0001Christian.dinner2016/08/22(月) 10:55:34.25ID:UkGwC2QW
「兄弟たちよ。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受け入れ、それによって立ってきたあの福音を、
思い出していただきたい。
あなたがたが、いい加減な気持ちで信じたりせず、わたしの宣べ伝えたとおりの御言葉を堅く信じていれば、
この福音によって救われます。
わたしが最も重要なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことでした。
すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死なれたこと、 そして葬られたこと、
聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえられたこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れてくださったことです。
そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れてくださいました。その中にはすでに眠った者たちもいますが、
大多数はいまなお生存しています。
そののち、ヤコブに現れてくださり、次に、すべての使徒たちに現れ、 そして最後に、いわば、未熟児のような
私の前にも現われてくださったのです。
実際わたしは、神様の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、
使徒と呼ばれる値うちのない者です。
しかし、神様の恵みによって、わたしは今日あるを得ています。そして、わたしに賜わった神様の恵みはむだにならず、
むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきました。
しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神様からの恵みです。
とにかく、わたしにせよ彼らにせよ、そのように、わたしたちは宣べ伝えており、そのように、 あなたがたは信じたのです」
イエス・キリストの啓示、パウロがコリントの聖徒に宛てた手紙より
0552神も仏も名無しさん2016/09/09(金) 02:15:59.37ID:AuZewKvy
>>548
このイエズス会の第二次破門令議決書には、しかしながらイエズス会がかつて奴隷貿易に関与していたことを示す箇所もある。
そこには、初期には購入した日本人の少年少女を輸出するにあたって、イエズス会がポルトガル商人に代わって契約に署名し、許可を与えていたと書かれている。
さらに、イエズス会の会計帳簿には奴隷売買の記録が記載されている。
http://i.imgur.com/Ruk7wqR.jpg
奴隷貿易が与えた極東への衝撃 藤田みどり
東西の思想闘争 P.178
一方でまた、日本でもそうであったように、イエズス会士自らが奴隷取引に手を染めていた。
宣教師として朝鮮に渡った最初のヨーロッパ人であり、布教だけではなく、日本人や朝鮮人の戦傷病兵の看護や死体の埋葬にもあたった人物として知られるグレゴリオ・デ・セスペデス(Gregorio de Céspedes)は、日本人女性奴隷の売買に関わっていたと言われている。
http://i.imgur.com/UUoBafJ.jpg
奴隷貿易が与えた極東への衝撃 藤田みどり
東西の思想闘争 P.179 ヤハウェなる父である神とイエス・キリストの御名を賛美しよう。
愛する兄弟姉妹たちよ、おはよう。ハレルヤ
わたしの言う意味は、こうです。相続人が子供である間は、全財産の持ち主でありながら、
僕となんの差別もなく、 父親の定めた時期までは、管理人や後見人の監督の下に置かれていました。
それと同じく、わたしたちも子供であった時には、いわゆるこの世のもろもろの霊力の下に、縛られていた者でした。
しかし、時の満ちるに及んで、神は御子を女から生れさせ、律法の下に生れさせて、おつかわしになったのです。
それは、律法の下にある者をあがない出すため、わたしたちに子たる身分を授けるためでした。
このように、あなたがたは子であるのですから、神はわたしたちの心の中に、「アバ、父よ」
と呼ぶ御子の霊を送って下さったのです。 したがって、あなたがたはもはや僕ではなく、子です。
子である以上、また神による相続人なのです。
神を知らなかった当時、あなたがたは、本来神ならぬ神々の奴隷になっていました。
しかし、今では神を知っているのに、否、むしろ神に知られているのに、どうして、あの無力で貧弱な、
もろもろの霊力に逆もどりして、またもや、新たにその奴隷になろうとするのですか。
あなたがたは、日や月や季節や年などを守っています。 わたしは、あなたがたのために努力してきたことが、
あるいは、むだになったのではないかと、あなたがたのことが心配でならないのです。
兄弟たちよ。お願いします。どうか、わたしのようになってほしい。わたしも、あなたがたのようになったのですから。
あなたがたは、一度もわたしに対して不都合なことをしたことはありません。 あなたがたも知っているとおり、
最初わたしがあなたがたに福音を伝えたのは、わたしの肉体が弱っていたためでした。 そして、わたしの肉体には
あなたがたにとって試錬となるものがあったのに、それを卑しめもせず、またきらいもせず、かえってわたしを、
神の使かキリスト・イエスかでもあるように、迎えてくれました。 その時のあなたがたの感激は、今どこにあるのですか。
はっきり言いますが、あなたがたは、できることなら、自分の目をえぐり出してでも、わたしにくれたかったです。
それなのに、真理を語ったために、わたしはあなたがたの敵になったのですか。 彼らがあなたがたに対して熱心なのは、
善意からではありません。むしろ、自分らに熱心にならせるために、あなたがたをわたしから
引き離そうとしているのです。 わたしがあなたがたの所にいる時だけでなく、いつも、良いことについて
熱心に慕われるのは、良いことです。 ああ、わたしの幼な子たちよ。あなたがたの内にキリストの形ができるまでは、
わたしは、またもや、あなたがたのために産みの苦しみをします。 できることなら、わたしは今あなたがたの所にいて、
語調を変えて話してみたい。わたしは、あなたがたのことで、途方にくれています。
律法の下にとどまっていたいと思う人たちよ。わたしに答えなさい。あなたがたは律法の言うところを
聞かないのですか。そのしるすところによると、アブラハムにふたりの子があったが、ひとりは女奴隷から、
ひとりは自由の女から生れました。 女奴隷の子は肉によって生れたのであり、自由の女の子は約束によって
生れたのでした。 さて、この物語は比喩としてみられます。すなわち、この女たちは二つの契約をさします。
そのひとりはシナイ山から出て、奴隷となる者を産みます。ハガルがそれです。 ハガルといえば、
アラビヤではシナイ山のことで、今のエルサレムに当ります。なぜなら、それは子たちと共に、
奴隷となっているからです。 しかし、天のエルサレムは、自由の女であって、わたしたちの母をさします。
すなわち、こう書いてあります、「喜べ、不妊の女よ。声をあげて喜べ、産みの苦しみを知らない女よ。
ひとり者となっている女は多くの子を産み、その数は、夫ある女の子らよりも多い」。
兄弟たちよ。あなたがたは、イサクのように、約束の子です。 しかし、その当時、肉によって生れた者が、
霊によって生れた者を迫害したように、今でも同様です。 しかし、聖書はなんと言っていますか。
「女奴隷とその子とを追い出せ。女奴隷の子は、自由の女の子と共に相続をしてはならない」とあります。
だから、兄弟たちよ。わたしたちは女奴隷の子ではなく、自由の女の子供なのです。
自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さったのです。だから、堅く立って、
二度と奴隷のくびきにつながれてはいけません。見よ、このパウロがあなたがたに言います。
もし割礼を受けるなら、キリストはあなたがたに用のないものになるでしょう。
割礼を受けようとするすべての人たちに、もう一度言っておきます。そういう人たちは、
律法の全部を行う義務があります。 律法によって義とされようとするあなたがたは、
キリストから離れてしまっています。恵みから落ちているのです。わたしたちは聖霊の助けにより、
信仰によって義とされる望みを強くいだいています。 キリスト・イエスにあっては、割礼があってもなくても、
問題ではありません。尊いのは、愛によって働く信仰だけです。
あなたがたはよく走り続けてきたのに、だれが邪魔をして、真理にそむかせたのですか。
そのような勧誘は、あなたがたを召されたかたから出たものではありません。 少しのパン種でも、
粉のかたまり全体をふくらませるのです。 あなたがたはいささかもわたしと違った思いをいだくことはないと、
ヤハウェにあって信頼しています。しかし、あなたがたを動揺させている者は、それがだれであろうと、
さばきを受けるでしょう。 兄弟たちよ。わたしがもし今でも割礼を宣べ伝えていたら、どうして、
いまなお迫害されるはずがありましょうか。そうしていたら、十字架のつまずきは、なくなっているでしょう。
あなたがたの煽動者どもは、自ら不具になるがいい。
兄弟たちよ。あなたがたが召されたのは、実に、自由を得るためです。ただ、その自由を、肉の働く機会としないで、
愛をもって互に仕えなさい。 律法の全体は、「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」
というこの一句に尽きるからです。
気をつけなさい。もし互いにかみ合い、食い合っているなら、あなたがたは互いに滅ぼされてしまうでしょう。
わたしは命じます、聖霊によって歩きなさい。そうすれば、決して肉の欲を満たすことはありません。
なぜなら、肉の欲するところは聖霊に反し、また聖霊の欲するところは肉に反するからです。
こうして、二つのものは互いに相さからい、その結果、あなたがたは自分でしようと思うことを、
することができないようになります。 もしあなたがたが聖霊に導かれるなら、律法の下にはいないのです。
肉の働きは明白です。すなわち、不品行、汚れ、好色、 偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、
党派心、分裂、分派、 ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいです。わたしは以前も言ったように、
今も前もって言っておきます。このようなことを行う者は、神の国をつぐことがありません。
しかし、聖霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、 柔和、自制であって、
これらを否定する律法はありません。 キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に
十字架につけてしまったのです。もしわたしたちが聖霊によって生きるのなら、また聖霊によって進もうではありませんか。
互いにいどみ合い、互いにねたみ合って、虚栄に生きてはいけません。
兄弟たちよ。もしもある人が罪過に陥っていることがわかったなら、霊の人であるあなたがたは、
柔和な心をもって、その人を正しなさい。それと同時に、もしか自分自身も誘惑に
陥ることがありはしないかと、反省しなさい。 互いに重荷を負い合いなさい。そうすれば、あなたがたは
キリストの律法を全うするでしょう。もしある人が、事実そうでないのに、自分が何か偉い者であるように
思っているとすれば、その人は自分を欺いているのです。 ひとりびとり、自分の行いを検討してみなさい。
そうすれば、自分だけには誇ることができても、ほかの人には誇れなくなるでしょう。
人はそれぞれ、自分自身の重荷を負うべきです。
御言葉を教えてもらう人は、教える人と、すべて良いものを分け合いなさい。まちがってはいけない、
神は侮られるようなかたではありません。人は自分のまいたものを、刈り取ることになります。
すなわち、自分の肉にまく者は、肉から滅びを刈り取り、霊にまく者は、霊から永遠のいのちを刈り取るでしょう。
わたしたちは、善を行うことに、うみ疲れてはならないのです。たゆまないでいると、時が来れば刈り取るようになります。
だから、機会のあるごとに、だれに対しても、とくに信仰の仲間に対して、善を行おうではありませんか。
ヤハウェなる父である神とイエス・キリストの御名を賛美します。
Christian.dinnerさん、ピスティスさん、まちまりさん、みなさん、おはようございます。ハレルヤ
Christian.dinnerさん、いつもありがとうございます。
「わたしは誇らざるを得ないので、無益でしょうが、ヤハウェのまぼろしと啓示とについて語りましょう。
わたしはキリストにあるひとりの人を知っています。この人は十四年前に第三の天にまで引き上げられた――それが、
からだのままであったか、わたしは知りません。からだを離れてであったか、それも知りません。神がご存じです。
この人が――それが、からだのままであったか、からだを離れてであったか、わたしは知りません。
神がご存じです―― パラダイスに引き上げられ、そして口に言い表わせない、人間が語ってはならない
言葉を聞いたのを、わたしは知っています。 わたしはこういう人について誇りましょう。 」
>>529-530
まちまりさん、御言葉ありがとうございます。
「『 神の信仰を持ちなさい。』
感謝します!
主に栄光あれ!
イエスは主です。 」
「父がどれ程私たちを愛しておられるか、考えてごらんなさい。
それは、私たちが神の子と呼ばれる程で、
事実また、その通りです。第一ヨハネ3:1 」 ごらんなさい。わたし自身いま筆をとって、こんなに大きい字で、あなたがたに書いていることを。
いったい、肉において見えを飾ろうとする者たちは、キリスト・イエスの十字架のゆえに、
迫害を受けたくないばかりに、あなたがたにしいて割礼を受けさせようとするのです。
事実、割礼のあるもの自身が律法を守らず、ただ、あなたがたの肉について誇りたいために、
割礼を受けさせようとしています。 しかし、わたし自身には、わたしたちのアドニーである
イエス・キリストの十字架以外に、誇りとするものは、断じてあってはなりません。この十字架につけられて、
この世はわたしに対して死に、わたしもこの世に対して死んでしまったのです。 割礼のあるなしは問題ではなく、
ただ、新しく造られることこそ、重要なのです。 この法則に従って進む人々の上に、平和とあわれみとがあるように。
また、神のイスラエルの上にあるように。
だれも今後は、わたしに煩いをかけないでほしい。わたしは、イエスの焼き印を身に帯びているのだから。
兄弟たちよ。わたしたちのアドニーであるイエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にあるように、アーメン。
「わたしは、使徒たるの実を、しるしと奇跡と
力あるわざとにより、忍耐をつくして、あなたがたの間であらわしてきました。」
「もしかしたら、争い、ねたみ、怒り、党派心、
そしり、ざんげん、高慢、騒乱などがありはしないでしょうか。 わたしが再びそちらに行った場合、
わたしの神が、あなたがたの前でわたしに恥をかかせ、その上、多くの人が前に罪を犯していながら、
その汚れと不品行と好色とを悔い改めていないので、わたしを悲しませることになりはしないでしょうか。」
「すなわち、キリストは弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力によって生きておられます。このように、
わたしたちもキリストにあって弱い者ですが、あなたがたに対しては、神の力によって、
キリストと共に生きるのです。あなたがたは、はたして信仰があるかどうか、自分を反省し、
自分を吟味しなさい。」
「それは、自分たちがほんとうの者であることを見せるためではなく、たといわたしたちが
見捨てられた者のようになっても、あなたがたに良い行いをしてもらいたいためです。
わたしたちは、真理に逆らっては何をする力もなく、真理にしたがえば力があります。 わたしたちは、
自分は弱くても、あなたがたが強ければ、それを喜びます。わたしたちが特に祈るのは、あなたがたが
完全に良くなってくれることです。」
「最後に、兄弟たちよ。いつも喜びなさい。完全な者となりなさい。互いに励まし合いなさい。
思いを一つにしなさい。平和に過ごしなさい。そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいて下さるでしょう。」
素晴らしい御言葉です。
0564神も仏も名無しさん2016/09/09(金) 08:48:08.63ID:sTCaKBtV
宗教は奴隷術だ
神の御旨によるキリスト・イエスの使徒パウロから、エペソにいる、キリスト・イエスにあって忠実な聖徒たちへ。
わたしたちの父なる神とヤハウェ・イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
わたしたちのアドニーであるイエス・キリストの父なる神を賛美しよう。神はキリストにあって、
天上でもろもろの霊の祝福をもって、わたしたちを祝福し、みまえに清く傷のない者となるようにと、
天地の造られる前から、キリストにあってわたしたちを選び、わたしたちに、イエス・キリストによって
神の子たる身分を授けるようにと、御旨のよしとするところに従い、愛のうちにあらかじめ定めて下さったのです。
これは、その愛する御子によって賜わった栄光ある恵みを、わたしたちがほめたたえるためです。
わたしたちは、御子にあって、神の豊かな恵みのゆえに、その血によるあがない、
すなわち、罪過のゆるしを受けました。神はその恵みをさらに増し加えて、あらゆる知恵と悟りとを
わたしたちに賜わり、御旨の奥義を、自らあらかじめ定められた計画に従って、わたしたちに
示して下さったのです。 それは、時の満ちるに及んで実現されるご計画にほかなりません。それによって、
神は天にあるもの地にあるものを、ことごとく、キリストにあって一つに帰せしめようとされたのです。
わたしたちは、御旨の欲するままにすべての事をなさるかたの目的の下に、キリストにあって
あらかじめ定められ、神の民として選ばれました。 それは、早くからキリストに望みをおいている
わたしたちが、神の栄光をほめたたえる者となるためです。 あなたがたもまた、キリストにあって、
真理の言葉、すなわち、あなたがたの救いの福音を聞き、また、彼を信じた結果、
約束された聖霊の証印をおされたのです。
この聖霊は、わたしたちが神の国をつぐことの保証であって、やがて神につける者が全くあがなわれ、
神の栄光をほめたたえるに至るためです。
こういうわけで、わたしも、ヤハウェ・イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対する愛とを耳にし、
わたしの祈りのたびごとにあなたがたを覚えて、絶えずあなたがたのために感謝しています。
どうか、わたしたちのアドニーであるイエス・キリストの神、栄光の父が、知恵と啓示との霊をあなたがたに
賜わって神を認めさせ、 あなたがたの心の目を明らかにして下さるように、そして、あなたがたが
神に召されていだいている望みがどんなものであるか、聖徒たちがつぐべき神の国がいかに栄光に富んだものであるか、
また、神の力強い活動によって働く力が、わたしたち信じる者にとっていかに絶大なものであるかを、
あなたがたが知るに至るように、と祈っています。 神はその力をキリストのうちに働かせて、
彼を死人の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右に座せしめ、 彼を、すべての支配、権威、権力、
権勢の上におき、また、この世ばかりでなくきたるべき世においても唱えられる、あらゆる名の上におかれたのです。
そして、万物をキリストの足の下に従わせ、彼を万物の上にかしらとして教会に与えられました。
この教会はキリストのからだであって、すべてのものを、すべてのもののうちに満たしているかたが、
満ちみちているものに、ほかならないのです。
さてあなたがたは、先には自分の罪過と罪とによって死んでいた者であって、 かつてはそれらの中で、
この世のならわしに従い、空中の権をもつ君、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って、
歩いていたのです。また、わたしたちもみな、かつては彼らの中にいて、肉の欲に従って日を過ごし、
肉とその思いとの欲するままを行い、ほかの人々と同じく、生れながらの怒りの子でした。
しかるに、あわれみに富む神は、わたしたちを愛して下さったその大きな愛をもって、罪過によって
死んでいたわたしたちを、キリストと共に生かし――あなたがたの救われたのは、恵みによるのです――
キリスト・イエスにあって、共によみがえらせ、共に天上で座につかせて下さったのです。
それは、キリスト・イエスにあってわたしたちに賜わった慈愛による神の恵みの絶大な富を、
きたるべき世々に示すためでした。あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのです。
それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物です。 決して行いによるのではありません。
それは、だれも誇ることがないためなのです。 わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、
キリスト・イエスにあって造られたのです。
神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて下さいました。
だから、記憶しておきなさい。あなたがたは以前には、肉によれば異邦人であって、手で行った
肉の割礼ある者と称せられる人々からは、無割礼の者と呼ばれており、 またその当時は、キリストを知らず、
イスラエルの国籍がなく、約束されたいろいろの契約に縁がなく、この世の中で希望もなく神もない者でした。
ところが、あなたがたは、このように以前は遠く離れていたが、今ではキリスト・イエスにあって、
キリストの血によって近いものとなったのです。 キリストはわたしたちの平和であって、二つのものを一つにし、
敵意という隔ての中垣を取り除き、ご自分の肉によって、 数々の規定から成っている戒めの律法を廃棄したのです。
それは、彼にあって、二つのものをひとりの新しい人に造りかえて平和をきたらせ、 十字架によって、
二つのものを一つのからだとして神と和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのです。
それから彼は、こられた上で、遠く離れているあなたがたに平和を宣べ伝え、また近くにいる者たちにも
平和を宣べ伝えられました。 というのは、彼によって、わたしたち両方の者が一つの聖霊の中にあって、
父のみもとに近づくことができるからです。 そこであなたがたは、もはや異国人でも宿り人でもなく、
聖徒たちと同じ国籍の者であり、神の家族なのです。 またあなたがたは、使徒たちや預言者たちという
土台の上に建てられたものであって、キリスト・イエスご自身が隅のかしら石です。
このキリストにあって、建物全体が組み合わされ、ヤハウェにある聖なる神殿に成長し、 そしてあなたがたも、
ヤハウェにあって共に建てられて、霊なる神のすまいとなるのです。
こういうわけで、あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となっているこのパウロ――
わたしがあなたがたのために神から賜わった恵みの務について、あなたがたはたしかに聞いたでしょう。
すなわち、すでに簡単に書きおくったように、わたしは啓示によって奥義を知らされたのです。
あなたがたはそれを読めば、キリストの奥義をわたしがどう理解しているかがわかります。
この奥義は、いまは、御霊によって彼の聖なる使徒たちと預言者たちとに啓示されていますが、
前の時代には、人の子らに対して、そのように知らされてはいなかったのです。 それは、異邦人が、
福音によりキリスト・イエスにあって、わたしたちと共に神の国をつぐ者となり、共に一つのからだとなり、
共に約束にあずかる者となることです。 わたしは、神の力がわたしに働いて、自分に与えられた
神の恵みの賜物により、福音の僕とされたのです。
すなわち、聖徒たちのうちで最も小さい者であるわたしにこの恵みが与えられたのですが、
それは、キリストの無尽蔵の富を異邦人に宣べ伝え、 更にまた、万物の造り主である神の中に
世々隠されていた奥義にあずかる務がどんなものであるかを、明らかに示すためです。
それは今、天上にあるもろもろの支配や権威が、教会をとおして、神の多種多様な知恵を知るに至るためであって、
わたしたちのアドニーであるキリスト・イエスにあって実現された神の永遠の目的にそうものです。
このヤハウェ・キリストにあって、わたしたちは、彼に対する信仰によって、確信をもって大胆に
神に近づくことができるのです。 だから、あなたがたのためにわたしが受けている患難を見て、
落胆しないでいてもらいたい。わたしの患難は、あなたがたの光栄なのです。
こういうわけで、わたしはひざをかがめて、 天上にあり地上にあって「父」と呼ばれている
あらゆるものの源なる父に祈ります。 どうか父が、その栄光の富にしたがい、御霊により、力をもって
あなたがたの内なる人を強くして下さるように、 また、信仰によって、キリストがあなたがたの心のうちに住み、
あなたがたが愛に根ざし愛を基として生活することにより、 すべての聖徒と共に、その広さ、長さ、高さ、
深さを理解することができ、 また人知をはるかに越えたキリストの愛を知って、
神に満ちているもののすべてをもって、あなたがたが満たされるように、と祈ります。
どうか、わたしたちのうちに働く力によって、わたしたちが求めまた思うところのいっさいを、
はるかに越えてかなえて下さることができるかたに、 教会により、また、キリスト・イエスによって、
栄光が世々限りなくあるように、アーメン。
さて、ヤハウェにある囚人であるわたしは、あなたがたに勧めます。あなたがたが召されたその召しにふさわしく歩き、
できる限り謙虚で、かつ柔和であり、寛容を示し、愛をもって互に忍びあい、 平和のきずなで結ばれて、
聖霊による一致を守り続けるように努めなさい。 からだは一つ、聖霊も一つです。あなたがたが召されたのは、
一つの望みを目ざして召されたのと同様です。 ヤハウェは一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つ。
すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのものの内にいます、すべてのものの父なる神は一つです。
しかし、キリストから賜わる賜物のはかりに従って、わたしたちひとりびとりに、恵みが与えられています。
そこで、こう言われています、「彼は高いところに上った時、とりこを捕えて引き行き、人々に賜物を分け与えた」。
さて「上った」と言う以上、また地下の低い底にも降りてこられたわけではありませんか。 降りてこられた者自身は、
同時に、あらゆるものに満ちるために、もろもろの天の上にまで上られたかたなのです。
そして彼は、ある人を使徒とし、ある人を預言者とし、ある人を伝道者とし、ある人を牧師、教師として、
お立てになったのです。 それは、聖徒たちをととのえて奉仕のわざをさせ、キリストのからだを建てさせ、
わたしたちすべての者が、神の子を信じる信仰の一致と彼を知る知識の一致とに到達し、全き人となり、
ついに、キリストの満ちみちた徳の高さにまで至るためです。 こうして、わたしたちはもはや子供ではないので、
だまし惑わす策略により、人々の悪巧みによって起る様々な教えの風に吹きまわされたり、
もてあそばれたりすることがなく、 愛にあって真理を語り、あらゆる点において成長し、
かしらなるキリストに達するのです。 また、キリストを基として、全身はすべての節々の助けにより、
しっかりと組み合わされ結び合わされ、それぞれの部分は分に応じて働き、からだを成長させ、
愛のうちに育てられていくのです。
そこで、わたしはヤハウェにあっておごそかに勧めます。あなたがたは今後、異邦人がむなしい心で
歩いているように歩いてはいけない。 彼らの知力は暗くなり、その内なる無知と心の硬化とにより、
神のいのちから遠く離れ、 自ら無感覚になって、ほしいままにあらゆる不潔な行いをして、放縦に身をゆだねています。
しかしあなたがたは、そのようにキリストに学んだのではなかったのです。
あなたがたはたしかに彼に聞き、彼にあって教えられて、イエスにある真理をそのまま学んだはずです。
すなわち、あなたがたは、以前の生活に属する、情欲に迷って滅び行く古き人を脱ぎ捨て、
心の深みまで新たにされて、 真の義と聖とをそなえた神にかたどって造られた新しき人を着るべきです。
こういうわけだから、あなたがたは偽りを捨てて、おのおの隣り人に対して、真実を語りなさい。わたしたちは
お互いに肢体なのですから。 怒ることがあっても、罪を犯してはいけません。憤ったままで
日が暮れるようであってはならないのです。 また、悪魔に機会を与えてはいけません。
盗んだ者は、今後、盗んではいけない。むしろ、貧しい人々に分け与えるようになるために、自分の手で
正当な働きをしなさい。 悪い言葉をいっさい、あなたがたの口から出してはいけません。必要があれば、
人の徳を高めるのに役立つような言葉を語って、聞いている者の益になるようにしなさい。
神の聖霊を悲しませてはいけない。あなたがたは、あがないの日のために、聖霊の証印を受けたのです。
すべての無慈悲、憤り、怒り、騒ぎ、そしり、また、いっさいの悪意を捨て去りなさい。 互いに情深く、
あわれみ深い者となり、神がキリストにあってあなたがたをゆるして下さったように、
あなたがたも互いにゆるし合いなさい。
こうして、あなたがたは、神に愛されている子供として、神にならう者になりなさい。
また愛のうちを歩きなさい。キリストもあなたがたを愛して下さって、わたしたちのために、ご自身を、
神へのかんばしいかおりのささげ物、また、いけにえとしてささげられたのです。
また、不品行といろいろな汚れや貪欲などを、聖徒にふさわしく、あなたがたの間では、
口にすることさえしてはいけません。また、卑しい言葉と愚かな話やみだらな冗談を避けなさい。
これらは、よろしくない事です。それよりは、むしろ感謝をささげなさい。 あなたがたは、
よく知っておかねばならない。すべて不品行な者、汚れたことをする者、貪欲な者、すなわち、
偶像を礼拝する者は、キリストと神との国をつぐことができないのです。
あなたがたは、だれにも不誠実な言葉でだまされてはいけない。
これらのことから、神の怒りは不従順の子らに下ります。 だから、彼らの仲間になってはいけない。
あなたがたは、以前は闇でしたが、今はヤハウェにあって光となっています。光の子らしく歩きなさい――
光はあらゆる善意と正義と真実との実を結ばせるものです―― ヤハウェに喜ばれるものがなんであるかを、
わきまえ知りなさい。 実を結ばない闇のわざに加わらないで、むしろ、それを指摘してやりなさい。
彼らが隠れて行っていることは、口にするだけでも恥ずかしい事です。しかし、光にさらされる時、
すべてのものは、明らかになります。 明らかにされたものは皆、光となるのです。だから、こう書いてあります、
「眠っている者よ、起きなさい。死人のなかから、立ち上がりなさい。
そうすれば、キリストがあなたを照らされるでしょう」。
そこで、あなたがたの歩きかたによく注意して、賢くない者のようにではなく、賢い者のように歩き、
今の時を生かして用いなさい。今は悪い時代なのです。 だから、愚かな者にならないで、
ヤハウェの御旨がなんであるかを悟りなさい。 酒に酔ってはいけない。それは乱行のもとです。
むしろ聖霊に満たされて、 詩と賛美と霊の歌とをもって語り合い、ヤハウェにむかって心から
賛美の歌をうたいなさい。 そしてすべてのことにつき、いつも、わたしたちのアドニーである
イエス・キリストの御名によって、父なる神に感謝し、 キリストに対する恐れの心をもって、
互いに仕え合うべきです。
ヤハウェなる父である神とイエス・キリストの御名を賛美します。
Christian.dinnerさん、ピスティスさん、まちまりさん、みなさん、こんばんは。ハレルヤ
Christian.dinnerさん、いつもありがとうございます。
「キリストは、わたしたちの父なる神の御旨に従い、わたしたちを今の悪の世から救い出そうとして、
ご自身をわたしたちの罪のためにささげられたのです。栄光が世々限りなく神にあるように、アーメン。」
「わたしが宣べ伝えた福音は人間によるものではありません。
わたしは、それを人間から受けたのでも教えられたのでもなく、ただイエス・キリストの啓示によったのです。」
「ところが、母の胎内にある時からわたしを聖別し、み恵みをもってわたしをお召しになったかたが、
異邦人の間に宣べ伝えさせるために、御子をわたしの内に啓示して下さった時、わたしは直ちに、
血肉に相談もせず、 また先輩の使徒たちに会うためにエルサレムにも上らず、アラビヤに出て行きました。」
「わたしたちは、福音の真理があなたがたのもとに常にとどまっているように、瞬時も彼らの強要に屈服しなかったのです。」
「それどころか、彼らは、ペテロが割礼の者への福音を
ゆだねられているように、わたしには無割礼の者への福音がゆだねられていることを認め、
(というのは、ペテロに働きかけて割礼の者への使徒の務につかせたかたは、わたしにも働きかけて、
異邦人につかわして下さったからです)、 かつ、わたしに賜わった恵みを知って、柱として重んじられている
ヤコブとケパとヨハネとは、わたしとバルナバとに、交わりの手を差し伸べました。」
「それは、律法の行いによるのではなく、
キリストを信じる信仰によって義とされるためです。
なぜなら、律法の行いによっては、だれひとり義とされることがないからです。 」
「わたしは、神に生きるために、律法によって律法に死にました。わたしはキリストと共に十字架につけられたのです。
生きているのは、もはや、わたしではありません。キリストが、わたしのうちに生きておられるのです。
しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた
神の御子を信じる信仰によって、生きています。 わたしは、神の恵みを無にはしません。」
「なぜなら、「義人は信仰により生きる」からです。 律法は信仰に基いているものではありません。
かえって、「律法を行う者は律法によって生きる」のです。 キリストは、わたしたちのためにのろいとなって、
わたしたちを律法ののろいからあがない出して下さいました。聖書に、「木にかけられる者は、すべてのろわれる」
と書いてあります。 それは、アブラハムの受けた祝福が、イエス・キリストにあって異邦人に及ぶためであり、
約束された聖霊を、わたしたちが信仰によって受けるためです。 」
「ところが事実、神は約束によって、相続の恵みを
アブラハムに賜わったのです。それでは、律法とはなんでしょうか。それは違反を促すため、
あとから加えられたのであって、約束されていた子孫が来るまで存続するだけのものであり、
かつ、天使たちをとおし、仲介者の手によって制定されたものにすぎないのです。 仲介者なるものは、
一方だけに属する者ではありません。しかし、神はおひとりです。 では、律法は神の約束と相いれないものでしょうか。
断じてそうではありません。もし人を生かす力のある律法が与えられていたとすれば、義はたしかに
律法によって実現されたでしょう。 しかし、約束が、信じる人々にイエス・キリストに対する信仰によって
与えられるために、聖書はすべての人を罪の下に閉じ込めたのです 」
「このようにして律法は、信仰によって義とされるために、わたしたちをキリストに連れて行く養育掛となったのです。
しかし、いったん信仰が現れた以上、わたしたちは、もはや養育掛のもとにはいません。
あなたがたはみな、キリスト・イエスにある信仰によって、神の子なのです。 」
「あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからです。 もしキリストのものであるなら、
あなたがたはアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです。 」
素晴らし御言葉です。
訂正。「素晴らし御言葉です。」は、「素晴らしい御言葉です。」
すみません。
0581神も仏も名無しさん2016/09/10(土) 00:11:51.28ID:kX4QZnzH
「しかし、時の満ちるに及んで、神は御子を女から生れさせ、律法の下に生れさせて、おつかわしになったのです。
それは、律法の下にある者をあがない出すため、わたしたちに子たる身分を授けるためでした。
このように、あなたがたは子であるのですから、神はわたしたちの心の中に、「アバ、父よ」
と呼ぶ御子の霊を送って下さったのです。 したがって、あなたがたはもはや僕ではなく、子です。
子である以上、また神による相続人なのです。 」
「神を知らなかった当時、あなたがたは、本来神ならぬ神々の奴隷になっていました。
しかし、今では神を知っているのに、否、むしろ神に知られているのに、どうして、あの無力で貧弱な、
もろもろの霊力に逆もどりして、またもや、新たにその奴隷になろうとするのですか。」
「兄弟たちよ。あなたがたは、イサクのように、約束の子です。 しかし、その当時、肉によって生れた者が、
霊によって生れた者を迫害したように、今でも同様です。 しかし、聖書はなんと言っていますか。
「女奴隷とその子とを追い出せ。女奴隷の子は、自由の女の子と共に相続をしてはならない」とあります。
だから、兄弟たちよ。わたしたちは女奴隷の子ではなく、自由の女の子供なのです。 」
0583神も仏も名無しさん2016/09/10(土) 01:49:16.06ID:Z6MtP85L
ふぉっふぉっふぉっ
0584神も仏も名無しさん2016/09/10(土) 01:49:37.44ID:Z6MtP85L
まこと君
ネット検索で救われたか?
ヤハウェなる父である神とイエス・キリストの御名を賛美しよう。
愛する兄弟姉妹たちよ、よーさん、おはよう。ハレルヤ
妻たる者よ。ヤハウェに仕えるように自分の夫に仕えなさい。 キリストが教会のかしらであって、
自らは、からだなる教会の救い主であられるように、夫は妻のかしらです。
そして教会がキリストに仕えるように、妻もすべてのことにおいて、夫に仕えるべきです。
夫たる者よ。キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように、妻を愛しなさい。
キリストがそうなさったのは、水で洗うことにより、言葉によって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、
また、しみも、しわも、そのたぐいのものがいっさいなく、清くて傷のない栄光の姿の教会を、
ご自分に迎えるためです。 それと同じく、夫も自分の妻を、自分のからだのように愛さねばなりません。
自分の妻を愛する者は、自分自身を愛するのです。 自分自身を憎んだ者は、いまだかつて、ひとりもいません。
かえって、キリストが教会になさったようにして、おのれを育て養うのが常です。
わたしたちは、キリストのからだの肢体なのです。「それゆえに、人は父母を離れてその妻と結ばれ、
ふたりの者は一体となるべきである」。 この奥義は大きい。それは、キリストと教会とをさしています。
いずれにしても、あなたがたは、それぞれ、自分の妻を自分自身のように愛しなさい。妻もまた夫を敬いなさい。
子たる者よ。ヤハウェにあって両親に従いなさい。これは正しいことです。
「あなたの父と母とを敬え」。これが第一の戒めであって、次の約束がそれについています、
「そうすれば、あなたは幸福になり、地上でながく生きながらえるであろう」。
父たる者よ。子供をおこらせないで、ヤハウェの薫陶と訓戒とによって、彼らを育てなさい。
僕たる者よ。キリストに従うように、恐れおののきつつ、真心をこめて、肉による主人に従いなさい。
人にへつらおうとして目先だけの勤めをするのでなく、キリストの僕として心から神の御旨を行い、
人にではなくヤハウェに仕えるように、快く仕えなさい。
あなたがたが知っているとおり、だれでも良いことを行えば、僕であれ、自由人であれ、それに相当する報いを、
それぞれヤハウェから受けるでしょう。 主人たる者よ。僕たちに対して、同様にしなさい。
おどすことを、してはならない。あなたがたが知っているとおり、彼らとあなたがたとのヤハウェは
天にいますのであり、かつ人をかたより見ることをなさらないのです。
最後に言います。ヤハウェにあって、その偉大な力によって、強くなりなさい。
悪魔の策略に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めなさい。 わたしたちの戦いは、
血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、闇の世の主権者、また天上にいる悪霊に対する戦いです。
それだから、悪しき日にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけなさい。
すなわち、立って真理の帯を腰にしめ、正義の胸当を胸につけ、 平和の福音の備えを足にはき、
その上に、信仰のたてを手に取りなさい。それをもって、悪しき者の放つ火の矢を消すことができるでしょう。
また、救いのかぶとをかぶり、聖霊の剣、すなわち、神の言葉を取りなさい。
絶えず祈りと願いをし、どんな時でも聖霊によって祈り、そのために目をさましてうむことがなく、
すべての聖徒のために祈りつづけなさい。 また、わたしが口を開くときに語るべき言葉を賜わり、
大胆に福音の奥義を明らかに示しうるように、わたしのためにも祈ってほしい。
わたしはこの福音のための使節であり、そして鎖につながれているのですが、つながれていても、
語るべき時には大胆に語れるように祈ってほしいのです
0589Christian.dinnerの葡萄デザート2016/09/10(土) 07:40:07.09ID:UNFBQ1jd
わたしがどういう様子か、何をしているかを、あなたがたに知ってもらうために、ヤハウェにあって
忠実に仕えている愛する兄弟テキコが、いっさいの事を報告してくれるでしょう。 彼をあなたがたのもとに送るのは、
あなたがたがわたしたちの様子を知り、また彼によって心に励ましを受けるようになるためなのです。
父なる神とわたしたちのアドニーであるイエス・キリストから平安ならびに信仰に伴う愛が、兄弟たちにあるように。
変らない真実をもって、わたしたちのアドニーであるイエス・キリストを愛するすべての人々に、恵みがあるように。
ヤハウェなる父である神とイエス・キリストの御名を賛美します。
Christian.dinnerさん、ピスティスさん、まちまりさん、みなさん、おはようございます。ハレルヤ
Christian.dinnerさん、いつもありがとうございます。
「わたしたちは聖霊の助けにより、
信仰によって義とされる望みを強くいだいています。 キリスト・イエスにあっては、割礼があってもなくても、
問題ではありません。尊いのは、愛によって働く信仰だけです。 」
「兄弟たちよ。あなたがたが召されたのは、実に、自由を得るためです。ただ、その自由を、肉の働く機会としないで、
愛をもって互に仕えなさい。 律法の全体は、「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」
というこの一句に尽きるからです。 」
素晴らしい御言葉です。
「しかし、聖霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、 柔和、自制であって、
これらを否定する律法はありません。 キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に
十字架につけてしまったのです。」
「すなわち、自分の肉にまく者は、肉から滅びを刈り取り、霊にまく者は、霊から永遠のいのちを刈り取るでしょう。
わたしたちは、善を行うことに、うみ疲れてはならないのです。たゆまないでいると、時が来れば刈り取るようになります。
だから、機会のあるごとに、だれに対しても、とくに信仰の仲間に対して、善を行おうではありませんか。 」
「しかし、わたし自身には、わたしたちのアドニーである
イエス・キリストの十字架以外に、誇りとするものは、断じてあってはなりません。この十字架につけられて、
この世はわたしに対して死に、わたしもこの世に対して死んでしまったのです。 割礼のあるなしは問題ではなく、
ただ、新しく造られることこそ、重要なのです。 この法則に従って進む人々の上に、平和とあわれみとがあるように。
また、神のイスラエルの上にあるように。」
0593神も仏も名無しさん2016/09/10(土) 10:32:09.58ID:eHrLXRXV
ふぉっふぉっふぉっ
0594神も仏も名無しさん2016/09/10(土) 10:32:37.90ID:7p8rjiuQ
本当は、いろんなことを掴んでいる
そのことをまことはご存じかどうか怪しい
当初、このキチガイのハッキング、遠隔操作を、まとめたスレッドを建てるつもりだったが、書いてみて、もしかすると、いろんなことに気付いていないのではないか、と、思い、踏み止まった
また、逆にこんなことも出来るのか、と、ハッキング知識を得ていることも数多いのである
>>590->>592
アーメン!
皆さん、おはようございます。
リンゴさん、いつも御ことばをありがとうございます。
第二コリント13:11
終わりに、兄弟達、喜びなさい。
完全な者になりなさい。
励まし合いなさい。
思いを一つにしなさい。
平和を保ちなさい。
そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいてくださいます。 0596Christian.dinnerランチ2016/09/10(土) 11:02:44.60ID:7P/DCjTH
イエス・キリストを信じる愛する兄弟、姉妹たち、
よーさん、まちまりさん、こんにちわ。ハレルヤ
キリスト・イエスの僕たち、パウロとテモテから、ピリピにいる、キリスト・イエスにあるすべての聖徒たち、
ならびに監督たちと執事たちへ。わたしたちの父なる神とヤハウェ・イエス・キリストから、恵みと平安とが、
あなたがたにあるように。
わたしはあなたがたを思うたびごとに、わたしの神に感謝し、あなたがた一同のために祈るとき、
いつも喜びをもって祈り、 あなたがたが最初の日から今日に至るまで、福音にあずかっていることを感謝しています。
そして、あなたがたのうちに良いわざを始められたかたが、キリスト・イエスの日までに
それを完成して下さるにちがいないと、確信しています。わたしが、あなたがた一同のために、
そう考えるのは当然です。それは、わたしが獄に捕われている時にも、福音を弁明し立証する時にも、
あなたがたをみな、共に恵みにあずかる者として、わたしの心に深く留めているからです。
わたしがキリスト・イエスの熱愛をもって、どんなに深くあなたがた一同を思っていることか、
それを証明して下さるかたは神です。 わたしはこう祈ります。あなたがたの愛が、深い知識において、
するどい感覚において、いよいよ増し加わり、 それによって、あなたがたが、何が重要であるかを
判別することができ、キリストの日に備えて、純真で責められるところのないものとなり、
イエス・キリストによる義の実に満たされて、神の栄光とほまれとをあらわすに至るように。
さて、兄弟たちよ。わたしの身に起った事が、むしろ福音の前進に役立つようになったことを、
あなたがたに知ってもらいたいのです。 すなわち、わたしが獄に捕われているのはキリストのためであることが、
兵営全体にもそのほかのすべての人々にも明らかになり、 そして兄弟たちのうち多くの者は、
わたしの入獄によってヤハウェにある確信を得、恐れることなく、ますます勇敢に、神の言葉を語るようになったのです。
一方では、ねたみや闘争心からキリストを宣べ伝える者がおり、他方では善意からそうする者がいます。
後者は、わたしが福音を弁明するために立てられていることを知り、愛の心でキリストを伝え、
前者は、わたしの入獄の苦しみに更に患難を加えようと思って、純真な心からではなく、党派心からそうしています。
すると、どうなのですか。見えからであるにしても、真実からであるにしても、要するに、伝えられているのは
キリストなのだから、わたしはそれを喜んでいるし、また喜ぶでしょう。 なぜなら、あなたがたの祈りと、
イエス・キリストの霊の助けとによって、この事がついには、わたしの救いとなることを知っているからです。
そこで、わたしが切実な思いで待ち望むことは、わたしが、どんなことがあっても恥じることなく、かえって、
いつものように今も、大胆に語ることによって、生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストが
あがめられることです。
0599Christian.dinnerの賛美デザート2016/09/10(土) 11:49:58.70ID:7P/DCjTH
わたしにとっては、生きることはキリストであり、死ぬことは益です。 しかし、肉体において生きていることが、
わたしにとっては実り多い働きになるのだとすれば、どちらを選んだらよいか、わたしにはわかりません。
わたしは、これら二つのものの間に板ばさみになっています。わたしの願いを言えば、この世を去って
キリストと共にいることであり、実は、その方がはるかに望ましい。 しかし、肉体にとどまっていることは、
あなたがたのためには、さらに必要です。 こう確信しているので、わたしは生きながらえて、
あなたがた一同のところにとどまり、あなたがたの信仰を進ませ、その喜びを得させようと思います。
そうなれば、わたしが再びあなたがたのところに行くので、あなたがたはわたしによって
キリスト・イエスにある誇りを増すことになるでしょう。ただ、あなたがたはキリストの福音にふさわしく生活しなさい。
そして、わたしが行ってあなたがたに会うにしても、離れているにしても、あなたがたが一つの霊によって堅く立ち、
一つ心になって福音の信仰のために力を合わせて戦い、 かつ、何事についても、敵対する者たちに
ろうばいさせられないでいる様子を、聞かせてほしい。
このことは、彼らには滅びのしるし、あなたがたには救いのしるしであって、それは神から来るのです。
あなたがたはキリストのために、ただ彼を信じることだけではなく、彼のために苦しむことをも賜わっています。
あなたがたは、さきにわたしについて見、今またわたしについて聞いているのと同じ苦闘を、続けているのです。
ヤハウェなる父である神とイエス・キリストの御名を賛美します。
Christian.dinnerさん、ピスティスさん、まちまりさん、みなさん、こんにちは。ハレルヤ
Christian.dinnerさん、いつもありがとうございます。
「わたしたちは、御旨の欲するままにすべての事をなさるかたの目的の下に、キリストにあって
あらかじめ定められ、神の民として選ばれました。 それは、早くからキリストに望みをおいている
わたしたちが、神の栄光をほめたたえる者となるためです。 あなたがたもまた、キリストにあって、
真理の言葉、すなわち、あなたがたの救いの福音を聞き、また、彼を信じた結果、
約束された聖霊の証印をおされたのです。 」
「神はその力をキリストのうちに働かせて、
彼を死人の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右に座せしめ、 彼を、すべての支配、権威、権力、
権勢の上におき、また、この世ばかりでなくきたるべき世においても唱えられる、あらゆる名の上におかれたのです。
そして、万物をキリストの足の下に従わせ、彼を万物の上にかしらとして教会に与えられました。
この教会はキリストのからだであって、すべてのものを、すべてのもののうちに満たしているかたが、
満ちみちているものに、ほかならないのです。 」
大切な御言葉です。全てが大切です。
>>595
まちまりさん、御言葉ありがとうございます。
「第二コリント13:11
終わりに、兄弟達、喜びなさい。
完全な者になりなさい。
励まし合いなさい。
思いを一つにしなさい。
平和を保ちなさい。
そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいてくださいます。」 そこで、あなたがたに、キリストによる勧め、愛の励まし、聖霊の交わり、
熱愛とあわれみとが、いくらかでもあるなら、 どうか同じ思いとなり、同じ愛の心を持ち、
心を合わせ、一つ思いになって、わたしの喜びを満たしてほしい。何事も党派心や虚栄からするのでなく、
へりくだった心をもって互いに人を自分よりすぐれた者としなさい。おのおの、自分のことばかりでなく、
他人のことも考えなさい。キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、
あなたがたの間でも互に生かしなさい。
キリストは、神の身分であられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、
かえって、おのれをむなしくして僕のかたちをとり、人間の姿になられました。
その有様は人と異ならず、 おのb黷痰ュして、試に至るまで、bオかも十字架の試に至るまで従緒であられましbス。
それゆえに、神は彼を高く引き上げ、すべての名にまさる御名を彼に賜わったのです。
それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものなど、あらゆるものがひざをかがめ、
また、あらゆる舌が、「イエス・キリストはヤハウェである」と告白して、栄光を父なる神に帰するためなのです。