新しい街並みの中で、みすぼらしくみじめで悲しげな表情でたたずんでいる、
全国に広がる喜べない教会。
 信仰した結果「世間並以下」に落ちぶれた姿を世間に見せつけ、
さらしている教会のいかに多いことか。
天理教信仰しても「救われませんよ」と証明している。
ここの会長さんもきっと喜べてないだろう、小さな看板は上がっているが、
きっと信者もいないに違いない。
組織の歯車として収入の当てもないのに、
不相応な搾取に抗うこともせず、また出来ず、
組織の歯車であることが信仰と思って、その日暮らしをしながら。
上級や大教会の家来のように扱われながらお供金を上納し、
若い頃はおだてられてその気になっても、
30代になれば教団の教える教理は真柱や教団幹部を美化し、
神の教えを曲げたウソの混じった中山教であり、
本当の中山ミキ・おや様の教えではないと誰でも気付く。
上が尊敬には値しない人達であると、嫌という程見聞きし体験する。
気付いた時には手遅れで、末端教会長を続けるしか道が無い。
組織・制度にガンジガラメになった末端教会長が苦し紛れに使い分ける面従腹背、
自分の力では解決できない難しい事は考えない。
ホンネと建て前の二枚舌の人生は、自ら選んだ道とはいえ苦しい。
教団が教えるウソ混じりの中山教は、自分の代で打ち切りにしようと決意し、
後継者も決めず、息子や娘に教会を継がせず、超高齢現役教会長は、
ろうそくの火が燃え尽きるように死去する。これこそまだ良心が残っている、
超高齢現役教会長のまともな出直し方である。