西暦1859年、まだキリシタン禁教の時代に日本にキリストの福音を伝えようと、海外から非常な危険を冒して多くの宣教師等が日本に上陸して来ました。その年、神奈川に渡来したのは米国長老派教会の、J.C.へボン、米国改革派教会の、S.R.ブラウンなどでした。1861年11月には、米国改革派教会のJ.H.バラ夫妻が神奈川に渡来しました。



彼等はまず横浜で英語私塾を開き、同時にキリスト教の開拓的伝道のための準備を始め、1868年11月には現在の横浜海岸教会の所在地(居留地167番)に、J.H.バラの依頼によって横浜在住の外国人のための礼拝所・日本人のための英語教場として、石造りの小会堂が建設されました。J.H.バラは小会堂を利用して20数名の学生を教えました。(バラ塾)

1872年2月9日(明治5年1月1日)より、バラ塾で学んでいた篠崎桂之助(しのざきけいのすけ)ら青年達の申し出により初週祈祷会(旧暦)が開かれました。そこで連日熱心な祈りがささげられ、同年3月10日(明治5年2月2日)J.H.バラ(写真)によって洗礼式が行われ、篠崎桂之助以下9名のが受洗しました。同日、既に他所で受洗していた2名を加え、11名で日本基督公会を設立し、バラが仮牧師となり、小川義綏(おがわよしやす)が長老、仁村守三(にむらもりぞう)が執事に就任しました。この日が横浜海岸教会の創立記念日となっています。