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ローマカトリック教会・7

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0652神も仏も名無しさん
垢版 |
2022/12/16(金) 16:48:13.35ID:P2UuylVS
>>578-583 >>610よりつづきます。
>>645よりつづきます。
>>648-650 ご丁寧なレスポンスを本当にありがとうございます。
「聖歌歌唱」はそもそもラテン語が使える、
侍祭か侍者が担当するものであり、
一般会衆信徒は御ミサの中で
拝聴するだけだったのですね。

一般会衆信徒の方々が聖歌を歌唱する機会は、
御ミサ以外の「御聖体行列」のような場で、
多くは単純な旋律の比較的歌いやすい歌の場合に限られ、
一方で聖歌隊などで特別な訓練を受けた方々は、
御ミサの中で歌唱の役割を担うようになっていった、
ということでよろしいでしょうか。

いずれにしろ一般会衆信徒が、
御ミサの中で「聖歌歌唱」に参加できるような機会は、
第二ヴァチカン公会議直前の「試み」を
待つまではなかった、ということですね。

なぜ「侍者」のことを
「ミサごたえ」と呼ぶのか
またなぜ「侍者」が御ミサの中で
聖別の少し前に小鐘を鳴らすのか、

第二ヴァチカン公会議以前の
御ミサの様式に関わることがよくわかりました。
御ミサの変遷について、
理解が深まったように思います。
ありがとうございました。
0653神も仏も名無しさん
垢版 |
2022/12/16(金) 16:48:41.60ID:P2UuylVS
>>578-583 >>610よりつづきます。
>>645よりつづきます。
>>652よりつづきます。
「御聖体行列」で歌われた聖歌として
モサラベ聖歌の "Tantum ergo"という曲を
挙げて下さっていますが、
ググるとスペインでグレゴリオ聖歌成立以前の
6〜7世紀頃から歌われていた、
非常に古い長い歴史をもつ聖歌のようですね。

モサラベ聖歌はイスラム=アラブ文化と、
より古いビザンツ聖歌の影響も受けていて、
限りなくグレゴリオ聖歌に似てはいるが、
似て非なるものということのようでした。

ローマ典礼とグレゴリオ聖歌の一本化が始まり、
グレゴリオ聖歌以外の地方聖歌の廃止の流れのなかで、
モサラベ聖歌は廃れていったようですが、
そのような聖歌が、日本に伝えられた理由は、
来日したイエズス会他宣教師にスペイン人が多かったからか、
あるいはモサラベ聖歌を復興させようという当時の動きからでしょうか。
そういえば1549年に初来日したフランシスコ・ザビエルも
(厳密にいうとバスク人ですが)スペインの宣教師でしたね。

ひょっとするとキリシタン期の日本における唯一現存する楽譜史料
として知られている『サカラメンタ提要』とも関連するでしょうか。
0654神も仏も名無しさん
垢版 |
2022/12/16(金) 16:49:10.66ID:P2UuylVS
>>653よりつづきます。
スペインつながりで言いますと、
隠れキリシタンの人たちの間で伝えられてきた、
(唄)オラショがグレゴリオ聖歌にルーツがあることは
生月島の『らおだて』『なじょう』『ぐるりよざ』などから知られているようですが、
なかでも、生月島の壱部集落の唄オラショである『ぐるりよざ』が、
16世紀にスペイン・グラナダ地方でのみ歌われていた
特殊なローカル・グレゴリオ聖歌であることで、
よく取り上げられるようですね。

『らおだて』『なじょう』はそれぞれ
『ラウダーテ・ドミヌム Laudate Dominum (主をたたえよ=詩編一一六編)』と
『ヌンク・ディミッティス Nunc dimittis (今こそしもべを=シメオンの賛歌)』に
由来するラテン語の標準的な聖歌であるが、
『ぐるりよざ』はそうではない、ということでよろしいでしょうか。

生月島−壱部集落の唄オラショである『ぐるりよざ』
−原曲:聖歌『オ・グロリオザ・ドミナ O gloriosa Domina (栄光の聖母よ)』は、
「トレント公会議の方針でローカル聖歌の廃止が打ち出されたために」
その後本国スペインでは歌われなくなり廃れたものの、
「それ以前に生月島に伝来し、禁教によって信仰形態が固定された事によって
厳しい禁教の時代を含め、450年以上の時を経て日本で今日まで伝わっている」
という点で価値が高いということのようです。
この曲はスペイン・グラナダ地方独自のもののようですが、
モサラベ聖歌と関連している可能性はあるでしょうか。

2013年11月、カトリックの総本山 サン・ピエトロ大聖堂でのミサで、
これら「唄おらしょ」の原曲であるグレゴリオ聖歌「オラショ(oratio)」が演奏され、
この聖歌が荘厳な大聖堂に響きわたったとき、
枢機卿も大司教も、神父たちも「これは東洋の奇跡だ!」と称賛したそうですね。
0655D.Christian☆Mary☆Jacob Israel
垢版 |
2022/12/16(金) 16:51:34.07ID:P2UuylVS
>>654よりつづきます。
>>658 わたくしも週に1回か、
2週に1回ほどのペースでしかレスできませんので、
ゆっくりと、無理にとは申しません、
返していただければ、それでかまいません。

貴方様のような音楽に造詣が深い方から、
特に同じカトリック信者の立場で、
キリスト教音楽について教えを乞える機会をもてることは、
ほんとうに光栄でございます。
カトリック教会の洗礼を受けてまだ数年の未熟者でありますが、
どうぞよろしくお願いいたします。

余談ですが、教会音楽についてググっていましたら、
 ザビエル来航3年後の1552年には、山口で歌つきミサがおこなわれた
 1557年には日本人信徒の二つの聖歌隊により聖週間の典礼が執行された。
 1581年の文書には、有馬のセミナリヨではオルガンで歌い、クラヴォを奏することを教え、
 合唱隊はすでに正式なミサ曲をやすやすと歌うことが出来る、とある。

 フロイスの『日本史』にも、日本人がチェンバロをはじめとした様々な楽器を奏し、
 西洋音楽に多大な関心を寄せていることに言及している。

 文禄年間にはポルトガル風の衣装やアクセサリーなどが流行り、
 キリシタンでもない人々がアヴェ・マリアや
 パーテル・ノステルを歌いながら歩くこともあったらしい。

何かの本で、当時の人々がキリシタンでもないに、十字架のアクセサリーを身につけたり
南蛮由来の衣装を着たりということが流行っていた、と読んだ記憶があります。
できうればキリスト教の精神や信仰に興味や関心をもっていただきたいものですね。
音楽がその入り口になれば、とは思うのですが。
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