>>365
1行目 覚者よ
末行 自灯明は、灯せる仏と、灯せない人間とねさで分けられてるという事をどうか覚えておいてほしい。
俗世間と新世界は生き方が違うぞ。

末後の一句。

儂はのう〜、1行目と末行は飛ばせと申しておるんじゃ。
末後の一句と。の隙間を見てみろのう。
わずかだが隙間があるだろう。
それも見分ける力をお主は持っておると言うとるんじゃがのう。
平等即差別 差別即平等。
どなたもこなたもこの能力を有しておる。
すなわち涅槃眼を持っている。
これは一隻の眼と呼ばれ正法を具有しておると古来より呼ばれておるのじゃ。
それを正法眼蔵と名づく。
その言葉はだのう、初代様のお言葉かもしれんが、
自身を見失った者に言う事で、釈迦に説法と言う言葉も世間にはあるのう。
自灯明はどなたも具有しておられるのじゃ。これを悉有仏性と言うのう。
この悉有は有る無しの有るではないのう。
悉有でありながら仏性であることの仏性でありながら悉有である。
このいずれでもない。そこまでハッキリ差別する覚者と、そうでない者の差別すら出来ると言うことだのう。
これをアナン、なんと言う?
有難き事に御座いますと、シャカに答えたんだのう。
儂が何と言っとるか考えるだけで遅うて遅しなんじゃよ法とは、
仏で非らぬ者などおらん。
法のある事、宇宙の全大すら一呑みで、
砂つぶほど隙間がない。
たとえ灯が見えなくとも点いておるからシャカは言ったんだろうのう。儂はそう思うぞ。