だから、「苦を感じる主体の存在(我)」を認めることは、仏教の根幹が崩壊することになるのw

では、なぜ釈迦は、はっきりと「我などない」と言い切らなかったのか? 理由は二つあるの。
@当時のインドは、まさにヒンドゥー社会。そこで、「我(アートマン)などない」と言い切ったらどうなる?
瞬く間に、ヒンドゥー教徒との論争になるね? ヒンドゥーの教えは、アートマン存在が絶対だから。

釈迦は、そのような他教との論争を極度に嫌ったの。それは最古層文献などに、繰り返し説かれてる。
そのような形而学上の論争をするくらいなら、とっとと修行に励め。まあ、毒矢の喩え にもそのスタンス
はよく現れているw 「無記」というのは、まさに釈迦の形而上学的論争の忌避を示してるねw

A上記の@にも関連しているが、釈迦は『経験主義者』なんだよ。
自分で確認したものを基盤に論理展開するの。 単に形而上の思想をああだ、こうだ といっても
解答はない・・・ということを知ってたの。釈迦は、自分で観測、確認できる範疇内に「我」などないことが
わかった。・・・・・しかし、「ない」と断言はしなかった。・・・・この辺も釈迦の賢いところなんだが
「不存在証明の不可能性」をちゃんと理解してたんだ。
・・・・つまり、「ない」ことの証明は不可能。それが分かってたわけ。
もし、「ない」と断言してしまえば、それの証明を求められるでしょ? それを避けたの。
また、「ない」と断言すると、六師外道のアジタと混同される危険性もあったしなw

もし、釈迦が「アートマン」を自己の教説の重要部分であると考えていたなら、必ずどこかで、それを
説いていたはずだ。 だが、そのような経典は全くない。

つまり、表現上は「非我」でも実質は「無我」なんだよw