>>799
> 「主がこの人々を助けられたので、信じて主に> 立ち帰った者の数は多かった。」
これでは、ピントボケだと思いますね。
穿った観方かも知れませんが…
なんだか、『人間活動における、社会的共助
ーボランティアーの観念を聖書訳や解釈に
援用してやろう』みたいな動機、
意図なんですかね?

故押田師は、「隠身の御手」について、
どこかに触れてないですかね?
主として、詩篇中にある表現・概念ですので、
残念ながら詩篇をものされてらっしゃらない
師ですから、可能性は低いと思われますが、
例えば、御受難のみぎり、
ルカによる聖福音 23・46 です。
> イエズス声高く呼ばわりて、
> 父よ、わが霊をみ手に託し奉る、と
> のたまいしが、かくのたまいつつ
> 息絶え給えり。( エ・ラゲ訳 )