>>313
凄いと思いますよ。
そこまでコツコツ瞑想を実践できるのは並大抵ではないです。
一つお伝えしたいのは、体験上ですが、
スポーツや習い事などは、最初できなくても月日が立つに連れ
段々と上手くなるという場合が多いです。
この場合は上手くなった事自体が喜びや目的なのでわかりやすいのです。
しかし瞑想の場合は段々と上手くなるのは瞑想のテクニックであって
瞑想が上手くなることが目的ではありませんのでご不満も焦りもよくわかります。
瞑想に成果があるとすれば、それはあなたの心、精神に大変革を与えたときです。
少し冷静になったとか、心が落ち着くようになったなどは
本当の成果から比べるとオマケに過ぎません。
成果は突然やってきます。その時まではいくら瞑想に励んでも良い実感を
感じられなくても普通です。少しずつ仏陀の言葉の意味がわかるようになってきた、
こんなことはあり得ないのです。
瞑想の道は坂道ではなく階段状になっています。
ある日突然、階段を登った瞬間、0.1秒もかからずに、です。
あなたは確実に仏陀が約束された道を歩まれています。
もし瞑想方法に間違いがなければご自身も驚くような
そして同時に肩の荷が降りて安心に包まれるような成果を得られると思います。
それまでは瞑想の方法が正しいのか、どうやったらもっと深く集中力を増していけるのか
そのあたりにだけ注意を払い、工夫されてみたらどうでしょうか。
よかったら何でも相談して下さいね。
探検
【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践20
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346神も仏も名無しさん
2021/12/03(金) 19:23:28.62ID:vWkmH15h347神も仏も名無しさん
2021/12/11(土) 04:30:05.15ID:WRtmNNn+ >>342
サマタ瞑想っていう言葉にすると何か特別感がありますが、
極めたいのでなければ、気軽に取り組めばいいと思います。
一番効果が高くて本質的なのは、擬似的な死(停止)を
偽物と理解しながらでも一応受け入れて体験するってことですが、
ダイレクトにやると短期間、心身にかなりのダメージが出る可能性もあります。
何かの働きが止まる(止める)というのは、何かしら死に近づくという側面が
ありますので、それに自動的に抗う心身の反応も現れます。
ですので、何らかのイメージを作り上げてそれに自分を縛り付けることで
それ以外の働きを止める、というテクニックがよく使われます。
経験上、安全で魔境を含めた変な後遺症が出づらい方法だと思うのは
真っ白な世界や光の世界、空など、広大な空間に自分だけが存在して、
自分の体が細かな粒子や白い粉末になって、世界に溶けて無くなる。
溶けて広がって自由になった、楽だ、安心だ。
こんなイメージを使う方法です。息を吐く毎に体の力が抜けて
自分の体の輪郭がぼやけて無くなるようにします。
一点の光や仏など、何らかのキャラクターをイメージする方法もありますが、
師がいないとそれさえも魔境の原因に成りかねないので
対象化しにくいただの空間のイメージのほうが、まだ安全ではないかと思います。
その他、伝統的な方法や頭のテッペンの上の空間に集中したりする方法、
メジャーな呼吸の変化に集中する方法など色々ありますが、
どんな方法であれ、いつも思考で溢れかえっている自分が一時的にでも
停止しますので、副作用で不思議な体験をしても徹底的に無視して下さい。
師がいない場合は、楽、自由、明るいイメージでライトにやるのが安全です。
サマタ瞑想っていう言葉にすると何か特別感がありますが、
極めたいのでなければ、気軽に取り組めばいいと思います。
一番効果が高くて本質的なのは、擬似的な死(停止)を
偽物と理解しながらでも一応受け入れて体験するってことですが、
ダイレクトにやると短期間、心身にかなりのダメージが出る可能性もあります。
何かの働きが止まる(止める)というのは、何かしら死に近づくという側面が
ありますので、それに自動的に抗う心身の反応も現れます。
ですので、何らかのイメージを作り上げてそれに自分を縛り付けることで
それ以外の働きを止める、というテクニックがよく使われます。
経験上、安全で魔境を含めた変な後遺症が出づらい方法だと思うのは
真っ白な世界や光の世界、空など、広大な空間に自分だけが存在して、
自分の体が細かな粒子や白い粉末になって、世界に溶けて無くなる。
溶けて広がって自由になった、楽だ、安心だ。
こんなイメージを使う方法です。息を吐く毎に体の力が抜けて
自分の体の輪郭がぼやけて無くなるようにします。
一点の光や仏など、何らかのキャラクターをイメージする方法もありますが、
師がいないとそれさえも魔境の原因に成りかねないので
対象化しにくいただの空間のイメージのほうが、まだ安全ではないかと思います。
その他、伝統的な方法や頭のテッペンの上の空間に集中したりする方法、
メジャーな呼吸の変化に集中する方法など色々ありますが、
どんな方法であれ、いつも思考で溢れかえっている自分が一時的にでも
停止しますので、副作用で不思議な体験をしても徹底的に無視して下さい。
師がいない場合は、楽、自由、明るいイメージでライトにやるのが安全です。
349神も仏も名無しさん
2021/12/12(日) 09:49:51.22ID:rSf1rnez 寺和田仏教
350神も仏も名無しさん
2021/12/16(木) 12:42:12.82ID:Y3Ndv6Cl このスレ落ち着くなあ。
某板の某スレ見てみたけど、改めて日本人は大乗信仰が根強くて疲れると思ってしまった。というか、仏説の変化もおよそ把握しようとしない感じの。
某板の某スレ見てみたけど、改めて日本人は大乗信仰が根強くて疲れると思ってしまった。というか、仏説の変化もおよそ把握しようとしない感じの。
351神も仏も名無しさん
2021/12/21(火) 22:53:14.48ID:laQ0JBRo ヴィパサナー瞑想における非常に微妙なコツについて
人によって該当する場合とそうでない場合
色々あるかもしれませんが、該当する人にとっては
意識するのとしないのでは進歩に雲泥の差が生まれる可能性があります
それは自分が今何をしているかを”ハッキリ”意識するということです
言い換えると、
変化で生じる意識(感じたことによって同時に生まれる変化の感覚(意識))
変化を感じている自分が存在しているという意識
(この意識も無常なので難しいが作り上げる)
この2つをしっかり分けつつ両立させて瞑想するということです
思考や衝動が止まらない初期の間は変化を感じる意識だけでも充分です
どちらかというとサマタ瞑想寄りになります
たとえば呼吸を観察する場合には、習熟すると思考も体の感覚もかなり
希薄になり、胸やお腹の動き、気体が気管を通過する感覚、
それだけが存在するような感覚になります
初期はこのようになれば大成功です
次の段階では前の段階で手に入れた集中力を活かしつつ
自分の意識と体はしっかりと存在し、その存在が呼吸を観察している
そのような瞑想に移行していきます
人によって該当する場合とそうでない場合
色々あるかもしれませんが、該当する人にとっては
意識するのとしないのでは進歩に雲泥の差が生まれる可能性があります
それは自分が今何をしているかを”ハッキリ”意識するということです
言い換えると、
変化で生じる意識(感じたことによって同時に生まれる変化の感覚(意識))
変化を感じている自分が存在しているという意識
(この意識も無常なので難しいが作り上げる)
この2つをしっかり分けつつ両立させて瞑想するということです
思考や衝動が止まらない初期の間は変化を感じる意識だけでも充分です
どちらかというとサマタ瞑想寄りになります
たとえば呼吸を観察する場合には、習熟すると思考も体の感覚もかなり
希薄になり、胸やお腹の動き、気体が気管を通過する感覚、
それだけが存在するような感覚になります
初期はこのようになれば大成功です
次の段階では前の段階で手に入れた集中力を活かしつつ
自分の意識と体はしっかりと存在し、その存在が呼吸を観察している
そのような瞑想に移行していきます
352神も仏も名無しさん
2021/12/21(火) 22:54:59.83ID:laQ0JBRo >>351
続き
呼吸の観察以外での瞑想の方がわかりやすいかもしれません
歩く、座る、触る、味わう、見る、聞く、思う、感じる 等など
慣れるまで、身につくまでは、
心の中で、「俺は今歩いてるぞー!」「私は今見ているわ!」
と大きな声で大げさに宣言してみるのも良いかもしれません。
この状態が定着してくると、自然と全身が存在するという感覚、
”自分自身が”〜をハッキリ観察しているという感覚が沸き起こっていきます
この段階で呼吸を観察してみると、
初期の集中だけの瞑想とは明らかに質が異なっていることがわかります
そしてこの状態が充分に定着すると、意識が鮮明で全身の感覚が研ぎ澄まされた
禅定状態での瞑想に移行していきます
この状態が発達すると、短い時間に起こる自分自身の変化がどんどんと
わかるようになり、さらに瞬間の変化、さらに瞬間の変化.....
を察知できるようになりますので、(わざわざ自発的に発生させる)ラベリング
という意識が不要に感じることも多くなってきます
意識の矢印、感覚の矢印が、ラベリングの瞬間、ラベリングの方へ向けられる
のが煩わしく感じるからです
この状態を充分経験し、さらに発達させると、
もはやわざわざ何かを観察するという意識は無くなり、
体の内側で発生した現象は自動的に即観察され、現象=意識(の元)である
という認識に至ります
思考の働きは殆ど停止していますので、研ぎ澄まされたヴィパサナと呼べばいいのか
意識がはっきりしたサマタ瞑想と呼べばよいのかわからなくなります
ここまでくればとりあえずのゴールはもうすぐそこですので
今まで通り、集中できるチャンスにはしっかり集中し、継続するだけです。
一番最初に、ハッキリとした意識で観察する、というポイントをしっかり押さえるだけで
(瞑想を継続できる条件が揃っている人は)自動的にここまで進みます。
続き
呼吸の観察以外での瞑想の方がわかりやすいかもしれません
歩く、座る、触る、味わう、見る、聞く、思う、感じる 等など
慣れるまで、身につくまでは、
心の中で、「俺は今歩いてるぞー!」「私は今見ているわ!」
と大きな声で大げさに宣言してみるのも良いかもしれません。
この状態が定着してくると、自然と全身が存在するという感覚、
”自分自身が”〜をハッキリ観察しているという感覚が沸き起こっていきます
この段階で呼吸を観察してみると、
初期の集中だけの瞑想とは明らかに質が異なっていることがわかります
そしてこの状態が充分に定着すると、意識が鮮明で全身の感覚が研ぎ澄まされた
禅定状態での瞑想に移行していきます
この状態が発達すると、短い時間に起こる自分自身の変化がどんどんと
わかるようになり、さらに瞬間の変化、さらに瞬間の変化.....
を察知できるようになりますので、(わざわざ自発的に発生させる)ラベリング
という意識が不要に感じることも多くなってきます
意識の矢印、感覚の矢印が、ラベリングの瞬間、ラベリングの方へ向けられる
のが煩わしく感じるからです
この状態を充分経験し、さらに発達させると、
もはやわざわざ何かを観察するという意識は無くなり、
体の内側で発生した現象は自動的に即観察され、現象=意識(の元)である
という認識に至ります
思考の働きは殆ど停止していますので、研ぎ澄まされたヴィパサナと呼べばいいのか
意識がはっきりしたサマタ瞑想と呼べばよいのかわからなくなります
ここまでくればとりあえずのゴールはもうすぐそこですので
今まで通り、集中できるチャンスにはしっかり集中し、継続するだけです。
一番最初に、ハッキリとした意識で観察する、というポイントをしっかり押さえるだけで
(瞑想を継続できる条件が揃っている人は)自動的にここまで進みます。
353神も仏も名無しさん
2021/12/22(水) 00:23:08.71ID:9+WGdKhC とりあえずのゴールというのはどういうところのことを言ってるんですか?
354神も仏も名無しさん
2021/12/22(水) 09:15:55.81ID:2YzaMp5f しかしほんと自我意識って強固すぎるわ
特に感情が高ぶった時の自我意識ってすごいな
これこれの感情だ
とか唱えたところで、少しはブレーキになるかもしれないけどほんと少しのブレーキでしかない
これを滅することができてやっとスタートのヨルカなのか?
信じられんわ
スタートじゃなくゴールやろ
特に感情が高ぶった時の自我意識ってすごいな
これこれの感情だ
とか唱えたところで、少しはブレーキになるかもしれないけどほんと少しのブレーキでしかない
これを滅することができてやっとスタートのヨルカなのか?
信じられんわ
スタートじゃなくゴールやろ
355神も仏も名無しさん
2021/12/22(水) 14:19:48.55ID:rMtJ7q6C 自我(というか自己意識や思考)は消滅させるものじゃなくて、手名付けて使いこなすもんだと思うけどね。無理に消そうとするほど気になって影みたいに付き纏う。
ま、手名付けるのも簡単じゃ無いが。
ま、手名付けるのも簡単じゃ無いが。
356神も仏も名無しさん
2021/12/22(水) 14:24:09.87ID:rMtJ7q6C >>352
351の説明は納得できるけど、352の後半の説明での状態って、なんかの受け売りじゃなくて自分の体験として言ってる?
現象=意識の元 っていう説明がどういう状態を指してるのかよくわからないんだが。
351の説明は納得できるけど、352の後半の説明での状態って、なんかの受け売りじゃなくて自分の体験として言ってる?
現象=意識の元 っていう説明がどういう状態を指してるのかよくわからないんだが。
357神も仏も名無しさん
2021/12/24(金) 21:51:03.58ID:coZKxPmg スマナサーラ長老は瞑想の境地が深まるほど瞑想についてベラベラ喋れなくなるって言ってた
358神も仏も名無しさん
2021/12/26(日) 02:25:41.08ID:QkZ2AGol >>353
無我か無常か、どちらが主になるかわかりませんが、
明確に理解する瞬間が訪れるでしょう
この段階では(短期間ですが)気づきで充満しているといいますか、
気づきしかない状態です
>>356
現象=意識(の元)
これは体験するとそうとしか言いようがないので明快なんですが、
私の解釈、説明方法で表現しますと、
現象というのは体の中で起こっています
これは例えば目の前で火山が爆発して、大きな音、振動、真っ赤な炎の光、
硫黄や焦げた匂い、火砕流に巻き込まれて死ぬ自分の姿を想像するなどなど、
色々と体験をすると思いますが、
結局は体内のセンサーや想像機能が勝手に働いて体内で起こっていることです
ですからどのような現象であろうが、見ている(体験している)のは体内現象なんです。
瞑想に挑戦する前は、体外の現象を見ている、と思っている(ことが優勢)
瞑想に慣れてくると、体外の現象で反応する自分の変化を観察している、及び
体内の変化と独立した自分という意識が体内を観察している、と思っている
更に進むと、自分という意識、観察しているという意識がなくとも
痒い瞬間、痛い瞬間、痒い、痛いという意識(感覚)が生まれることを理解する
これは考えれば当たり前のことなんですが、文章で理解するのと
体験で理解するのとではかなり大きな隔たりがあります
なかなか難しいところです
そしてこの先にいくと、痒い、痛いはもちろんのこと、見る、聞く、何かを想像する
このような意識は体と何かの刺激が縁起した場合にしか生まれず、
加えて一瞬の中に無限に感じるほどこれらの縁起が積み重なっており、
自分という核は存在せず、細切れの意識が連続しているという認識に至ります
まあこれはただ一人の一例ですし、違うパターンの存在もあります
言語での限界が最も大きいですし、参考程度でお願いします
無我か無常か、どちらが主になるかわかりませんが、
明確に理解する瞬間が訪れるでしょう
この段階では(短期間ですが)気づきで充満しているといいますか、
気づきしかない状態です
>>356
現象=意識(の元)
これは体験するとそうとしか言いようがないので明快なんですが、
私の解釈、説明方法で表現しますと、
現象というのは体の中で起こっています
これは例えば目の前で火山が爆発して、大きな音、振動、真っ赤な炎の光、
硫黄や焦げた匂い、火砕流に巻き込まれて死ぬ自分の姿を想像するなどなど、
色々と体験をすると思いますが、
結局は体内のセンサーや想像機能が勝手に働いて体内で起こっていることです
ですからどのような現象であろうが、見ている(体験している)のは体内現象なんです。
瞑想に挑戦する前は、体外の現象を見ている、と思っている(ことが優勢)
瞑想に慣れてくると、体外の現象で反応する自分の変化を観察している、及び
体内の変化と独立した自分という意識が体内を観察している、と思っている
更に進むと、自分という意識、観察しているという意識がなくとも
痒い瞬間、痛い瞬間、痒い、痛いという意識(感覚)が生まれることを理解する
これは考えれば当たり前のことなんですが、文章で理解するのと
体験で理解するのとではかなり大きな隔たりがあります
なかなか難しいところです
そしてこの先にいくと、痒い、痛いはもちろんのこと、見る、聞く、何かを想像する
このような意識は体と何かの刺激が縁起した場合にしか生まれず、
加えて一瞬の中に無限に感じるほどこれらの縁起が積み重なっており、
自分という核は存在せず、細切れの意識が連続しているという認識に至ります
まあこれはただ一人の一例ですし、違うパターンの存在もあります
言語での限界が最も大きいですし、参考程度でお願いします
359神も仏も名無しさん
2021/12/27(月) 16:57:24.04ID:2qYQ+1pM >>354
色んな指導方法や考え方があるとは思うんですが、
生きるのにやっかいな強い自我意識(執着)がガクッと減るのは
預流果の段階に達した直後からです。それも結構緩やかに変化していきます
加えてもうこの瞬間に死んでも良いとか、お金は全部寄付するとか、
そんな境地とはまだまだ程遠い程度のものです。
心の奥底で真実を知ってしまったので、もう昔ほどは世間のことに必死になれない、
色んな感情は生まれるけれど、すぐに消えて無くなって次の日には忘れがち
そんなところでしょうか
もちろんさらに瞑想で段階を超える度に、執着が滅びていくとは思いますが
瞑想で大きな区切りを超えた瞬間に大きな変化が起こりますので
区切りを超えない限りはほとんど何も起こりません
徐々に多少の良い変化はあるかもしれませんが、
その程度の変化は世間で流行っている意識改革の手法(コーチングとか?)の方が
手っ取り早く優れていると思います。
逆説的に表現すると、
預流果では一般人の苦しさ、執着を燃料にして瞑想に励み段階を突破して
一来果では預流果の苦しさ、執着を燃料にして瞑想に励み段階を突破して
........
こんな考え方もできると思います
色んな指導方法や考え方があるとは思うんですが、
生きるのにやっかいな強い自我意識(執着)がガクッと減るのは
預流果の段階に達した直後からです。それも結構緩やかに変化していきます
加えてもうこの瞬間に死んでも良いとか、お金は全部寄付するとか、
そんな境地とはまだまだ程遠い程度のものです。
心の奥底で真実を知ってしまったので、もう昔ほどは世間のことに必死になれない、
色んな感情は生まれるけれど、すぐに消えて無くなって次の日には忘れがち
そんなところでしょうか
もちろんさらに瞑想で段階を超える度に、執着が滅びていくとは思いますが
瞑想で大きな区切りを超えた瞬間に大きな変化が起こりますので
区切りを超えない限りはほとんど何も起こりません
徐々に多少の良い変化はあるかもしれませんが、
その程度の変化は世間で流行っている意識改革の手法(コーチングとか?)の方が
手っ取り早く優れていると思います。
逆説的に表現すると、
預流果では一般人の苦しさ、執着を燃料にして瞑想に励み段階を突破して
一来果では預流果の苦しさ、執着を燃料にして瞑想に励み段階を突破して
........
こんな考え方もできると思います
360神も仏も名無しさん
2021/12/27(月) 17:25:53.87ID:UbAkJng0 一来果以上に達した方なのでしょうか?
でしたら預流果と一来果の違いをある程度具体的におしえていただけますか?
預流果から一来果になるとどうなるかの説明は本などでもかなりあいまいな気がしますので
一来になったときは預流とは違ってこういう点がこうなるというような具体的な説明をしていただけるとたすかります
私もある程度のことはわかっているので細かいところをおしえていただきたいです
でしたら預流果と一来果の違いをある程度具体的におしえていただけますか?
預流果から一来果になるとどうなるかの説明は本などでもかなりあいまいな気がしますので
一来になったときは預流とは違ってこういう点がこうなるというような具体的な説明をしていただけるとたすかります
私もある程度のことはわかっているので細かいところをおしえていただきたいです
361神も仏も名無しさん
2021/12/27(月) 17:47:43.25ID:scPNjcPh ステージなのですね。
362356
2021/12/27(月) 22:57:47.23ID:Yr2GnZnH >>358
そうした内的な劇的なイメージは、所詮陶酔的な願望とか自己暗示から発生するもので、目指すべきはあくまで冷静な純粋観察だと思いますが。
また、思考や人格という意味での自我は深い瞑想では感じられませんが、自己がなくなるという感覚は無いですよ。
縁起とかいう言葉をどういう意味で使ってます?
縁起は単なる原因ー結果の継続的な関係に過ぎず、それ以上でもそれ以下でもなくてましてや神秘的なものでもありません。
そうした内的な劇的なイメージは、所詮陶酔的な願望とか自己暗示から発生するもので、目指すべきはあくまで冷静な純粋観察だと思いますが。
また、思考や人格という意味での自我は深い瞑想では感じられませんが、自己がなくなるという感覚は無いですよ。
縁起とかいう言葉をどういう意味で使ってます?
縁起は単なる原因ー結果の継続的な関係に過ぎず、それ以上でもそれ以下でもなくてましてや神秘的なものでもありません。
363356
2021/12/27(月) 23:02:22.23ID:Yr2GnZnH >>359
また、どっかのステージで自我意識がガクッと減るといった感覚もありません。毎日あくまで徐々に変化し、徐々にしつこい自己意識が消えていき、振り返ってみるとかなり高い山に登ってきたんだな、ていう感覚です。
良かったら、どんな瞑想を毎日何分くらい、どれくらいの期間続けてきたか教えていただけますか?
また、どっかのステージで自我意識がガクッと減るといった感覚もありません。毎日あくまで徐々に変化し、徐々にしつこい自己意識が消えていき、振り返ってみるとかなり高い山に登ってきたんだな、ていう感覚です。
良かったら、どんな瞑想を毎日何分くらい、どれくらいの期間続けてきたか教えていただけますか?
364神も仏も名無しさん
2021/12/27(月) 23:30:08.02ID:UbAkJng0 自意識がガクッと減るわけではないですが自分という認識が全く違ったものになる地点はありますよ
ミャンマーの瞑想という本でも重い荷物をぶら下げていた蔦が切られたようなとか色々な例えで表現されています
自我うんぬんの話ではなく自我が自分でなくなります
自我が減るとか治まるとか観察が鋭くなっていくとかはその前の段階で預流に達した瞬間自我や全ての事柄は他人ごとになります
自我がどうであっても自己意識がなんであってもそれは自分ではないので他人事です
ただ他人事となっているのでもちろん自我はかなりおとなしくなっていますし観察も自動的に行われるようになっています
このへんは正直なところ指導者レベルでもちゃんとわかってる方とまだそこまで達してないがゆえに勘違いしてる方といると思います
ミャンマーの瞑想という本でも重い荷物をぶら下げていた蔦が切られたようなとか色々な例えで表現されています
自我うんぬんの話ではなく自我が自分でなくなります
自我が減るとか治まるとか観察が鋭くなっていくとかはその前の段階で預流に達した瞬間自我や全ての事柄は他人ごとになります
自我がどうであっても自己意識がなんであってもそれは自分ではないので他人事です
ただ他人事となっているのでもちろん自我はかなりおとなしくなっていますし観察も自動的に行われるようになっています
このへんは正直なところ指導者レベルでもちゃんとわかってる方とまだそこまで達してないがゆえに勘違いしてる方といると思います
365神も仏も名無しさん
2021/12/28(火) 06:10:14.57ID:CYrV6G+h 「あ〜、わたしはいま、囚われてるなぁ」と感じ取ること、いわゆる客観視することはイメージではない特殊な内観であって、ある外形をもって単純に判定するのは難しい(不可能に近い)だろうと思いますし、そもそも一般的な意義はあるのかを考えると、教団内部の昇進システムの他、連綿とした観察の過程で有用になる、具体的な場面はどういうものかなと思います。
366神も仏も名無しさん
2021/12/28(火) 07:13:07.80ID:b5Us15bj 自分じゃない、というより、自我(と思いこんでいる)意識や人格は、単に過去の感情や自動化された思考の流れが脳内や身体のどっかにこびりついて本人にはアンコントロールのまま自動発生しているだけのことであり、でそんなに大仰なものではないのでは。
それらを客観化する作業自体は確かに骨が折れますが、作業自体は単純です。
ご質問した、具体的な瞑想手法と日々の時間を宜しければお教えください。
それらを客観化する作業自体は確かに骨が折れますが、作業自体は単純です。
ご質問した、具体的な瞑想手法と日々の時間を宜しければお教えください。
368神も仏も名無しさん
2021/12/28(火) 08:54:47.74ID:VZnfYIUc ブッダって結局
”今”以外のことに気を取られるという現実を受け止めて、可能なら比丘になって色々慎んで可能な限り”今”にいよう
ってだけであって、
これで預流果、これで一来果不還果とか
大乗でいろいろこれはこーだあーだ
仏教哲学はどうのこうの、これはこれでこれはこれ
言ってるのは枝葉末節な気がする
”今”以外のことに気を取られるという現実を受け止めて、可能なら比丘になって色々慎んで可能な限り”今”にいよう
ってだけであって、
これで預流果、これで一来果不還果とか
大乗でいろいろこれはこーだあーだ
仏教哲学はどうのこうの、これはこれでこれはこれ
言ってるのは枝葉末節な気がする
369神も仏も名無しさん
2021/12/28(火) 11:13:49.92ID:b5Us15bj >>368
そうだね。仏陀は実践としての生き方の指針を整理しシンプルに示しただけだ。
今の自分は過去の経験の集積だが、未来は今の瞬間の自分の思考や行動が作っていく。なので最大限、今この瞬間に向き合って正しく観察して正しく考えし正しく精進せよ、と言っている。
後の仏教徒は、枝葉末節的というより、誇大妄想的な仏説をご多分にもれず付け加えた。
そうだね。仏陀は実践としての生き方の指針を整理しシンプルに示しただけだ。
今の自分は過去の経験の集積だが、未来は今の瞬間の自分の思考や行動が作っていく。なので最大限、今この瞬間に向き合って正しく観察して正しく考えし正しく精進せよ、と言っている。
後の仏教徒は、枝葉末節的というより、誇大妄想的な仏説をご多分にもれず付け加えた。
370神も仏も名無しさん
2021/12/28(火) 12:56:07.34ID:wJNuOYGe >>366>>367
366に書かれている内容はあなたに生じた見解ですね
それ自体が無常です
書かれている内容はその通りですがそれはあなたが書かれてるように自動的にただ現われただけの本来あなたが持つことのできないただの見解です
というよりあなたは実際にはその見解も持っていません
私は359ではないので瞑想手法や時間は質問されてはないのですが瞑想手法はヴィパッサナーやボディスキャンやネティネティや坐禅や公案や様々です
時間は出来る限りいつもです
ただ瞑想方法や時間に意味はないです
何故なら瞑想方法や時間もただ自分に生じてるものだからです
私の場合は瞑想行為より初期経典やミャンマーの瞑想や自由への旅やヨーガスートラなどを読み自分に生じている執着に明確にきづくほうが自我に対して役には立ちました
ただそれも現われていた自我に対してのことに過ぎないので根本的にはどうでもいいことです
あえて言うなら自分への真剣さと真剣さのピントが合うかどうかでしょう
ミャンマーの瞑想に修行者がどこまでいけるかはその人の波羅蜜(これまでの業)によると書かれていますがそのようなものだと思います
とはいえ現われている自我という現象に沿えばその人に生じている自我によった修行内容があるとも言えますし
禅宗で言われるように悟るのは偶然だが偶然を起こすように修行するというのがいい気はします
しかし根本的には瞑想方法も時間もあなたが書かれている通りあなたという認識上に勝手に現われているものであなたが選択できるものではないので考えるだけ無駄です
そういった一切に捉われなくなったとき、そして捉われる捉われないという分別もなくなったときどうなるかだけです
366に書かれている内容はあなたに生じた見解ですね
それ自体が無常です
書かれている内容はその通りですがそれはあなたが書かれてるように自動的にただ現われただけの本来あなたが持つことのできないただの見解です
というよりあなたは実際にはその見解も持っていません
私は359ではないので瞑想手法や時間は質問されてはないのですが瞑想手法はヴィパッサナーやボディスキャンやネティネティや坐禅や公案や様々です
時間は出来る限りいつもです
ただ瞑想方法や時間に意味はないです
何故なら瞑想方法や時間もただ自分に生じてるものだからです
私の場合は瞑想行為より初期経典やミャンマーの瞑想や自由への旅やヨーガスートラなどを読み自分に生じている執着に明確にきづくほうが自我に対して役には立ちました
ただそれも現われていた自我に対してのことに過ぎないので根本的にはどうでもいいことです
あえて言うなら自分への真剣さと真剣さのピントが合うかどうかでしょう
ミャンマーの瞑想に修行者がどこまでいけるかはその人の波羅蜜(これまでの業)によると書かれていますがそのようなものだと思います
とはいえ現われている自我という現象に沿えばその人に生じている自我によった修行内容があるとも言えますし
禅宗で言われるように悟るのは偶然だが偶然を起こすように修行するというのがいい気はします
しかし根本的には瞑想方法も時間もあなたが書かれている通りあなたという認識上に勝手に現われているものであなたが選択できるものではないので考えるだけ無駄です
そういった一切に捉われなくなったとき、そして捉われる捉われないという分別もなくなったときどうなるかだけです
371美魔女
2021/12/28(火) 13:08:42.99ID:OFlJme9Y 宇宙は曲率的に双曲的ですとビッククランチが起こる、
宇宙は楕円形ですと定常。
宇宙は放物線ですと宇宙はずっと広がり続ける
宇宙は楕円形ですと定常。
宇宙は放物線ですと宇宙はずっと広がり続ける
372神も仏も名無しさん
2021/12/28(火) 13:45:05.84ID:b5Us15bj >>370
何言ってるかわからんわ。
自分はもう数年アーナパーナサティをやってるけど、実際の体験はもっと具体的であって、そんな観念的なものじゃないけど。
ここ、瞑想のスレなんで、瞑想の体験を語って欲しいわな。
あと、禅寺でもちょくちょく接心に行ってたよ。認識上に勝手に現れてるんじゃなくて、禅でも1坐禅の時間が決まってるんだが(一ちゅう=約45分)。時間は意味なくなんて無いけど。
何言ってるかわからんわ。
自分はもう数年アーナパーナサティをやってるけど、実際の体験はもっと具体的であって、そんな観念的なものじゃないけど。
ここ、瞑想のスレなんで、瞑想の体験を語って欲しいわな。
あと、禅寺でもちょくちょく接心に行ってたよ。認識上に勝手に現れてるんじゃなくて、禅でも1坐禅の時間が決まってるんだが(一ちゅう=約45分)。時間は意味なくなんて無いけど。
373神も仏も名無しさん
2021/12/28(火) 13:52:53.86ID:b5Us15bj もとい、366は359氏への質問で結構です。
(370氏ではなく)
(370氏ではなく)
374神も仏も名無しさん
2021/12/28(火) 17:15:06.04ID:5myrE5K9 >>360
残念ながら私も人生二度目の区切りの段階に挑戦している最中で
苦しみながら色々と瞑想に取り組んでいます
前回の段階からもう4年以上になりますが、
それ以降短期で瞑想熱が燃え上がることは度々ありましたが、
最初の段階に達したときのように地面を這いつくばってでも...
という粘りというか情熱では瞑想できなくなっています
私の場合は次の段階ではどうなるのかはあまり心配というか
気にしていないんですが、
進むにつれてどのような瞑想が主力になっていくのか
昔はできていて、今は忘れてしまっていることはないのか
そんなことに注目して瞑想しています
私の勝手な想像ですけど、一来果はそんなに大した変化はないのでは
ないかな?なんて勝手に思っています
段階を超えた時からまた緩やかに執着が弱くなっていき、
前の段階で大事だと思っていたことが、気にならなくなって.....
そんな感じじゃないかな?と
勝手な想像です(笑)
残念ながら私も人生二度目の区切りの段階に挑戦している最中で
苦しみながら色々と瞑想に取り組んでいます
前回の段階からもう4年以上になりますが、
それ以降短期で瞑想熱が燃え上がることは度々ありましたが、
最初の段階に達したときのように地面を這いつくばってでも...
という粘りというか情熱では瞑想できなくなっています
私の場合は次の段階ではどうなるのかはあまり心配というか
気にしていないんですが、
進むにつれてどのような瞑想が主力になっていくのか
昔はできていて、今は忘れてしまっていることはないのか
そんなことに注目して瞑想しています
私の勝手な想像ですけど、一来果はそんなに大した変化はないのでは
ないかな?なんて勝手に思っています
段階を超えた時からまた緩やかに執着が弱くなっていき、
前の段階で大事だと思っていたことが、気にならなくなって.....
そんな感じじゃないかな?と
勝手な想像です(笑)
375神も仏も名無しさん
2021/12/28(火) 17:36:26.84ID:5myrE5K9 >>自我意識(執着)がガクッと減る
という表現でお騒がせしてしまったみたいで申し訳ありません
自分としては
>>生きるのにやっかいな強い自我意識(執着)がガクッと減るのは
預流果の段階に達した直後からです。それも結構緩やかに変化していきます
>>それも結構緩やかに変化していきます
で勘違いされないよう配慮したつもりでしたが、足りなかったようです
>>ガクッと減る
についてはどうでしょうか、
本当に背負っていた荷物を方から一気に下ろして身軽になったと感じた
あの瞬間を表現したんですが、実際の生活では次の日から性格や習慣が
即座に変わる訳でもないですし、生活、正確、習慣はガクッとは減りませんね
ですが、真実を知ってしまって背骨が無くなってしまったというか
何かが無くなってしまったという根底の感覚はやっぱりありますね
という表現でお騒がせしてしまったみたいで申し訳ありません
自分としては
>>生きるのにやっかいな強い自我意識(執着)がガクッと減るのは
預流果の段階に達した直後からです。それも結構緩やかに変化していきます
>>それも結構緩やかに変化していきます
で勘違いされないよう配慮したつもりでしたが、足りなかったようです
>>ガクッと減る
についてはどうでしょうか、
本当に背負っていた荷物を方から一気に下ろして身軽になったと感じた
あの瞬間を表現したんですが、実際の生活では次の日から性格や習慣が
即座に変わる訳でもないですし、生活、正確、習慣はガクッとは減りませんね
ですが、真実を知ってしまって背骨が無くなってしまったというか
何かが無くなってしまったという根底の感覚はやっぱりありますね
376356
2021/12/28(火) 18:33:36.26ID:b5Us15bj >>375
返信ありがとうございます。返信と思って良いのかな?
自分の感覚では、瞑想が進んでも何かの拠り所が無くなるとか、自己意識がなくなるとかいう感覚はないですね。
思考や感情の自動発生というノイズからは遠ざかりますが、寧ろ現在意識が透明でクリアに、かつ強くなっていく、そこに留まりたい、そこから離れているとまたそこに戻りたいという感覚です。例えると、満員電車の中で自分だけがすごく背が高くなって、他の人と少し違う空気を吸ってるような感覚です。
この現在意識を真の自己と呼ぶなら、自己が無いなどということはない、後期仏教の説は嘘(=仏陀はそんな事は言ってない)だと思います。
返信ありがとうございます。返信と思って良いのかな?
自分の感覚では、瞑想が進んでも何かの拠り所が無くなるとか、自己意識がなくなるとかいう感覚はないですね。
思考や感情の自動発生というノイズからは遠ざかりますが、寧ろ現在意識が透明でクリアに、かつ強くなっていく、そこに留まりたい、そこから離れているとまたそこに戻りたいという感覚です。例えると、満員電車の中で自分だけがすごく背が高くなって、他の人と少し違う空気を吸ってるような感覚です。
この現在意識を真の自己と呼ぶなら、自己が無いなどということはない、後期仏教の説は嘘(=仏陀はそんな事は言ってない)だと思います。
377神も仏も名無しさん
2021/12/28(火) 19:35:57.97ID:wJNuOYGe >>374
お答えありがとうございます
実際四向四果の説明だと預流果から一来果へは大した違いはないと言われてますね
そもそも一来の定義は他より後からできたというようなことも聞いたことがあります
自由への旅のジョーティカ師も預流果に達するのは大変
そのあと一来と不還に達するのはわりと楽
最後の阿羅漢はまた大変だと書いてました
自分も預流果以降は習慣で残っていたものが段々と消えていったように思います
預流果に達した人なら分かると思いますが預流はその字の通り悟りの流れに乗ったということですし放っておいても自然と次の段階に達するものだと思います
あなたのおっしゃる通り真実を知ってしまったのでもう先に進むだけで戻ることはないですね
テーラワーダの本でもそのように説明されてますしその通りだなあと思います
ありがとうございました
お答えありがとうございます
実際四向四果の説明だと預流果から一来果へは大した違いはないと言われてますね
そもそも一来の定義は他より後からできたというようなことも聞いたことがあります
自由への旅のジョーティカ師も預流果に達するのは大変
そのあと一来と不還に達するのはわりと楽
最後の阿羅漢はまた大変だと書いてました
自分も預流果以降は習慣で残っていたものが段々と消えていったように思います
預流果に達した人なら分かると思いますが預流はその字の通り悟りの流れに乗ったということですし放っておいても自然と次の段階に達するものだと思います
あなたのおっしゃる通り真実を知ってしまったのでもう先に進むだけで戻ることはないですね
テーラワーダの本でもそのように説明されてますしその通りだなあと思います
ありがとうございました
378神も仏も名無しさん
2021/12/28(火) 22:00:19.68ID:CcnCgWT7 ある瞑想″でなければならない″、という積極的な「否定」によって区分されると思いますけど、刺激を抑えて体感を得るか、定格の刺激から感覚に修正を加えるか等でも、理解に隔たりがあると思う。なにせ、あるメソッドの効用という記憶になりますから、正統性という認識が出てくる。ではどこまで果の因を認めることが可能かという時に、複数の前提が考えられて、特に常態の終わりを意識しているかは指標かもしれない。そういう句点がないと、循環して形象と悟りが体系的にセットにならない。横スレ。
379神も仏も名無しさん
2021/12/29(水) 01:27:12.62ID:oQqYW/Hj380356
2021/12/29(水) 06:18:34.64ID:F5u5FpD0 >>377
調べてみましたけど、四向四果って根本分裂からだいぶ後の300年頃に成立したものじゃないですか?(大般涅槃経)
警句や喩えとしては面白いですが、中身を見るとやっぱり後世の創作的ファンタジーが相当組み合わさっていて額面のまま受けとれませんが。例えば、アートマンの否定など。
調べてみましたけど、四向四果って根本分裂からだいぶ後の300年頃に成立したものじゃないですか?(大般涅槃経)
警句や喩えとしては面白いですが、中身を見るとやっぱり後世の創作的ファンタジーが相当組み合わさっていて額面のまま受けとれませんが。例えば、アートマンの否定など。
381356
2021/12/29(水) 06:23:56.82ID:F5u5FpD0 あー、テラワーダもノンアートマンの主張なのね。
仏陀は明確にそう言ってないと思うけど。
仏陀は明確にそう言ってないと思うけど。
382神も仏も名無しさん
2021/12/29(水) 06:38:43.50ID:hH+rggdu 縁起は偶然と因果の関係、個人的には善行の一種として資本主義に替わる経済観を提供するだろうと他人事で期待している。ぼやきからのおやき。
383神も仏も名無しさん
2021/12/29(水) 07:11:57.72ID:S/b09xgZ >>380
私がここで何を言っても匿名掲示板に書かれた言葉に過ぎません
書き込みを読んでいると、あなたは四向四果に懐疑的な立場のようですし、そういった方にあえて四向四果を理解してもらおうという気も私にはないです
あなたが四向四果が本当かどうか知りたければご自身の修行で確かめればいいことだと思います
四向四果が嘘だと思うならそれはそれであなたの判断ですから誰が文句を言うことでもないでしょう
ただ四向四果というかテーラワーダ全般が初期経典の解釈です
テーラワーダの中でも主張の違いはありますし解釈が正しいかどうかは確かめたい者がそれぞれに確かめることだと思います
私もテーラワーダの説明を信じているわけではなく自分の修行の結果と照らして答え合わせに使っているだけです
あなたはあなた自身の修行をされて初期経典であろうとテーラワーダであろうと真実が何かを確かめたらいいかと思います
アートマンの否定、無我、非我に関することはテーラワーダでも主張の分かれるところだと思います
テーラワーダにおける仏説の解釈は今では邦訳の本もたくさん出ていますしネットで読めるものも多数ありますので興味があれば色々読んでみたらいいと思います
私がここで何を言っても匿名掲示板に書かれた言葉に過ぎません
書き込みを読んでいると、あなたは四向四果に懐疑的な立場のようですし、そういった方にあえて四向四果を理解してもらおうという気も私にはないです
あなたが四向四果が本当かどうか知りたければご自身の修行で確かめればいいことだと思います
四向四果が嘘だと思うならそれはそれであなたの判断ですから誰が文句を言うことでもないでしょう
ただ四向四果というかテーラワーダ全般が初期経典の解釈です
テーラワーダの中でも主張の違いはありますし解釈が正しいかどうかは確かめたい者がそれぞれに確かめることだと思います
私もテーラワーダの説明を信じているわけではなく自分の修行の結果と照らして答え合わせに使っているだけです
あなたはあなた自身の修行をされて初期経典であろうとテーラワーダであろうと真実が何かを確かめたらいいかと思います
アートマンの否定、無我、非我に関することはテーラワーダでも主張の分かれるところだと思います
テーラワーダにおける仏説の解釈は今では邦訳の本もたくさん出ていますしネットで読めるものも多数ありますので興味があれば色々読んでみたらいいと思います
384356
2021/12/29(水) 07:25:11.64ID:F5u5FpD0385356
2021/12/29(水) 07:33:28.83ID:F5u5FpD0 ちなみに四向四果は一例としてであって、テラワーダであれマハヤナであれ多くの部派仏教の妄想的、創作的な教えには懐疑的です。全部が嘘だとは思いませんが。
このスレのタイトルにはブッダの教えと書いてありますので、本来の教えが知りたいと思っています。
このスレのタイトルにはブッダの教えと書いてありますので、本来の教えが知りたいと思っています。
386神も仏も名無しさん
2021/12/29(水) 08:05:05.35ID:qfsQ2rwn 確かにそういうのは思うけども
イスラム教であれ浄土関係であれ
全てどんなことに対しても「神様の思し召し」ってなれれば、それでブッダの言う修行完成や思う
今ここにブッダがいて直接師匠になってくれたとしても
結局 ただのただ というか、起こったことは起こったことってだけ受け止めれるようになるかどうかは自分次第だし
イスラム教でそうなってるのもいると思うし、オウムでだってそうなった信者とかいると思う
帰依する相手が間違っていたとしても、一切仏道と関わりなくても
こっちが疑いなく帰依してしまえばブッダの言う涅槃に行ってしまうんではないかと思う
もちろん、ブッダが実際言ったこと教えたことにそうしたいって気持ちはわかるし俺だってそう思う
キリスト教で言えば
「聖書なんか嘘と妄想しかねーじゃんw。直接イエスの言った事じゃねーじゃんw」って俺だってなる
イスラム教であれ浄土関係であれ
全てどんなことに対しても「神様の思し召し」ってなれれば、それでブッダの言う修行完成や思う
今ここにブッダがいて直接師匠になってくれたとしても
結局 ただのただ というか、起こったことは起こったことってだけ受け止めれるようになるかどうかは自分次第だし
イスラム教でそうなってるのもいると思うし、オウムでだってそうなった信者とかいると思う
帰依する相手が間違っていたとしても、一切仏道と関わりなくても
こっちが疑いなく帰依してしまえばブッダの言う涅槃に行ってしまうんではないかと思う
もちろん、ブッダが実際言ったこと教えたことにそうしたいって気持ちはわかるし俺だってそう思う
キリスト教で言えば
「聖書なんか嘘と妄想しかねーじゃんw。直接イエスの言った事じゃねーじゃんw」って俺だってなる
387神も仏も名無しさん
2021/12/29(水) 10:52:32.14ID:j8PVL1ay 必ずしも信じる・信じないの事実に基づかない概念があるかもしれない。「なんかさぁ、レベル分けしたいじゃん」って思ったら、一致不一致の精細な話ではなく、イメージしやすいようにラベリングする可能性はある。気になるなら、あまり拘らなくても良いことかもしれない。
388神も仏も名無しさん
2021/12/29(水) 14:32:33.20ID:oQqYW/Hj 非常に有益で面白い議論ですね
まあいつも通りの繰り返しの話題って気もしますが
この話に関わる人は非常に恵まれています
なにせ少なくとも1つは方法がハッキリしているのですから
気になる場合はとにかく最後までやってみるだけです
これがどんなに恵まれて幸せなことか
ちなみに私の場合は瞑想に関わる経典や解説書を
ほとんど読まずに瞑想方法だけを教えてもらい実践しましたが
段階を超えた後で、清浄道論やら瞑想が進むとどうなるのかっていう
書物を調べたところ
驚愕と感動の嵐でした 各種智慧の発現で起こる体験のこととか
時間の概念が変化してくることとか
その瞬間には2つまたは3つだったかな?の認識がハッキリ生まれること
まだ終わりでなく、続きがあること、まだ残っているものがあること
このような認識も明確に最後に意識にふわっと上ることとか
まだまだあったような気もしますが、あまりにも体験通りのことが
書いてあるため驚愕しました
逆に個人差がここまでないのは不自然で、マトリックスの世界のように
誰かが操作してそのような仕組みを作ったのではないか?
仏陀もそこまでは見抜けてなかったのではないか?
この世の仕組みはバーチャル世界なのでは??と疑ったぐらいです
どのようにしてこの瞑想方法を発見したのかも究極の謎です
ちなみに途中にはいかにも自分は体ではなくて純粋意識の存在で
本当に自分の意志とは無関係に体が動き回るのを眺めている体験や
見ているものと自分の区別がつかなくなるような体験もしましたが
明日会社に行くのが嫌だなー生きづらいなーという気持ちには全く
変化がなかったため
この体験は自分の場合は何の役にも立たないと結論づけました
このあたりの感想は個人差が非常に大きいようです
悲惨な人生に打ちのめされている環境で、突如として自分は肉体ではない
という体験をして非常に心が軽く転換され救いになった例もよく聞きます
仏陀の話を聞いただけの村人が突如悟った例はこっちのタイプなのかな?
と勝手に想像したり
まあいつも通りの繰り返しの話題って気もしますが
この話に関わる人は非常に恵まれています
なにせ少なくとも1つは方法がハッキリしているのですから
気になる場合はとにかく最後までやってみるだけです
これがどんなに恵まれて幸せなことか
ちなみに私の場合は瞑想に関わる経典や解説書を
ほとんど読まずに瞑想方法だけを教えてもらい実践しましたが
段階を超えた後で、清浄道論やら瞑想が進むとどうなるのかっていう
書物を調べたところ
驚愕と感動の嵐でした 各種智慧の発現で起こる体験のこととか
時間の概念が変化してくることとか
その瞬間には2つまたは3つだったかな?の認識がハッキリ生まれること
まだ終わりでなく、続きがあること、まだ残っているものがあること
このような認識も明確に最後に意識にふわっと上ることとか
まだまだあったような気もしますが、あまりにも体験通りのことが
書いてあるため驚愕しました
逆に個人差がここまでないのは不自然で、マトリックスの世界のように
誰かが操作してそのような仕組みを作ったのではないか?
仏陀もそこまでは見抜けてなかったのではないか?
この世の仕組みはバーチャル世界なのでは??と疑ったぐらいです
どのようにしてこの瞑想方法を発見したのかも究極の謎です
ちなみに途中にはいかにも自分は体ではなくて純粋意識の存在で
本当に自分の意志とは無関係に体が動き回るのを眺めている体験や
見ているものと自分の区別がつかなくなるような体験もしましたが
明日会社に行くのが嫌だなー生きづらいなーという気持ちには全く
変化がなかったため
この体験は自分の場合は何の役にも立たないと結論づけました
このあたりの感想は個人差が非常に大きいようです
悲惨な人生に打ちのめされている環境で、突如として自分は肉体ではない
という体験をして非常に心が軽く転換され救いになった例もよく聞きます
仏陀の話を聞いただけの村人が突如悟った例はこっちのタイプなのかな?
と勝手に想像したり
389神も仏も名無しさん
2021/12/29(水) 15:31:11.73ID:hH+rggdu 軽く整理、
・当て推量しなければ納得しないことは、何をはっきりさせるかはっきりさせれば、属性に過ぎないということ。
・瞑想は思想・態度ではなく、体験であり、放逸な高揚感、イメージの横溢だけでは、悟りは嗄れてしまうこと。
・知見を示すことが他人の知見を参照にする限りは、比較的なものであり、自我の数多の解釈に過ぎないこと。
等。
・当て推量しなければ納得しないことは、何をはっきりさせるかはっきりさせれば、属性に過ぎないということ。
・瞑想は思想・態度ではなく、体験であり、放逸な高揚感、イメージの横溢だけでは、悟りは嗄れてしまうこと。
・知見を示すことが他人の知見を参照にする限りは、比較的なものであり、自我の数多の解釈に過ぎないこと。
等。
390356
2021/12/29(水) 15:42:27.27ID:ylTwSbos >>388
現在流行しているテラワーダ的なサティ(観)瞑想はビルマで細々と受け継がれてきたサティパターナ(四念処)の教えが西洋に紹介され、急速に広まったものです。この、サティパターナが仏陀自身が開発した手法なのか、ビルマから北インドにもともと有った教えで、それを仏陀が習得しただけなのかは判然としませんが。(自分は後者だと推測はしますが)
一方のディヤーナ(止)側の教えも八正道にはごく簡単に記載されていますが、これも当時の土着の教えだったのか、そうで無いのかは判然としません。
清浄道論を見てみましたが、止と観の基本的瞑想やその心構えは記載されており、目次をざっと見る限り、観察対象を自己の内面や外界のあらゆる多岐に渡らせ、冷静に観察するという手法は正しいと思います。
現在流行しているテラワーダ的なサティ(観)瞑想はビルマで細々と受け継がれてきたサティパターナ(四念処)の教えが西洋に紹介され、急速に広まったものです。この、サティパターナが仏陀自身が開発した手法なのか、ビルマから北インドにもともと有った教えで、それを仏陀が習得しただけなのかは判然としませんが。(自分は後者だと推測はしますが)
一方のディヤーナ(止)側の教えも八正道にはごく簡単に記載されていますが、これも当時の土着の教えだったのか、そうで無いのかは判然としません。
清浄道論を見てみましたが、止と観の基本的瞑想やその心構えは記載されており、目次をざっと見る限り、観察対象を自己の内面や外界のあらゆる多岐に渡らせ、冷静に観察するという手法は正しいと思います。
391神も仏も名無しさん
2021/12/29(水) 15:52:13.38ID:S7AnRBDs なんか、Wi-Fi届いているのか、不安。
392神も仏も名無しさん
2021/12/29(水) 18:11:19.80ID:S/b09xgZ ア非常に表現が難しいですが体験は全て四向四果の手前の話ですね
非常に表現が難しいですが体験は全て四向四果の手前の話ですね
観察対象があり観察があり自分が変っていく、心の状態が変って行く、それはみな体験であり体験内容であり、ただ心や身体の変化です
四向四果は基本的に涅槃の話です
変化の世界の話ではありません
四向四果以前は自分とは観察者ですが四向四果では自分とは観察対象と観察者である自分とその両方が現れる場のようなものです
もちろん正確にはそれは自分でも場でもありません
何々だと言えるあらゆるものが生じる「それ」、涅槃だからです
当然それはそれでも涅槃でもないです
言った瞬間、示した瞬間それは現われた対象だからです
現われ消える(無常)ではないもの、それが涅槃です
これは預流果に達しないとわかります
こらまでの全ての体験とその体験者である自分は全て対象であったとわかります
時間も空間も現われるものはみな対象です
では全てが何に現われているのか
それを言葉で涅槃と呼んでいるわけです
預流果の時点でまだ不完全ではありますが自分とはこちら側だったとわかります
もはや指し示されるものでもなく自分でもないですが
こう話すとオカルト的に聞こえるかもしれませんが預流果に達してない人でもこのことは分かります
例えばヴィパッサナーをしてるとき、うまく観察できてるとかできてないとか思いますが、誰がそれをわかっているのでしょうか?
観察できてないときでも観察できてないということをわかっています
そして観察している自分というものをわかっています
何故観察している自分を自分でわかるのですか?自分自身を誰がわかっているのですか?
目で目は見えません
自分が観察者であるならば観察者である自分をわかることはできません
観察者である自分をわかるのは自分は実は観察者ですらないからです
自分とは観察対象と観察者である自分とその両方が現れている場のようなものです
非常に表現が難しいですが体験は全て四向四果の手前の話ですね
観察対象があり観察があり自分が変っていく、心の状態が変って行く、それはみな体験であり体験内容であり、ただ心や身体の変化です
四向四果は基本的に涅槃の話です
変化の世界の話ではありません
四向四果以前は自分とは観察者ですが四向四果では自分とは観察対象と観察者である自分とその両方が現れる場のようなものです
もちろん正確にはそれは自分でも場でもありません
何々だと言えるあらゆるものが生じる「それ」、涅槃だからです
当然それはそれでも涅槃でもないです
言った瞬間、示した瞬間それは現われた対象だからです
現われ消える(無常)ではないもの、それが涅槃です
これは預流果に達しないとわかります
こらまでの全ての体験とその体験者である自分は全て対象であったとわかります
時間も空間も現われるものはみな対象です
では全てが何に現われているのか
それを言葉で涅槃と呼んでいるわけです
預流果の時点でまだ不完全ではありますが自分とはこちら側だったとわかります
もはや指し示されるものでもなく自分でもないですが
こう話すとオカルト的に聞こえるかもしれませんが預流果に達してない人でもこのことは分かります
例えばヴィパッサナーをしてるとき、うまく観察できてるとかできてないとか思いますが、誰がそれをわかっているのでしょうか?
観察できてないときでも観察できてないということをわかっています
そして観察している自分というものをわかっています
何故観察している自分を自分でわかるのですか?自分自身を誰がわかっているのですか?
目で目は見えません
自分が観察者であるならば観察者である自分をわかることはできません
観察者である自分をわかるのは自分は実は観察者ですらないからです
自分とは観察対象と観察者である自分とその両方が現れている場のようなものです
393神も仏も名無しさん
2021/12/29(水) 18:11:41.03ID:S/b09xgZ アートマンの話が出ましたがそれがつまりヴェーダンタで言うところのアートマン、対象とならない主体です
観察対象も観察者である自分もその両方が対象となります
しかしそれら全てが現われているこの場のようなものは対象とならない主体としてはっきりするのです
これはわかるとかそういうことではありません
何故ならわかるというのはわかる内容とわかる主体のことでありその両方が現われた対象だからです
アートマンはわかるでもなくはっきりとします
ではアートマンがはっきりとして終わりかというとそうでもありません
アートマンですら微細に分かる対象だからです
それが認められるということは結局のところまだ対象の性質を持っているからです
四向四果でも預流果以降に消えていく概念などが示されています
あらゆる現われているものへの執着と分別が消えていきます
預流果以降は現われているものと涅槃という区別しかしませんから現われているものはみな同じです
自分もコップも感情も思考も時間も空間も現われているものはただ現われているものということで区別はなくなっていきます
それがどれだけどうなっていくかは預流果以降の修行次第でしょう
しかしこの頃にはもう修行でもなくなっていきます
修行も修行する自分も対象ですから
どれだけきちんと涅槃(なんでもないもの)にあり続けるかが修行になっていきます
そう思ってしまう時点で既に修行する自分という対象に巻き込まれているんですけどね
性格が変わった、自分という存在の仕方が変わった、悩まなくなってきた、こういうのはみな変化の世界、対象の話です
体験はみなそれが体験だとわかるように対象の話です
どのような素晴らしい体験であろうと自分が何かに変わろうと、それは単なる体験です
四向四果は涅槃の話です
「全ての対象、全ての体験、それらを観察する自分」、それらすべてが現れるところの何でもないもの、有るでも無いでもなく、それゆえ生じたことも消えることもないものです
観察対象も観察者である自分もその両方が対象となります
しかしそれら全てが現われているこの場のようなものは対象とならない主体としてはっきりするのです
これはわかるとかそういうことではありません
何故ならわかるというのはわかる内容とわかる主体のことでありその両方が現われた対象だからです
アートマンはわかるでもなくはっきりとします
ではアートマンがはっきりとして終わりかというとそうでもありません
アートマンですら微細に分かる対象だからです
それが認められるということは結局のところまだ対象の性質を持っているからです
四向四果でも預流果以降に消えていく概念などが示されています
あらゆる現われているものへの執着と分別が消えていきます
預流果以降は現われているものと涅槃という区別しかしませんから現われているものはみな同じです
自分もコップも感情も思考も時間も空間も現われているものはただ現われているものということで区別はなくなっていきます
それがどれだけどうなっていくかは預流果以降の修行次第でしょう
しかしこの頃にはもう修行でもなくなっていきます
修行も修行する自分も対象ですから
どれだけきちんと涅槃(なんでもないもの)にあり続けるかが修行になっていきます
そう思ってしまう時点で既に修行する自分という対象に巻き込まれているんですけどね
性格が変わった、自分という存在の仕方が変わった、悩まなくなってきた、こういうのはみな変化の世界、対象の話です
体験はみなそれが体験だとわかるように対象の話です
どのような素晴らしい体験であろうと自分が何かに変わろうと、それは単なる体験です
四向四果は涅槃の話です
「全ての対象、全ての体験、それらを観察する自分」、それらすべてが現れるところの何でもないもの、有るでも無いでもなく、それゆえ生じたことも消えることもないものです
394神も仏も名無しさん
2021/12/29(水) 18:14:38.81ID:S/b09xgZ 自分とは対象にならない側なのだとわかると自分(心身)がどうであろうと他人事です
この時点で悩みがあろうとなかろうとそれは自分の心身のことで自分のことではないのでどうでもいいことです
預流果に達するか、それ以前の観察者であるかでここのところが違います
ヴィパッサナーは観察の精度を純粋に高めてある地点で自分を観察者から何でもないものにシフトさせる(シフトが起こる)瞑想システムです
このへんの話は意味のない議論になりやすいのであまり言葉にはしたくないのですが
自分以外にも四向四果を語っていただけてる方がいますしアートマンの語句も出ましたので書かせていただきました
こういったことは自分自身で確かめるかどうかですのでやりたい方は自分で試してみてください
観察対象とそれを観察する観察者である自分とその両方をいつもわかっているのは誰なのか真摯に調べるだけです
興味のない方はどうぞスルーしてください
この時点で悩みがあろうとなかろうとそれは自分の心身のことで自分のことではないのでどうでもいいことです
預流果に達するか、それ以前の観察者であるかでここのところが違います
ヴィパッサナーは観察の精度を純粋に高めてある地点で自分を観察者から何でもないものにシフトさせる(シフトが起こる)瞑想システムです
このへんの話は意味のない議論になりやすいのであまり言葉にはしたくないのですが
自分以外にも四向四果を語っていただけてる方がいますしアートマンの語句も出ましたので書かせていただきました
こういったことは自分自身で確かめるかどうかですのでやりたい方は自分で試してみてください
観察対象とそれを観察する観察者である自分とその両方をいつもわかっているのは誰なのか真摯に調べるだけです
興味のない方はどうぞスルーしてください
395神も仏も名無しさん
2021/12/29(水) 18:39:59.94ID:Z5gHaxMl 乱れる必要はないと思います。瞑想の一々の仕儀が客観的に認識できる「プロセス」なのは疑いようがないでしょう。
では、それに事実足り得る要素は何でしょう。確信を深めるプロセスだけでは、良く言って、目的に敵った自己啓発、
普通で自己洗脳でしょう。
では、それに事実足り得る要素は何でしょう。確信を深めるプロセスだけでは、良く言って、目的に敵った自己啓発、
普通で自己洗脳でしょう。
396神も仏も名無しさん
2021/12/29(水) 19:06:38.31ID:qfsQ2rwn チャクラが光って回る人にとっては、チャクラが光って回るのは真実だしね
397神も仏も名無しさん
2021/12/29(水) 19:40:03.50ID:Z5gHaxMl そう、在るものは在るといって答えになるのが「体験」であり、般化すれば「洗脳」となる。仏教にとって「検証」とは何だろう。
398356
2021/12/30(木) 06:26:52.39ID:5Ged89r/ 所詮イメージでみんな語るしか無いけど、生命としての自分の根源的実態を仮にアートマンと呼ぶなら、純粋な非物質的精神エネルギーとか生命の種子とかでしょう。
で、大概の異説は魂とか人格的なものとか、思考や感情の切れ端をそれと誤認する。ソウルもプシュケもこの種子では無い。微細な、と言ってる段階で物質的なイメージを思い浮かべるが、微細も何も物質じゃない。
奇異なように感じるが、アミノ酸をDNAの設計図通り並べてみても恐らく生命は生まれない。
で、大概の異説は魂とか人格的なものとか、思考や感情の切れ端をそれと誤認する。ソウルもプシュケもこの種子では無い。微細な、と言ってる段階で物質的なイメージを思い浮かべるが、微細も何も物質じゃない。
奇異なように感じるが、アミノ酸をDNAの設計図通り並べてみても恐らく生命は生まれない。
399356
2021/12/30(木) 06:53:51.42ID:5Ged89r/ 検証かー。例えば検証すべき現象や対象としては、
自分の内外の現象や物体の構成要素を仔細な観察で認識すること(正念)
思考や感情のエネルギーの作用および反作用プロセスを認識することまた、現象の推移には全て原因とそれに対する結果があると知ること(正念、正見、因果・縁起)
その上で、正しいバランスの取れた思考や行動を行う必要があると知ること(正思惟)
なお、世の中の自然な現象(生老病死はじめ)を何でも苦であるとする、もしくは意図的でなくても後世そう思わせた苦諦の考え方は誤りだと思う。
自分の内外の現象や物体の構成要素を仔細な観察で認識すること(正念)
思考や感情のエネルギーの作用および反作用プロセスを認識することまた、現象の推移には全て原因とそれに対する結果があると知ること(正念、正見、因果・縁起)
その上で、正しいバランスの取れた思考や行動を行う必要があると知ること(正思惟)
なお、世の中の自然な現象(生老病死はじめ)を何でも苦であるとする、もしくは意図的でなくても後世そう思わせた苦諦の考え方は誤りだと思う。
400356
2021/12/30(木) 07:43:05.63ID:Pyqe/3CT あ、 加えて、検証のさらに適切な言い方があったわ。
ダンマ(色んな概念があるが、ここでは自然や宇宙の摂理や法則)を知り、その法則性に合致した生き方や考え方をすること。
ダンマ(色んな概念があるが、ここでは自然や宇宙の摂理や法則)を知り、その法則性に合致した生き方や考え方をすること。
401神も仏も名無しさん
2021/12/30(木) 13:34:43.27ID:r3MX8ujO 流れが、意識が、コメが、「今・此処」に高止まったら、菩薩行が泣くぜ。「正」の字は罪作りだ、只に「思い込みを失くせ」という魂の訴えに、なんと「思い込み」の形を各々イメージさせるのだから。
402神も仏も名無しさん
2021/12/30(木) 13:39:50.78ID:r3MX8ujO テーラワーダよ生きよ、カテのコメ欄は荒れている。まさか高野山で揉めるつもりか?
403神も仏も名無しさん
2021/12/31(金) 00:34:04.95ID:qxitIkbK >>390
へぇー色々歴史がありそうですね
教えて頂きありがとうございます
>>394
”観察対象とそれを観察する観察者である自分と
その両方をいつもわかっているのは誰なのか真摯に調べるだけです”
すっごく難しい内容ですね
今の認識は観察対象を観察した瞬間に
何かを認知したという自分が新たに一瞬だけ生まれるって感じです
太陽を見たら太陽をみた自分が瞬間的に生まれて、
暑いなあーとか気持ち良いなーと思考が生まれた瞬間
太陽をみた自分は死んで、何かを考えた自分が瞬間的に生まれる
両方をいつもわかっている誰か は全くその感覚もないし
見当もつきません
""観察できてないときでも観察できてないということをわかっています
そして観察している自分というものをわかっています
何故観察している自分を自分でわかるのですか?自分自身を誰がわかっているのですか?
目で目は見えません
自分が観察者であるならば観察者である自分をわかることはできません""
とのことですが、現状の認識は上述したのと同じように
瞬間瞬間で観察している自分、観察できていないとわかっている自分
それを受けて嫌な感覚を感じる自分というように0.00〜0001秒の単位
で生まれては消えており、普通の意識状態では同時に起こっているようにみえますが、
特殊な禅定状態で観察すると(ほんの一瞬のチャンスでしたが)
同時ではなくドミノ倒しのようになっていました
ですがこれからの瞑想で、なるほどそういうことだったのか
となる可能性も大いに有り得るので瞑想に励みたいと思います
色々と個人差や進捗状況によって見え方が違って面白いですねー
へぇー色々歴史がありそうですね
教えて頂きありがとうございます
>>394
”観察対象とそれを観察する観察者である自分と
その両方をいつもわかっているのは誰なのか真摯に調べるだけです”
すっごく難しい内容ですね
今の認識は観察対象を観察した瞬間に
何かを認知したという自分が新たに一瞬だけ生まれるって感じです
太陽を見たら太陽をみた自分が瞬間的に生まれて、
暑いなあーとか気持ち良いなーと思考が生まれた瞬間
太陽をみた自分は死んで、何かを考えた自分が瞬間的に生まれる
両方をいつもわかっている誰か は全くその感覚もないし
見当もつきません
""観察できてないときでも観察できてないということをわかっています
そして観察している自分というものをわかっています
何故観察している自分を自分でわかるのですか?自分自身を誰がわかっているのですか?
目で目は見えません
自分が観察者であるならば観察者である自分をわかることはできません""
とのことですが、現状の認識は上述したのと同じように
瞬間瞬間で観察している自分、観察できていないとわかっている自分
それを受けて嫌な感覚を感じる自分というように0.00〜0001秒の単位
で生まれては消えており、普通の意識状態では同時に起こっているようにみえますが、
特殊な禅定状態で観察すると(ほんの一瞬のチャンスでしたが)
同時ではなくドミノ倒しのようになっていました
ですがこれからの瞑想で、なるほどそういうことだったのか
となる可能性も大いに有り得るので瞑想に励みたいと思います
色々と個人差や進捗状況によって見え方が違って面白いですねー
404356
2021/12/31(金) 10:26:50.78ID:iwL2qyVk >>403
不思議なことではなく、瞑想に一定程度熟達すると起こり得ることだよ。
人間は、ある対象物をまず知覚力(5感プラス、もう一つの知覚力である6感)で対象を捉え、そこから思考や感情といった脳の中の処理や咀嚼を経て対象を理解する。
前者の知覚力(無意識な全6感での知覚)処理の方が、後者の脳処理を経た理解の速度より遥かに高速だ。
瞑想では、後者の動き(理解力)を抑制する代わりに、前者の感覚(純粋知覚)を高度化させるから、こうした「知覚力」と「理解力」が通常の意識状態と異なるため403のような洞察が可能になる。
不思議なことではなく、瞑想に一定程度熟達すると起こり得ることだよ。
人間は、ある対象物をまず知覚力(5感プラス、もう一つの知覚力である6感)で対象を捉え、そこから思考や感情といった脳の中の処理や咀嚼を経て対象を理解する。
前者の知覚力(無意識な全6感での知覚)処理の方が、後者の脳処理を経た理解の速度より遥かに高速だ。
瞑想では、後者の動き(理解力)を抑制する代わりに、前者の感覚(純粋知覚)を高度化させるから、こうした「知覚力」と「理解力」が通常の意識状態と異なるため403のような洞察が可能になる。
405神も仏も名無しさん
2021/12/31(金) 13:34:12.65ID:bSUrJjTW 脳はいつでも間違えるというのが仏陀の教えるところだと思う。しかし、脳世界は別ちがたく私たちの理解に根を下ろしている。なにが考えたことで、何が純粋に感じたことなのかを″処理″できない。
薄々、皆も判っているから「科学」するのではないだろうか。そこで初学者に試してほしいのは、身体を撫ぜることだ。
丁寧に物質を感じてみてはどうだろう。
薄々、皆も判っているから「科学」するのではないだろうか。そこで初学者に試してほしいのは、身体を撫ぜることだ。
丁寧に物質を感じてみてはどうだろう。
406356
2021/12/31(金) 14:07:41.22ID:iwL2qyVk ?
処理順としては、常に知覚(=無意識)→脳処理の順(知覚は超高速)。
ちなみに、知覚および脳処理はともに物質領域(微細な領域だけど)。
純粋知覚や純粋記憶は現象や物体を間違えて捉える事は無く、錯覚させたり曇らせたりするのは脳処理のほう。
このため、どの瞑想もそうだが、思考やイメージのガラクタや先入観を排除した純粋知覚を鍛えようとする。
処理順としては、常に知覚(=無意識)→脳処理の順(知覚は超高速)。
ちなみに、知覚および脳処理はともに物質領域(微細な領域だけど)。
純粋知覚や純粋記憶は現象や物体を間違えて捉える事は無く、錯覚させたり曇らせたりするのは脳処理のほう。
このため、どの瞑想もそうだが、思考やイメージのガラクタや先入観を排除した純粋知覚を鍛えようとする。
407356
2021/12/31(金) 14:10:30.10ID:iwL2qyVk あ、脳処理というかイメージ、感情、思考パターンに照らした理解ね。
408神も仏も名無しさん
2021/12/31(金) 15:41:30.14ID:K2PJF6qQ409神も仏も名無しさん
2022/01/01(土) 02:08:22.44ID:RHDpkZJH >>404
"(理解力)を抑制する代わりに、前者の感覚(純粋知覚)を高度化させるから"
確かに言われてみればこんなことが起こっているのかもしれませんね
おっしゃるようにほとんど理解とか解釈とか評価などの働きが
一切消えて、ただギューッと極限まで見つめる(感じる)だけですもんね
私は単純化していっつもおおざっぱに集中力って単語に纏めてしまってますけど(笑)
話は変わって時間の感覚について
時間の関連については他にも面白い話がありまして
小さい時間のドミノ倒しのような観察が起こるちょっと手前の話ですが
ほんの0.数秒の間に体感で数時間程の映像を見たこともありました
通常の意識に戻った後に、現実世界で同じ体験をしようとすると
物凄く早送りの映像を作らないといけないし
そんな映像を作ったとしても早すぎて何の映像なのか
全く理解できないはずなのです
時間が遅くなったのか?何かが早くなったのか?などと
悶々とする感じでしたが
恐らく頭の(心の?)クロック周波数、振動数が一時的に一気に上がった
のではないかと思うようになりました
それ以来人間の時間の定義とか感覚もいい加減なもんだなと思ったり
小さな生き物は相対的に人間より早い時間の世界で生きてるのかも?と思ったり
"(理解力)を抑制する代わりに、前者の感覚(純粋知覚)を高度化させるから"
確かに言われてみればこんなことが起こっているのかもしれませんね
おっしゃるようにほとんど理解とか解釈とか評価などの働きが
一切消えて、ただギューッと極限まで見つめる(感じる)だけですもんね
私は単純化していっつもおおざっぱに集中力って単語に纏めてしまってますけど(笑)
話は変わって時間の感覚について
時間の関連については他にも面白い話がありまして
小さい時間のドミノ倒しのような観察が起こるちょっと手前の話ですが
ほんの0.数秒の間に体感で数時間程の映像を見たこともありました
通常の意識に戻った後に、現実世界で同じ体験をしようとすると
物凄く早送りの映像を作らないといけないし
そんな映像を作ったとしても早すぎて何の映像なのか
全く理解できないはずなのです
時間が遅くなったのか?何かが早くなったのか?などと
悶々とする感じでしたが
恐らく頭の(心の?)クロック周波数、振動数が一時的に一気に上がった
のではないかと思うようになりました
それ以来人間の時間の定義とか感覚もいい加減なもんだなと思ったり
小さな生き物は相対的に人間より早い時間の世界で生きてるのかも?と思ったり
410356
2022/01/01(土) 06:44:08.00ID:m6ZzsalB >>409
そうした映像は基本的に過去の記憶か、記憶を主観的なイメージで変換したものだ。記憶の学術研究はまだまだ初歩の段階で不明な点が多いが、記憶の質は、基本的に知覚能力(全6感)の発達レベルと脳内の整理整頓状況によって決まる。
瞑想はこうしたセンサーの質の向上と脳内のガラクタ整理を同時に行う。
また、記憶を呼び出す際も、ガラクタをフィルタリングして脳内のメモリーバンクにより直接アクセスできるようになる。
人間のこうした知覚能力(無意識の高速センサーを含む)と記憶力は通常自分達が思っているより遥かに高い。催眠によって、忘れたと思っていた記憶を呼び出せるのはその一例だ。
このため、何か新しい事象を発見したというより、本来持っている能力を引き出したというほうが正しい。またアクセス速度も瞑想のような集中状況では非常に高速になる。
そうした映像は基本的に過去の記憶か、記憶を主観的なイメージで変換したものだ。記憶の学術研究はまだまだ初歩の段階で不明な点が多いが、記憶の質は、基本的に知覚能力(全6感)の発達レベルと脳内の整理整頓状況によって決まる。
瞑想はこうしたセンサーの質の向上と脳内のガラクタ整理を同時に行う。
また、記憶を呼び出す際も、ガラクタをフィルタリングして脳内のメモリーバンクにより直接アクセスできるようになる。
人間のこうした知覚能力(無意識の高速センサーを含む)と記憶力は通常自分達が思っているより遥かに高い。催眠によって、忘れたと思っていた記憶を呼び出せるのはその一例だ。
このため、何か新しい事象を発見したというより、本来持っている能力を引き出したというほうが正しい。またアクセス速度も瞑想のような集中状況では非常に高速になる。
411神も仏も名無しさん
2022/01/01(土) 14:24:06.47ID:srAdH9Ax 無明→行→識→名色→六処→触、受、愛、取、有、生、老死
人間はいつでも無明から始まっていて、喉元過ぎれば熱さ忘れて生きている
無明であることに無自覚だった者を罪悪甚重の凡夫と呼ぶのですよ
人間はいつでも無明から始まっていて、喉元過ぎれば熱さ忘れて生きている
無明であることに無自覚だった者を罪悪甚重の凡夫と呼ぶのですよ
412神も仏も名無しさん
2022/01/02(日) 19:13:08.18ID:/uzNMFSs 十二縁起って
なんで識のあとに身体が出来上がるのって飲み込めないまま
なんとなくの理解は
無明から欲望を満足したい意識が出て、欲望を求める叶えることを目的とした準備をする=身体が出来上がる。神経の働きや脳の働きがそうしようってだけに全力で働く状態になってる
なんやろかねぇ
って思ってる
自分ではそういう意味な気がしてるって思ってる
カチカチで崩れない自我意識ってもの自体が、無明=煩悩の親玉なんだろうなきっととも思ってる
なんで識のあとに身体が出来上がるのって飲み込めないまま
なんとなくの理解は
無明から欲望を満足したい意識が出て、欲望を求める叶えることを目的とした準備をする=身体が出来上がる。神経の働きや脳の働きがそうしようってだけに全力で働く状態になってる
なんやろかねぇ
って思ってる
自分ではそういう意味な気がしてるって思ってる
カチカチで崩れない自我意識ってもの自体が、無明=煩悩の親玉なんだろうなきっととも思ってる
413神も仏も名無しさん
2022/01/03(月) 02:51:50.92ID:XRFrrToQ >>405
そうですよね
"そこで初学者に試してほしいのは、身体を撫ぜることだ。"
これは瞑想の世界に入りたてのころは
やれと言われても、言葉でその狙いを説明されても
触ったら感覚を感じるけど当たり前じゃん?何言ってるの?
早くちゃんとした瞑想を教えて欲しい
となってしまうんですけど
一定以上の瞑想の段階になると なるほどってなりますね
扇子を目の前でパンと開いたり、手を打合せて大きな音を出してみせたりしても
最初は何の意味かわからないのと同じような感じです
思考が静まって(準備)、時間の捉え方が厳密になって(瞬間の感覚)、
現象を捉える視点の問題が整理されて(思い込みの排除)、
この辺が熟成してくるとって感じですね
そうですよね
"そこで初学者に試してほしいのは、身体を撫ぜることだ。"
これは瞑想の世界に入りたてのころは
やれと言われても、言葉でその狙いを説明されても
触ったら感覚を感じるけど当たり前じゃん?何言ってるの?
早くちゃんとした瞑想を教えて欲しい
となってしまうんですけど
一定以上の瞑想の段階になると なるほどってなりますね
扇子を目の前でパンと開いたり、手を打合せて大きな音を出してみせたりしても
最初は何の意味かわからないのと同じような感じです
思考が静まって(準備)、時間の捉え方が厳密になって(瞬間の感覚)、
現象を捉える視点の問題が整理されて(思い込みの排除)、
この辺が熟成してくるとって感じですね
414神も仏も名無しさん
2022/01/03(月) 03:23:15.07ID:XRFrrToQ >>412
このへんは理論と瞑想によって自覚できる体験にかなりの開きがあるような気がします
優れた修行者の一部には詳細にその流れを見られる人もいたのかもしれませんが
そこまではなかなか.....
egoの無い(と思われる)もっと小さな生物や単細胞生物にまで視野を広げると
大きなフレームで何となくシステムというか構造のイメージが湧いてくるかも
整理できた後に瞑想に向かう気持ちが大きくなればラッキーです
私はあんまり結論なんかは考えないようにしてるんですけど
瞑想を通して思うのは、とにかく
"内容は何でも良いので経験し続けること"
"経験を繰り返すこと"
この状態を永遠に維持するように生命はデザインされていると思いますね
そのための仕掛けが快・不快であったり世界を捉えるセンサーであったり
このへんは理論と瞑想によって自覚できる体験にかなりの開きがあるような気がします
優れた修行者の一部には詳細にその流れを見られる人もいたのかもしれませんが
そこまではなかなか.....
egoの無い(と思われる)もっと小さな生物や単細胞生物にまで視野を広げると
大きなフレームで何となくシステムというか構造のイメージが湧いてくるかも
整理できた後に瞑想に向かう気持ちが大きくなればラッキーです
私はあんまり結論なんかは考えないようにしてるんですけど
瞑想を通して思うのは、とにかく
"内容は何でも良いので経験し続けること"
"経験を繰り返すこと"
この状態を永遠に維持するように生命はデザインされていると思いますね
そのための仕掛けが快・不快であったり世界を捉えるセンサーであったり
415356
2022/01/03(月) 08:46:13.00ID:ntR/qbzy >>414
その通り、何かのエネルギーから理念や思念が生まれ、そうした理念や思考を通して行動が生まれて経験を積んでいく。経験の集積から価値があるエッセンスが蓄積され、仏教で言う智慧になっていく。
一人の人間もこれを繰り返して精神的な進化をしていくが、仏教で言うような想像上の終着点は無い。
輪廻があるとすれば(自分はあると思ってるが)、高度な進化や終着点は無く、永遠の進化や遥か高みの高度化があるだけで、宇宙全体も永遠の収縮と膨張を繰り返す。
また、あらゆる物質的、半物質的な振る舞いは414が言っているような、プラスとマイナスの法則から成り立っていて、感覚や感情の快不快や思考のポジティブ-ネガティブもその一つで、それごとに正確な跳ね返り(経験)を産む。
その通り、何かのエネルギーから理念や思念が生まれ、そうした理念や思考を通して行動が生まれて経験を積んでいく。経験の集積から価値があるエッセンスが蓄積され、仏教で言う智慧になっていく。
一人の人間もこれを繰り返して精神的な進化をしていくが、仏教で言うような想像上の終着点は無い。
輪廻があるとすれば(自分はあると思ってるが)、高度な進化や終着点は無く、永遠の進化や遥か高みの高度化があるだけで、宇宙全体も永遠の収縮と膨張を繰り返す。
また、あらゆる物質的、半物質的な振る舞いは414が言っているような、プラスとマイナスの法則から成り立っていて、感覚や感情の快不快や思考のポジティブ-ネガティブもその一つで、それごとに正確な跳ね返り(経験)を産む。
416356
2022/01/03(月) 08:52:27.77ID:ntR/qbzy あ、間違えた。高度な進化がある。
ちなみに、人間の内面の精神的な進化だけではない。それもその一つだがあらゆる生命がそのカテゴリー毎に生物学的、精神的に進化していく。
ちなみに、人間の内面の精神的な進化だけではない。それもその一つだがあらゆる生命がそのカテゴリー毎に生物学的、精神的に進化していく。
417神も仏も名無しさん
2022/01/03(月) 19:19:25.04ID:kIfsXRJl >>414
そう、理論と瞑想の開き、その流れ。経験が何らかの観念を包摂するには、その経験が当人に極端でないと、自前の経験でさ迷うのがオチかなと一般論で危惧する。「脳」という経験は知覚とは呼べないが、数多の知覚を従える権威を有している。こういった一々の固化した牙城を切り崩すの程の″良い経験″を万人が必然的に得られる保証があれば経験一元論として売れる。
そう、理論と瞑想の開き、その流れ。経験が何らかの観念を包摂するには、その経験が当人に極端でないと、自前の経験でさ迷うのがオチかなと一般論で危惧する。「脳」という経験は知覚とは呼べないが、数多の知覚を従える権威を有している。こういった一々の固化した牙城を切り崩すの程の″良い経験″を万人が必然的に得られる保証があれば経験一元論として売れる。
418神も仏も名無しさん
2022/01/05(水) 10:57:23.70ID:DYN7JI4r >>363
すいません、見落としてました
現在はだいぶんと瞑想もふにゃけてしまったんですが、
記述してあるような内容を体験・実践していた頃は
朝起きたと同時に
目が冷めた
寒さを感じている
腕が動いている
時計を目ている
こんな感じ(実況中継)にスタートしてこれを起きている間中でした
仕事中であろうが休日だろうが関係ありません
家に帰ってから呼吸の観察をじっくり1時間とかする場合もありました
大体こんな生活が2年前後ですかね
その前は観察系の瞑想の存在を知らなかったり
知った後でも観察系の瞑想は悟りから遠ざかって逆効果だ
みたいな偏見がありましたので
サマタ系の瞑想ばっかりやってました
こっちは6年以上ですけどサマタはかなり負担が大きかったので
できても一時間、必ず毎日という感じではなかったです
すいません、見落としてました
現在はだいぶんと瞑想もふにゃけてしまったんですが、
記述してあるような内容を体験・実践していた頃は
朝起きたと同時に
目が冷めた
寒さを感じている
腕が動いている
時計を目ている
こんな感じ(実況中継)にスタートしてこれを起きている間中でした
仕事中であろうが休日だろうが関係ありません
家に帰ってから呼吸の観察をじっくり1時間とかする場合もありました
大体こんな生活が2年前後ですかね
その前は観察系の瞑想の存在を知らなかったり
知った後でも観察系の瞑想は悟りから遠ざかって逆効果だ
みたいな偏見がありましたので
サマタ系の瞑想ばっかりやってました
こっちは6年以上ですけどサマタはかなり負担が大きかったので
できても一時間、必ず毎日という感じではなかったです
419神も仏も名無しさん
2022/01/05(水) 18:23:01.88ID:xdZXP3fo 仏道をならふといふは、自己をならふなり。自己をならふといふは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり
420356
2022/01/05(水) 20:41:49.66ID:e7JejzZf >>418
ありがとうございました。
よろしければ、サマタ瞑想での集中(没入沈潜)対象と、一回あたりの瞑想時間を教えてください。集中対象=どんなイメージもしくはマントラなどの音か、自分の脳内内部か自分の外の対象か、等。
ありがとうございました。
よろしければ、サマタ瞑想での集中(没入沈潜)対象と、一回あたりの瞑想時間を教えてください。集中対象=どんなイメージもしくはマントラなどの音か、自分の脳内内部か自分の外の対象か、等。
421神も仏も名無しさん
2022/01/06(木) 21:45:57.96ID:c3w0cDGa >>420
当時の私のコンセプトは究極の心身のリラックス=死
でしたので基本は対象を何も取らずにただじっとしている感じです
とはいっても慣れるまでは思考がチョロチョロ動くので
暗闇を凝視する、瞼の裏を凝視する、とか
瞑想の導入部分で真っ黒な世界に自分がボロボロと崩れていって
完全に無くなってしまうようなイメージなども使ってました
こんな感じです
当時の私のコンセプトは究極の心身のリラックス=死
でしたので基本は対象を何も取らずにただじっとしている感じです
とはいっても慣れるまでは思考がチョロチョロ動くので
暗闇を凝視する、瞼の裏を凝視する、とか
瞑想の導入部分で真っ黒な世界に自分がボロボロと崩れていって
完全に無くなってしまうようなイメージなども使ってました
こんな感じです
422神も仏も名無しさん
2022/01/06(木) 21:55:00.29ID:c3w0cDGa >>421 続き
時間を書くのを忘れていました
随分とサマタに慣れた頃の時間ですが、
大体45分から1時間といったところです
最初の15分から20分で体が無くなり
調子が良い(?)時には次の10分で意識が無くなり
10分から15分後ぐらいに意識が戻り
(無意識に寝ないといけない時間に意識が戻る)
ぼーっとしたまま寝るってサイクルでした
時間を書くのを忘れていました
随分とサマタに慣れた頃の時間ですが、
大体45分から1時間といったところです
最初の15分から20分で体が無くなり
調子が良い(?)時には次の10分で意識が無くなり
10分から15分後ぐらいに意識が戻り
(無意識に寝ないといけない時間に意識が戻る)
ぼーっとしたまま寝るってサイクルでした
423神も仏も名無しさん
2022/01/07(金) 02:53:02.64ID:h75fL1Fp >>399
苦諦は本当に難しいですよね
理論も実感もしっくりこないので一番難解な教えではないでしょうか
難しい原因の一つは誰がどの境地で語ったのかという問題があります
私の稚拙な推測では、仏陀が悟ったプロセスにおいて
過去世を見た際、何の意味もない繰り返しの人生の数々をはっきりと見て
もうあの繰り返しの状態には戻りたくないという気持ちが生まれたことが一つ
また阿羅漢などが瞑想のプロセスにおいて無常をはっきりとまざまざと認識した際、
本当に心から何かに執着したり、拘ったりするのは意味がない、苦しみの元だと
そのような気持ちが生まれるのがもう一つ
勝手な推測ですが、やはり瞑想に付随する大きな峠を超えた人々だけが
至る認識なのではと思います
まあ私達が理解しやすい意味での、思い通りにならない、不満足
という苦については人生経験や年齢などの個人差は大きいものの
まだ考察しやすいかなと思います
私が人によく話すのは、億万長者になって、素晴らしい異性のパートナーや
子供に恵まれて、多くの人から信頼され親友関係になって、
健康も問題なく、人が羨むような才能にも恵まれていて
おまけにテクノロジーの発展でほぼ不死に近い寿命も手に入れたとして
果たしてその人は何も見ず聞かず感じず想像せず、
何日も部屋の中でニコニコ笑顔でじっとしていられるだろうかという問いです
(食事やトイレは例外として)
苦諦は本当に難しいですよね
理論も実感もしっくりこないので一番難解な教えではないでしょうか
難しい原因の一つは誰がどの境地で語ったのかという問題があります
私の稚拙な推測では、仏陀が悟ったプロセスにおいて
過去世を見た際、何の意味もない繰り返しの人生の数々をはっきりと見て
もうあの繰り返しの状態には戻りたくないという気持ちが生まれたことが一つ
また阿羅漢などが瞑想のプロセスにおいて無常をはっきりとまざまざと認識した際、
本当に心から何かに執着したり、拘ったりするのは意味がない、苦しみの元だと
そのような気持ちが生まれるのがもう一つ
勝手な推測ですが、やはり瞑想に付随する大きな峠を超えた人々だけが
至る認識なのではと思います
まあ私達が理解しやすい意味での、思い通りにならない、不満足
という苦については人生経験や年齢などの個人差は大きいものの
まだ考察しやすいかなと思います
私が人によく話すのは、億万長者になって、素晴らしい異性のパートナーや
子供に恵まれて、多くの人から信頼され親友関係になって、
健康も問題なく、人が羨むような才能にも恵まれていて
おまけにテクノロジーの発展でほぼ不死に近い寿命も手に入れたとして
果たしてその人は何も見ず聞かず感じず想像せず、
何日も部屋の中でニコニコ笑顔でじっとしていられるだろうかという問いです
(食事やトイレは例外として)
424356
2022/01/07(金) 08:11:09.71ID:AmoXb0QJ 自分は苦の思想を殊更強調しそれらを忌み嫌う、するあらゆる宗教的思想や宣伝は大きな誤りだと思っています。これらはあまりに人間的解釈に偏っていて、それを後生大事に後世でも強調した僧や宗派にも大いに責任があります。
自然、仏教的な言葉を借りればダンマではあらゆる事柄や本来事象はバランスが取れています。例えば、四苦のうち、生老死は生命にとって極々自然な事であり生死を繰り返すことにより生物は進化します。
また、八苦についても人間は別離や出会い、ツールとしての五蘊や感情を通じて成長して経験を積んでいきます。それらも自然であるおろか、むしろ成長や進化にとっては必要な事です。
仏陀の生存時にはクシャトリア階級であった仏陀が賎民達の衛生や生活状態を見て哀れみから何とか彼らの気持ちを救いたいと思って語ったのかもしれません。その関係性の中ではいみがあったかもしれませんが。
自然、仏教的な言葉を借りればダンマではあらゆる事柄や本来事象はバランスが取れています。例えば、四苦のうち、生老死は生命にとって極々自然な事であり生死を繰り返すことにより生物は進化します。
また、八苦についても人間は別離や出会い、ツールとしての五蘊や感情を通じて成長して経験を積んでいきます。それらも自然であるおろか、むしろ成長や進化にとっては必要な事です。
仏陀の生存時にはクシャトリア階級であった仏陀が賎民達の衛生や生活状態を見て哀れみから何とか彼らの気持ちを救いたいと思って語ったのかもしれません。その関係性の中ではいみがあったかもしれませんが。
425356
2022/01/07(金) 08:17:43.64ID:AmoXb0QJ 従って、本来悩む必要が無いものを、どっかに深い意味があると思って何とか悩もうとしている、という妙で滑稽な状況が仏教的な苦だと思います。
勿論、あらゆるバランスを欠いた思考や激昂などの行き過ぎた感情、無意味な耽溺から来る虚無感、病での痛みなどは苦しみですが、前者であれば節度を持って律するべきだし、後者であれば科学や医学をより高度に発達させて行くべきです。
勿論、あらゆるバランスを欠いた思考や激昂などの行き過ぎた感情、無意味な耽溺から来る虚無感、病での痛みなどは苦しみですが、前者であれば節度を持って律するべきだし、後者であれば科学や医学をより高度に発達させて行くべきです。
427神も仏も名無しさん
2022/01/07(金) 18:14:57.43ID:6wNOUJPw >>424
その見解はある程度智慧を見出した人の見解でしょう?
そうでないド凡夫に対しての教え(世俗諦)が「苦」の概念なんじゃ?
もし「これは真理でない、ダルマの一側面を表していない」としてどんどんと否定あるいは切り捨てしていったら、世俗から仏道に至るために取り付く島もなくなっちゃうよ
その見解はある程度智慧を見出した人の見解でしょう?
そうでないド凡夫に対しての教え(世俗諦)が「苦」の概念なんじゃ?
もし「これは真理でない、ダルマの一側面を表していない」としてどんどんと否定あるいは切り捨てしていったら、世俗から仏道に至るために取り付く島もなくなっちゃうよ
428356
2022/01/07(金) 18:58:07.82ID:AmoXb0QJ もし仏陀が、「世界は苦だけでは無い、苦もあるが楽もありバランスが取れている。平等に見なさい。」と最初に教えていたらどうだったでしょう?
仏道という「世俗を捨てる道」「宗教を信じること」と、世界や自然の真の有り様は同じでは無いと思います。
仏道という「世俗を捨てる道」「宗教を信じること」と、世界や自然の真の有り様は同じでは無いと思います。
429神も仏も名無しさん
2022/01/08(土) 01:39:02.99ID:yP5uNAG1 まあとにかく苦の問題は難しいです
瞑想や生き方に結びついて思索しないとただの観念論で終わりますしね
一つ言えるのは苦の捉え方については個人差が非常に大きいということがあります
自分でも何故だかわからないが、若い時から焦燥感があり、世間で価値があると
思われているものには興味がない
人生は上手くいっているし、恵まれているが、偽りの人生を生きている気がしてならない
何かを求めているのは自覚があるが、それが何なのか全く見当がつかない
しかし、もの凄く大切な何かを解決するために生まれてきた確信だけはある
物心ついたときからこのようなモヤに覆われ、なおかつ世間的な努力や
欲望をある程度達成し終えて、出口が見つからず閉塞感でいっぱいの人もいます
人間の寿命が1000年あったとして、100歳の人と900歳の人では
同じ大人の容姿でも楽しく感じること、苦しく感じることは当然違ってくるでしょう
もし、輪廻転生があったならば同じように見える二人の赤ちゃんも
過去の経験によって将来、楽しいこと、苦しいことの感じ方が違うかもしれません
まあ兎に角、力いっぱい出来る限り何事にも遠慮せず命を燃やして生きるしかありません
どのくらい先になるかはわかりませんが、経験が積み上がった時、
自ずと答えが出るでしょう
瞑想や生き方に結びついて思索しないとただの観念論で終わりますしね
一つ言えるのは苦の捉え方については個人差が非常に大きいということがあります
自分でも何故だかわからないが、若い時から焦燥感があり、世間で価値があると
思われているものには興味がない
人生は上手くいっているし、恵まれているが、偽りの人生を生きている気がしてならない
何かを求めているのは自覚があるが、それが何なのか全く見当がつかない
しかし、もの凄く大切な何かを解決するために生まれてきた確信だけはある
物心ついたときからこのようなモヤに覆われ、なおかつ世間的な努力や
欲望をある程度達成し終えて、出口が見つからず閉塞感でいっぱいの人もいます
人間の寿命が1000年あったとして、100歳の人と900歳の人では
同じ大人の容姿でも楽しく感じること、苦しく感じることは当然違ってくるでしょう
もし、輪廻転生があったならば同じように見える二人の赤ちゃんも
過去の経験によって将来、楽しいこと、苦しいことの感じ方が違うかもしれません
まあ兎に角、力いっぱい出来る限り何事にも遠慮せず命を燃やして生きるしかありません
どのくらい先になるかはわかりませんが、経験が積み上がった時、
自ずと答えが出るでしょう
430神も仏も名無しさん
2022/01/08(土) 03:33:14.55ID:Ap3jPTql 仏陀の説く一切皆苦を理解するには一切は無常ということに尽きる
苦であろうと楽であろうとそれらはみな無常であり安定もなくゴールもない
一切はただただ変化し生じ滅するだけである
それらは人にとって執着すべきものではなくどうでもいいこと、つまり人にとって苦である
そして苦に対して誰がどういう解釈をしようと結論付けようとそれもまたただの思考や思いであり無常でしかない
では一切の執着をなくしたときに人はどうなるのか
それを知りたい者だけが一切を苦とみなし全てに執着しないように修行していけばいい
苦であろうと楽であろうとそれらはみな無常であり安定もなくゴールもない
一切はただただ変化し生じ滅するだけである
それらは人にとって執着すべきものではなくどうでもいいこと、つまり人にとって苦である
そして苦に対して誰がどういう解釈をしようと結論付けようとそれもまたただの思考や思いであり無常でしかない
では一切の執着をなくしたときに人はどうなるのか
それを知りたい者だけが一切を苦とみなし全てに執着しないように修行していけばいい
431神も仏も名無しさん
2022/01/08(土) 03:36:41.76ID:Ap3jPTql 本来無我である人がそれらによって自分は個人だという錯覚(無明)を持ってしまうがゆえに一切は苦であるという言い方もできるかもしれないね
人は存在するあらゆる一切のせいで無明になってしまう
無明の原因となる一切全ては苦である
人は存在するあらゆる一切のせいで無明になってしまう
無明の原因となる一切全ては苦である
432神も仏も名無しさん
2022/01/08(土) 05:30:05.62ID:gDOefsT4 人間は自分は正しい、という前提で世の中を掴みたがるもの
例えば家族に怒られた時に湧き上がってくる言い訳の量、ってのにはだいたいみんなすごいものがある
それは人を言い負かしたい時に出てくるルサンチマンの熱量みたいなもんで、もう人間の生きる気力みたいなもんだよねこれ
自己弁護のためには仏法さえ利用してポリコレ棒みたいにしようとするのが人間ですもの
四諦八正道が備わってない人にしか四諦八正道は認識されないし必要とされないもんじゃない?
例えば家族に怒られた時に湧き上がってくる言い訳の量、ってのにはだいたいみんなすごいものがある
それは人を言い負かしたい時に出てくるルサンチマンの熱量みたいなもんで、もう人間の生きる気力みたいなもんだよねこれ
自己弁護のためには仏法さえ利用してポリコレ棒みたいにしようとするのが人間ですもの
四諦八正道が備わってない人にしか四諦八正道は認識されないし必要とされないもんじゃない?
433356
2022/01/08(土) 10:18:17.64ID:HrC+Vaee どんな人でもその人なりの苦悩や焦燥感を持っていることは同感というか当然です。物理的生命を持つもの(相対的な世界に生きるもの)にとってはそれが自然だからです。人によってその苦しみは受け取り方も違うし、傍目から見た時の大小と本人の受け取り方も大きく違います。
言っているのは、あらゆる宗教が苦しみを強調し、安易に来世とか空想の境地をすぐに手に入れることが出来ると宣伝するという点です。たかだか数年とか数十年瞑想したとしても無くなるわけではありません。
この点に関しては仏教も例外ではなく、現に、ある程度の境地なるものに達したはずの僧侶達もこうした苦を人間的解釈で強調し、バランスをとれた教え方を過去2000年来してきていません。
言っているのは、あらゆる宗教が苦しみを強調し、安易に来世とか空想の境地をすぐに手に入れることが出来ると宣伝するという点です。たかだか数年とか数十年瞑想したとしても無くなるわけではありません。
この点に関しては仏教も例外ではなく、現に、ある程度の境地なるものに達したはずの僧侶達もこうした苦を人間的解釈で強調し、バランスをとれた教え方を過去2000年来してきていません。
434神も仏も名無しさん
2022/01/08(土) 11:57:42.50ID:YNaKU7sJ 最近やっとテーラガーター読んだが
昔々、ブッダが死んでちょっと経った時点ですでに
「ブッダがおられたころと違って結構みんないい加減になっとるわ。地位や知識の高さを求めるし誇るし
俺が正しい俺の解釈が正しいと言い合ったり
もうほんとどうなってんのよ」
っていきなりあってびっくりしたわ
昔々、ブッダが死んでちょっと経った時点ですでに
「ブッダがおられたころと違って結構みんないい加減になっとるわ。地位や知識の高さを求めるし誇るし
俺が正しい俺の解釈が正しいと言い合ったり
もうほんとどうなってんのよ」
っていきなりあってびっくりしたわ
435神も仏も名無しさん
2022/01/08(土) 13:07:01.66ID:B/vUpHCV 無常や苦が″受け取り方″だろうか。
436356
2022/01/08(土) 15:24:05.63ID:BxtlneKz 無常は現象や事象の有り様(法則性)を単にあるがまま説明したもので、縁起や因果も同様です。
苦に関しては、単なる現象(というか本来生命の進化にとって必要なもの)を人間的な感覚でネガティブに捉えたものと、人間の知覚感覚や精神活動上で苦しいと認識することがあると思います。
こうした法則性や生老死は単純な自然の法則性や生命にとって必要なものでその意味ではニュートラルもしくはポジティブに捉えるべきものです。
一方、精神活動から来る苦しさは人間の精神活動の中の、特に感情領域で受け止めますが、人間の精神活動が高度化するほど繊細な感情(多様な苦しさ)捉えられるようになります。例えば、愛という概念もかつては性愛、慈愛などが中心だったでしょうが、複雑化、細分化しています。
苦しみが何かという感情や感覚の受け取り方はより多様になっていくのが自然だと思います。
苦に関しては、単なる現象(というか本来生命の進化にとって必要なもの)を人間的な感覚でネガティブに捉えたものと、人間の知覚感覚や精神活動上で苦しいと認識することがあると思います。
こうした法則性や生老死は単純な自然の法則性や生命にとって必要なものでその意味ではニュートラルもしくはポジティブに捉えるべきものです。
一方、精神活動から来る苦しさは人間の精神活動の中の、特に感情領域で受け止めますが、人間の精神活動が高度化するほど繊細な感情(多様な苦しさ)捉えられるようになります。例えば、愛という概念もかつては性愛、慈愛などが中心だったでしょうが、複雑化、細分化しています。
苦しみが何かという感情や感覚の受け取り方はより多様になっていくのが自然だと思います。
437神も仏も名無しさん
2022/01/08(土) 15:38:01.22ID:F2f3djaz 分岐する解釈は受け取めてないのではないか。
愛は満たされただろうか。
愛は満たされただろうか。
438神も仏も名無しさん
2022/01/08(土) 21:11:00.48ID:nEAfcPWa 諸々の縁を仏縁と頂くにあたっては、在家仏教こそが一番苦しい道だよね
まともに取り合うと人間のメンタルを一番苦しめるのが家族とも言えるわけだから
まともに取り合うと人間のメンタルを一番苦しめるのが家族とも言えるわけだから
439神も仏も名無しさん
2022/01/08(土) 23:38:38.22ID:yP5uNAG1 これを言ってしまうと元も子もないんですが
お釈迦様が悟った際に、人に教えを説くのを
ためらった話があるように
本当の意味で仏教に関わりを持つ人というのは
僧侶でもなく、学者でもなく、信徒でもなく
お釈迦様の話に心がビンビン反応し始めた
人のことなんですよね
エリートや特別な人という意味でなく、
そこまで上ってきた人、そこまで落ちてきた人
そこに至る経験を積み重ねた人
色んな言い方ができるかもしれません
準備が整った人 聞く準備ができた人
本来的にかなり狂気の教えですし普通は受け入れがたい教えです
ですから準備が整う人というのは元々超少数なんです
そういう人たち専用の最終兵器、最後の薬、治療法
そう考えても良いかもしれません
もちろん将来そうなってしまうであろう未だそうでない人達が
長い間路頭に迷わないよう
種を植えるような意味で教えをチラチラ聞かせておく
という有用性はあるとは思いますが
真理はどうだ、本意はどうだという視点の他に
こんな考え方もできます
ぐだぐだ言うんじゃねえ、テメーはホントに助かりてぇのか?
じゃあ四の五の言わずにヤレ!
俺は困って集った奴らを治療しただけで、外の人間に何かを語った
つもりはねぇ! みたいな(笑)
お釈迦様が悟った際に、人に教えを説くのを
ためらった話があるように
本当の意味で仏教に関わりを持つ人というのは
僧侶でもなく、学者でもなく、信徒でもなく
お釈迦様の話に心がビンビン反応し始めた
人のことなんですよね
エリートや特別な人という意味でなく、
そこまで上ってきた人、そこまで落ちてきた人
そこに至る経験を積み重ねた人
色んな言い方ができるかもしれません
準備が整った人 聞く準備ができた人
本来的にかなり狂気の教えですし普通は受け入れがたい教えです
ですから準備が整う人というのは元々超少数なんです
そういう人たち専用の最終兵器、最後の薬、治療法
そう考えても良いかもしれません
もちろん将来そうなってしまうであろう未だそうでない人達が
長い間路頭に迷わないよう
種を植えるような意味で教えをチラチラ聞かせておく
という有用性はあるとは思いますが
真理はどうだ、本意はどうだという視点の他に
こんな考え方もできます
ぐだぐだ言うんじゃねえ、テメーはホントに助かりてぇのか?
じゃあ四の五の言わずにヤレ!
俺は困って集った奴らを治療しただけで、外の人間に何かを語った
つもりはねぇ! みたいな(笑)
440神も仏も名無しさん
2022/01/09(日) 04:31:36.78ID:U+iy8u/P 仏陀の言葉の解釈はその人のステージで変る
自分の中に価値観や概念の捉われがあればあるだけそれを通したズレた解釈しかできない
自分が仏陀の言葉を理解していると奢らずにまずはただただ自分の執着をなくしていくことが大事
自分の中に価値観や概念の捉われがあればあるだけそれを通したズレた解釈しかできない
自分が仏陀の言葉を理解していると奢らずにまずはただただ自分の執着をなくしていくことが大事
441神も仏も名無しさん
2022/01/09(日) 21:13:52.11ID:Mk0F+4wm > っていきなりあってびっくりしたわ
人間なんてたった数十年の存在なんよね
未知の世界にポンと生まれてきて一生が終わったらまた雲散霧消していく
二千年経っても人間は人間なんやね
人間なんてたった数十年の存在なんよね
未知の世界にポンと生まれてきて一生が終わったらまた雲散霧消していく
二千年経っても人間は人間なんやね
442神も仏も名無しさん
2022/01/09(日) 23:05:16.45ID:ziB3ikGH >>430
自分に言い聞かせてるようでは、ズレて、滅苦も、自分に言い聞かせてるレベルにとどまるのでは。
自分に言い聞かせてるようでは、ズレて、滅苦も、自分に言い聞かせてるレベルにとどまるのでは。
443神も仏も名無しさん
2022/01/10(月) 00:30:02.90ID:vBbwsYX/ >>438
このあたりの話も凄く面白いところですね
人間が真剣になる場面とはどういう時なのかと考えると、
追い詰められた時とか、逃げ場がない状況で
立ち向かわなければいけない時、ということがよくあるので
何かを決心したり誓いを立てたりするには一番恵まれた状況
と逆に考えることもできます
しかし悲惨すぎて飛び出す人、平凡に耐えきれなくて飛び出す人
悲惨に押しつぶされる人、平凡を受け入れる人と色々ですもんね
仏教的には業ということになるんでしょうけど
要は誰にもよくわからんということです
未来はその人次第、と簡単に言ってしまいそうになりますが、
難しいですね
このあたりの話も凄く面白いところですね
人間が真剣になる場面とはどういう時なのかと考えると、
追い詰められた時とか、逃げ場がない状況で
立ち向かわなければいけない時、ということがよくあるので
何かを決心したり誓いを立てたりするには一番恵まれた状況
と逆に考えることもできます
しかし悲惨すぎて飛び出す人、平凡に耐えきれなくて飛び出す人
悲惨に押しつぶされる人、平凡を受け入れる人と色々ですもんね
仏教的には業ということになるんでしょうけど
要は誰にもよくわからんということです
未来はその人次第、と簡単に言ってしまいそうになりますが、
難しいですね
444神も仏も名無しさん
2022/01/10(月) 00:43:30.01ID:18buOADt すみません。
1つ教えて欲しいのですが、
仏教で真理を目指す道で、
世界へ目を向けてその道理を探求していく方法と、
己の内面に目を向けて自己の内部を探求していく方法の2つが有るとか言う、
考えが有った様な気がするんですが、誰かこれについて知ってる人は居るでしょうか?
知ってるならばこれを専門用語でなんと言うか、
又はソースに成るようなサイトとか教えて下さい。
お願いします。
1つ教えて欲しいのですが、
仏教で真理を目指す道で、
世界へ目を向けてその道理を探求していく方法と、
己の内面に目を向けて自己の内部を探求していく方法の2つが有るとか言う、
考えが有った様な気がするんですが、誰かこれについて知ってる人は居るでしょうか?
知ってるならばこれを専門用語でなんと言うか、
又はソースに成るようなサイトとか教えて下さい。
お願いします。
445神も仏も名無しさん
2022/01/10(月) 12:43:53.46ID:cf/Vd6Pi 見解が大きく二つに分かれていて、面白い。とても重要なところだと思う。
446356
2022/01/10(月) 13:17:01.62ID:Ilnj4ycx 人の一生の大まかな地図は予め描かれているけれど、日々の一挙手一投足の選択はあくまで本人次第。全部が既定なわけじゃないわね。
今の自分有り様は過去の自分の選択の結果で、そこには原因と結果、因果の法則と、縁起、時間的な関係性から必然的に生まれてきたものがあるだけだわ。たとえ過去に善でも悪でも、自分が成した行為は自己の内部で消化されて様々な角度から自己反省され智慧になっていく。
人の深奥にはそうした生来の平衡的な意識があるからだ。
人間を縛り付けるような信賞必罰や因果応報的な処罰的な解釈は違うと思う。
今の自分有り様は過去の自分の選択の結果で、そこには原因と結果、因果の法則と、縁起、時間的な関係性から必然的に生まれてきたものがあるだけだわ。たとえ過去に善でも悪でも、自分が成した行為は自己の内部で消化されて様々な角度から自己反省され智慧になっていく。
人の深奥にはそうした生来の平衡的な意識があるからだ。
人間を縛り付けるような信賞必罰や因果応報的な処罰的な解釈は違うと思う。
447神も仏も名無しさん
2022/01/10(月) 14:24:20.15ID:cf/Vd6Pi 個人的な経験ですが、数多の宗教者と問答すると>>440>>430が基本になっている。「捉われ」とは、「仏教」とは何ぞ。
448神も仏も名無しさん
2022/01/10(月) 17:16:07.12ID:Y7UejED0 >>445
凄く面白いところではあるんですけど
答えを出すような話でもないんですよね
まず全人類共通の例外がない真実であるかわかりません
生命全般 宇宙人まで含めると更に謎です
ですから有意義なことがあるとすれば
こういう話題に触れて自分に照らし合わせて考えるとか
瞑想でちょっと真剣に確かめてみようとか
そうなった時にはじめてちょっと役に立つというか
純粋に持家派か賃貸派か?みたいにトークバトルとして
面白くて意味があるっていうのも全く否定はしませんけど
それに将来 違うタイプの仏陀が現れて
苦しみを強調しない時代に即した天才的な導き方を
考案するかもしれません
凄く面白いところではあるんですけど
答えを出すような話でもないんですよね
まず全人類共通の例外がない真実であるかわかりません
生命全般 宇宙人まで含めると更に謎です
ですから有意義なことがあるとすれば
こういう話題に触れて自分に照らし合わせて考えるとか
瞑想でちょっと真剣に確かめてみようとか
そうなった時にはじめてちょっと役に立つというか
純粋に持家派か賃貸派か?みたいにトークバトルとして
面白くて意味があるっていうのも全く否定はしませんけど
それに将来 違うタイプの仏陀が現れて
苦しみを強調しない時代に即した天才的な導き方を
考案するかもしれません
449神も仏も名無しさん
2022/01/10(月) 17:36:31.93ID:8f7X7QrX ひとつ問題なのは苦という語句を自分の定義で捉え、その上で苦に関して解釈してしまうこと
つまり言葉の意味という執着を持ったまま結論をつけようとしてしまっている
簡単に言えば言葉には意味があるという捉われが外れれば全てが苦と言われてもそもそも苦などないと言われてもそれらは矛盾せず同じことであり同じように納得がいく
概念や捉われや思考は何でもないものを何かと何かに分ける
何かと何かに分かれる前の、言葉に意味もないその前の、何でもない何だとも言えないものを、それを探すのでもなく、それがただ現われることが、起こらなければいけない
つまり言葉の意味という執着を持ったまま結論をつけようとしてしまっている
簡単に言えば言葉には意味があるという捉われが外れれば全てが苦と言われてもそもそも苦などないと言われてもそれらは矛盾せず同じことであり同じように納得がいく
概念や捉われや思考は何でもないものを何かと何かに分ける
何かと何かに分かれる前の、言葉に意味もないその前の、何でもない何だとも言えないものを、それを探すのでもなく、それがただ現われることが、起こらなければいけない
450356
2022/01/10(月) 17:48:40.07ID:6UVIVPGY 過去2000年、様々な宗教が生まれ、いつの間にか消えていったものもあるけど、これからまた2000年かけてそういった宗教や誤った教えがゆっくりと融解して本当の生命哲学が醸成されていくと思うけど。そういった生命哲学には輪廻の真実、思考や感情のコントロールの仕方、人間の精神的進化などが科学的に徐々に解明されていくことが含まれる。
信仰という刷り込みが深く根を下ろしている分融解するのには数百年とか数千年とかいうオーダの時間がかかるとは思う。
逆にいうと、三大宗教はたかだかニ千年、二千数百年の歴史しかない。仏教にしても、一応仏陀の教えに近いと言われるテラワーダが西洋や日本でクローズアップされたのはたかだか20年くらいでしかない。
信仰という刷り込みが深く根を下ろしている分融解するのには数百年とか数千年とかいうオーダの時間がかかるとは思う。
逆にいうと、三大宗教はたかだかニ千年、二千数百年の歴史しかない。仏教にしても、一応仏陀の教えに近いと言われるテラワーダが西洋や日本でクローズアップされたのはたかだか20年くらいでしかない。
451神も仏も名無しさん
2022/01/10(月) 18:25:39.17ID:8zMXfCVN もっと発展した妄想をすると
テクノロジーの進歩や生命倫理の変化によって
生命の機械化やDNAの操作
薬物治療や手術その他諸々の手段によって
「昔は苦しいって感情が人間にはあったんだって」
「文献によると胸のあたりがギューって
なる人が多かったらしい」
「そのギューがわかんないわ」
「そうだよね 今はみんな生まれた時に治療されるもんね」
みたいなことがあるかもしれません
まあ危険を感じないので絶滅に弱くなるとか
そういう細かいことは置いておいて
あくまで思考実験ですけど
テクノロジーの進歩や生命倫理の変化によって
生命の機械化やDNAの操作
薬物治療や手術その他諸々の手段によって
「昔は苦しいって感情が人間にはあったんだって」
「文献によると胸のあたりがギューって
なる人が多かったらしい」
「そのギューがわかんないわ」
「そうだよね 今はみんな生まれた時に治療されるもんね」
みたいなことがあるかもしれません
まあ危険を感じないので絶滅に弱くなるとか
そういう細かいことは置いておいて
あくまで思考実験ですけど
452神も仏も名無しさん
2022/01/10(月) 18:28:28.09ID:cf/Vd6Pi453神も仏も名無しさん
2022/01/10(月) 18:31:53.17ID:cf/Vd6Pi >>451
ロボトミーでもよさそうですね。
ロボトミーでもよさそうですね。
454神も仏も名無しさん
2022/01/10(月) 18:38:35.80ID:cf/Vd6Pi >>448>>449一個ずつずれてました。いずれにしても、参考になります。そこらへん関心あります。
455356
2022/01/10(月) 21:01:03.90ID:yCGqEayM >>451
恐らく寿命ももっと伸びて、神話にあるような太古の本来の寿命、数百年とかになるかもしれませんね。また、痛みという意味での苦も医療の発達によって相当緩和されたり、再生技術も大幅に進歩し、大半の臓器が人工的に培養再生できるようになっていると思います。
並行して、人間の精神性や人間の価値とは何かが改めて問われ、研究されるようになると思います。
本来はそこで宗教の果たす役割が大きくあるべきですが、精神活動や輪廻が科学的に研究され、徐々に解明されていくと思います。
恐らく寿命ももっと伸びて、神話にあるような太古の本来の寿命、数百年とかになるかもしれませんね。また、痛みという意味での苦も医療の発達によって相当緩和されたり、再生技術も大幅に進歩し、大半の臓器が人工的に培養再生できるようになっていると思います。
並行して、人間の精神性や人間の価値とは何かが改めて問われ、研究されるようになると思います。
本来はそこで宗教の果たす役割が大きくあるべきですが、精神活動や輪廻が科学的に研究され、徐々に解明されていくと思います。
456神も仏も名無しさん
2022/01/10(月) 21:42:22.08ID:8f7X7QrX 苦を感じなくなることで苦がなくなるなら死ねばいいだけのことになります
死ねば苦を感じないし苦はなくなる
しかし死ぬのは嫌だというのは、それは生を手放したくないからでしょう
では何故人は生を手放したくないのか
それは思考や判断をする自己自身が生の上に成り立っている(と自己自身が思い込んでる)からであり
実際には生を手放したくないという思いにより自己そのものが想定されその自己が自分自身と自分の見た世界という対象全てを作り出している
自己が生を手放したくないという思いに捉われている限り自己を失いたくないという苦から逃れられない
生きたまま苦が感じなくなるとしたらそれは苦がなくなったのではなく、苦を感じないようにしただけで、例えば麻酔で感覚を麻痺しているのと同じことでしょう
生きていて自分が存在している限り、それを失いたくないという苦が根底にあるからです
つまり凡夫にとって自己とは苦それ自体であり、そこから生じるいまここに存在するはずの自分も世界も苦を通したものに過ぎません
今でも薬やドラッグを使えば苦を感じなくなることは可能です
寿命までそれを続ければいいだけです
でも人はそれをしない
一切は苦であるという言い方の立場に立つならこのような言い方もできるでしょう
苦が何であるかは生や自己という捉われがある程度なくなってこないと見えてきません
日々執着をなくしていけば生への捉われも少なくなっていきわかることはわかっていくでしょう
死ねば苦を感じないし苦はなくなる
しかし死ぬのは嫌だというのは、それは生を手放したくないからでしょう
では何故人は生を手放したくないのか
それは思考や判断をする自己自身が生の上に成り立っている(と自己自身が思い込んでる)からであり
実際には生を手放したくないという思いにより自己そのものが想定されその自己が自分自身と自分の見た世界という対象全てを作り出している
自己が生を手放したくないという思いに捉われている限り自己を失いたくないという苦から逃れられない
生きたまま苦が感じなくなるとしたらそれは苦がなくなったのではなく、苦を感じないようにしただけで、例えば麻酔で感覚を麻痺しているのと同じことでしょう
生きていて自分が存在している限り、それを失いたくないという苦が根底にあるからです
つまり凡夫にとって自己とは苦それ自体であり、そこから生じるいまここに存在するはずの自分も世界も苦を通したものに過ぎません
今でも薬やドラッグを使えば苦を感じなくなることは可能です
寿命までそれを続ければいいだけです
でも人はそれをしない
一切は苦であるという言い方の立場に立つならこのような言い方もできるでしょう
苦が何であるかは生や自己という捉われがある程度なくなってこないと見えてきません
日々執着をなくしていけば生への捉われも少なくなっていきわかることはわかっていくでしょう
457356
2022/01/10(月) 22:01:08.24ID:yCGqEayM 自分達が生きている物質世界は相対的な世界であって、あらゆる精神的な活動においても必ずプラス的側面とマイナス的側面を受け取ります。プラスだけ、マイナスだけというわけではありません。
苦と楽、快不快、愛憎などは、平衡的に世界に存在しており、どちらか一方が完全に消滅したりはしないかと。
もし片方の極しかなければ、あらゆる物質や精神活動は一点に急速に収束してしまいます。
苦と楽、快不快、愛憎などは、平衡的に世界に存在しており、どちらか一方が完全に消滅したりはしないかと。
もし片方の極しかなければ、あらゆる物質や精神活動は一点に急速に収束してしまいます。
458神も仏も名無しさん
2022/01/11(火) 00:49:00.81ID:N/WwfTOn >>457
そうですよね
まあ人間も粒子の集まった機械と考えた場合には
不快に関係する部分を徹底的に切り取ってしまえば
もっと簡単に言うとアンドロイドを作る時に
快だけの回路を作って不快の回路を作らなければ
思考実験的には可能なんですが、脱線し過ぎなので置いておくとして
"もし片方の極しかなければ、あらゆる物質や精神活動は一点に急速に収束してしまいます。"
私の好みに勝手にちょっと改造して書き直すと
"もし片方の極しかなければ、それはもはや極では無くなり、変化は起こらず
あらゆる現象(一切)は一点に急速に収束してしまいます。"
あれ?これって涅槃では?? みたいな(適当)
そうですよね
まあ人間も粒子の集まった機械と考えた場合には
不快に関係する部分を徹底的に切り取ってしまえば
もっと簡単に言うとアンドロイドを作る時に
快だけの回路を作って不快の回路を作らなければ
思考実験的には可能なんですが、脱線し過ぎなので置いておくとして
"もし片方の極しかなければ、あらゆる物質や精神活動は一点に急速に収束してしまいます。"
私の好みに勝手にちょっと改造して書き直すと
"もし片方の極しかなければ、それはもはや極では無くなり、変化は起こらず
あらゆる現象(一切)は一点に急速に収束してしまいます。"
あれ?これって涅槃では?? みたいな(適当)
459神も仏も名無しさん
2022/01/11(火) 01:29:31.67ID:ny/D8Gq2 何らかの活動を評価して苦だと仏教は考えない。それもまた分析なのだから、無常を捉えれば、生は苦と評価してしまう。
460356
2022/01/11(火) 09:17:39.03ID:0p6RLWUj >>458
はい。
人間は長大な時間をかけて物理的肉体を持たなくても良いような精神活動だけの生命進化を遂げる可能性はあります(あくまで個々の人間であって、地球上の人間存在全てが、ということではなく)
その時間的オーダーは数千万年とか億年に渡るもので、少しの修行(長くてもたかだか百年とか)で簡単に「解脱」できるとする仏教や東洋哲学の時間的オーダーは誤りだと思います。
仮に非物理的な存在になったとしても、そこもあくまで相対的な世界だと思います。「判断」や「画像的イメージや表現」「感情」「音」などがある世界は非物理的なイメージの世界(微細な世界)であっても依然相対性(善悪、苦楽、快不快など)が存在します。
先にに述べた絶対性(相対性のない単一世界)が存在するのは、収縮、爆発、膨張を繰り返す宇宙の、爆発以前の眠りのような状態だと思います。
はい。
人間は長大な時間をかけて物理的肉体を持たなくても良いような精神活動だけの生命進化を遂げる可能性はあります(あくまで個々の人間であって、地球上の人間存在全てが、ということではなく)
その時間的オーダーは数千万年とか億年に渡るもので、少しの修行(長くてもたかだか百年とか)で簡単に「解脱」できるとする仏教や東洋哲学の時間的オーダーは誤りだと思います。
仮に非物理的な存在になったとしても、そこもあくまで相対的な世界だと思います。「判断」や「画像的イメージや表現」「感情」「音」などがある世界は非物理的なイメージの世界(微細な世界)であっても依然相対性(善悪、苦楽、快不快など)が存在します。
先にに述べた絶対性(相対性のない単一世界)が存在するのは、収縮、爆発、膨張を繰り返す宇宙の、爆発以前の眠りのような状態だと思います。
461神も仏も名無しさん
2022/01/11(火) 13:51:09.36ID:N/WwfTOn >>460
壮大なSFのような話に発展していって
なかなか知的好奇心をくすぐられます
まあお話をどの視点から捉えるか、どこまでの確度を求めるのか
によって納得の度合いも異なるので
目的によって仏教との付き合い方も異なってくるかと思います
私なんかの場合は徹底的に
この嫌な不安や気持ちは実際減ったの?苦しみは減ったの?
ということだけが指標なので、超能力が発現して空を飛べるようになったり
森羅万象全ての謎が瞑想で感得できたとしても
来週にある面倒なイベントが面倒だと感じたままならば
空飛ぶのも真理も意味ないじゃん!!って感じです。
教えと方法論はあくまで特定の一種の生物(人間)用なので
実用的にもの凄く楽になって苦しみ(人間が知覚できるレベルの)が無くなった
それだけで充分なのでは思います
なにせチンパンジーにさえほとんど役に立たず、カブトムシやアメーバに至っては
コミュニケーションも絶望的です
ちなみにお釈迦様の生きている間に議論があったのかはしりませんが
仏教内でも私達が考える程度のSF的な話はとっくの昔に想定されている
みたいですよ
かなりいい加減な記憶ですが、解脱一歩手前の段階で留まってしまった場合は
いわゆる人間的な苦しみはもうないし、生まれないが、最後の欲求を解決するための
状態に入ってそれこそ、何千年とか何億年とか?を経た後に解脱するとか
マジかよーって感じです(汗)
壮大なSFのような話に発展していって
なかなか知的好奇心をくすぐられます
まあお話をどの視点から捉えるか、どこまでの確度を求めるのか
によって納得の度合いも異なるので
目的によって仏教との付き合い方も異なってくるかと思います
私なんかの場合は徹底的に
この嫌な不安や気持ちは実際減ったの?苦しみは減ったの?
ということだけが指標なので、超能力が発現して空を飛べるようになったり
森羅万象全ての謎が瞑想で感得できたとしても
来週にある面倒なイベントが面倒だと感じたままならば
空飛ぶのも真理も意味ないじゃん!!って感じです。
教えと方法論はあくまで特定の一種の生物(人間)用なので
実用的にもの凄く楽になって苦しみ(人間が知覚できるレベルの)が無くなった
それだけで充分なのでは思います
なにせチンパンジーにさえほとんど役に立たず、カブトムシやアメーバに至っては
コミュニケーションも絶望的です
ちなみにお釈迦様の生きている間に議論があったのかはしりませんが
仏教内でも私達が考える程度のSF的な話はとっくの昔に想定されている
みたいですよ
かなりいい加減な記憶ですが、解脱一歩手前の段階で留まってしまった場合は
いわゆる人間的な苦しみはもうないし、生まれないが、最後の欲求を解決するための
状態に入ってそれこそ、何千年とか何億年とか?を経た後に解脱するとか
マジかよーって感じです(汗)
462356
2022/01/11(火) 15:10:09.03ID:4X0GlbPk >>461
はい。
まず、動物、植物、および知的生命(人間型生命)の精神世界には大きな隔たりがあり、進化の過程でそれぞれの発達段階や最終地点を目指すと思われるため、完全なコミュニケーションは出来ません。ただし、東洋で気とか経穴の中を流れると言われるような流動力によって不完全ながらコミュニケーションは可能です。また、動物は感情と低位の知能形態も持ち合わせていますので低いレベルの感情的交流は可能です。
次に、仏教の宇宙論と精神(心)の分析や教えについてですが、このスレとのテーマとは異なりますが、それら詳細に記述されている、華厳経、具捨論、唯識論あたりを指しているのでしょうか。
例えば、精神進化を例にとってみると、こうした著述も因果の関係性、縁起の相関関係などは詳細に述べているものの、生きていく(さらには精神的進化に必要である)最も重要な、思考や思念のコントロール(ハンドリング)利用の仕方、意識、思考、感情といったものの本来の価値や性質について言及していません。
はい。
まず、動物、植物、および知的生命(人間型生命)の精神世界には大きな隔たりがあり、進化の過程でそれぞれの発達段階や最終地点を目指すと思われるため、完全なコミュニケーションは出来ません。ただし、東洋で気とか経穴の中を流れると言われるような流動力によって不完全ながらコミュニケーションは可能です。また、動物は感情と低位の知能形態も持ち合わせていますので低いレベルの感情的交流は可能です。
次に、仏教の宇宙論と精神(心)の分析や教えについてですが、このスレとのテーマとは異なりますが、それら詳細に記述されている、華厳経、具捨論、唯識論あたりを指しているのでしょうか。
例えば、精神進化を例にとってみると、こうした著述も因果の関係性、縁起の相関関係などは詳細に述べているものの、生きていく(さらには精神的進化に必要である)最も重要な、思考や思念のコントロール(ハンドリング)利用の仕方、意識、思考、感情といったものの本来の価値や性質について言及していません。
463356
2022/01/11(火) 15:29:41.19ID:4X0GlbPk なお、人間的生命も、人間的生命が物理的な形態を離れる(仏教的にいう解脱)直前の半物理的生命であったとしても、相対的なプラスマイナス、ポジティブネガティブの両面が存在する世界から逃れることはできないと思います。
正確には、「逃れることができない」というより、生命ー精神は進化のためにはそれら両方が絶対に必要だからです。
正確には、「逃れることができない」というより、生命ー精神は進化のためにはそれら両方が絶対に必要だからです。
464神も仏も名無しさん
2022/02/01(火) 12:46:50.20ID:WsR4Z8oY どうして思想を他人に広めるんだ?
465神も仏も名無しさん
2022/02/02(水) 19:22:17.40ID:tGxiz10k バカだからじゃね?
466神も仏も名無しさん
2022/02/04(金) 07:09:06.29ID:+wNlROGd467神も仏も名無しさん
2022/02/04(金) 08:32:09.73ID:/5BGD86R 神格化されてないお釈迦様の言葉を知りたい気持ちはある
468神も仏も名無しさん
2022/02/11(金) 03:17:39.77ID:i5UpwHc5 南伝大蔵経の律蔵第五巻は
どのような内容か、知っている方教えて下さい。
検索しても目次が見つからなくて。
どのような内容か、知っている方教えて下さい。
検索しても目次が見つからなくて。
469神も仏も名無しさん
2022/02/11(金) 03:19:29.17ID:i5UpwHc5 スレと趣旨が違ったらごめんね
470神も仏も名無しさん
2022/02/13(日) 00:23:29.47ID:auFV/0qd 瞑想によって我なんて無いということを悟ると宇宙に溶け込むというか宇宙と一体化するというか私は宇宙であり宇宙は私であるという感覚になっていくのでしょうか?
471神も仏も名無しさん
2022/02/13(日) 00:40:37.80ID:M/udypIj472神も仏も名無しさん
2022/02/13(日) 01:18:07.24ID:LJPpUt3P >>471
おお、ありがとうございます。
おお、ありがとうございます。
473神も仏も名無しさん
2022/02/13(日) 18:36:34.92ID:U2WX/D4X 涅槃に至る確証は言語のみならず、身体反応においても行われ、教義、教派といった意識的な体系、メソッド化した瞑想の出来不出来すら、心のバランス、自在と拮抗することになるだろう。
474神も仏も名無しさん
2022/02/19(土) 09:00:11.08ID:TDyL9f9F 我という思い我がものという思いを滅するための具体的な方法が説かれてない気がするけど
五戒を守って瞑想してたら自然とそうなるとかいう投げやりな方法なの?
八正道とか言われるけど
正しい見解正しい思考
について具体的に言われてないよね
有身見、戒禁取見、とりあえずこの二つははっきり邪見だというのは説かれてる範囲にある思うけども
そのための方法はないよね
戒禁取見はともかく、有身見なんか
「ハイ分かりました」って何か説法聞いて瞑想してるからってだけでできる代物じゃないわ
五戒を守って瞑想してたら自然とそうなるとかいう投げやりな方法なの?
八正道とか言われるけど
正しい見解正しい思考
について具体的に言われてないよね
有身見、戒禁取見、とりあえずこの二つははっきり邪見だというのは説かれてる範囲にある思うけども
そのための方法はないよね
戒禁取見はともかく、有身見なんか
「ハイ分かりました」って何か説法聞いて瞑想してるからってだけでできる代物じゃないわ
475神も仏も名無しさん
2022/02/19(土) 15:56:09.27ID:6vbS9GlG 諸兄をさしおいて確信めいたことを言うつもりはありませんが、心境の変化は自然におこると思います。それも個人差があるでしょう。しつこく考えつづけて変化する事実。例えば、貴方がまったく正しいとしても、それを我執と感じるセンスとか。些細な兆候を見逃さずに、精進しましょう。
476神も仏も名無しさん
2022/02/19(土) 17:43:18.85ID:Yd17fitj >>474
このことは本当に疑問に感じると思います
原因はこれまで生きてきた理解や発見
その方法が思考によるからなんです
実際には現象についての無常や無我や苦を
匂わせる示唆する
そういう方向の指導があるので
これは思考によってその方向に促されていきます
なんとなくそうかな 言われてみればそうかも
みたいに
ですが本質は悟りの瞬間の体験です
それまでどんなに素直に先生の教えを聞いて
無常無我苦だと洗脳されていたとしても
体験の瞬間に自分が思っていた理解と全く異なる
本当のそれを体験します
逆にいうと
瞑想をすると喧嘩が強くなると嘘を教えられ
それを信じて強烈に瞑想を成し遂げた場合でも
瞑想方が正しければ悟ってしまいます
本人の思考は関係無い
そういう方法なんです
このことは本当に疑問に感じると思います
原因はこれまで生きてきた理解や発見
その方法が思考によるからなんです
実際には現象についての無常や無我や苦を
匂わせる示唆する
そういう方向の指導があるので
これは思考によってその方向に促されていきます
なんとなくそうかな 言われてみればそうかも
みたいに
ですが本質は悟りの瞬間の体験です
それまでどんなに素直に先生の教えを聞いて
無常無我苦だと洗脳されていたとしても
体験の瞬間に自分が思っていた理解と全く異なる
本当のそれを体験します
逆にいうと
瞑想をすると喧嘩が強くなると嘘を教えられ
それを信じて強烈に瞑想を成し遂げた場合でも
瞑想方が正しければ悟ってしまいます
本人の思考は関係無い
そういう方法なんです
477神も仏も名無しさん
2022/02/19(土) 18:23:19.42ID:6vbS9GlG >>476
理解します。実際に経を得て脳が書き変わるのは速やかと教える師は、その為のプログラムを所有していると推察しますし、事実、速やかに安寧に到達してしまう人もいて、その原因は正誤に対応するとは限らない「体験」に対する感受性だろうと考えますが、その上で、この質問者のような人もいて、一言に臥せば疑り深く論を経た証でなければ我見を捨てないタイプなのだろうと思います。このような、どのように書き変わるかすら把握して悟る方法を探求する哲学者もいて、その姿勢が「体験」に反するとは思わないので、進めたらよいと考えます。
理解します。実際に経を得て脳が書き変わるのは速やかと教える師は、その為のプログラムを所有していると推察しますし、事実、速やかに安寧に到達してしまう人もいて、その原因は正誤に対応するとは限らない「体験」に対する感受性だろうと考えますが、その上で、この質問者のような人もいて、一言に臥せば疑り深く論を経た証でなければ我見を捨てないタイプなのだろうと思います。このような、どのように書き変わるかすら把握して悟る方法を探求する哲学者もいて、その姿勢が「体験」に反するとは思わないので、進めたらよいと考えます。
478神も仏も名無しさん
2022/02/19(土) 19:03:11.36ID:/6/ajA0l 何にも執着するなというのが全て
執着をなくしていけば今までわからなかった細かい執着もわかってくる
その細かい執着をなくしていけばより微細な執着が見えてくる
その執着をなくして…
とやれることやることがわかっているのだからまずはそれをやるのみ
経典にどう書いてあるだのどういう意味だのそういうことは執着があるから考えてしまうこと
やることやれることがあるのだからまずそれをこなしてからでいい
執着まみれのうちは経典読んでも真意などわからないのだから
八正道も執着がなくなっていけば自然と守るようになってくる
執着をなくしていけば今までわからなかった細かい執着もわかってくる
その細かい執着をなくしていけばより微細な執着が見えてくる
その執着をなくして…
とやれることやることがわかっているのだからまずはそれをやるのみ
経典にどう書いてあるだのどういう意味だのそういうことは執着があるから考えてしまうこと
やることやれることがあるのだからまずそれをこなしてからでいい
執着まみれのうちは経典読んでも真意などわからないのだから
八正道も執着がなくなっていけば自然と守るようになってくる
479神も仏も名無しさん
2022/02/19(土) 19:35:51.68ID:Yd17fitj >>477
実際の現場では師弟関係によるところが
かなり大きいと思います
どんな人に対しても教えの形を多彩に変えて
惹きつけ導く天才教師も稀にいらっしゃるでしょうし
その時の弟子の心理状態にピタッと合った
主張をしている教師が急激にやる気を導くかもしれません
経典に正確に記述があるかどうかより
この人の言うことなら信じてやってみよう
そういう人間関係が作用する場面が多いのではと思います
ですが瞑想の道はどちらにせよ
本当のことを知らずにはいられない または
苦しみから逃れたい など
原動力となるエネルギーの大きさがなければ
進みようもありません
ですからエネルギーが大きければ
正誤や正邪や吟味は横に置いておいて
あの先生に自分の話を聞いて欲しい
先生に疑問をぶつけたい
昔からこのような展開が王道だと思います
稀に余程エネルギーが大きい人が哲学や
思索から悟りに至る場合もあるかと思いますが
それはその人限定のスペシャルな現象で
他人に教えるのは瞑想以上に難しいだろうな
と想像しますね
実際の現場では師弟関係によるところが
かなり大きいと思います
どんな人に対しても教えの形を多彩に変えて
惹きつけ導く天才教師も稀にいらっしゃるでしょうし
その時の弟子の心理状態にピタッと合った
主張をしている教師が急激にやる気を導くかもしれません
経典に正確に記述があるかどうかより
この人の言うことなら信じてやってみよう
そういう人間関係が作用する場面が多いのではと思います
ですが瞑想の道はどちらにせよ
本当のことを知らずにはいられない または
苦しみから逃れたい など
原動力となるエネルギーの大きさがなければ
進みようもありません
ですからエネルギーが大きければ
正誤や正邪や吟味は横に置いておいて
あの先生に自分の話を聞いて欲しい
先生に疑問をぶつけたい
昔からこのような展開が王道だと思います
稀に余程エネルギーが大きい人が哲学や
思索から悟りに至る場合もあるかと思いますが
それはその人限定のスペシャルな現象で
他人に教えるのは瞑想以上に難しいだろうな
と想像しますね
480神も仏も名無しさん
2022/02/19(土) 19:42:43.95ID:6vbS9GlG 執着するなまでが思考、それを実感するのが体験。経は導きではないかと思いますが、別の選択があるならば、なかなか体験に移行できない人にこそ論があるのだから、進むしかないのでは?
481神も仏も名無しさん
2022/02/19(土) 19:55:04.22ID:6vbS9GlG482神も仏も名無しさん
2022/02/19(土) 21:06:20.62ID:/6/ajA0l 自分がいて自分に何かが起こっていることだけしか自分にはわからないのだから自分を調べるだけなのだけどね
自分に起こっている感覚や状態を果たして自分は判断できるだろうか?何らかの判断を下すことは正しいのだろうか?
自分に判断する能力や根拠がないのかもしれないと思えれば外部から何かを教わろうとは思わない
自分は何かを判断できる存在だと思いその想像に執着する者は外部に興味を持ち外部から何かを教わろうとする
自分に起こっている感覚や状態を果たして自分は判断できるだろうか?何らかの判断を下すことは正しいのだろうか?
自分に判断する能力や根拠がないのかもしれないと思えれば外部から何かを教わろうとは思わない
自分は何かを判断できる存在だと思いその想像に執着する者は外部に興味を持ち外部から何かを教わろうとする
483神も仏も名無しさん
2022/02/19(土) 22:34:22.84ID:6vbS9GlG 感覚を判断することが可能で、且つそれが正しいかは、前提を必要とする話だけれども、外部には常に接しているからこそ、こういう会話も成立し、悟りを導く言葉を考えたりする、ただ、世界が考えた通りにあるかは、考えでは完結しないだろうと思います。
484神も仏も名無しさん
2022/02/20(日) 08:54:02.62ID:IsT4TGg1 簡単なはなし、無我だと思ってすらいなければ、納得することもないが、感覚的に我が得られなければ、思う必要すらない。そこまでもっていくだけ。
485神も仏も名無しさん
2022/02/20(日) 22:05:52.10ID:xE+FLTw2 だから言葉上では、「無価値を発見することに価値がある」と言えます。でも、すべては無価値だと発見したところで、無価値という言葉も必要なくなります。悟りの境地は言葉では説明できないのです。ただ、悟った人はすごく安らかなこころでいるということは確かです。こころが穏やかで落ち着いて、ひとかけらも悩むことがないならば、それこそ、ありがたいのではないですか。
https://j-theravada.net/dhamma/q&a/gimon102/
これ書いたのスマナサーラ長老?
言ってることがスマナサーラ長老が散々批判していた維摩経とほぼ同じなのだが?
これって維摩経の不二論でしょう?
https://j-theravada.net/dhamma/q&a/gimon102/
これ書いたのスマナサーラ長老?
言ってることがスマナサーラ長老が散々批判していた維摩経とほぼ同じなのだが?
これって維摩経の不二論でしょう?
486神も仏も名無しさん
2022/02/21(月) 17:51:08.59ID:GHdvlUl2 何でもかんでも無価値なんて事はないと思うけどね。
総じて物質的なものは所詮模倣できたり、すぐに朽ち果てたりして移ろいやすいので価値が低いってのはわかるけど、人間の深奥の創造性や過去の経験の蓄積である智慧の集積には価値があると思うが。
仏教はそれを言葉であえて説明しないのか、その価値そのものを解ってないのかがよくわからんが。
総じて物質的なものは所詮模倣できたり、すぐに朽ち果てたりして移ろいやすいので価値が低いってのはわかるけど、人間の深奥の創造性や過去の経験の蓄積である智慧の集積には価値があると思うが。
仏教はそれを言葉であえて説明しないのか、その価値そのものを解ってないのかがよくわからんが。
487神も仏も名無しさん
2022/02/21(月) 17:55:53.34ID:Q8qGvNAs 価値というのはあくまで人間視点での概念にすぎず流動的なものであり無常なので
ざっくり言えば価値があるとみんなが思ってるから価値があるだけでみんなが価値がないと思えば価値などない
そんなもの
ざっくり言えば価値があるとみんなが思ってるから価値があるだけでみんなが価値がないと思えば価値などない
そんなもの
488神も仏も名無しさん
2022/02/21(月) 18:03:04.78ID:GHdvlUl2 あと、執着という言葉にそれこそ固執しすぎて、記憶とか思考とかの人間の精神作用を軽んじたり、果ては悪のように扱ったりもしてしまう。
瞑想やってると、執着はオバケのような異様性のような大したもんではなく単なる心の癖、それどころか身体の癖に結びついた思考だったりする。ただ、癖を癖と理解するためには普段から心身と思考を点検して客観化する必要はある。
馬鹿馬鹿しい、どっちかっていうと乱痴気騒ぎ的な幼稚な思考回路を好む今の社会では、平静を保った客観化を普段から行うのは難しいけど。
瞑想やってると、執着はオバケのような異様性のような大したもんではなく単なる心の癖、それどころか身体の癖に結びついた思考だったりする。ただ、癖を癖と理解するためには普段から心身と思考を点検して客観化する必要はある。
馬鹿馬鹿しい、どっちかっていうと乱痴気騒ぎ的な幼稚な思考回路を好む今の社会では、平静を保った客観化を普段から行うのは難しいけど。
489神も仏も名無しさん
2022/02/21(月) 18:13:33.03ID:GHdvlUl2 >>487
そうだね。
もしかしたら人間的解釈や道徳的善の尺度ではいくら何でもこりゃ無価値だろうと思う事に真の価値が有るかもしれない。
生物界の弱肉強食とか淘汰とかその典型で、感傷的な人道家からは忌み嫌われるが、自然はそれでバランスを取り生命の存続を促す。
そうだね。
もしかしたら人間的解釈や道徳的善の尺度ではいくら何でもこりゃ無価値だろうと思う事に真の価値が有るかもしれない。
生物界の弱肉強食とか淘汰とかその典型で、感傷的な人道家からは忌み嫌われるが、自然はそれでバランスを取り生命の存続を促す。
490神も仏も名無しさん
2022/02/21(月) 18:58:54.10ID:XdG5hQ4v 神秘体験する気配の欠片もない集中力のなさだから、逆に魔境の心配とか全くない
491神も仏も名無しさん
2022/02/21(月) 21:58:19.27ID:X9fHIHKz 瞑想もまた分別になるし、考えも考えで完結しない。我が作られるプロセスを、物質として捉えようとするが、科学を科学以外で答えるのは無理というものだ。
492神も仏も名無しさん
2022/02/22(火) 14:53:06.39ID:jgV5KYq1 自分らしく生きる、そのために瞑想するんだ。
493神も仏も名無しさん
2022/02/22(火) 16:58:03.43ID:3VAn1otT494神も仏も名無しさん
2022/02/22(火) 17:04:13.00ID:3VAn1otT 端的に言ってしまえば自身の「慢」を見過ごしているように思える
他者は評せず莫妄想!(自戒)
他者は評せず莫妄想!(自戒)
495神も仏も名無しさん
2022/02/23(水) 17:03:28.18ID:bXT+6VTB これは充分わかっていることかもしれませんが
何らかの価値観や執着を抱えたまま
瞑想に取り組むのは全く問題ないです
どうしても普段の学習や思索で
執着を減らしたり正確に現象を理解できるようになってから
瞑想が進むと思われがちですが
どちらかというと集中力が一定期間続いた
禅定状態での観察が段階を進ませます
その期間に無思考で自身の何かにずっと集中するので
単に考え事をする暇がなく
一時的にその期間無執着の状態になるか
または執着している
自分の状態が鋭く把握できるというだけのことです
もちろん日々の思索で現象の見方を変えていくことも
大事なことだとは思いますが
一番自分を苦しめているような執着に限って
思考でどうにかしようとしても全く歯が立ちません
色んな執着や考えが落ちるのは
瞑想で段階を超えた後です
どちらかというと自分が何を掴んでいるのかを
観察で把握する方が大事かもしれません
思索も瞑想もバランス良くが良いと思います
何らかの価値観や執着を抱えたまま
瞑想に取り組むのは全く問題ないです
どうしても普段の学習や思索で
執着を減らしたり正確に現象を理解できるようになってから
瞑想が進むと思われがちですが
どちらかというと集中力が一定期間続いた
禅定状態での観察が段階を進ませます
その期間に無思考で自身の何かにずっと集中するので
単に考え事をする暇がなく
一時的にその期間無執着の状態になるか
または執着している
自分の状態が鋭く把握できるというだけのことです
もちろん日々の思索で現象の見方を変えていくことも
大事なことだとは思いますが
一番自分を苦しめているような執着に限って
思考でどうにかしようとしても全く歯が立ちません
色んな執着や考えが落ちるのは
瞑想で段階を超えた後です
どちらかというと自分が何を掴んでいるのかを
観察で把握する方が大事かもしれません
思索も瞑想もバランス良くが良いと思います
496神も仏も名無しさん
2022/02/23(水) 19:18:20.62ID:4tH9XeeU 理屈の後に観察がないと駄目だろうね。
497神も仏も名無しさん
2022/02/25(金) 04:50:06.88ID:BB3mqPNE 自分がナニヲしたがってるか、見逃して心の負担になってることもあるから、どこまで考えナニヲ観察するのか、野生の目を研ぎ澄まさなければならない。
498神も仏も名無しさん
2022/02/27(日) 06:50:15.38ID:VjwQtJ82 しかし四向四果の存在は検証されたものではなく、戻らない苦の身は期待イラストレーションだよ。あの世から帰った人がいないように、素直に見れば世界には苦が刹那生まれ続ける。
では、どこから来たのか?因果は在り、どこへ行くのかの想念を持つが、物質に従って還らないという事実は存在しない。因果は無限に続くことを我々に見せているのみだ。
永遠に輪廻するのは間違いない。もちろん、それに目的もなく対処していくしかないのだが。
ただ、運命論という論があったように思うが、救われることはなく、予定説で回り続けるなら、今ここに生きている間に与えられた業を果たせなければならない。
それは、貴方にしかできない一回生だ。
では、どこから来たのか?因果は在り、どこへ行くのかの想念を持つが、物質に従って還らないという事実は存在しない。因果は無限に続くことを我々に見せているのみだ。
永遠に輪廻するのは間違いない。もちろん、それに目的もなく対処していくしかないのだが。
ただ、運命論という論があったように思うが、救われることはなく、予定説で回り続けるなら、今ここに生きている間に与えられた業を果たせなければならない。
それは、貴方にしかできない一回生だ。
499神も仏も名無しさん
2022/02/28(月) 09:50:15.80ID:nbwWUbdN 自我こそ自分を一番苦しめ傷つけることを瞑想を通して何度も確認してそうだって思い知ってるはずなのに
自我を大事に大事にしてるの意味わからぬ
自分が大事なら自我こそ放棄すべきやろと頭でなるのに大事に大事に抱えとる
自我を大事に大事にしてるの意味わからぬ
自分が大事なら自我こそ放棄すべきやろと頭でなるのに大事に大事に抱えとる
500神も仏も名無しさん
2022/03/02(水) 07:33:02.70ID:8lyAS64E 思考や感情は道具で、それを使って自分の外界と関わり経験を通して智慧を積む。道具は道具に過ぎないので、過度に固執したりするのは意味がないが、かといってそれなしには生きられないので逆に後世の仏教のように排除したり切り捨てたりすべきじゃない。どっちも極端なだけだ。
もう一つ、自分とは何かという境界線を、過ぎ去った過去の思考や感情(自我)と錯覚することで不自然が生まれる。大抵の人が自分の境界線を勘違いしている。(勘違いさせるような教育やまことしやかな人生訓が受け継がれてきたからね)
もう一つ、自分とは何かという境界線を、過ぎ去った過去の思考や感情(自我)と錯覚することで不自然が生まれる。大抵の人が自分の境界線を勘違いしている。(勘違いさせるような教育やまことしやかな人生訓が受け継がれてきたからね)
502488
2022/03/02(水) 07:46:41.78ID:8lyAS64E >>493
レスをありがとう。(上のレス、書き込まなくて送っちゃいました)
488では、自我を過度に軽んじて抑圧したり、かといって過度に重視して自分そのものと錯覚したりせず、適度な距離感で制御することが必要だと言いたいの。
適度な距離を保つためには瞑想や八正道の実践が重要。釈迦もそういうことが言いたかったのでは。
おどろおどろしい六道輪廻思想や、仏法僧三位一体の実践教義なんかでそこらへんをよくわからなくしちゃってるが。
レスをありがとう。(上のレス、書き込まなくて送っちゃいました)
488では、自我を過度に軽んじて抑圧したり、かといって過度に重視して自分そのものと錯覚したりせず、適度な距離感で制御することが必要だと言いたいの。
適度な距離を保つためには瞑想や八正道の実践が重要。釈迦もそういうことが言いたかったのでは。
おどろおどろしい六道輪廻思想や、仏法僧三位一体の実践教義なんかでそこらへんをよくわからなくしちゃってるが。
503神も仏も名無しさん
2022/03/02(水) 09:36:04.05ID:Dj7Z8Qbp 是非お聞きしたいんですけど、
最澄が説いた知・情・意とは、
簡単に解釈すれば、
知って、情けに感じて、意志を発動させる
と言うだけですか?
知と智の仏学的使い分けがイマイチわかりません。
確かに、辞書で調べると、知と智は明確に意味が違うようですし、
ブッダの、正しく知るという教えもありますが、
この正知と、正智深谷高校の正智は、やはり意味違いますよね?
最澄が説いた知・情・意とは、
簡単に解釈すれば、
知って、情けに感じて、意志を発動させる
と言うだけですか?
知と智の仏学的使い分けがイマイチわかりません。
確かに、辞書で調べると、知と智は明確に意味が違うようですし、
ブッダの、正しく知るという教えもありますが、
この正知と、正智深谷高校の正智は、やはり意味違いますよね?
504神も仏も名無しさん
2022/03/02(水) 10:31:42.65ID:GJc911g4 最澄が説いた知・情・意の意味は最澄に聞かないとわからないだろうね
そしてあなたに最澄が知・情・意の意味を話したとしてもあなたが分かるのは最澄が説いた知・情・意の意味ではなく
最澄から発せられた知・情・意の意味の文面だけだろうね
それでも意味を考えたいなら意味というものにどういう意味があるのかと自分がなぜ意味を求めるのかが先かもね
そしてあなたに最澄が知・情・意の意味を話したとしてもあなたが分かるのは最澄が説いた知・情・意の意味ではなく
最澄から発せられた知・情・意の意味の文面だけだろうね
それでも意味を考えたいなら意味というものにどういう意味があるのかと自分がなぜ意味を求めるのかが先かもね
505神も仏も名無しさん
2022/03/02(水) 10:55:07.22ID:Dj7Z8Qbp >>504
言葉の意味というのなら、
最澄が覚悟したそのものということでしょう。
それ以外はないはずです。だって、仏者、仏道者、仏学者なのですから。
それ以外の、つまり、仏典を読んで推理しただけなら、
はっきり言って私達とやっていることは変わりません。
自分が意味を求める理由・・・
ただの知りたがりです・・・だめですねそんなんじゃあ。
うーん、知情意は、
おそらく、智という言葉を使ってないことからも、
知的作用全般、
つまり、
一番怖いのは、
知性が知性らしくなくなり、体力が体力らしくなくなることだから、
知が大事で、
それと同じ理屈で、
情けと、意も、
無くちゃならないから持ちなさいということかな・・・
まあ、ブッダを知りたいのならば、また、
西方浄土に行きたいのならば、また、
人として生きていく上で、
最低限、
知情意を持たなければならないよということでしょうか・・・?
空海は、きっと、
知、情けよりも、
肉体、また心音、つまり本音、口、真言を大事にしなさいよと言いたかったのでしょうか?
心の底に、仏的御本霊、仏的御本神がいるんですよね?
まあ、解釈は無限にできるし、上者には上者の覚悟がありますが、
最澄と空海の御神霊的位置は一体どこに位置してるんですかね?
恐らく、最澄は第九識までしか説いて無く、空海は第十識をわかったということは、
やはり、現実世界に生きている限り、
肉体が大事なのではないでしょうか?
一切は身の上のこと前五識が本ですもんね。仏教って言ったって。
私は、最澄のほうが母親役で優しい存在と思いますが、
次元レベルでは弘法大師の方が上に思ってます。
言葉の意味というのなら、
最澄が覚悟したそのものということでしょう。
それ以外はないはずです。だって、仏者、仏道者、仏学者なのですから。
それ以外の、つまり、仏典を読んで推理しただけなら、
はっきり言って私達とやっていることは変わりません。
自分が意味を求める理由・・・
ただの知りたがりです・・・だめですねそんなんじゃあ。
うーん、知情意は、
おそらく、智という言葉を使ってないことからも、
知的作用全般、
つまり、
一番怖いのは、
知性が知性らしくなくなり、体力が体力らしくなくなることだから、
知が大事で、
それと同じ理屈で、
情けと、意も、
無くちゃならないから持ちなさいということかな・・・
まあ、ブッダを知りたいのならば、また、
西方浄土に行きたいのならば、また、
人として生きていく上で、
最低限、
知情意を持たなければならないよということでしょうか・・・?
空海は、きっと、
知、情けよりも、
肉体、また心音、つまり本音、口、真言を大事にしなさいよと言いたかったのでしょうか?
心の底に、仏的御本霊、仏的御本神がいるんですよね?
まあ、解釈は無限にできるし、上者には上者の覚悟がありますが、
最澄と空海の御神霊的位置は一体どこに位置してるんですかね?
恐らく、最澄は第九識までしか説いて無く、空海は第十識をわかったということは、
やはり、現実世界に生きている限り、
肉体が大事なのではないでしょうか?
一切は身の上のこと前五識が本ですもんね。仏教って言ったって。
私は、最澄のほうが母親役で優しい存在と思いますが、
次元レベルでは弘法大師の方が上に思ってます。
506神も仏も名無しさん
2022/03/02(水) 11:03:18.63ID:Dj7Z8Qbp 御魂、如意宝珠とは、
輪廻転生そのものですよね。
しかし、よく弘法大師は第十識なんてわかったなあ・・・
それから、
第十識も、転じる必要性があるんでしょうかね?
天命を全うしたら、あとは自由、ご神仏てき遊びになると思うので、
きっと転じるのでしょう・・・
輪廻転生そのものですよね。
しかし、よく弘法大師は第十識なんてわかったなあ・・・
それから、
第十識も、転じる必要性があるんでしょうかね?
天命を全うしたら、あとは自由、ご神仏てき遊びになると思うので、
きっと転じるのでしょう・・・
507神も仏も名無しさん
2022/03/02(水) 11:04:37.04ID:Dj7Z8Qbp 聖とは聖観音、
正とは正観音ということなのでしょう・・・
正とは正観音ということなのでしょう・・・
508神も仏も名無しさん
2022/03/02(水) 11:14:09.64ID:Dj7Z8Qbp 古道廃れて大道有り
大道廃れて道徳有り
道徳廃れて仁義あり
だと思いますよ
下から上に登るべきなのか、
上から下に降ってったほうが早いかは、
わかりませんが、
古道が時代とともに廃れていくのは致し方ないことですし、
道徳も神器の道も廃れていくものですが、
唯一大道だけは廃れませんね。
神道とは、
つまり神の道ですが、
結局は仏たちもいずれは神上がりされるだろうから、
やはり、神道を上に置き且つ本としないと。
大道廃れて道徳有り
道徳廃れて仁義あり
だと思いますよ
下から上に登るべきなのか、
上から下に降ってったほうが早いかは、
わかりませんが、
古道が時代とともに廃れていくのは致し方ないことですし、
道徳も神器の道も廃れていくものですが、
唯一大道だけは廃れませんね。
神道とは、
つまり神の道ですが、
結局は仏たちもいずれは神上がりされるだろうから、
やはり、神道を上に置き且つ本としないと。
509神も仏も名無しさん
2022/03/02(水) 11:14:45.71ID:Dj7Z8Qbp 仁義の道
510神も仏も名無しさん
2022/03/02(水) 11:25:15.53ID:Dj7Z8Qbp 大人が3歳の魂に立ち帰るだけでいいんじゃないでしょうかね?
子供というものは、
知識と経験がないだけで、
なんでも分かるし、
何でもできますよね?
観念がないわけだから、
御神魂。
子供というものは、
知識と経験がないだけで、
なんでも分かるし、
何でもできますよね?
観念がないわけだから、
御神魂。
511神も仏も名無しさん
2022/03/02(水) 11:48:59.51ID:bDdT4qmU >>503
最澄はともかく、人間の精神活動を、5感感覚、知性、感情および意志あたりに分類して洞察するっていう分析は正しいと思う。
知は基本的には身の回りの事象の背後にある自然や宇宙の原理や法則性といったもの洞察しながら理解する力で、本来は悟性と言っても良い。もっとも、破壊的な知性というのもあり得る。
感情は単なる感覚を超えて発達し、自と他の関係性を直感的に捉えたり修正したりするような力だ。
知性も感情もどこまでも高度化し発達には際限が無い。
一方で智慧は全身全霊、すなわち感情、知性、意志を働かせて生きた(行動した)結果の人生や歴史の総体的なフィードバックだ。生きた結果そのものが智慧として生まれ蓄積される。単なる頭の中のみで閉じた精神活動で生み出されたものじゃないと思うよ。
最澄はともかく、人間の精神活動を、5感感覚、知性、感情および意志あたりに分類して洞察するっていう分析は正しいと思う。
知は基本的には身の回りの事象の背後にある自然や宇宙の原理や法則性といったもの洞察しながら理解する力で、本来は悟性と言っても良い。もっとも、破壊的な知性というのもあり得る。
感情は単なる感覚を超えて発達し、自と他の関係性を直感的に捉えたり修正したりするような力だ。
知性も感情もどこまでも高度化し発達には際限が無い。
一方で智慧は全身全霊、すなわち感情、知性、意志を働かせて生きた(行動した)結果の人生や歴史の総体的なフィードバックだ。生きた結果そのものが智慧として生まれ蓄積される。単なる頭の中のみで閉じた精神活動で生み出されたものじゃないと思うよ。
512神も仏も名無しさん
2022/03/02(水) 12:07:02.38ID:oK3DJB9K ホリエモンは瞑想を諦めたからラーメン屋事件おこしたのかしらんけど、今度は煩悩一杯にトライし続けることにしたらしい。彼なりの知情意、肉体と煩悩への仁義スカン。反省するくらいなら煩悩は煩悩で打ち消し、一生走り続けてやれという覚悟ですね。
513神も仏も名無しさん
2022/03/02(水) 12:07:51.88ID:Dj7Z8Qbp 僕は知という字より智という字の方が単純に好きです。
南無阿弥陀仏が、自然は神だったーという感嘆だとすると、
では知は、それらを詳細に分別して知得する器官だと思います。
それが、知感なのか、感を超えたものなのかは、
私は知りません。
そうか、知の集大成が、智なのか。
この場合の日は、太陽、もしくは大日如来様を指すものなのだろうか?
分かる人には、あなたのおっしゃった精神より上の、
感覚は当然としても、
第六感、如意宝珠、第十識が、
分かるんでしょうね。
難しいですね、知とは洞察力、感情は関係自体か・・・
僕思うんですけども、
学力としても修道としても、
仏教って世界一じゃないですかね・・・
南無阿弥陀仏が、自然は神だったーという感嘆だとすると、
では知は、それらを詳細に分別して知得する器官だと思います。
それが、知感なのか、感を超えたものなのかは、
私は知りません。
そうか、知の集大成が、智なのか。
この場合の日は、太陽、もしくは大日如来様を指すものなのだろうか?
分かる人には、あなたのおっしゃった精神より上の、
感覚は当然としても、
第六感、如意宝珠、第十識が、
分かるんでしょうね。
難しいですね、知とは洞察力、感情は関係自体か・・・
僕思うんですけども、
学力としても修道としても、
仏教って世界一じゃないですかね・・・
514神も仏も名無しさん
2022/03/02(水) 12:14:57.51ID:Dj7Z8Qbp 原始仏教、つまり、
お釈迦様自体は、
一体何を説かれたのだろう・・・?
お釈迦様自体は、
一体何を説かれたのだろう・・・?
515神も仏も名無しさん
2022/03/02(水) 12:23:50.11ID:Dj7Z8Qbp 私の生まれたときの名前が、
おそらく、
西智 正悦といったと記憶してるんですが、
この名前だと、
どうも親鸞さんを意味するようです。
もっと言ったら、
西の智だから、
普賢菩薩様をあらわすのでしょう。
但し、
西智は母方の姓なので、
私が親鸞の生まれ変わりとか、
そういうわけではないと思うのですが・・・
おそらく、
西智 正悦といったと記憶してるんですが、
この名前だと、
どうも親鸞さんを意味するようです。
もっと言ったら、
西の智だから、
普賢菩薩様をあらわすのでしょう。
但し、
西智は母方の姓なので、
私が親鸞の生まれ変わりとか、
そういうわけではないと思うのですが・・・
516神も仏も名無しさん
2022/03/02(水) 12:28:41.56ID:Dj7Z8Qbp 関東だと、
ほとんど武家しかいないようなものですが、
関西だと、凄いことになってそうですね。血筋家柄が。
ほとんど武家しかいないようなものですが、
関西だと、凄いことになってそうですね。血筋家柄が。
517神も仏も名無しさん
2022/03/02(水) 13:05:30.16ID:SG75+9cI 無常道というのは厳しいものであって、修行でもっても何かになることはない。諦めの境地。
518神も仏も名無しさん
2022/03/02(水) 14:14:12.60ID:Dj7Z8Qbp 諦めというのは、
文字通り、帝の言じゃないですかね?
天皇詔
御神言
・・・
まさか、真言宗の真言って、それ?
文字通り、帝の言じゃないですかね?
天皇詔
御神言
・・・
まさか、真言宗の真言って、それ?
519神も仏も名無しさん
2022/03/02(水) 14:15:09.64ID:Dj7Z8Qbp 神言宗!!
520神も仏も名無しさん
2022/03/02(水) 15:33:34.31ID:SG75+9cI そうだよ、神は神以外に生まれ変わらないからね。それにしても神とは属性のない煩悩そのもの。、
521神も仏も名無しさん
2022/03/02(水) 16:32:57.55ID:bDdT4qmU 真言=マントラは単なる呪文だよ。特定のマントラが特定の効能を発揮すると言われているが、大部分はそんな効用すらない意味がない信仰的な言葉の羅列だよ。魔術的な感覚で捉えられ門外不出の禁忌になったりするが。
言葉の効用には、リズム、音韻等の組み合わせからくるものと、言葉に込められた集合的、民族的な無意識などがあるが、大抵のマントラにはそんなものはない。まだ、神道的な言霊の方が説得力がある。
言葉の効用には、リズム、音韻等の組み合わせからくるものと、言葉に込められた集合的、民族的な無意識などがあるが、大抵のマントラにはそんなものはない。まだ、神道的な言霊の方が説得力がある。
522神も仏も名無しさん
2022/03/02(水) 16:44:46.86ID:Dj7Z8Qbp523神も仏も名無しさん
2022/03/02(水) 19:15:36.89ID:91wOXk3D マインドフルネスの一種と思われるが
効果の程度の差はあるとおもうが、マントラもこれらも一緒かと?
歩きながら意識を「今」に向ける歩行瞑想って何?
https://news.mynavi.jp/article/20201122-1448688/
手動瞑想【解説編】 スカトー寺副住職 プラユキ・ナラテボー
https://dananet.jp/?p=6263
効果の程度の差はあるとおもうが、マントラもこれらも一緒かと?
歩きながら意識を「今」に向ける歩行瞑想って何?
https://news.mynavi.jp/article/20201122-1448688/
手動瞑想【解説編】 スカトー寺副住職 プラユキ・ナラテボー
https://dananet.jp/?p=6263
524神も仏も名無しさん
2022/03/02(水) 19:20:26.36ID:91wOXk3D 大部分というかすべてだとおもうが
同じマントラ・呪文でも、唱える人と唱えられた人の信仰心しだいかと?
プラシーボといっしょかと?
たとえばザラキ呪文を唱えたとして、信仰心高い人なら効果発揮して体調不良や死亡もありえるかと?
同じマントラ・呪文でも、唱える人と唱えられた人の信仰心しだいかと?
プラシーボといっしょかと?
たとえばザラキ呪文を唱えたとして、信仰心高い人なら効果発揮して体調不良や死亡もありえるかと?
525神も仏も名無しさん
2022/03/02(水) 20:08:05.78ID:Dj7Z8Qbp 確かに密教はそういうものですね
うーん・・・
きっと、国情が有形無形に危うくなって、
密教で呪詛しようと考えたのではないだろうか?
そうじゃなかったら、密教なんてやらなくていいしね
うーん・・・
きっと、国情が有形無形に危うくなって、
密教で呪詛しようと考えたのではないだろうか?
そうじゃなかったら、密教なんてやらなくていいしね
526神も仏も名無しさん
2022/03/02(水) 21:00:31.76ID:SG75+9cI お念仏が言霊であるためには形骸であるべきなんだね。ぎゃーてーぎゃーてー、、意味を結ばない様に。、
527神も仏も名無しさん
2022/03/02(水) 21:28:28.50ID:RJKO+NjX 留学僧だった空海は虚空蔵菩薩の真言の意味を知って唱えていたと推測できる。
意味が念じるから念力が働く、能力開発され天才になる。
みんな言語の通じない言葉を連呼する、だから現代では虚空蔵の真言で能力開発できる人がいない。効率の悪いことをやってるからだ。
意味が念じるから念力が働く、能力開発され天才になる。
みんな言語の通じない言葉を連呼する、だから現代では虚空蔵の真言で能力開発できる人がいない。効率の悪いことをやってるからだ。
528神も仏も名無しさん
2022/03/02(水) 22:45:17.00ID:ROmms2JI529神も仏も名無しさん
2022/03/02(水) 22:52:33.74ID:91wOXk3D 意味を考慮しない、知らないままならば、注意をそこで向ける、マインドフルネスと一緒とおもうが
意味を知って効果があるのはプラシーボ効果と一緒かと
意味を知って効果があるのはプラシーボ効果と一緒かと
530神も仏も名無しさん
2022/03/03(木) 00:06:43.87ID:fmmCqr2v531神も仏も名無しさん
2022/03/03(木) 00:37:57.38ID:0pAk/ACV 無我であることを真に悟ると自分という個我はないので自分は宇宙であり宇宙は自分であるということになるだろう。
瞑想は心作用を滅することで自己という壁をなくして自分を宇宙の中に溶け込ませるものではないかと思う。
自分は宇宙であり宇宙は自分である、このミクロコスモスとマクロコスモスの合一こそが瞑想における悟りなのではないか?
という戯論を考えることなく、ひたすらに無心で瞑想するのが禅定なのかもしれないが。
瞑想は心作用を滅することで自己という壁をなくして自分を宇宙の中に溶け込ませるものではないかと思う。
自分は宇宙であり宇宙は自分である、このミクロコスモスとマクロコスモスの合一こそが瞑想における悟りなのではないか?
という戯論を考えることなく、ひたすらに無心で瞑想するのが禅定なのかもしれないが。
532神も仏も名無しさん
2022/03/03(木) 03:07:28.16ID:fmmCqr2v 一体化したいでうよね。
昔からそれを目指したかったのでしょう。
中国的には、天真といいますが、
老子も、そうしたいが(当時の)現代人はそれがわからなくなっているといっています。
私達は錯誤も甚だしいですね。
昔からそれを目指したかったのでしょう。
中国的には、天真といいますが、
老子も、そうしたいが(当時の)現代人はそれがわからなくなっているといっています。
私達は錯誤も甚だしいですね。
533神も仏も名無しさん
2022/03/03(木) 05:54:57.19ID:6LTe9CMc ただの音、線、言葉に人は傷ついたり喜んだりする。言葉も体験内容だからこそ、正しく分別し、人間は言葉を持ってしまったから囚われる。
534神も仏も名無しさん
2022/03/03(木) 06:44:06.22ID:kz0BLLfq >>528
禅定に入るのならそう。
ただいくら無心で音の羅列を唱えても能力開発できないというより、効率が悪い。
歌でも歌って潜在意識に叩き込んだ方がいい。古い時代の修行をやってる。
空海が現代にいたら真言なんてやるだろうか。
禅定に入るのならそう。
ただいくら無心で音の羅列を唱えても能力開発できないというより、効率が悪い。
歌でも歌って潜在意識に叩き込んだ方がいい。古い時代の修行をやってる。
空海が現代にいたら真言なんてやるだろうか。
535神も仏も名無しさん
2022/03/03(木) 07:54:48.98ID:kz0BLLfq 日本語で唱えろってこと。
意味がわからない羅列がいいなら、ナマムギナマゴメナマタマゴでいいはずだ。そっちの方が脳が喜ぶ。サンスクリットに固執しなくていい。他に方法を知らなくて昔の人がそれで修行してたんだから。
プラシボーだとか聖音の通り唱えないと罰が当たるとかいう考えが障害を作り出す。
内容を考えて日本語で詩文にでもして精神集中して唱えるのがいいけど、なかなかそこまでする人がいない。めんどくさがりだから。
意味がわからない羅列がいいなら、ナマムギナマゴメナマタマゴでいいはずだ。そっちの方が脳が喜ぶ。サンスクリットに固執しなくていい。他に方法を知らなくて昔の人がそれで修行してたんだから。
プラシボーだとか聖音の通り唱えないと罰が当たるとかいう考えが障害を作り出す。
内容を考えて日本語で詩文にでもして精神集中して唱えるのがいいけど、なかなかそこまでする人がいない。めんどくさがりだから。
536神も仏も名無しさん
2022/03/03(木) 08:20:15.43ID:6LTe9CMc 言葉は心を表しますね。言葉が誤るのは分別が誤っているわけです。分別は分別の役割があります。意味がないわけではありません。
537神も仏も名無しさん
2022/03/03(木) 08:38:10.14ID:CPgzYm/h >>532
宇宙の真理、理(ことわり)である道(タオ)と一体化した人が真人だったかな
ばんぶつ-せいどう【万物斉同】
人の認識は善悪・是非・美醜・生死など、相対的概念で成り立っているが、これを超越した絶対の無の境地に立てば、対立と差別は消滅し、すべてのものは同じであるとする説。人の相対的な知を否定した荘子そうしの思想。▽「斉」は等しい意。
この相対的概念を超越した絶対の無の境地に立てれば真人になれるのかな?
宇宙の真理、理(ことわり)である道(タオ)と一体化した人が真人だったかな
ばんぶつ-せいどう【万物斉同】
人の認識は善悪・是非・美醜・生死など、相対的概念で成り立っているが、これを超越した絶対の無の境地に立てば、対立と差別は消滅し、すべてのものは同じであるとする説。人の相対的な知を否定した荘子そうしの思想。▽「斉」は等しい意。
この相対的概念を超越した絶対の無の境地に立てれば真人になれるのかな?
538神も仏も名無しさん
2022/03/03(木) 11:43:06.29ID:fmmCqr2v539神も仏も名無しさん
2022/03/03(木) 11:47:28.20ID:fmmCqr2v はっきり言って、
譚嗣同「仁学」も、
それが書かれている
仏教も、つまるところこれじゃないかな
ただ、釈迦は、
万物斉同の理を、
そのまま法と解釈していて、
その絶対者と、その世界、絶対境は、説かなかった。
多分、それらはわからないわけだから、わからなくて説かなかっただけだとは思うけども・・・
しかし、なんで絶対を法とだけ説いたんだろうな・・・
絶対者がいるだろうことは、一般人だって理屈ではわかりそうなものだが・・・
譚嗣同「仁学」も、
それが書かれている
仏教も、つまるところこれじゃないかな
ただ、釈迦は、
万物斉同の理を、
そのまま法と解釈していて、
その絶対者と、その世界、絶対境は、説かなかった。
多分、それらはわからないわけだから、わからなくて説かなかっただけだとは思うけども・・・
しかし、なんで絶対を法とだけ説いたんだろうな・・・
絶対者がいるだろうことは、一般人だって理屈ではわかりそうなものだが・・・
540神も仏も名無しさん
2022/03/03(木) 11:55:30.13ID:6LTe9CMc 何ものも同一には成らない。無常とは厳しいものだ。
541神も仏も名無しさん
2022/03/03(木) 16:34:26.25ID:FV6mz/WH お釈迦様は単に苦しみから逃れる方法を
ストイックに追求したんだと思いますよ
他人や神がどう考えようが関係ない
自分のこの恐怖や不安や満たされなさ
それはどんな神秘体験をしても無くならなかった
(たぶん)
そして予感があったのか全くの偶然か
それはわからないけど
ある体験をして全てが完全に解決した
(という確信を得て安心した)
他人に指導したら多くの人が同じような
体験をして同じように解決した
かつての私と同じように思い悩んでいる人には
教えてあげるよ 真似してみたら?
というだけのことだと思います
ストイックに追求したんだと思いますよ
他人や神がどう考えようが関係ない
自分のこの恐怖や不安や満たされなさ
それはどんな神秘体験をしても無くならなかった
(たぶん)
そして予感があったのか全くの偶然か
それはわからないけど
ある体験をして全てが完全に解決した
(という確信を得て安心した)
他人に指導したら多くの人が同じような
体験をして同じように解決した
かつての私と同じように思い悩んでいる人には
教えてあげるよ 真似してみたら?
というだけのことだと思います
542神も仏も名無しさん
2022/03/03(木) 18:10:24.52ID:6LTe9CMc すごく大雑把にいえば、人間は不都合な事実からは目を背ける(常にそうとはいわない)、しかし叶わない場合には、その妄想が苦の種となる。
それは不幸なことだろうか。少なくとも仏道はこの苦を用いて、明けらかな事実の認識に至る。とても朗らかな知の調和を取り戻す。
だから挫けた処から、敗れた処から、弱さを恨んだ処から始まる。いわば、負けて勝つが、勝鬨の音は響かない。誰もが死をもって退場するからだ。
認識はおしまい、となる。これ以上を追い求めれば、また妄想を育むことになる。いってみれば、有身見が仏教を説いているような形になる。
それは不幸なことだろうか。少なくとも仏道はこの苦を用いて、明けらかな事実の認識に至る。とても朗らかな知の調和を取り戻す。
だから挫けた処から、敗れた処から、弱さを恨んだ処から始まる。いわば、負けて勝つが、勝鬨の音は響かない。誰もが死をもって退場するからだ。
認識はおしまい、となる。これ以上を追い求めれば、また妄想を育むことになる。いってみれば、有身見が仏教を説いているような形になる。
543神も仏も名無しさん
2022/03/03(木) 18:44:46.28ID:fmmCqr2v やっぱ分別執着はだめなんだろうな・・・
また、分別執着しないという意識想念思考にもしゅうちゃくしてはいけないんだろうな・・・
譚嗣同が言ってるが、まさに、名の悪。不立文字。字で考えるとわからなくなる。
また、分別執着しないという意識想念思考にもしゅうちゃくしてはいけないんだろうな・・・
譚嗣同が言ってるが、まさに、名の悪。不立文字。字で考えるとわからなくなる。
544神も仏も名無しさん
2022/03/03(木) 18:51:44.44ID:fmmCqr2v 俺は此れを魂受(たまうけ、こんじゅ)と呼ぼう
545神も仏も名無しさん
2022/03/03(木) 22:42:48.78ID:6LTe9CMc 世界は何も語らないから法で説き、そこには既に妄想の始まりである。何が良いというのか。
546神も仏も名無しさん
2022/03/03(木) 23:02:14.72ID:+Ex4ZbRg547神も仏も名無しさん
2022/03/05(土) 08:54:06.77ID:kDrFel9k タイとかで修業した人の話聞いてて
断食とかその他の苦行系の時に
偉い坊さん「終わらせたからって達成感感じないようにね」
って注意されたってあって
確かにそうなんだけど
俺ら凡夫の世の中って、達成感ってものすごく素晴らしいって持ち上げられるのが常識で
達成感のために苦しい努力と日々の積み重ねが美しいんだ感動なんだ勇気をくれるんだ。スポーツ選手勇気と感動をありがとう(←これいっつも大嫌いだけど)
この、染み付いた「何かができた、終わらせたからうれしいすごいよかった」を発生するのは止められないと思うんだけどな
「あ、発生してる」って気付いてそれ以上発展させないってならまだしも
断食とかその他の苦行系の時に
偉い坊さん「終わらせたからって達成感感じないようにね」
って注意されたってあって
確かにそうなんだけど
俺ら凡夫の世の中って、達成感ってものすごく素晴らしいって持ち上げられるのが常識で
達成感のために苦しい努力と日々の積み重ねが美しいんだ感動なんだ勇気をくれるんだ。スポーツ選手勇気と感動をありがとう(←これいっつも大嫌いだけど)
この、染み付いた「何かができた、終わらせたからうれしいすごいよかった」を発生するのは止められないと思うんだけどな
「あ、発生してる」って気付いてそれ以上発展させないってならまだしも
548神も仏も名無しさん
2022/03/05(土) 15:21:22.43ID:WzGAKlyx まあでも生まれたときは歩けるようになるだけでも漢字書けるようになるだけでも自分でお菓子買えるだけでも達成感あったからね
何度も繰り返すうちに普通のことだと思うようになるしそのうちそれが当たり前でむしろできないと不満に思うようになる
結局単なる心の変化に過ぎないんだよね
全て心の現象 達成感も含めあらゆることが無常
何度も繰り返すうちに普通のことだと思うようになるしそのうちそれが当たり前でむしろできないと不満に思うようになる
結局単なる心の変化に過ぎないんだよね
全て心の現象 達成感も含めあらゆることが無常
549神も仏も名無しさん
2022/03/06(日) 07:02:31.89ID:5t3vogDh 自分を騙すから、飽き足りなくなる。
550神も仏も名無しさん
2022/03/06(日) 08:23:04.11ID:jFs53MPn ディスカバリーチャンネルのドキュメンタリーで
「こうしないといけない」「こうあるべきだ」
って頭固い登場人物(ロマンチストな自信家)見て
「あー。俺もこいつと一緒なんだよな。そうだと分かってからもずっと こうあるべきだ こうじゃないといけない。にすぐなってなったらもうそのままだわ。ロマンチスト自信家なのも一緒」
って、何度も思ったことを思った
思っただけで解決しないわ。ものすごく染み付いてる
「こうしないといけない」「こうあるべきだ」
って頭固い登場人物(ロマンチストな自信家)見て
「あー。俺もこいつと一緒なんだよな。そうだと分かってからもずっと こうあるべきだ こうじゃないといけない。にすぐなってなったらもうそのままだわ。ロマンチスト自信家なのも一緒」
って、何度も思ったことを思った
思っただけで解決しないわ。ものすごく染み付いてる
551神も仏も名無しさん
2022/03/06(日) 09:27:10.94ID:XhY0TtP5552神も仏も名無しさん
2022/03/11(金) 00:13:09.96ID:Rbr5wNjU >>547
うーん 基本的には気づくことができていればOkだと思いますよ
それこそリンゴって聞いてリンゴを想像してはいけません的な話で
その時、その瞬間の(自分の)現実が全てですから。
ただ、修行者の心のレベルと言いますか、修行者の厭離感のレベルといいますか
それは仏教のカリキュラムの中では修行が進むほど顕著になってきますが
まだ初心者の間は、真剣に修行に進むつもりなら
ネズミの回し車のような心の傾向性への愛着に気づいて欲しい
離れさせてあげたいという思いやりだと勝手に理解しとけば良いのではと思います
そのレベルを抜けて先に進むと修行の成果に対する期待感(今度こそ次の段階へとか)
またさらには絶望感(何度トライしても前に進んでいる気がしないとか)
その次には覚悟が決まって喜びも期待も絶望も(ほぼ)無くただ進む
この段階以上の人は初心者の人の気持ちもよくわかっているでしょうから
あとは、指導者の指導テクニックの個性という気もします
例えば達成した場面で、
「今、心でどんな気持ちを感じていますか?そしてそれは昨日と同じような気持ちですか?
そして今の気持ちを覚えておいて、明日か明後日にもう一度今の気持ちと同じか確認して
みて下さい。」
的に無常や無我の考察を促すパターンも考えられます。
...ってここまで書いてきて、仏教の修行ってほんとにエグいですね。
初心者なのに褒めて伸ばすなんてもってのほか。
初心者なのに無常とか無我とか...ある程度の覚悟があればへっちゃらでしょうけど
うーん 基本的には気づくことができていればOkだと思いますよ
それこそリンゴって聞いてリンゴを想像してはいけません的な話で
その時、その瞬間の(自分の)現実が全てですから。
ただ、修行者の心のレベルと言いますか、修行者の厭離感のレベルといいますか
それは仏教のカリキュラムの中では修行が進むほど顕著になってきますが
まだ初心者の間は、真剣に修行に進むつもりなら
ネズミの回し車のような心の傾向性への愛着に気づいて欲しい
離れさせてあげたいという思いやりだと勝手に理解しとけば良いのではと思います
そのレベルを抜けて先に進むと修行の成果に対する期待感(今度こそ次の段階へとか)
またさらには絶望感(何度トライしても前に進んでいる気がしないとか)
その次には覚悟が決まって喜びも期待も絶望も(ほぼ)無くただ進む
この段階以上の人は初心者の人の気持ちもよくわかっているでしょうから
あとは、指導者の指導テクニックの個性という気もします
例えば達成した場面で、
「今、心でどんな気持ちを感じていますか?そしてそれは昨日と同じような気持ちですか?
そして今の気持ちを覚えておいて、明日か明後日にもう一度今の気持ちと同じか確認して
みて下さい。」
的に無常や無我の考察を促すパターンも考えられます。
...ってここまで書いてきて、仏教の修行ってほんとにエグいですね。
初心者なのに褒めて伸ばすなんてもってのほか。
初心者なのに無常とか無我とか...ある程度の覚悟があればへっちゃらでしょうけど
553神も仏も名無しさん
2022/03/11(金) 13:03:40.02ID:xUHnpYp/ 悟り、は見性成仏と決まっている。
馬鹿には理解できない。
大爆笑である。
馬鹿には理解できない。
大爆笑である。
554神も仏も名無しさん
2022/03/12(土) 07:56:37.80ID:Db7b5trQ テーラワーダは爆笑仏教
555神も仏も名無しさん
2022/03/12(土) 21:10:45.45ID:PVwrklDH 無我、自他不二、無分別が仏教であるならば、瞑想で心作用を止滅できれば我というものも消えて自(主体)も他(客体)もなくなるのかな。
556神も仏も名無しさん
2022/03/12(土) 22:04:34.56ID:NlYZjFcj ひとつひとつの動作を丁寧にするとか、ちゃんと食べ物の栄養が身体に行き渡るのを味合うとか、安らかな環境を整える努力も修行だと感じる。
558神も仏も名無しさん
2022/03/15(火) 08:23:33.32ID:Nwnl0boK スッタニパータその他とかの、
ブッダ「常に気を付けていなさい」その他その他
っていう、比丘たちに対する直接指導的なのより
「龍樹すごい」「大乗仏教すごい」
ってものに対して俺が疑問を抱くのは、龍樹に関する詳しい書物とかを俺が読んだことがないからかな?
大乗仏教と龍樹って結局ブッダを神格化して、存在しもしない菩薩たちを誕生させて、ユダヤ、キリスト、イスラム教のような神様信仰にしただけなのではって大雑把な認識だけども
大乗仏教や龍樹について詳しく知ったら、俺も大乗仏教えらいとかなるんだろうか?
大乗の禅! 大乗の教え! 南無阿弥陀仏! 南無妙法蓮華経! 小乗w
って風に
ブッダ「常に気を付けていなさい」その他その他
っていう、比丘たちに対する直接指導的なのより
「龍樹すごい」「大乗仏教すごい」
ってものに対して俺が疑問を抱くのは、龍樹に関する詳しい書物とかを俺が読んだことがないからかな?
大乗仏教と龍樹って結局ブッダを神格化して、存在しもしない菩薩たちを誕生させて、ユダヤ、キリスト、イスラム教のような神様信仰にしただけなのではって大雑把な認識だけども
大乗仏教や龍樹について詳しく知ったら、俺も大乗仏教えらいとかなるんだろうか?
大乗の禅! 大乗の教え! 南無阿弥陀仏! 南無妙法蓮華経! 小乗w
って風に
559神も仏も名無しさん
2022/03/15(火) 16:30:32.03ID:EMbQWw5l >>558
大乗仏教が凄いかどうかは別にして
役割としては重要だと思いますよ
私が感じたのは仏教やお釈迦様
という言葉を絶えさせない役割です
逆にだらしないと思うのは完膚なきまでに
オリジナルの教えと瞑想法を
アップデートできなかったことですね
半年や一年で誰でも解脱できる方法を開発出来なかった
それはテーラワーダも同じでしょうけど
ですが大乗 小乗 部派という言葉も曖昧で
幻想チックです
恐らく各テーラワーダ団体も本当に偏見の無い
人が出家在家くまなく見学したら
あれって大乗仏教だよね?って思うのではないかと思います
また日本の大乗団体でも本当に悟りって存在するんだ
自分が求めてたのはこれだって個人も相当数存在するかと
重要な違いはこれまで培ってきた
膨大な阿羅漢に至る例の蓄積と指導テクニックを持つか
日々それらを維持する活動が実際にあるかですね
龍樹は頭が良いだけで仏教的にはそれほど凄くないのでは?
大乗仏教が凄いかどうかは別にして
役割としては重要だと思いますよ
私が感じたのは仏教やお釈迦様
という言葉を絶えさせない役割です
逆にだらしないと思うのは完膚なきまでに
オリジナルの教えと瞑想法を
アップデートできなかったことですね
半年や一年で誰でも解脱できる方法を開発出来なかった
それはテーラワーダも同じでしょうけど
ですが大乗 小乗 部派という言葉も曖昧で
幻想チックです
恐らく各テーラワーダ団体も本当に偏見の無い
人が出家在家くまなく見学したら
あれって大乗仏教だよね?って思うのではないかと思います
また日本の大乗団体でも本当に悟りって存在するんだ
自分が求めてたのはこれだって個人も相当数存在するかと
重要な違いはこれまで培ってきた
膨大な阿羅漢に至る例の蓄積と指導テクニックを持つか
日々それらを維持する活動が実際にあるかですね
龍樹は頭が良いだけで仏教的にはそれほど凄くないのでは?
560神も仏も名無しさん
2022/03/15(火) 17:08:44.39ID:LT97Gs0g 龍樹は論を書いてみた。大乗にも小乗にも雑草は生えるけど、自分次第。"悟らない"ことを仏陀の"功績"にする僧侶が多いだけのこと。
561神も仏も名無しさん
2022/03/18(金) 09:11:31.33ID:kCS7ZtK/ 幼稚なことを書くけど
十二因縁の、無明、行、識、それから六感ってどうしても納得できないけど
見たいものを見る、信じたいことを信じる
っていうのは事実存在するし、常に見たいものを見る自分、信じたいものを信じる自分であるのは自覚するし
無明→行→識(←ここまで修行完成に程遠いから感じようがない)
そして、信じたい状態、見たい状態、これをしたいあれをしたいの欲望の”身体が出来上がってる”ってことかとさっき思った
十二因縁の、無明、行、識、それから六感ってどうしても納得できないけど
見たいものを見る、信じたいことを信じる
っていうのは事実存在するし、常に見たいものを見る自分、信じたいものを信じる自分であるのは自覚するし
無明→行→識(←ここまで修行完成に程遠いから感じようがない)
そして、信じたい状態、見たい状態、これをしたいあれをしたいの欲望の”身体が出来上がってる”ってことかとさっき思った
562神も仏も名無しさん
2022/03/18(金) 11:19:10.20ID:ovuEM4rf 四諦十二因縁は、大通智勝仏が出家する以前に作った十六人の王子が父が仏に成ったと聞いて法を説いてくれることを父(大通智勝仏)に求めた。
その時の説法で十六人の王子と話を聞いて十方から駆けつけた梵天の前で最初に説いたのが、四諦十二因縁。
この教えで十六人の王子は阿羅漢となる。
王子は更に阿耨多羅三藐三菩提の法を求め大通智勝仏は一仏道(一乗)の教えを説いて、それを聞いた阿羅漢たる王子たちは如来となり現在でもそれぞれの仏国土で法を説いている。
十六番目の王子が釈迦牟尼仏(釈迦如来)でこの娑婆世界で法を説いている。
大通智勝仏が何故最初から一仏道の教えを説かなかったのかというと、最初から究極の教えを説くと目標が遠すぎて尻込みしてしまうから。
故に一仏道の途中に三乗の教えがあるのだが、喩えるなら目的地の宝の池が遠すぎる時に仏は道中に幻の城(仮城)を出現させて疲れを癒やしてからまた宝の池に向かわせる、その仮城が三乗の教えである。
その時の説法で十六人の王子と話を聞いて十方から駆けつけた梵天の前で最初に説いたのが、四諦十二因縁。
この教えで十六人の王子は阿羅漢となる。
王子は更に阿耨多羅三藐三菩提の法を求め大通智勝仏は一仏道(一乗)の教えを説いて、それを聞いた阿羅漢たる王子たちは如来となり現在でもそれぞれの仏国土で法を説いている。
十六番目の王子が釈迦牟尼仏(釈迦如来)でこの娑婆世界で法を説いている。
大通智勝仏が何故最初から一仏道の教えを説かなかったのかというと、最初から究極の教えを説くと目標が遠すぎて尻込みしてしまうから。
故に一仏道の途中に三乗の教えがあるのだが、喩えるなら目的地の宝の池が遠すぎる時に仏は道中に幻の城(仮城)を出現させて疲れを癒やしてからまた宝の池に向かわせる、その仮城が三乗の教えである。
563神も仏も名無しさん
2022/03/19(土) 08:16:09.68ID:FO3+BWkL 法身という無我の飾り、我々の言語活動の拒む幻視なども生じた。我々はなんでも視ようとする。
564神も仏も名無しさん
2022/03/19(土) 16:29:27.59ID:cC7P/27R >>561
まあ あんまり気にしない方が良いかと思います
もしはっきり理解してしまったら
生命の残酷さに絶望し
即座に解脱してしまうかもしれませんよ(笑)
昆虫などの驚くほど精巧な擬態とか
どこにどう関連するんだろうとか
知的に物凄く面白いところではあります
ですがどっちかっていうと出家者の修行が進むための教え
そういう方向や目的を持って説かれた教え
として受け取った方が頭がこんがらずにスッキリします
十二の詳細はよくわからんが
たった一箇所だけでも断ち切ればチェーンは断たれるんだ
それならできそう....かも みたいな
ポイントは無明だと思います
昔はミステリアスな言葉だと思ってましたが
単に四諦を知らないこととか
克服できる修行方法の存在を知らないことっていうのを聞いて
要はやっぱり修行しろってことなんだなって
疑問は片付きました(笑)
まあ あんまり気にしない方が良いかと思います
もしはっきり理解してしまったら
生命の残酷さに絶望し
即座に解脱してしまうかもしれませんよ(笑)
昆虫などの驚くほど精巧な擬態とか
どこにどう関連するんだろうとか
知的に物凄く面白いところではあります
ですがどっちかっていうと出家者の修行が進むための教え
そういう方向や目的を持って説かれた教え
として受け取った方が頭がこんがらずにスッキリします
十二の詳細はよくわからんが
たった一箇所だけでも断ち切ればチェーンは断たれるんだ
それならできそう....かも みたいな
ポイントは無明だと思います
昔はミステリアスな言葉だと思ってましたが
単に四諦を知らないこととか
克服できる修行方法の存在を知らないことっていうのを聞いて
要はやっぱり修行しろってことなんだなって
疑問は片付きました(笑)
565神も仏も名無しさん
2022/03/19(土) 19:19:43.78ID:jAxx5u+I >>564
>たった一箇所だけでも断ち切ればチェーンは断たれるんだ
十二支だったら無明から
十支だったら識⇔名色から
という根源からドミノ倒しのように滅していかないといけない。
無明は行に縁たり、行は識に縁たり、識は名色に縁たり、名色は六入に縁たり、六入は触に縁たり、触は受に縁たり、受は愛に縁たり、愛は取に縁たり、取は有に縁たり、有は生に縁たり、生は老死憂悲苦悩に縁たり。
無明滅すれば則ち行滅す、行滅すれば則ち識滅す、識滅すれば則ち名色滅す、名色滅すれば則ち六入滅す、六入滅すれば則ち触滅す、触滅すれば則ち受滅す、受滅すれば則ち愛滅す、愛滅すれば則ち取滅す、取滅すれば則ち有滅す、有滅すれば則ち生滅す、生滅すれば則ち老死憂悲苦悩滅す。
>たった一箇所だけでも断ち切ればチェーンは断たれるんだ
十二支だったら無明から
十支だったら識⇔名色から
という根源からドミノ倒しのように滅していかないといけない。
無明は行に縁たり、行は識に縁たり、識は名色に縁たり、名色は六入に縁たり、六入は触に縁たり、触は受に縁たり、受は愛に縁たり、愛は取に縁たり、取は有に縁たり、有は生に縁たり、生は老死憂悲苦悩に縁たり。
無明滅すれば則ち行滅す、行滅すれば則ち識滅す、識滅すれば則ち名色滅す、名色滅すれば則ち六入滅す、六入滅すれば則ち触滅す、触滅すれば則ち受滅す、受滅すれば則ち愛滅す、愛滅すれば則ち取滅す、取滅すれば則ち有滅す、有滅すれば則ち生滅す、生滅すれば則ち老死憂悲苦悩滅す。
566神も仏も名無しさん
2022/03/19(土) 23:22:23.96ID:jAxx5u+I 例えば六入から断ち切ろうと思っても
六入を滅するには名色の滅が必要で
名色を滅するには識の滅が必要で
識を滅するには行の滅が必要で
行を滅するには無明の滅が必要
六入を滅するには名色の滅が必要で
名色を滅するには識の滅が必要で
識を滅するには行の滅が必要で
行を滅するには無明の滅が必要
567神も仏も名無しさん
2022/03/20(日) 07:58:23.62ID:i+yjkFjg 仏教に触れる「縁」、仮の中の仮。
568神も仏も名無しさん
2022/03/20(日) 17:54:52.96ID:rp6rlHd2 >>566
無明を滅するためにはまた最初に戻って生を滅しないと
みたいに
また延々と循環しないんですか?
無明を滅した瞬間に前後に行ったり来たりするだけで
もうぐるぐる循環はしないのかな?
って聞きながらもやっぱり難しいし考えるのが
無駄に思えてきた(笑)
阿羅漢は無明は解決できているけど
五感は普通に働いてるし
評価はしないけど危険を避けるような視覚はある
うーん 妄想機能の滅なのか無明の滅が波及しているのか
危険を避けるのは妄想機能が必要無いのか
もはや危険を避けるのは唯の体の勝手な反応で
意識は体が勝手に避けるのをただ見ているだけなのか
この辺は行捨智の体験ぽくてなんとか理解できるんですが
また阿羅漢が死ぬ前と死んだ後ではまた違うでしょうしね
やっぱり考えても難しいし私に益は無さそうです
難しい
無明を滅するためにはまた最初に戻って生を滅しないと
みたいに
また延々と循環しないんですか?
無明を滅した瞬間に前後に行ったり来たりするだけで
もうぐるぐる循環はしないのかな?
って聞きながらもやっぱり難しいし考えるのが
無駄に思えてきた(笑)
阿羅漢は無明は解決できているけど
五感は普通に働いてるし
評価はしないけど危険を避けるような視覚はある
うーん 妄想機能の滅なのか無明の滅が波及しているのか
危険を避けるのは妄想機能が必要無いのか
もはや危険を避けるのは唯の体の勝手な反応で
意識は体が勝手に避けるのをただ見ているだけなのか
この辺は行捨智の体験ぽくてなんとか理解できるんですが
また阿羅漢が死ぬ前と死んだ後ではまた違うでしょうしね
やっぱり考えても難しいし私に益は無さそうです
難しい
569神も仏も名無しさん
2022/03/21(月) 20:58:24.35ID:wk67R86E 無明から十二支を滅していくと生も滅するので老死も滅する、つまり輪廻から解脱するので循環はしない。
すでに解脱するにいたれば、ああわたしは解脱したとの智が生じて
生まれることは尽きた。
清らかな行い(梵行)はすでに完成した。
なすべきことをなしおえた。
もはや再びこのような生存をうけることはない。
と知るのである。
というのは方便で、実は釈迦牟尼仏は無量無辺百千万億那由他劫の昔に仏と成り、以来巧みなる方便を用いて衆生を教化してきた。
では何故「再びこのような生存をうけることはない」というような方便の教えを用いるのかというと、こちらにその答えが書いてある。
釈迦牟尼仏の説法が書かれてある。
http://blog.livedoor.jp/zenkigenjp-kansou/archives/1064884400.html
すでに解脱するにいたれば、ああわたしは解脱したとの智が生じて
生まれることは尽きた。
清らかな行い(梵行)はすでに完成した。
なすべきことをなしおえた。
もはや再びこのような生存をうけることはない。
と知るのである。
というのは方便で、実は釈迦牟尼仏は無量無辺百千万億那由他劫の昔に仏と成り、以来巧みなる方便を用いて衆生を教化してきた。
では何故「再びこのような生存をうけることはない」というような方便の教えを用いるのかというと、こちらにその答えが書いてある。
釈迦牟尼仏の説法が書かれてある。
http://blog.livedoor.jp/zenkigenjp-kansou/archives/1064884400.html
570神も仏も名無しさん
2022/03/22(火) 18:52:44.57ID:1ZpGNq5N >>569
このバージョンのお釈迦様は力が無さすぎでしょ(汗)
神通力も使えて無限の智恵もあるのに全然頼りにならないでしょ
神通力で全ての衆生に人生や生命の客観的なビジョンを
見せれば良いのに
そうすれば全員とは言わないけど
一気に半分とか三分の一ぐらい
目を覚まさせれば良いのに
少なくとも真理を求めて真剣な人だけにでも
テレパシーで指導すればどんなにみんなの修行が進むことか
どんなに力をもらって勇気づけられることか
…って思う人や時代もあれば
条件が違えばこんな感じが一番無難で
結果的に教えのエッセンスが残って良かった
って部分もあって私の場合は結果的にどんな形であれ
お釈迦様や仏教という言葉や雰囲気と出逢えて良かったですね
そのおかげで最初期の仏教は?仏教の最重要ポイントは?
って方向に向かえたので
もし仏教という環境がなかったらと思うと
ゾッとします
このバージョンのお釈迦様は力が無さすぎでしょ(汗)
神通力も使えて無限の智恵もあるのに全然頼りにならないでしょ
神通力で全ての衆生に人生や生命の客観的なビジョンを
見せれば良いのに
そうすれば全員とは言わないけど
一気に半分とか三分の一ぐらい
目を覚まさせれば良いのに
少なくとも真理を求めて真剣な人だけにでも
テレパシーで指導すればどんなにみんなの修行が進むことか
どんなに力をもらって勇気づけられることか
…って思う人や時代もあれば
条件が違えばこんな感じが一番無難で
結果的に教えのエッセンスが残って良かった
って部分もあって私の場合は結果的にどんな形であれ
お釈迦様や仏教という言葉や雰囲気と出逢えて良かったですね
そのおかげで最初期の仏教は?仏教の最重要ポイントは?
って方向に向かえたので
もし仏教という環境がなかったらと思うと
ゾッとします
571神も仏も名無しさん
2022/03/25(金) 03:22:09.29ID:I/7NhTba 結局、神上がりしろってこと?
仏教なのに、、、
仏教なのに、、、
572神も仏も名無しさん
2022/03/25(金) 03:32:01.21ID:I/7NhTba どういう順番に修行すればいいかね?
王道
というか、
自我の開放が良くない?
無門関と、
自己本来の面目、
自灯明法灯明、
不立文字
まあ、全部大事だけど
三蜜を言うなら、
情意を知って、
意を口と身に表しなさいということだろうか?
これなら、万民できるだろうし。
しかし、世の中宗教家がいうほど甘くないか
最澄空海しかり
王道
というか、
自我の開放が良くない?
無門関と、
自己本来の面目、
自灯明法灯明、
不立文字
まあ、全部大事だけど
三蜜を言うなら、
情意を知って、
意を口と身に表しなさいということだろうか?
これなら、万民できるだろうし。
しかし、世の中宗教家がいうほど甘くないか
最澄空海しかり
573神も仏も名無しさん
2022/03/25(金) 03:40:21.78ID:I/7NhTba 何故最澄は、
智と言わず、知と説いたのだろう?
智と言わず、知と説いたのだろう?
574神も仏も名無しさん
2022/03/25(金) 15:40:48.46ID:xfreXNzL 理屈は考えないでむしろ純粋にヴィッパッサナー瞑想するほうがいいのでは
知識が先行すると悟りは遠い
知識が先行すると悟りは遠い
575神も仏も名無しさん
2022/03/25(金) 16:49:35.94ID:bPBfB0u3 自我をなくすって、イメージしにくいなら、「べき」を消していくでいいと思うけど。
そこで自我が否定される感覚があるなら。
そこで自我が否定される感覚があるなら。
576神も仏も名無しさん
2022/03/28(月) 21:24:44.81ID:m03flyNl 自我を無くすってより
元より無いことに気づく事ではっとしました
無いものは無くせないなと
無常縁起無我の
大まかな知識はあったほうが導かれやすいかなと思います
元より無いことに気づく事ではっとしました
無いものは無くせないなと
無常縁起無我の
大まかな知識はあったほうが導かれやすいかなと思います
577神も仏も名無しさん
2022/03/28(月) 22:12:36.87ID:SAzlXtHU 自我って観念は有るんでないの?
578神も仏も名無しさん
2022/03/28(月) 23:59:27.24ID:m03flyNl 自我はあると勘違いしてるんだと思います。
579神も仏も名無しさん
2022/03/29(火) 02:05:30.56ID:P7s4oq8Z 奇御魂の飛び出しを考えよう
580神も仏も名無しさん
2022/03/29(火) 02:08:14.77ID:P7s4oq8Z 日立は、
人工知能、さらに、
人工魂、一発変換!!
を作ろうとしているらしい
人工知能、さらに、
人工魂、一発変換!!
を作ろうとしているらしい
581神も仏も名無しさん
2022/03/29(火) 02:15:05.28ID:P7s4oq8Z 正しい吸い方でタバコを吸ったら、
タール1mgでも、
鼻に来たー
タール1mgでも、
鼻に来たー
582神も仏も名無しさん
2022/03/29(火) 03:48:36.90ID:QeBE/fB2 実は「あなたは自我が有ると思って」ないなら、「苦」の出る幕はないな。
583神も仏も名無しさん
2022/03/29(火) 05:35:22.42ID:5Q5gxkjF 完璧にそうなれれば無いんでしょうが
未熟なので瞑想の一瞬だけで
また元の木阿弥の皆苦なんですよね
ただ変なこだわり的なものは減っていってるきがします。
外のことより心の状態が大切だと思うようになりました
未熟なので瞑想の一瞬だけで
また元の木阿弥の皆苦なんですよね
ただ変なこだわり的なものは減っていってるきがします。
外のことより心の状態が大切だと思うようになりました
584神も仏も名無しさん
2022/03/29(火) 07:12:08.78ID:QeBE/fB2 拒もうと意欲するほど強く関わることになる。これが「原体験」だからあれは「仮意識」だ、と知ったところで「苦」の言い換えなのだから、受け入れるしかない。その限りで自我は、静まっている。
無常と自我は認識の上で輪廻しているようだ。
無常と自我は認識の上で輪廻しているようだ。
585神も仏も名無しさん
2022/03/29(火) 16:55:38.15ID:1RWQelto 神は身のうちにありといいます。
カメハメ派と同じ原理です。
カメハメ派と同じ原理です。
586神も仏も名無しさん
2022/03/29(火) 18:31:08.46ID:YqLyDDND 自我は無いっていうか
うーん なんて言ったら分かり易いのかな
自分が自我だと思っていたものの正体というか
その前に自分が自我って言った場合
一体どの現象のことを指しているのか
この辺が曖昧な感じの場合も多いのかなと
無難なのは
自分が存在しているという感覚
自分が何らかの行動をしているという感覚
自分が考えているという感覚
これぐらいの範囲に限定して瞑想すると
余計な混乱が少なくて済むかも
その他には
ガンダムのコックピットにはアムロが乗っているが
貴方のコックピットには誰かが乗っているのか?
という観点とか
逆に自然な感覚を大事にして
自我は明らかに存在する!
それを日々精密に観察する!
というアプローチ(預流果まで)もあります
まあ何にも考えずに瞑想するのが一番早いですけどね
うーん なんて言ったら分かり易いのかな
自分が自我だと思っていたものの正体というか
その前に自分が自我って言った場合
一体どの現象のことを指しているのか
この辺が曖昧な感じの場合も多いのかなと
無難なのは
自分が存在しているという感覚
自分が何らかの行動をしているという感覚
自分が考えているという感覚
これぐらいの範囲に限定して瞑想すると
余計な混乱が少なくて済むかも
その他には
ガンダムのコックピットにはアムロが乗っているが
貴方のコックピットには誰かが乗っているのか?
という観点とか
逆に自然な感覚を大事にして
自我は明らかに存在する!
それを日々精密に観察する!
というアプローチ(預流果まで)もあります
まあ何にも考えずに瞑想するのが一番早いですけどね
587凡夫ア○ペ界の痴の虚塵
2022/03/31(木) 17:08:15.22ID:UaVauShP スリランカ人19人 農機盗1億円超か 茨城県警裏付け
茨城県警下妻署と県警捜査3課、群馬県警などの合同、共同捜査班は30日、窃盗容疑で逮捕したスリランカ人グループ計19人が、
県西地域を中心に茨城県など11県でトラクター盗など計80件の犯行を繰り返していたと発表した。被害総額は約1億3128万円相当に及んだ。
同課によると、19人は複数のグループに分かれ、2019年3月から昨年10月ごろの間、筑西、桜川、坂東の各市などで、
農作業後に畑に置いてあったトラクターなどの農作業車を持ち去り、塗装してネットオークションで転売するなどしていたとされる。
被害車両はトラクターのほか、油圧シャベルなど64台。
群馬県警が昨年8月2日、坂東市でトラクターを盗んだとして窃盗容疑で同国籍の男(50)を逮捕し、グループの摘発につながった。
同課によると、トラクターは中古も含め人気が高く、高値で取引されている。被害車両は1台200万〜500万円相当だった。
https://news.yahoo.co.jp/articles/4c0b874e4d76d8b7930c421d95d87c71368f1560
茨城県警下妻署と県警捜査3課、群馬県警などの合同、共同捜査班は30日、窃盗容疑で逮捕したスリランカ人グループ計19人が、
県西地域を中心に茨城県など11県でトラクター盗など計80件の犯行を繰り返していたと発表した。被害総額は約1億3128万円相当に及んだ。
同課によると、19人は複数のグループに分かれ、2019年3月から昨年10月ごろの間、筑西、桜川、坂東の各市などで、
農作業後に畑に置いてあったトラクターなどの農作業車を持ち去り、塗装してネットオークションで転売するなどしていたとされる。
被害車両はトラクターのほか、油圧シャベルなど64台。
群馬県警が昨年8月2日、坂東市でトラクターを盗んだとして窃盗容疑で同国籍の男(50)を逮捕し、グループの摘発につながった。
同課によると、トラクターは中古も含め人気が高く、高値で取引されている。被害車両は1台200万〜500万円相当だった。
https://news.yahoo.co.jp/articles/4c0b874e4d76d8b7930c421d95d87c71368f1560
588神も仏も名無しさん
2022/03/31(木) 17:12:03.71ID:UaVauShP 長老がコメント出したらこういうの無くなるだろうか?
589神も仏も名無しさん
2022/04/01(金) 08:07:23.53ID:TuNzA4f8 ふうん、小乗仏教って悪い奴なんだな
590神も仏も名無しさん
2022/04/01(金) 14:03:27.59ID:+kgy041t 自分がそう思ったの?誰かがそう言ったと妄想したの?
591桃太郎
2022/04/02(土) 09:53:02.55ID:CUd28oYu >>569
そう。それが正解だね。
小乗教は初心者向け説法。その事を知らずに、低い教えに執着して無駄な人生を送っているのが
悪知識のスマ爺に欺されたテラワダ信者という事です。
いい加減目を覚ましなさい。
>>570
まあ、一般には「神通力」と言うと、超能力のようなものを連想するだろうが、そうではありません。
大聖人は「利根と通力とにはよるべからず」と戒めておられる。
超能力などを基準にすると、“人間ばなれ”した特別な人を大事にすることになる。
それは危険です。また、どんな超能力を示しても、問題はそれで幸福になれるかどうかです。
一般的にも、“特別な能力”に頼った人は、人間としての修行がおろそかになり、かえって不幸になる場合が多いものです。
そう言えば、昔、「スプーン曲げ」の超能力が話題になりました。
次々と、スプーンを曲げていく“超能力”をテレビで見ながら、ある友人が「あれが一体、何になるのか」と言っていました。
「曲がったスプーンを、もとに戻すのなら、まだ価値があると思うが」と。
人を幸福にできない超能力など、何の意味もない。
大聖人は「成仏するより外の神通と秘密とは之れ無きなり」と仰せだ。
成仏という絶対にして永遠の「幸福境涯」を得ることこそが、仏の「神通力」なのです。
これこそ、最高に「生命(神)の法に通じた力」だからです。
(法華経の智慧より抜粋)
分かりやすくいうと、この「如来の秘密の神通の力」(如来秘密神通之力)とは、一切衆生が本来もつている仏の生命の力を指す。
これを、現実の上に顕現する法を釈迦は「法華経」で説いたのです。
末法に於いては、日蓮大聖人の「南無妙法蓮華経」を指します。
そう。それが正解だね。
小乗教は初心者向け説法。その事を知らずに、低い教えに執着して無駄な人生を送っているのが
悪知識のスマ爺に欺されたテラワダ信者という事です。
いい加減目を覚ましなさい。
>>570
まあ、一般には「神通力」と言うと、超能力のようなものを連想するだろうが、そうではありません。
大聖人は「利根と通力とにはよるべからず」と戒めておられる。
超能力などを基準にすると、“人間ばなれ”した特別な人を大事にすることになる。
それは危険です。また、どんな超能力を示しても、問題はそれで幸福になれるかどうかです。
一般的にも、“特別な能力”に頼った人は、人間としての修行がおろそかになり、かえって不幸になる場合が多いものです。
そう言えば、昔、「スプーン曲げ」の超能力が話題になりました。
次々と、スプーンを曲げていく“超能力”をテレビで見ながら、ある友人が「あれが一体、何になるのか」と言っていました。
「曲がったスプーンを、もとに戻すのなら、まだ価値があると思うが」と。
人を幸福にできない超能力など、何の意味もない。
大聖人は「成仏するより外の神通と秘密とは之れ無きなり」と仰せだ。
成仏という絶対にして永遠の「幸福境涯」を得ることこそが、仏の「神通力」なのです。
これこそ、最高に「生命(神)の法に通じた力」だからです。
(法華経の智慧より抜粋)
分かりやすくいうと、この「如来の秘密の神通の力」(如来秘密神通之力)とは、一切衆生が本来もつている仏の生命の力を指す。
これを、現実の上に顕現する法を釈迦は「法華経」で説いたのです。
末法に於いては、日蓮大聖人の「南無妙法蓮華経」を指します。
592神も仏も名無しさん
2022/04/03(日) 17:27:48.95ID:vg8/f5B2 >>591
詳しい説明ありがとうございました
引用先をもう一度読んだところ
時々死んだと思わせて実はみんなのそばに居るが
自分の姿を見えなくする神通力
もう一つは一般人は相手にせず
教えを本気で求めている人の出現を監視して
タイミングを見て霊山に出現し(本気の人向けに?)
教えを説く神通力
ということですね
これも今の時代としては うーん って感じます
インターネットも飛行機もある時代なのに
消極的じゃなくもっと積極的に全面に出れば良いのにって
1000人に教えを説いて届くのは多くて2〜3人でしょうが
何十億人に説けば何千万人という人が覚醒するかもしれない
覚醒した人が更に多くの人を導いてって感じで
このバージョンのお釈迦様はやっぱり熱意がないというか
片手間というかのんびりというか....
詳しい説明ありがとうございました
引用先をもう一度読んだところ
時々死んだと思わせて実はみんなのそばに居るが
自分の姿を見えなくする神通力
もう一つは一般人は相手にせず
教えを本気で求めている人の出現を監視して
タイミングを見て霊山に出現し(本気の人向けに?)
教えを説く神通力
ということですね
これも今の時代としては うーん って感じます
インターネットも飛行機もある時代なのに
消極的じゃなくもっと積極的に全面に出れば良いのにって
1000人に教えを説いて届くのは多くて2〜3人でしょうが
何十億人に説けば何千万人という人が覚醒するかもしれない
覚醒した人が更に多くの人を導いてって感じで
このバージョンのお釈迦様はやっぱり熱意がないというか
片手間というかのんびりというか....
593桃太郎
2022/04/04(月) 09:23:35.88ID:0NdRC9zG >>592
小乗教の教えは初心者向けなので、分かりやすく解しやすいのです。
ところが、法華経は言語に尽くせぬ「仏の悟り」を様々な譬喩をもって説いてあるので
小乗教と同じ感覚で読んでも理解出来ません。
経文は「文」「義」「意」というふうに読み捉える事が必要なのです。
仮に法華経を「文」(※文上)だけで読むと、相当、荒唐無稽なおとぎ話にしか読めません。
ところが「そうした譬喩は一体何を意味するものなのか」と深読みすれば、経文のとらえ方も違ってくるのです。
過去に天台智、伝教最澄が、法華経が最上第一の経文である事を証明しました。
それほど優れた教えなのです。
法華経に説かれる究極の結論は「一切衆生は皆、平等に本来「仏」である」という事です。
それを悟るを「仏」といい、迷う時を「凡夫」と言うのです。
ゆえに、「成仏」とは「仏に成る」と読むのでは無く「仏を開く」と読むのです。
そして、その仏の生命を迷いの凡夫に覚知させる為に、42年、小乗教、権大乗経を説き、法華経を理解せしめる下地を作っておいて
最後の8年間で仏の出世の本懐である法華経を説いたのです。
その究極の悟りを様々な譬喩をもって釈尊は法華経に説いたのです。
仏の究極の悟りを説くのですから、難信難解なのは当たり前なのです。
小乗教の教えは初心者向けなので、分かりやすく解しやすいのです。
ところが、法華経は言語に尽くせぬ「仏の悟り」を様々な譬喩をもって説いてあるので
小乗教と同じ感覚で読んでも理解出来ません。
経文は「文」「義」「意」というふうに読み捉える事が必要なのです。
仮に法華経を「文」(※文上)だけで読むと、相当、荒唐無稽なおとぎ話にしか読めません。
ところが「そうした譬喩は一体何を意味するものなのか」と深読みすれば、経文のとらえ方も違ってくるのです。
過去に天台智、伝教最澄が、法華経が最上第一の経文である事を証明しました。
それほど優れた教えなのです。
法華経に説かれる究極の結論は「一切衆生は皆、平等に本来「仏」である」という事です。
それを悟るを「仏」といい、迷う時を「凡夫」と言うのです。
ゆえに、「成仏」とは「仏に成る」と読むのでは無く「仏を開く」と読むのです。
そして、その仏の生命を迷いの凡夫に覚知させる為に、42年、小乗教、権大乗経を説き、法華経を理解せしめる下地を作っておいて
最後の8年間で仏の出世の本懐である法華経を説いたのです。
その究極の悟りを様々な譬喩をもって釈尊は法華経に説いたのです。
仏の究極の悟りを説くのですから、難信難解なのは当たり前なのです。
594桃太郎
2022/04/04(月) 09:55:21.81ID:0NdRC9zG いかに優れた教えであっても、それを現実の上に体現できなければ「絵に描いた餅」と同じです。
釈迦在世の阿羅漢は「歴劫修行」と言って、なんども生死を繰り返し、仏道修行を繰り返し、悟りの境涯を高め
再び、師匠である釈尊に巡り会い「法華経」を聞いて得脱するのです。
セレブの王子様であった釈尊が、わずか十数年、外道の教えを修行して悟りを得て「仏」成ったというのは、あくまでも方便です。
それを、そのまま信じているのが「小乗教信者」なのです。
実際は久遠の昔に「仏」であり、衆生を哀れむゆえにこの娑婆世界に出現して「法華経」を説いたというのが真実です。
ところが末法に於いては釈迦の法華経もなんの力もありません。
それは、法華経において釈迦自身が預言しています。
そして末法(法滅※釈尊の教えが功力を無くす時代)には「地湧の菩薩」※上首上行菩薩が末法の法華経を弘めるであろうと預言されています。
一応「菩薩」となっていますが、真実は「菩薩仏」であり、末法の御本仏であられる日蓮大聖人を指します。
そして末法の法華経とは何かといえば「南無教法蓮華経」の七文字です。
この七文字に釈尊の仏の悟りのすべてを包含しています。
ゆえに
日蓮大聖人が「観心本尊抄」で明かされた。
同抄には「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」
釈尊の因行(成仏のために積んだ膨大な修行)と果徳(修行によって得たさまざまな功徳)のすべては、仏種である「妙法蓮華経の五字」すなわち南無妙法蓮華経にそなわっている。
よってこの南無妙法蓮華経を受持することで、おのずと仏の因果の功徳を譲り受けることができる。
という訳です。
釈迦在世の阿羅漢は「歴劫修行」と言って、なんども生死を繰り返し、仏道修行を繰り返し、悟りの境涯を高め
再び、師匠である釈尊に巡り会い「法華経」を聞いて得脱するのです。
セレブの王子様であった釈尊が、わずか十数年、外道の教えを修行して悟りを得て「仏」成ったというのは、あくまでも方便です。
それを、そのまま信じているのが「小乗教信者」なのです。
実際は久遠の昔に「仏」であり、衆生を哀れむゆえにこの娑婆世界に出現して「法華経」を説いたというのが真実です。
ところが末法に於いては釈迦の法華経もなんの力もありません。
それは、法華経において釈迦自身が預言しています。
そして末法(法滅※釈尊の教えが功力を無くす時代)には「地湧の菩薩」※上首上行菩薩が末法の法華経を弘めるであろうと預言されています。
一応「菩薩」となっていますが、真実は「菩薩仏」であり、末法の御本仏であられる日蓮大聖人を指します。
そして末法の法華経とは何かといえば「南無教法蓮華経」の七文字です。
この七文字に釈尊の仏の悟りのすべてを包含しています。
ゆえに
日蓮大聖人が「観心本尊抄」で明かされた。
同抄には「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」
釈尊の因行(成仏のために積んだ膨大な修行)と果徳(修行によって得たさまざまな功徳)のすべては、仏種である「妙法蓮華経の五字」すなわち南無妙法蓮華経にそなわっている。
よってこの南無妙法蓮華経を受持することで、おのずと仏の因果の功徳を譲り受けることができる。
という訳です。
595桃太郎
2022/04/04(月) 09:58:35.82ID:0NdRC9zG 重大な間違い(冷や汗
>そして末法の法華経とは何かといえば「南無「教法」蓮華経」の七文字です。 (誤り)
>そして末法の法華経とは何かといえば「南無「妙法」蓮華経」の七文字です。 (正解)
>そして末法の法華経とは何かといえば「南無「教法」蓮華経」の七文字です。 (誤り)
>そして末法の法華経とは何かといえば「南無「妙法」蓮華経」の七文字です。 (正解)
596桃太郎
2022/04/04(月) 10:08:31.74ID:0NdRC9zG 日蓮大聖人は、私たちの祈りが必ず叶うことを次のように仰せです。
「たとえ大地をさして外れることがあっても、虚空をつないで結びつける人があっても、
また、潮の満ち干がなくなったとしても、太陽が西から昇ることがあったとしても、
法華経の行者(妙法を実践する人)の祈りが叶わないことは、絶対にないのです」
本当に悩みのある人は、東天に向かい心ゆくまで「南無妙法蓮華経」と唱えて見たら良い。
瞑想してもなにも現実は変わらない。お題目は現状を打破できる。
欺されたと思って試してみたら良い。すぐに結果は顕れる。
但し、そのほかの修行を一切してはならない。
これが前提条件です。
「たとえ大地をさして外れることがあっても、虚空をつないで結びつける人があっても、
また、潮の満ち干がなくなったとしても、太陽が西から昇ることがあったとしても、
法華経の行者(妙法を実践する人)の祈りが叶わないことは、絶対にないのです」
本当に悩みのある人は、東天に向かい心ゆくまで「南無妙法蓮華経」と唱えて見たら良い。
瞑想してもなにも現実は変わらない。お題目は現状を打破できる。
欺されたと思って試してみたら良い。すぐに結果は顕れる。
但し、そのほかの修行を一切してはならない。
これが前提条件です。
597神も仏も名無しさん
2022/04/04(月) 10:33:30.84ID:Cj4Fhqo4 >>569
ただ、南無阿弥陀仏で良いんじゃないですか?
ミクロ、中、マクロでみたら、
それが神体
前5知識
しかし、ブルーブルーって、俺の理想色だな
青のグラデーション
そもそも、新色の定義はなんだ?
ただ、南無阿弥陀仏で良いんじゃないですか?
ミクロ、中、マクロでみたら、
それが神体
前5知識
しかし、ブルーブルーって、俺の理想色だな
青のグラデーション
そもそも、新色の定義はなんだ?
598神も仏も名無しさん
2022/04/04(月) 10:36:06.66ID:Cj4Fhqo4 善知識と、善智識の違いってなんだ?
599神も仏も名無しさん
2022/04/04(月) 10:37:04.65ID:Cj4Fhqo4 そもそも、強気に不死身だったらいいんじゃないかな?
そしたら、仏教も、余暇、風流
そしたら、仏教も、余暇、風流
600神も仏も名無しさん
2022/04/04(月) 10:43:21.72ID:Cj4Fhqo4 結局、孔雀明王も、聖母マリアも、こう言っては失礼だが、激しいセックスや、躾のために子をぶったりしただろう。
改心しさえすればそれてでいいのだから、思ったとおりやりたいように強く生きて、さっさと改心して大人に立派にアニメルパン3世のようになったほうがいい
強
たぶん、古代漢字みればわかるんじゃない?
譚嗣同も、仁学で説いているけども。
一応、皇室のセックスは、犯し禁忌みたいなものだけどもね
改心しさえすればそれてでいいのだから、思ったとおりやりたいように強く生きて、さっさと改心して大人に立派にアニメルパン3世のようになったほうがいい
強
たぶん、古代漢字みればわかるんじゃない?
譚嗣同も、仁学で説いているけども。
一応、皇室のセックスは、犯し禁忌みたいなものだけどもね
601神も仏も名無しさん
2022/04/05(火) 00:21:01.95ID:RxhmUusA でもよくよく考えてみたら
実際は死んでいなくて折を見て特定の人達の前に現れて
永遠に法を説いているバージョンミンのお釈迦様だったら
法華経以降のアップグレートされた教えがあって
法華経だろうが鎌倉仏教だろうがそれはもう古いっていうか
っていうかお釈迦様の経典じゃない教えなんて
もっての外というか
ってもう方便の重曹構造で何が何やら
そうか 現代でも永遠不滅のお釈迦様が目の前に現れ
法を説かれて
これまでの経典 私の弟子と称する者が説いた教え
それらは実は方便なんだ 最新版はこれです
って私聞きました って人が現れますね
もしそんな人が現れて画期的な瞑想方法とか実践方法で
ビックリするぐらい救われたら良いのになー
なんだかんだ言ってヴィパサナはしんどいですからね
実際は死んでいなくて折を見て特定の人達の前に現れて
永遠に法を説いているバージョンミンのお釈迦様だったら
法華経以降のアップグレートされた教えがあって
法華経だろうが鎌倉仏教だろうがそれはもう古いっていうか
っていうかお釈迦様の経典じゃない教えなんて
もっての外というか
ってもう方便の重曹構造で何が何やら
そうか 現代でも永遠不滅のお釈迦様が目の前に現れ
法を説かれて
これまでの経典 私の弟子と称する者が説いた教え
それらは実は方便なんだ 最新版はこれです
って私聞きました って人が現れますね
もしそんな人が現れて画期的な瞑想方法とか実践方法で
ビックリするぐらい救われたら良いのになー
なんだかんだ言ってヴィパサナはしんどいですからね
602神も仏も名無しさん
2022/04/05(火) 13:13:41.62ID:qj30IsYF いちおう、日蓮宗や浄土真宗はキリスト教からどう見えるか、ヨハネのブログから分かつと、
>>聖書は、「自ら課した崇拝の方式」で、体を単に「厳しく扱うこと」は、「知恵の外見を有していますが」、「何の価値もありません。」と述べています。(コロサイ2:23)
>>単なる苦行は、まことの神に近づくことにはなりませんし、それによって自分の欲望を制御することはできないでしょう。その僧侶はまことの神ではなく、悪霊に長年仕えたことになります。
こう言う根拠は何かというと「聖書」(神の子の言葉)に書いてあるからだそうです。
>>聖書は、「自ら課した崇拝の方式」で、体を単に「厳しく扱うこと」は、「知恵の外見を有していますが」、「何の価値もありません。」と述べています。(コロサイ2:23)
>>単なる苦行は、まことの神に近づくことにはなりませんし、それによって自分の欲望を制御することはできないでしょう。その僧侶はまことの神ではなく、悪霊に長年仕えたことになります。
こう言う根拠は何かというと「聖書」(神の子の言葉)に書いてあるからだそうです。
603神も仏も名無しさん
2022/04/09(土) 02:25:17.41ID:kUIZlOOx 御魂磨き
御魂直し
御魂直し
604神も仏も名無しさん
2022/07/10(日) 10:29:40.31ID:xx1ykQxD Sri Lanka… President Rajapakse flees the country boarding a navy vessel
https://video.twimg.com/ext_tw_video/1545740946150551557/pu/vid/406x720/ZAkyt0etkjJNo7Iy.mp4
スリランカ大統領、海軍艦艇に乗って国外逃亡
https://video.twimg.com/ext_tw_video/1545740946150551557/pu/vid/406x720/ZAkyt0etkjJNo7Iy.mp4
スリランカ大統領、海軍艦艇に乗って国外逃亡
605鹿は害獣、害獣は駆除、故に鹿は駆除。直ちに狼を放て!
2022/09/01(木) 15:38:41.74ID:SXtSVkHl 病名:脅迫性人格障害のインチキキチガイイヌヤマが自供ス。『正直云って仏とは何かと問われても分かりません、公案が進んで無くよくわからないのです』 知障イヌヤマ談
ウソブクのよ透ってないのに、もう40回も初関を透る俺様!と言い放つドマヌケ!40回も透ったら、初関を透る、じゃねーべ!
イヌ自白調書:悟りとか分からねーし、知らねーし、悟ってねーわ來 ググるイヌヤマは常にシカトされ自己存在の確認要求哀願奴隷。
イヌが鳴く:なんで 宗教板って まともなの俺だけなんだ?みんな間違ってばっか、俺だけが正しい。みんな間違ってるのに何で正しい事を言ってる俺は否定ばっかりされるんだ?みんな俺のことを 凄いなと認めろよ。 俺は自分より優れた奴が ゆるせないんだよ(脅迫性人格障害の特徴)
ナント妻子と月一、金曜夜7時からのお坐り会、茶菓(ちゃか)代ワンコインで、これが研究会出席虚勢のトマヌケ犬は、誰からも疎まれる。
イヌヤマは月一第三金曜日夜7時茶菓代ワンコイン坐禅会に出ると偽証。命取りの摂心に親子で100回参加と虚飾ス。
5ちゃんねるの会話はバトル形式、馴れ合いを禁じる。ググるシッタカイヌヤマは、褒めてクレヨの唾棄すべき哀願奴隷。 相手を罵倒する悪口雑言の数々は外道イヌヤマへのリアル社会の絶対評価です。荒らしイヌヤマは問いに問いで返す脊髄反射の脳足りんで悟前(ごぜん)未悟(みご)、金魚ドジョウと救い難い。
食業ドライバーイヌヤマとは法相宗(ほっそうしゅう)>奈良 興福寺(こうふくじ)前官長じっちゃんのお抱え運転手で、食業ドライバーだったに過ぎず仏教からは門外漢だね。 だから、しったかぶる以外に存在承認欲求を満たすものは一切無い
① 荒らしイヌヤマは無視放置スルーが一番ツライ、耐えられない。シッタカイヌヤマは常に誰かの反応レスを待ち焦がれる
② 放置された脱糞イヌヤマは煽りや自作自演でアナタのレスを誘う。ワケワカメ糞邪鬼イヌヤマにノセられてレスしたらその時点でアナタも同類、負け、完敗です。
③ ;反撃はイヌの滋養にして栄養であり最も悦ぶ事です。門前のヤセイヌにエサを投げ与えぬ事。
④ ;外道イヌヤマが枯死するまで孤独に暴れさせゴミが溜まったら削除で寸
多数者を演じて孤立してないと強弁し自作自演のおぞましい日々の無脊椎動物むらりひょんイヌヤマは成り済まし多重人格者で要治療対象者。
虚言癖病:鬼和尚エロ和尚アカベイ偽和尚イヌヤマ軍曹安堂麦野良屁魔は異名同一人物がキャラ変で世をたばかる極悪人です。
ウソブクのよ透ってないのに、もう40回も初関を透る俺様!と言い放つドマヌケ!40回も透ったら、初関を透る、じゃねーべ!
イヌ自白調書:悟りとか分からねーし、知らねーし、悟ってねーわ來 ググるイヌヤマは常にシカトされ自己存在の確認要求哀願奴隷。
イヌが鳴く:なんで 宗教板って まともなの俺だけなんだ?みんな間違ってばっか、俺だけが正しい。みんな間違ってるのに何で正しい事を言ってる俺は否定ばっかりされるんだ?みんな俺のことを 凄いなと認めろよ。 俺は自分より優れた奴が ゆるせないんだよ(脅迫性人格障害の特徴)
ナント妻子と月一、金曜夜7時からのお坐り会、茶菓(ちゃか)代ワンコインで、これが研究会出席虚勢のトマヌケ犬は、誰からも疎まれる。
イヌヤマは月一第三金曜日夜7時茶菓代ワンコイン坐禅会に出ると偽証。命取りの摂心に親子で100回参加と虚飾ス。
5ちゃんねるの会話はバトル形式、馴れ合いを禁じる。ググるシッタカイヌヤマは、褒めてクレヨの唾棄すべき哀願奴隷。 相手を罵倒する悪口雑言の数々は外道イヌヤマへのリアル社会の絶対評価です。荒らしイヌヤマは問いに問いで返す脊髄反射の脳足りんで悟前(ごぜん)未悟(みご)、金魚ドジョウと救い難い。
食業ドライバーイヌヤマとは法相宗(ほっそうしゅう)>奈良 興福寺(こうふくじ)前官長じっちゃんのお抱え運転手で、食業ドライバーだったに過ぎず仏教からは門外漢だね。 だから、しったかぶる以外に存在承認欲求を満たすものは一切無い
① 荒らしイヌヤマは無視放置スルーが一番ツライ、耐えられない。シッタカイヌヤマは常に誰かの反応レスを待ち焦がれる
② 放置された脱糞イヌヤマは煽りや自作自演でアナタのレスを誘う。ワケワカメ糞邪鬼イヌヤマにノセられてレスしたらその時点でアナタも同類、負け、完敗です。
③ ;反撃はイヌの滋養にして栄養であり最も悦ぶ事です。門前のヤセイヌにエサを投げ与えぬ事。
④ ;外道イヌヤマが枯死するまで孤独に暴れさせゴミが溜まったら削除で寸
多数者を演じて孤立してないと強弁し自作自演のおぞましい日々の無脊椎動物むらりひょんイヌヤマは成り済まし多重人格者で要治療対象者。
虚言癖病:鬼和尚エロ和尚アカベイ偽和尚イヌヤマ軍曹安堂麦野良屁魔は異名同一人物がキャラ変で世をたばかる極悪人です。
606神も仏も名無しさん
2022/09/12(月) 18:26:05.62ID:8nj2DtaE やっぱテーラワーダのほうが説得力あるよ
ブッダの教えに忠実というか
大乗みたいに後付けの教えで手垢がついた教えより
簡素にして力強い
教えを聞いていても分かりやすいよね
そして、体験の部分は深いが、安易に外部にもらさない
そのストイックさが魅力的というか信頼がおける理由になっている
ブッダの教えに忠実というか
大乗みたいに後付けの教えで手垢がついた教えより
簡素にして力強い
教えを聞いていても分かりやすいよね
そして、体験の部分は深いが、安易に外部にもらさない
そのストイックさが魅力的というか信頼がおける理由になっている
607神も仏も名無しさん
2022/09/12(月) 20:53:40.54ID:X7BEPVOj テーラワーダは釈尊が否定したはずのカースト制度とベッタリの関係
邪教だよね
邪教だよね
608神も仏も名無しさん
2022/09/12(月) 22:27:01.93ID:8nj2DtaE 具体的にどこが?
教団内で身分差別があったりするわけ?
教団内で身分差別があったりするわけ?
609神も仏も名無しさん
2022/09/12(月) 22:36:20.47ID:8nj2DtaE ググったところによると、釈尊時代から仏教は既存社会に融和的で身分差も許容していたようですね。
いわば誰でも救いに開かれてますよと言っているのであって
みんなが同じ方便に従うとは言っていなかったようです。
勉強になるなあ
いわば誰でも救いに開かれてますよと言っているのであって
みんなが同じ方便に従うとは言っていなかったようです。
勉強になるなあ
610神も仏も名無しさん
2022/09/12(月) 22:38:55.66ID:8nj2DtaE やっぱテーラワーダのほうが説得力あるわ
テーラワーダ否定するやつらは修行をしない哲学連中か
お花畑にそまった大乗連中しかいない
テーラワーダ否定するやつらは修行をしない哲学連中か
お花畑にそまった大乗連中しかいない
611神も仏も名無しさん
2022/09/13(火) 16:34:32.59ID:Ve0wNfyM >ググったところによると、釈尊時代から仏教は既存社会に融和的で身分差も許容していたようですね。
いやー、テーラワーダはウソこいて平気な顔をしてはるわ、頭がコヤシ畑ですね
テーラワーダは邪教
いやー、テーラワーダはウソこいて平気な顔をしてはるわ、頭がコヤシ畑ですね
テーラワーダは邪教
612神も仏も名無しさん
2022/09/13(火) 18:35:00.67ID:SskjsIHN 日蓮系ってさみんな本来仏だとか言うくせに
実社会でなんもしてないよな
鎌倉室町戦国と武士が台頭して庶民を支配する中
日蓮宗はなんもしてない
法華経唱えろとしか言ってない
江戸時代に至っては幕府に組み込まれて
逆に身分差を肯定した。言ってみれば
大乗もテーラワーダと同じ穴のムジナなわけ
明治になっても華族がいるのを見てめているし
戦後になっても天皇を認めている
実社会でなんもしてないよな
鎌倉室町戦国と武士が台頭して庶民を支配する中
日蓮宗はなんもしてない
法華経唱えろとしか言ってない
江戸時代に至っては幕府に組み込まれて
逆に身分差を肯定した。言ってみれば
大乗もテーラワーダと同じ穴のムジナなわけ
明治になっても華族がいるのを見てめているし
戦後になっても天皇を認めている
613神も仏も名無しさん
2022/09/14(水) 12:29:51.58ID:3TrCxYTL 立正安国論も読まずに日蓮を批判するテーラワーダは怠け者の邪教
614神も仏も名無しさん
2022/09/14(水) 13:53:36.46ID:cS6+G9zE だから身分差を解消するために何かしたのかよ
結局身分差認めてるじゃねえかよって話だ
結局身分差認めてるじゃねえかよって話だ
615神も仏も名無しさん
2022/09/15(木) 11:31:30.32ID:HexmQxUH 痛い所を突かれると逆切れするテーラワーダは邪教
616神も仏も名無しさん
2022/09/15(木) 16:42:05.77ID:aR8TmUVs 反論できなくて人格攻撃、大乗さんはピントずれてんだよ
これじゃテーラワーダに勝てないのも無理ない
これじゃテーラワーダに勝てないのも無理ない
617神も仏も名無しさん
2022/09/16(金) 13:33:35.93ID:t+3eNhAi 痛い所を突かれると、人格攻撃だ、と論点をずらして逃げるテーラワーダは邪教
618神も仏も名無しさん
2022/09/16(金) 18:42:36.08ID:0XrCKkeb 論点ずらして逃げてるのは大乗のおばかさん
619神も仏も名無しさん
2022/09/17(土) 12:50:08.75ID:l/qDg+4G 痛い所を突かれると相手をバカ呼ばわりして逃げるテーラワーダは邪教
620神も仏も名無しさん
2022/09/17(土) 12:58:22.36ID://Mx/75f 水かけ論にもっていきたいようだが
先に人格攻撃したのはそっち
それを非難したら人格攻撃?
大乗さんは犯罪気質だな
先に人格攻撃したのはそっち
それを非難したら人格攻撃?
大乗さんは犯罪気質だな
621神も仏も名無しさん
2022/09/18(日) 10:53:56.16ID:mufZHc9f 痛い所を突かれると相手を犯罪気質呼ばわりして逃げるテーラワーダは邪教
622神も仏も名無しさん
2022/09/18(日) 14:06:50.36ID:V1GLcPz5 壊れたテープレコーダーになる大乗さん
もはやまともな精神状態にはないようである
もはやまともな精神状態にはないようである
623神も仏も名無しさん
2022/09/19(月) 11:09:56.14ID:RfTng+na 痛い所を突かれると相手をキ○ガイ呼ばわりして逃げるテーラワーダは邪教
624神も仏も名無しさん
2022/10/01(土) 02:29:38.22ID:4i98aWhx 是故空中。無色無受想行識。無眼耳鼻舌身意。無色声香味触法。無眼界。乃至無意識界。無無明。亦無無明尽。乃至無老死。亦無老死尽。無苦集滅道。無智亦無得。
625神も仏も名無しさん
2022/10/08(土) 13:21:41.91ID:IWKZ4Ulo 上座部のさらに以前のいわゆる原始仏教(釈尊在世中の最初期仏教)もここでいいの?
626神も仏も名無しさん
2022/10/08(土) 13:27:00.23ID:IWKZ4Ulo627桃太郎
2022/12/28(水) 12:02:03.43ID:LWYb9MYL <小乗教(テラワダ)が説明出来ない痛い点>
「なんちゃって覚者」が強烈に執着している点は...
生きているから苦しむのであって、つまり
悟りを開いて、この娑婆世界に二度と生じない事を願う事。
※自殺願望の厭世思想と少しも変わらない。
※ネットで遊びながら、釈迦在世の阿羅漢の悟りを得られると妄想している。
※したがって永久に叶わぬ愚かな夢で短い生涯を空しく終える。
そんじゃ、最初から生まれてこなきゃ良かったじゃん(苦笑
「なんで生まれて来たの?」
この質問すると彼らは説明きず沈黙します。
「なんちゃって覚者」が強烈に執着している点は...
生きているから苦しむのであって、つまり
悟りを開いて、この娑婆世界に二度と生じない事を願う事。
※自殺願望の厭世思想と少しも変わらない。
※ネットで遊びながら、釈迦在世の阿羅漢の悟りを得られると妄想している。
※したがって永久に叶わぬ愚かな夢で短い生涯を空しく終える。
そんじゃ、最初から生まれてこなきゃ良かったじゃん(苦笑
「なんで生まれて来たの?」
この質問すると彼らは説明きず沈黙します。
628神も仏も名無しさん
2022/12/28(水) 13:47:28.16ID:G0aWFr+X 輪廻してきたからじゃね?
629神も仏も名無しさん
2023/01/04(水) 17:17:35.40ID:WgHzfl3P >>628
いや、そうじゃなくって最初から生まれなきゃ、「輪廻」すらあり得ない事でしょ。
って話なんです。
言ってる事わかりますか?
よく考えて見て下さい。実に不合理でしょ。
つまり、「生老病死」「成住壊空」という「宇宙の絶対的な法則」からは仏すら逃れられないのです。
老いない、病まない、死なない人間が居ないように、生命は永遠であり必ず縁によって自身の宿業に見合ったところへ生まれてくるんです。
それが仏法だからです。
覚ったら、この娑婆世界に二度と戻ることはないというのは、仏の方便です。
キリスト教で言えば、神を信じていれば死後「天国」に行けると言った話と同じです。
では、どうして釈尊はそのような方便を使ったかというと、「真実の教えである法華経に誘引するため」なのです。
いや、そうじゃなくって最初から生まれなきゃ、「輪廻」すらあり得ない事でしょ。
って話なんです。
言ってる事わかりますか?
よく考えて見て下さい。実に不合理でしょ。
つまり、「生老病死」「成住壊空」という「宇宙の絶対的な法則」からは仏すら逃れられないのです。
老いない、病まない、死なない人間が居ないように、生命は永遠であり必ず縁によって自身の宿業に見合ったところへ生まれてくるんです。
それが仏法だからです。
覚ったら、この娑婆世界に二度と戻ることはないというのは、仏の方便です。
キリスト教で言えば、神を信じていれば死後「天国」に行けると言った話と同じです。
では、どうして釈尊はそのような方便を使ったかというと、「真実の教えである法華経に誘引するため」なのです。
630神も仏も名無しさん
2023/01/04(水) 18:26:33.74ID:tz/sgXwP キチガイ
631神も仏も名無しさん
2023/01/05(木) 17:20:56.42ID:jl7QepNw 理論はわかるんですけど
何で全く共感が得られないかというと
お釈迦様と法華経を結びつけるからですよ
お釈迦様が言ってもいないことを言ったと言われても
ほんとにもうこっちはどうすることもできません
是非お釈迦様という虎の威を借りずに
何とか共感を得られるように工夫してみて下さい
お釈迦様が何で在世中にこんなに簡単で誰にでもできる
そして強力な方法を封印したのか
当時も他教でマントラなどの修行はあったでしょうに
第一次の結集の時に実は最強の方法を教えられたが
何百年後まで公開してはならないという遺言がある
そういう記述が残っていればまだよかったんですけどね
何で全く共感が得られないかというと
お釈迦様と法華経を結びつけるからですよ
お釈迦様が言ってもいないことを言ったと言われても
ほんとにもうこっちはどうすることもできません
是非お釈迦様という虎の威を借りずに
何とか共感を得られるように工夫してみて下さい
お釈迦様が何で在世中にこんなに簡単で誰にでもできる
そして強力な方法を封印したのか
当時も他教でマントラなどの修行はあったでしょうに
第一次の結集の時に実は最強の方法を教えられたが
何百年後まで公開してはならないという遺言がある
そういう記述が残っていればまだよかったんですけどね
632桃太郎
2023/01/27(金) 16:34:15.91ID:kZxvRhJS 悟りを得れば、二度と生まれてこない。
だれが証明できるんですか?
>お釈迦様が言ってもいないことを言ったと言われても
釈迦の直筆の書などありません。
経典も文字化されるまでに数百年経っています。
なので釈迦の教えが正しいか間違っているかは、経文通りかどうかを検証するしかないです。
例えば10の教えがあって、その内9は現世で検証できる。残り1は死後の事なので誰も証明できないとします。
検証できる9が経文通りに正しいと判断できれば、死後の事も納得できるでしょう。
同じように、科学も誰が書いたかとか関係無しに、方程式通りに証明できれば、その書物は正しいと言えることです。
仏教はある意味科学です。そうで無ければ他の宗教と同じで「盲信」でしかない。
貴方たちはこの世でただ一人の釈迦の教え、絶対に証明することの出来ない「悟りを得れば輪廻しない」を何の躊躇も無く信じているのです。
私なら 仏教にも様々な教えがあり、それぞれ主張が相反しているものもあります。
どちらの主張が正しいのか、科学的に検証する立場です。
悩みがある。末法の法華経である「南無妙法蓮華経」の信心をする。悩みが解決して幸福になる。
※覚った気分になったとか、そういう気分的、主観的な感覚では無く現実的に。
※病気が治る。人間関係、経済的な問題の解決、就職等々、客観的に証明できる変化。
そうなれば信じられる。
対して、貴方たちは、単純に主観的な範疇を超えられません。
単に、「覚った、覚った」と言うだけで、現実は何も変わっていない。むしろ不幸な方向へ進んでいる。
だれが証明できるんですか?
>お釈迦様が言ってもいないことを言ったと言われても
釈迦の直筆の書などありません。
経典も文字化されるまでに数百年経っています。
なので釈迦の教えが正しいか間違っているかは、経文通りかどうかを検証するしかないです。
例えば10の教えがあって、その内9は現世で検証できる。残り1は死後の事なので誰も証明できないとします。
検証できる9が経文通りに正しいと判断できれば、死後の事も納得できるでしょう。
同じように、科学も誰が書いたかとか関係無しに、方程式通りに証明できれば、その書物は正しいと言えることです。
仏教はある意味科学です。そうで無ければ他の宗教と同じで「盲信」でしかない。
貴方たちはこの世でただ一人の釈迦の教え、絶対に証明することの出来ない「悟りを得れば輪廻しない」を何の躊躇も無く信じているのです。
私なら 仏教にも様々な教えがあり、それぞれ主張が相反しているものもあります。
どちらの主張が正しいのか、科学的に検証する立場です。
悩みがある。末法の法華経である「南無妙法蓮華経」の信心をする。悩みが解決して幸福になる。
※覚った気分になったとか、そういう気分的、主観的な感覚では無く現実的に。
※病気が治る。人間関係、経済的な問題の解決、就職等々、客観的に証明できる変化。
そうなれば信じられる。
対して、貴方たちは、単純に主観的な範疇を超えられません。
単に、「覚った、覚った」と言うだけで、現実は何も変わっていない。むしろ不幸な方向へ進んでいる。
633神も仏も名無しさん
2023/01/27(金) 19:01:42.68ID:C0UJaAIM スマナサーラのじじい最近なにしてるのかねえ?
634神も仏も名無しさん
2023/01/27(金) 23:41:51.87ID:888GcRic >>632
まず仏教で大事なのは実践してみて自身で確かめられるかどうかが大事という話ですが、もちろんその意見に大賛成です。
お釈迦様はご自身の言葉であっても安易に信じるな、
自身で確かめよと繰り返しおっしゃっております。
そして経典では弟子が、この教えは自分で確かめられる素晴らしい
教えです!と、
何度も感激、感嘆、称賛の気持ちを表す表現が出てきます。
私も全く同じ思いです。私は在家で暗中模索でしたが、約10年弱でまさにこの通りだとわかりました。
流石に阿羅漢ではありませんので全部はわかりませんが、
諸法無我を体験した瞬間に10あるうちの9が全くの真実である、
という確信が生まれ、教えに対する疑惑...というより
あーかな?こーかな?など色々と考えを巡らすことがなくなりました。
仏教において、自身で確かめるというのはこのようなことを言います。
あなたのおっしゃる客観的な確からしさというのは仏教とは関係ありません。
何故なら仏教とは縁もゆかりもないのに人格が立派で裕福になる人がいたり、
学会員で真面目に活動しているのに突然無惨な死を迎える人がいたりするからです。
そのような場合、また苦しい言い訳を考え出さなければいけなくなるでしょう。
寧ろ、病気や人間関係や経済的には色々苦心、努力しても
必ずしも上手くいかない場合もあるかもしれないけど、
それらをもろともしない勇気や明るさ誠実さ心の強さの成長をもって
信仰の証明(自身の確信)、周囲の人々への証明とすべきと、
あなたの立場なら私は考えるでしょう。
加えてあなたの検証方法を採用するなら、キリスト教の呪文やイスラム教の呪文(あるのか知りませんが)
ヒンズー教、チベット密教、ブードゥー教、陰陽道、その他様々な呪術など
全部とは言いませんが、主要なものだけでも試さなくてはならないでしょう。
なにせ目安となる客観的な指標を目に見える証拠とするならば、
これらのものの方が強力である可能性があるからです。
まず仏教で大事なのは実践してみて自身で確かめられるかどうかが大事という話ですが、もちろんその意見に大賛成です。
お釈迦様はご自身の言葉であっても安易に信じるな、
自身で確かめよと繰り返しおっしゃっております。
そして経典では弟子が、この教えは自分で確かめられる素晴らしい
教えです!と、
何度も感激、感嘆、称賛の気持ちを表す表現が出てきます。
私も全く同じ思いです。私は在家で暗中模索でしたが、約10年弱でまさにこの通りだとわかりました。
流石に阿羅漢ではありませんので全部はわかりませんが、
諸法無我を体験した瞬間に10あるうちの9が全くの真実である、
という確信が生まれ、教えに対する疑惑...というより
あーかな?こーかな?など色々と考えを巡らすことがなくなりました。
仏教において、自身で確かめるというのはこのようなことを言います。
あなたのおっしゃる客観的な確からしさというのは仏教とは関係ありません。
何故なら仏教とは縁もゆかりもないのに人格が立派で裕福になる人がいたり、
学会員で真面目に活動しているのに突然無惨な死を迎える人がいたりするからです。
そのような場合、また苦しい言い訳を考え出さなければいけなくなるでしょう。
寧ろ、病気や人間関係や経済的には色々苦心、努力しても
必ずしも上手くいかない場合もあるかもしれないけど、
それらをもろともしない勇気や明るさ誠実さ心の強さの成長をもって
信仰の証明(自身の確信)、周囲の人々への証明とすべきと、
あなたの立場なら私は考えるでしょう。
加えてあなたの検証方法を採用するなら、キリスト教の呪文やイスラム教の呪文(あるのか知りませんが)
ヒンズー教、チベット密教、ブードゥー教、陰陽道、その他様々な呪術など
全部とは言いませんが、主要なものだけでも試さなくてはならないでしょう。
なにせ目安となる客観的な指標を目に見える証拠とするならば、
これらのものの方が強力である可能性があるからです。
635桃太郎
2023/01/30(月) 09:10:15.34ID:+fCFtbpq >>634
>あなたのおっしゃる客観的な確からしさというのは仏教とは関係ありません。
違います。客観的な現証が無ければ、結局「主観」という事になります。
つまり、「主観」であれば、なんとでも言えます。
「神の啓示を聞いた」、「阿弥陀仏を感じた」、「犬神のお告げを聞いた」、「●●を感じた」等々。
本人がそう言い張れば肯定も否定もできません。
あらゆる宗派の人は「自分の宗教こそ正しい」と思っているのですから、客観的な現証のない「主観」で主張される以上は何も言えないのです。
初期の仏教ですら部派仏教のように様々な解釈と主張がなされ分裂して行ったのです。
「悟った」と言えば「ああそうですか」と言う以外にないし、それは、それで本人の自由です。
結局、何が正しいかという基準が曖昧で、「自分が正しいと思うから正しい」という以外にないのです。
しかし、そこに重大な落とし穴があります。
この世界には無数の宗教、分派が存在します。
教えや、解釈、主張もそれぞれです。
しかし、真実は必ず一つなのです。ゆえに客観的な現証というのもが大事なのです。
つまり、宗教も科学的に実証されてこそ本物と言えるのです。
そうでなければ「自分が正しいと思うから正しい」。結果、どの教えが正しいのか分からないという事になるのです。
>あなたのおっしゃる客観的な確からしさというのは仏教とは関係ありません。
違います。客観的な現証が無ければ、結局「主観」という事になります。
つまり、「主観」であれば、なんとでも言えます。
「神の啓示を聞いた」、「阿弥陀仏を感じた」、「犬神のお告げを聞いた」、「●●を感じた」等々。
本人がそう言い張れば肯定も否定もできません。
あらゆる宗派の人は「自分の宗教こそ正しい」と思っているのですから、客観的な現証のない「主観」で主張される以上は何も言えないのです。
初期の仏教ですら部派仏教のように様々な解釈と主張がなされ分裂して行ったのです。
「悟った」と言えば「ああそうですか」と言う以外にないし、それは、それで本人の自由です。
結局、何が正しいかという基準が曖昧で、「自分が正しいと思うから正しい」という以外にないのです。
しかし、そこに重大な落とし穴があります。
この世界には無数の宗教、分派が存在します。
教えや、解釈、主張もそれぞれです。
しかし、真実は必ず一つなのです。ゆえに客観的な現証というのもが大事なのです。
つまり、宗教も科学的に実証されてこそ本物と言えるのです。
そうでなければ「自分が正しいと思うから正しい」。結果、どの教えが正しいのか分からないという事になるのです。
636桃太郎
2023/01/30(月) 10:03:58.23ID:+fCFtbpq >学会員で真面目に活動しているのに突然無惨な死を迎える人がいたりするからです。
それは、創価学会員に限った事では無いでしょう。
真面目なテーラワーダ信者は事故に遭わない、突然死が無いと証明できますか?
テーラワーダの聖地ミャンマーの実情をご存じですか?
まずは釈尊の教えの原点に戻って考えるべきです。
仏典には、こう記されている。
「善くない人は恩を知らず、恩を感じない」
「善い人」は「恩を知り、恩を感じる人である」(中村元著「『恩』の思想」、仏教思想研究会編『仏教思想4』所収、平楽寺書店)。
不知恩の者は釈尊の教えに反している。それは仏法者のあるべき姿でもない。
親の恩を知り、師の恩を知り、国、社会の恩を知るものこそ、賢者である。
ゆえに仏法を学ぶ者は当然、「恩を知り、恩を感じる人である」
釈尊の一番の「悲願」は何だったのだろうか
それは「生きとし生けるものよ、幸福になれ!」という願いです。釈尊は言っている。
「母が己が独り子を命を賭けても護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の(慈しみの)こころを起すべし」
(『ブッダのことば − スッタ二バータ』中村元訳、岩波文庫)
母が一人っ子を、命がけで守るように、あらゆる人を、あらゆる生命を幸福にしようと、命をかけて立ち上がれ!。
「一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ」(同)
「立ちつつも、歩みつつも、坐しつつも、臥しつつも、眠らないでいる限りは、この(慈しみの)心づかいをしっかりとたもて。
この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ」(同)
テーラワーダはこの教えを理解しているのだろうか?
真実の仏教は自身の安穏のみならず、人々の幸福、社会の平和を実現してこそ本物と言える。
それでは釈迦自身どのような人生、生涯を歩んで来たのか。その事実を深く考察することによって、釈尊の仏としての本意を知ることが出来るのです。
それは、創価学会員に限った事では無いでしょう。
真面目なテーラワーダ信者は事故に遭わない、突然死が無いと証明できますか?
テーラワーダの聖地ミャンマーの実情をご存じですか?
まずは釈尊の教えの原点に戻って考えるべきです。
仏典には、こう記されている。
「善くない人は恩を知らず、恩を感じない」
「善い人」は「恩を知り、恩を感じる人である」(中村元著「『恩』の思想」、仏教思想研究会編『仏教思想4』所収、平楽寺書店)。
不知恩の者は釈尊の教えに反している。それは仏法者のあるべき姿でもない。
親の恩を知り、師の恩を知り、国、社会の恩を知るものこそ、賢者である。
ゆえに仏法を学ぶ者は当然、「恩を知り、恩を感じる人である」
釈尊の一番の「悲願」は何だったのだろうか
それは「生きとし生けるものよ、幸福になれ!」という願いです。釈尊は言っている。
「母が己が独り子を命を賭けても護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の(慈しみの)こころを起すべし」
(『ブッダのことば − スッタ二バータ』中村元訳、岩波文庫)
母が一人っ子を、命がけで守るように、あらゆる人を、あらゆる生命を幸福にしようと、命をかけて立ち上がれ!。
「一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ」(同)
「立ちつつも、歩みつつも、坐しつつも、臥しつつも、眠らないでいる限りは、この(慈しみの)心づかいをしっかりとたもて。
この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ」(同)
テーラワーダはこの教えを理解しているのだろうか?
真実の仏教は自身の安穏のみならず、人々の幸福、社会の平和を実現してこそ本物と言える。
それでは釈迦自身どのような人生、生涯を歩んで来たのか。その事実を深く考察することによって、釈尊の仏としての本意を知ることが出来るのです。
637桃太郎
2023/01/30(月) 12:02:01.69ID:+fCFtbpq 私は「最初から生まれなきゃ、「輪廻」すらあり得ない事でしょう。」と書きました。
最初から生まれて来なけりゃ修行も不要、悟りも意味なし。
宇宙すらビッグバンも無く、何も無かったら、幸・不幸も無い
しかしながら厳然と存在する「万物生成の宇宙という究極の法」
厳粛な宇宙の法(妙法)に「たまたま」「偶然」はありません。
人がこの世に生まれのも、因果の理法によって、ちゃんとした理由があるのです。
そう考えるのが自然です。
最初から生まれて来なけりゃ修行も不要、悟りも意味なし。
宇宙すらビッグバンも無く、何も無かったら、幸・不幸も無い
しかしながら厳然と存在する「万物生成の宇宙という究極の法」
厳粛な宇宙の法(妙法)に「たまたま」「偶然」はありません。
人がこの世に生まれのも、因果の理法によって、ちゃんとした理由があるのです。
そう考えるのが自然です。
638神も仏も名無しさん
2023/01/31(火) 22:58:20.55ID:yZJxsRHj 生死とは苦しみであるというのが仏教の考え方ですよ
楽すら苦しみの一形態だととらえるのです。
無常ですから楽しみもいつかは終わるんです。
唯一無常でないのが涅槃です。
だから涅槃に入って次生では生まれないようにするのが仏教です。
釈迦牟尼世尊はもうどの世界にもいないんです。
だから仏舎利を供養するんですよ。
それ以外に仏陀とのつながりがないんですからね
楽すら苦しみの一形態だととらえるのです。
無常ですから楽しみもいつかは終わるんです。
唯一無常でないのが涅槃です。
だから涅槃に入って次生では生まれないようにするのが仏教です。
釈迦牟尼世尊はもうどの世界にもいないんです。
だから仏舎利を供養するんですよ。
それ以外に仏陀とのつながりがないんですからね
639神も仏も名無しさん
2023/02/01(水) 16:15:56.32ID:Jo30N0fA >>635
やはり客観にこだわりがおありなようです
それでは客観とは誰にとってに客観なのでしょうか?
周囲からみて素晴らしい?
本人が向上や前進を実感している?
まず本人の判断はあなたのいうようにあてになりません
それは主観に他ならないからです
これはあなたの理論を用いています
それでは周囲の判断はどうでしょうか?
これももちろんあてになりません
いうまでもありませんが
我らが師であるお釈迦様などを考えればお分かりでしょう
またハリウッドスターが麻薬や犯罪に手を染めたり
今世間を騒がせているセレブのような女性の心中は
現在どのようになっているでしょうか
また正しい教えは一つだという根拠も弱すぎます
それこそ貴方の主観ではありませんか?
あなたの理論ならば試験的にでも
学会員で手分けして各宗教に人を派遣して
ある年数を経た後にどれぐらいの違いが出るか
判別しなければなりません
もう五時ハ教や教相判釈には頼れないのですよ
やはり客観にこだわりがおありなようです
それでは客観とは誰にとってに客観なのでしょうか?
周囲からみて素晴らしい?
本人が向上や前進を実感している?
まず本人の判断はあなたのいうようにあてになりません
それは主観に他ならないからです
これはあなたの理論を用いています
それでは周囲の判断はどうでしょうか?
これももちろんあてになりません
いうまでもありませんが
我らが師であるお釈迦様などを考えればお分かりでしょう
またハリウッドスターが麻薬や犯罪に手を染めたり
今世間を騒がせているセレブのような女性の心中は
現在どのようになっているでしょうか
また正しい教えは一つだという根拠も弱すぎます
それこそ貴方の主観ではありませんか?
あなたの理論ならば試験的にでも
学会員で手分けして各宗教に人を派遣して
ある年数を経た後にどれぐらいの違いが出るか
判別しなければなりません
もう五時ハ教や教相判釈には頼れないのですよ
640神も仏も名無しさん
2023/02/01(水) 16:47:17.53ID:Jo30N0fA >>639
続き
言い忘れましたが
もしあなたの思い浮かべている証拠というのが
心の中はどんなに苦しくてもびくびくしていても関係なく
財や病気の回復に現れるのが本物なのだという考えの場合は
お詫びします
私の勝手な思い込みで宗教は心の問題を解決するのが
本目的というところがありますので
もしそこが違っていたら最初から噛み合っていません
それから何故生まれてくるなどの疑問がおありのようですが
それこそ話が噛み合いそうな気がしません
何故なら
どうして水は高いところから低く流れるんだ
どうして風が吹くと落ち葉が落ちるんだ
と聞かれているようで
どう答えていいかわからないのです
少し譲歩して超自然やオカルトっぽく考えてみると
宇宙はとにかく動き続け変化し続けることが目的で
もし不満もなく心地よく常に喜びで溢れていると
変化が無くなってしまうため
鞭で打たれて動かされるように
足掻きもんどり打って動くように設計されたと考えることも
できるでしょう
逆に修業のために困難な世に生まれるのであり
目的は魂の進化や完成などと考えることもできるでしょう
これらはどちらにしても信じる趣味の違いであり
好みの問題にすぎません
何故なら信じる以外の答えは絶対に得られないのですから
続き
言い忘れましたが
もしあなたの思い浮かべている証拠というのが
心の中はどんなに苦しくてもびくびくしていても関係なく
財や病気の回復に現れるのが本物なのだという考えの場合は
お詫びします
私の勝手な思い込みで宗教は心の問題を解決するのが
本目的というところがありますので
もしそこが違っていたら最初から噛み合っていません
それから何故生まれてくるなどの疑問がおありのようですが
それこそ話が噛み合いそうな気がしません
何故なら
どうして水は高いところから低く流れるんだ
どうして風が吹くと落ち葉が落ちるんだ
と聞かれているようで
どう答えていいかわからないのです
少し譲歩して超自然やオカルトっぽく考えてみると
宇宙はとにかく動き続け変化し続けることが目的で
もし不満もなく心地よく常に喜びで溢れていると
変化が無くなってしまうため
鞭で打たれて動かされるように
足掻きもんどり打って動くように設計されたと考えることも
できるでしょう
逆に修業のために困難な世に生まれるのであり
目的は魂の進化や完成などと考えることもできるでしょう
これらはどちらにしても信じる趣味の違いであり
好みの問題にすぎません
何故なら信じる以外の答えは絶対に得られないのですから
641桃太郎
2023/02/01(水) 17:23:15.08ID:LtRFhl6f >>639
>それでは客観とは誰にとってに客観なのでしょうか?
「客観的」の定義はネットで調べれば分かる事でしょう。
すなわち「誰が見てももっともだと納得できる考え方をする様子。 個人(主観)の考えより、普遍的な妥当性を求められるさま。」
簡単に言えば「普遍性」です。
人類は宇宙の法のごく一部を発見し、科学に応用し文明の発展に寄与してきました。
釈迦が「宇宙の法」を創造してのでは無く、地球が誕生する以前から「宇宙の法」は存在します。
しかも、その真理は必ず一つです。
万有引力の法則の方程式が「10」も「20」もあるわけは無いのです。
「1+1が2ではなく、3でも4でも良いじゃないか」では、ロケットは正確に飛べないんです。
よく、「仏教はすべて正しく、修行の仕方が違うだけで、ゴールは同じだ」とか、当たり障りのない論理を振りかざし、自身の信仰する教えを正当化する方々がいますが、とんでもない間違いなんです。
今一度、客観的な現証という事を論じるならば、自分の幸福、安穏ではなく、その教えによって不幸に泣く人々を幸福に導き、社会の安穏と平和に寄与できる哲学であるかどうかを見れば良い。
それを現実の上で実証できてこそ、「一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ」という釈迦の教えに準じていると言えるのではないでしょうか。
>それでは客観とは誰にとってに客観なのでしょうか?
「客観的」の定義はネットで調べれば分かる事でしょう。
すなわち「誰が見てももっともだと納得できる考え方をする様子。 個人(主観)の考えより、普遍的な妥当性を求められるさま。」
簡単に言えば「普遍性」です。
人類は宇宙の法のごく一部を発見し、科学に応用し文明の発展に寄与してきました。
釈迦が「宇宙の法」を創造してのでは無く、地球が誕生する以前から「宇宙の法」は存在します。
しかも、その真理は必ず一つです。
万有引力の法則の方程式が「10」も「20」もあるわけは無いのです。
「1+1が2ではなく、3でも4でも良いじゃないか」では、ロケットは正確に飛べないんです。
よく、「仏教はすべて正しく、修行の仕方が違うだけで、ゴールは同じだ」とか、当たり障りのない論理を振りかざし、自身の信仰する教えを正当化する方々がいますが、とんでもない間違いなんです。
今一度、客観的な現証という事を論じるならば、自分の幸福、安穏ではなく、その教えによって不幸に泣く人々を幸福に導き、社会の安穏と平和に寄与できる哲学であるかどうかを見れば良い。
それを現実の上で実証できてこそ、「一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ」という釈迦の教えに準じていると言えるのではないでしょうか。
642神も仏も名無しさん
2023/02/04(土) 17:43:08.08ID:RD7lIIhC >>641
客観的という言葉の定義は正に想像の産物だと
お分かり頂けるでしょう
今のこの議論のように少なくとも一人は
異論を唱えた者がいるのですから
「誰が見てももっともだ」ではなく
「多くの人が」とか
「比べた時に賛同者の方が多い」など
そのように表現しない限り
常に混乱と争いを生み出す元になるでしょう
また現証については私も(呪術的)意味において
大いに賛同しますが
三証においてはもはや文証が崩れており
正当性を失っていると言わざるを得ません
かつてのように三証を非常に重要視する立場であるならば
目に見える現証が現れたように見えたとて
何かの歯車のズレが生じ良くないことが起こっている
正しい方向へは進まない
更に正しい他の教えがあるかもしれない
そのように考えるのが自然で真摯な態度だと私なら考えます
そしてたとえ大宇宙の真理を理解した
目に見える手助けをしてくれたと感じても
宇宙が本当の意味で味方であるかはわからないのです
もしかしたら宇宙や神のフリをした悪魔かもしれませんし
単なる自身の思い込みかもしれません
宇宙の勝手な我儘の犠牲になっているかもしれません
またこれも確かめることは絶対にできないため
単なる個人の趣味 好みの話に過ぎないのです
ちなみに仏典では修行者に修行を思い止まらせ
永遠に世俗で生きさせようと
誘惑する悪魔が度々登場するようです
この悪魔の目的は人々にジェットコースターのような
人生を歩ませ来世をもう一度経験したい楽しみたい
そう思わせることです
人によって宇宙の法則にも見えるし
神の意思にも思えるし
悪魔の仕業と考える人もいるでしょう
結局はどの物語りが好みかというだけのことなのです
客観的という言葉の定義は正に想像の産物だと
お分かり頂けるでしょう
今のこの議論のように少なくとも一人は
異論を唱えた者がいるのですから
「誰が見てももっともだ」ではなく
「多くの人が」とか
「比べた時に賛同者の方が多い」など
そのように表現しない限り
常に混乱と争いを生み出す元になるでしょう
また現証については私も(呪術的)意味において
大いに賛同しますが
三証においてはもはや文証が崩れており
正当性を失っていると言わざるを得ません
かつてのように三証を非常に重要視する立場であるならば
目に見える現証が現れたように見えたとて
何かの歯車のズレが生じ良くないことが起こっている
正しい方向へは進まない
更に正しい他の教えがあるかもしれない
そのように考えるのが自然で真摯な態度だと私なら考えます
そしてたとえ大宇宙の真理を理解した
目に見える手助けをしてくれたと感じても
宇宙が本当の意味で味方であるかはわからないのです
もしかしたら宇宙や神のフリをした悪魔かもしれませんし
単なる自身の思い込みかもしれません
宇宙の勝手な我儘の犠牲になっているかもしれません
またこれも確かめることは絶対にできないため
単なる個人の趣味 好みの話に過ぎないのです
ちなみに仏典では修行者に修行を思い止まらせ
永遠に世俗で生きさせようと
誘惑する悪魔が度々登場するようです
この悪魔の目的は人々にジェットコースターのような
人生を歩ませ来世をもう一度経験したい楽しみたい
そう思わせることです
人によって宇宙の法則にも見えるし
神の意思にも思えるし
悪魔の仕業と考える人もいるでしょう
結局はどの物語りが好みかというだけのことなのです
643桃太郎
2023/02/06(月) 12:20:41.53ID:MsxsO+O6 >>642
「仏は文字に依つて衆生を度し給うなり」
>客観的という言葉の定義は正に想像の産物だと
>お分かり頂けるでしょう
何を根拠に「想像の産物」と言われるのでしょうか?
私達が仏教を学ぶ際には「経典」という文字を読んで仏の心を知る以外にないのです。
>「比べた時に賛同者の方が多い」など ..
その教えが正しいか正しく無いかは、「賛同者が多い、少ない」の問題では無いのです。
前述しましたように「普遍性」です。客観的に実証された「不変の真理」です。
仏教は主観的な思い込みでは無く、明確な因果の理法に基づく「宇宙根源の法」なのです。
>もしかしたら宇宙や神のフリをした悪魔かもしれませんし ...
ちょっと意味不明です。
それを言い始めたら、もはや議論する意味も価値もありませんね。(苦笑
一切を疑い始めたたら、もはや「信仰」とは言えません。
>結局はどの物語りが好みかというだけのことなのです
ゆえに、上記のような結論になるでしょうね。
「仏は文字に依つて衆生を度し給うなり」
>客観的という言葉の定義は正に想像の産物だと
>お分かり頂けるでしょう
何を根拠に「想像の産物」と言われるのでしょうか?
私達が仏教を学ぶ際には「経典」という文字を読んで仏の心を知る以外にないのです。
>「比べた時に賛同者の方が多い」など ..
その教えが正しいか正しく無いかは、「賛同者が多い、少ない」の問題では無いのです。
前述しましたように「普遍性」です。客観的に実証された「不変の真理」です。
仏教は主観的な思い込みでは無く、明確な因果の理法に基づく「宇宙根源の法」なのです。
>もしかしたら宇宙や神のフリをした悪魔かもしれませんし ...
ちょっと意味不明です。
それを言い始めたら、もはや議論する意味も価値もありませんね。(苦笑
一切を疑い始めたたら、もはや「信仰」とは言えません。
>結局はどの物語りが好みかというだけのことなのです
ゆえに、上記のような結論になるでしょうね。
644桃太郎
2023/02/06(月) 13:21:17.54ID:MsxsO+O6 Wikipedia 抜粋
★「法華経」
法華経の原本は紀元1世紀以降にインドで編纂されたという説が有力である。
当時は、特別な修行を経た出家者のみが救済されるという考えが部派仏教の主流を成していた。
これに対し、法華経は、小乗・大乗の対立を乗り越えつつ、全ての人間が一乗(菩薩乗)を通じて平等に救済されるという仏教思想を強調した内容と理解される。
★「パーリ仏典」テラワダ教の根拠
「現在利用可能なパーリ語の写本はほとんどが18世紀から19世紀という、きわめて近年のものである。」
しかもこれらの写本がどのような過程をたどって現在に至ったかほとんど情報がないため、近代以前の足跡は写本自身から知りえない。
この点、漢訳の諸経典が古い時代―『道安録』を起点とするなら四世紀以降―より翻訳状況の記録とともに継承されていることに比すると、その歴史資料としての価値にはかなりの限界がある。
一般に理解されているように、パーリ語仏典が紀元前の古代スリランカから始まって東南アジア全体に伝播したと仮定しても、伝承の系譜が不明な近代写本のテクストを根拠とし、それより二千数百年も前の古代インドの、マガダ地方という途方もなく離れた過去の空間と時間の一点を特定することは不可能であろう。
インド亜大陸内部に発見されるパーリ語とみられる碑文もスリランカからの巡礼者に向けて立てられたものであり、インド亜大陸におけるパーリ語の流布を証拠づけるものと決定しえないことが指摘されている
***上記の事をスマ爺は理解しているのだろうか***
★「法華経」
法華経の原本は紀元1世紀以降にインドで編纂されたという説が有力である。
当時は、特別な修行を経た出家者のみが救済されるという考えが部派仏教の主流を成していた。
これに対し、法華経は、小乗・大乗の対立を乗り越えつつ、全ての人間が一乗(菩薩乗)を通じて平等に救済されるという仏教思想を強調した内容と理解される。
★「パーリ仏典」テラワダ教の根拠
「現在利用可能なパーリ語の写本はほとんどが18世紀から19世紀という、きわめて近年のものである。」
しかもこれらの写本がどのような過程をたどって現在に至ったかほとんど情報がないため、近代以前の足跡は写本自身から知りえない。
この点、漢訳の諸経典が古い時代―『道安録』を起点とするなら四世紀以降―より翻訳状況の記録とともに継承されていることに比すると、その歴史資料としての価値にはかなりの限界がある。
一般に理解されているように、パーリ語仏典が紀元前の古代スリランカから始まって東南アジア全体に伝播したと仮定しても、伝承の系譜が不明な近代写本のテクストを根拠とし、それより二千数百年も前の古代インドの、マガダ地方という途方もなく離れた過去の空間と時間の一点を特定することは不可能であろう。
インド亜大陸内部に発見されるパーリ語とみられる碑文もスリランカからの巡礼者に向けて立てられたものであり、インド亜大陸におけるパーリ語の流布を証拠づけるものと決定しえないことが指摘されている
***上記の事をスマ爺は理解しているのだろうか***
645神も仏も名無しさん
2023/02/06(月) 15:08:43.26ID:/2VPtHZP >法華経の原本は紀元1世紀以降にインドで編纂されたという説が有力である。
法華経のサンスクリット原本の写本が1世紀の地層から発見された
わけじゃないよ
出土された原本は5世紀から6世紀までのものが限界だし
書写年代が確認されるものは10世紀から11世紀のネパール本だ
ただ文献の解析で1世紀成立なんじゃないかと推定されてるだけだよ
法華経のサンスクリット原本の写本が1世紀の地層から発見された
わけじゃないよ
出土された原本は5世紀から6世紀までのものが限界だし
書写年代が確認されるものは10世紀から11世紀のネパール本だ
ただ文献の解析で1世紀成立なんじゃないかと推定されてるだけだよ
646神も仏も名無しさん
2023/02/06(月) 15:22:37.84ID:/2VPtHZP パーリ語
古代インドの雅語、教養語であったサンスクリット語に対しては、俗語、方言である
プラークリット語の一環で、前者に比して音韻論的にも形態論的にも単純化の
傾向を示しているが、多種多様の要素が混在していて、その基体をなした言語を
特定することはむずかしい。アショカ王碑文にみえる紀元前3世紀の方言分布に徴すると、
それは西部インドの方言にもっとも近いが、東部マガダ語の特徴をも備え、
部分的に人為的作為の跡もみえる。前2世紀より紀元後2世紀にかけて
かなり広範に北インドに通用していた言語と思われる。
公用語として使われた時期に経典を書き写されたと想定されるので
文献的に法華経の成立年代より早いよ
古代インドの雅語、教養語であったサンスクリット語に対しては、俗語、方言である
プラークリット語の一環で、前者に比して音韻論的にも形態論的にも単純化の
傾向を示しているが、多種多様の要素が混在していて、その基体をなした言語を
特定することはむずかしい。アショカ王碑文にみえる紀元前3世紀の方言分布に徴すると、
それは西部インドの方言にもっとも近いが、東部マガダ語の特徴をも備え、
部分的に人為的作為の跡もみえる。前2世紀より紀元後2世紀にかけて
かなり広範に北インドに通用していた言語と思われる。
公用語として使われた時期に経典を書き写されたと想定されるので
文献的に法華経の成立年代より早いよ
647神も仏も名無しさん
2023/02/06(月) 15:23:18.69ID:/2VPtHZP まあ、常識的に考えてパーリ経典が法華経より遅く成立したとは考えられないね
648桃太郎
2023/02/06(月) 16:13:11.47ID:MsxsO+O6 パーリ仏典はいわゆる小乗教。
初期の教えであり、対機説法なんです。
釈尊の初期の教えというのは、衆生の機根に応じて説かれたもであるので、仏の本意では無い。
しかも「写本はほとんどが18世紀から19世紀という、きわめて近年のものである。」という事を理解しましょう。
仮にその教えの中に、古いものがあったにせよ、それは衆生の機根を方便によって整え、仏の究極の教えである「法華経」を理解せしめるための権経なのです。
なので、初期の経典には下記のような記述があります。
「生まれによって賤しい人となるのではない。生まれによってバラモンとなるのではない。行為によって賤しい人ともなり、行為によってバラモンともなる。」
(「ブッダのことば」スッタニパータ 中村元 訳(岩波文庫)」
本来、釈迦の「万人平等の思想」と旧来の「バラモン教」は相容れるものではありません。
もし、釈尊が最初からバラモン教を否定していたなら、仏教は当時のインドでは受け入れられなかったでしょう。
そこで釈尊は上記の説法のように上手にバラモンの教えを宣揚しながら教えを説いていったのです。
以前にも書きましたが、例えば幼稚児にアインシュタインの相対性理論を説いても誰も理解出来ません。
なので、「あいうえお」「足し算引き算」から教えていったのです。
同じように釈尊は42年方便・権経を説き続け、最後の8年で出世の本懐である「法華経」を説くのです。
初期の教えであり、対機説法なんです。
釈尊の初期の教えというのは、衆生の機根に応じて説かれたもであるので、仏の本意では無い。
しかも「写本はほとんどが18世紀から19世紀という、きわめて近年のものである。」という事を理解しましょう。
仮にその教えの中に、古いものがあったにせよ、それは衆生の機根を方便によって整え、仏の究極の教えである「法華経」を理解せしめるための権経なのです。
なので、初期の経典には下記のような記述があります。
「生まれによって賤しい人となるのではない。生まれによってバラモンとなるのではない。行為によって賤しい人ともなり、行為によってバラモンともなる。」
(「ブッダのことば」スッタニパータ 中村元 訳(岩波文庫)」
本来、釈迦の「万人平等の思想」と旧来の「バラモン教」は相容れるものではありません。
もし、釈尊が最初からバラモン教を否定していたなら、仏教は当時のインドでは受け入れられなかったでしょう。
そこで釈尊は上記の説法のように上手にバラモンの教えを宣揚しながら教えを説いていったのです。
以前にも書きましたが、例えば幼稚児にアインシュタインの相対性理論を説いても誰も理解出来ません。
なので、「あいうえお」「足し算引き算」から教えていったのです。
同じように釈尊は42年方便・権経を説き続け、最後の8年で出世の本懐である「法華経」を説くのです。
649桃太郎
2023/02/06(月) 16:13:40.89ID:MsxsO+O6 仏典研究もまだまだ研究者の間でも様々な意見があり、完全に確定したものではない。
これからも更に深い研究がなされ、どう変わって行くのかわからない。
<Wikiから抜粋>
中村元は「サーリプッタに説いたブッダの教えはいったいどこにいってしまったのか」と述べ、
増谷文雄も「ブッダがサーリプッタに説いた宗教的深遠な教えは、阿含部経典よりも多かったに違いない」として、
"ブッダはサーリプッタに対して、深遠な思想を説いたが、その内容は阿含経典には残されていない"という趣旨の主張を行なっている。
しかしながら、中村・増谷らの「阿含経典に見られない、宗教的により深遠な教え」をブッダはサーリプッタに対して説いていたはずであるという主張は文献学的に何の根拠もなく、証明不可能である。
さらに中村元は、著書の中で最初期の仏教が縁起真如を説いていたという独自の説を述べている。
上座部、説一切有部が縁起を時間的生起関係からのみ解釈したのに対して、最初期の仏教は縁起を存在論的な観点から説いていたのであり、
縁起に真如を見るという思想は、一切衆生悉有仏性という大乗の教えそのものである、といった主張もなされている。
近世以降の大乗非仏説には、宗教に関するインド人の伝統を無視している、との批判がある。
それによれば、「インドでは古来、宗教の聖典は口伝によって伝承し、文字にして残さないという伝統があった。
よって、釈迦が大乗仏教を説いていたとしても、釈迦の死の直後に文字に記されなかったことはむしろ当然であり、
釈迦の死の直後に記された大乗経典の実物が発見されていないことは大乗仏教が仏説ではないことの根拠にはならない」とするものである。
これからも更に深い研究がなされ、どう変わって行くのかわからない。
<Wikiから抜粋>
中村元は「サーリプッタに説いたブッダの教えはいったいどこにいってしまったのか」と述べ、
増谷文雄も「ブッダがサーリプッタに説いた宗教的深遠な教えは、阿含部経典よりも多かったに違いない」として、
"ブッダはサーリプッタに対して、深遠な思想を説いたが、その内容は阿含経典には残されていない"という趣旨の主張を行なっている。
しかしながら、中村・増谷らの「阿含経典に見られない、宗教的により深遠な教え」をブッダはサーリプッタに対して説いていたはずであるという主張は文献学的に何の根拠もなく、証明不可能である。
さらに中村元は、著書の中で最初期の仏教が縁起真如を説いていたという独自の説を述べている。
上座部、説一切有部が縁起を時間的生起関係からのみ解釈したのに対して、最初期の仏教は縁起を存在論的な観点から説いていたのであり、
縁起に真如を見るという思想は、一切衆生悉有仏性という大乗の教えそのものである、といった主張もなされている。
近世以降の大乗非仏説には、宗教に関するインド人の伝統を無視している、との批判がある。
それによれば、「インドでは古来、宗教の聖典は口伝によって伝承し、文字にして残さないという伝統があった。
よって、釈迦が大乗仏教を説いていたとしても、釈迦の死の直後に文字に記されなかったことはむしろ当然であり、
釈迦の死の直後に記された大乗経典の実物が発見されていないことは大乗仏教が仏説ではないことの根拠にはならない」とするものである。
650momotarou
2023/02/06(月) 16:14:26.45ID:MsxsO+O6 ただし、この主張は部派仏教の経典は文字によって伝承され、大乗は口伝で伝えられたというものであるが、
これは史実と異なる。実際は上座部のパーリ経典の方が口伝で継承されていた。
パーリ経典は口伝で重要な暗記をやりやすくするために、反復や韻を踏む内容となっている。
また、僧の大集会などで経典を唱える行為はこの暗記の正確さをお互いに確認しあうという役割があった。
パーリ経典が文字として記録されたのは大乗仏教が登場してからである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%B9%97%E9%9D%9E%E4%BB%8F%E8%AA%AC
ここで、注目すべき箇所は、
中村元という仏典研究の第一人者があらゆる仏典を研究し尽くして言うには
「「阿含経典に見られない、宗教的により深遠な教え」をブッダはサーリプッタに対して説いていたはずであるという主張」だ。
証明不可能であっても、誰よりも研究し尽くした学者の結論である事は間違いない。
私はこの「深遠な教え」こそが法華経であると考える。
もうひとつ注目すべき箇所は
「パーリ経典が文字として記録されたのは大乗仏教が登場してからである。」という部分
すなわち、原始仏典も文字化されるまで数百年を経ているという事だ。
であるならば、大乗仏教が数百年の間、記憶として伝承されていてもなんら不思議ではあるまい。
しかも、釈尊は法華経を無闇に下品の衆生に説いてはならないと戒めていたのだから、小乗教より後に大乗教が興隆しても不思議ではない。
これは史実と異なる。実際は上座部のパーリ経典の方が口伝で継承されていた。
パーリ経典は口伝で重要な暗記をやりやすくするために、反復や韻を踏む内容となっている。
また、僧の大集会などで経典を唱える行為はこの暗記の正確さをお互いに確認しあうという役割があった。
パーリ経典が文字として記録されたのは大乗仏教が登場してからである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%B9%97%E9%9D%9E%E4%BB%8F%E8%AA%AC
ここで、注目すべき箇所は、
中村元という仏典研究の第一人者があらゆる仏典を研究し尽くして言うには
「「阿含経典に見られない、宗教的により深遠な教え」をブッダはサーリプッタに対して説いていたはずであるという主張」だ。
証明不可能であっても、誰よりも研究し尽くした学者の結論である事は間違いない。
私はこの「深遠な教え」こそが法華経であると考える。
もうひとつ注目すべき箇所は
「パーリ経典が文字として記録されたのは大乗仏教が登場してからである。」という部分
すなわち、原始仏典も文字化されるまで数百年を経ているという事だ。
であるならば、大乗仏教が数百年の間、記憶として伝承されていてもなんら不思議ではあるまい。
しかも、釈尊は法華経を無闇に下品の衆生に説いてはならないと戒めていたのだから、小乗教より後に大乗教が興隆しても不思議ではない。
651神も仏も名無しさん
2023/02/06(月) 16:26:15.79ID:/2VPtHZP 法華経が釈尊の真意などという考えは仏教学的には信じられてないし
これからも信じられることはないだろうね
これからも信じられることはないだろうね
652神も仏も名無しさん
2023/02/06(月) 17:14:11.70ID:YaYlekWc 麻原彰晃によるとブッダかずひさはブッダとして合格だそうです
653神も仏も名無しさん
2023/02/06(月) 17:15:41.96ID:YaYlekWc 麻原彰晃はスシロー事件に憤慨しておりました。食べ物は命でありそれを粗末にする者は来世ナメクジ確定だそうです。
654桃太郎
2023/02/06(月) 17:44:56.67ID:MsxsO+O6 >>651
>法華経が釈尊の真意などという考えは仏教学的には信じられてないし
信教の自由なので、なにを信じようと個人の自由です。
ただし、私は仏教学的に十分信じられると思いますよ。
小乗教や権経を、中国の天台智、日本の最澄が公の場の法論で打ち破り、法華経を宣揚した歴史的事実はありますが、
小乗教が大乗経を法論で打ち負かした事実はあるのでしょうか?
ましてや、最高の経典である「法華経」が小乗教で法論で負かされた歴史などあまり聞きませんね。
なので、テラワダのような初期の仏教は現代に於いて修行してもあまり意味が無いように思えます。
ちょうど去年の暦を使って生活しているようなものです。
>法華経が釈尊の真意などという考えは仏教学的には信じられてないし
信教の自由なので、なにを信じようと個人の自由です。
ただし、私は仏教学的に十分信じられると思いますよ。
小乗教や権経を、中国の天台智、日本の最澄が公の場の法論で打ち破り、法華経を宣揚した歴史的事実はありますが、
小乗教が大乗経を法論で打ち負かした事実はあるのでしょうか?
ましてや、最高の経典である「法華経」が小乗教で法論で負かされた歴史などあまり聞きませんね。
なので、テラワダのような初期の仏教は現代に於いて修行してもあまり意味が無いように思えます。
ちょうど去年の暦を使って生活しているようなものです。
655神も仏も名無しさん
2023/02/07(火) 13:25:06.25ID:H1ISguXX そら後付けで法華経最高とか捏造した上での経典どれが最高か論議は
法華経が勝つでしょうね
でも、それになんの意味が?
法華経が勝つでしょうね
でも、それになんの意味が?
656神も仏も名無しさん
2023/02/07(火) 13:54:03.67ID:H1ISguXX 現代では、架空の仏を信じるのは難しいと思うんです。
架空の仏を仮に設定することは一般人の心にリーチしない
そういう意味では禅宗やテーラワーダが時機相応の仏教だと思いますね
架空の仏を仮に設定することは一般人の心にリーチしない
そういう意味では禅宗やテーラワーダが時機相応の仏教だと思いますね
657桃太郎
2023/02/07(火) 14:23:05.42ID:5N8vdI+Z 天台智や最澄は、阿含経はもとより、一切の大乗経を読み解かれた上で、法華経が最上第一と結論付けられたのです。
当然日蓮大聖人も、小乗教も学んだ上です。
本当に真実の仏法を学びたいのなら、大乗経も学ぶべきです。
その上で、教えを精査し、釈迦の教えの本意とは何かを探究すべきではないでしょうか。
常識的に考えて、皆さんの生活環境に於いて、釈迦在世の阿羅漢と同等の境涯を得る事は限りなく不可能です。
恵まれた生活環境で、世俗にまみれて、阿羅漢の悟りなど得られるわけが無いことなど、少し考えれば分かる事です。
今世においてわずか数十年の修行で、解脱して来世は生まれてこなくなるなど、あり得ない事です。
※真実の仏教では、嫌でも生まれてくるんです。そのまんまの「我」をもって。
もし、悟り損ねて、再びこの世界に生まれてきたとしましょう。
過去世など覚えていませんので、再び修行のやり直しです。
それ以前に仏教に巡り会う事も出来ないかもしれません。
もしかしたら、中東あたりに生まれて、イスラム教徒になっているかもしれません。
そうやって、六道輪廻を永遠に繰り返すのです。
ところが皆さんは幸運にも、「人界」に生まれることが出来た。
更に幸運なことには「仏教」に縁をし仏法を学ぶことが出来た。
※仏典には過去世に無数の善業を積んだゆえに仏縁を得る事が出来ると説かれてある。
これだけでも、実は「激烈ラッキーな人生」と言えるのです。
※仏典には、過去世に悪業を持つ者は、無数効の間、教えを聞くことすら出来ないと説かれている。
ゆえに、釈尊の「正直捨方便」(正直に方便を捨てよ)という法華経の教えに逆らって小乗教に執着し続ければ、
結果として「悔いの残る人生となってしまうよ。」と言いたいのです。
当然日蓮大聖人も、小乗教も学んだ上です。
本当に真実の仏法を学びたいのなら、大乗経も学ぶべきです。
その上で、教えを精査し、釈迦の教えの本意とは何かを探究すべきではないでしょうか。
常識的に考えて、皆さんの生活環境に於いて、釈迦在世の阿羅漢と同等の境涯を得る事は限りなく不可能です。
恵まれた生活環境で、世俗にまみれて、阿羅漢の悟りなど得られるわけが無いことなど、少し考えれば分かる事です。
今世においてわずか数十年の修行で、解脱して来世は生まれてこなくなるなど、あり得ない事です。
※真実の仏教では、嫌でも生まれてくるんです。そのまんまの「我」をもって。
もし、悟り損ねて、再びこの世界に生まれてきたとしましょう。
過去世など覚えていませんので、再び修行のやり直しです。
それ以前に仏教に巡り会う事も出来ないかもしれません。
もしかしたら、中東あたりに生まれて、イスラム教徒になっているかもしれません。
そうやって、六道輪廻を永遠に繰り返すのです。
ところが皆さんは幸運にも、「人界」に生まれることが出来た。
更に幸運なことには「仏教」に縁をし仏法を学ぶことが出来た。
※仏典には過去世に無数の善業を積んだゆえに仏縁を得る事が出来ると説かれてある。
これだけでも、実は「激烈ラッキーな人生」と言えるのです。
※仏典には、過去世に悪業を持つ者は、無数効の間、教えを聞くことすら出来ないと説かれている。
ゆえに、釈尊の「正直捨方便」(正直に方便を捨てよ)という法華経の教えに逆らって小乗教に執着し続ければ、
結果として「悔いの残る人生となってしまうよ。」と言いたいのです。
658桃太郎
2023/02/07(火) 14:30:33.72ID:5N8vdI+Z >「架空の仏を信じるのは難しいと思うんです。」
真実の仏教に於いては「架空の仏」など存在しないのです。
釈迦の本意である法華経に於いては一切衆生が本来皆「仏」と捉えているのです。
阿弥陀仏や大日如来が衆生を守り願いを叶えて下さると言う教えは「方便」であり「権経」と言うことです。
だからこそ、釈尊が法華経を説いたときに、「以前、師匠(釈迦)が説いた教えとまったく違う」と言って、無数の増上慢の僧が説法の座を離れたと法華経には説かれています。
ゆえに、法華経は古来「難信難解」と経典と呼ばれるのです。
真実の仏教に於いては「架空の仏」など存在しないのです。
釈迦の本意である法華経に於いては一切衆生が本来皆「仏」と捉えているのです。
阿弥陀仏や大日如来が衆生を守り願いを叶えて下さると言う教えは「方便」であり「権経」と言うことです。
だからこそ、釈尊が法華経を説いたときに、「以前、師匠(釈迦)が説いた教えとまったく違う」と言って、無数の増上慢の僧が説法の座を離れたと法華経には説かれています。
ゆえに、法華経は古来「難信難解」と経典と呼ばれるのです。
659神も仏も名無しさん
2023/02/07(火) 15:08:47.55ID:H1ISguXX たとえば、空ということについても素粒子があると現代科学ではっきりしている以上
部派の法実有が正しかったと言わざるを得ないですよね
大乗がすぐれているという考え方自体、時代遅れだと思いますが
部派の法実有が正しかったと言わざるを得ないですよね
大乗がすぐれているという考え方自体、時代遅れだと思いますが
660桃太郎
2023/02/07(火) 15:50:45.79ID:5N8vdI+Z 小乗教(テラワダ)では議論にすらならない大乗仏教に於ける「不思議な「生命の世界」を探究しよう。」(色心不二の生命)
「生命を語る」より抜粋
「人間の生命はどこにあるのか」
素朴な疑問のようですが、それでいて明確に答えられる人は、ほとんどいないのではないかと思われます。
心臓や脳が、どこにあるのかといえば、小学生ぐらいになると、だいたい知っています。
ところが、自分の生命自体が、この身体のどこにあるのかと問われると、考えこまざるをえないですね。
おそらく生命をめぐる謎のなかでも、もっとも単純な疑問でしょうが、また、もっとも身近で現実的な問題でもあります。
自己の生命は、どこにあり、どのような実在であるかを思考することは、生命論の出発点であり、また、終着点にもなりうると思う。
さらに、別の観点からいえば、みずからの生命を知ることは、人間らしい一生を送るための必要不可欠な課題だ。
しかも大前提の……。
人間の生命といえども、その活動を営んでいる肉体は、他の生物や物体と同じように、物質で構成されているという事実があります。
人間の肉体を細かく分析し、分解していくと、細胞からDNAや蛋白質を経て、最後には、炭素や窒素などの元素にまでなってしまう。
少なくとも、現代の科学が明らかにしているところによれば、それらの元素は、宇宙のどこにでもある、宇宙に遍満している物質なんですね。
どのように変わった人間でも、特別な元素でできているなどということはありえません。
したがって、構成成分からいえば、たしかに、人間の身体といっても、この世界を構成している、あらゆる無生物や機械とまったく同じなのです。
だからといって、人間の肉体が、時計などの機械と同じだとは、とうてい考えられません。
その機能には、機械とまったく異なるものがあるからです。
「生命を語る」より抜粋
「人間の生命はどこにあるのか」
素朴な疑問のようですが、それでいて明確に答えられる人は、ほとんどいないのではないかと思われます。
心臓や脳が、どこにあるのかといえば、小学生ぐらいになると、だいたい知っています。
ところが、自分の生命自体が、この身体のどこにあるのかと問われると、考えこまざるをえないですね。
おそらく生命をめぐる謎のなかでも、もっとも単純な疑問でしょうが、また、もっとも身近で現実的な問題でもあります。
自己の生命は、どこにあり、どのような実在であるかを思考することは、生命論の出発点であり、また、終着点にもなりうると思う。
さらに、別の観点からいえば、みずからの生命を知ることは、人間らしい一生を送るための必要不可欠な課題だ。
しかも大前提の……。
人間の生命といえども、その活動を営んでいる肉体は、他の生物や物体と同じように、物質で構成されているという事実があります。
人間の肉体を細かく分析し、分解していくと、細胞からDNAや蛋白質を経て、最後には、炭素や窒素などの元素にまでなってしまう。
少なくとも、現代の科学が明らかにしているところによれば、それらの元素は、宇宙のどこにでもある、宇宙に遍満している物質なんですね。
どのように変わった人間でも、特別な元素でできているなどということはありえません。
したがって、構成成分からいえば、たしかに、人間の身体といっても、この世界を構成している、あらゆる無生物や機械とまったく同じなのです。
だからといって、人間の肉体が、時計などの機械と同じだとは、とうてい考えられません。
その機能には、機械とまったく異なるものがあるからです。
661桃太郎
2023/02/07(火) 15:51:07.14ID:5N8vdI+Z 私たちの脳は、重さからすれば、約千五百グラムぐらいの、ピンク色をした塊にすぎませんが、そこに約二百億個もの脳細胞が集まって、さまざまな働きをしています。
記憶、思考、判断、計算などといった各種の精神現象を織りなす肉体の″座″が、これらの脳細胞です。
一個の身体は、たんなる臓器や細胞の寄せ集めではない。身体は、細胞や組織や臓器の、おのおのの個性を生かし、特徴を十二分に発揮させながら、しかも、全体的統一と調和をたもって、創造的に生を営んでいる。その律動の姿は、神業とさえ思えるほどです。
身体は、たんなる物質の集合体、寄せ集めではなく、全体的な秩序と調和のもとに生を営む統合体であり、みごとな生を自己創造する主体的な実在でもある。
また、一個の細胞といえども、美しい調和のリズムを奏でる個性的な統一体であるといえるでしょう。
生命の能動性は、宇宙の奏でる妙なるリズムにのって、不可思議な種々の変化相として姿をあらわす。
人間や動物と違った非情の生命としての顕在もあれば、かわいらしい小鳥やチョウとして生を営むこともあるでしょう。
そして、生命の能動性の精緻な発現は、人間の身体においてきわまると思うほど、私たちの肉体の働きは絶妙です。
このような生の、まことに多彩にして妙なる能動性の顕現するダイナミックな現象の世界を、仏法では「色法」と言う。
したがって、現象の世界を探究することによって、そこに能動性としての力とともに、それをもたらす、内なる「法」を見いだすこともできると思う。
無生の世界の中から、科学者は、物理、化学の法則を見つけだしているし、生物の世界からは、生理学的法則や生態学的な体系をも抽出できる。
だが、これら各種の法則も、それぞれの生に内在する能動性としての生命の「法」の個別的な顕在化であると知ることが肝要です。
法として、また力として、生命の能動性の織りなす世界、それが「色法」の世界なのです。
記憶、思考、判断、計算などといった各種の精神現象を織りなす肉体の″座″が、これらの脳細胞です。
一個の身体は、たんなる臓器や細胞の寄せ集めではない。身体は、細胞や組織や臓器の、おのおのの個性を生かし、特徴を十二分に発揮させながら、しかも、全体的統一と調和をたもって、創造的に生を営んでいる。その律動の姿は、神業とさえ思えるほどです。
身体は、たんなる物質の集合体、寄せ集めではなく、全体的な秩序と調和のもとに生を営む統合体であり、みごとな生を自己創造する主体的な実在でもある。
また、一個の細胞といえども、美しい調和のリズムを奏でる個性的な統一体であるといえるでしょう。
生命の能動性は、宇宙の奏でる妙なるリズムにのって、不可思議な種々の変化相として姿をあらわす。
人間や動物と違った非情の生命としての顕在もあれば、かわいらしい小鳥やチョウとして生を営むこともあるでしょう。
そして、生命の能動性の精緻な発現は、人間の身体においてきわまると思うほど、私たちの肉体の働きは絶妙です。
このような生の、まことに多彩にして妙なる能動性の顕現するダイナミックな現象の世界を、仏法では「色法」と言う。
したがって、現象の世界を探究することによって、そこに能動性としての力とともに、それをもたらす、内なる「法」を見いだすこともできると思う。
無生の世界の中から、科学者は、物理、化学の法則を見つけだしているし、生物の世界からは、生理学的法則や生態学的な体系をも抽出できる。
だが、これら各種の法則も、それぞれの生に内在する能動性としての生命の「法」の個別的な顕在化であると知ることが肝要です。
法として、また力として、生命の能動性の織りなす世界、それが「色法」の世界なのです。
662神も仏も名無しさん
2023/02/07(火) 16:25:33.29ID:H1ISguXX 人生に意味があると思うことがすばらしい、というのも一つの答えでしょう
でも、その考えにこりかたまっているようでは悟りとは何かの一分しかけずりとっていないでしょうね
でも、その考えにこりかたまっているようでは悟りとは何かの一分しかけずりとっていないでしょうね
663神も仏も名無しさん
2023/02/07(火) 20:37:15.46ID:kLXw0fvD ウィキペディアの、各仏教用語のページの脚注、
出典を某長老や某協会のそれへと置き換えていってる連中がいるね。
上座部はそういうのが巧い、って言われてるみたいだけど
なるほどな、と思う。
自分は、上座部すら成立する以前の
釈尊在世時の原始仏教が好きなので、なんかモヤる。
出典を某長老や某協会のそれへと置き換えていってる連中がいるね。
上座部はそういうのが巧い、って言われてるみたいだけど
なるほどな、と思う。
自分は、上座部すら成立する以前の
釈尊在世時の原始仏教が好きなので、なんかモヤる。
664神も仏も名無しさん
2023/02/08(水) 08:26:15.06ID:NYKpc7s2 ふうん、テラワダって悪い奴らなんだなぁ
665神も仏も名無しさん
2023/02/08(水) 10:29:00.71ID:yicvuBSv ウィキペディアを編集したら悪いやつらってのが分らんな
666神も仏も名無しさん
2023/02/08(水) 13:48:21.01ID:HUbsmiIg ウィキペディアを編集したら悪いやつらっていう思考回路の人種と
ウィキペディアを編集したら悪いやつらとは特に思わない思考回路の人種
一般的にどっちがキチガイの人種なんだろう?
ウィキペディアを編集したら悪いやつらとは特に思わない思考回路の人種
一般的にどっちがキチガイの人種なんだろう?
667神も仏も名無しさん
2023/02/08(水) 16:50:06.20ID:xeqG2yit まあ学会風でいう破折する為の議論をしているつもりは
ありません
特に深淵な縁起の理法で...などというつもりではなく
単純に人は環境からの影響を排除することは不可能ですので
心の奥底で小さな何かが変われば
そう思って色々と議論をしています
ご自身も認めたくはないかもしれませんが
この数十年でさえ教義や大事だとされてきたものが
どんどん移り変わっていき
もはや原型を留めていないとお思いではありませんか
これは別に悪いことではありません
寧ろ色々な嘘が剥がれ 実践した時に本当のところは
どうなのかを確かめやすいと思います
その時に喜びや成長を感じられれば
その教えはその人には合っています
小学生に素粒子物理を教えようとしたり
大学院生に砂場でお城を作らせようとするのと同じで
単なマッチングの問題だからです
ありません
特に深淵な縁起の理法で...などというつもりではなく
単純に人は環境からの影響を排除することは不可能ですので
心の奥底で小さな何かが変われば
そう思って色々と議論をしています
ご自身も認めたくはないかもしれませんが
この数十年でさえ教義や大事だとされてきたものが
どんどん移り変わっていき
もはや原型を留めていないとお思いではありませんか
これは別に悪いことではありません
寧ろ色々な嘘が剥がれ 実践した時に本当のところは
どうなのかを確かめやすいと思います
その時に喜びや成長を感じられれば
その教えはその人には合っています
小学生に素粒子物理を教えようとしたり
大学院生に砂場でお城を作らせようとするのと同じで
単なマッチングの問題だからです
668神も仏も名無しさん
2023/02/08(水) 17:23:20.18ID:xeqG2yit また大乗仏教の役割は大いにあり
その価値は計り知れないでしょう
試してみると分かりますが
知識や判断基準を持たない 受け入れない普通の人に
何とか苦しみを発生させずらい行動や考え方
それをダイレクトに伝えるのは不可能に近いです
100%真実でなくとも方便であっても
できるだけ苦しみから離れて生きていって欲しい
そのような思いから様々な教えが広がるのは自然なことです
どのような教えが必要かは正に縁起に依っています
比較的物質的に豊かになって
死や貧困の実感が遠かった一方で
精神的に満たされないという実感が露わになりつつあり
これからどうなるんでしょうね
巷ではスピリチュアル全盛ですが
神や宇宙法則を選択する団体旅行に加えて
瞑想修行を選択する個人旅行も加わりました
選択肢が増えたことは奇跡のように素晴らしいことです
日本に人を救う方法が一つ増えたと考えると
何も悪いことではないと思います
私はこの時代この場所に生まれて本当に良かった
本当に良かったです
その価値は計り知れないでしょう
試してみると分かりますが
知識や判断基準を持たない 受け入れない普通の人に
何とか苦しみを発生させずらい行動や考え方
それをダイレクトに伝えるのは不可能に近いです
100%真実でなくとも方便であっても
できるだけ苦しみから離れて生きていって欲しい
そのような思いから様々な教えが広がるのは自然なことです
どのような教えが必要かは正に縁起に依っています
比較的物質的に豊かになって
死や貧困の実感が遠かった一方で
精神的に満たされないという実感が露わになりつつあり
これからどうなるんでしょうね
巷ではスピリチュアル全盛ですが
神や宇宙法則を選択する団体旅行に加えて
瞑想修行を選択する個人旅行も加わりました
選択肢が増えたことは奇跡のように素晴らしいことです
日本に人を救う方法が一つ増えたと考えると
何も悪いことではないと思います
私はこの時代この場所に生まれて本当に良かった
本当に良かったです
669神も仏も名無しさん
2023/02/10(金) 07:50:35.50ID:Ukv47/ns670神も仏も名無しさん
2023/02/10(金) 07:51:38.59ID:Ukv47/ns >>667
筏の譬喩やね。
筏の譬喩やね。
671桃太郎
2023/02/10(金) 08:58:49.51ID:/l7jO8yY いずれ宗教研究者の中でこんな風な実証実験が行われるだろう。
その時、人類が求めるべき真実の教えは何かハッキリするでしょうね。
***********
創価学会の日蓮仏法、キリスト教、イスラム教、浄土宗、真言宗、禅宗、上座部仏教(テラワダ)等々
それぞれ100人の強信者を30年間追跡取材、その人生がどう変わって行くか。
***********
仏法は峻厳です。寸分の狂いも無い。ゆえに明確な結果が出ることでしょうね。
幸運なことに私は、理屈や主観的な思い込みでは無く、現実的な現証として体験し大いにこの仏法の偉大さを確信しました。
と共に法華経に説かれる「六難九易」最近よく実感します。
その時、人類が求めるべき真実の教えは何かハッキリするでしょうね。
***********
創価学会の日蓮仏法、キリスト教、イスラム教、浄土宗、真言宗、禅宗、上座部仏教(テラワダ)等々
それぞれ100人の強信者を30年間追跡取材、その人生がどう変わって行くか。
***********
仏法は峻厳です。寸分の狂いも無い。ゆえに明確な結果が出ることでしょうね。
幸運なことに私は、理屈や主観的な思い込みでは無く、現実的な現証として体験し大いにこの仏法の偉大さを確信しました。
と共に法華経に説かれる「六難九易」最近よく実感します。
672桃太郎
2023/02/10(金) 09:19:57.29ID:/l7jO8yY あなたたちは当然今世では「阿羅漢」になる気も無いだろうし、なろうとも思ってないし、なれるはずも無い。
それは前述した通りです。
ならば、来世もまた生まれて来るわけだから、「死」の問題を解決しなければならない。
「これから自分はどのように生き、どのように死んでゆくのか」という課題を解決せずして、有意義な人生はあるまい。
「今は苦しいから死のう」このような考えで毎年2万人自殺者がでる。「自殺大国日本」は世界にも知られている。
なんと悲しむべき事だろうか。自身の生命に無限の力を秘めた「仏界」を宿している事を知らずにこの世を終わるとは。
法華経は一切衆生に「仏」という偉大な生命がある事を教えた経典です。
これに迷うを「凡夫」と言い悟り開くを「仏」と説いてあるのです。
ゆえに自殺ほど愚かな「人生の選択」は無い。なぜなら「仏の法器」と言われる自身の肉体を自ら破壊する行為は「悪業」でしか無いからです。
この様な人は来世もまた同じような苦しみの中で生きることになります。そして、それが永遠に繰り返される。
初期の仏典には、次のような話がある。
**********************
――摩訶男(マハーナーマ)という、在家の信者がいた。
彼は、もし、街の雑踏のなかで、三宝への念を忘れている時に、災難に遭って命を失うならば、自分はどこで、いかなる生を受けるのかと、仏陀に尋ねる。
すると、仏陀は言う。
「摩訶男よ、たとえば、一本の樹木があるとする。その樹は、東を向き、東に傾き、東に伸びているとする。もしも、その根を断つならば、樹木は、いずれの方向に倒れるであろうか」
摩訶男は答えた。
「その樹木が傾き、伸びている方向です」
**********************
仏陀は、仏法に帰依し、修行に励んでいるものは、たとえ、事故等で不慮の死を遂げたとしても、法の流れに預かり、善処に生まれることを教えたのである。
逆に苦しみから逃れようと「自らの根を絶つ」(自殺)ならば、結果はどうなるか、上記の釈迦の教えから理解出来るでしょう。
それは前述した通りです。
ならば、来世もまた生まれて来るわけだから、「死」の問題を解決しなければならない。
「これから自分はどのように生き、どのように死んでゆくのか」という課題を解決せずして、有意義な人生はあるまい。
「今は苦しいから死のう」このような考えで毎年2万人自殺者がでる。「自殺大国日本」は世界にも知られている。
なんと悲しむべき事だろうか。自身の生命に無限の力を秘めた「仏界」を宿している事を知らずにこの世を終わるとは。
法華経は一切衆生に「仏」という偉大な生命がある事を教えた経典です。
これに迷うを「凡夫」と言い悟り開くを「仏」と説いてあるのです。
ゆえに自殺ほど愚かな「人生の選択」は無い。なぜなら「仏の法器」と言われる自身の肉体を自ら破壊する行為は「悪業」でしか無いからです。
この様な人は来世もまた同じような苦しみの中で生きることになります。そして、それが永遠に繰り返される。
初期の仏典には、次のような話がある。
**********************
――摩訶男(マハーナーマ)という、在家の信者がいた。
彼は、もし、街の雑踏のなかで、三宝への念を忘れている時に、災難に遭って命を失うならば、自分はどこで、いかなる生を受けるのかと、仏陀に尋ねる。
すると、仏陀は言う。
「摩訶男よ、たとえば、一本の樹木があるとする。その樹は、東を向き、東に傾き、東に伸びているとする。もしも、その根を断つならば、樹木は、いずれの方向に倒れるであろうか」
摩訶男は答えた。
「その樹木が傾き、伸びている方向です」
**********************
仏陀は、仏法に帰依し、修行に励んでいるものは、たとえ、事故等で不慮の死を遂げたとしても、法の流れに預かり、善処に生まれることを教えたのである。
逆に苦しみから逃れようと「自らの根を絶つ」(自殺)ならば、結果はどうなるか、上記の釈迦の教えから理解出来るでしょう。
674神も仏も名無しさん
2023/02/10(金) 12:32:14.98ID:kyQi1v2X675桃太郎
2023/02/10(金) 13:03:18.21ID:/l7jO8yY >追跡して結果が出てから来てくださいよ
その頃は、君も私もこの世にいないと思うよ。(苦笑)
なんのかんのと言っても、死んでからじゃ遅いんだよ。
だから、今、深く思索する事が大事なのよ。
その頃は、君も私もこの世にいないと思うよ。(苦笑)
なんのかんのと言っても、死んでからじゃ遅いんだよ。
だから、今、深く思索する事が大事なのよ。
676神も仏も名無しさん
2023/02/10(金) 16:01:53.37ID:BF0Dsnh7 仏陀の真意という本が秀逸だ。
心解脱と慧解脱の違いについてテーラワーダな人たちは全くわかっていないようだ。
心解脱と慧解脱の違いについてテーラワーダな人たちは全くわかっていないようだ。
677神も仏も名無しさん
2023/02/10(金) 16:06:14.92ID:kyQi1v2X たとえば、そうか信者は拡大期に無茶な勧誘を行っていたそうです。
中には勧誘のためにはんざいすら厭わないような人までいたそうです。
宗教は己の信念のために世間の倫理を無視するというところがあります。
崇高なる信仰のためにはんざいはささいな出来事という意識を発生させるのです。
宗教を信じる傾向が強いほど犯罪率も多いという結果が出ています。
中には勧誘のためにはんざいすら厭わないような人までいたそうです。
宗教は己の信念のために世間の倫理を無視するというところがあります。
崇高なる信仰のためにはんざいはささいな出来事という意識を発生させるのです。
宗教を信じる傾向が強いほど犯罪率も多いという結果が出ています。
679神も仏も名無しさん
2023/02/10(金) 16:29:49.65ID:BF0Dsnh7 >>678
どう違うのか説明できますか?
どう違うのか説明できますか?
680神も仏も名無しさん
2023/02/10(金) 16:39:26.86ID:kyQi1v2X681神も仏も名無しさん
2023/02/10(金) 17:04:29.16ID:Ukv47/ns682神も仏も名無しさん
2023/02/10(金) 17:05:26.58ID:Ukv47/ns >>675
そのとおり。
そのとおり。
683神も仏も名無しさん
2023/02/10(金) 17:38:06.37ID:hF72yon+684神も仏も名無しさん
2023/02/10(金) 17:54:08.87ID:kyQi1v2X 何言ってるか分らんな
685神も仏も名無しさん
2023/02/10(金) 18:40:51.57ID:BF0Dsnh7 >>680
うーん、ホワイトターラーさんという、
仏教に異様に詳しい方のブログ読んでると
それだけではないみたいですけどね
無明の意味を取り違えているとか何とか
まあ双方ともに見解の相違はあるんでしょう
ご回答いただきありがとうございました
うーん、ホワイトターラーさんという、
仏教に異様に詳しい方のブログ読んでると
それだけではないみたいですけどね
無明の意味を取り違えているとか何とか
まあ双方ともに見解の相違はあるんでしょう
ご回答いただきありがとうございました
686神も仏も名無しさん
2023/02/10(金) 19:21:05.56ID:eO99xeu1 創価で解脱すると、何解脱になるの?
687神も仏も名無しさん
2023/02/10(金) 23:03:22.33ID:vUuOrFk0 日蓮仏法には本筋の教えの核心が欠けてますから、観念的な信念体系に束縛させるもので、解脱とは逆ですね
けどあつい執着信仰でも、善行為や慈悲が展開されるなら、それも仏教なのかな、釈迦は在家者に本筋の教えの前に、次第説法で生天思想を説いていますから
それは在家ヤサへの説法にある通りです
けどあつい執着信仰でも、善行為や慈悲が展開されるなら、それも仏教なのかな、釈迦は在家者に本筋の教えの前に、次第説法で生天思想を説いていますから
それは在家ヤサへの説法にある通りです
688桃太郎
2023/02/12(日) 13:23:30.55ID:GXKbJVa+ >>686
解脱とは無明を打ち破り克服することです。
タラワダ諸君は「悟り」に何かしらゴールがあると勘違いしている。
生命は永遠であり、仏は永遠に苦悩する衆生を救っていくのです。
なんども言うように「解脱」したら、この世から永遠にオサラバ出来ると思ったら大間違いです。
生老病死、成住壊空という宇宙根源の法は仏ですら変えられません。
悟ったからと言って、物理の法則に逆らって「空中浮遊」など出来ないのです。
ゆえに、初期の仏典は何度も言うように対機説法であり方便なのです。
日蓮大聖人は「釈尊の出世の本懐は人の振る舞い」と仰せです。
釈尊は「法を見る者は私を観る、私を見る者は法を観る」という有名な言葉を残しました。
つまり私(釈尊)の「言動、振る舞い」の内に目には見ることの出来ない「宇宙根源の究極の「法」(妙法)」を観じることが出来ると説いたのです。
仏道修行者というのは、この万物生成の根源の法を覚知することにより、無明を打ち破り、法性を顕すのです。
ゆえに私達は釈尊の心、振る舞いを注視して行かなければなりません。
アブダルマのように理屈で「悟り」など得られないのです。
解脱とは無明を打ち破り克服することです。
タラワダ諸君は「悟り」に何かしらゴールがあると勘違いしている。
生命は永遠であり、仏は永遠に苦悩する衆生を救っていくのです。
なんども言うように「解脱」したら、この世から永遠にオサラバ出来ると思ったら大間違いです。
生老病死、成住壊空という宇宙根源の法は仏ですら変えられません。
悟ったからと言って、物理の法則に逆らって「空中浮遊」など出来ないのです。
ゆえに、初期の仏典は何度も言うように対機説法であり方便なのです。
日蓮大聖人は「釈尊の出世の本懐は人の振る舞い」と仰せです。
釈尊は「法を見る者は私を観る、私を見る者は法を観る」という有名な言葉を残しました。
つまり私(釈尊)の「言動、振る舞い」の内に目には見ることの出来ない「宇宙根源の究極の「法」(妙法)」を観じることが出来ると説いたのです。
仏道修行者というのは、この万物生成の根源の法を覚知することにより、無明を打ち破り、法性を顕すのです。
ゆえに私達は釈尊の心、振る舞いを注視して行かなければなりません。
アブダルマのように理屈で「悟り」など得られないのです。
689桃太郎
2023/02/12(日) 13:39:25.93ID:GXKbJVa+ 「無明」とは明らかでは無いという事です。
宇宙根源の法は「常住不変」です。
この常住不変の法にしたがって、森羅万象は変化変化の連続であり一時も止まることはありません。
ゆえに「無常」と言います。
それを知らずに煩悩に惑わされ「常住」とするところに苦悩の因があるのです。
ここで、初期の仏典では「煩悩と執着を絶つ」「無明を断絶する」その事によって苦悩から解放されると説くのですが
これも又方便なのです。
真実の仏法は「煩悩と執着を絶つ」では無く、「煩悩と執着を明らめる」と説くのです。
そこがテラワダの教えでは良く理解出来ていないと思う。
現実の釈尊は感情を無くして能面ずらした、見た目、気持ち人間では無かったと思います。
どこまでも人間味あふれ、慈悲深く、その言葉に触れるだけで、どんな人にも勇気と希望を与えられるような、そんな偉大な智慧と慈悲を併せ持った仏さまだと思う。
宇宙根源の法は「常住不変」です。
この常住不変の法にしたがって、森羅万象は変化変化の連続であり一時も止まることはありません。
ゆえに「無常」と言います。
それを知らずに煩悩に惑わされ「常住」とするところに苦悩の因があるのです。
ここで、初期の仏典では「煩悩と執着を絶つ」「無明を断絶する」その事によって苦悩から解放されると説くのですが
これも又方便なのです。
真実の仏法は「煩悩と執着を絶つ」では無く、「煩悩と執着を明らめる」と説くのです。
そこがテラワダの教えでは良く理解出来ていないと思う。
現実の釈尊は感情を無くして能面ずらした、見た目、気持ち人間では無かったと思います。
どこまでも人間味あふれ、慈悲深く、その言葉に触れるだけで、どんな人にも勇気と希望を与えられるような、そんな偉大な智慧と慈悲を併せ持った仏さまだと思う。
690桃太郎
2023/02/12(日) 13:44:27.37ID:GXKbJVa+ 仏は、決して、どのような人も見捨てない。他のだれが見捨てようと、仏は智慧を自在に発揮してその人を救うのです。
「若干の因縁・譬喩・言辞を以て、種種に法を説く」──仏は対話の名手です。座談の達人です。
哲学者ヤスパースが釈尊を「言葉を自在に使う人」(『佛陀と龍樹』峰島旭雄訳、『ヤスパース選集』5所収、理想社)と評したように、仏は縦横自在に法を説き、確信の響きで、すべての人々を救います。その対話の目的は、人々の心に「善根」を生じさせることです。
経文では、その仏の行いは「未曾暫廃」(瞬時も、たゆむことはない)と述べている。仏には、休みがない。地上の悲惨を根絶するまで止むことはない。
釈尊は、こう語っている。「昼も夜も、私には悔いがない。寝ているときにも、私の心は一切衆生を救いたいという思いで満たされている」と。
ゆえに、仏は地の涯であろうと、そこに救うべき「人」がいる限り、歩み続ける。
釈尊が弘教のために訪れた町や村は数え切れない。ある研究によれば、舎衛国には、なんと九百回以上も説法に出向いている。
摩訶陀国の首都・王舎城には百二十回以上、跋耆国の首都・毘舎離には四十九回、故郷の迦毘羅城には三十一回、憍賞弥国には十九回、という説法の記録があるという。
(『原始佛教聖典の成立史研究』、『前田恵學集』別巻1所収、山喜房佛書林)
それぞれが何百キロメートルも離れているのです。もちろん、交通手段は徒歩以外にはない。
死の直前の弘教も、二百五十キロメートルにも及んでいる。この仏の「未曾暫廃」の姿こそが、弟子たちに「生きることの偉大さ」「生命の崇高さ」を確信させたのではないだろうか。
一般に、仏教というと、「瞑想する仏」「座す仏」という静的なイメージがあるが、実際の釈尊は違う。″歩く釈尊″″行動する釈尊″のダイナミックな姿こそ、真実の釈尊である。仏とは間断なき闘争者の異名です。仏は行動し続ける。民衆の幸福を築くために。あらゆる権威から民衆を解放し自由にするために。その姿こそが「未曾暫廃」なのです。
「若干の因縁・譬喩・言辞を以て、種種に法を説く」──仏は対話の名手です。座談の達人です。
哲学者ヤスパースが釈尊を「言葉を自在に使う人」(『佛陀と龍樹』峰島旭雄訳、『ヤスパース選集』5所収、理想社)と評したように、仏は縦横自在に法を説き、確信の響きで、すべての人々を救います。その対話の目的は、人々の心に「善根」を生じさせることです。
経文では、その仏の行いは「未曾暫廃」(瞬時も、たゆむことはない)と述べている。仏には、休みがない。地上の悲惨を根絶するまで止むことはない。
釈尊は、こう語っている。「昼も夜も、私には悔いがない。寝ているときにも、私の心は一切衆生を救いたいという思いで満たされている」と。
ゆえに、仏は地の涯であろうと、そこに救うべき「人」がいる限り、歩み続ける。
釈尊が弘教のために訪れた町や村は数え切れない。ある研究によれば、舎衛国には、なんと九百回以上も説法に出向いている。
摩訶陀国の首都・王舎城には百二十回以上、跋耆国の首都・毘舎離には四十九回、故郷の迦毘羅城には三十一回、憍賞弥国には十九回、という説法の記録があるという。
(『原始佛教聖典の成立史研究』、『前田恵學集』別巻1所収、山喜房佛書林)
それぞれが何百キロメートルも離れているのです。もちろん、交通手段は徒歩以外にはない。
死の直前の弘教も、二百五十キロメートルにも及んでいる。この仏の「未曾暫廃」の姿こそが、弟子たちに「生きることの偉大さ」「生命の崇高さ」を確信させたのではないだろうか。
一般に、仏教というと、「瞑想する仏」「座す仏」という静的なイメージがあるが、実際の釈尊は違う。″歩く釈尊″″行動する釈尊″のダイナミックな姿こそ、真実の釈尊である。仏とは間断なき闘争者の異名です。仏は行動し続ける。民衆の幸福を築くために。あらゆる権威から民衆を解放し自由にするために。その姿こそが「未曾暫廃」なのです。
691神も仏も名無しさん
2023/02/12(日) 13:51:49.53ID:JO8Ygjem 常住不変だから無常ってのが分らんな
しかも常住不変とすると苦悩するってのも分らん
無常、苦、無我は三相がどういつの真理を言っているわけだから
しかも常住不変とすると苦悩するってのも分らん
無常、苦、無我は三相がどういつの真理を言っているわけだから
693桃太郎
2023/02/12(日) 16:23:05.95ID:GXKbJVa+ >常住不変だから無常ってのが分らんな
「法」は不変でしょ。「法」がコロコロ変わるわけじゃないのよ。
例せば、万有引力の法則は「不変」という事。
そして森羅万象はこの不変の「法」に基づいて常に変化し続けている。
デタラメに変化している訳じゃ無いって事です。
>常住不変とすると苦悩するってのも分らん
ちょっと捉え方がちがいます。
つまり、権力、財産、差別、このような無常のものに執着するゆえに人間としての道を誤り不幸を感じるという事です。
釈尊は当時のインド社会の腐敗した環境で多くの人々が苦しんでいるのを観て、「無我」を説き「煩悩と執着心に振り回され自身を見失ってはならない」と教えたのです。
こうして「煩悩と執着を絶つ」と初期の経典では説かれていますが、実際は「無明」を明らめる。
すなわち「煩悩と執着を明らめる」という事なのです。
普通に考えれば「煩悩と執着を絶つ」など不可能なのです。
どんなに言葉で誤魔化そうとも、「煩悩と執着」を消し去ることはできないのです。
なぜなら、「無明」も「法性」も縁によって生じる生命の変化相なのですから。
「法」は不変でしょ。「法」がコロコロ変わるわけじゃないのよ。
例せば、万有引力の法則は「不変」という事。
そして森羅万象はこの不変の「法」に基づいて常に変化し続けている。
デタラメに変化している訳じゃ無いって事です。
>常住不変とすると苦悩するってのも分らん
ちょっと捉え方がちがいます。
つまり、権力、財産、差別、このような無常のものに執着するゆえに人間としての道を誤り不幸を感じるという事です。
釈尊は当時のインド社会の腐敗した環境で多くの人々が苦しんでいるのを観て、「無我」を説き「煩悩と執着心に振り回され自身を見失ってはならない」と教えたのです。
こうして「煩悩と執着を絶つ」と初期の経典では説かれていますが、実際は「無明」を明らめる。
すなわち「煩悩と執着を明らめる」という事なのです。
普通に考えれば「煩悩と執着を絶つ」など不可能なのです。
どんなに言葉で誤魔化そうとも、「煩悩と執着」を消し去ることはできないのです。
なぜなら、「無明」も「法性」も縁によって生じる生命の変化相なのですから。
694桃太郎
2023/02/12(日) 16:30:47.66ID:GXKbJVa+ 21世紀文明と大乗仏教 より抜粋
なぜ、釈尊が対話にあって自在でありえたのか
それは、この覚者の広大な境涯、あらゆるドグマや偏見、執着から自由であったからであります。釈尊の言葉に「私は人の心に見がたき一本の矢が刺さっているのを見た」とあります。
「一本の矢」とは、一言にしていえば″差異へのこだわり″といってよいでしょう。当時のインドは、大いなる変革期で、悲惨な戦乱が相次いでいました。釈尊の透徹した眼は、その争乱の根底に、何よりも部族や国家などの差異へのこだわりを見いだしていたはずであります。
「民族」であれ「階級」であれ、克服されるべき悪、すなわち「一本の矢」は、外部というよりまず自分の内部にある。ゆえに、人間への差別意識、差異へのこだわりを克服することこそ、平和と普遍的人権の創出への第一義なのです。
そうあってこそ、相手の性分や能力に応じて法を説く″対機説法″という自在な対話も可能なのです。
事実、釈尊の対話の特徴は、部族間の水争いの仲裁をするときも、凶暴な強盗を改心させるときも、乞食行に異議を申し立てる者の浅慮を戒めるときも、
常に内なる悪という「一本の矢」に気づかせることを眼目としておりました。
その類まれなる人格の力こそ、ある王をして「世尊よ、私たちが武器をもってさえ降伏させることのできない者を、あなたは武器をもたずして降伏せしめる」
(増谷文雄『この人を見よ――ブッダ・ゴータマの生涯』講談社文庫、趣意)と感嘆させているのであります。
なぜ、釈尊が対話にあって自在でありえたのか
それは、この覚者の広大な境涯、あらゆるドグマや偏見、執着から自由であったからであります。釈尊の言葉に「私は人の心に見がたき一本の矢が刺さっているのを見た」とあります。
「一本の矢」とは、一言にしていえば″差異へのこだわり″といってよいでしょう。当時のインドは、大いなる変革期で、悲惨な戦乱が相次いでいました。釈尊の透徹した眼は、その争乱の根底に、何よりも部族や国家などの差異へのこだわりを見いだしていたはずであります。
「民族」であれ「階級」であれ、克服されるべき悪、すなわち「一本の矢」は、外部というよりまず自分の内部にある。ゆえに、人間への差別意識、差異へのこだわりを克服することこそ、平和と普遍的人権の創出への第一義なのです。
そうあってこそ、相手の性分や能力に応じて法を説く″対機説法″という自在な対話も可能なのです。
事実、釈尊の対話の特徴は、部族間の水争いの仲裁をするときも、凶暴な強盗を改心させるときも、乞食行に異議を申し立てる者の浅慮を戒めるときも、
常に内なる悪という「一本の矢」に気づかせることを眼目としておりました。
その類まれなる人格の力こそ、ある王をして「世尊よ、私たちが武器をもってさえ降伏させることのできない者を、あなたは武器をもたずして降伏せしめる」
(増谷文雄『この人を見よ――ブッダ・ゴータマの生涯』講談社文庫、趣意)と感嘆させているのであります。
695桃太郎
2023/02/12(日) 16:43:23.29ID:GXKbJVa+ 仏の「悟り」とは、何不自由なく生活し、コタツでミカン食べながら、世俗にどっぷり浸かって
ちょいと瞑想して得られるものではない。
余談だが、最近じゃ一人で悟のは時間も掛かるし大変だからと、「有料セミナーを受ければ一発で悟れるよ」
なんて詐欺まがいの広告もあるようだ。こんなもんに決して欺されないようにね。(苦笑
結局、釈尊在世の釈迦本人及び弟子達の厳しき修行の様をよく学ぶことです。
悟りに関する安易な考えなどすぐに吹っ飛びます。
このような修行を末法に行う事自体が間違いなのです。
結論、末法の法華経たる、日蓮大聖人の「南無妙法蓮華経」しか成仏の道はないのです。
ちょいと瞑想して得られるものではない。
余談だが、最近じゃ一人で悟のは時間も掛かるし大変だからと、「有料セミナーを受ければ一発で悟れるよ」
なんて詐欺まがいの広告もあるようだ。こんなもんに決して欺されないようにね。(苦笑
結局、釈尊在世の釈迦本人及び弟子達の厳しき修行の様をよく学ぶことです。
悟りに関する安易な考えなどすぐに吹っ飛びます。
このような修行を末法に行う事自体が間違いなのです。
結論、末法の法華経たる、日蓮大聖人の「南無妙法蓮華経」しか成仏の道はないのです。
696神も仏も名無しさん
2023/02/12(日) 17:07:25.23ID:JO8Ygjem 釈尊はそのような執着のある世間と距離をおくためにサンガをつくったんですよ
執着を失ったら二度と世間で暮らそうなどとは思えなくなるから。
サンガでは労働と生殖が否定されます。
釈尊は食べ物をめぐんでもらおうと農夫のそばに立っていると
農夫はこう言いました。「私は畑を耕して弁当を食べているんだ。君も畑を耕しなさい」と
すると、釈尊はライムを刻んで言いました。「あなた、畑耕す、わたし、宗教者、人々の 心、耕す」ズッタン
そのライムを聞いた農夫はかっこいいと思い、釈尊に弁当を分けました。
しかし、私はライムの対価としてご飯をもらうのではない。それでは労働だ
と言って弁当を捨てました。それほどサンガは労働というものをしないのです。
労働というものをすれば私のもの、私の財産、私の権力という執着の螺旋にからめとられるからです。
サンガであれがほしい、なんかむしゃくしゃする、憂鬱だといった煩悩をなくし
対象と気づきが脱落した涅槃に住することがテーラワーダ仏教のめざすところです
執着を失ったら二度と世間で暮らそうなどとは思えなくなるから。
サンガでは労働と生殖が否定されます。
釈尊は食べ物をめぐんでもらおうと農夫のそばに立っていると
農夫はこう言いました。「私は畑を耕して弁当を食べているんだ。君も畑を耕しなさい」と
すると、釈尊はライムを刻んで言いました。「あなた、畑耕す、わたし、宗教者、人々の 心、耕す」ズッタン
そのライムを聞いた農夫はかっこいいと思い、釈尊に弁当を分けました。
しかし、私はライムの対価としてご飯をもらうのではない。それでは労働だ
と言って弁当を捨てました。それほどサンガは労働というものをしないのです。
労働というものをすれば私のもの、私の財産、私の権力という執着の螺旋にからめとられるからです。
サンガであれがほしい、なんかむしゃくしゃする、憂鬱だといった煩悩をなくし
対象と気づきが脱落した涅槃に住することがテーラワーダ仏教のめざすところです
697神も仏も名無しさん
2023/02/13(月) 06:38:48.14ID:WD17KsrL >>683がイミフなんだが
698神も仏も名無しさん
2023/02/13(月) 06:40:27.12ID:WD17KsrL まあ、指摘を煽り返してる段階で図星ということになるな。笑
699桃太郎
2023/02/13(月) 09:30:08.44ID:47KbV5l7 >>697 >>698
まぁ、いかに「煩悩」を消し去って悟りを得るといっても、小乗教では所詮「机上の空論」である事が、彼らの論争を見るだけで無理だと理解出来よう。
何度も言うように「煩悩」は消し去るものではなく「明らめる」のです。それを迷うから「無明」と言うのです。
「昼も夜も、私には悔いがない。寝ているときにも、私の心は一切衆生を救いたいという思いで満たされている」
「一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ」
(『ブッダのことば − スッタ二バータ』中村元訳、岩波文庫)
まさに、仏の願望であり誓願であり「偉大なる煩悩」です。
仏は「どうすれば、苦悩に沈み生きる希望を失った人々を仏法に導き、救い幸福にしていけるか」と悩みます。
そして同じ立場、目線に立って同苦するのです。そこに偉大な智慧の発露が顕現するのです。
逆に自身の安穏のみに執着し、他者の不幸を考えないような「愚かな煩悩」では愚かな智慧しか生まれません。
そもそも「煩悩」=>「ダメ」みたいな固定観念があるようですが、そうではないのです。
まぁ、いかに「煩悩」を消し去って悟りを得るといっても、小乗教では所詮「机上の空論」である事が、彼らの論争を見るだけで無理だと理解出来よう。
何度も言うように「煩悩」は消し去るものではなく「明らめる」のです。それを迷うから「無明」と言うのです。
「昼も夜も、私には悔いがない。寝ているときにも、私の心は一切衆生を救いたいという思いで満たされている」
「一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ」
(『ブッダのことば − スッタ二バータ』中村元訳、岩波文庫)
まさに、仏の願望であり誓願であり「偉大なる煩悩」です。
仏は「どうすれば、苦悩に沈み生きる希望を失った人々を仏法に導き、救い幸福にしていけるか」と悩みます。
そして同じ立場、目線に立って同苦するのです。そこに偉大な智慧の発露が顕現するのです。
逆に自身の安穏のみに執着し、他者の不幸を考えないような「愚かな煩悩」では愚かな智慧しか生まれません。
そもそも「煩悩」=>「ダメ」みたいな固定観念があるようですが、そうではないのです。
700桃太郎
2023/02/13(月) 09:30:32.83ID:47KbV5l7 例えば
日蓮大聖人は「瞋恚しんには善悪に通ずる者なり」と仰せである。
悪に怒りを燃やすのは「善」なのである。「燃え上がる怒り」がなくなったら、もはや「正義」の心はない。心は死んでいる。
死んだ心に、功徳もない。喜びもない。幸福もない。
「いじめ、犯罪、権力の横暴、貧困、人々の不幸」こうしたものに目を背け、怒りもなく、自利に執着する二乗を釈尊は大乗経に於いて永久に成仏出来ないと弾呵しました。
前述したように
************
事実、釈尊の対話の特徴は、部族間の水争いの仲裁をするときも、凶暴な強盗を改心させるときも、乞食行に異議を申し立てる者の浅慮を戒めるときも、
常に内なる悪という「一本の矢」に気づかせることを眼目としておりました。
その類まれなる人格の力こそ、ある王をして「世尊よ、私たちが武器をもってさえ降伏させることのできない者を、あなたは武器をもたずして降伏せしめる」
(増谷文雄『この人を見よ――ブッダ・ゴータマの生涯』講談社文庫、趣意)と感嘆させているのであります。
************
釈尊は悪に対して決して無関心ではなかったのです。
むしろ積極的係わっていったのです。
釈尊は一箇所に止まって瞑想をしているような人ではありませんでした。
常に行動し旅をし、多くの人々に仏法という尊い教えを布教して言ったのです。
「苦しむ多くの人々救いたい」これほど偉大な慈悲と信念の人はいないでしょう。それが「仏」です。
日蓮大聖人は「瞋恚しんには善悪に通ずる者なり」と仰せである。
悪に怒りを燃やすのは「善」なのである。「燃え上がる怒り」がなくなったら、もはや「正義」の心はない。心は死んでいる。
死んだ心に、功徳もない。喜びもない。幸福もない。
「いじめ、犯罪、権力の横暴、貧困、人々の不幸」こうしたものに目を背け、怒りもなく、自利に執着する二乗を釈尊は大乗経に於いて永久に成仏出来ないと弾呵しました。
前述したように
************
事実、釈尊の対話の特徴は、部族間の水争いの仲裁をするときも、凶暴な強盗を改心させるときも、乞食行に異議を申し立てる者の浅慮を戒めるときも、
常に内なる悪という「一本の矢」に気づかせることを眼目としておりました。
その類まれなる人格の力こそ、ある王をして「世尊よ、私たちが武器をもってさえ降伏させることのできない者を、あなたは武器をもたずして降伏せしめる」
(増谷文雄『この人を見よ――ブッダ・ゴータマの生涯』講談社文庫、趣意)と感嘆させているのであります。
************
釈尊は悪に対して決して無関心ではなかったのです。
むしろ積極的係わっていったのです。
釈尊は一箇所に止まって瞑想をしているような人ではありませんでした。
常に行動し旅をし、多くの人々に仏法という尊い教えを布教して言ったのです。
「苦しむ多くの人々救いたい」これほど偉大な慈悲と信念の人はいないでしょう。それが「仏」です。
701神も仏も名無しさん
2023/02/13(月) 10:00:17.34ID:oyGHx8fT こちらもテーラワーダに対しては否定的名立場だが、
桃太郎と名乗る人物が何もわかっていないことはよくわかった
桃太郎と名乗る人物が何もわかっていないことはよくわかった
702桃太郎
2023/02/13(月) 12:33:00.10ID:47KbV5l7703神も仏も名無しさん
2023/02/13(月) 17:51:23.36ID:DvdnMIFJ704神も仏も名無しさん
2023/02/13(月) 18:01:26.54ID:hORH43gw705神も仏も名無しさん
2023/02/13(月) 23:40:58.17ID:vlRJJSfJ 日蓮がさ、他宗の人間は殺害しても構わないと書き残してるんだよね
それだけでもう仏教ではないね
それだけでもう仏教ではないね
706桃太郎
2023/02/14(火) 12:10:20.52ID:s0OkQwIs707桃太郎
2023/02/14(火) 14:39:33.43ID:s0OkQwIs >>705
認識不足だね。それはたんなる「切り文句」
大抵、創価学会のイメージダウンが目的の中傷記事でしかない。
たしかに立正安国論にそのように思える表現がされているが、よく読めば「人々を苦しめる邪法の坊主への布施を止めよ」と言っている。
例えて言うならば、プーチンやキム・ジョンウンのような多くの人々を不幸にし、苦しめるような悪の根源のような人間を許すな!
という感じでしょうか。それをつよい言葉で「首を切れ」と表現したのです。
決して、ロシアや北朝鮮の人々の「首を切れ」と言っているのではない。
ゆえに、日蓮仏法はISISのように超排他的な宗教ではない。
そもそも、そんな原理主義的な宗教では、世界宗教になり得ないし、創価学会が世界192ヶ国に広まるはずも無い。
認識不足だね。それはたんなる「切り文句」
大抵、創価学会のイメージダウンが目的の中傷記事でしかない。
たしかに立正安国論にそのように思える表現がされているが、よく読めば「人々を苦しめる邪法の坊主への布施を止めよ」と言っている。
例えて言うならば、プーチンやキム・ジョンウンのような多くの人々を不幸にし、苦しめるような悪の根源のような人間を許すな!
という感じでしょうか。それをつよい言葉で「首を切れ」と表現したのです。
決して、ロシアや北朝鮮の人々の「首を切れ」と言っているのではない。
ゆえに、日蓮仏法はISISのように超排他的な宗教ではない。
そもそも、そんな原理主義的な宗教では、世界宗教になり得ないし、創価学会が世界192ヶ国に広まるはずも無い。
708神も仏も名無しさん
2023/02/15(水) 17:09:31.62ID:Pq0JbOLb プーチンやキムジョンウンは批判するのになぜか習近平は批判しない。
ここに創価の欺瞞があるな
ここに創価の欺瞞があるな
709神も仏も名無しさん
2023/02/15(水) 19:38:48.82ID:ry1kI8h0 などと寺和田の実践とは何の関係もない攻撃を仕掛け、創価に論破された悔しさを紛らわす寺和田君であった
710神も仏も名無しさん
2023/02/15(水) 19:47:32.43ID:Pq0JbOLb 図星だったらしい
711神も仏も名無しさん
2023/02/16(木) 09:24:05.04ID:UKnrKpP/ 寺和田と創価の共通点
即身仏を崇拝する(笑)
即身仏を崇拝する(笑)
712神も仏も名無しさん
2023/02/16(木) 09:35:37.96ID:b6IDI+d0 711と精神障害者の共通点
キチガイ(笑)
キチガイ(笑)
713神も仏も名無しさん
2023/02/16(木) 17:48:40.75ID:epAw8bzI714神も仏も名無しさん
2023/02/16(木) 17:53:41.73ID:epAw8bzI 今はかつてのように鎌倉仏教を過大に持ち上げる風潮が止んで
あれらは異端やカルト的な勢力に過ぎなかったのではないか、
という流れになってきている。
そういう流れから最澄はともかくとして空海があらためて評価され始めている。
所謂鎌倉仏教としての法然や親鸞、あるいは道元や栄西はまだしも、
日蓮なんてもう完全にカルト教団の教祖なんだよ、今の時代なら。
あの日蓮にしてこんにちの創価学会なわけでね。
あれらは異端やカルト的な勢力に過ぎなかったのではないか、
という流れになってきている。
そういう流れから最澄はともかくとして空海があらためて評価され始めている。
所謂鎌倉仏教としての法然や親鸞、あるいは道元や栄西はまだしも、
日蓮なんてもう完全にカルト教団の教祖なんだよ、今の時代なら。
あの日蓮にしてこんにちの創価学会なわけでね。
715神も仏も名無しさん
2023/02/16(木) 18:52:06.96ID:8f3mFpp/ 結局、大乗が権力と関わっていくとき欺瞞が生まれる
苦しむ人間が少なからず存在するのに政治的判断で無視するわけだから。
そのとき苦しむ人間をだまらせるのが信心が足りんという言葉。
都合がいいよね
苦しむ人間が少なからず存在するのに政治的判断で無視するわけだから。
そのとき苦しむ人間をだまらせるのが信心が足りんという言葉。
都合がいいよね
716桃太郎
2023/02/18(土) 14:35:04.71ID:jy3m4X9q >結局、大乗が権力と関わっていくとき欺瞞が生まれる
それは、大乗の教えとは無関係だよ。
それを言うなら、悪に無関心なテラワダの聖地はどういう現状になっているか知るべきでしょう。
もし、日本がテラワダの思想に染まり、人々の苦悩に目を背け、ムガムガ(無我)言って自身の安穏のみに執着してしまったなら、この日本は悪や権力者の天国になります。
例えば、「宗教は住民の大半(85%)が上座部仏教を信仰している」ミヤンマーのようになるでしょうね。
現実は日本はどちらかというと大乗の国、しかも創価学会員がもっとも多い国です。
世界の中でも最も治安がよく、世界の人々の憧れの国となっています。
テラワダ諸君は自身の瞑想だけにこだわり、他者を救うという「菩薩行」がかけている。
この板でなんども聞いた「自分が救われずして人が救えるか」「人を救うという者は、偽善者であり、傲慢である」とか
信じられ無い意見をよく聞きます。
本当の仏教とは「自他共の幸福」を願い目指すものです。
それは、大乗の教えとは無関係だよ。
それを言うなら、悪に無関心なテラワダの聖地はどういう現状になっているか知るべきでしょう。
もし、日本がテラワダの思想に染まり、人々の苦悩に目を背け、ムガムガ(無我)言って自身の安穏のみに執着してしまったなら、この日本は悪や権力者の天国になります。
例えば、「宗教は住民の大半(85%)が上座部仏教を信仰している」ミヤンマーのようになるでしょうね。
現実は日本はどちらかというと大乗の国、しかも創価学会員がもっとも多い国です。
世界の中でも最も治安がよく、世界の人々の憧れの国となっています。
テラワダ諸君は自身の瞑想だけにこだわり、他者を救うという「菩薩行」がかけている。
この板でなんども聞いた「自分が救われずして人が救えるか」「人を救うという者は、偽善者であり、傲慢である」とか
信じられ無い意見をよく聞きます。
本当の仏教とは「自他共の幸福」を願い目指すものです。
717神も仏も名無しさん
2023/02/18(土) 15:20:10.62ID:57np7JDN 自分の利益のために人権弾圧国家中国とつきあってる日本がよく言うよ
自分たちの安穏のために他者を見捨てて、悪や権力者の天国になってる中国とつきあう。
そういうやつらがミャンマーを笑う?
お笑い草だね
自分たちの安穏のために他者を見捨てて、悪や権力者の天国になってる中国とつきあう。
そういうやつらがミャンマーを笑う?
お笑い草だね
718神も仏も名無しさん
2023/02/18(土) 15:22:00.97ID:3RXbbtyl 自身の平安、平穏を得ていない人が、人を救うことはできないよ。。
自己が、平穏でない人が、他を救おうとすると、ただ煩いだけになる場合がほとんど。。
自分が救われてないから。。
自己が、平穏でない人が、他を救おうとすると、ただ煩いだけになる場合がほとんど。。
自分が救われてないから。。
719神も仏も名無しさん
2023/02/18(土) 16:44:47.70ID:57np7JDN それは緊急度によるね
可及的すみやかに救い出さないといけないときは
自分が平穏を得ているとか関係ない
相手の安全を確保するために考える前に動かなきゃいけない
相手が考える時間も自由もあってそれでも苦しんでいる状態なら
自分が救えていない者に相手は救えない
可及的すみやかに救い出さないといけないときは
自分が平穏を得ているとか関係ない
相手の安全を確保するために考える前に動かなきゃいけない
相手が考える時間も自由もあってそれでも苦しんでいる状態なら
自分が救えていない者に相手は救えない
720神も仏も名無しさん
2023/02/18(土) 17:04:32.18ID:4FWcVloL >>716
救済ということの意味をまったく取り違えている。
仏教における救済とはこの世界を住みよい世の中にすることではない。
そんなことは仏教の救済とは関係ないし、
これは本来のキリストの教えにおいても全く同じだ。
私はこの世界に私の王国を築くためにやってきたのではなく、
迷える子羊を元々居た父の国に連れ戻すためにやってきたのだ、
というイエスの言葉が何を意味しているのかよく洞察してみたまえ。
救済ということの意味をまったく取り違えている。
仏教における救済とはこの世界を住みよい世の中にすることではない。
そんなことは仏教の救済とは関係ないし、
これは本来のキリストの教えにおいても全く同じだ。
私はこの世界に私の王国を築くためにやってきたのではなく、
迷える子羊を元々居た父の国に連れ戻すためにやってきたのだ、
というイエスの言葉が何を意味しているのかよく洞察してみたまえ。
721神も仏も名無しさん
2023/02/18(土) 17:21:27.66ID:4FWcVloL722神も仏も名無しさん
2023/02/19(日) 09:23:06.72ID:r8LgI3l1 日本でもっとも多い宗派は浄土真宗で数千万単位 学会は推計280万人程度 選挙の得票数と街頭アンケートで割り出されてる
723神も仏も名無しさん
2023/02/19(日) 09:34:54.01ID:s/i73x2d それちょっと比較の仕方がおかしくね?
浄土真宗全体と
日蓮宗全体と
を比較するか
浄土真宗系の何らかのカルト新興宗教派閥と
日蓮宗系のカルト新興宗教派閥である創価学会と
を比較しないと
浄土真宗全体と
日蓮宗全体と
を比較するか
浄土真宗系の何らかのカルト新興宗教派閥と
日蓮宗系のカルト新興宗教派閥である創価学会と
を比較しないと
724神も仏も名無しさん
2023/02/19(日) 14:56:23.40ID:3m2Et/Gr >>723
日蓮宗は創価学会の母体となった日蓮正宗との法縁を否定してるし 学会も日蓮宗に法論を仕掛けたりして同一系列とは言い難い
友好的な日蓮宗と独善的な正宗系という教団の性格の違いも大きい上に日蓮宗には入信を強要する様な行動がなく 富士大石寺を総本山とする日蓮正宗と日蓮宗が別物と見るのが妥当
何より日蓮宗は他宗派を口撃したりしないから違いは明らか
正宗系が過激だからといって日蓮宗に加えて同一視するべきではない
日蓮宗は創価学会の母体となった日蓮正宗との法縁を否定してるし 学会も日蓮宗に法論を仕掛けたりして同一系列とは言い難い
友好的な日蓮宗と独善的な正宗系という教団の性格の違いも大きい上に日蓮宗には入信を強要する様な行動がなく 富士大石寺を総本山とする日蓮正宗と日蓮宗が別物と見るのが妥当
何より日蓮宗は他宗派を口撃したりしないから違いは明らか
正宗系が過激だからといって日蓮宗に加えて同一視するべきではない
725神も仏も名無しさん
2023/02/19(日) 15:22:15.43ID:V/fZh0oj >>724
そんな日蓮教系の内部事情を持ち出して外部に振りかざすなよw
それ言ったら浄土真宗だって西か東かとかいくらでもあるだろ
だから単に浄土真宗系「全体」 と比較するなら(正宗含む)日蓮教系「全体」との比較が客観性・フェアだってだけの論旨なんだから
そんな日蓮教系の内部事情を持ち出して外部に振りかざすなよw
それ言ったら浄土真宗だって西か東かとかいくらでもあるだろ
だから単に浄土真宗系「全体」 と比較するなら(正宗含む)日蓮教系「全体」との比較が客観性・フェアだってだけの論旨なんだから
726神も仏も名無しさん
2023/02/19(日) 15:55:01.33ID:3m2Et/Gr >>725
俺は部外者だから内部事情という指摘も間違いだ
日蓮宗と日蓮正宗は早い時期に分裂した別団体だ 自分が無知だからって糞味噌一緒にするなよ
浄土真宗系で言うなら親鸞会がカルトだからって全体を一緒にするようなもんだし その屁理屈なら真如苑だって真言宗という事になる
文科省の宗教年間でも全く別の団体として記載されてて教義にも違いが有るのに同一な訳がない
知らないなら知らないでいいから黙っとけ
俺は部外者だから内部事情という指摘も間違いだ
日蓮宗と日蓮正宗は早い時期に分裂した別団体だ 自分が無知だからって糞味噌一緒にするなよ
浄土真宗系で言うなら親鸞会がカルトだからって全体を一緒にするようなもんだし その屁理屈なら真如苑だって真言宗という事になる
文科省の宗教年間でも全く別の団体として記載されてて教義にも違いが有るのに同一な訳がない
知らないなら知らないでいいから黙っとけ
727神も仏も名無しさん
2023/02/19(日) 17:14:25.97ID:+oavEQlf728神も仏も名無しさん
2023/02/19(日) 17:25:38.40ID:iEV13o8M 門外漢の私からすれば日蓮宗も日蓮正宗も同じ日蓮系という認識です。
私は真宗ですけど、浄土宗、浄土真宗も同じ浄土系という認識ですね
まあ鎮西派と真宗では教義もずいぶんちがいますけど
727さんの見方に一票入れます。
私は真宗ですけど、浄土宗、浄土真宗も同じ浄土系という認識ですね
まあ鎮西派と真宗では教義もずいぶんちがいますけど
727さんの見方に一票入れます。
729神も仏も名無しさん
2023/02/19(日) 21:04:33.51ID:3m2Et/Gr >>727
いいかニワカ
日蓮正宗というのは日蓮の死後に六老僧から外れた日興というのが起こした宗派で成り立ちから他の日蓮宗とは違うんだよ
江戸時代には幕府からお取り潰しになりそうになったのを日蓮宗が仲裁に入って他宗派の信者を引き抜かないという条件で免れた経緯があるのな
で明治迄は大人しくしてたのが自由化された事で正式に日蓮宗から離れて独自路線で教義も違うし横の繋がりもない
しかも其処から更に分裂を繰り返して日蓮正宗からも分かれて僧侶も寺院もない在家集団として独立してるのが創価学会で日蓮宗にも学会にも同じ系統という認識はないし ある程度調べた仏教徒なら同じとは扱わないのは常識なんだよ わかるか? ニワカ
いいかニワカ
日蓮正宗というのは日蓮の死後に六老僧から外れた日興というのが起こした宗派で成り立ちから他の日蓮宗とは違うんだよ
江戸時代には幕府からお取り潰しになりそうになったのを日蓮宗が仲裁に入って他宗派の信者を引き抜かないという条件で免れた経緯があるのな
で明治迄は大人しくしてたのが自由化された事で正式に日蓮宗から離れて独自路線で教義も違うし横の繋がりもない
しかも其処から更に分裂を繰り返して日蓮正宗からも分かれて僧侶も寺院もない在家集団として独立してるのが創価学会で日蓮宗にも学会にも同じ系統という認識はないし ある程度調べた仏教徒なら同じとは扱わないのは常識なんだよ わかるか? ニワカ
730神も仏も名無しさん
2023/02/19(日) 21:21:59.02ID:3m2Et/Gr ったく 最低限の事ぐらい調べてから能書き言えよ 自分の宗派にしか関心が無いから日蓮宗の系統に学会を含めるとか馬鹿な事をやらかすんだぞ
https://i.imgur.com/zHheHtE.png
https://buddha-christ.com/2017/10/03/%E6%97%A5%E8%93%AE%E5%AE%97%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%80%8E%E6%97%A5%E8%93%AE%E6%AD%A3%E5%AE%97%E3%80%8F%E3%81%A8%E3%81%AE%E9%81%95%E3%81%84%E3%81%AF%E3%83%89%E3%82%B3%E3%80%90%E8%B6%85%E9%81%8E%E6%BF%80/
https://i.imgur.com/zHheHtE.png
https://buddha-christ.com/2017/10/03/%E6%97%A5%E8%93%AE%E5%AE%97%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%80%8E%E6%97%A5%E8%93%AE%E6%AD%A3%E5%AE%97%E3%80%8F%E3%81%A8%E3%81%AE%E9%81%95%E3%81%84%E3%81%AF%E3%83%89%E3%82%B3%E3%80%90%E8%B6%85%E9%81%8E%E6%BF%80/
731神も仏も名無しさん
2023/02/19(日) 21:35:01.21ID:yKqhT3mq うわーこれが日蓮系信者の独善性ってやつかw
生ける証人乙www
生ける証人乙www
732神も仏も名無しさん
2023/02/19(日) 21:45:37.65ID:iEV13o8M 日蓮正宗系が毛嫌いされているところ、日蓮宗系としては
同じに見るなと。あいつらは別種だと言いたいんでしょうよ
日蓮系みんながあんな圧力かけて信仰を変えさせ投票をよびかける活動してない
ってことなのかな
熱心な布教活動してるのはキリスト教か創価ってイメージだけど
私はキリスト教に改宗するくらいなら創価のほうがマシだなって思ってるね
仏教徒なので
同じに見るなと。あいつらは別種だと言いたいんでしょうよ
日蓮系みんながあんな圧力かけて信仰を変えさせ投票をよびかける活動してない
ってことなのかな
熱心な布教活動してるのはキリスト教か創価ってイメージだけど
私はキリスト教に改宗するくらいなら創価のほうがマシだなって思ってるね
仏教徒なので
733神も仏も名無しさん
2023/02/19(日) 22:02:15.47ID:3m2Et/Gr >>731
俺は日蓮系じゃねえよ アホ 笑
俺は日蓮系じゃねえよ アホ 笑
734神も仏も名無しさん
2023/02/19(日) 22:10:25.83ID:3m2Et/Gr >>732
アンタも思い込み激しいね
俺は日蓮宗でも正宗系でもないけど実際に日蓮宗の坊さんや信者さんともやりとりして正宗系とは全く違う穏健な宗派だと知ってるだけ
まあ仏壇の尊格も違えば真言陀羅尼を読んだり神社参拝を禁じない浄土宗と真言禁止で神祇不拝の浄土真宗の区別が付かない雑な理解じゃその程度だろうよ
正宗系があんなだからって日蓮宗まで敵視するのはおかしいだろってあくまでも他宗派としての意見だがそれすらも確認せずに日蓮宗認定とか頭悪過ぎだわ
アンタも思い込み激しいね
俺は日蓮宗でも正宗系でもないけど実際に日蓮宗の坊さんや信者さんともやりとりして正宗系とは全く違う穏健な宗派だと知ってるだけ
まあ仏壇の尊格も違えば真言陀羅尼を読んだり神社参拝を禁じない浄土宗と真言禁止で神祇不拝の浄土真宗の区別が付かない雑な理解じゃその程度だろうよ
正宗系があんなだからって日蓮宗まで敵視するのはおかしいだろってあくまでも他宗派としての意見だがそれすらも確認せずに日蓮宗認定とか頭悪過ぎだわ
735桃太郎
2023/02/22(水) 13:56:21.01ID:9juVjNfi どうやら、日蓮宗VS日蓮正宗 論争は終息したようだね。
では、総括しましょう。
「ニワカ宗教オタク」が「ニワカアンチ」に「ニワカサイト」を提示して「もっとニワカ知識を学べ」と言う。
そんで、テラワダ信者オタクは、目が点になって「そんな論点どーでもええわ、他でやれ!」と心でつぶやく。
で、桃太郎は興味津々でROMるも「やはり実践の伴わない宗教オタクの理解度はこの程度なのか」と嘆く。
この深淵な仏法の教えを「宗教オタク」に理解させるのがいかに難事であるかを痛感する。
きっと、悟りを得た釈尊が教えを、説くか、説かざるか、を悩んだ理由もよく分かるような気がする。
では、総括しましょう。
「ニワカ宗教オタク」が「ニワカアンチ」に「ニワカサイト」を提示して「もっとニワカ知識を学べ」と言う。
そんで、テラワダ信者オタクは、目が点になって「そんな論点どーでもええわ、他でやれ!」と心でつぶやく。
で、桃太郎は興味津々でROMるも「やはり実践の伴わない宗教オタクの理解度はこの程度なのか」と嘆く。
この深淵な仏法の教えを「宗教オタク」に理解させるのがいかに難事であるかを痛感する。
きっと、悟りを得た釈尊が教えを、説くか、説かざるか、を悩んだ理由もよく分かるような気がする。
736神も仏も名無しさん
2023/02/22(水) 14:22:56.27ID:1vSC04jw 日蓮患者にオタク呼ばわりされる筋合いもないけど とりあえずテーラワーダのスレでいつまでも関係ない事書くなよ
くだらない
くだらない
737神も仏も名無しさん
2023/02/23(木) 09:28:21.61ID:vtziieQB738桃太郎
2023/02/24(金) 09:17:15.25ID:cB08O1L1 >>737
「話してみなさい。」は良いんだけど..(苦笑
まずは、あなたの立場を教えて下さいな。
テラワダ信者?日蓮宗?それとも、ただの宗教オタク?
私のように堂々と「私は日蓮仏法を信奉する創価学会員です。」とか名乗れないの?
「話してみなさい。」は良いんだけど..(苦笑
まずは、あなたの立場を教えて下さいな。
テラワダ信者?日蓮宗?それとも、ただの宗教オタク?
私のように堂々と「私は日蓮仏法を信奉する創価学会員です。」とか名乗れないの?
739神も仏も名無しさん
2023/02/24(金) 14:32:52.60ID:UTt/DX62 >>738
どこの団体や宗教にも属してなどいない。
そもそも仏道を歩むのに団体など必要ない。
灌頂等授けてくれた師はいる。
それで君は創価学会でどんな実践をしているのかね?
他人の家に押し掛けて恫喝しながら折伏することか?
あるいは公明党に投票するようにこれまた脅すことかね?
それが仏道と何の関係がある?
地獄行きが確定しているだけだぞ。
ついでに。
日本には裏仏教とも言える極秘に伝えられてきたものがある。
真の仏道修行者ならいずれ必ずそこに辿り着く、
頭の片隅にでも記憶しておきなさい。
どこの団体や宗教にも属してなどいない。
そもそも仏道を歩むのに団体など必要ない。
灌頂等授けてくれた師はいる。
それで君は創価学会でどんな実践をしているのかね?
他人の家に押し掛けて恫喝しながら折伏することか?
あるいは公明党に投票するようにこれまた脅すことかね?
それが仏道と何の関係がある?
地獄行きが確定しているだけだぞ。
ついでに。
日本には裏仏教とも言える極秘に伝えられてきたものがある。
真の仏道修行者ならいずれ必ずそこに辿り着く、
頭の片隅にでも記憶しておきなさい。
740桃太郎
2023/02/24(金) 15:09:08.20ID:cB08O1L1 >裏仏教
わっははは!裏仏教ねぇ〜。笑えるわ。
さすが仏教オタクの発想はおもしろい。
で、
>真の仏道修行者ならいずれ必ずそこに辿り着く
ほぅ〜。という事は、テラワダ信者も修行を究めると、「裏仏教」に辿り着くわけね。(苦笑
で、その「裏仏教」って何? 「真言密教」とか、そっち系???
どーでもいいわ。まぁ、君は「裏仏教」でがんばりなさい。
*********
>仏道を歩むのに団体など必要ない。
釈尊の弟子等は最初から一人で修行したのかな?
>恫喝しながら折伏する
創価学会で恫喝されて入信した人など聞いたことが無い。
きみは私が「入信しろ!」と恫喝して素直に信心するのかい?
それは有り得ないだろう。普通に。常識でものを考える事が出来ないのかな?
>公明党に投票するようにこれまた脅す
投票するときは一人でするものだよ。
同じように、「公明党に入れろや、ゴラァ!」とか言われて、「ハイ!分かりました一票入れます」とか言う奴いる???
裏仏教やっていると頭おかしくなるんじゃない?
常識もワカランほどバカになるぐらいなら「裏仏教」はやめとけ。
わっははは!裏仏教ねぇ〜。笑えるわ。
さすが仏教オタクの発想はおもしろい。
で、
>真の仏道修行者ならいずれ必ずそこに辿り着く
ほぅ〜。という事は、テラワダ信者も修行を究めると、「裏仏教」に辿り着くわけね。(苦笑
で、その「裏仏教」って何? 「真言密教」とか、そっち系???
どーでもいいわ。まぁ、君は「裏仏教」でがんばりなさい。
*********
>仏道を歩むのに団体など必要ない。
釈尊の弟子等は最初から一人で修行したのかな?
>恫喝しながら折伏する
創価学会で恫喝されて入信した人など聞いたことが無い。
きみは私が「入信しろ!」と恫喝して素直に信心するのかい?
それは有り得ないだろう。普通に。常識でものを考える事が出来ないのかな?
>公明党に投票するようにこれまた脅す
投票するときは一人でするものだよ。
同じように、「公明党に入れろや、ゴラァ!」とか言われて、「ハイ!分かりました一票入れます」とか言う奴いる???
裏仏教やっていると頭おかしくなるんじゃない?
常識もワカランほどバカになるぐらいなら「裏仏教」はやめとけ。
741神も仏も名無しさん
2023/02/24(金) 20:37:13.90ID:sY6vkh9J 法華経の歴史的役割を学問的に俯瞰するなら
佐々木閑氏の「大乗仏教」を読むといい
法華経ってのは般若経系経典類のアップグレード版にすぎないってのが
よくわかる
佐々木閑氏の「大乗仏教」を読むといい
法華経ってのは般若経系経典類のアップグレード版にすぎないってのが
よくわかる
742神も仏も名無しさん
2023/02/25(土) 12:39:50.67ID:J37v3bau そんなもの読む能力あったら最初から創価なんて入れないって
743神も仏も名無しさん
2023/02/25(土) 19:18:24.97ID:wBxh4eyp つ 「創価二世」
744神も仏も名無しさん
2023/02/28(火) 14:52:48.07ID:vLTJj2Rj 裏仏教なら知っとるよ
仏教の皮は被ってるけど實體は別の物なんだろ?
仏教の皮は被ってるけど實體は別の物なんだろ?
745神も仏も名無しさん
2023/02/28(火) 21:12:23.04ID:3ccjHTct 佛敎
746神も仏も名無しさん
2023/03/05(日) 20:01:27.36ID:W5zxtdVv 創価も2世3世になるとある意味被害者だよね。
抜け出したくても恫喝されるのが怖くて抜け出せないだろうし。
そこまで行かなくても生まれた時から周囲の人間関係は創価一色で塗り固められていて、
脱退するということは親も含めてそれまでの人間関係は全部白紙になるわけで、
どうにも身動きが取れなくて立往生している人が多い気がする。
ところで大川隆法はあっさり亡くなって死後すぐにそのことが公表されたわけだが、
池田大作戦先生の死はいつになったら公表するのかな?
タイミングを逸してしまってこちらも立往生なのかしら。
抜け出したくても恫喝されるのが怖くて抜け出せないだろうし。
そこまで行かなくても生まれた時から周囲の人間関係は創価一色で塗り固められていて、
脱退するということは親も含めてそれまでの人間関係は全部白紙になるわけで、
どうにも身動きが取れなくて立往生している人が多い気がする。
ところで大川隆法はあっさり亡くなって死後すぐにそのことが公表されたわけだが、
池田大作戦先生の死はいつになったら公表するのかな?
タイミングを逸してしまってこちらも立往生なのかしら。
747神も仏も名無しさん
2023/03/05(日) 20:27:06.56ID:Uz8cFT1Z 池田大作先生は常住ですので過去現在未来にわたって永遠に私たちのそばにおられるのです。
ほら、あなたの後ろにも・・・
ワッ!!
ほら、あなたの後ろにも・・・
ワッ!!
748神も仏も名無しさん
2023/03/05(日) 20:45:17.84ID:FiXb6yeq ブッダは嘘をついてはいけないと言っていますが、池田大作先生はまだ生きているのでしょうか?近所の熱心な創価のおばちゃんは、コロナワクチンでアナフィラキーになって、起き上がる事も出来なくなってしまいました。ご利益なんでしょうか?
749神も仏も名無しさん
2023/03/05(日) 21:28:27.76ID:Uz8cFT1Z 結論から言えば、ご利益です。
なぜかというと、年を取ると体が重いし、歩くのも億劫になる
そんな苦しみから早く解放してあげたいという大作先生の心遣いです。
え?ポアといっしょだって?
そんな証拠ないでしょう。大作先生がやったって証拠があるんですか?
なぜかというと、年を取ると体が重いし、歩くのも億劫になる
そんな苦しみから早く解放してあげたいという大作先生の心遣いです。
え?ポアといっしょだって?
そんな証拠ないでしょう。大作先生がやったって証拠があるんですか?
750神も仏も名無しさん
2023/03/07(火) 12:52:38.75ID:iAY4M/lL いろいろな宗派をあれこれと見てきたが、
結局のところ密教が一番高いレベルまで到達できるというのが私の結論。
クンダリニー覚醒を伴わない禅やテーラワーダはせいぜい心解脱止まり。
戒定慧の戒の部門を身体をメタファーとして利用して速やかに達成するのが、
密教等のタントラ系の優れた点だと言えるだろう。
こういった聖道門ではない場合は選択肢としては浄土門ということになるが、
現在の浄土系からは教えはほとんど失われてしまっている。
但し唯一、近代の念仏聖者として知る人ぞ知る、
山崎辨榮上人(1859〜1920)だけはまったく別格と位置付けてよいと思う。
近代の日本にこのような人がいたことを知る人は
仏教関係者でも未だ少ないのではないか。
現代日本の仏教界隈の体たらくぶりは、
このような真の覚醒者がまったく埋もれてしまっていて
日の目を見ていないことからも明らかである。
結局のところ密教が一番高いレベルまで到達できるというのが私の結論。
クンダリニー覚醒を伴わない禅やテーラワーダはせいぜい心解脱止まり。
戒定慧の戒の部門を身体をメタファーとして利用して速やかに達成するのが、
密教等のタントラ系の優れた点だと言えるだろう。
こういった聖道門ではない場合は選択肢としては浄土門ということになるが、
現在の浄土系からは教えはほとんど失われてしまっている。
但し唯一、近代の念仏聖者として知る人ぞ知る、
山崎辨榮上人(1859〜1920)だけはまったく別格と位置付けてよいと思う。
近代の日本にこのような人がいたことを知る人は
仏教関係者でも未だ少ないのではないか。
現代日本の仏教界隈の体たらくぶりは、
このような真の覚醒者がまったく埋もれてしまっていて
日の目を見ていないことからも明らかである。
751神も仏も名無しさん
2023/03/07(火) 16:15:20.78ID:ZtRbvW4k >>750
お詳しそうなので教えて頂きたいんですが
先人達が色々創意工夫したり天才が発見したりと
そういう積み重ねでお釈迦様の時代より技法の発達的な
そういうことはあっても当然だとは思うんです
例えば多くのその気の無い人にその気のさせたりとか
昔の方法なら5年掛かるところを1年にしたり
仰るように深さが深かったりとか
ただ庶民が簡単に知ることができなかったり
なんていうか お寺的なところで相談したら
じゃあ3年間は教えてあげるからうちに来なさいみたいな
達した人の中には当然お金なんか興味が無くて
本気だったらいくらでも指導してあげるよって
パターンも多々あるような気がするんですが
実際はそうなってないように感じます
何か理由があるんですかね?
本気の人がかなり少ないため その時代に
達した人との巡り合わせが上手くいかないとか?
弟子の費用とか達した後の面倒が見られないからとか
技法が広まるといい意味でのトリックが使えなくなって
困るとか?
最初から限られた特殊な人しか出来無さそうだからとか?
いやいや 不勉強なだけでいつでも門戸は開いてるよ
って場合はこっちの無知なだけなのですみません
もしご存知でしたらお教え下さい
お詳しそうなので教えて頂きたいんですが
先人達が色々創意工夫したり天才が発見したりと
そういう積み重ねでお釈迦様の時代より技法の発達的な
そういうことはあっても当然だとは思うんです
例えば多くのその気の無い人にその気のさせたりとか
昔の方法なら5年掛かるところを1年にしたり
仰るように深さが深かったりとか
ただ庶民が簡単に知ることができなかったり
なんていうか お寺的なところで相談したら
じゃあ3年間は教えてあげるからうちに来なさいみたいな
達した人の中には当然お金なんか興味が無くて
本気だったらいくらでも指導してあげるよって
パターンも多々あるような気がするんですが
実際はそうなってないように感じます
何か理由があるんですかね?
本気の人がかなり少ないため その時代に
達した人との巡り合わせが上手くいかないとか?
弟子の費用とか達した後の面倒が見られないからとか
技法が広まるといい意味でのトリックが使えなくなって
困るとか?
最初から限られた特殊な人しか出来無さそうだからとか?
いやいや 不勉強なだけでいつでも門戸は開いてるよ
って場合はこっちの無知なだけなのですみません
もしご存知でしたらお教え下さい
752神も仏も名無しさん
2023/03/07(火) 21:16:52.15ID:Tjwv1Ffc >>751
まあ本気で求めている人はあまりいませんよね。
求めているものが結局突き詰めていくと世俗的な金運とか
健康とか結婚とか、そういうのだったりしますから。
それを仏教に限らず輪廻からの解脱を志向する体系に求めても無意味ですね。
というか悟りさえすれば世俗的なことも全部よくなると妄想してる人多いですね。
実際は何も変わらないと思います、健康も経済も人間関係も。
さて、道を探究していくのにお金が必要なのかどうかは、
微妙な言い方になりますが道を求める人への覚悟を促すことと、
手放すことにより新たなものを受け取ることかできる、
ということも実際あると思いますが、
そういうのは金儲け目的の連中に利用されてしまいますね。
師匠の立場では教えるものの価値よりずっと低い費用を提示し、
それが弟子にはちょっと無理すればなんとか工面できる額ならば、
師匠も弟子もともにある種の徳を積んだことになるわけです。
ところが教えるものより高額の金銭を要求したり、
弟子の側では自分にとっては痛くもかゆくもない額のはした金、
あるいは逆に生活そのものを逼迫してしまうような額の布施では、
むしろ双方ともに負のカルマをつくり出してしまうことになると思います。
その辺の判断は難しいところだと思います。
まあ本気で求めている人はあまりいませんよね。
求めているものが結局突き詰めていくと世俗的な金運とか
健康とか結婚とか、そういうのだったりしますから。
それを仏教に限らず輪廻からの解脱を志向する体系に求めても無意味ですね。
というか悟りさえすれば世俗的なことも全部よくなると妄想してる人多いですね。
実際は何も変わらないと思います、健康も経済も人間関係も。
さて、道を探究していくのにお金が必要なのかどうかは、
微妙な言い方になりますが道を求める人への覚悟を促すことと、
手放すことにより新たなものを受け取ることかできる、
ということも実際あると思いますが、
そういうのは金儲け目的の連中に利用されてしまいますね。
師匠の立場では教えるものの価値よりずっと低い費用を提示し、
それが弟子にはちょっと無理すればなんとか工面できる額ならば、
師匠も弟子もともにある種の徳を積んだことになるわけです。
ところが教えるものより高額の金銭を要求したり、
弟子の側では自分にとっては痛くもかゆくもない額のはした金、
あるいは逆に生活そのものを逼迫してしまうような額の布施では、
むしろ双方ともに負のカルマをつくり出してしまうことになると思います。
その辺の判断は難しいところだと思います。
753神も仏も名無しさん
2023/03/07(火) 21:32:47.94ID:Tjwv1Ffc 仏教に限って言えば、
具体的にはホワイトターラーさんという方のブログ
ttps://ameblo.jp/kazama1980/
記事は膨大な量になるのですが初期の頃に遡って読んでいくと
仏教に関する現況が概ね掴めるんじゃないかと思います。
この方はもともと占星術や易経なんかのライターをやられていた方で
文才もありますし何よりご自身がサマディを経験されています。
更に密教ということに限定しますと、
日本には空海という巨人がいたわけですが、
その空海が般若心経は密教経典だと喝破しその注釈書を書いています。
「般若心経秘鍵」です。
密教なのですから三密加持、つまり意密、口密、身密が揃って、
初めて行として成り立つのですが、般若心経にはこのうちの口密、
つまり「羯諦羯諦〜」の真言しか書かれていません。
意密と身密は秘匿されている、と言ってもいいと思います。
まずはその辺から探求していけばご縁ができるかもしれませんね。
具体的にはホワイトターラーさんという方のブログ
ttps://ameblo.jp/kazama1980/
記事は膨大な量になるのですが初期の頃に遡って読んでいくと
仏教に関する現況が概ね掴めるんじゃないかと思います。
この方はもともと占星術や易経なんかのライターをやられていた方で
文才もありますし何よりご自身がサマディを経験されています。
更に密教ということに限定しますと、
日本には空海という巨人がいたわけですが、
その空海が般若心経は密教経典だと喝破しその注釈書を書いています。
「般若心経秘鍵」です。
密教なのですから三密加持、つまり意密、口密、身密が揃って、
初めて行として成り立つのですが、般若心経にはこのうちの口密、
つまり「羯諦羯諦〜」の真言しか書かれていません。
意密と身密は秘匿されている、と言ってもいいと思います。
まずはその辺から探求していけばご縁ができるかもしれませんね。
754神も仏も名無しさん
2023/03/07(火) 23:45:32.93ID:uU/Vfujz 空海、道元、行基、玄奘三蔵、鳩摩羅什
などの歴史に残る僧侶が無邪気に信奉していた般若心経の矛盾点を簡単に幾つも発見したスマナサーラこそが真の高僧
などの歴史に残る僧侶が無邪気に信奉していた般若心経の矛盾点を簡単に幾つも発見したスマナサーラこそが真の高僧
755神も仏も名無しさん
2023/03/08(水) 07:54:04.48ID:g63WPJC8 >>754
スマナサーラは般若心経を密教視点から解読できていない。
タントラについて何も知らないからね、彼は。
空の概念を弄繰り回しているだけの般若心経解釈では、
スマナサーラも他の顕教的解釈も大同小異。
スマナサーラのあの本で図らずもテーラワーダの限界が露呈した。
スマナサーラは般若心経を密教視点から解読できていない。
タントラについて何も知らないからね、彼は。
空の概念を弄繰り回しているだけの般若心経解釈では、
スマナサーラも他の顕教的解釈も大同小異。
スマナサーラのあの本で図らずもテーラワーダの限界が露呈した。
756神も仏も名無しさん
2023/03/08(水) 08:42:01.39ID:C+8HhwY2 >>755
釈迦がタントラを説いたという教説は原始仏典にありますか?
釈迦がタントラを説いたという教説は原始仏典にありますか?
757神も仏も名無しさん
2023/03/08(水) 09:53:12.40ID:Ol98PKBl >>756
仏教とは仏道であり仏陀になるための方法論体系なわけで、
仏陀を教祖とする宗教ではないのですよ。
釈迦以前にも仏陀はいたわけですね?
そこがキリスト教等との決定的な違いです。
なので仏教は厳密には宗教とは言えないのですよ。
方法論ですからそれは時代とともにup to dateしていくのが自然な流れです。
要は仏陀になれればよいのです。
仏陀になれるかなれないか、重要なことはそれだけです。
部派仏教はしきりに自分たちこそが本来の仏教であると主張しますが、
その真偽はともかくとして、今までに傑出した人物、たとえば上でも取り上げた、
山崎辨榮上人の如き傑出した人物が今まで一体どれだけ出てきましたか?
拉麺のルーツは確かに中国にあるのでしょうが、
それは日本において飛躍的な発展を遂げたわけですね?
拉麺とはそもそも書いて時の通り小麦の塊(麺)を捏ねて引っ張る(拉)、
その動作のことを指すのであり料理の名前ではない、等と主張しても無意味ですし、
拉麺とはそもそもこういうものであり、醤油味、味噌味、豚骨味等は
本来の拉麺ではなく邪道だ、等という主張も意味をなしません。
美味しければそれでよい、というだけです。
その美味しさを追求し続けた結果の現在の世界的な日本式拉麺のブームなわけです。
それと同じです。
テーラワーダから第二第三の仏陀は出現したのですか?
スマナサーラ師は仏陀ですか?
仏教とは仏道であり仏陀になるための方法論体系なわけで、
仏陀を教祖とする宗教ではないのですよ。
釈迦以前にも仏陀はいたわけですね?
そこがキリスト教等との決定的な違いです。
なので仏教は厳密には宗教とは言えないのですよ。
方法論ですからそれは時代とともにup to dateしていくのが自然な流れです。
要は仏陀になれればよいのです。
仏陀になれるかなれないか、重要なことはそれだけです。
部派仏教はしきりに自分たちこそが本来の仏教であると主張しますが、
その真偽はともかくとして、今までに傑出した人物、たとえば上でも取り上げた、
山崎辨榮上人の如き傑出した人物が今まで一体どれだけ出てきましたか?
拉麺のルーツは確かに中国にあるのでしょうが、
それは日本において飛躍的な発展を遂げたわけですね?
拉麺とはそもそも書いて時の通り小麦の塊(麺)を捏ねて引っ張る(拉)、
その動作のことを指すのであり料理の名前ではない、等と主張しても無意味ですし、
拉麺とはそもそもこういうものであり、醤油味、味噌味、豚骨味等は
本来の拉麺ではなく邪道だ、等という主張も意味をなしません。
美味しければそれでよい、というだけです。
その美味しさを追求し続けた結果の現在の世界的な日本式拉麺のブームなわけです。
それと同じです。
テーラワーダから第二第三の仏陀は出現したのですか?
スマナサーラ師は仏陀ですか?
758神も仏も名無しさん
2023/03/08(水) 10:05:15.31ID:C+8HhwY2 >>757
それでは、オウムの麻原方式でも良い訳ですね。一応、最終解脱者と名乗っておられますが。ブッダ以上の存在では無いですか?
それでは、オウムの麻原方式でも良い訳ですね。一応、最終解脱者と名乗っておられますが。ブッダ以上の存在では無いですか?
759神も仏も名無しさん
2023/03/08(水) 12:23:20.36ID:Ol98PKBl >>758
屁理屈そのものですね。
オウムが真っ当に仏教をup dateしたのですか?
まずはそれについてお答えください。
池田大作も仏教、日蓮、法華経を謳っていますが彼はどうですか?
創価学会は日本社会に多大な害悪をもたらしていますが。
屁理屈そのものですね。
オウムが真っ当に仏教をup dateしたのですか?
まずはそれについてお答えください。
池田大作も仏教、日蓮、法華経を謳っていますが彼はどうですか?
創価学会は日本社会に多大な害悪をもたらしていますが。
760神も仏も名無しさん
2023/03/08(水) 16:52:19.85ID:rvRmp2md >>757
私は貴方の仰る通りだと思いますよ
寧ろお釈迦さまが現在もおられて
実際にご自分の頃より遥かに多くの人が
最も少ない労力で素早く達するメソッドが
確立されているのを目の当たりにすれば
そっちを採用しようと言われると思います
ただ 現実の世界ではそうなってないような
気がするんですよね
例えば今はインターネットが普及しているので
悟り 教える とかで検索した時に
どこどこ県のなになに寺ではもう500年もそういう人を
受け入れてて
達成者も百人以上いるらしいし
運良く現役の達成者がいて教えてくれるらしいとか
代々アップデートされてきた洗練された
メソッド本が凄いとか
そういうのが見当たりません
達成者が実はポツリポツリで
単にその人一代の才能というか機根任せだからって感じなら
まあ そりゃそうだよなって納得なんですが
そんな激しい人がいつの時代も大量にいるとは
考えずらいので
禅宗ですら飛び込みで出家とかは
追い返されたりしてそんなに簡単では無いみたいだし
うーん って感じですね
私は貴方の仰る通りだと思いますよ
寧ろお釈迦さまが現在もおられて
実際にご自分の頃より遥かに多くの人が
最も少ない労力で素早く達するメソッドが
確立されているのを目の当たりにすれば
そっちを採用しようと言われると思います
ただ 現実の世界ではそうなってないような
気がするんですよね
例えば今はインターネットが普及しているので
悟り 教える とかで検索した時に
どこどこ県のなになに寺ではもう500年もそういう人を
受け入れてて
達成者も百人以上いるらしいし
運良く現役の達成者がいて教えてくれるらしいとか
代々アップデートされてきた洗練された
メソッド本が凄いとか
そういうのが見当たりません
達成者が実はポツリポツリで
単にその人一代の才能というか機根任せだからって感じなら
まあ そりゃそうだよなって納得なんですが
そんな激しい人がいつの時代も大量にいるとは
考えずらいので
禅宗ですら飛び込みで出家とかは
追い返されたりしてそんなに簡単では無いみたいだし
うーん って感じですね
761神も仏も名無しさん
2023/03/08(水) 19:32:38.28ID:H2gxY4+2 テーラワーダの頑固さは困りものだが、
浄土真宗のようなインチキよりマシだ。
浄土真宗のようなインチキよりマシだ。
762神も仏も名無しさん
2023/03/08(水) 21:28:52.91ID:mylDkL7Q 浄土真宗のようなインチキは困りものだが、
テーラワーダの頑固さよりマシだ。
テーラワーダの頑固さよりマシだ。
763神も仏も名無しさん
2023/03/08(水) 21:56:54.08ID:ZL0BeGXv >>760
現代はむしろ仏教というカテゴリーに絞る理由もないでしょうし、
如何にも私悟ってます、解脱してます、という体(てい)でいるとも限りませんね。
これはインドでも昨今頻繁に言われていることです。
昔のように聖者然としたいで立ちでアシュラムを構えているのは、
もはや聖者ビジネスを展開しているだけのアミューズメントパークのキャラだと。
現代のラーマクリシュナやラマナ・マハルシやアナンダマイ・マーがもしいるとすれば、
彼ら彼女らは公務員やIT産業に従事している人の中に紛れ込んでいると。
現代はむしろ仏教というカテゴリーに絞る理由もないでしょうし、
如何にも私悟ってます、解脱してます、という体(てい)でいるとも限りませんね。
これはインドでも昨今頻繁に言われていることです。
昔のように聖者然としたいで立ちでアシュラムを構えているのは、
もはや聖者ビジネスを展開しているだけのアミューズメントパークのキャラだと。
現代のラーマクリシュナやラマナ・マハルシやアナンダマイ・マーがもしいるとすれば、
彼ら彼女らは公務員やIT産業に従事している人の中に紛れ込んでいると。
764神も仏も名無しさん
2023/03/09(木) 05:51:12.04ID:D6B1MTIm 浄土真宗は一向一揆の宗教。
日本史上、最も暴力的で排他的な宗教。
オウム真理教や創価より人を殺している。
テーラワーダの方がマシ。
日本史上、最も暴力的で排他的な宗教。
オウム真理教や創価より人を殺している。
テーラワーダの方がマシ。
765神も仏も名無しさん
2023/03/09(木) 06:48:44.32ID:DPhZk0bR 浄土真宗の一揆は自衛的な面が強いよ
経済的な繁栄を恐れた領主に弾圧された形だからね
経済的な繁栄を恐れた領主に弾圧された形だからね
766神も仏も名無しさん
2023/03/09(木) 18:25:52.56ID:t4g3bxi5 人を殺しておいて言い訳をする。
そんな卑劣な仏教があるものか。
浄土真宗は仏教ではない。
テーラワーダの方がマシ。
そんな卑劣な仏教があるものか。
浄土真宗は仏教ではない。
テーラワーダの方がマシ。
767神も仏も名無しさん
2023/03/09(木) 19:14:53.76ID:+Uz00qpr ではテーラワーダで悟った人は出たの?
ところで浄土真宗で一番問題なのは世襲制だと思うよ
仏教を元につくられた浄土系の宗教で世襲はないよな
ところで浄土真宗で一番問題なのは世襲制だと思うよ
仏教を元につくられた浄土系の宗教で世襲はないよな
768桃太郎
2023/03/10(金) 10:05:59.34ID:1FcB6a3g >>767
>ではテーラワーダで悟った人は出たの?
テラワダの論理で言うと、「覚ったと認識した段階で」実は悟りを究めてはいないという事になります。
一切を捨て去るのが彼らの言う「悟り」なのですから。
「覚りました」と言う事自体がインチキ自己報告という事になります。
テラワダのナンチャッテ覚者の妄想でしかない。
現実は何一つ変わりはしないのです。
何不自由なく生活し、世俗にどっぷり浸かってネットで遊んでいる人間が
「覚りました」とか言ってみても空しいだけです。
現実を変革できる教えこそ真実の「仏教」なのです。
>ではテーラワーダで悟った人は出たの?
テラワダの論理で言うと、「覚ったと認識した段階で」実は悟りを究めてはいないという事になります。
一切を捨て去るのが彼らの言う「悟り」なのですから。
「覚りました」と言う事自体がインチキ自己報告という事になります。
テラワダのナンチャッテ覚者の妄想でしかない。
現実は何一つ変わりはしないのです。
何不自由なく生活し、世俗にどっぷり浸かってネットで遊んでいる人間が
「覚りました」とか言ってみても空しいだけです。
現実を変革できる教えこそ真実の「仏教」なのです。
769桃太郎
2023/03/10(金) 11:01:32.92ID:1FcB6a3g 視点を変えて考察してみましょう。
宇宙はだれが創造したの?ブッタ?
この銀河は、この太陽系は、この地球は誰が創造したと思いますか?
太陽と地球の絶妙な位置関係、そこへ大気が出来、雨が降り、川が流れ、大海が形成される
やがて原初の生命体が生まれ、植物が発生し、大気に酸素を供給し...
そして、長い年月をかけ、人間が生存できる環境が生まれる。
その人間の肉体構造たるや、現代の科学の粋を尽くしても再現できない程です。
※外道では、これを説明のしようがなかったのです、「神」を立てて単純にしようとしたわけです。
これらの一連の流れを単純に、「たまたま」、「偶然に」では説明出来ないでしょう。
これを仏教では森羅万象を司る「宇宙根源の究極の法」「妙法」と名付けるのです。
但し、この妙法は言葉では顕せない「言語道断」する法なので、仏は巧みに「方便」を使って衆生に覚らせるのです。
しかし、その事が分からず、「真実」と「方便」を履き違えるところ宗教の混乱と迷いが生じるのです。
では、この「宇宙根源の究極の法」とは、なんぞや?と言う事が問題です。
私たちの未来をどう導こうとしているのでしょうか?
宇宙はだれが創造したの?ブッタ?
この銀河は、この太陽系は、この地球は誰が創造したと思いますか?
太陽と地球の絶妙な位置関係、そこへ大気が出来、雨が降り、川が流れ、大海が形成される
やがて原初の生命体が生まれ、植物が発生し、大気に酸素を供給し...
そして、長い年月をかけ、人間が生存できる環境が生まれる。
その人間の肉体構造たるや、現代の科学の粋を尽くしても再現できない程です。
※外道では、これを説明のしようがなかったのです、「神」を立てて単純にしようとしたわけです。
これらの一連の流れを単純に、「たまたま」、「偶然に」では説明出来ないでしょう。
これを仏教では森羅万象を司る「宇宙根源の究極の法」「妙法」と名付けるのです。
但し、この妙法は言葉では顕せない「言語道断」する法なので、仏は巧みに「方便」を使って衆生に覚らせるのです。
しかし、その事が分からず、「真実」と「方便」を履き違えるところ宗教の混乱と迷いが生じるのです。
では、この「宇宙根源の究極の法」とは、なんぞや?と言う事が問題です。
私たちの未来をどう導こうとしているのでしょうか?
770桃太郎
2023/03/10(金) 11:02:17.45ID:1FcB6a3g それを教えるために、「仏」はこの娑婆世界に出現したのです。
これもまた「妙法」の働きによるものなのです。
この仏の出世の本懐こそ「法華経」を説くことで有り、その目的は「一切衆生を平等に救いきり、自分と同じ「仏」にするため」なのです。
そして、この地球を「仏の住む、衆生所有楽の仏国土」にするのが仏の仕事なのです。
仏とは「宇宙根源の究極の法」たる妙法を、人として体現した聖者を指します。
ゆえに、「人法一箇」の存在です。
仏の教え、仏の振るまい、仏の心を知ることによって、目には見ることの出来ない「妙法」を私たちは覚る事が出来るのです。
「法を観るものは私を観る、私を観るものは法を観る」とは、そういう事なのです。
そして、この妙法を末法の凡夫にも分かるように顕したのが、末法の御本仏日蓮大聖人の「南無妙法蓮華経」なのです。
「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す 我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」
「南無妙法蓮華経」を受持することが、すなわち仏の悟りを直接得る事ができると言うわけです。
つまり、煩瑣な仏教論理は必要なく、「南無妙法蓮華経」と唱える事が「究極の法」を実践している事になるのです。
これもまた「妙法」の働きによるものなのです。
この仏の出世の本懐こそ「法華経」を説くことで有り、その目的は「一切衆生を平等に救いきり、自分と同じ「仏」にするため」なのです。
そして、この地球を「仏の住む、衆生所有楽の仏国土」にするのが仏の仕事なのです。
仏とは「宇宙根源の究極の法」たる妙法を、人として体現した聖者を指します。
ゆえに、「人法一箇」の存在です。
仏の教え、仏の振るまい、仏の心を知ることによって、目には見ることの出来ない「妙法」を私たちは覚る事が出来るのです。
「法を観るものは私を観る、私を観るものは法を観る」とは、そういう事なのです。
そして、この妙法を末法の凡夫にも分かるように顕したのが、末法の御本仏日蓮大聖人の「南無妙法蓮華経」なのです。
「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す 我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」
「南無妙法蓮華経」を受持することが、すなわち仏の悟りを直接得る事ができると言うわけです。
つまり、煩瑣な仏教論理は必要なく、「南無妙法蓮華経」と唱える事が「究極の法」を実践している事になるのです。
771神も仏も名無しさん
2023/03/10(金) 11:15:05.58ID:Piagj3w0 浄土真宗では親鸞上人が悟れなかったから、
弟子達は悟れないことに価値をおいて、
開き直ってしまった。
だから他宗派で悟ったかどうかを聞く。
その姿勢こそ、浄土真宗が
日本史上最も排他的で暴力的な
宗派に堕落した歴史的事実を裏付けている。
親鸞上人までは、ギリギリ仏教だった
可能性があるが、その後の弟子達や
悟ったかどうかを聞く門徒達は、
明らかに仏教とは無縁の人達だ。
他宗派を攻撃するだけの暴徒だ。
そもそも諸法無我を説く仏教で、
主語を立てたその質問を疑問に
思わないのだろうか。考えられない。
浄土真宗が仏教でない明確な証拠だ。
親鸞上人は泣いていらっしゃる。
テーラワーダの方がマシだと泣いていらっしゃる。
弟子達は悟れないことに価値をおいて、
開き直ってしまった。
だから他宗派で悟ったかどうかを聞く。
その姿勢こそ、浄土真宗が
日本史上最も排他的で暴力的な
宗派に堕落した歴史的事実を裏付けている。
親鸞上人までは、ギリギリ仏教だった
可能性があるが、その後の弟子達や
悟ったかどうかを聞く門徒達は、
明らかに仏教とは無縁の人達だ。
他宗派を攻撃するだけの暴徒だ。
そもそも諸法無我を説く仏教で、
主語を立てたその質問を疑問に
思わないのだろうか。考えられない。
浄土真宗が仏教でない明確な証拠だ。
親鸞上人は泣いていらっしゃる。
テーラワーダの方がマシだと泣いていらっしゃる。
772神も仏も名無しさん
2023/03/10(金) 11:53:55.18ID:hBuR/4E1 >>766
だまって殺されろって言うのかよ
そりゃ仏教には殺生戒はあるけども
日本のように外国に逃げられる環境になく
農地を守って暮らしている民からすれば
殺される危険があったら、相手を殺してでも自分を守るってのは
普通だと思うがな
それに比叡山の僧兵やらから自分たちを守るために武装化したわけで
同時代の他宗派もたいがい武装していた
真宗だけが謗られる理由はないな
だまって殺されろって言うのかよ
そりゃ仏教には殺生戒はあるけども
日本のように外国に逃げられる環境になく
農地を守って暮らしている民からすれば
殺される危険があったら、相手を殺してでも自分を守るってのは
普通だと思うがな
それに比叡山の僧兵やらから自分たちを守るために武装化したわけで
同時代の他宗派もたいがい武装していた
真宗だけが謗られる理由はないな
773神も仏も名無しさん
2023/03/10(金) 12:07:33.60ID:hBuR/4E1 >>768
まず、仏教ってのは己の欲望を叶える宗教ではない。
己の欲望を実現していった先に幸せがあるという見方をしない
現実を変革したところで幸せがないと言われるから
内省的な方向へ意志の力が向けられる、それが仏教。
>>769
人間や環境の持続性について仏教は不可思議と言っているのみです。
それを妙法というのは創価学会の特殊な見解でしょう
>>770
まず法華経が言っているのは歴史的に見て
仏は常住だから今から仏に会って成仏の約束をする必要がないってことです。
そして善を行っていけばいつか仏になるってことです。
しかも仏が常住って話は後付けで増広された部分であって
初期の法華経にはない部分です。
まず、仏教ってのは己の欲望を叶える宗教ではない。
己の欲望を実現していった先に幸せがあるという見方をしない
現実を変革したところで幸せがないと言われるから
内省的な方向へ意志の力が向けられる、それが仏教。
>>769
人間や環境の持続性について仏教は不可思議と言っているのみです。
それを妙法というのは創価学会の特殊な見解でしょう
>>770
まず法華経が言っているのは歴史的に見て
仏は常住だから今から仏に会って成仏の約束をする必要がないってことです。
そして善を行っていけばいつか仏になるってことです。
しかも仏が常住って話は後付けで増広された部分であって
初期の法華経にはない部分です。
774神も仏も名無しさん
2023/03/10(金) 12:19:25.02ID:hBuR/4E1 >>771
その悟れなかったというのは語弊があるね
正確には今生で成仏できないということだよ
でも本来そのことは初期仏教時代から初期大乗まで
一貫して常識だったことでもある。
つまり、娑婆世界で仏が出るのは弥勒までありえないという常識ね。
つまり、伝統的な仏教の常識では、娑婆世界で成仏するためには弥勒が死んでその教えが途絶えた後
おそらく今から100億年後にようやく一人現れる程度。
つまり、今の科学の常識から考えて地球の寿命を考えると現れないと考えた方がいいんだよ。
真宗では悟ると一口に言っても成仏するほどの悟りは得られないとするが
悟りの52位で言うところの51位と同等の悟りは得られるという。
つまり一生補処の弥勒に等しい悟りは得られると言うわけ。
それはアビダッチ(不退転)の悟りで何物にも奪われることのない悟りの境地で
往生したあと、そこで一生を終え、ほかの世界へ言って仏になれる境地だと言う。
当然、親鸞もその境地になったわけで、それを悟るというなら悟っているよ
その悟れなかったというのは語弊があるね
正確には今生で成仏できないということだよ
でも本来そのことは初期仏教時代から初期大乗まで
一貫して常識だったことでもある。
つまり、娑婆世界で仏が出るのは弥勒までありえないという常識ね。
つまり、伝統的な仏教の常識では、娑婆世界で成仏するためには弥勒が死んでその教えが途絶えた後
おそらく今から100億年後にようやく一人現れる程度。
つまり、今の科学の常識から考えて地球の寿命を考えると現れないと考えた方がいいんだよ。
真宗では悟ると一口に言っても成仏するほどの悟りは得られないとするが
悟りの52位で言うところの51位と同等の悟りは得られるという。
つまり一生補処の弥勒に等しい悟りは得られると言うわけ。
それはアビダッチ(不退転)の悟りで何物にも奪われることのない悟りの境地で
往生したあと、そこで一生を終え、ほかの世界へ言って仏になれる境地だと言う。
当然、親鸞もその境地になったわけで、それを悟るというなら悟っているよ
775神も仏も名無しさん
2023/03/10(金) 12:27:02.39ID:kIlYfhZt このスレでの浄土真宗のレスを見よ。
それが浄土真宗が仏教と無縁であることを
明確に証明している。
親鸞上人は泣いていらっしゃる。
浄土真宗は仏教ではないと泣いていらっしゃる。
それが浄土真宗が仏教と無縁であることを
明確に証明している。
親鸞上人は泣いていらっしゃる。
浄土真宗は仏教ではないと泣いていらっしゃる。
776神も仏も名無しさん
2023/03/10(金) 12:29:42.85ID:hBuR/4E1 大乗仏教では、悟ると一口言っても段位があるわけ
まあ上座部でも4段階の悟りの段階を置くわけだが。
大乗で悟りと言っても、凡夫が一回悟って仏になるという話じゃない。
52段位の悟りの階梯がある。
もちろん、必ずしも一段一段階梯を登る必要はなくて飛ばして登ることもある。
他力で一挙に51段位まで登ることを横超と言う。
横とは他力のことで、超とは飛ばして登ることを言う
つまり弥陀の本願は横超できるすぐれた教えだと言っているわけだ
まあ上座部でも4段階の悟りの段階を置くわけだが。
大乗で悟りと言っても、凡夫が一回悟って仏になるという話じゃない。
52段位の悟りの階梯がある。
もちろん、必ずしも一段一段階梯を登る必要はなくて飛ばして登ることもある。
他力で一挙に51段位まで登ることを横超と言う。
横とは他力のことで、超とは飛ばして登ることを言う
つまり弥陀の本願は横超できるすぐれた教えだと言っているわけだ
777神も仏も名無しさん
2023/03/10(金) 12:46:41.20ID:5lAV9CMn 浄土真宗のレスを見よ。
これほど排他的で暴力的なレスはない。
浄土真宗は仏教とは無縁だ。
これほど排他的で暴力的なレスはない。
浄土真宗は仏教とは無縁だ。
778神も仏も名無しさん
2023/03/10(金) 14:37:36.31ID:LYB97LyL 仏道は世間一般でいう現実を変えるためのものではない。
なぜならその現実とは我々の錯覚に過ぎないというのが仏道の立場だから。
現実を変えるのではなく、現実ではないものを現実だと捉えてしまっている、
その錯覚を解除することこそが仏道の目的。
なぜならその現実とは我々の錯覚に過ぎないというのが仏道の立場だから。
現実を変えるのではなく、現実ではないものを現実だと捉えてしまっている、
その錯覚を解除することこそが仏道の目的。
779神も仏も名無しさん
2023/03/10(金) 14:54:23.93ID:DE8abYYX 部派仏教では説一切有部は500人か700人の阿羅漢を輩出したはず。
ということは他の20前後の部派でも阿羅漢に到達した比丘はいたはず。
説一切有部が最大派閥だから有部ほどの輩出数はなかったかもしれないが。
ということは他の20前後の部派でも阿羅漢に到達した比丘はいたはず。
説一切有部が最大派閥だから有部ほどの輩出数はなかったかもしれないが。
780桃太郎
2023/03/10(金) 17:18:08.75ID:1FcB6a3g >>773
>仏教ってのは己の欲望を叶える宗教ではない。
そういうのを詭弁と言うのです。
よく考えてご覧なさい。
なんの目的も無しに人は行動を起こしません。これが道理です。
あなたは何の目的で仏教を学んでいるの?
その目的こそが「あなたの欲望であり、願望」じゃないですか?
さしずめテラワダ諸君は、悟りを開いて、輪廻転生しないことが目的でしょ。
※まぁ仏の「方便」なんだから実現不可能ですが。・・・
しょーもない言葉遊びをしても仕方がないよ。
もっと現実に根ざした人生を送って下さい。
>仏教ってのは己の欲望を叶える宗教ではない。
そういうのを詭弁と言うのです。
よく考えてご覧なさい。
なんの目的も無しに人は行動を起こしません。これが道理です。
あなたは何の目的で仏教を学んでいるの?
その目的こそが「あなたの欲望であり、願望」じゃないですか?
さしずめテラワダ諸君は、悟りを開いて、輪廻転生しないことが目的でしょ。
※まぁ仏の「方便」なんだから実現不可能ですが。・・・
しょーもない言葉遊びをしても仕方がないよ。
もっと現実に根ざした人生を送って下さい。
781桃太郎
2023/03/10(金) 17:26:25.06ID:1FcB6a3g >>778
>現実ではないものを現実だと捉えてしまっている、その錯覚を解除することこそが仏道の目的。
「錯覚」と言いながらあなたは釈尊の教えを信じているじゃないですか。
この世のすべてが現実ではないというのなら、釈尊もその教えも、スマ爺も「錯覚」なんだから、仏教を学ぶ意味が無いではないですか。
そーゆうのを唯識論と言うのだよ。(苦笑
真実の仏法は「諸法実相」なのです。
ありのままの現実が、妙法なのです。
「如実知見」とは、そういう事です。
>現実ではないものを現実だと捉えてしまっている、その錯覚を解除することこそが仏道の目的。
「錯覚」と言いながらあなたは釈尊の教えを信じているじゃないですか。
この世のすべてが現実ではないというのなら、釈尊もその教えも、スマ爺も「錯覚」なんだから、仏教を学ぶ意味が無いではないですか。
そーゆうのを唯識論と言うのだよ。(苦笑
真実の仏法は「諸法実相」なのです。
ありのままの現実が、妙法なのです。
「如実知見」とは、そういう事です。
782桃太郎
2023/03/10(金) 17:45:53.81ID:1FcB6a3g 浄土真宗の教えは、テラワダと同じく厭世思想じゃなかったかな?
法然が師なので、そうだろうね。
日蓮大聖人は「念仏無間」と喝破されている。
そもそも法然も親鸞も天台宗比叡山で学んでいる。
天台宗は「法華経」だよね。
修行52位の段階は天台が提唱した理論
法然も「法華経」を聖道門と位置付け、末法の衆生は「法華経」の修行に耐えられない
ゆえに、念仏を唱え、浄土に於いて法華経を学び成仏しようという方法を考えた。
それが、実はまったくの邪法邪義に過ぎないという事を日蓮は証明して見せた。
法然が師なので、そうだろうね。
日蓮大聖人は「念仏無間」と喝破されている。
そもそも法然も親鸞も天台宗比叡山で学んでいる。
天台宗は「法華経」だよね。
修行52位の段階は天台が提唱した理論
法然も「法華経」を聖道門と位置付け、末法の衆生は「法華経」の修行に耐えられない
ゆえに、念仏を唱え、浄土に於いて法華経を学び成仏しようという方法を考えた。
それが、実はまったくの邪法邪義に過ぎないという事を日蓮は証明して見せた。
783神も仏も名無しさん
2023/03/10(金) 18:17:55.42ID:hBuR/4E1 >>780
欲望を目的とするかぎり終わりのない欲望のゲームにとらわれて
延々輪廻をつづけることになる。それは苦しみだ、というのが仏教。
競争社会に疲れた人たちに別の道もあるよと教えてあげるのが仏教であり、
競争社会に追われてもひたすら頑張りなさいとムチを打つのが創価と言えるでしょうね。
そして創価の教えには終わりがない。終わりのない苦しみを生きることになる。
>>781
現実は現実ではない、という見方は大乗的ですね。
そして諸法実相とは本来、世間の人の見る現実ではない真の現実であって
桃太郎さんの解釈も誤りです。
テーラワーダでは物語の世界に住している世間の人は
苦しみの物語をつくり、その仮の物語の中で暮らしているが
仏教はその物語の世界から脱することができると説きます。
その世界は多分に視覚的な世界ではありません。触覚的な世界です。
>>782
創価は日蓮宗の教えとももはやちがうのですから
日蓮の言葉を援用するというのもなんだかおかしな話ですね。
欲望を目的とするかぎり終わりのない欲望のゲームにとらわれて
延々輪廻をつづけることになる。それは苦しみだ、というのが仏教。
競争社会に疲れた人たちに別の道もあるよと教えてあげるのが仏教であり、
競争社会に追われてもひたすら頑張りなさいとムチを打つのが創価と言えるでしょうね。
そして創価の教えには終わりがない。終わりのない苦しみを生きることになる。
>>781
現実は現実ではない、という見方は大乗的ですね。
そして諸法実相とは本来、世間の人の見る現実ではない真の現実であって
桃太郎さんの解釈も誤りです。
テーラワーダでは物語の世界に住している世間の人は
苦しみの物語をつくり、その仮の物語の中で暮らしているが
仏教はその物語の世界から脱することができると説きます。
その世界は多分に視覚的な世界ではありません。触覚的な世界です。
>>782
創価は日蓮宗の教えとももはやちがうのですから
日蓮の言葉を援用するというのもなんだかおかしな話ですね。
784神も仏も名無しさん
2023/03/10(金) 18:35:54.39ID:kXUkKFtK 創価学会は日蓮上人の教えから逸脱している。
まるで浄土真宗が親鸞上人の教えから
逸脱しているように。
創価学会も浄土真宗も弟子達はダメだ。
教えを伝えるべき弟子がダメだから救いがない。
テーラワーダの方がマシだ。
まるで浄土真宗が親鸞上人の教えから
逸脱しているように。
創価学会も浄土真宗も弟子達はダメだ。
教えを伝えるべき弟子がダメだから救いがない。
テーラワーダの方がマシだ。
785神も仏も名無しさん
2023/03/10(金) 19:52:13.47ID:LYB97LyL >>781
その議論はACIMスレで過去に散々繰り返されてきて結論は出ている。
夢の中でけたたましいサイレン音を鳴らしながら消防車が走り去っていったと。
夢の中でそれを見ているあなたは、大変だ、どこで火事が起きている?
とキョロキョロとしているうちにいつしか目が覚めて、
今のサイレン音だと思っていたのは目覚まし時計のアラームの音だったと気づくと。
さて、夢の中のサイレン音は現実ではないウソ偽りだった。
本当の現実は目覚まし時計のアラーム音だったのだ。
しかし夢の中であなたはサイレンの音をきっかけとして目覚めに至った。
サイレン音とともに通り過ぎていった消防車は現実ではなかったが、
それはあなたが夢から覚めるために役立った。
この偽りの世界における仏法、あるいは他のメソッドでもよいのだが、
それらも幻想の一部ではあるが利用価値のある幻想ということだ。
現実を変えたい、願望を実現したいというのならそれは少なくとも覚醒のための道ではない、
つまりブッダになるための方法論としては「利用価値がない」ことを意味する。
ブッダになるということは夢が目覚めることなんだからね。
夢の内容を自分好みに変えることではないぞ。
あなたが信奉している某教団。
それは社会改革あるいは互助会的な国家内疑似国家であり断じて仏教ではない。
その議論はACIMスレで過去に散々繰り返されてきて結論は出ている。
夢の中でけたたましいサイレン音を鳴らしながら消防車が走り去っていったと。
夢の中でそれを見ているあなたは、大変だ、どこで火事が起きている?
とキョロキョロとしているうちにいつしか目が覚めて、
今のサイレン音だと思っていたのは目覚まし時計のアラームの音だったと気づくと。
さて、夢の中のサイレン音は現実ではないウソ偽りだった。
本当の現実は目覚まし時計のアラーム音だったのだ。
しかし夢の中であなたはサイレンの音をきっかけとして目覚めに至った。
サイレン音とともに通り過ぎていった消防車は現実ではなかったが、
それはあなたが夢から覚めるために役立った。
この偽りの世界における仏法、あるいは他のメソッドでもよいのだが、
それらも幻想の一部ではあるが利用価値のある幻想ということだ。
現実を変えたい、願望を実現したいというのならそれは少なくとも覚醒のための道ではない、
つまりブッダになるための方法論としては「利用価値がない」ことを意味する。
ブッダになるということは夢が目覚めることなんだからね。
夢の内容を自分好みに変えることではないぞ。
あなたが信奉している某教団。
それは社会改革あるいは互助会的な国家内疑似国家であり断じて仏教ではない。
786神も仏も名無しさん
2023/03/11(土) 16:50:38.61ID:iFdzc6oJ >>785
まあ個々人自分の思うようにすれば良いじゃないですか
私は桃太郎さんが
何を信じるかは個人の自由だ
と仰って頂いたので対桃太郎さんに関する
全てのことは解決しましたよw
加えて欲望を満たすこと 幸福を求めること
これらは仏教的には否定したくなりますが
いざ教える立場 導く立場になった時
しかも未来に渡って多くの人を導こうとした時に
貴方の仰るように上手い嘘や周り回って上手くいく
そういう場合もあるのではと思います
私は欲望の追求や強烈な欲望というのは
結果的に素早く人々を目覚めの道へ導く
エネルギーを素早く枯渇させるのに
役立つ面があると思います
私の二人の先生も行法 メソッドが全く違うのにも
関わらず 自分の願望や欲望があるならそれに突っ走って
早く済ませてしまった方が良い
そうでないと行法に入れない と口を揃えていました
もちろん この辺りの段階にいる人は
既に経験尽くしてもう一押しという場合も多いので
私もそうでしたが感覚的によくわかります
生まれた時に環境や才能に恵まれているのに
もう信頼や友情や愛情 財や名誉や賞賛
そういうものでは満足できない 苦しい
なんだ この虚無感は 焦燥感は と
遠い将来では無く この瞬間に確かめたい解決したい
そう考えるようになります
まあ 一体何年 何千年 何万年 何億年 何兆年
ふぅー 掛かるんだって話ですけどね
まあ個々人自分の思うようにすれば良いじゃないですか
私は桃太郎さんが
何を信じるかは個人の自由だ
と仰って頂いたので対桃太郎さんに関する
全てのことは解決しましたよw
加えて欲望を満たすこと 幸福を求めること
これらは仏教的には否定したくなりますが
いざ教える立場 導く立場になった時
しかも未来に渡って多くの人を導こうとした時に
貴方の仰るように上手い嘘や周り回って上手くいく
そういう場合もあるのではと思います
私は欲望の追求や強烈な欲望というのは
結果的に素早く人々を目覚めの道へ導く
エネルギーを素早く枯渇させるのに
役立つ面があると思います
私の二人の先生も行法 メソッドが全く違うのにも
関わらず 自分の願望や欲望があるならそれに突っ走って
早く済ませてしまった方が良い
そうでないと行法に入れない と口を揃えていました
もちろん この辺りの段階にいる人は
既に経験尽くしてもう一押しという場合も多いので
私もそうでしたが感覚的によくわかります
生まれた時に環境や才能に恵まれているのに
もう信頼や友情や愛情 財や名誉や賞賛
そういうものでは満足できない 苦しい
なんだ この虚無感は 焦燥感は と
遠い将来では無く この瞬間に確かめたい解決したい
そう考えるようになります
まあ 一体何年 何千年 何万年 何億年 何兆年
ふぅー 掛かるんだって話ですけどね
787神も仏も名無しさん
2023/03/11(土) 20:37:58.24ID:Eus8dylB >現実ではないものを現実だと捉えてしまっている、その錯覚を解除することこそが仏道の目的。
これは究極的にはちがう。。
過程において、その錯覚が消えてゆくというのはあるけれど、それが目的、ではないね。。
これは究極的にはちがう。。
過程において、その錯覚が消えてゆくというのはあるけれど、それが目的、ではないね。。
788神も仏も名無しさん
2023/03/11(土) 20:44:06.68ID:Eus8dylB 真偽、迷悟、妄と覚とを、対立的にとらえると、解決しない。。
それらを全体的に、包括的に、肯うのが、仏道でしょうね。。
何一つ間違っているものなんてない、と言うのが究極でしょうね。。
無我の教えが仏教ですからね。。
それらを全体的に、包括的に、肯うのが、仏道でしょうね。。
何一つ間違っているものなんてない、と言うのが究極でしょうね。。
無我の教えが仏教ですからね。。
789神も仏も名無しさん
2023/03/11(土) 20:47:28.81ID:Eus8dylB 迷悟はあるけど、妄がなくなって、真に至るではなく、どちらもそのまま肯えるようになる、と言うことでしょうね。。
そうじゃないと、極端な話、オウムみたいに、世間、世俗を否定して、自分たちのみが正しい、とする、危険思想に陥ってしまうように思います。。
そうじゃないと、極端な話、オウムみたいに、世間、世俗を否定して、自分たちのみが正しい、とする、危険思想に陥ってしまうように思います。。
790神も仏も名無しさん
2023/03/11(土) 20:50:10.27ID:Eus8dylB 自分だけ解脱、と言うことはあり得ないのだから、自分が何かになる、とかではなく、法、全体、無我を悟る、ということじゃないと、危ないでしょうね。。
791神も仏も名無しさん
2023/03/11(土) 22:10:59.34ID:H09X0fyB >真偽、迷悟、妄と覚とを、対立的にとらえると、解決しない。。
>それらを全体的に、包括的に、肯うのが、仏道でしょうね。。
だからといって今のままでいい、ということではありませんね。
今のわたし(あなた)のままでいいのだ、という観念を振りかざして
わかったつもりになっているのではどうしようもない。
あるいはまた「諸法実相」だなどと実際にはそんな体感など微塵もないのに、
これまた観念だけ振りかざして実態は単なる社会運動に終始しているようでは
もはや仏教の名前を冠しているだけの別の何かの活動をやっているだけなのです。
真に「諸法実相」たるためには自らがそこまでのレベルに達しなければなりません。
そのために仏教というシステムがあるわけです。
別に仏教じゃなくてもいいんですけどね、別のやり方でも。
そのたの方便があらゆる宗教の本来の目的であるはずです。
>それらを全体的に、包括的に、肯うのが、仏道でしょうね。。
だからといって今のままでいい、ということではありませんね。
今のわたし(あなた)のままでいいのだ、という観念を振りかざして
わかったつもりになっているのではどうしようもない。
あるいはまた「諸法実相」だなどと実際にはそんな体感など微塵もないのに、
これまた観念だけ振りかざして実態は単なる社会運動に終始しているようでは
もはや仏教の名前を冠しているだけの別の何かの活動をやっているだけなのです。
真に「諸法実相」たるためには自らがそこまでのレベルに達しなければなりません。
そのために仏教というシステムがあるわけです。
別に仏教じゃなくてもいいんですけどね、別のやり方でも。
そのたの方便があらゆる宗教の本来の目的であるはずです。
792神も仏も名無しさん
2023/03/11(土) 22:18:31.12ID:H09X0fyB ほら、世界は確かにこうして存在しているではないか、
と感じているかもしれないがそれこそが錯覚だということ。
確かに存在しているではないか、というその確かさ、
その確かさというのはあなたがそう感じているだけなわけで、
それ、どこまで「確か」なんですか?ってこと。
あなたが観ている世界と他人が観ている世界は
まったく違いますよ、同じように世界を認識している人はいません。
だからその人は人なのであって仏陀ではないのです。
仏陀にならなければ諸法実相の世界を生きることはできません。
人であるうちは諸法は無我なのです。
と感じているかもしれないがそれこそが錯覚だということ。
確かに存在しているではないか、というその確かさ、
その確かさというのはあなたがそう感じているだけなわけで、
それ、どこまで「確か」なんですか?ってこと。
あなたが観ている世界と他人が観ている世界は
まったく違いますよ、同じように世界を認識している人はいません。
だからその人は人なのであって仏陀ではないのです。
仏陀にならなければ諸法実相の世界を生きることはできません。
人であるうちは諸法は無我なのです。
793神も仏も名無しさん
2023/03/12(日) 02:06:53.53ID:zF5ryUaR794神も仏も名無しさん
2023/03/12(日) 02:26:55.77ID:zF5ryUaR 仏教というのは、諸法無我を説く教えなので、どこかに正しさや、真実がある、と言ってるんじゃないでしょう。。
そうじゃなくて、人間の認識する正しさや真実は、相対的なものに過ぎない、ということになるんだと思います。
だから、妄想を捨てて真実や正しさに至る、という道じゃないでしょう。。
妄想や誤りも含めて、すべてが法である、ダルマそのものである、ということで、それを悟るか否かなんじゃないですか?
だから、究極的には、迷悟なんてない、ということでしょう。。
それを悟るか否か、があるだけでしょうね。。
法としては、そういうことです。。
そうじゃなくて、人間の認識する正しさや真実は、相対的なものに過ぎない、ということになるんだと思います。
だから、妄想を捨てて真実や正しさに至る、という道じゃないでしょう。。
妄想や誤りも含めて、すべてが法である、ダルマそのものである、ということで、それを悟るか否かなんじゃないですか?
だから、究極的には、迷悟なんてない、ということでしょう。。
それを悟るか否か、があるだけでしょうね。。
法としては、そういうことです。。
795神も仏も名無しさん
2023/03/12(日) 02:32:39.41ID:zF5ryUaR ただ、人としては、利他であるとか、他を渡す、ということが推奨されるので、そういう意味での修行は、いつまでも続くのではないでしょうか?
そういう修行が不要ということではないのだけれど、悟りということに関して言えば、自分を持て運んでどうこうしなければならない、ということではないですね、基本的には。。
そういう自分のことは一切忘れて坐る、あるいは、立って働く、というのみだと思います。。
そういう修行が不要ということではないのだけれど、悟りということに関して言えば、自分を持て運んでどうこうしなければならない、ということではないですね、基本的には。。
そういう自分のことは一切忘れて坐る、あるいは、立って働く、というのみだと思います。。
796神も仏も名無しさん
2023/03/12(日) 02:42:39.43ID:zF5ryUaR だから、もともと誰も迷ってなんかいない。。
いい悪いなしにこうある、そうある、というだけ、が実相でしょうね。。
それを明らめることを仮に悟りと言うけれど、もともと迷いがないんだから、悟りもないということなんです。。w
そういう実相を明らめるまでには、どうしても迷悟があるように思えてしまうでしょうが。。
いい悪いなしにこうある、そうある、というだけ、が実相でしょうね。。
それを明らめることを仮に悟りと言うけれど、もともと迷いがないんだから、悟りもないということなんです。。w
そういう実相を明らめるまでには、どうしても迷悟があるように思えてしまうでしょうが。。
797神も仏も名無しさん
2023/03/12(日) 02:48:02.40ID:zF5ryUaR で、それを明らめるためには、人間的な見解、人の是非善悪で見たら、わからないから、坐るということで、そういう人間的な見解がいったん失せなければならない。。
だけど、それが失せてみれば、もともとそうあったわけで、迷いが悟りになった、とかではないんです。。
だけど、それが失せてみれば、もともとそうあったわけで、迷いが悟りになった、とかではないんです。。
798神も仏も名無しさん
2023/03/12(日) 12:21:59.67ID:5yLc1nKn799神も仏も名無しさん
2023/03/12(日) 12:25:26.09ID:5yLc1nKn >>794
仏教というくくりで話すから多様性がある宗教ゆえ混乱が生じることになる。
テーラワーダ仏教というくくりでは迷悟の境があると説かれます。
四向四果と呼ばれる悟りの階梯があって、その階梯の通りに悟りが順次得られていくと
言われます。
仏教というくくりで話すから多様性がある宗教ゆえ混乱が生じることになる。
テーラワーダ仏教というくくりでは迷悟の境があると説かれます。
四向四果と呼ばれる悟りの階梯があって、その階梯の通りに悟りが順次得られていくと
言われます。
800神も仏も名無しさん
2023/03/12(日) 12:34:37.17ID:5yLc1nKn 例えば、日本の仏教が移民が流入することによってイスラム教が
盛んになり衰退を迎えようとするとき、日本の仏教徒は平静でいられるかと
いう問題があります。そのとき日本の仏教徒が移民排斥運動を起こすので
あれば、世俗に価値ありと判断している証拠となります。
まあ大乗は世俗に価値を見出す宗教であるので、おそらく移民排斥も
すると思われますが、彼らが悟りをどう位置づけることになるのか
注目したいところではあります。真宗は凡夫の宗教なので悟りがどうとか
言う話にはならないと思いますがね。
ちなみにミャンマーでは僧侶が政治に口を出すことが認められています。
だから、政治問題に関わっていく僧侶が殺人を犯したりしています。
しかし、サンガは世俗に価値をおいていないので、そうした政治問題は
個人が起こすことになります。日本でもウクライナ問題などに口を出す
僧侶は注意が必要でしょうね。
盛んになり衰退を迎えようとするとき、日本の仏教徒は平静でいられるかと
いう問題があります。そのとき日本の仏教徒が移民排斥運動を起こすので
あれば、世俗に価値ありと判断している証拠となります。
まあ大乗は世俗に価値を見出す宗教であるので、おそらく移民排斥も
すると思われますが、彼らが悟りをどう位置づけることになるのか
注目したいところではあります。真宗は凡夫の宗教なので悟りがどうとか
言う話にはならないと思いますがね。
ちなみにミャンマーでは僧侶が政治に口を出すことが認められています。
だから、政治問題に関わっていく僧侶が殺人を犯したりしています。
しかし、サンガは世俗に価値をおいていないので、そうした政治問題は
個人が起こすことになります。日本でもウクライナ問題などに口を出す
僧侶は注意が必要でしょうね。
801神も仏も名無しさん
2023/03/12(日) 13:31:23.36ID:zF5ryUaR802神も仏も名無しさん
2023/03/12(日) 15:09:52.10ID:O04pTzcU 小乗・大乗・密教
ttps://ameblo.jp/kazama1980/entry-12793358948.html
ttps://ameblo.jp/kazama1980/entry-12793358948.html
803神も仏も名無しさん
2023/03/12(日) 20:31:34.16ID:zF5ryUaR 多様性ということで言うと、宗派の多様性はあっても、仏法には、そんなものない、ですよね。。
最近、メディアがこぞって喧伝する多様性という言葉に、私はうさん臭さ、偽善、欺瞞さえも感じる人間ですが、
多様性というポリコレでもって、法理の食い違いをなあなあにしたり、誤魔化すことはよくないと思いますね。。
むしろ、積極的に法戦、議論はするべきでしょうね。。
最近、メディアがこぞって喧伝する多様性という言葉に、私はうさん臭さ、偽善、欺瞞さえも感じる人間ですが、
多様性というポリコレでもって、法理の食い違いをなあなあにしたり、誤魔化すことはよくないと思いますね。。
むしろ、積極的に法戦、議論はするべきでしょうね。。
804神も仏も名無しさん
2023/03/12(日) 20:40:58.97ID:5yLc1nKn 多様性を認めないまま宗教が議論をしたら
血みどろの戦いになりますよ
お互いが正義をかかげて終わりのない争いをするんですから。
そもそも宗教はこれが正解というものがない
あると主張する人がいたとしてもそれを証明できない
だから争いに終わりがないんです。
そうした無駄な争いをするくらいならお互い関わらずに
住み分けしたほうがいいんですよ
まずお互いを認め合ったのち、同じ部分、違う部分を確認しあいながら
お互いを尊重する、そうした姿勢を保ってこそ
議論に意味がでてくる。そういうものだと私は思いますがね
血みどろの戦いになりますよ
お互いが正義をかかげて終わりのない争いをするんですから。
そもそも宗教はこれが正解というものがない
あると主張する人がいたとしてもそれを証明できない
だから争いに終わりがないんです。
そうした無駄な争いをするくらいならお互い関わらずに
住み分けしたほうがいいんですよ
まずお互いを認め合ったのち、同じ部分、違う部分を確認しあいながら
お互いを尊重する、そうした姿勢を保ってこそ
議論に意味がでてくる。そういうものだと私は思いますがね
805神も仏も名無しさん
2023/03/12(日) 21:48:16.90ID:tgPUY5G+ 「密教」は危険な教えなのか?
ttps://www.youtube.com/watch?v=TGYYtvb1NgA
ttps://www.youtube.com/watch?v=TGYYtvb1NgA
806神も仏も名無しさん
2023/03/12(日) 22:08:19.68ID:nMOsEhUI >>805
摩訶不思議だから密教を信じる、あるいは密教とは摩訶不思議、
というのは完全にスマナサーラ氏の誤謬。
密教とは身体をメタファーとして利用する、あくまで方便。
最初からそのようになっている、ではなく、そのように設定する、そういう体系。
したがって、クリヤヨーガやチベット密教に共通する脈管という「設定」、
イダ・ピンガラ・スシュムナーという3本の脈管ね、
あれは経路が両者ではまったく違っているし、
クリヤヨーガでも流派によてはエネルギーの流し方が違っている。
それでも結果を出しているのは、それが「設定」によるものだから。
摩訶不思議だから密教を信じる、あるいは密教とは摩訶不思議、
というのは完全にスマナサーラ氏の誤謬。
密教とは身体をメタファーとして利用する、あくまで方便。
最初からそのようになっている、ではなく、そのように設定する、そういう体系。
したがって、クリヤヨーガやチベット密教に共通する脈管という「設定」、
イダ・ピンガラ・スシュムナーという3本の脈管ね、
あれは経路が両者ではまったく違っているし、
クリヤヨーガでも流派によてはエネルギーの流し方が違っている。
それでも結果を出しているのは、それが「設定」によるものだから。
807神も仏も名無しさん
2023/03/12(日) 22:15:36.78ID:nMOsEhUI 新約聖書が文学であり何一つ真実が書かれていない、
というのもあまりも稚拙な見解であり勉強不足も甚だしい。
聖書のみならずユダヤ系の聖典は寓意、言わば暗号に満ちたもので、
たとえばイエスが水をワインに変えた、という記述も
それを額面通りに受け取ることこそ愚の骨頂。
部派仏教なら部派仏教に専念していればよろしい。
自分たちの優位性を誇示したい衝動で他宗や他派を見下すやり方により、
この人はいつも墓穴を掘って、語るに落ちる、を繰り返しているね。
というのもあまりも稚拙な見解であり勉強不足も甚だしい。
聖書のみならずユダヤ系の聖典は寓意、言わば暗号に満ちたもので、
たとえばイエスが水をワインに変えた、という記述も
それを額面通りに受け取ることこそ愚の骨頂。
部派仏教なら部派仏教に専念していればよろしい。
自分たちの優位性を誇示したい衝動で他宗や他派を見下すやり方により、
この人はいつも墓穴を掘って、語るに落ちる、を繰り返しているね。
808神も仏も名無しさん
2023/03/12(日) 23:10:27.55ID:zF5ryUaR >>804
僕が言っているのは、仏教内部での議論ですよ。。
他宗教と論争すべきであるとは言ってません。。
また、多様性を否定すべき、とも言ってません。。
例えば、テーラワーダに、悟りってあるのか?w
どうにもないんじゃないかと言う気もするんですが。。w
僕が言っているのは、仏教内部での議論ですよ。。
他宗教と論争すべきであるとは言ってません。。
また、多様性を否定すべき、とも言ってません。。
例えば、テーラワーダに、悟りってあるのか?w
どうにもないんじゃないかと言う気もするんですが。。w
809神も仏も名無しさん
2023/03/12(日) 23:14:00.66ID:zF5ryUaR >>806
設定ではなく、ヨガなどで、気感が目覚めれば、明確に感覚できるものですよ。。
たしかに、左右と、背骨に気の通り道があります。。
他にも、微細なエネルギーラインが、毛細血管のように、張り巡らされていると感じます。。
設定ではなく、ヨガなどで、気感が目覚めれば、明確に感覚できるものですよ。。
たしかに、左右と、背骨に気の通り道があります。。
他にも、微細なエネルギーラインが、毛細血管のように、張り巡らされていると感じます。。
810神も仏も名無しさん
2023/03/13(月) 06:16:35.87ID:Zvxnfd4v 浄土真宗は自力による悟りを否定し、
他力による安心を悟りと見ている。
悟りの状態を問題にせず、過程のみが意味を持つ。
だから他力以外を否定することでしか成立しない。
仏教を否定することでしか成り立たない仏教。
浄土真宗が排他的かつ暴力的な原因はここにある。
他力による安心を悟りと見ている。
悟りの状態を問題にせず、過程のみが意味を持つ。
だから他力以外を否定することでしか成立しない。
仏教を否定することでしか成り立たない仏教。
浄土真宗が排他的かつ暴力的な原因はここにある。
811鹿野園 ◆ZTfV4x.y4wpe
2023/03/13(月) 09:27:19.68ID:BLrbQXct > 多様性ということで言うと、宗派の多様性はあっても、仏法には、そんなものない、ですよね。。
それぞれの主張する仏法の違いが宗派になったんじゃないの?
それぞれの主張する仏法の違いが宗派になったんじゃないの?
812神も仏も名無しさん
2023/03/13(月) 09:49:15.13ID:qiI3+9Ez どちらかといえば他力が正しいのではないのか?
宗派は不明だが、もとから悟っていて、生まれる前からも悟っていて
縁起や梵我一如でもともと悟ってるものの一部が個人として現出してるとみなすのが適当では?
宗派は不明だが、もとから悟っていて、生まれる前からも悟っていて
縁起や梵我一如でもともと悟ってるものの一部が個人として現出してるとみなすのが適当では?
813鹿野園 ◆ZTfV4x.y4wpe
2023/03/13(月) 10:04:03.52ID:Lw+6xIAw ロンはおかしい。
814神も仏も名無しさん
2023/03/13(月) 11:25:00.95ID:N7Ym1/W6815神も仏も名無しさん
2023/03/13(月) 11:34:04.02ID:Zvxnfd4v 絶対他力そのものは必ずしも間違いではない。
他力を他者に勧めたり(∵自力布教活動)、
自力を否定したり(∵排他的かつ暴力的)、
信心決定を勧める(∵諸法無我に反する)
ようなあり方や布教活動が教義矛盾であり間違い。
親鸞上人は、真宗を開いたという心がないから、
かろうじて仏教になる得ると思うが、
弟子達が作った親鸞教たる真宗は明らかに間違い。
他力を他者に勧めたり(∵自力布教活動)、
自力を否定したり(∵排他的かつ暴力的)、
信心決定を勧める(∵諸法無我に反する)
ようなあり方や布教活動が教義矛盾であり間違い。
親鸞上人は、真宗を開いたという心がないから、
かろうじて仏教になる得ると思うが、
弟子達が作った親鸞教たる真宗は明らかに間違い。
816神も仏も名無しさん
2023/03/13(月) 11:34:47.99ID:N7Ym1/W6 宗教に正義があるかと言ったら、キリスト教にはあるかもしれないが、仏教にはもともとこれが正義だ、
はないんじゃないかな?
人間の見解は、根本的には正しくはない、と見るのが仏教だから。。
法はあるけれど、あるものがあるというだけだから、どれが正しい、とかではない。。
戒律とか、利他行とか、そういう方向性はあるんだけど。。
はないんじゃないかな?
人間の見解は、根本的には正しくはない、と見るのが仏教だから。。
法はあるけれど、あるものがあるというだけだから、どれが正しい、とかではない。。
戒律とか、利他行とか、そういう方向性はあるんだけど。。
817神も仏も名無しさん
2023/03/13(月) 11:44:39.24ID:N7Ym1/W6 一神教というのは、自然にはたぶん生まれない。。
エジプトの、イクナートンだったかが、それまでの多神教を否定して、一神教に国ごと改宗させた。。
これは、王権と国家の統一性を強める、という政治的な意図があって、のものだろう。。
フロイトは、「モーゼと一神教」の中で、ユダヤ教は、このエジプトの一神教のパクリだろう、
と言っている。。
だから、イエスの説いた宗教は、またちょっとちがうにしても、一神教の起源そのものは、
民族国家の統一性、あるいは民族の団結を強めるという政治的な意図をもって、つくられたものなのではないかと思う。。
だから、それらをホントに普遍宗教と言ってもいいのか?
民族宗教なのではないか?
と言う疑問は感じてしまう。。w
エジプトの、イクナートンだったかが、それまでの多神教を否定して、一神教に国ごと改宗させた。。
これは、王権と国家の統一性を強める、という政治的な意図があって、のものだろう。。
フロイトは、「モーゼと一神教」の中で、ユダヤ教は、このエジプトの一神教のパクリだろう、
と言っている。。
だから、イエスの説いた宗教は、またちょっとちがうにしても、一神教の起源そのものは、
民族国家の統一性、あるいは民族の団結を強めるという政治的な意図をもって、つくられたものなのではないかと思う。。
だから、それらをホントに普遍宗教と言ってもいいのか?
民族宗教なのではないか?
と言う疑問は感じてしまう。。w
818桃太郎
2023/03/13(月) 12:56:25.65ID:FN0LlMfs だんだん話がおもしろくなってきたよ。
ムンガ、むがむが!(笑
この世は真実ではない「妄想」とか「幻想」とか力説する人居るけど、
しっかり現実に根ざして生活しているのに「何言うてんねん。」と思う。
仮に君をボクが殴ったら「痛い」し「腹立つ」でしょう。
それが現実です。だから諸法は実相なのです。
「君が観てるボクは現実ではない妄想だ!」と言い訳すれば許してもらえるのでしょうか?(苦笑
「オレは覚った!ビルから飛び降りてもオレは死なん!」とか言えてる人いる?
正直「ただのバカ」だからそんな奴(爆
そもそも、すべてを悟り尽くした釈尊がどうして、「現実に存在しない妄想の弟子」に何十年も教えを説いたのでしょうか?
無意味だし、意味不明でしょう。
釈迦は法華経に於いて何度もそうした事は「真実の法へ導くための方便」と言っているのに。
それがテラワダ諸君には理解出来ないだけです。
多様性を尊重することは大切です。
画一的な思想は必ず「教条主義」となり、「人間のための宗教」を「宗教のための人間」としてしまいます。
ただ、仏教に於いては、大いに議論して、その高低浅深を探究していくべきだと考えます。
もし、真実の教えとは何かという探究心を放棄したのなら、たんなる盲信と言わざるを得ません。
「オレはそれでもええよ」であれば自己責任ですが、学んで行くうちに新たな発見ができるかもしれません。
大切な一生です。悔いのない人生を送って行きたいものです。
ムンガ、むがむが!(笑
この世は真実ではない「妄想」とか「幻想」とか力説する人居るけど、
しっかり現実に根ざして生活しているのに「何言うてんねん。」と思う。
仮に君をボクが殴ったら「痛い」し「腹立つ」でしょう。
それが現実です。だから諸法は実相なのです。
「君が観てるボクは現実ではない妄想だ!」と言い訳すれば許してもらえるのでしょうか?(苦笑
「オレは覚った!ビルから飛び降りてもオレは死なん!」とか言えてる人いる?
正直「ただのバカ」だからそんな奴(爆
そもそも、すべてを悟り尽くした釈尊がどうして、「現実に存在しない妄想の弟子」に何十年も教えを説いたのでしょうか?
無意味だし、意味不明でしょう。
釈迦は法華経に於いて何度もそうした事は「真実の法へ導くための方便」と言っているのに。
それがテラワダ諸君には理解出来ないだけです。
多様性を尊重することは大切です。
画一的な思想は必ず「教条主義」となり、「人間のための宗教」を「宗教のための人間」としてしまいます。
ただ、仏教に於いては、大いに議論して、その高低浅深を探究していくべきだと考えます。
もし、真実の教えとは何かという探究心を放棄したのなら、たんなる盲信と言わざるを得ません。
「オレはそれでもええよ」であれば自己責任ですが、学んで行くうちに新たな発見ができるかもしれません。
大切な一生です。悔いのない人生を送って行きたいものです。
819神も仏も名無しさん
2023/03/13(月) 20:40:49.56ID:aSPuyy8D820神も仏も名無しさん
2023/03/13(月) 20:45:58.79ID:N7Ym1/W6 >>819
だから、そこは難しい所じゃないか、と思いますよ。。
煩悩が落ちることを、悟りと言うのであれば、見性成仏のような、ポジティブな意味での悟りはないのでは、
と言う疑問です。。
もちろん、見性というものを、ポジティブなものとみなせるかどうか、というのもありますから、
難しいんですが・・
だから、そこは難しい所じゃないか、と思いますよ。。
煩悩が落ちることを、悟りと言うのであれば、見性成仏のような、ポジティブな意味での悟りはないのでは、
と言う疑問です。。
もちろん、見性というものを、ポジティブなものとみなせるかどうか、というのもありますから、
難しいんですが・・
821神も仏も名無しさん
2023/03/13(月) 20:50:25.56ID:aSPuyy8D >>815
親鸞は真宗という教団をつくったつもりはないでしょうね
それぞれが非僧非俗で浄土教を広めていくのが
親鸞の理想形だったでしょう。
しかし、絶対他力とは、「救い」がすべて他力によるということであって
親鸞の著作すべてが自動筆記のように勝手につくられたというのは
明らかにおかしいでしょう。
親鸞も人間の努力の大事さを認めているから布教したんでしょうし
数多くの著作を残したんでしょう。
しかし、親鸞が自分の著作を読んで南無阿弥陀仏を称えるようになった人を見ても
その人は絶対他力によって救われたと感じざるを得ないから絶対他力と言ったのでしょう。
親鸞の著作も元をたどれば阿弥陀仏の救いの力のおかげなわけですから。
要はそういう見方もできる、程度のことなんですよ。絶対他力というのは。
私が月を見ている。普通はそう見ますが、月が私を見させているともとれる。
そこに絶対他力の観点があるのだと思いますよ。
親鸞は真宗という教団をつくったつもりはないでしょうね
それぞれが非僧非俗で浄土教を広めていくのが
親鸞の理想形だったでしょう。
しかし、絶対他力とは、「救い」がすべて他力によるということであって
親鸞の著作すべてが自動筆記のように勝手につくられたというのは
明らかにおかしいでしょう。
親鸞も人間の努力の大事さを認めているから布教したんでしょうし
数多くの著作を残したんでしょう。
しかし、親鸞が自分の著作を読んで南無阿弥陀仏を称えるようになった人を見ても
その人は絶対他力によって救われたと感じざるを得ないから絶対他力と言ったのでしょう。
親鸞の著作も元をたどれば阿弥陀仏の救いの力のおかげなわけですから。
要はそういう見方もできる、程度のことなんですよ。絶対他力というのは。
私が月を見ている。普通はそう見ますが、月が私を見させているともとれる。
そこに絶対他力の観点があるのだと思いますよ。
822神も仏も名無しさん
2023/03/13(月) 20:54:26.76ID:aSPuyy8D >>814
真宗では本来悟っているとは言いませんね
ただ阿弥陀仏の光明を一切衆生は蒙っているから
一切衆生に仏性があるととらえます。
本来悟っているから念仏を称えなくていいんだというような
考え方は十劫安心とよばれ異安心と言われます。
真宗では本来悟っているとは言いませんね
ただ阿弥陀仏の光明を一切衆生は蒙っているから
一切衆生に仏性があるととらえます。
本来悟っているから念仏を称えなくていいんだというような
考え方は十劫安心とよばれ異安心と言われます。
823神も仏も名無しさん
2023/03/13(月) 20:58:52.38ID:aSPuyy8D 要するに絶対他力というのは、
キリスト教信者の外人が飢えているところ食べ物を給したら
その外人が私ではなく神に感謝するような感じなのかな
ただし真宗でいう救いとは後世暗い心からの解放のことだから
普通に食べ物を真宗信者に与えてもその人に感謝すると思うよ
キリスト教信者の外人が飢えているところ食べ物を給したら
その外人が私ではなく神に感謝するような感じなのかな
ただし真宗でいう救いとは後世暗い心からの解放のことだから
普通に食べ物を真宗信者に与えてもその人に感謝すると思うよ
824神も仏も名無しさん
2023/03/13(月) 21:03:46.06ID:N7Ym1/W6825神も仏も名無しさん
2023/03/13(月) 21:04:38.37ID:aSPuyy8D >>820
煩悩=欲望ではないですよ
だから食欲がなくならないなら阿羅漢はありえないという判断は誤りです。
食欲が湧いてもその衝動に便乗しない冷静さをもつということです。
そのためには心に常に注意を払う癖をつけることになる
だからテーラワーダでは普段の努力が必要で、すぐ悟るといったことができないんです。
自分が変わるためにはすぐには変わらないでしょう?
思想を変え、習慣を変え、考えを変えなくちゃいけない。
努力の先に悟りがあると説く教えなんです。
でも、そんなの日本の禅宗でもそうでしょう。
高徳な方はかっこつけてる第三者ではなく、身内、奥さんに尊敬されてはじめて
立派な人と言えると言ってますよ。
煩悩=欲望ではないですよ
だから食欲がなくならないなら阿羅漢はありえないという判断は誤りです。
食欲が湧いてもその衝動に便乗しない冷静さをもつということです。
そのためには心に常に注意を払う癖をつけることになる
だからテーラワーダでは普段の努力が必要で、すぐ悟るといったことができないんです。
自分が変わるためにはすぐには変わらないでしょう?
思想を変え、習慣を変え、考えを変えなくちゃいけない。
努力の先に悟りがあると説く教えなんです。
でも、そんなの日本の禅宗でもそうでしょう。
高徳な方はかっこつけてる第三者ではなく、身内、奥さんに尊敬されてはじめて
立派な人と言えると言ってますよ。
826神も仏も名無しさん
2023/03/13(月) 21:11:44.05ID:aSPuyy8D >>824
それは違いますね。
阿弥陀仏がいなければ、曠劫を輪廻して決して浮かぶことのない生を生きると説きます。
自力無効ですから、私には一切救われる(これをすれば死んでもいいと言える偉業をなす)ことはない
と自覚するところから、阿弥陀仏の救いが受け取れるのです。
まあ、このままじゃ死んでも死にきれない(来世は暗いままだ、ひょっとして地獄行くかも)
という苦しみがあってこそ、浄土教は意味があるものですからね。
末法思想で地獄行きが心配された平安末鎌倉に流行ったのはそういう理由があるんですよ。
それは違いますね。
阿弥陀仏がいなければ、曠劫を輪廻して決して浮かぶことのない生を生きると説きます。
自力無効ですから、私には一切救われる(これをすれば死んでもいいと言える偉業をなす)ことはない
と自覚するところから、阿弥陀仏の救いが受け取れるのです。
まあ、このままじゃ死んでも死にきれない(来世は暗いままだ、ひょっとして地獄行くかも)
という苦しみがあってこそ、浄土教は意味があるものですからね。
末法思想で地獄行きが心配された平安末鎌倉に流行ったのはそういう理由があるんですよ。
827神も仏も名無しさん
2023/03/13(月) 21:23:44.36ID:aSPuyy8D これをすれば死んでもいいと言える偉業をなすことはないとの自覚から
はじまるから、悪人が主役の宗教なんですよ、浄土教ってのはね
でも、こういう厭世的な考えだから、この世のことに狂気がつくほど一生懸命な人が
いないって面はあるかもね。だから狂気にとりつかれて時代を変えるような
人物がうまれにくいって面はあるかもね
その点、日蓮宗ってのは狂気があるから、いい面もあるかもね
まあヒューマニズムを説いてるから、その点狂気って面もさしひくところはあるかもしれない
はじまるから、悪人が主役の宗教なんですよ、浄土教ってのはね
でも、こういう厭世的な考えだから、この世のことに狂気がつくほど一生懸命な人が
いないって面はあるかもね。だから狂気にとりつかれて時代を変えるような
人物がうまれにくいって面はあるかもね
その点、日蓮宗ってのは狂気があるから、いい面もあるかもね
まあヒューマニズムを説いてるから、その点狂気って面もさしひくところはあるかもしれない
828神も仏も名無しさん
2023/03/13(月) 21:28:05.93ID:aSPuyy8D >>818
諸法実相を説いてるのは大乗だけだよ
テーラワーダでは人がつくる物語からの自由は説くが
この世はこの世だと説くよ
無我ってのは事実だよ。
経験我は認める。ただその経験我ってのを自分が永遠につづくと盲信するような我ではないって
ことだね。
瞑想をすると、一刹那ごとに変化していく我というものが観察されるから
固定実体的な我は存在しないと説くんだよ
経験によって観察されることだから事実だよ
諸法実相を説いてるのは大乗だけだよ
テーラワーダでは人がつくる物語からの自由は説くが
この世はこの世だと説くよ
無我ってのは事実だよ。
経験我は認める。ただその経験我ってのを自分が永遠につづくと盲信するような我ではないって
ことだね。
瞑想をすると、一刹那ごとに変化していく我というものが観察されるから
固定実体的な我は存在しないと説くんだよ
経験によって観察されることだから事実だよ
829神も仏も名無しさん
2023/03/13(月) 23:20:24.34ID:N7Ym1/W6 禅宗でも、仕事する、家事をする、料理を作るなど、自己を忘れて、それのみになる、そのものになる、ということを仏道である、禅であると説きますよね。。
そういう在り方が、法として普遍しているならば、諸法実相ということで、日常・平常の他に、道を探す必要はない、となる。。
もちろん、それを理解して説くことができるのは、お師家さんとか、仏教の指導者なんですが、実践しているのは、出家者のみではない、
ということになるので、世俗を否定したり、否定的に見ることはない、ということになるでしょうね。。
そういう在り方が、法として普遍しているならば、諸法実相ということで、日常・平常の他に、道を探す必要はない、となる。。
もちろん、それを理解して説くことができるのは、お師家さんとか、仏教の指導者なんですが、実践しているのは、出家者のみではない、
ということになるので、世俗を否定したり、否定的に見ることはない、ということになるでしょうね。。
830神も仏も名無しさん
2023/03/13(月) 23:21:23.06ID:N7Ym1/W6 訂正
法として普遍しているならば ⇒法として普遍であるならば
法として普遍しているならば ⇒法として普遍であるならば
831神も仏も名無しさん
2023/03/14(火) 07:55:23.93ID:HMsAWAg9 >>821
親鸞上人は布教活動をしていません。
苦しんでいる人を見捨てなかっただけです。
親鸞上人は布教のために書き物をしていません。
自分の心を書いただけです。
ダメなのは、親鸞上人だけを良しとする狂信的な
弟子達のあり方です。
真宗が最も狂信的なことは歴史が証明しています。
今の真宗を見て親鸞上人は、
泣いていらっしゃることでしょう。
阿弥陀仏の絶対他力を信じるなら、
親鸞上人の生き方のごとく、
布教活動をすべきではありません。
親鸞上人は布教活動をしていません。
苦しんでいる人を見捨てなかっただけです。
親鸞上人は布教のために書き物をしていません。
自分の心を書いただけです。
ダメなのは、親鸞上人だけを良しとする狂信的な
弟子達のあり方です。
真宗が最も狂信的なことは歴史が証明しています。
今の真宗を見て親鸞上人は、
泣いていらっしゃることでしょう。
阿弥陀仏の絶対他力を信じるなら、
親鸞上人の生き方のごとく、
布教活動をすべきではありません。
832神も仏も名無しさん
2023/03/14(火) 08:27:36.22ID:qOG3F7IH >>818
痛いし腹が立つ、というその自分、
これこそ自分だと思っているその自分が幻影だよってこと。
その自我を温存したいのなら仏教は何の役にも立たない。
言い方を変えれば、自分は正しく世界を認識している、
という前提に立っているなら、
そしてその人生を大切にしていきたいというのなら、
仏教はやめたほうがいい。
つまりあなたが依拠しているその教団は、
仏教ではない何か別のことをやっている団体なわけです。
痛いし腹が立つ、というその自分、
これこそ自分だと思っているその自分が幻影だよってこと。
その自我を温存したいのなら仏教は何の役にも立たない。
言い方を変えれば、自分は正しく世界を認識している、
という前提に立っているなら、
そしてその人生を大切にしていきたいというのなら、
仏教はやめたほうがいい。
つまりあなたが依拠しているその教団は、
仏教ではない何か別のことをやっている団体なわけです。
833神も仏も名無しさん
2023/03/14(火) 08:32:48.27ID:qOG3F7IH 法華経はSFだね、仏教の名を騙って創られた、
ただのファンタジー小説でありお経ではない、あれは。
ただのファンタジー小説でありお経ではない、あれは。
834桃太郎
2023/03/14(火) 10:56:05.31ID:i0XAss+d >>832
だーかーらぁ〜
@覚った人は「殴られても痛くないし、怒らない」
Aビルから飛び降りても死なずに不死鳥のように蘇る
と言うわけ?
で、
すべてを悟り尽くした釈尊がどうして、「現実に存在しない妄想(幻想)の弟子」に何十年も教えを説いたのでしょうか?
の質問に答えて下さい。
それから、「痛い」と思う自分が「幻想」なら
「覚った」と思う自分も幻想なわけで
スマ爺も、その教えも、その教えが正しいと思う自分も幻想なんでしょうね。
そんなんで人生楽しめてるの?
今は恵まれた環境で「悟った、悟った」言っているのも良いけど
いつまでも親は守ってくれない。いずれ人生の苦難に一人で立ち向かわなければならない時が必ず来るでしょう。
その時に、「幻想じゃ、幻想じゃ、みな幻じゃ」と言ってその苦難を乗り越えられるのでしょうか?
生命は永遠であるが人生は一瞬だよ。悔いのない人生を。
だーかーらぁ〜
@覚った人は「殴られても痛くないし、怒らない」
Aビルから飛び降りても死なずに不死鳥のように蘇る
と言うわけ?
で、
すべてを悟り尽くした釈尊がどうして、「現実に存在しない妄想(幻想)の弟子」に何十年も教えを説いたのでしょうか?
の質問に答えて下さい。
それから、「痛い」と思う自分が「幻想」なら
「覚った」と思う自分も幻想なわけで
スマ爺も、その教えも、その教えが正しいと思う自分も幻想なんでしょうね。
そんなんで人生楽しめてるの?
今は恵まれた環境で「悟った、悟った」言っているのも良いけど
いつまでも親は守ってくれない。いずれ人生の苦難に一人で立ち向かわなければならない時が必ず来るでしょう。
その時に、「幻想じゃ、幻想じゃ、みな幻じゃ」と言ってその苦難を乗り越えられるのでしょうか?
生命は永遠であるが人生は一瞬だよ。悔いのない人生を。
835神も仏も名無しさん
2023/03/14(火) 11:41:13.95ID:qOG3F7IH >>834
あのね、今は痛かったり腹が立ったりする状態なわけね。
それは本来の状態なのか、それとも異常な状態なのか、ということ。
異常な状態なのだから本来の正しい状態に戻しましょう、
というのが仏教や他の宗教の本来の目的。
無明が消えた状態、キリスト教的には元々住んでいた父なる神の家に迷える子羊が帰ること。
人生楽しめている?
誰も楽しめてはいないね。
あなたも含めてね。
なぜなら今どういう状態であろうと、
まさに病を得れば苦痛にのたうちまわり、
老いさらばえれば若い時は当たり前だったことができなくなる。
生きて行くためには食べなければならない、住む場所や服も必要だ。
それらは決していつまでも保証されているとは限らない。
そしていずれ必ず肉体は死を迎えるのだ。
実相であるはずの肉体は死んでしまうのだな。
はい、まったく楽しめていない、何よりも憎っきテーラワーダや他の宗派の存在に苛立ち、
君が依拠している悪名高いカルト教団を批判されると、
まさに腹が立って腹が立って仕方がないと。
はい、楽しんでいると言えるのかな?
その(ニセモノの)楽しみとやらはいつまで続くのかな?
あのね、今は痛かったり腹が立ったりする状態なわけね。
それは本来の状態なのか、それとも異常な状態なのか、ということ。
異常な状態なのだから本来の正しい状態に戻しましょう、
というのが仏教や他の宗教の本来の目的。
無明が消えた状態、キリスト教的には元々住んでいた父なる神の家に迷える子羊が帰ること。
人生楽しめている?
誰も楽しめてはいないね。
あなたも含めてね。
なぜなら今どういう状態であろうと、
まさに病を得れば苦痛にのたうちまわり、
老いさらばえれば若い時は当たり前だったことができなくなる。
生きて行くためには食べなければならない、住む場所や服も必要だ。
それらは決していつまでも保証されているとは限らない。
そしていずれ必ず肉体は死を迎えるのだ。
実相であるはずの肉体は死んでしまうのだな。
はい、まったく楽しめていない、何よりも憎っきテーラワーダや他の宗派の存在に苛立ち、
君が依拠している悪名高いカルト教団を批判されると、
まさに腹が立って腹が立って仕方がないと。
はい、楽しんでいると言えるのかな?
その(ニセモノの)楽しみとやらはいつまで続くのかな?
836神も仏も名無しさん
2023/03/14(火) 11:44:13.53ID:IOyYL7nG 創価たろーだ
😫😫😫
😫😫😫
837桃太郎
2023/03/14(火) 11:55:03.57ID:i0XAss+d 私は、スマ爺のテラワダ思想こそ「リアル・ファンタ爺」だと思う。
人をして無気力、無関心、厭世思想にする愚かな思想であると思う。
こんな思想が世界に広まったら100年以内に人類は滅亡する。
そんな教えを釈尊が説くわけがない。
もし、仏の教えが厭世思想ならば
「私を観るものは法を観る」だ。
ならば、大宇宙の生命(法)は「人類を滅亡に導く」という事になる。
釈尊は
「一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。・・・・あたかも、母が己が独り子を命を賭けても護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の(慈しみの)こころを起すべし。また全世界に対して無量の慈しみの意を起すべし」
(『ブツダのことば「スッタニパータ』、中村元訳)
と言っている。
まったく矛盾しているではないでしょうか。
人をして無気力、無関心、厭世思想にする愚かな思想であると思う。
こんな思想が世界に広まったら100年以内に人類は滅亡する。
そんな教えを釈尊が説くわけがない。
もし、仏の教えが厭世思想ならば
「私を観るものは法を観る」だ。
ならば、大宇宙の生命(法)は「人類を滅亡に導く」という事になる。
釈尊は
「一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。・・・・あたかも、母が己が独り子を命を賭けても護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の(慈しみの)こころを起すべし。また全世界に対して無量の慈しみの意を起すべし」
(『ブツダのことば「スッタニパータ』、中村元訳)
と言っている。
まったく矛盾しているではないでしょうか。
838桃太郎
2023/03/14(火) 12:04:02.44ID:i0XAss+d >>835
うーん。
ぜんぜん答えになっていないね。(笑
まぁ、まともに答えられないのは分かるけど。
私は、能面ズラして「むんが・むんが」言ってる人間とは無縁の人だから、怒るし、笑うし、悲しみますよ。
煩悩丸出しのアホだし。
ありのーーー♪ ままでーーー♪ のアナ雪太郎ですよ。正直。(笑い
なに言っちょんのチミは。
なにか問題でもあるんかい?
うーん。
ぜんぜん答えになっていないね。(笑
まぁ、まともに答えられないのは分かるけど。
私は、能面ズラして「むんが・むんが」言ってる人間とは無縁の人だから、怒るし、笑うし、悲しみますよ。
煩悩丸出しのアホだし。
ありのーーー♪ ままでーーー♪ のアナ雪太郎ですよ。正直。(笑い
なに言っちょんのチミは。
なにか問題でもあるんかい?
839神も仏も名無しさん
2023/03/14(火) 12:06:54.63ID:wAmrJf8q よくはしらんが・・
厭世思想なのか?
本人らは正統派、本流主張でブッダの仏教なのでは?
真のブッダの仏教との明らかな差とは?
厭世思想なのか?
本人らは正統派、本流主張でブッダの仏教なのでは?
真のブッダの仏教との明らかな差とは?
840神も仏も名無しさん
2023/03/14(火) 12:21:10.72ID:qOG3F7IH 釈迦が何十年もなぜ教えを説いたのか?
梵天にそう懇願されたというお伽噺が残っているが、
迷える子羊がこの幻影という悪夢に魘されている状態から救うためだよ。
別にそうする必要などなかったが。
実際、仏陀と成った者の中には黙って去っていった人もいた。
釈迦はそうしなかったが故に仏教として、
それがこの幻影世界に痕跡のようなかたちで我々に認識されている。
目覚まし時計のアラーム音が悪夢の中の救急車のサイレン音として認識されているが如く、だ。
カバラの表現の中に、この物質世界のことを指して、
神の衣の痕跡の痕跡の痕跡、というような面白いものがある。
神の衣の痕跡の痕跡の痕跡をしか認識できない、悪夢に魘されている者どもである我々に、
仏陀やキリストと成った者の本当の意図など知る由もないし知る必要もないし知るに至る頭脳もあるはずがない。
君や私はとにかく苦しんでいる。
釈迦が説いていたことはどうすれば苦しみを永遠に終わらせることができるか、ということだ。
どうすればこの物質世界で人生を謳歌できるか、ということではない。
そんなことは不可能だというのが釈迦はイエスが言っていたこと。
イエスをして、ローマ帝国の圧政に苦しむイスラエルをモーセのように救済してくれる、
新しいイスラエルの王になる人だと思っていた信奉者の一人にイエスはこう言ってそれを否定した。
「私はこの世界に私の王国を築くためにやってきたのではない。
あなた方迷える子羊を父の家に連れ戻すためにこそやってきたのだ。」
梵天にそう懇願されたというお伽噺が残っているが、
迷える子羊がこの幻影という悪夢に魘されている状態から救うためだよ。
別にそうする必要などなかったが。
実際、仏陀と成った者の中には黙って去っていった人もいた。
釈迦はそうしなかったが故に仏教として、
それがこの幻影世界に痕跡のようなかたちで我々に認識されている。
目覚まし時計のアラーム音が悪夢の中の救急車のサイレン音として認識されているが如く、だ。
カバラの表現の中に、この物質世界のことを指して、
神の衣の痕跡の痕跡の痕跡、というような面白いものがある。
神の衣の痕跡の痕跡の痕跡をしか認識できない、悪夢に魘されている者どもである我々に、
仏陀やキリストと成った者の本当の意図など知る由もないし知る必要もないし知るに至る頭脳もあるはずがない。
君や私はとにかく苦しんでいる。
釈迦が説いていたことはどうすれば苦しみを永遠に終わらせることができるか、ということだ。
どうすればこの物質世界で人生を謳歌できるか、ということではない。
そんなことは不可能だというのが釈迦はイエスが言っていたこと。
イエスをして、ローマ帝国の圧政に苦しむイスラエルをモーセのように救済してくれる、
新しいイスラエルの王になる人だと思っていた信奉者の一人にイエスはこう言ってそれを否定した。
「私はこの世界に私の王国を築くためにやってきたのではない。
あなた方迷える子羊を父の家に連れ戻すためにこそやってきたのだ。」
841神も仏も名無しさん
2023/03/14(火) 12:28:19.69ID:qOG3F7IH 「一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。
・・・・あたかも、母が己が独り子を命を賭けても護るように、
そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、
無量の(慈しみの)こころを起すべし。また全世界に対して無量の慈しみの意を起すべし」
(『ブツダのことば「スッタニパータ』、中村元訳)
今の君のその状態でこれは無理だ。
だから、この状態に成る、あるいは復帰するために仏教は存在している。
君はあたかも、他人の大学合格体験記を読んだだけで
まるで自分も合格したと勘違いしているようなものだ。
その合格体験記を書いた人、その人と同じ視点となるためには、
君自身がちゃんと受験勉強して大学に合格しなければならない。
今の実力では合格など覚束ない。
にも関わらず、君はまるですでに大学生になったような物言いをしている。
・・・・あたかも、母が己が独り子を命を賭けても護るように、
そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、
無量の(慈しみの)こころを起すべし。また全世界に対して無量の慈しみの意を起すべし」
(『ブツダのことば「スッタニパータ』、中村元訳)
今の君のその状態でこれは無理だ。
だから、この状態に成る、あるいは復帰するために仏教は存在している。
君はあたかも、他人の大学合格体験記を読んだだけで
まるで自分も合格したと勘違いしているようなものだ。
その合格体験記を書いた人、その人と同じ視点となるためには、
君自身がちゃんと受験勉強して大学に合格しなければならない。
今の実力では合格など覚束ない。
にも関わらず、君はまるですでに大学生になったような物言いをしている。
842M−1グランプリ突っ込み担当 桃太郎
2023/03/14(火) 15:03:28.89ID:i0XAss+d843神も仏も名無しさん
2023/03/14(火) 16:38:00.72ID:R8aSyQLS まあ何を信じるかは自由なので….
こればっかりはどうしようも出来ないですよ
どっちかっていうと日蓮系なり創価学会系では
最終的に全てが日蓮なりお釈迦さまなりの
思い通りに上手くいったとして
菩薩が助けた人は菩薩より先に成仏?解脱?して
菩薩を残して行っちゃっていいんだね?とか
助けた人も菩薩になるの?
とか
菩薩が助けた人は現在の人間と違うの?一緒なの?
違うとすれば喜びとか悲しみの感じ方が違うの?
とか
そういう疑問の方が面白いと感じる
私は永遠の生命なり宇宙の法則なりを全ての人が
深く理解していて人の死なんかも当然の法則だから
ああ また新しい生に新しい経験への旅立ちだ
喜ばしい もう悲しみは無い
みたいな感じなのかなと勝手に思っていたけれど
桃太郎さんに聞いたところ
全ての人が菩薩に助けられた時代でも
悲しみや苦しみは今と変わらないらしい
ぱっと見は今のような時代が永遠に続くとのことです
まあこの辺は教義上存在しないからなんだろうけど
どうしてもスッと理解できないというか
想像できないというか
こればっかりはどうしようも出来ないですよ
どっちかっていうと日蓮系なり創価学会系では
最終的に全てが日蓮なりお釈迦さまなりの
思い通りに上手くいったとして
菩薩が助けた人は菩薩より先に成仏?解脱?して
菩薩を残して行っちゃっていいんだね?とか
助けた人も菩薩になるの?
とか
菩薩が助けた人は現在の人間と違うの?一緒なの?
違うとすれば喜びとか悲しみの感じ方が違うの?
とか
そういう疑問の方が面白いと感じる
私は永遠の生命なり宇宙の法則なりを全ての人が
深く理解していて人の死なんかも当然の法則だから
ああ また新しい生に新しい経験への旅立ちだ
喜ばしい もう悲しみは無い
みたいな感じなのかなと勝手に思っていたけれど
桃太郎さんに聞いたところ
全ての人が菩薩に助けられた時代でも
悲しみや苦しみは今と変わらないらしい
ぱっと見は今のような時代が永遠に続くとのことです
まあこの辺は教義上存在しないからなんだろうけど
どうしてもスッと理解できないというか
想像できないというか
844神も仏も名無しさん
2023/03/14(火) 17:06:23.62ID:C5Q8xQnl845神も仏も名無しさん
2023/03/14(火) 18:56:30.74ID:jYqYGsIN >>837
釈尊は梵天勧請で教えを説くと決められたとき
私の教えは人々に理解されないだろうけど、理解できる人もいるだろうから
教えを施すと決められたのだよ
要するに初期仏教はすべての人を救う教えではなく
ごく一部の優れた人のための教えなんだよ
だから生殖を禁止する仏教がこの世に広まって人類滅亡という話にはならないという
世界観なのが初期仏教なわけ
在家は生天して来世天に生まれればいいという考え方
釈尊は梵天勧請で教えを説くと決められたとき
私の教えは人々に理解されないだろうけど、理解できる人もいるだろうから
教えを施すと決められたのだよ
要するに初期仏教はすべての人を救う教えではなく
ごく一部の優れた人のための教えなんだよ
だから生殖を禁止する仏教がこの世に広まって人類滅亡という話にはならないという
世界観なのが初期仏教なわけ
在家は生天して来世天に生まれればいいという考え方
846神も仏も名無しさん
2023/03/14(火) 19:11:52.52ID:jYqYGsIN 初期仏教ってのは全世界に教えを広めるだとか
世界三大宗教の一角を担おうとか考える教えではない
永遠に輪廻する生存にやりきれなくなった人のための教えなんだよ
世界三大宗教の一角を担おうとか考える教えではない
永遠に輪廻する生存にやりきれなくなった人のための教えなんだよ
847神も仏も名無しさん
2023/03/14(火) 19:21:03.65ID:jYqYGsIN テーラワーダでは悟った人には四無量心が生まれると言うが
慈悲喜捨の中で捨はウペッカーとよばれ、落ち着いた心とされる
つまり、愛や仁をとく宗教とのちがいは人を助けるという中にも
平静な心があって、ムキになって人を助けたり、怒りにも似た感情で
迫害されている人を助けようという感覚じゃないということなんだよ
慈悲は義務ではなく、どこか第三者的な立場から行うものということ
つまり、慈悲は悟ったものにとって遊びなわけ
やらなくてもいいけど、やってみる程度のもの
そこに梵天勧請で教えを説くことに傾いた釈尊の心理がある
慈悲喜捨の中で捨はウペッカーとよばれ、落ち着いた心とされる
つまり、愛や仁をとく宗教とのちがいは人を助けるという中にも
平静な心があって、ムキになって人を助けたり、怒りにも似た感情で
迫害されている人を助けようという感覚じゃないということなんだよ
慈悲は義務ではなく、どこか第三者的な立場から行うものということ
つまり、慈悲は悟ったものにとって遊びなわけ
やらなくてもいいけど、やってみる程度のもの
そこに梵天勧請で教えを説くことに傾いた釈尊の心理がある
848神も仏も名無しさん
2023/03/14(火) 20:51:04.23ID:R8aSyQLS >>845
優れた人のために っていう表現は誤解を生むかも
しれません
感覚的にはもうそこに縋る以外に助かる道は無い
というか
これ以外の教えに誘われても1mmも心が微動だにしない
悲惨にもそうなってしまった人のための教え
っていう表現もできますし
優れた人のために っていう表現は誤解を生むかも
しれません
感覚的にはもうそこに縋る以外に助かる道は無い
というか
これ以外の教えに誘われても1mmも心が微動だにしない
悲惨にもそうなってしまった人のための教え
っていう表現もできますし
849神も仏も名無しさん
2023/03/14(火) 21:05:26.78ID:jYqYGsIN まああくまで初期仏教の究極の救い、寂滅を最高の教えだとしたらの話です。
何が幸せかは人それぞれでしょう。
しかし、釈尊は天上天下唯我独尊といったわけで、
尊いのは寂滅を最高の教えとする真理にめざめたからでしょう
そういう意味で優れた人に向けた教えというわけです。
何が幸せかは人それぞれでしょう。
しかし、釈尊は天上天下唯我独尊といったわけで、
尊いのは寂滅を最高の教えとする真理にめざめたからでしょう
そういう意味で優れた人に向けた教えというわけです。
850神も仏も名無しさん
2023/03/14(火) 22:04:21.52ID:khEv45Tz 普通の人間は、輪廻があることも、輪廻がものすごい苦しみであることも理解していない。たとえ自分が天界に居ようとも、次にどこに行くのか分かったもんじゃない。永遠にキリがない。
851神も仏も名無しさん
2023/03/15(水) 00:28:52.09ID:pEF8hw4M >>849
>尊いのは寂滅を最高の教えとする真理にめざめたからでしょう
それはちがう気がするな~。。w
確かに上座部仏教は、寂滅主義です。。
だけど、心を静めるって、悟りのための条件と言うか、準備みたいなもんだと思いますよ。。
だって、非想非悲想処までいって、これはちがうと、その師のもとを去ったと言われる。。
だったら、そういう心の状態が、悟り、ではない、ということでしょね。。
>尊いのは寂滅を最高の教えとする真理にめざめたからでしょう
それはちがう気がするな~。。w
確かに上座部仏教は、寂滅主義です。。
だけど、心を静めるって、悟りのための条件と言うか、準備みたいなもんだと思いますよ。。
だって、非想非悲想処までいって、これはちがうと、その師のもとを去ったと言われる。。
だったら、そういう心の状態が、悟り、ではない、ということでしょね。。
852神も仏も名無しさん
2023/03/15(水) 00:31:07.85ID:pEF8hw4M そもそも寂滅が悟りであるなら、諸行無常に反するわけですよ。。
縁起にも反します。。
縁に依って得るは、始終成壊す、と言われるように、心の状態は、有為法ですから、
それが悟りと言うのは、おかしいでしょう。。
やはり、法に合致したものじゃないとおかしい。。
縁起にも反します。。
縁に依って得るは、始終成壊す、と言われるように、心の状態は、有為法ですから、
それが悟りと言うのは、おかしいでしょう。。
やはり、法に合致したものじゃないとおかしい。。
854神も仏も名無しさん
2023/03/15(水) 00:35:30.10ID:pEF8hw4M 始終成壊しないのが、仏法であり、悟りですね。。
そうじゃないと、禅病みたいに、動きの取れない、不自由なところに捕まってしまう。。
そうじゃないと、禅病みたいに、動きの取れない、不自由なところに捕まってしまう。。
855神も仏も名無しさん
2023/03/15(水) 02:20:37.26ID:NX9CtoYt 諸行無常
是生滅法
生滅滅已
寂滅為楽
大乗ではこのように説く。
大乗では諸行無常と寂滅は矛盾しない。
相反するという教えなら、
それは大乗仏教ではない。
テーラワーダでもない。
何か別の宗教。
是生滅法
生滅滅已
寂滅為楽
大乗ではこのように説く。
大乗では諸行無常と寂滅は矛盾しない。
相反するという教えなら、
それは大乗仏教ではない。
テーラワーダでもない。
何か別の宗教。
856神も仏も名無しさん
2023/03/15(水) 09:42:47.81ID:pEF8hw4M >>855
だけど、それだと生死即涅槃にならない。。
生死(迷い・生滅)を厭わず、涅槃をこいねがわず、の時、生死を離れる分あり、というのが、大乗の目指す在り方でしょうね、
基本は。。
結果としては、落ち着く、平安になるんですが、寂滅を求めていたら、そうならないわけで、
自分がどうあろうが、手を付けない、ということができるかどうか、というのがポイントになるんだと思います。
無我だから、その在りよう(生滅)のままに、ということで、無常のままにあるんです。。
でなければ、解脱にならないと思います。。
だけど、それだと生死即涅槃にならない。。
生死(迷い・生滅)を厭わず、涅槃をこいねがわず、の時、生死を離れる分あり、というのが、大乗の目指す在り方でしょうね、
基本は。。
結果としては、落ち着く、平安になるんですが、寂滅を求めていたら、そうならないわけで、
自分がどうあろうが、手を付けない、ということができるかどうか、というのがポイントになるんだと思います。
無我だから、その在りよう(生滅)のままに、ということで、無常のままにあるんです。。
でなければ、解脱にならないと思います。。
857神も仏も名無しさん
2023/03/15(水) 09:46:39.18ID:pEF8hw4M だから、動静にとらわれない、と言う在り方ができるわけです。。
動が悪くて、静がいい、というのではない。。
どっちでもいいんです。。w
どっちでも空である、無我である、と言う理解があるから自由なんです。。
自我すら肯定できる、煩悩も。。
だから、煩悩即菩提なんです。。
動であると同時に、静である、というか、両者が統合された、感じになるのが、平安と言うか、解脱でしょうね。。
動が悪くて、静がいい、というのではない。。
どっちでもいいんです。。w
どっちでも空である、無我である、と言う理解があるから自由なんです。。
自我すら肯定できる、煩悩も。。
だから、煩悩即菩提なんです。。
動であると同時に、静である、というか、両者が統合された、感じになるのが、平安と言うか、解脱でしょうね。。
858神も仏も名無しさん
2023/03/15(水) 09:54:40.72ID:pEF8hw4M 無我とか空って、そういうことなんですよ。。
もとから脱落している、解決している。。
だから、最終的には、仏教とかそういう見解も要らない、というか、捨てられてしまう。。
そうじゃないと、不自由ですよね。。
もとから脱落している、解決している。。
だから、最終的には、仏教とかそういう見解も要らない、というか、捨てられてしまう。。
そうじゃないと、不自由ですよね。。
859鹿野園 ◆ZTfV4x.y4wpe
2023/03/15(水) 10:18:22.36ID:VBYmqe8C 仏教的な本懐の妨げには、二つの障害があると法相宗では説くわけです。
すなわち、煩悩障と所知障なのですが、煩悩障の消滅だけでも解脱は成るとされております。
大乗仏教では、所知障も含めた二障の滅をその本懐とする訳ですが、南伝上座仏教大寺派では煩悩障の滅を以って良しとするのです。
従って、
>尊いのは寂滅を最高の教えとする真理にめざめたからでしょう
でなんらおかしくありません。
すなわち、煩悩障と所知障なのですが、煩悩障の消滅だけでも解脱は成るとされております。
大乗仏教では、所知障も含めた二障の滅をその本懐とする訳ですが、南伝上座仏教大寺派では煩悩障の滅を以って良しとするのです。
従って、
>尊いのは寂滅を最高の教えとする真理にめざめたからでしょう
でなんらおかしくありません。
860鹿野園 ◆ZTfV4x.y4wpe
2023/03/15(水) 10:22:17.05ID:VBYmqe8C >>852
> そもそも寂滅が悟りであるなら、諸行無常に反するわけですよ。。
> 縁起にも反します。。
>
> 縁に依って得るは、始終成壊す、と言われるように、心の状態は、有為法ですから、
> それが悟りと言うのは、おかしいでしょう。。
>
> やはり、法に合致したものじゃないとおかしい。。
寂滅(択滅、涅槃)は五位法中の無為法に該当します。
有為法ではありません。
> そもそも寂滅が悟りであるなら、諸行無常に反するわけですよ。。
> 縁起にも反します。。
>
> 縁に依って得るは、始終成壊す、と言われるように、心の状態は、有為法ですから、
> それが悟りと言うのは、おかしいでしょう。。
>
> やはり、法に合致したものじゃないとおかしい。。
寂滅(択滅、涅槃)は五位法中の無為法に該当します。
有為法ではありません。
861鹿野園 ◆ZTfV4x.y4wpe
2023/03/15(水) 10:27:14.72ID:VBYmqe8C 非想非非想処は、南伝上座仏教大寺派でも有為法のうちでゴールドされていません。
862神も仏も名無しさん
2023/03/15(水) 10:37:30.58ID:pEF8hw4M 迷えば、寂乱を生じ、悟れば、好悪なし(信心銘)だから、寂乱に拘るのはちがいますね。。
863神も仏も名無しさん
2023/03/15(水) 10:40:14.72ID:pEF8hw4M 結果的に静かになっていく、というのは、否定しないけど、そういう自分の在り方を見ている、
他になんかあると思う、のはちがう。。
自分は(他も)、もともと無い、と言うのが正法でしょうね。。
他になんかあると思う、のはちがう。。
自分は(他も)、もともと無い、と言うのが正法でしょうね。。
864神も仏も名無しさん
2023/03/15(水) 10:43:10.26ID:pEF8hw4M 上座部仏教は、寂滅主義で、大乗は、そうじゃない、というのは、中沢さんなんかも言ってるけれど、
間違ってないでしょうね。。
間違ってないでしょうね。。
865神も仏も名無しさん
2023/03/15(水) 10:44:16.73ID:pEF8hw4M 消滅がない、不生不滅、というのは、理解はしないといけないけれど、寂滅を目指すべきではない、
というのが、大乗だろうな。。
というのが、大乗だろうな。。
866神も仏も名無しさん
2023/03/15(水) 10:46:25.49ID:pEF8hw4M 自受容三昧とか、只管打坐、も、寂滅主義ではない。。
寂滅主義では、坐禅になりません。。w
寂滅主義では、坐禅になりません。。w
867神も仏も名無しさん
2023/03/15(水) 10:55:18.62ID:pEF8hw4M だから、周りと一緒に、歌い、躍るんですよ。。w
踊らされるんじゃなくてね。。
木人が謳って、石女が舞う。。w
踊らされるんじゃなくてね。。
木人が謳って、石女が舞う。。w
868鹿野園 ◆ZTfV4x.y4wpe
2023/03/15(水) 11:04:54.96ID:VBYmqe8C まだ考えがまとまってはいないのですが、従因至果(始覚)、従果向因(本覚)、さらに従果還因、従果降因というのがある訳です。
また、禅宗の修道論としてよく謂れるのが「臨済宗は角を削って丸くする修行で、曹洞宗は丸の型枠に落とし込む修行」な訳で、前者は従因至果(始覚)的、後者は従果向因(本覚)的と云えるでしょう。
さて、
> 無我とか空って、そういうことなんですよ。。
> もとから脱落している、解決している。。
> だから、最終的には、仏教とかそういう見解も要らない、というか、捨てられてしまう。。
と仰るのですが、これは上記の後者的な視点からのレスですね。
また、禅宗の修道論としてよく謂れるのが「臨済宗は角を削って丸くする修行で、曹洞宗は丸の型枠に落とし込む修行」な訳で、前者は従因至果(始覚)的、後者は従果向因(本覚)的と云えるでしょう。
さて、
> 無我とか空って、そういうことなんですよ。。
> もとから脱落している、解決している。。
> だから、最終的には、仏教とかそういう見解も要らない、というか、捨てられてしまう。。
と仰るのですが、これは上記の後者的な視点からのレスですね。
869鹿野園 ◆ZTfV4x.y4wpe
2023/03/15(水) 11:06:38.90ID:VBYmqe8C 訂正
非想非非想処は、南伝上座仏教大寺派でも有為法のうちでゴールとされていません。
非想非非想処は、南伝上座仏教大寺派でも有為法のうちでゴールとされていません。
870鹿野園 ◆ZTfV4x.y4wpe
2023/03/15(水) 11:13:01.31ID:VBYmqe8C 私が思うに、従因至果に偏れば道に逸れるし、従果向因に偏れば道に向かわないと思うんですけどね。
両者が緊張関係を保ちつつ円環的に上昇する様なスタイルが望ましいのでは?
両者が緊張関係を保ちつつ円環的に上昇する様なスタイルが望ましいのでは?
871神も仏も名無しさん
2023/03/15(水) 11:27:04.57ID:atggLuBA 非我と言うのは、真我が立ち上がる事を言います。
無我・・・今までの自分が消えた
非我・・・真我こそ、ほんとのわたし
真我(認識の主体)は壊れたり、汚れたり、
綺麗になったり、老いたり、死んだりしません。
ナーガールジュナの八不中道ね。
ttps://ameblo.jp/kazama1980/entry-12793598117.html
無我・・・今までの自分が消えた
非我・・・真我こそ、ほんとのわたし
真我(認識の主体)は壊れたり、汚れたり、
綺麗になったり、老いたり、死んだりしません。
ナーガールジュナの八不中道ね。
ttps://ameblo.jp/kazama1980/entry-12793598117.html
872鹿野園 ◆ZTfV4x.y4wpe
2023/03/15(水) 11:32:42.42ID:VBYmqe8C なんかとんでもない勘違いがある様ですけど🤭
南伝上座仏教大寺派は動静の静を寂滅のところとしているのではありません。
その静は、五位法でいう有為法心不相応行法の無想や滅尽のところで、動静を超越してる無為法の寂滅(択滅、涅槃)ではないのですが🤭
これ、宗教板では毎日の様にいろいろなスレで起きてるんですが、無知による誤解から生じる他宗教や他宗派の批判は、された当事者には迷惑な話に他なりません。
しかも、こうして正しい見解を提示しても逆に誹謗中傷されるのですから、これじゃまともな人は宗教板からドンドン去る訳です。
南伝上座仏教大寺派は動静の静を寂滅のところとしているのではありません。
その静は、五位法でいう有為法心不相応行法の無想や滅尽のところで、動静を超越してる無為法の寂滅(択滅、涅槃)ではないのですが🤭
これ、宗教板では毎日の様にいろいろなスレで起きてるんですが、無知による誤解から生じる他宗教や他宗派の批判は、された当事者には迷惑な話に他なりません。
しかも、こうして正しい見解を提示しても逆に誹謗中傷されるのですから、これじゃまともな人は宗教板からドンドン去る訳です。
873鹿野園 ◆ZTfV4x.y4wpe
2023/03/15(水) 11:37:32.93ID:VBYmqe8C >>871
勿論、貴殿のご信仰は尊重致しますが、それは伝統仏教の解釈とは異なりますね。
勿論、貴殿のご信仰は尊重致しますが、それは伝統仏教の解釈とは異なりますね。
874鹿野園 ◆ZTfV4x.y4wpe
2023/03/15(水) 11:40:03.45ID:VBYmqe8C >>871
私のレスに反論がある時は、このスレではなくて(スレの主旨のそぐわないと思慮するので)以下のスレでどうぞ。
↓
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1678588567/1 【全宗教】悟りをひらいた人のスレ833【歓迎】
私のレスに反論がある時は、このスレではなくて(スレの主旨のそぐわないと思慮するので)以下のスレでどうぞ。
↓
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1678588567/1 【全宗教】悟りをひらいた人のスレ833【歓迎】
875鹿野園 ◆ZTfV4x.y4wpe
2023/03/15(水) 12:06:05.82ID:VBYmqe8C つまり、非我も亦非我なのですし、また、体用論、或いはダルミン・ダルマ論の視座からして、仏教では認識する主体があるとは説きません。
体用不離、ダルマとダルミンの別は説かないのです。
体用不離、ダルマとダルミンの別は説かないのです。
876鹿野園 ◆1EQ8DnpEU58d
2023/03/15(水) 12:09:53.75ID:VBYmqe8C 誤爆すみません。
877神も仏も名無しさん
2023/03/15(水) 12:47:50.93ID:pEF8hw4M878神も仏も名無しさん
2023/03/15(水) 12:49:24.85ID:pEF8hw4M 認識主体は、認識と同時生起です。。
認識が生じて、自他、主客が分かれる。。
でも、ほんとは、自他不二、ですから、認識があるだけで、主客が別にあるというのは、
迷妄です。。
認識が生じて、自他、主客が分かれる。。
でも、ほんとは、自他不二、ですから、認識があるだけで、主客が別にあるというのは、
迷妄です。。
879神も仏も名無しさん
2023/03/15(水) 12:50:29.41ID:pEF8hw4M880神も仏も名無しさん
2023/03/15(水) 12:52:49.57ID:pEF8hw4M アートマンのような真我、認識主体と、それ以外の幻想の自我がある、とすると、
二元論になって、仏法ではありません。。
これは、ヒンズー教、あるいは、アドヴィタの教え。。
仏法は、そういう二元論ではありません。。
もともと無我、非我、であって、それを明らめるか否かと言うだけです。。
無我、非我であるから、次のの瞬間は、もう脱落している、解脱している、と言うことが可能なのです。。
二元論になって、仏法ではありません。。
これは、ヒンズー教、あるいは、アドヴィタの教え。。
仏法は、そういう二元論ではありません。。
もともと無我、非我、であって、それを明らめるか否かと言うだけです。。
無我、非我であるから、次のの瞬間は、もう脱落している、解脱している、と言うことが可能なのです。。
881神も仏も名無しさん
2023/03/15(水) 12:55:27.70ID:pEF8hw4M 応無所住生其心だから、生死即涅槃、輪廻即解脱なんです。。
瞬間、瞬間終わっているから、即涅槃、解脱、と言ってもいい。。
瞬間、瞬間終わっているから、即涅槃、解脱、と言ってもいい。。
882神も仏も名無しさん
2023/03/15(水) 12:56:39.19ID:pEF8hw4M もともと人間と言う機構は、自分を見れるとか認識できるようにはつくられていないんです。。
だから、自分忘れて、縁に応じて動く、働く、と言うことができるようになれば、それでいいんです。。
だから、自分忘れて、縁に応じて動く、働く、と言うことができるようになれば、それでいいんです。。
883鹿野園 ◆ZTfV4x.y4wpe
2023/03/15(水) 13:14:04.22ID:TsLH/+bZ たとえば、「私は(~を)見る」と言ったとしよう。では、見る「私」とは、何であろうか。
それは、「私は(~を)見る」というのだから、その見る前に存在している何ものかということになる。
それは見る以前だけではない、聞くよりも、読むよりも、歩くよりも、走るよりも前に存在している何ものか、つまりあらゆる作用以前に存在している何ものか、ということになってしまう。すなわち、作用を持たない基体(サブスタンス)としての私だ。
だがいったい、そういう現象に関わらない私という存在を、どうやって知ることができようか。第一、その私って、いったい何なのだろう?
もしそういう私があるとしたら、それが見るとは、どういうことになろうか。
もとより作用を持たないのであるから、どこかにあらかじめある「見る作用」と結びついて、はじめて見るということもできるということになるほかない。
しかしながら、いったい、見る作用のみが、どこかにあると考えられようか。
これはおかしな話である。ある意味では、そんなものがあるとすれば、ありもしない幽霊より怖いことだ。
したがって見る作用とは別に私があるということは、どうも成立しそうもない。
(入門 哲学としての仏教 竹村牧男)
続く
それは、「私は(~を)見る」というのだから、その見る前に存在している何ものかということになる。
それは見る以前だけではない、聞くよりも、読むよりも、歩くよりも、走るよりも前に存在している何ものか、つまりあらゆる作用以前に存在している何ものか、ということになってしまう。すなわち、作用を持たない基体(サブスタンス)としての私だ。
だがいったい、そういう現象に関わらない私という存在を、どうやって知ることができようか。第一、その私って、いったい何なのだろう?
もしそういう私があるとしたら、それが見るとは、どういうことになろうか。
もとより作用を持たないのであるから、どこかにあらかじめある「見る作用」と結びついて、はじめて見るということもできるということになるほかない。
しかしながら、いったい、見る作用のみが、どこかにあると考えられようか。
これはおかしな話である。ある意味では、そんなものがあるとすれば、ありもしない幽霊より怖いことだ。
したがって見る作用とは別に私があるということは、どうも成立しそうもない。
(入門 哲学としての仏教 竹村牧男)
続く
884鹿野園 ◆ZTfV4x.y4wpe
2023/03/15(水) 13:14:52.43ID:TsLH/+bZ (続き)
では見る作用と私は一つだとすれば、では聞く者は誰? ということになる。
そうすると、一体ではないが、別体でもない、というのが正しいだろうか。
しかし同じでもないし異なるのでもないという言い方は、ふつう、論理的には排除され、世間の言語においては通用しないものである。逆にいえば、世間の常識の言語世界は、じつはこのように矛盾を安易に排除した、浅薄な、虚偽に満ちた論理と認識の上に成り立っていることが知られてくる。
「私は(~を)見る」という、きわめて単純素朴で至極当然な言い方のなかに、すでに大いに問題が潜んでいたのである。
それは、基体と作用をあらかじめわけておいて、しかもつなぐところが問題だったのだ。
それにしても、いつも我々は、私は、私は、と言っているが、その私っていったい何なのであろうか。
基体としての、変わらない、常住不変の私(=我=アートマン)があるとしたら、そういうものは自分のどこにあるのだろう。そんなものは、自分のどこにも、きっとないにちがいない。
ウィトゲンシュタインも言っている、私は歯が痛いというのは、ナンセンスだ。歯が痛む、その痛いの感覚以外にある私って何であろう。そんなものはあるとは思えない、言えない、と(拙著『インド仏教の歴史──「覚り」と「空」』講談社学術文庫、二〇〇四年、二〇六頁参照)。
これは龍樹の言っていることと同じことである。というわけで、結局、「私は(~を)見る」という文章は成り立たないのである。
(入門 哲学としての仏教 竹村牧男)
では見る作用と私は一つだとすれば、では聞く者は誰? ということになる。
そうすると、一体ではないが、別体でもない、というのが正しいだろうか。
しかし同じでもないし異なるのでもないという言い方は、ふつう、論理的には排除され、世間の言語においては通用しないものである。逆にいえば、世間の常識の言語世界は、じつはこのように矛盾を安易に排除した、浅薄な、虚偽に満ちた論理と認識の上に成り立っていることが知られてくる。
「私は(~を)見る」という、きわめて単純素朴で至極当然な言い方のなかに、すでに大いに問題が潜んでいたのである。
それは、基体と作用をあらかじめわけておいて、しかもつなぐところが問題だったのだ。
それにしても、いつも我々は、私は、私は、と言っているが、その私っていったい何なのであろうか。
基体としての、変わらない、常住不変の私(=我=アートマン)があるとしたら、そういうものは自分のどこにあるのだろう。そんなものは、自分のどこにも、きっとないにちがいない。
ウィトゲンシュタインも言っている、私は歯が痛いというのは、ナンセンスだ。歯が痛む、その痛いの感覚以外にある私って何であろう。そんなものはあるとは思えない、言えない、と(拙著『インド仏教の歴史──「覚り」と「空」』講談社学術文庫、二〇〇四年、二〇六頁参照)。
これは龍樹の言っていることと同じことである。というわけで、結局、「私は(~を)見る」という文章は成り立たないのである。
(入門 哲学としての仏教 竹村牧男)
885神も仏も名無しさん
2023/03/15(水) 13:15:13.66ID:pEF8hw4M もちろん、鏡のように、ありのままに映す、機能というのは、常にある、働いている、とも言えるんだけど、
それを認識と言えるかどうか?
認識と言うと、主客、自他分かれた世界で、ありのまま、ではないものですからね。。
それを認識と言えるかどうか?
認識と言うと、主客、自他分かれた世界で、ありのまま、ではないものですからね。。
886神も仏も名無しさん
2023/03/15(水) 13:16:49.40ID:pEF8hw4M ありのまま、というのは、映すことはできても、知ることはできない。。
自分も他も知りません~ん、の世界。。w
そっちが本当、本来かもしれない。。w
知るとか、認識するというのは、自他、主客分かれてしまう世界だから。。
自分も他も知りません~ん、の世界。。w
そっちが本当、本来かもしれない。。w
知るとか、認識するというのは、自他、主客分かれてしまう世界だから。。
887神も仏も名無しさん
2023/03/15(水) 13:20:55.87ID:pEF8hw4M 主客、自他が分かれてしまう、認識の世界が悪いってことじゃないんだけど、
そうした、素朴実在論的、二元論的な認識が、迷妄の根源としてある、というのは、知っておくべきでしょうね。。
そうした、素朴実在論的、二元論的な認識が、迷妄の根源としてある、というのは、知っておくべきでしょうね。。
888鹿野園 ◆ZTfV4x.y4wpe
2023/03/15(水) 13:47:11.54ID:41g99GT2 へっへっへ www
法相宗では、識体転じて二分に似る。...その二分に依って我法を施設する(成唯識論)、それによって認識が成立すると説くのでして、勿論、識体という常・一・主・宰の認識主体があるって事じゃないんですけど、その話は他の機会で w
そして、その二分(主客、自他別れた世界)は三量(現量、比量、非量)に分けられるのでして、「主客に分かれる(二分)≠ありのまま」という事ではないのでして、ふふふ。
現量=ありのままでしてねぇ www
はい、非量や比量≠ありのままにはなりますけどw
まぁ、識体が転じて眼耳鼻舌身と色声香味触に二分するんですけどねぇ、それが現量、ありのまま、主客未分のところなんですけどねぇ、ふふふw
法相宗では、識体転じて二分に似る。...その二分に依って我法を施設する(成唯識論)、それによって認識が成立すると説くのでして、勿論、識体という常・一・主・宰の認識主体があるって事じゃないんですけど、その話は他の機会で w
そして、その二分(主客、自他別れた世界)は三量(現量、比量、非量)に分けられるのでして、「主客に分かれる(二分)≠ありのまま」という事ではないのでして、ふふふ。
現量=ありのままでしてねぇ www
はい、非量や比量≠ありのままにはなりますけどw
まぁ、識体が転じて眼耳鼻舌身と色声香味触に二分するんですけどねぇ、それが現量、ありのまま、主客未分のところなんですけどねぇ、ふふふw
889鹿野園 ◆ZTfV4x.y4wpe
2023/03/15(水) 13:50:02.92ID:41g99GT2 まぁ、現量とは言語の介在がないところでして、そういうところをありのままとか主客未分って考える訳ですがねぇ、ふふふw
890鹿野園 ◆ZTfV4x.y4wpe
2023/03/15(水) 13:53:36.26ID:41g99GT2 盤珪さん曰く、不生。
臨済さん曰く、即今聴法底。
それ、現量、すなわち言語の介在のないところだと思いますけどねぇ、うふふw
それが父母未生以前、ありのまま、主客未分ってところじゃございませんかねぇ、えへへw
臨済さん曰く、即今聴法底。
それ、現量、すなわち言語の介在のないところだと思いますけどねぇ、うふふw
それが父母未生以前、ありのまま、主客未分ってところじゃございませんかねぇ、えへへw
891神も仏も名無しさん
2023/03/15(水) 13:54:07.00ID:pEF8hw4M 比量であろうが、非量であろうが、そうしている当体は、比較を絶してあるのですよ。。
すべては、比較を絶している、比べようがないそのもの、これが法ですね。。
そのように観ることが、すべてを救う道なのであります。。w
というか、既に救われているんです。。
すべては、比較を絶している、比べようがないそのもの、これが法ですね。。
そのように観ることが、すべてを救う道なのであります。。w
というか、既に救われているんです。。
892鹿野園 ◆ZTfV4x.y4wpe
2023/03/15(水) 14:10:47.92ID:BHZ07QpZ まぁ、眼耳鼻舌身が眼耳鼻舌身してるのと同時に意識が言語によりそれを重ね書きする訳でしてえ、それが非量だの比量な訳ですが、法相宗では現量のところを仏教的な本懐を遂げるための重要なトリガーに見てるんですがねぇ、うふふw
893鹿野園 ◆ZTfV4x.y4wpe
2023/03/15(水) 14:11:52.43ID:BHZ07QpZ 訂正
まぁ、眼耳鼻舌身が色声香味触してるのと同時に意識が言語によりそれを重ね書きする訳でしてぇ、それが非量だの比量な訳ですが、法相宗ではそこではなく、現量のところを仏教的な本懐を遂げるための重要なトリガーに見てるんですがねぇ、うふふw
まぁ、眼耳鼻舌身が色声香味触してるのと同時に意識が言語によりそれを重ね書きする訳でしてぇ、それが非量だの比量な訳ですが、法相宗ではそこではなく、現量のところを仏教的な本懐を遂げるための重要なトリガーに見てるんですがねぇ、うふふw
894鹿野園 ◆ZTfV4x.y4wpe
2023/03/15(水) 14:19:48.63ID:aPi5iSuB へっへっへw
その現量のところ看ずして、父母未生以前の自己だのありのままだの、一体何処を看るんでございましょうかねぇ、あははw
「意識」を失って気絶してるとこでも見るざんすかぁ?
そんなんだったら棒で自分をぶん殴ってみりゃいいんじゃあ?
まぁ、気絶していて現量も無いとおもいますけどねぇ、あははw
その現量のところ看ずして、父母未生以前の自己だのありのままだの、一体何処を看るんでございましょうかねぇ、あははw
「意識」を失って気絶してるとこでも見るざんすかぁ?
そんなんだったら棒で自分をぶん殴ってみりゃいいんじゃあ?
まぁ、気絶していて現量も無いとおもいますけどねぇ、あははw
895神も仏も名無しさん
2023/03/15(水) 14:24:01.85ID:pEF8hw4M だから、聖諦第一義が、既に成り立たない、というのが、無我であり、無常です、法です。。
達磨さんと武帝の対話にある通り。。
だから、すべてを入れる器が坐禅であり、真の自己です。。
すべてその中に入っている。。
我大地有情と同時成道です。。
自ら証してください。。
達磨さんと武帝の対話にある通り。。
だから、すべてを入れる器が坐禅であり、真の自己です。。
すべてその中に入っている。。
我大地有情と同時成道です。。
自ら証してください。。
896鹿野園 ◆ZTfV4x.y4wpe
2023/03/15(水) 14:31:38.20ID:Zz0Edn81 ∧ ∧
|1/ |1/
/ ̄ ̄ ̄`ヽ、
/ ヽ
/ ⌒ ⌒ |
| へ へ | ふふ♪
/ |
/ | チョット云ってみただけ❤
( _ |
(ヽ、 / )|
| ``ー――‐””| ヽ|
ゝ ノ ヽ ノ
|1/ |1/
/ ̄ ̄ ̄`ヽ、
/ ヽ
/ ⌒ ⌒ |
| へ へ | ふふ♪
/ |
/ | チョット云ってみただけ❤
( _ |
(ヽ、 / )|
| ``ー――‐””| ヽ|
ゝ ノ ヽ ノ
897神も仏も名無しさん
2023/03/15(水) 14:49:12.22ID:Zo0LksEx898神も仏も名無しさん
2023/03/15(水) 14:54:30.10ID:Zo0LksEx 釈迦はヴェーダの王者だからね
ヴェーダを一度も否定していないし、
修行者に無意味な観念遊びに興じる無駄をさせないために
あれこれと仕掛けを仕込んでいた、と捉えるべき
それでも釈迦の教えを観念遊びにしてまったのがテーラワーダや禅など
わかってるフリをしているだけの、わかっていない人たち
ヴェーダを一度も否定していないし、
修行者に無意味な観念遊びに興じる無駄をさせないために
あれこれと仕掛けを仕込んでいた、と捉えるべき
それでも釈迦の教えを観念遊びにしてまったのがテーラワーダや禅など
わかってるフリをしているだけの、わかっていない人たち
899神も仏も名無しさん
2023/03/15(水) 14:57:50.18ID:Zo0LksEx なので2012年に亡くなってる故・池田 大作戦センセのとこに囚われてる人が
テラワダは厭世的だと言いたくなるのもまあ間違ってはいない
かといって故・大作戦センセのところのはもう仏教でさえないけど
テラワダは厭世的だと言いたくなるのもまあ間違ってはいない
かといって故・大作戦センセのところのはもう仏教でさえないけど
900神も仏も名無しさん
2023/03/15(水) 15:02:30.18ID:pEF8hw4M 私は、観念も屁理屈も言ってませんよ。。w
それ以前の実相しか言ってない。。
見解なんてないんです。。w
見解を捨てましょう、ということ。。
それを捨てないと見えない、ということです。。
それ以前の実相しか言ってない。。
見解なんてないんです。。w
見解を捨てましょう、ということ。。
それを捨てないと見えない、ということです。。
901鹿野園 ◆ZTfV4x.y4wpe
2023/03/15(水) 15:03:31.91ID:p7pDi9Bv 仏教は「基体説」にはたちません。
つまり仏教誕生以前に「真我」とされている「常・一・主・宰の我」のアンチテーゼとしての無(非)我なのです。
従って、その不生不滅にして常・一・主・宰ではない、無我とか非我というところが「真我」とも説きません。
つまり仏教誕生以前に「真我」とされている「常・一・主・宰の我」のアンチテーゼとしての無(非)我なのです。
従って、その不生不滅にして常・一・主・宰ではない、無我とか非我というところが「真我」とも説きません。
902神も仏も名無しさん
2023/03/15(水) 15:05:42.48ID:pEF8hw4M 脱落とか悟りはあるんだけど、それは何か真理とかを掴む、手に入れる、と言うことではない。。
それまでの思い込みとか、捉われが落ちる、ということでしかない。。
それまでの思い込みとか、捉われが落ちる、ということでしかない。。
903神も仏も名無しさん
2023/03/15(水) 15:07:54.84ID:pEF8hw4M だから、正師のもとで坐れば、知識とか、理とかわからないでも、悟れる、ということですね。。
904鹿野園 ◆ZTfV4x.y4wpe
2023/03/15(水) 15:27:20.40ID:rWi5FnF6 そのブログ主さんは、思想的にはヴェーダーンタ派のそれに分類される訳です。
https://i.imgur.com/hvC1Abl.jpg
つまり、「非ず、非ず、非ず…」で属性の一切を排除したところに何かが残るか残らないかの問題なのですが、ブログ主さんは残る(真我)という立場で、仏教は残らない(無(非)我)という立場となります。
https://i.imgur.com/hvC1Abl.jpg
つまり、「非ず、非ず、非ず…」で属性の一切を排除したところに何かが残るか残らないかの問題なのですが、ブログ主さんは残る(真我)という立場で、仏教は残らない(無(非)我)という立場となります。
905鹿野園 ◆ZTfV4x.y4wpe
2023/03/15(水) 15:40:17.89ID:5EtA2q1D > 比量であろうが、非量であろうが、そうしている当体は、比較を絶してあるのですよ。。
西田幾多郎は「自分があるから経験するんじゃない、経験があるから自分が云々」云ってた様ですけど、あはは。
当体があって非量だとか現量だとか絶してるわけじゃないんじゃないのかねぇ、ふふふ。
そうしないと、何か絶したものを基体として認める事になるからねぇ、はははw
西田幾多郎は「自分があるから経験するんじゃない、経験があるから自分が云々」云ってた様ですけど、あはは。
当体があって非量だとか現量だとか絶してるわけじゃないんじゃないのかねぇ、ふふふ。
そうしないと、何か絶したものを基体として認める事になるからねぇ、はははw
906神も仏も名無しさん
2023/03/15(水) 16:44:58.09ID:pEF8hw4M あんまり難しく考える必要はないんですよ。。
誰もが、もともと解決しているのに、そうは思えない。。
ならば、そう思えない、と言う風に思わせている、何か、が落ちればいいだけだから。。
だから、坐って、あるいは、立っていてでも、脱落すれば、それでいいんです。。
誰もが、もともと解決しているのに、そうは思えない。。
ならば、そう思えない、と言う風に思わせている、何か、が落ちればいいだけだから。。
だから、坐って、あるいは、立っていてでも、脱落すれば、それでいいんです。。
907神も仏も名無しさん
2023/03/15(水) 16:55:40.03ID:Zo0LksEx >>904
うん、だからそのヴェーダなのか仏教なのか、という区分け自体が無意味なのよ
仏教はヴェーダを否定するところから始まったと思っているのかもしれないが、
その前提が間違ってるのね
仏教はヴェーダをより発展させたもの、
アースティカとしてのヴェーダにたいして仏教はナースティカという位置づけ
キリスト教がユダヤ教とゾロアスター教のハイブリッドで尚且つ、
その両者を進化発展させたのと同様にね
要は、実際に役立つんですか、役立たないんですか、ということが重要なのであって
その教えはどの派に属するのか、なんて分類したって何の意味もないのです
うん、だからそのヴェーダなのか仏教なのか、という区分け自体が無意味なのよ
仏教はヴェーダを否定するところから始まったと思っているのかもしれないが、
その前提が間違ってるのね
仏教はヴェーダをより発展させたもの、
アースティカとしてのヴェーダにたいして仏教はナースティカという位置づけ
キリスト教がユダヤ教とゾロアスター教のハイブリッドで尚且つ、
その両者を進化発展させたのと同様にね
要は、実際に役立つんですか、役立たないんですか、ということが重要なのであって
その教えはどの派に属するのか、なんて分類したって何の意味もないのです
908神も仏も名無しさん
2023/03/15(水) 17:01:03.04ID:Zo0LksEx 分類することでセクトをつくって排他性を発揮するから、
使えるものも使えなくなってしまうわけ
現代ならヨガナンダが伝えた初めてアリカに伝えたクリヤヨーガを
さらに純粋な源流にまで遡って教えを受けられる時代にあるというのに、
そういう絶好の機会さえ、我々は仏教なので、と目をつむり、
特定のセクトに引き籠って他の派を貶しては自らの優位性を誇示することに忙しく、
何一つ実体験のないままに観念だけをああでもないこうでもないと弄って遊んで
いたずらに時間とエネルギーを浪費しているのがあなた方なのですよ
使えるものも使えなくなってしまうわけ
現代ならヨガナンダが伝えた初めてアリカに伝えたクリヤヨーガを
さらに純粋な源流にまで遡って教えを受けられる時代にあるというのに、
そういう絶好の機会さえ、我々は仏教なので、と目をつむり、
特定のセクトに引き籠って他の派を貶しては自らの優位性を誇示することに忙しく、
何一つ実体験のないままに観念だけをああでもないこうでもないと弄って遊んで
いたずらに時間とエネルギーを浪費しているのがあなた方なのですよ
909鹿野園 ◆ZTfV4x.y4wpe
2023/03/15(水) 17:13:37.63ID:h/WbBBah >>907
私は宗教多元主義に立ちますから、貴殿のそうした「区分け自体が無意味」というのも一つの区分と見ておりますけどね。
また。貴殿の考えは、宗教的プラグマティズムであり、万教帰一的な風呂敷主義と拝察します。
勿論、そうした考えも多元主義の観点から否定するものではありませんが、伝統仏教のスタンスをその様な理由から否定される事には疑義を覚えますけどね。
私は宗教多元主義に立ちますから、貴殿のそうした「区分け自体が無意味」というのも一つの区分と見ておりますけどね。
また。貴殿の考えは、宗教的プラグマティズムであり、万教帰一的な風呂敷主義と拝察します。
勿論、そうした考えも多元主義の観点から否定するものではありませんが、伝統仏教のスタンスをその様な理由から否定される事には疑義を覚えますけどね。
910鹿野園 ◆ZTfV4x.y4wpe
2023/03/15(水) 17:16:17.45ID:h/WbBBah まぁ、宗教風呂敷主義というのもなんですから、そこは宗教混淆主義と訂正させて頂きますが。
911鹿野園 ◆ZTfV4x.y4wpe
2023/03/15(水) 17:28:48.31ID:h/WbBBah >要は、実際に役立つんですか、役立たないんですか、ということが重要なのであって、その教えはどの派に属するのか、なんて分類したって何の意味もないのです
勿論、そうした考えがある一方で、仏教では空を説く立場から「他の痴聖人を傭って、雪を擔うて共に井を填む」という様に無用の用、つまり(世俗的に)役に立たない事を貴ぶ立場もある訳です。
そういう考えもあるのだという事はご理解頂きたいものですね。
勿論、そうした考えがある一方で、仏教では空を説く立場から「他の痴聖人を傭って、雪を擔うて共に井を填む」という様に無用の用、つまり(世俗的に)役に立たない事を貴ぶ立場もある訳です。
そういう考えもあるのだという事はご理解頂きたいものですね。
912神も仏も名無しさん
2023/03/15(水) 17:38:42.94ID:61HzuiS5 >>908
物凄く賛同します
なので是非メソッドを全世界に公開して欲しいんです
それから一応でいいのでこの何年間で何人達して
現在も生きている人はどこにいて
どうしても会いたい人は会いに行けますみたいな
今はネットがあるので瞑想会の同時中継なども
簡単にできるでしょうし
そして実践した人が実際に達すれば口コミで
広がっていくでしょうし
仏教側もいい意味?で公式にパクれば
もっと早く?深く?みんなが達するかもしれない
もし既にやっていたらURLとか教えて頂けると
有難いです
物凄く賛同します
なので是非メソッドを全世界に公開して欲しいんです
それから一応でいいのでこの何年間で何人達して
現在も生きている人はどこにいて
どうしても会いたい人は会いに行けますみたいな
今はネットがあるので瞑想会の同時中継なども
簡単にできるでしょうし
そして実践した人が実際に達すれば口コミで
広がっていくでしょうし
仏教側もいい意味?で公式にパクれば
もっと早く?深く?みんなが達するかもしれない
もし既にやっていたらURLとか教えて頂けると
有難いです
913メーテル
2023/03/15(水) 17:55:06.06ID:TgrzYN3q >>871
この人、ツィッターもこの間までしてて、仏教非我真我説を散々ぶっていて、
仏教は五蘊を破壊する教えです
とか言い出したから、
典拠を示して下さい。
と聞いたら、ツィッター辞めちゃいました。
あんまり、素人に無理筋なことを狙わせない方がいいと思います。
この人、ツィッターもこの間までしてて、仏教非我真我説を散々ぶっていて、
仏教は五蘊を破壊する教えです
とか言い出したから、
典拠を示して下さい。
と聞いたら、ツィッター辞めちゃいました。
あんまり、素人に無理筋なことを狙わせない方がいいと思います。
914鹿野園 ◆ZTfV4x.y4wpe
2023/03/15(水) 18:12:06.81ID:LzXHKB1W まぁ、そもそもすれ違いな話ですね。
乗ってしまった私も悪いのですけどw
乗ってしまった私も悪いのですけどw
915神も仏も名無しさん
2023/03/15(水) 20:17:05.35ID:h4M52KTf916神も仏も名無しさん
2023/03/15(水) 20:23:46.65ID:h4M52KTf >>856
テーラワーダでは大乗的悟りはヨルカのような感じですね
無我を実体験するという
ヨルカを体験すると悟りという架空の対象を求めようという気持ちがなくなる
でも、あえて悟りを求めようと思うことが大事らしいです。
ミャンマーでは悟ろうとする気持ちを大事にするように言われますから。
書くのが難しいですが、悟ろうと思うことと悟らないと思うその間でさらに前に進もうとする
気持ちが大事らしいです。
テーラワーダでは大乗的悟りはヨルカのような感じですね
無我を実体験するという
ヨルカを体験すると悟りという架空の対象を求めようという気持ちがなくなる
でも、あえて悟りを求めようと思うことが大事らしいです。
ミャンマーでは悟ろうとする気持ちを大事にするように言われますから。
書くのが難しいですが、悟ろうと思うことと悟らないと思うその間でさらに前に進もうとする
気持ちが大事らしいです。
917神も仏も名無しさん
2023/03/15(水) 20:37:33.92ID:h4M52KTf >>878
それは唯識特有の考え方でしょう、引いてはその世親の著作を受け継いだ大乗特有の考え方と
いうべきか。
北伝の上座部である有部の倶舎論では
根と境があって、色は四大によってできていると説きます。
私が存在しなくても世界は存在するという見方に立ってますよ
それは唯識特有の考え方でしょう、引いてはその世親の著作を受け継いだ大乗特有の考え方と
いうべきか。
北伝の上座部である有部の倶舎論では
根と境があって、色は四大によってできていると説きます。
私が存在しなくても世界は存在するという見方に立ってますよ
918神も仏も名無しさん
2023/03/15(水) 20:42:21.95ID:h4M52KTf >>880
テーラワーダでは無我を説きます。
涅槃は常楽浄であるとは説きますが、我であるとだけは説かない。
それだけ無我を大切にしている。
一方釈尊は、涅槃に死後はあるのかという質問に対して無記を保っています。
成仏した人の我が永遠不滅なのかは分からないというのが真相です。
チベット仏教では釈尊は非我であると言っているだけで
無我とは言っていないと言います。ただこれを我であると提示できた
人がいないから無我なのだと説きます。
テーラワーダでは無我を説きます。
涅槃は常楽浄であるとは説きますが、我であるとだけは説かない。
それだけ無我を大切にしている。
一方釈尊は、涅槃に死後はあるのかという質問に対して無記を保っています。
成仏した人の我が永遠不滅なのかは分からないというのが真相です。
チベット仏教では釈尊は非我であると言っているだけで
無我とは言っていないと言います。ただこれを我であると提示できた
人がいないから無我なのだと説きます。
919神も仏も名無しさん
2023/03/15(水) 20:57:33.06ID:h4M52KTf 真我があると言っている人は決してこれは我だとは提示できないんですよ
感じ取れた瞬間、それは生成消滅していく現象にほかならなくなるからです。
真我というのは仮にあったとしても誰もそれを提示できないから
非我にならざるをえない。
無我とは断定するのをためらう仏教の一派であっても非我は主張しています。
感じ取れた瞬間、それは生成消滅していく現象にほかならなくなるからです。
真我というのは仮にあったとしても誰もそれを提示できないから
非我にならざるをえない。
無我とは断定するのをためらう仏教の一派であっても非我は主張しています。
920鹿野園 ◆ZTfV4x.y4wpe
2023/03/15(水) 21:01:34.70ID:Iwc31wID ブログ見たけど、まぁ、ねぇ www
921神も仏も名無しさん
2023/03/15(水) 21:02:00.82ID:h4M52KTf 真我ってのは想定にならざるをえない
現象が起こっている時間や場を真我だという主張にしても
現象しか認識できないところに、抽象概念をもってきて
時間や場が真我と言っても、それって想定でしょってことにならざるをえない。
少なくとも仏教ではそういう想定をよしとしない
現象が起こっている時間や場を真我だという主張にしても
現象しか認識できないところに、抽象概念をもってきて
時間や場が真我と言っても、それって想定でしょってことにならざるをえない。
少なくとも仏教ではそういう想定をよしとしない
922神も仏も名無しさん
2023/03/15(水) 21:22:50.37ID:pEF8hw4M 禅宗では、真我とは言わないけれど、本来とか、本来の自己はある、ということだと思いますね。。
語録などを見ると、帰郷、ふるさとに帰る、という表現がよく出てくる。。
言葉を覚えて、物心つく、というだけならまだいいんだけど、そっから、自我による認識、思い込みの世界、
を実在であると信じ込むようになってしまった。
そっから、元に戻る、本来に帰るって、なかなか大変な道のりですよ。。
知識も分別も捨てない、持ったまま、心の故郷に帰る。。
これは、自己を忘れる、とか、脱落というのと同義でしょうけど、勉強して、わかったらいいとかじゃないので、
人によっては、相当な大手術、みたいにならざるを得ないのではないかな?w
語録などを見ると、帰郷、ふるさとに帰る、という表現がよく出てくる。。
言葉を覚えて、物心つく、というだけならまだいいんだけど、そっから、自我による認識、思い込みの世界、
を実在であると信じ込むようになってしまった。
そっから、元に戻る、本来に帰るって、なかなか大変な道のりですよ。。
知識も分別も捨てない、持ったまま、心の故郷に帰る。。
これは、自己を忘れる、とか、脱落というのと同義でしょうけど、勉強して、わかったらいいとかじゃないので、
人によっては、相当な大手術、みたいにならざるを得ないのではないかな?w
923神も仏も名無しさん
2023/03/15(水) 21:48:17.08ID:pEF8hw4M >>907
アースティカは、存在するという意味だったんですね。。
アスティカシア高等専門学園、というのも、たぶんそこからとったんでしょうね。。w
ヤフー質問箱で、質問してた人がいましたが、ちゃんとした答えはありませんでした。。
うーん、アニメとかドラマの脚本書く人は、頭いいなーといつも感心しますが、
ヴェーダの知識を盛り込んだ造語ということなんでしょう。。
以上、独り言みたいになってしまいましたが。。w
アースティカは、存在するという意味だったんですね。。
アスティカシア高等専門学園、というのも、たぶんそこからとったんでしょうね。。w
ヤフー質問箱で、質問してた人がいましたが、ちゃんとした答えはありませんでした。。
うーん、アニメとかドラマの脚本書く人は、頭いいなーといつも感心しますが、
ヴェーダの知識を盛り込んだ造語ということなんでしょう。。
以上、独り言みたいになってしまいましたが。。w
924神も仏も名無しさん
2023/03/15(水) 22:05:39.66ID:pEF8hw4M 今、迷ってるとか、非本来である、というのもちがうんだけど、今に落ち着く、というのが、道ではあるんだけど、
それだけではない、ということだろうな。。
本来、というのがあるわけだから。。
だけど、そういうもともとに帰るためには、どこへも行こうとしない、今に落ち着く、ということが必要なんでしょうね。。
それだけではない、ということだろうな。。
本来、というのがあるわけだから。。
だけど、そういうもともとに帰るためには、どこへも行こうとしない、今に落ち着く、ということが必要なんでしょうね。。
925神も仏も名無しさん
2023/03/16(木) 05:07:31.00ID:kT0RgXXi テーラワーダ、否定はしないけど、禅の悟りから見るとやっぱり変なんだよね。。
4段階悟りがあるとか、階級に堕ちまくってるし、煩悩と菩提と別ではないことも知らないわけだ。。
だから、禅から見ると、だいぶ原始的というか、単純すぎというか、智慧が無いように思える。。w
禅の悟りで悟り終わった人であれば、十牛図にあるように、酒屋の主人とか、猟師さんなど、素朴な人々と対話するだけで、
成仏させることができるでしょう。。
だけど、テーラワーダに、そういう智慧は無いですね。。
4段階悟りがあるとか、階級に堕ちまくってるし、煩悩と菩提と別ではないことも知らないわけだ。。
だから、禅から見ると、だいぶ原始的というか、単純すぎというか、智慧が無いように思える。。w
禅の悟りで悟り終わった人であれば、十牛図にあるように、酒屋の主人とか、猟師さんなど、素朴な人々と対話するだけで、
成仏させることができるでしょう。。
だけど、テーラワーダに、そういう智慧は無いですね。。
926神も仏も名無しさん
2023/03/16(木) 05:09:15.12ID:kT0RgXXi 煩悩って、そもそももとをただせば、生命力であり、自我であり、ということで、
別に悪いものではないんですよ。。
煩悩があった方が、菩薩のパワーも強い、活溌溌地で、自我を持ったまま活動できる。。
jだから、そういう生命力とか、ダイナミズムがない教えには、僕は魅力を感じないですね。。
別に悪いものではないんですよ。。
煩悩があった方が、菩薩のパワーも強い、活溌溌地で、自我を持ったまま活動できる。。
jだから、そういう生命力とか、ダイナミズムがない教えには、僕は魅力を感じないですね。。
927神も仏も名無しさん
2023/03/16(木) 05:14:11.34ID:kT0RgXXi チベット仏教でも最高の教えは、ゾクチェンであり、これは、禅の悟りとほとんど同じです。。
基盤が密教だから、もちろん、煩悩は否定しない。。
サムイエの宗論で、禅が密教に敗れたことになっているけれど、密かに本質的な部分では、
禅の悟りを受容して、取り入れた、ということです。。
これは、もちろん、一つの仮説とも言えるけれど、そう言っている学者もいる、ということです。。
基盤が密教だから、もちろん、煩悩は否定しない。。
サムイエの宗論で、禅が密教に敗れたことになっているけれど、密かに本質的な部分では、
禅の悟りを受容して、取り入れた、ということです。。
これは、もちろん、一つの仮説とも言えるけれど、そう言っている学者もいる、ということです。。
928神も仏も名無しさん
2023/03/16(木) 05:17:44.62ID:kT0RgXXi さらに言うと、お釈迦様の仏教の核心部分が、テーラワーダとか、南伝仏教に受け継がれた、
という説も僕は支持しません。。
単純なわかりやすい部分だけ、受容したように思われる。。
たとえば、原始経典で、バーヒア経というのがあるでしょう。。
バーヒアという行者に、お釈迦様が、無我の教えを説いて、バーヒアは即座に悟ったと言われる。。
そっちが核心でしょうね。。
だから、仏法の核心は、無我とか空であって、煩悩が落ちるとかは、付属品というか、副次的なものに過ぎない。。
そっちに拘ると、本質が見えなくなるんじゃないかな?
という説も僕は支持しません。。
単純なわかりやすい部分だけ、受容したように思われる。。
たとえば、原始経典で、バーヒア経というのがあるでしょう。。
バーヒアという行者に、お釈迦様が、無我の教えを説いて、バーヒアは即座に悟ったと言われる。。
そっちが核心でしょうね。。
だから、仏法の核心は、無我とか空であって、煩悩が落ちるとかは、付属品というか、副次的なものに過ぎない。。
そっちに拘ると、本質が見えなくなるんじゃないかな?
929鹿野園 ◆ZTfV4x.y4wpe
2023/03/16(木) 07:48:44.12ID:UBIZnl3z 「大竹晋「悟り体験」を読む―大乗仏教で覚醒した人々―(新潮選書)」では、以下の様に指摘してますけどね。
1 自他忘失体験
2 真如顕現体験
3 自我解消体験
4 基層転換体験
5 叡智獲得体験
禅宗でも見性とか大悟とか大悟徹底とかいうし、禅の見性は法相宗の見道で、南伝大寺派の預流果に相当するっていう聞きますけどね。
1 自他忘失体験
2 真如顕現体験
3 自我解消体験
4 基層転換体験
5 叡智獲得体験
禅宗でも見性とか大悟とか大悟徹底とかいうし、禅の見性は法相宗の見道で、南伝大寺派の預流果に相当するっていう聞きますけどね。
930神も仏も名無しさん
2023/03/16(木) 07:52:54.97ID:bWqEZade “ある”という言葉は、俗諦の中にある。
真諦を捉えようとして、 “ある”と言った時点で
間違い。そこは真諦ではない。
真諦を捉えようとして、 “ある”と言った時点で
間違い。そこは真諦ではない。
931鹿野園 ◆ZTfV4x.y4wpe
2023/03/16(木) 07:53:37.63ID:UBIZnl3z それと、南伝大寺派の坊さんでも、人手不足の時は田植えを手伝ったり等、世俗との関わりが無いって事でもない様だけどね。
批判はいいと思いますけど、もう少し相手の実際・現状をよく確認してからした方が良いと思うけれどね😧
批判はいいと思いますけど、もう少し相手の実際・現状をよく確認してからした方が良いと思うけれどね😧
932鹿野園 ◆ZTfV4x.y4wpe
2023/03/16(木) 11:26:59.87ID:Zu3XhlrR >>907
> 仏教はヴェーダを否定するところから始まったと思っているのかもしれないが、その前提が間違ってるのね
間違いではないと思いますけどね。
https://i.imgur.com/uH0VJNq.jpg
空の思想史: 原始仏教から日本近代へ
立川武蔵
> 仏教はヴェーダを否定するところから始まったと思っているのかもしれないが、その前提が間違ってるのね
間違いではないと思いますけどね。
https://i.imgur.com/uH0VJNq.jpg
空の思想史: 原始仏教から日本近代へ
立川武蔵
933神も仏も名無しさん
2023/03/16(木) 13:51:19.67ID:kT0RgXXi 悟りを求める、というのは、頭上に頭を按ずる、というように、もともと失ってないものを、
さらに求める、って変なことやってるんですよ。。
ニ頭に落ちる、といういい方もあります。。
だけど、求めて、一度は悟らないと、わからない。。
だから、求めて悟る必要はあるんだけど、悟ってみれば、もともと余るところなく、欠けるところもなかったことがわかる。。
さらに求める、って変なことやってるんですよ。。
ニ頭に落ちる、といういい方もあります。。
だけど、求めて、一度は悟らないと、わからない。。
だから、求めて悟る必要はあるんだけど、悟ってみれば、もともと余るところなく、欠けるところもなかったことがわかる。。
934神も仏も名無しさん
2023/03/16(木) 14:01:22.61ID:kT0RgXXi だから、仏陀と言われるような、理想的な人間になるとか、尊敬される立派な人になるとか、
あるいは、理想郷を実現する、というようなことを目指すわけではない。。
最初に、そういう風に考えてしまうと、本質、法、実相、が見えなくなると思いますね。。
そういう理想や、イメージの中には、無いわけだから、わかりにくい、誤りやすい、というのもあるし、
人間の常識、の中にもないので、気づきにくい、というのもある。。
だけど、縁起、空、無我、という法に合致する悟り、というのは、それしかない、ですね。。
人としての相にとらわれ過ぎると、あるいは、仏陀とか仏、というイメージに、捉われると、
わからなくなって、別のものを求めるとか、掴んでしまうのではないかな?
あるいは、理想郷を実現する、というようなことを目指すわけではない。。
最初に、そういう風に考えてしまうと、本質、法、実相、が見えなくなると思いますね。。
そういう理想や、イメージの中には、無いわけだから、わかりにくい、誤りやすい、というのもあるし、
人間の常識、の中にもないので、気づきにくい、というのもある。。
だけど、縁起、空、無我、という法に合致する悟り、というのは、それしかない、ですね。。
人としての相にとらわれ過ぎると、あるいは、仏陀とか仏、というイメージに、捉われると、
わからなくなって、別のものを求めるとか、掴んでしまうのではないかな?
935神も仏も名無しさん
2023/03/16(木) 14:09:15.26ID:kT0RgXXi 「唯仏与仏」で言われるように、まさに、仏法は人の知るべきにあらず、なんですよ。。
で、法が、本質であって、人はその結果であり、ホントは実体がない、ということでしょうね。。
だから、人を見るんじゃなくて、法を見る、ということができないと、わからない。。
もちろん、法ばっかり見ていてはダメなんだけど、本質はそうでしょうね。。
で、法が、本質であって、人はその結果であり、ホントは実体がない、ということでしょうね。。
だから、人を見るんじゃなくて、法を見る、ということができないと、わからない。。
もちろん、法ばっかり見ていてはダメなんだけど、本質はそうでしょうね。。
936神も仏も名無しさん
2023/03/16(木) 14:16:42.64ID:kT0RgXXi 修行ということで言うと、人を、ある型にはめ込んで、という側面があるけれど、
他に接する時は、そうはならない。。
人を解放する、生かす、という方向、死んでいた人を蘇らせる。。
本来、生命力を矯めていく方向ではない。。
だから、輪廻したっていい、ということなんです。。
それがないと、どんどん、身動きが取れない方向へ行くのでは、という気がしますね。。
他に接する時は、そうはならない。。
人を解放する、生かす、という方向、死んでいた人を蘇らせる。。
本来、生命力を矯めていく方向ではない。。
だから、輪廻したっていい、ということなんです。。
それがないと、どんどん、身動きが取れない方向へ行くのでは、という気がしますね。。
937神も仏も名無しさん
2023/03/16(木) 14:28:40.85ID:kT0RgXXi だから、悟りとか、仏とか、仏教とか、基本は、忘れて生活する、ということができないと、
終わらないんでしょうね。。
もとのまんまに帰らないと、帰れないと、オカシイ、中途半端なままでしょうね。。
終わらないんでしょうね。。
もとのまんまに帰らないと、帰れないと、オカシイ、中途半端なままでしょうね。。
938神も仏も名無しさん
2023/03/16(木) 14:31:00.07ID:kT0RgXXi 仏教という取り柄があるとか、それは、俗人というか、自己を忘じ切ってない、ということになるから。。
939神も仏も名無しさん
2023/03/16(木) 16:07:14.72ID:iv1safiO >>938
禅宗のメソッドでは近年はで何人ぐらい
達しているんですか?
できれば教えて欲しいです
ご自身やお仲間でそういう人がいるよーとか
このお寺のあの人は間違いなく達してるよーとか
決して冷やかしとか嫌がらせで聞いているのでは
ありません
禅宗のメソッドでは近年はで何人ぐらい
達しているんですか?
できれば教えて欲しいです
ご自身やお仲間でそういう人がいるよーとか
このお寺のあの人は間違いなく達してるよーとか
決して冷やかしとか嫌がらせで聞いているのでは
ありません
940神も仏も名無しさん
2023/03/16(木) 16:33:34.16ID:kT0RgXXi >>939
昔行ってた、禅寺の師匠は、わしの弟子は5割以上は悟ってる、と言ってました。。
もちろん、在家は含めません。。
出家の内弟子の方、という意味です。。
そのお師家さんは、もう遷化されてしまいましたが。。
昔行ってた、禅寺の師匠は、わしの弟子は5割以上は悟ってる、と言ってました。。
もちろん、在家は含めません。。
出家の内弟子の方、という意味です。。
そのお師家さんは、もう遷化されてしまいましたが。。
941神も仏も名無しさん
2023/03/16(木) 16:40:24.12ID:kT0RgXXi 何かを達成する、ということではホントは無い、といった方がいいのかな?
もともとそうであったというところにしか、落ち着ける場所は無いのだから。。
もともとそうであったというところにしか、落ち着ける場所は無いのだから。。
942神も仏も名無しさん
2023/03/16(木) 19:04:09.95ID:XwJc9dIM >>940
十人にも満たないってところじゃないですか?
ミャンマーではメディテーションセンターが複数あって
戒は守らないといけないですが、何教を信じても瞑想体験ができます。
もちろんお金を持参したほうがいいのでしょうけど
お金のない人でも衣食住を保障してくれます。
そして1年もあれば悟りが体験できるそうです。
一定数瞑想が向かない人たちがいるそうですが、だいたいの人は悟れるそうです。
十人にも満たないってところじゃないですか?
ミャンマーではメディテーションセンターが複数あって
戒は守らないといけないですが、何教を信じても瞑想体験ができます。
もちろんお金を持参したほうがいいのでしょうけど
お金のない人でも衣食住を保障してくれます。
そして1年もあれば悟りが体験できるそうです。
一定数瞑想が向かない人たちがいるそうですが、だいたいの人は悟れるそうです。
943神も仏も名無しさん
2023/03/16(木) 19:08:24.64ID:XwJc9dIM 阿羅漢になるのは難しいですけど無我体験なんてのはけっこうすぐ悟れるそうですね
釈尊在世時にすぐ悟れていたのはそういう悟りなのだと思われ
あるいはもともとそういう下地があった人かだろうね
釈尊在世時にすぐ悟れていたのはそういう悟りなのだと思われ
あるいはもともとそういう下地があった人かだろうね
944神も仏も名無しさん
2023/03/16(木) 19:11:09.18ID:XwJc9dIM >>928
客観的に見て釈尊の教えはテーラワーダだと思いますがね
釈尊は空なんて言ってないですし
煩悩即菩提とも言ってない
大乗は在家向けに特化した比較的悟りやすい教えというにすぎないと思いますけどね
客観的に見て釈尊の教えはテーラワーダだと思いますがね
釈尊は空なんて言ってないですし
煩悩即菩提とも言ってない
大乗は在家向けに特化した比較的悟りやすい教えというにすぎないと思いますけどね
945鹿野園 ◆ZTfV4x.y4wpe
2023/03/16(木) 19:44:55.06ID:8mtZ6OFU 「大竹晋「悟り体験」を読む―大乗仏教で覚醒した人々―(新潮選書)」の指摘する悟り体験について、
1 自他忘失体験
2 真如顕現体験
3 自我解消体験
4 基層転換体験
5 叡智獲得体験
大乗仏教では2.以降と見做される様で、いわゆる「ワンネス」「即今」「忘我」等の体験は2.以降に該当しないのでそれとはされない様ですけどね。
1 自他忘失体験
2 真如顕現体験
3 自我解消体験
4 基層転換体験
5 叡智獲得体験
大乗仏教では2.以降と見做される様で、いわゆる「ワンネス」「即今」「忘我」等の体験は2.以降に該当しないのでそれとはされない様ですけどね。
946鹿野園 ◆ZTfV4x.y4wpe
2023/03/16(木) 20:03:23.79ID:8mtZ6OFU それ(2.)を修道論に当てはめると、「預流果」(大寺派)や「見道」(法相宗)や見性(禅宗)に該当するのだとか。
ここでは、その本にある2.以降の体験をされた方を紹介しておきます(禅宗を除く、当時の肩書き)。
山崎弁栄、イレーヌ・マキネス(カトリック修道女)、島地雷夢(島地黙雷三男、クリスチャン)、道籏秦誠(クリスチャン)、フーゴ・エレミヤ・ラサール(カトリック神父)、井上日召(日蓮宗)、平塚らいてう…
勿論、そんな方は数え切れないくらいいるのでしょうけどw
ここでは、その本にある2.以降の体験をされた方を紹介しておきます(禅宗を除く、当時の肩書き)。
山崎弁栄、イレーヌ・マキネス(カトリック修道女)、島地雷夢(島地黙雷三男、クリスチャン)、道籏秦誠(クリスチャン)、フーゴ・エレミヤ・ラサール(カトリック神父)、井上日召(日蓮宗)、平塚らいてう…
勿論、そんな方は数え切れないくらいいるのでしょうけどw
947神も仏も名無しさん
2023/03/16(木) 20:25:49.90ID:kT0RgXXi948神も仏も名無しさん
2023/03/16(木) 20:26:56.90ID:kT0RgXXi ミャンマー行くのもいいかもですが、坐禅でも、チラッと見るくらいなら、早い人は半年もかからないのでは?
僕も、一年はかかってないと思う。。
それからが長かったんだけど。。
僕も、一年はかかってないと思う。。
それからが長かったんだけど。。
949神も仏も名無しさん
2023/03/16(木) 20:28:01.20ID:kT0RgXXi 煩悩即菩提って、公案だと思って参ずればいいと思います。。
本当は、煩悩も菩提もないんですが。。
本当は、煩悩も菩提もないんですが。。
950神も仏も名無しさん
2023/03/16(木) 20:29:52.33ID:kT0RgXXi でも、そんなにミャンマー行きたいなら、行ってみるべきでしょう。。
それで、悟って、また書き込んでください。。
それで、悟って、また書き込んでください。。
951神も仏も名無しさん
2023/03/16(木) 20:30:46.13ID:kT0RgXXi この世のすべてを空しいと感じよとか、空虚であると観ぜよ、という表現ですね、初期仏教の空は。。
952メーテル
2023/03/16(木) 20:58:25.78ID:LIDkCZxP 悟りやサマーディ体験(あるいはそれを追い求める姿勢)が、その後のその人をおかしくさせるパターンが多いのはどうしてでしょうか?
953神も仏も名無しさん
2023/03/16(木) 22:07:32.76ID:kT0RgXXi954神も仏も名無しさん
2023/03/16(木) 22:09:46.32ID:kT0RgXXi でも、悟って一時的に大喜びするとかは、しょうがない面がある。。w
大歓喜みたいになるわけだから、それはしょうがない。。
ただ、いつまでも、正常に戻らないのはおかしいんでしょうね。。
大歓喜みたいになるわけだから、それはしょうがない。。
ただ、いつまでも、正常に戻らないのはおかしいんでしょうね。。
955鹿野園 ◆1EQ8DnpEU58d
2023/03/16(木) 22:44:18.39ID:A18zg3vv >>952
宿業ではないでしょうか・・・
『大仏頂如来密因修証了義諸菩薩万行首楞厳経』というお経があります。
中国選の偽経と云われてますけどね。
そこには五蘊に生じる様々な魔境が叙述されているようです。
正しく戒や定が守られていればそのようなことは起こりにくいのでしょうが、魔が差すというか、何かしらの心の隙間より煩悩障や所知障が入り込み、そのような魔境を生じるのでしょう。
或る意味、エゴ(我執)の自衛というか抵抗なのかもしれません。
宿業ではないでしょうか・・・
『大仏頂如来密因修証了義諸菩薩万行首楞厳経』というお経があります。
中国選の偽経と云われてますけどね。
そこには五蘊に生じる様々な魔境が叙述されているようです。
正しく戒や定が守られていればそのようなことは起こりにくいのでしょうが、魔が差すというか、何かしらの心の隙間より煩悩障や所知障が入り込み、そのような魔境を生じるのでしょう。
或る意味、エゴ(我執)の自衛というか抵抗なのかもしれません。
956メーテル
2023/03/16(木) 22:47:46.30ID:LIDkCZxP リスキーなものですね。
正見が調わないうちは、手を出さない方が無難と思います。
正見が調わないうちは、手を出さない方が無難と思います。
957鹿野園 ◆1EQ8DnpEU58d
2023/03/16(木) 22:50:32.25ID:A18zg3vv 生命の炎、それは或る意味自分自身で煩悩(実は清浄)の炎なのですが、その炎自体に自身が焼かれるのです。
業火の苦しみというものでしょう。
業火の苦しみというものでしょう。
958メーテル
2023/03/16(木) 22:54:54.40ID:LIDkCZxP 薪をくべて、もう余計な物語を再生産しなければいいと思いますが
https://twitter.com/rxnyqngqmjzfyim/status/1632023933510877184?s=46&t=iQBI75obvlXe52u9ao4__g
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
https://twitter.com/rxnyqngqmjzfyim/status/1632023933510877184?s=46&t=iQBI75obvlXe52u9ao4__g
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
959鹿野園 ◆1EQ8DnpEU58d
2023/03/16(木) 23:07:21.92ID:A18zg3vv 定果色
定力のすぐれたる人、禅定観法の人、火光定の入りて火光発現し、光明を現じ、又、六根清浄を得て悉地成就して加被力の自在を得、念仏三昧発得して仏界を見、或いは八地巳上の菩薩となり、砂石を転じて金玉となし、自在所生の実色を現ずる色なり。
故に定自在所生色又は定所引色とも云うなり。
定力のすぐれたる人、禅定観法の人、火光定の入りて火光発現し、光明を現じ、又、六根清浄を得て悉地成就して加被力の自在を得、念仏三昧発得して仏界を見、或いは八地巳上の菩薩となり、砂石を転じて金玉となし、自在所生の実色を現ずる色なり。
故に定自在所生色又は定所引色とも云うなり。
960神も仏も名無しさん
2023/03/16(木) 23:47:29.65ID:P+D8czOa >>940
有難うございます
生涯で5人も導かれたんでしたら
相当の方だと思います
私の先生や私の体験から考えても
そうであって当然だろうと思います
まあ問題はその後どこまでいけるかですね
そこからはもう個人の資質かなと思います
無我までなら少々強引な方法でも
根性でなんとかなるんですが
私なんかはお腹が一杯でもう食べられないよ
って感じで昔みたいに強引にはできなくなってます
今は the 坐禅 って感じです
そうかー 自分みたいな理解されない困った人を
助けている人が禅は続いてるんですね
なんか嬉しいです 有難うございました
有難うございます
生涯で5人も導かれたんでしたら
相当の方だと思います
私の先生や私の体験から考えても
そうであって当然だろうと思います
まあ問題はその後どこまでいけるかですね
そこからはもう個人の資質かなと思います
無我までなら少々強引な方法でも
根性でなんとかなるんですが
私なんかはお腹が一杯でもう食べられないよ
って感じで昔みたいに強引にはできなくなってます
今は the 坐禅 って感じです
そうかー 自分みたいな理解されない困った人を
助けている人が禅は続いてるんですね
なんか嬉しいです 有難うございました
961神も仏も名無しさん
2023/03/17(金) 00:08:02.60ID:FeqxSfCG >>952
サマーディの場合はですね
よくあるのが不思議な体験をするからです
昔も書いたんですが
精神集中が恒常的になって生活中も
弱〜いサマディ状態が続くようになると
他の人には見えたり聞こえたりしない
自分だけにしか感じないそういうものが
何の脈絡もなく突然起こったります
タチが悪いのは自分の想像力では絶対にこんな
音や映像が現れるはずが無い
って感じのことが起こりうるんですね
だからこれは本物だって思う人も中にはいます
根底に恐怖や願望が隠れていると
出現する現象に反映されたり
現象の解釈を自分にフィットするようにしたり
そういう可能性もありますね
他にも性格暗めの方向性のサマディだと
どうしても一時的に心身の活動が低下気味になるので
記憶力の低下とか自律神経が混乱したりなど
性格や行動が変わったように見えることもあります
サマーディの場合はですね
よくあるのが不思議な体験をするからです
昔も書いたんですが
精神集中が恒常的になって生活中も
弱〜いサマディ状態が続くようになると
他の人には見えたり聞こえたりしない
自分だけにしか感じないそういうものが
何の脈絡もなく突然起こったります
タチが悪いのは自分の想像力では絶対にこんな
音や映像が現れるはずが無い
って感じのことが起こりうるんですね
だからこれは本物だって思う人も中にはいます
根底に恐怖や願望が隠れていると
出現する現象に反映されたり
現象の解釈を自分にフィットするようにしたり
そういう可能性もありますね
他にも性格暗めの方向性のサマディだと
どうしても一時的に心身の活動が低下気味になるので
記憶力の低下とか自律神経が混乱したりなど
性格や行動が変わったように見えることもあります
962神も仏も名無しさん
2023/03/17(金) 00:32:25.58ID:FeqxSfCG >>952
悟りの場合は何を持って悟りというかが難しいのですが
私や私の先生の場合でいうとですね
私の場合は輪廻転生やエネルギーや神通力の話は
胡散臭いなー そんなことはあってもなくても
修行に関係ないじゃ無いかと思ってました
先生もちょっとだけそういうことを言ったりします
何で悟ったとされる多くの人は変なこと言うんだろうと
信用無くすかもしれないのに と思ってました
ですが修行が進んでくると発生するんですね
輪廻転生がしっくりくる考えのきっかけとか
ごく短期間ですけどしょーもない神通力の体験とか
ああ.... そういうことか 先生が話すのも無理ないわ
と思いました
ただ気をつけなければいけないのは
そういう実際体験したことだとしても
一切気にしない 大袈裟にしないことです
まあこうは言っても自身の願望がそれを望んでいたら
そういう方向へ体は勝手にいってしまうんですが
そうでないなら予め知識として注意しておくのが
良いと思います
自身が本当に望んでいることは何か
今はどうなのかを感じるようにしておくのが良いかもです
悟りの場合は何を持って悟りというかが難しいのですが
私や私の先生の場合でいうとですね
私の場合は輪廻転生やエネルギーや神通力の話は
胡散臭いなー そんなことはあってもなくても
修行に関係ないじゃ無いかと思ってました
先生もちょっとだけそういうことを言ったりします
何で悟ったとされる多くの人は変なこと言うんだろうと
信用無くすかもしれないのに と思ってました
ですが修行が進んでくると発生するんですね
輪廻転生がしっくりくる考えのきっかけとか
ごく短期間ですけどしょーもない神通力の体験とか
ああ.... そういうことか 先生が話すのも無理ないわ
と思いました
ただ気をつけなければいけないのは
そういう実際体験したことだとしても
一切気にしない 大袈裟にしないことです
まあこうは言っても自身の願望がそれを望んでいたら
そういう方向へ体は勝手にいってしまうんですが
そうでないなら予め知識として注意しておくのが
良いと思います
自身が本当に望んでいることは何か
今はどうなのかを感じるようにしておくのが良いかもです
963メーテル
2023/03/17(金) 05:46:07.04ID:HstnzR6h ありがとうございます。
不思議な体験に引き摺られて身心のバランスを崩し、新しい物語を創造しちゃうのですね。
これもある意味で輪廻でしょう。
魚川祐司さんが『仏教思想のゼロポイント―「悟り」とは何か―』で、悟りとは、世界の終りと述べられてましたが、これでは真逆ですね。
新しい物語を輪廻しちゃう人と戯論世界を終わらせる人
前者は苦しそうで後者はお気楽そう
この違いはなんでしょうか?
不思議な体験に引き摺られて身心のバランスを崩し、新しい物語を創造しちゃうのですね。
これもある意味で輪廻でしょう。
魚川祐司さんが『仏教思想のゼロポイント―「悟り」とは何か―』で、悟りとは、世界の終りと述べられてましたが、これでは真逆ですね。
新しい物語を輪廻しちゃう人と戯論世界を終わらせる人
前者は苦しそうで後者はお気楽そう
この違いはなんでしょうか?
964神も仏も名無しさん
2023/03/17(金) 06:47:49.20ID:Jl3QSRwd 悟ったらお気楽になる面もあるけど、それだけじゃないでしょうね。。
継いでいかなければならない、責任も生じるから。。
あとは、まあ、その人が生きる環境によって、お気楽どころじゃない人もいらっしゃるでしょう。。
悟ったら、迷いがもともと無かった、とわかる。。
迷いがなかったとは、悟りもない、ということでもある。。
だから、禅宗は特に、悟ったあとは、悟りを消していくわけで、いつまでもそれがあるっておかしいんですよ。。
テラワダが、どうか知りませんが、そういうプロセスのどっか途中で、引っかかってしまうと、
悟ったさん、困ったさんになってしまうんでしょう。。w
継いでいかなければならない、責任も生じるから。。
あとは、まあ、その人が生きる環境によって、お気楽どころじゃない人もいらっしゃるでしょう。。
悟ったら、迷いがもともと無かった、とわかる。。
迷いがなかったとは、悟りもない、ということでもある。。
だから、禅宗は特に、悟ったあとは、悟りを消していくわけで、いつまでもそれがあるっておかしいんですよ。。
テラワダが、どうか知りませんが、そういうプロセスのどっか途中で、引っかかってしまうと、
悟ったさん、困ったさんになってしまうんでしょう。。w
965神も仏も名無しさん
2023/03/17(金) 06:51:50.81ID:Jl3QSRwd だけど、修行するなら、悟らんとしょうがないと思う。。
修行して、悟ってないけど、成果がありました、いいことがありましたとか、そういう中途半端なのはよくない。。w
そんなんなら、やらん方がよかった、ということだと思う。。w
なんか取り柄とか、自慢の種をつくって、満足して本でも出してとか、
そっちがはた迷惑なんではないでしょうか?w
修行して、悟ってないけど、成果がありました、いいことがありましたとか、そういう中途半端なのはよくない。。w
そんなんなら、やらん方がよかった、ということだと思う。。w
なんか取り柄とか、自慢の種をつくって、満足して本でも出してとか、
そっちがはた迷惑なんではないでしょうか?w
966神も仏も名無しさん
2023/03/17(金) 06:54:03.42ID:Jl3QSRwd 悟ってないのに、なんかわかった気になる、というのは、非常によくない。w
5ちゃんに書くくらいなら、流れて消えるから、まだいいが。。
悟ってないでわかったつもりでは、嘘言っちゃうことになるから。。
しかも、よさげなことを言うわけでしょう、仏道修行しましたなんてのは、、w
そういうの、あんまり信じない方がいいですよ。。
真っ赤な嘘の場合が少なくないので。。w
5ちゃんに書くくらいなら、流れて消えるから、まだいいが。。
悟ってないでわかったつもりでは、嘘言っちゃうことになるから。。
しかも、よさげなことを言うわけでしょう、仏道修行しましたなんてのは、、w
そういうの、あんまり信じない方がいいですよ。。
真っ赤な嘘の場合が少なくないので。。w
967神も仏も名無しさん
2023/03/17(金) 06:55:04.88ID:Jl3QSRwd 仏教という素晴らしいものがある、というのは、半分ホントだけど、究極的には、嘘でもある。。
だから、どっちもわかっている人が、説かないと、嘘になるでしょうね。。
だから、どっちもわかっている人が、説かないと、嘘になるでしょうね。。
968神も仏も名無しさん
2023/03/17(金) 07:49:22.86ID:Jl3QSRwd969神も仏も名無しさん
2023/03/17(金) 07:55:47.87ID:Jl3QSRwd 修行過程では、妄想と現実と勘違いしてしまったりという、転倒夢想を治す、という側面があるから、
主客未分のグチャグチャが、だんだん、主客はっきり分けれていく、というプロセスがあるように思う。。
思い込みの世界から、だんだんと客観的世界へ行く。。
その後に、脱落というか、主客共に忘ずる、というような体験へ行く、ということかなと思う。。
主客未分のグチャグチャが、だんだん、主客はっきり分けれていく、というプロセスがあるように思う。。
思い込みの世界から、だんだんと客観的世界へ行く。。
その後に、脱落というか、主客共に忘ずる、というような体験へ行く、ということかなと思う。。
970神も仏も名無しさん
2023/03/17(金) 08:01:02.84ID:Jl3QSRwd 一果明珠なんて、禅語もあるけれど、すべて一心の中に入っているとも言える。
だから、世界とか、世間が、実在ではない、と思い込んでもよくないかもですが、
人が認識していているものであるならば、客観的に外にある、というのも、ちとちがうでしょうね。。
自己の認識、あるいは、メディアの言っていることでもそうですが、そういう人の認識と、
認識されるものは、不可分、不二ということだと思います。。
だから、世界とか、世間が、実在ではない、と思い込んでもよくないかもですが、
人が認識していているものであるならば、客観的に外にある、というのも、ちとちがうでしょうね。。
自己の認識、あるいは、メディアの言っていることでもそうですが、そういう人の認識と、
認識されるものは、不可分、不二ということだと思います。。
971神も仏も名無しさん
2023/03/17(金) 08:03:58.25ID:Jl3QSRwd だから、心とは、厳密に言うと、鏡のよう、ではない。。
鏡は、鏡の像と、映されるもの、が分かれている。。
だけど、心は、心と心に映っているものは、分けられない、不二ですよね。。
物を映しているだけの時は、心が無いとも言える。。
そこらへんは、大事なことだと思いますが。。
鏡は、鏡の像と、映されるもの、が分かれている。。
だけど、心は、心と心に映っているものは、分けられない、不二ですよね。。
物を映しているだけの時は、心が無いとも言える。。
そこらへんは、大事なことだと思いますが。。
972メーテル
2023/03/17(金) 09:13:19.46ID:HstnzR6h 誰かと思えば、ぶち抜いて普通。。wの人ですね
973神も仏も名無しさん
2023/03/17(金) 09:37:57.17ID:Jl3QSRwd メーテルさんもぶち抜いてあげましょうか?w
974メーテル
2023/03/17(金) 09:48:14.40ID:HstnzR6h 私は、障子紙ではありません。。笑
975神も仏も名無しさん
2023/03/17(金) 10:32:36.30ID:Jl3QSRwd 障子紙をぶち抜く小説がありましたね~、石原ちん太郎。。w
976鹿野園 ◆ZTfV4x.y4wpe
2023/03/17(金) 11:16:11.39ID:Fzx5I6SB >>963
> 新しい物語を輪廻しちゃう人と戯論世界を終わらせる人
> 前者は苦しそうで後者はお気楽そう
> この違いはなんでしょうか?
染汚(ぜんま)の有無ではないでしょうか。
例えばお釈迦様も凡夫も等しく病になりますし、等しく苦痛はあると思われます。
また、凡夫もお釈迦様も等しく、眼耳鼻舌身がそのまま色声香味触と受け止められる(現量)でしょうけど、倶起する意識に於いて凡夫は我執に染汚されてる(非量または比量)と思われます。
つまり、痛みが痛みのままなら痛みのままで「戯論世界」が終わるのでしょうけど、そこにそれ以外の事を想起する事が「新しい物語を輪廻する事」だと思うんです。
まぁ、病気の最中でも禅定を保つという仏道修行が続くって事なのかもしれません。
> 新しい物語を輪廻しちゃう人と戯論世界を終わらせる人
> 前者は苦しそうで後者はお気楽そう
> この違いはなんでしょうか?
染汚(ぜんま)の有無ではないでしょうか。
例えばお釈迦様も凡夫も等しく病になりますし、等しく苦痛はあると思われます。
また、凡夫もお釈迦様も等しく、眼耳鼻舌身がそのまま色声香味触と受け止められる(現量)でしょうけど、倶起する意識に於いて凡夫は我執に染汚されてる(非量または比量)と思われます。
つまり、痛みが痛みのままなら痛みのままで「戯論世界」が終わるのでしょうけど、そこにそれ以外の事を想起する事が「新しい物語を輪廻する事」だと思うんです。
まぁ、病気の最中でも禅定を保つという仏道修行が続くって事なのかもしれません。
977鹿野園 ◆ZTfV4x.y4wpe
2023/03/17(金) 11:36:07.40ID:Fzx5I6SB あと、神通力って、なんというか、眼耳鼻舌身意による色声香味触法の感受にブースト効果がかかる事かもしれません。
お釈迦様は成道された時、
「奇なるかな、奇なるかな、一切衆生悉く皆な如来の智慧徳相を具有す。ただ妄想執着あるがゆえに証得せず」
って仰ったそうですけど、普段50しか感受されてないのが、染汚が落ちる事によって70とか80になったのかも知れません。
お釈迦様は成道された時、
「奇なるかな、奇なるかな、一切衆生悉く皆な如来の智慧徳相を具有す。ただ妄想執着あるがゆえに証得せず」
って仰ったそうですけど、普段50しか感受されてないのが、染汚が落ちる事によって70とか80になったのかも知れません。
978神も仏も名無しさん
2023/03/17(金) 11:38:30.96ID:GYdapDpm >>932
否定していないと思います。
ヴェーダを補完したと表現すべきではないでしょうか。
そして実際、隠れ仏教徒とも言われていたシャンカラの登場によって
ヴェーダそのものが再構築されヴェーダーンタ(ウパニシャッド)が現在のように整備されました。
一方衰退の一途を辿っていた仏教はタントラヨーガを取り込むことで密教化し、
それがやがて弘法大師の真言密教やチベット仏教として異国で再生することになりました。
山崎弁栄上人の伝記を読んでいますと、弁栄聖者はキリスト教にも深い理解を示し、
また所謂シッディとしか言えない能力も頻繁に発動されていることがわかります。
このことに我々はもっと留意する必要があります。
日本の仏教史上において特筆すべきこの聖者の生き方を学ばないといけません。
否定していないと思います。
ヴェーダを補完したと表現すべきではないでしょうか。
そして実際、隠れ仏教徒とも言われていたシャンカラの登場によって
ヴェーダそのものが再構築されヴェーダーンタ(ウパニシャッド)が現在のように整備されました。
一方衰退の一途を辿っていた仏教はタントラヨーガを取り込むことで密教化し、
それがやがて弘法大師の真言密教やチベット仏教として異国で再生することになりました。
山崎弁栄上人の伝記を読んでいますと、弁栄聖者はキリスト教にも深い理解を示し、
また所謂シッディとしか言えない能力も頻繁に発動されていることがわかります。
このことに我々はもっと留意する必要があります。
日本の仏教史上において特筆すべきこの聖者の生き方を学ばないといけません。
979鹿野園 ◆ZTfV4x.y4wpe
2023/03/17(金) 12:25:44.90ID:Fzx5I6SB >>978
仏教は無(非)我説ですからねぇ。
ヤージュニャヴァルキヤ以来、脈々と「真我論」にて貫かれてきたヴェーダ・ウパニシャッド哲学へのアンチテーゼです。
確かにその後は、相互に影響を及ぼしながらの展開はありますが、「無(非)我説」と「真我説」の平行線が交わる事はありませんでした。
仏教徒であれば、仏教が包括的にヴェーダに取り込まれる事は、宗教的存在価値の喪失を意味すると思うんです。
従って、その様な説を肯べなう事はあり得ません。
仏教は無(非)我説ですからねぇ。
ヤージュニャヴァルキヤ以来、脈々と「真我論」にて貫かれてきたヴェーダ・ウパニシャッド哲学へのアンチテーゼです。
確かにその後は、相互に影響を及ぼしながらの展開はありますが、「無(非)我説」と「真我説」の平行線が交わる事はありませんでした。
仏教徒であれば、仏教が包括的にヴェーダに取り込まれる事は、宗教的存在価値の喪失を意味すると思うんです。
従って、その様な説を肯べなう事はあり得ません。
980鹿野園 ◆ZTfV4x.y4wpe
2023/03/17(金) 12:32:12.66ID:Fzx5I6SB 自教の宗教的な存在価値を保持する事が宗教的な排他主義を意味しない事を補足しておきます。
981メーテル
2023/03/17(金) 12:45:08.83ID:455G8Qno982神も仏も名無しさん
2023/03/17(金) 15:15:04.32ID:qpBMtxCG983鹿野園 ◆ZTfV4x.y4wpe
2023/03/17(金) 15:28:21.82ID:hjVfs9hV984鹿野園 ◆ZTfV4x.y4wpe
2023/03/17(金) 15:38:54.96ID:Rkhd2wIu 非我、つまり「非ず、非ず、非ず→無(ない)と同じ」という変遷から無我になったと学びましたけどね。
985神も仏も名無しさん
2023/03/17(金) 15:48:18.22ID:Jl3QSRwd 誰でもいいからぶち抜きて~、という妄想が湧きました。。w
986鹿野園 ◆ZTfV4x.y4wpe
2023/03/17(金) 15:56:05.28ID:Rkhd2wIu 重ねて申し上げますが、その「非ず非ず…」と排してゆき、最後に何か残るというのが基体説、つまりヴェーダ、バラモン教、ウパニシャッドヒンズー教へ脈絡と継がれてきた「真我」説、「いいえ、ありません」というのが仏教「無(非)我」説と理解してますけどね。
987メーテル
2023/03/17(金) 16:27:47.56ID:HstnzR6h >>985
ㄘんこで障子に北斗神拳してればよろしいやん。。笑
ㄘんこで障子に北斗神拳してればよろしいやん。。笑
988神も仏も名無しさん
2023/03/17(金) 16:40:09.46ID:Jl3QSRwd われ北斗ちん拳の使い手なり。。w
989メーテル
2023/03/17(金) 16:45:57.27ID:HstnzR6h 私はもう死んでいる。。笑死
990神も仏も名無しさん
2023/03/17(金) 17:01:10.59ID:FeqxSfCG >>963
私の勝手な解釈ですが
ズバリ! まだ心が自由で遊びを求める余裕が
残っているということだと思います
生徒にはいい迷惑の場合も大いにありそうですが
ご本人にとっては以前よりも自由になって
体裁なんて気にならなくなって
昔よりも自由でしょう
悪いことではないと思います
ご本人にとってはですが
それから気をつけないといけないのは
先生の教えるテクニックの一つとして
故意にそういうものが含められている場合もあり得ます
見込みのある生徒を見つけるために大袈裟に
良い意味で惹きつける宣伝してみたり
あと少し背中を押すだけで達しそうなのに生徒のために
嘘(天国地獄とか)で安心させたり脅したりとか
頭でっかちの生徒にはこれまでの全ての教義が
ひっくり返るような問いを聞かせたり など
私の場合は信じる思い込む結論を出す
ということに引っ張られそうになる対抗手段として
常に この世は未来の科学者が作ったシミュレーション
である可能性を排除しないでいます
お釈迦さまやキリストは技師がテストで発生させた
イベントかも? なんて感じで
近年はそれに類する可能性に言及する科学者が
本当にいるみたいですが
私の勝手な解釈ですが
ズバリ! まだ心が自由で遊びを求める余裕が
残っているということだと思います
生徒にはいい迷惑の場合も大いにありそうですが
ご本人にとっては以前よりも自由になって
体裁なんて気にならなくなって
昔よりも自由でしょう
悪いことではないと思います
ご本人にとってはですが
それから気をつけないといけないのは
先生の教えるテクニックの一つとして
故意にそういうものが含められている場合もあり得ます
見込みのある生徒を見つけるために大袈裟に
良い意味で惹きつける宣伝してみたり
あと少し背中を押すだけで達しそうなのに生徒のために
嘘(天国地獄とか)で安心させたり脅したりとか
頭でっかちの生徒にはこれまでの全ての教義が
ひっくり返るような問いを聞かせたり など
私の場合は信じる思い込む結論を出す
ということに引っ張られそうになる対抗手段として
常に この世は未来の科学者が作ったシミュレーション
である可能性を排除しないでいます
お釈迦さまやキリストは技師がテストで発生させた
イベントかも? なんて感じで
近年はそれに類する可能性に言及する科学者が
本当にいるみたいですが
991鹿野園 ◆ZTfV4x.y4wpe
2023/03/17(金) 17:21:40.08ID:36I9DaPe あのブログとここのレスってMさんかも〜。
992メーテル
2023/03/17(金) 18:01:20.14ID:HstnzR6h993神も仏も名無しさん
2023/03/17(金) 18:28:27.80ID:IsnCxS42 >>992
失礼しました
新たな物語を作ってしまうタイプの人に対しての
私の見方的なものと
指導の為に故意にエキセントリックな嘘をついている
可能性もあるという意味でーす
先生は在家の一般人で迷惑かかりそうなので勘弁して下さーい
失礼しました
新たな物語を作ってしまうタイプの人に対しての
私の見方的なものと
指導の為に故意にエキセントリックな嘘をついている
可能性もあるという意味でーす
先生は在家の一般人で迷惑かかりそうなので勘弁して下さーい
994メーテル
2023/03/17(金) 18:57:20.99ID:HstnzR6h >>993
エキセントリックな嘘をついている可能性もあるかもと思ったら、都度率直に粘り強くぶつけた方がいいと思いますよ。
昔と違って、さまざまな指導者や情報が溢れていますし、その姿勢で学べることも大いにあるかと思います。
グルイズムなんてもう時代遅れだし、流されるままに気がつけば第二の麻原彰晃なんて洒落なってませんから
エキセントリックな嘘をついている可能性もあるかもと思ったら、都度率直に粘り強くぶつけた方がいいと思いますよ。
昔と違って、さまざまな指導者や情報が溢れていますし、その姿勢で学べることも大いにあるかと思います。
グルイズムなんてもう時代遅れだし、流されるままに気がつけば第二の麻原彰晃なんて洒落なってませんから
995神も仏も名無しさん
2023/03/17(金) 19:33:55.56ID:/Iaf4NSZ996神も仏も名無しさん
2023/03/17(金) 19:44:38.69ID:/Iaf4NSZ997神も仏も名無しさん
2023/03/17(金) 21:33:52.11ID:Jl3QSRwd998神も仏も名無しさん
2023/03/17(金) 21:36:19.86ID:Jl3QSRwd 道本円通ということで、既にぶち抜かれている。。
というわけど、ぶち抜く前にぶち抜かれている、北斗ちん拳は、向かうところ敵なし、なのであります。。w
というわけど、ぶち抜く前にぶち抜かれている、北斗ちん拳は、向かうところ敵なし、なのであります。。w
999神も仏も名無しさん
2023/03/17(金) 21:43:21.71ID:Jl3QSRwd 世俗との関わりって、たとえないとしても、エネルギーが高い人であるなら、その人がこの地上に存在するだけで、
全体を益する、ということがあるみたいですね。
チベット仏教などでは、そういう風に言われる。。
もちろん、これは人による、パワーグルみたいなタイプとそうでない、普通の人といる。。
だけど、坐禅、瞑想する人は、パワーが溜まりやすい、ということだから、あまり荒れてはいけないというか、
それなりの責任が伴うんでは、と思う。。
全体を益する、ということがあるみたいですね。
チベット仏教などでは、そういう風に言われる。。
もちろん、これは人による、パワーグルみたいなタイプとそうでない、普通の人といる。。
だけど、坐禅、瞑想する人は、パワーが溜まりやすい、ということだから、あまり荒れてはいけないというか、
それなりの責任が伴うんでは、と思う。。
1000神も仏も名無しさん
2023/03/17(金) 21:46:46.96ID:Jl3QSRwd 波動とか、エネルギーとか言うと、スピリチュアルみたいだけど、そういうのないわけではない。。
おれは、けっこうスピっている人間かもだ。。w
でも、密教ってそういう世界だよね。。
おれは、けっこうスピっている人間かもだ。。w
でも、密教ってそういう世界だよね。。
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