>>529-530

>そうそう。勉強したければ『先ず最初にソレを読む』ってのが基本ですわ。
>スルメと同じで、最初は固くても、でも何回も何回も読めば、ちゃんと味
>がして来ますわ。ソレも『猛烈にドギツイ天才の味』がしますわ。

なるほどね

>追加:その記事を見ると、同時期にトムがメダルを貰うてますわナ

そうでしたね。トム先生は、後のカタストロフィー理論で有名ですが

>一流の数学者の奥さんはブスでないとアカンとかも言うてたし。

佐藤先生は、若い時は数学と結婚されていたらしい

>いや、彼の場合は「寄り道じゃない」でしょ。だって彼は『自分が興味な
>い事は絶対にしない人』だから。なので本気だった筈。

ああ、本気でね

>イジング模型で修士論文を

後、イジング模型の理論解を若い人と求めたんでしたね

http://mathsoc.jp/publication/tushin/index-1.html
「数学通信」創刊号 第1巻(1996年度)
http://mathsoc.jp/publication/tushin/0101/miwa1-1.pdf
物理と数学の出会い−数理解析研究所における可解格子模型の研究 三輪 哲二 数学通信 1996
(抜粋)
1975 年頃、佐藤幹夫(数理研教授、当時)は、物理学におけるグリーン関数の重要性に着目し、自由場でない例を求めて、学生時代に興味を持ったイジング模型を再検討していた。
いくつかの幸運と天才の直観に導かれて、彼はWu たちの論文と出会う。
そして、1977 年の春、数理研での若い協力者(神保道夫、三輪哲二)との毎日朝10 時から晩10 時までの研究の日々の末に、イジング模型とモノドロミー保存変形理論のつながりを確立する。
無限自由度の物理から古典的な解析学へ一本の橋が掛けられた。

1985 年、火うち石が撃ち合わされた。モスクワではDrinfeld が、京都では神保が、Faddeev の仕掛けに火をつけた。量子群の発見である。
(引用おわり)