くの変種がある。

概要
ある公園の街灯の下で、何かを探している男がいた。そこに通りかかった人が、その男に「何を探しているのか」と尋ねた。
すると、その男は、「家の鍵を失くしたので探している」と言った。
通りかかりの人は、それを気の毒に思って、しばらく一緒に探したが、鍵は見つからなかった。
そこで、通りかかりの人は、男に「本当にここで鍵を失くしたのか」と訊いた。すると、男は、平然としてこう応えた。
「いや、鍵を失くしたのは、あっちの暗いほうなんですが、あそこは暗くて何も見えないから、光の当たっているこっちを探しているんです」

教訓
この譬え話は、さまざまな教訓として解釈されており、特に学問研究に関するものが多い。その場合、次の状態を揶揄するものと理解されている。

本当に重要なところはどこか分かっているが、そこは分析する方法がない。そこで、光が当っているところばかりが研究されている。

異なった解釈
野口悠紀雄は、「街灯の下で鍵を探す」という喩えを「分析できるところから研究すべきである」という意味で捉えている。野口によれば、物理学が進歩したのは、「街灯の下原則」に狙っていたからだという[4][5]。

こうなると、「街灯の下で鍵を探す」という喩えの原意が、まったく反対になっている。