傷のない無垢な小羊を毎日の血を捧げて
神から自分達の罪によって罰をうけないようにと
怯える人々。

あ〜あれは、古い時代の人々の恐れと祈りだよね、
けれど、他者の命を犠牲にするなんて、
余程の恐怖心で、その恐怖に耐えられず、
他者を恐怖に陥れる。毎日処刑する。

で、それは古い時代だからというのであれば、
イエスの贖罪を2000年経っても止められないのは、
おかしいのではありませんか。

贖罪のないキリスト教へといつになれば脱皮できるのでしょう。
それが出来れば、愛のキリスト教が誕生すると思います。