打って投げて、試合が終わったら肉とビールをかっ食らう。これが当時のプロ野球選手のスタンダードという時代だったが、広岡は疲労回復を促進するアルカリ性の食物を多く摂るよう選手に求めた。「コンディションの維持などアマがやること」という風潮が強かった当時の野球界では、広岡の考えは極めて異端だった。

新生ライオンズの礎を築くも……


 しかし、食生活の改善が功を奏したのか、ベテランの田淵幸一や山崎裕之が復活を果たし、’82〜’83年と2年連続で日本一に輝く。’85年もリーグ優勝を果たし、のちに黄金期を迎える新生ライオンズの礎を築くも……広岡はこの年限りで監督を辞任することになる。