発言の内容などはどうでもいいのw  「我はある」と言おうが、「我はない」と言おうが、どっちでもいいわけw
要は、→「発言という果」 に対する「因」・・・・この「因」を「Aさんという基体」と捉えるのか
あるいは、「Aさんという名称で呼称している単なる現象」と捉えるかの違いさw
前者のように世俗的視点から捉えるのも、勿論ありだが、仏教はそれとは異なる視座も提示してくれる・・・
すなわち、「発言者たるAさん」を「発言を行った基体」と捉えるのではなく、「発言という現象が起こった因・・・・
存在ではなく、あくまでも一つの現象」 と捉えること。  そういう視点さw
人間を「存在」と捉えるのではなく、「現象」として捉えられるか・・・・ここがポイントでしょ?

さて、どうかな? 出来るだけ仏教用語は使用せずに、「文字表記」において
(超初心者用に)無我を説明したつもりだが、まずいかい?ww (まあ、外道のすることだからww)
相衣性とか自性の欠落とか・・・・そういうのは、またいつかww