>>45

色々書かれてますが、内容はあなたの主観の域を一歩も出ていないような気がします。
スマ長老を仮に「麻原尊師」に替えても、麻原信者であれば同じように言うと思いますよ。

要するに、いずれも客観的な証明が出来ないからです。
一番確実なのは「現証」といえますが、テラワダはその前段階の「文証」すら証明出来ていません。
さらにまた、その前々段階の「理証」ですら曖昧です。

宗教はその人の人生を変えます。
だからこそ、慎重に宗教の高低浅深を精査すべきだと思うのです。
一生を無駄に過ごさない為にも。

>ある人にはaといい、またある人には逆のbということもあり得ます
>事実を大事にするのではなく

そうですね。衆生の機根に応じて様々な方便や比喩を通して、衆生を真実の方へと誘引する説法の仕方ですね。
「随他意」の説法とも言いますね。

原始仏教も、真実の教えである「法華経」へ誘引するための方便と言えるでしょう。
その原始仏教に執着して迷っているのがテラワダ諸君だと思う。

>悟った人に師事して修行するのは仏教では大前提です。

悟っているかどうかは私たちには判定できません。
そもそも信仰心の基準はそんなところにあったわけでは無いでしょう。

ただし、師匠は絶対に必要です。
師弟なくして仏法は理解出来ません。無ければ、だだの自己満足の世界でしか無い。