松下整本部長 愛媛県警
<愛媛県警松山東署に窃盗容疑で誤認逮捕された松山市内の20代の女性が1日に手記を発表したことを受け、県警の松下整本部長が同日夜、県警本部で報道各社の個別取材に応じた。女性が「自白強要」と訴えた取り調べについて、本部長は「ただちにアウトではない」との認識を示した。(中略)女性は7月に逮捕され、取り調べ中に「就職も決まってるなら大事(おおごと)にしたくないよね?」「認めないと終わらないよ」と自白を強要するような発言があったと手記で明かした。「犯人なら目の前にいる」とも言われたと県警を批判し、再発防止策の公表などを求めている。(中略)また、再発防止策の公表については、捜査手法を明らかにすることにつながり問題があるとして「考えていない」との見解を示した> 菊村は2007年4月まで刑期を務め、同月、国外退去処分で日本に強制送還された。
帰国と同時に逮捕され、偽造国際運転免許証を使用した偽造有印公文書行使罪で懲役2年、
執行猶予4年の判決を東京地裁で言い渡された。その後の動静は明らかではないが、
公安警察がマークしているのは間違いない。会えるものなら会って、
アテネ時代の話など聞いてみたいものである。菊村に関しては接近遭遇だけだったが、
実際にテロに遭い、死にかけたこともある。1992年4月10日、
ビルの9階にあった邦銀ロンドン支店国際金融課で残業をしていたときのことだ。午後9時20分過ぎ、
ぱっと停電してオフィスが真っ暗になり、次の瞬間、ドワァーンという轟音と、猛烈な風とともに、
無数のガラス片、書類、文房具、椅子など、ありとあらゆるものが頭や背中に飛んできた。
思考の余裕もなく、とっさに近くの机の下に潜り込んだが、
すでに床はじゃりじゃりしたガラス片が敷き詰められていて、てのひらを数カ所切った。
その後、他の行員たちと一緒に階段を使ってビルを脱出し、救急車で病院に運ばれ、
分厚いガラス片でざっくり切れた右手首と左肘を縫う治療を受けた。
テロを引き起こしたのは、北アイルランドの英国からの独立を目指すカトリック系過激派集団IRA
(Irish Republican Army=アイルランド共和国軍)だった。
IRAは当初、シティの象徴であるロンドン証券取引所を爆破するつもりだったが、
警戒厳重で爆弾を置くことができず、近くにあった、働く23階建てのコマーシャル・ユニオン・
ビルのそばに500キログラムくらいの爆発物を置いた。この事件で数十人が負傷し、
3人の死者のうち1人は勤務先の銀行の証券子会社の運転手の15歳の娘だった。
もし爆弾の量が倍だったらビルは倒壊し、筆者を含む全員が死んでいたはずだ。
2005年7月7日には、家内がテロ事件のとばっちりを受けた。その日、自宅で執筆をしていた、
午前9時半頃、東京の総合商社の為替部門で働いている人に用事で電話をすると
「今、ロンドンで爆弾騒ぎがあったらしいですよ」と深刻な口調で告げられた。 間もなく、金融街シティの銀行で働いている家内から電話があり「リバプール・
ストリート駅の近くで爆弾騒ぎがあって、近くのUBS(スイス系銀行)は全員エバキュエート
(避難)した」という。テレビをつけると、市内4カ所で爆発があり、地下鉄は全面停止で、
バスもロンドン中心部では動いていないという。後で、アルカーイダの自爆テロ犯4人の犯行と判明する、
死者56人を出したテロ事件だった。車の運転免許を持っていないので、
タクシー会社何軒かに電話したが、皆話し中か、予約で一杯か、
「テロがあったのにロンドン中心部なんか行けるか」という反応だった。
家内は午後3時過ぎに帰宅を許され、
それからしばらくインターネットなどで交通機関に関する情報収集をした後、
午後4時頃、同じロンドン北部に帰る同僚3人と連れ立って歩き始めた
(シティから我が家までは25キロメートルくらいある)。車道は車で一杯で、
英国人たちも黙々と歩いていたという。BR(英国国鉄)は辛うじて動いていたので駅に行ってみたが、
人で溢れ返っていて、乗るどころではなかったという。英国人の中には、
そのうち何とかなるだろうと、パブでビールを飲みながら時間をつぶす人たちもいたそうである。
家内は、シティから7キロほどのカムデンタウンまで歩き、そこのイタリアン・
レストランで休憩を兼ねて皆で夕食をとり、そこからはバスが動いていたので、夕食後、
バスを乗り継ぎ、夜10時20分に帰宅した。翌朝の新聞は、爆弾で大破した赤い2階建てバスや、
ミイラのように顔を包帯で巻かれた女性の写真で溢れ返り、事件の凄惨さを物語っていた。
テロやテロリストは日常に潜んでいて、一般人にとっては、防ぎようがない。できることは、
不審な人物や物を見かけたら、警察などに速やかに連絡するくらいである。むしろ気を付けるべきは、
欧米など諸外国では、日本とは比較にならないほどテロに対する危機意識が強く、
未然防止に力を入れているため、下手にテロリストに間違われると、その場で射殺されることだ。
英国では、警察官は銃を持っておらず、この点、非常に人権重視だと感心するが、
テロ対策を行なう武装警察官は皆銃を持っている。
そして彼らは、銃の使用に慎重な日本の警察官と違い、西部劇並みにぶっ放す。 2005年7月のテロ事件の2週間後には、テロリストと間違われた27歳のブラジル人の一般男性が、
ロンドンの地下鉄ストックウェル駅構内で、2人の武装警察官に至近距離から頭を7発、肩を1発撃たれ、
即死するという、悲惨な事件が起きた(当然大問題となり、様々な調査が行なわれ、警察は遺族に謝罪し、
賠償金を支払った)。2004年に、オハイオ州デイトン行きのユナイテッド航空機の機内で、
60歳の日本人男性が、新聞にあったsuicide bomb(自爆テロ)
という単語をメモしたのを別の乗客が見て、乗務員に報せ、飛行機が出発地のシカゴ・
オヘア国際空港に引き返し、120人の乗客は全員身体検査を受け、機内は徹底捜索され、
日本人男性は逮捕されて留置所に入れられるという騒ぎになった(後で、英語の勉強と分かり、釈放された)。
これなど、射殺されてもおかしくないケースである。日本では鞄を置いたまま20分も30分もその場を離れる
「置き鞄」という世界に類のない習慣があるが、外国でそんなことをすれば、たちどころに盗まれるか、
爆発物処理班が駆けつけ、場所が空港であったりすれば、空港閉鎖になる(以前、不審物処理のため、
パリのシャルル・ド・ゴール空港が閉鎖になっているのに遭遇したことがある)。
日本人からみれば過剰反応だと思うかもしれないが、宗教対立や人種対立が日本の比ではなく、
テロ事件も格段に多い外国では、テロに対する警戒は「過剰」であることが常識である。
つまらぬ誤解を招くと、テロより怖い目に遭うので、言動には十分注意することだ。
「お試しで逮捕、起訴なんてことはありえないんだよ。俺たちはいいかげんな仕事はできないんだよ。
人の人生狂わせる権力持ってるから、こんなちっぽけな誤審とかで人を殺すことだってできるんですよ。
失敗したら腹を切らなきゃいけないんだよ。命かけてるんだよ、俺たちは。
あなたたちみたいに金をかけているんじゃねえんだ。
金なんかよりも大事な命と人の人生を天秤にかけてこっちは仕事をしてるんだよ。なめるんじゃねーよ。
必死なんだよ」これは大阪地検特捜部の田渕大輔検事(肩書は当時、以下同じ)が、
不動産開発会社の執行役員の取り調べで放った言葉だ。2019年12月のことだ。
田渕の言葉どおり、社長の人生は狂わされた。 否認をし続け248日間勾留された。勾留中に社長を辞任し、自分が創業した株を同業他社に売却した。
ところが逮捕、起訴は検察の大チョンボだった。田渕はウソの供述をさせていた。
大阪地裁はそのことを見抜き、無罪を言い渡した。検察は控訴を断念した。
飛ぶ鳥を落とす勢いだった経営危機に陥れておきながら、
大阪地検から当事者に謝罪の言葉はまったくない。厚生労働省の雇用均等・
児童家庭局長事件で無罪を勝ち取った弁護士は、近著『特捜検察の正体』の中で事件について
「大阪地検特捜部は事件と同じ過ちを繰り返してしまった」と書いている。
事件をきっかけに導入された取り調べの録音録画がされている中で、
田渕は取調室の机をたたき、侮辱し、精神的苦痛を与えた。大阪地裁は
「録音録画された中でこのような取り調べが行われたこと自体が驚くべき由々しき事態」と指摘している。
著書の中で、検察が事件をでっち上げる手法を20に分類している。
事件など過去に受任した冤罪事件での手法だが、これらは今もなお使われている。例えば事件では
「横領を知っていた」という誤った見立てで証拠集めをした。長期勾留し心身ともに追い込んだ。
公安警察が立件した事件は検察の手法そのままだ。「生物兵器に転用可能と知っていて不正に輸出した」
という誤った見立てをし(手法1)、温度の上がらない箇所があるという客観的・
科学的事実には目をつぶり、警部補が供述調書をひたすら作文した。調書に「不正に」
などの化粧を施して真実らしさを装った。検察は公安警察の言いなりになって社長らを起訴した。
検察の権力の源泉は何か。元検察官の弁護士は「人質司法が最大の武器だ」と指摘する。
検察は容疑者を逮捕すると48時間拘束できる。裁判所に勾留が認められると10日間拘束でき、
再度同じ手続きでさらに10日間延長できる。つまり逮捕から最長で22日間拘束できる。
起訴されれば法律上は保釈が可能となる。しかしそれは容疑を認めた場合に限られる。
否認し続けると起訴後、口裏合わせや証拠隠滅、逃亡のおそれがあるとし、
検察は保釈に猛反対する。特捜事件の場合、裁判所は検察に追従する傾向が顕著だ。
なぜ検察は長期勾留で被疑者を追い込むのか。弁護士は「裁判で争わせないようにするためだ」と指摘する。 法廷では検察官が罪状を読み上げ、被告が容疑を認める。まるで儀式だ。
後は執行猶予をつけるかどうかだけで、検察が負けることはない。
刑事事件の有罪率が99.8%と高いことの原因の1つにもなっている。
企業にとって長期勾留の経済的ダメージは大きい。それを見透かして、
「罪を認めてさっさと保釈されたほうが得、という考え方をする人もいるよ」と、
自白を巧妙に促す検察官もいるくらいだ。人質司法に頼るあまり特捜検察の質が低下。
「刑事事件としての立件の当否を判断する能力が劣ってきている」。誤った見立てで経営者・
企業人を逮捕・起訴・長期勾留。供述調書をねじ曲げてきたのが検察の実態だ。
検察庁には「検察官同一体の原則」というものがある。何事も上に伺いを立て、
検察官によって違ったことを言ってはならない。社長は国と東京都を相手に賠償訴訟をしている。
その裁判に、社長らを起訴した塚部貴子検事が証人喚問された。
別の検事が社長らの起訴を取り消しているというのに、
塚部は「当時の判断に間違いがあったとは思わない」とし、謝罪しなかった。
証人台の塚部をほぼ正面の原告席から見ていた社長には
「言いたくないことを言わされているたびに検事の顔色が赤黒く変わったように見えた。
個人の意思を抑えてしまうからダメなんだ。上司に『違う』と言える検察組織にしていかないと、
国としてやばい」。大川原社長は組織を率いる企業経営者として、
検察という組織のいびつさを危惧している。自衛隊の現役幹部やOBに取材を継続していくと、
別班というジグソーパズルのいろいろな形をしたピースが集まり、
少しずつ絵が見え始めてきたという感じだった。しかし、集めたピースは、別班を知る関係者の証言と、
かなり年配の別班OBらの証言に過ぎない。「現役の別班員の声が聞きたい。
その姿を見てみたい」こうした欲求は、日増しに高まっていった。
しかし、別班という組織の本拠地がどこにあるのかさえわからない。もちろん、
別班本部の連絡先や別班員の携帯電話番号など、入手できるわけがない。仲のいい防衛庁(防衛省)・
自衛隊の情報畑の現役、OB幹部に仲介を懇願しても、「それは無理だ」「何を言っているんだ」と呆れられるだけだった。 現役、OBたちの中には、個人的に現役別班員を知っている人もいたと思うが、
なにせ非公然の秘密情報組織だ。紹介するなんて、あまりにも危険な行為であるのは明白だった。
自分の身の安全も考慮しなければならないのは当然だ。そうしたところ、
陸上自衛隊の現役幹部に話を聞けたのは、まさに偶然の賜物だった。
防衛省とは無縁の社会部OBの先輩に「陸上自衛隊幹部なんだけど、面白い奴がいる」と紹介してもらった。
今振り返ると、考えられないほどすばらしいタイミングだった。当時、情報関係の部隊に所属しており、
数ヵ月に一度ほど、飲食店の個室に待ち合わせ二人きりで会っては、情報交換をするようになっていった。
聞く話は、自衛隊幹部とは思えないほど幅広かった。軍事や防衛、治安情報など専門分野以外にも、
政治、経済、社会、国際問題に及び、そして、深かった。彼との情報交換は非常時に有益だったが、
「まだ別班の件は話すのは危険だ。情報関係者に漏れる可能性がある」と考え、
あえて話題に上げなかった。しかし、1年ほど経過した頃、不意に「今、一番関心があることは何か」
と問われたため、イチかバチかで話してみようと決意した。現役の別班員に取材するという計画が、
行き詰まっていたからだろう。「ご存じだと思うが、陸上自衛隊に非公然の秘密情報部隊「別班」
という部隊がある。その部隊が海外に拠点を設けて、情報収集活動をしていると聞いたが」
思い切って切り出すと、複雑な表情を浮かべた。そしてこう話し始めた。
「実はかつて別班にいたことがある。ある事情で(別班を)辞めざるを得なくなったが」まさかの展開、
だった。しかし、話を鵜吞みにすることはできない。単なる経歴詐称かもしれないし、
非公然秘密組織の別班が仕掛けた、ミスリードするための罠の可能性もあるからだ。後日、
所属している部隊の関係者からも話を聞く。陸上幕僚監部人事部の関係者に人事記録を調べてもらう。
詳述できないが、さまざまな角度から周辺を取材したところ、元別班員だと確信するに至った。
そして、別班を辞めざるを得なくなったのは、ふたつの理由があるという説明だった。
ひとつは東京から、海外の情報源(協力者)を遠隔操作していて失敗してしまったこと。 詳しく聞くことはできなかったが、
この海外の情報源がスパイであることを突き止められてしまっただろうことは、想像に難くない。
かの国の治安・情報機関や軍に追われたのか、それとも、敵対勢力に摑まれてしまったのか。
いずれにしても、悲劇的な最期を迎えたに違いない。そして、もうひとつは、別班の同僚を守るために、
自らの身分を明かしてしまったことだという。何から同僚を守ろうとしたのかはわからない。
だが、絶対に破ってはいけない掟―陸上自衛隊員であること、
そして別班の班員だということを明かしてはならないを破ってしまった。この件について、
これ以上話してはくれなかったが、非公然秘密情報組織である別班の想像を超えた厳しさを、
垣間見た瞬間だった。以下は話してくれた体験談だ。ある日突然、
当時所属していた部隊の上官の指示を受け、小学校の心理戦防護課程の入校試験を受けることになった。
面接試験では、教官が「先ほどの休憩時間にトイレに行ったな。
そのトイレのタイルの色を言え」と意表を突く出題をしてきた。情報畑の経験があった、
見た風景の全体を記憶する訓練を受けたことがあり、この出題はなんとかクリアすることができた。
また別の教官は、大陸の形だけが描かれた地域別の世界地図を数枚示して、「X国がある部分を示せ」
と質問した。X国は目立たない小国で、難問だった。「このあたりです」と答えると、
「X国はこの地図には含まれていない。別の地域だ」などという無茶苦茶な出題もあった。
入校のための適性試験は長時間かけて、複数の教官からありとあらゆることを聞かれ、
終了時には心身ともに疲労困憊していた。厳しすぎる試験に「たとえ心理戦防護課程に入校できても、
やっていけるのか。放校になって、原隊に帰されてしまうのではないか」と強く不安を感じたという。
だが、受けた試験は、決して特別なものではなかった。畠山清行著、保阪正康編の『秘録中学校』
に収録されている、小学校心理戦防護課程の前身・中学校の入校試験に関する証言を見ると、
それは明らかだ。〈田崎清人第一期生(当時見習士官)は、
「自分は、かつての陸大の試験をうけた将校から
『今あがってきた階段は何段あったか』ときかれたという話をきいていた。 それで、たぶん、そんな問題が出るのではないかと思っていると、はたして『いま、
エレベーターに乗ってきて、感じたことはないか』と、まっ先にきかれた。『みんな扉のほうを向いていた』
と答えると、こんどは、『謀略とはなにか。もし、それを南方で行なうとすれば、具体的にはどうしたらいいか』
と質問された。それから、家庭の事情、女遊びをしたことがあるかなど、四、五十分も、
四方から質問ぜめにされた」〉〈塚本繁三期生(終戦時大尉)は、「生い立ちから大学を出るまでと、
世界情勢や思想動向をきかれた。『グアム島はどこにあるか。この地図で捜せ』と、世界地図をしめした。
ところが、前もってグアム島だけは消してあった。でたらめをいって、知ったかぶりをするかどうかためしたり、
堅い話からやわらかい話と、われわれのときは、一人に一時間から一時間半もかけて質問した。
あれだけやられたら、どんなに仮面をかぶっていてもはがれてしまうし、性格もはっきりわかる」〉
「トイレのタイルの色」と「エレベーターで感じたこと」、「国」と「グアム島」。
小学校心理戦防護課程の入校試験について取材したのが2010年6月で、『秘録陸軍中学校』
を読んだのがその約2年後。現代の小学校と戦時中の中学校の入校試験の類似性に気付いた瞬間、
驚いた私は思わず声を上げてしまった。心理戦防護課程の面接試験では、
「ここに入る前にいた控え室の机の上にあった新聞は何新聞だったか」との質問もあったという。
さらに、試験を受けていると突然、「電気系統の故障はこの部屋か」と電気工事業者が入室してきて、
教官が「違う。別の部屋だ」と答え、業者は退出。その後教官が「今の男の眼鏡のフレームは何色だったか」
「右手には何を持っていたか」などと質問するテストもあったという。
心理戦防護課程の入校者は基本的には陸上自衛隊員だが、ごくまれに海上自衛隊員、
航空自衛隊員が入ることもあったという。同期は数人から十数人ほど。課程では、
情報に関する座学のほか、追跡、張り込み、尾行、そして尾行をまく訓練もあった。
警察の捜査員顔負けの訓練内容だが、張り込みや尾行についても、警察の外事・公安流ではなく、
伝統の旧陸軍中野学校流≠ナ、両者の手段、方法は全く違うのだという。どう違うのか、と尋ねたが、笑って誤魔化されてしまった。 「ど素人に言っても、分かるはずがない」という笑いだった。基礎教育の修了後には、
朝鮮総聯の幹部に食い込んで内部情報を取ってくる訓練や、突然、地方の町に出張させられ、
町民から怪しまれないようにその町の権力構造を調査する訓練などもあった。万が一、
発覚するような事態になれば大問題に発展しかねない、危険極まりない訓練だ。そう言えば、
作家の三島由紀夫が陸上自衛隊調査学校教育課長の山本舜勝から指導を受けた、
東京都台東区の山谷地区に潜行する訓練や、
厳戒態勢の陸上自衛隊東部方面総監部への潜入訓練と似ているが、これも決して偶然ではないだろう。
「自衛隊は公に認めていませんが、別班は存在すると言われています。
太平洋戦争の前に大日本帝国陸軍の情報機関として中学校が作られましたが、
別班は中学校の卒業生を集めて作ったと言われています」思わぬ人物からメールが届いた。
「メールの送り主は防衛省情報本部出身の男性で、
早期退職して現在は民間企業に勤務しているそうです。著書も読んでいました。ビジネスの話がしたいと、
接触してきたのです」情報本部は、国の安全保障に関わる動向分析を行っている。
「用心して、公衆電話からメールに記載されてあった彼の携帯に連絡しました。
すると、どうしても会って話をしたいというので、数日後、レストランで会食することになりました」
そこで、彼から驚くべき話を聞かされたという。「『信じてもらえないかもしれませんが』と前置きして、
『実は、別班に所属していました』と言うのです。流石に驚きましたね」
別班が作られた経緯を聞いてみた。「戦後に警察予備隊ができた頃、
陸軍参謀本部の情報将校だった藤原岩市が中学校の残党を集めて別班を作ったそうです。
藤原は中学校の教官も兼務していました。彼は1941年、駐バンコク日本大使館に派遣され、
アジアの民族解放を手がける特務機関『F機関』の長として活躍。彼らの任務はマレー人、
インド人、華僑を味方にすることでした。『マレーの虎(ハリマオ)』
と呼ばれたマレーシアで暮らす谷豊を諜報要員として起用したのが藤原でした」別班の拠点は、
東京の小平市にあったという。「小平には現在、小学校がありますが、そこで特殊訓練を行ったといいます」
別班はその後も脈々と受け継がれ、今に至るという。 「今は、日本全国にある自衛隊基地から優秀な隊員を選考し、
特殊訓練を行っているそうです。訓練が終わると所属部隊に戻るのですが、
海外で不穏な動きをしているテロ組織を調査するために召集されるそうです。
別班はエリートの集まる防衛省情報本部出身者が多かったといいます」召集された別班は、
テロ組織のある国へ外交官として派遣され、情報収集を行うという。「かなり以前は、
非合法的なこともやっていたそうです。例えば、革命勢力に資金提供したこともあったといいます」
別班だったことが判明。会社の同期でテロ組織のモニターとなり誤送金を指示し拘束し自白剤を飲ませ、
自殺に見せかけ殺害した。「今の別班は、非合法的なことは一切しないそうです。
日本を敵と見なしている国の軍事情報を入手したり、武器の性能を調べたり、
軍隊がどれだけテロ組織と通じているかなどの情報収集を行うのが主な任務ということでした」
旧知の防衛省関係者に、別班にいたという人物について問い合わせてみた。
「情報本部に在籍していたことが確認できました。ただ、彼が別班であったかどうかはわかりません。
しかし、彼の話を聞いていると、別班にいたことは間違いないと思いました」それにしても、
その男性はなぜ接触したのか。「一緒に調査会社を立ち上げようと持ちかけられました。
私の人脈と彼の人脈があれば成功すると言うのです」実は、警察にも別班と同じような組織があるという。
「『ゼロ』と呼ばれている組織です。47都道府県から優秀な警察官を選び、
警察庁で特殊訓練を受けさせるのです。訓練が終わると、所属した警察署に戻りますが、
地下鉄サリン事件や国松孝次警察庁長官狙撃事件などの大きな事件が起こると召集されます。
テロ組織の調査のために召集されるという点で別班と似ていますね」
あるときは異国で現地人に変装し、広範な情報網を開拓する、またあるときは数十人のチームを指揮し、
捜査対象者への大規模な尾行を展開する。日本に数百人存在するとされる公安の外事警察官たちは、
日々こうしたオペレーションを密かに行っているという。警視庁公安部の元外事警察官。
警視庁に1990年代半ばに入庁し、在職していた半分以上の期間で公安セクションに所属し、
任務に当たっていた。海外での諜報活動を、実際にアフリカのある国で行っていたそうだ。 「警視庁公安部外事一課というセクションに所属していたのですが、
あるときアフリカのある国で情報網を築くよう、極秘指令を受けました。身分は“警視庁警察官”から
“外務省在外公館警備対策官”となり、外交官の身分で外事警察官として現地に入り、
日本へのテロなどの脅威に関する情報収集をすることを命ぜられたのです」
公安の外事警察官は、「日本へのテロ、そして日本の国益を損なうような情報をとにかく集めること」
を指示されたという。「私は2000年代にアフリカに派遣されたのですが、
情報収集のため、まずは現地国の情報機関の人間との接触を続けました。
当時は現地国の情報機関内で情報漏洩事案があり、
こちらが接触を呼びかけても相手がかなり疑心暗鬼になっていた。ファーストコンタクトに苦労しました。
こちらが日本警察の外事警察出身の外交官であることをしっかりと伝え、
信用してもらいました」警察官から外交官に身分を変えて任務に就いていたが、
外事警察官でありながら外交官として諜報活動することのメリットは「大きかった」と明かす。
「1つは不逮捕特権があるということ。もう1つは外交機密費という、
いわゆる活動費を十分に使うことができたことです」海外で諜報活動をする際には、
日本国内での公安のオペレーションのようにチームで動くことができない。
つまり、自身や家族の身辺警護も含めてたった1人でオペレーションのすべてをこなす必要がある。
「私は家族を連れて現地に赴任したので、自身はもちろん家族に危害が及ばないよう、
細心の注意を払っていました。現地では外交ナンバーの私用車を使っていたので、
ときどきマークされていました」車両で移動するときはかなり神経を使っていたという。
あるとき、私用車で移動していると、後ろの車両が明らかに尾行している様子を見せていた。
そこである“点検”をしてみたそうだ。黄色信号で停まる素振りをしつつ、直進する。すると案の定、
背後の車も直進してきた。ここで特殊運転のテクニックを使った。左右の安全を確認し
「ジャックナイフ」と呼ばれる運転技法を用いて急ターンをしたのだ。そこから一気に反対車線へ移り、
背後の車両を振り切ったという。「家までつけてこられたらアウトですから、絶対に巻かなくてはいけないのです」。 外事警察官にはこうした特殊運転技術を必ず学ぶ過程があり、
実際のテストコースを使用して厳しい訓練が行われるのだという。外事警察官は異国の地で、
さまざまなリスクに対応しながら情報収集を進めていく。農業視察のオモテの活動のウラで、当時、
天然資源を巡り深刻化していた民族間の争いに関する情報収集を、外事警察官として行っていた。
では、どのように公安の外事警察官は選抜・育成されていくのだろうか
「警察にも自衛隊の秘密情報部隊『別班』のような組織が存在する」とした上で、
「この組織の出身者の多くが外事警察官として活動している」と明かす。
その組織は警察庁が全国の公安警察部門から選び抜いた精鋭たちからなり、
「専科講習」という名の厳しい訓練が行われるという。
招集されたエリート公安警察官たちは所属の警察本部を退職し、特殊な訓練を受ける。
その組織に関わった経験を持ち、海外での情報収集方法を講義したことがある。
ちなみに参加していた公安警察官たちは出席確認の際、全員偽名を名乗っていたという。
講習では極左暴力集団や世界中のテロ組織の研究などの座学に加えて、特殊な実践訓練が行われる。
講習では尾行や秘聴、秘撮、読唇術、そして鍵開けの方法、果てはマジック(手品)
を習得する過程があるという。外事警察と自衛隊別班との違いは、
徹底して法令を順守するという点だと指摘する。
「外事警察はあくまで法に基づいて権限を執行する警察官ですから、
ときに法を無視する別班のような行動は基本的にできません。鍵開けの技術も、
閉じ込められてどうにもならない、命の危険を感じた際に使うものです。
かつては民間企業に警察官の身分を隠して入社し諜報活動にあたるといったケースはあったそうですが、
現在ではそうした違法性の高い活動はしていないと聞いています」
別班と公安部外事四課の攻防が繰り広げられたが、2つの組織の関係性は実際どのようなものなのか。
外事警察と別班は同様の業務を行うものの「あからさまな敵対関係にはない」と話す。
なぜなら別班は自衛隊の部隊で、 警察が扱う領域と別班が扱う領域は違う。
そのため基本的に現場でかち合うことはないというのだ。一体どのような領域の違いなのだろうか
「別班の強みは、外事警察が触れることができない軍事情報を入手していることです。 例えばテロリストの拠点からロケットランチャー3基が発見されたときに、
外事警察はその存在はわかっても、性能まではわからない。対して、
このロケットランチャーがどのぐらい強い破壊性能を持っているか、具体的には、
かなり大きな飛行機まで撃ち落とせるとか、ということは、別班員は瞬時に判別できるんです」別班は、
潜入先の国の軍事情報を入手することを最優先の任務としている。軍の組織形態、キーマンの指揮官、
軍の内情をスパイ活動によって入手している。現地に人を介して情報網を開拓するヒューミントや、
偵察衛星を用いた詳細な軍関係施設やゲリラ組織の所在地情報の取得など、
自衛隊組織としての強みを活かした活動を日夜展開している。
2015年にシリアで国際テロ組織によって日本人2人が殺害された事件の際に、
別班の影を感じたことがあったという。「2人が殺害される瞬間を映像で公開するなど、
日本人の人命が失われたテロ活動ということで、
外事警察も現地で情報収集を行って官邸に報告を上げていたのですが、
その中に外事警察情報ではない軍事情報が複数報告されていたことを後日、知りました。
あれは間違いなく現地に展開する別班からの情報が上げられていたのだと思いました」
外事警察も別班も、過酷なミッションを成し遂げる拠りどころは一体何なのだろうか。
「過酷な任務を遂行できるのは、
日本をテロの危機から必ず守るという愛国心が支えになっているからです。
危険を冒して入手したテロにつながるかもしれない情報が日本の安全に貢献する、
あるいは犯罪の流入を防ぐことにつながることを信じて、ひたすら任務に邁進するのです」
いまこの瞬間も遠い異国の地で外事警察官、
別班員が日本の危機を未然に防ぐべく動いているのは間違いない。
ベルリンではすぐに医者にかかるのは容易ではない。10日後になってようやく医者に行くことができた。
それは、私の住む地区にある普通のクリニックだった。医師は2人いたが、
すぐに、これはコロナの遅発性後遺症だと言った。「半年ほど続くでしょう。
半年たってもよくならないようならまたいらしてください」。でも、エコーでは何も異常はなかったし、
お腹も診察してもらった。私は採血をしてくれと医師たちを説得した。ほっとしてクリニックを出た たいしたことはないようだ、すぐによくなるだろう。でも血液検査の結果は悪かった。
肝酵素のALTとASTが正常値の5倍もあったのだ。尿検査もしてもらった。血が混じっていた。
医師たちはもう冗談も言わなかった。より経験豊富な別の専門医に引き渡された。
彼女はまず最初に、「ウイルス性肝炎か何かでしょう、おそらく戦場からもらってきたんでしょうね。
見つけて治療を始めましょう」と言った。肝炎の検査は陰性だった。症状は変化していった。
腹痛はそれほど強くなく、めまいも減った。力はまったく出なかった。顔がむくみ出した。それから、
指にもむくみが出てきた。私はやっとのことで指輪を外したが、再びはめることはできなかった。
指はソーセージみたいだった。足の裏もむくみ出した。むくみはどんどん大きくなり、
顎のラインがなくなって、私の顔は私の顔ではなくなってしまった。
鏡に映った姿を自分だと認識するのに時間がかかった。時々、
心臓が走っているときのように早く打つようになった。手のひらや足の裏が焼けるように熱をもち始め、
真っ赤になっていった。何をしてもへとへとになった。階段を下りるのも大変だった。
時々散歩に出た15分か30分ほど。そうすると帰らないといけないくらい疲労した。眠れなくなってしまった、
もう痛みのせいではなかった。眠らなければならないということを脳が忘れてしまったみたいだった。
何時間もじっと横になったままで、恋人を起こさないようにしながら、天井を見つめ、
自分にはいったい何が起きているのだろうと考えていた。肝酵素は上がり続けていた。
尿には相変わらず血が混じっていた。医者に通い続けた。医師たちは仮説を立て、
検査をし、次のような結論を出した。自己免疫疾患、複雑性腎盂腎炎、全身性疾患だと。
信頼できる医師たちに連絡をとってくれた。ある医師はまたもやウイルス性肝炎の検査をした
(結果は陰性)。病院から家に帰る途中で、その医師から「薬物を投与された可能性はありますか」
とメッセージが来た。「ないです、そこまでの危険人物ではないですから」と返事をした。
二人で笑った。「そうよね、一番簡単な説明だよね。ジャーナリストなら、すぐに毒を盛られるってね」
と彼女は言った。またクリニックに行った。検査結果は新たなラウンドに入った、数値は悪化していた、 ALTは7倍も高くなっている。私と医師は診察室にいた。
彼女は黙ったまま紙をめくっていた。彼女が言った、「残っている可能性は2つ。
ひとつは、服用している抗うつ剤が異常に作用し出したのかもしれないということ。
でも最近薬を変えたのに同じ症状が残っていて、血液検査の数値も同じ。それから二つ目の可能性。
落ち着いて聞いてね。あなたは毒を盛られたかもしれない」。笑い出した。医師は黙ったまま。
「それはありえない」と私は言った。医師は、「他の可能性はすべてありえないの。申し訳ないけど、
病院の毒物科に行かないといけない」それから3日間、横になったまま考えていた。何を考えていたのか、
今は覚えていない。初日に話したことに対して、そんなのバカげてる、誤診だよ、正しい診断ができなくて、
もう調べたくもなかったんでしょうと言っていた。そのあと黙っていた。それから連絡をし、
どうしたらいいのか考え始めた。毒物検査を受けるには警察に行かなければならない。
それで警察に行った。警察署から病院に送られた。病院に警官たちが来て、
医師たちにいろいろと質問をした。最初の事情聴取は刑事警察で行われ、9時間も続いた。
警察官たちの関心は、私がどんな仕事をしてきたのか、どんな仕事をするつもりなのか、
誰とコンタクトを取ったのか、いま同僚の誰とコンタクトを取っているのか、ということだけだった。
分刻みで思い出さなければならなかった。部屋や持ち物の放射線測定もされた。
自身も放射能測定を受けた。身に着けていた物は取り上げられた。警察は「安全のため」
にアパートをチェックした。「なぜブラインドを開けたままで暮らしているんですか
向かいの家のバルコニーから撃たれるかもしれませんよ」と言われた。
警察官たちは、安全規則を遵守するようにと言った。どんな規則「アパートを移ること。
帰宅するときはその都度ルートを変えること。タクシーを使うときは目的地まで行かず、
1ブロック先で車を降りること。外を歩くときはサングラスをかけること」。
「それで十分ですか」「まあ、生き延びるチャンスは増えるでしょう」警官たちは意地悪だった。
彼らはそれを表には出さなかったけれど、3回目の事情聴取の後に喋り出した。
捜査官は、公園で射殺された元独立派司令官の殺人事件を捜査した人だった。 犯人はすぐに捕まった目撃者とビデオカメラのおかげだった。
パスポートの名義はなっていたが、ジャーナリストと警察が、彼の本名は、
保安庁とつながっていることを確認した。彼は「治安組織で、政府の指示により」
殺人を犯したとして、終身刑を言い渡された。裁判官はこの事件を「国家的テロ」と呼んだ。
2022年に二度も囚人交換リストに入れたが、これを拒んだ。この同じ捜査官は1年前には、
出版人でメンバーの毒殺事件を捜査していた。せん妄状態で痙攣しながら、
プライベート機で病院に搬送された。すでに友人たちが、病院が監視下にあることに気づいていた。
警察は保護し、捜査を開始した。「しかし何も立証できなかった。毒物の特定すらできなかった」
「なぜですか」「ラボで『この人物は毒を投与されたのか』と問うことはできないからだ」。
「『体内組織中にこのような物質はあるか』と問うことならできる。だが、その手の物質は何千とある。
だからこの殺害方法は人気なのだ」。「なぜ警察に来るのがこんなに遅くなったのか理解できませんね。
電車の中で気分が悪くなったときにすぐに警察に電話すべきだったでしょう。
我々が駅まで迎えに行ったのに」「でも、これが毒物投与だとは思っていなかったんです。
今でも信じられません」「どうして思わなかったの」「そんなことを考えるなんて変だったし」
「だから」「自分は安全だと感じていたんです」「ほら、それが腹立たしいんだよ」と捜査官は言った。
「あんたたちはここに来ると休暇中だと思っている。ここを楽園かなんかだとね。
自分の身を守らなきゃならないとは誰も思っちゃいない。ここでだって政治的な殺人事件はいくつもある。
特殊機関も活動している。あんたやあんたの同僚たちの暢気さは話にならんね」。
警察の捜査の過程については教えてもらえなかった。記者会見で、編集長が近づいてきた。
脇に連れていくと、「君に個人的な質問がある。でもその前に話しておくことがある。
今、一連の服毒事件を調査している。犠牲者は女性ジャーナリストたちだ。君に聞きたかったんだ。
君はかなり長いこと、何も書いていないようだけど健康状態のせいなのか」それで、
今話していることを彼に打ち明けた。検察庁が、殺人未遂容疑だった件は打ち切りになったと知らせる手紙を寄こした。 捜査の結果、私を殺そうとしたことを示すいかなる証拠も出てこなかったと。
「血液検査の数値は、毒物投与を明確に示すものではない」と。問い合わせに答えた医師たちは、
身に起きたことを説明するものとして最も可能性が高いのは有機塩素剤による中毒だと話している。
この情報を警察に伝えた。検察庁は事件の再捜査を開始した。今何が起きているのだろう
痛みと吐き気とむくみは引いた。体力は戻っていない。退職したまだ出張などまったくできる状態じゃない。
今は1日3時間しか働けない。その時間は増えてきてはいるが、ゆっくりとだ。何もできない日もある。
そのときは横になって、自分を嫌いにならないよう努力している。この文章を書きながら、年表を作り直し、
重要なディテールをすべて思い出そうとした。でも、どんなディテールが重要なのだろう友人が来た。
彼は出版人で、活動家でもジャーナリストでも政治家でもない。彼はうちに来て状態にぞっとした。
毒を盛られたかもしれないってわかってる医者には言ったのと彼は言った。
「言ってないし、言うつもりもない。だって馬鹿げているでしょう」と返した。
自分の妄想をうつさないでと。警察官たちに嘘をついた。「そんなことを考えるなんて変」ではなかった。
働いている間に、4人の同僚が殺されたのだ。ジャーナリストの葬儀をしたのだ、
彼は友人だった。ジャーナリストたちが殺されていることは知っていた。
自分が殺されるかもしれないなんて考えたくなかった。嫌悪感、羞恥心、そして疲労が、
そういう考えから引き離していた。死を望む人たちがいるなんて考えるのは嫌だった。
そんなことを口にするのは恥ずかしかった。親しい人にだって話すのは恥ずかしいのに、
あそこは警察だったのだ。それに疲れていて、もう走る力など残っていないと感じていた。
「生きていたい」殺そうとし、同じことをしようとした連中は、またやろうとするかもしれない。生きていたい。
もしも急に具合が悪くなったら、どうか、毒物投与の可能性を否定せず、そのことを医師に伝えてほしい。
自分を守ってほしい。もしも、すでにそういうことがあなたの身に起きているなら、
調査員に連絡を取ってほしい、彼らは殺そうとしている者たちを探している。
現実に公安警察官たちがどのように論理を実践へと移しているのか。 発覚したケースは少ない。だが公安警察官OBの証言や期せずして明るみに出た事例を辿るだけでも、
論理がきわめて忠実に、あるいは時に巧みに応用されていることが分かる。
沖縄県警の公安警察官だった島袋修は著書『封印の公安警察』の中で自らが運営した協力者「A-6」
(協力者に付されたコードナンバー)の「対象者選定」から「獲得」までの経緯を克明に記している。
「基本手順」が忠実に実行されていることが具体的に浮かび上がる。「ある日私は、『赤旗』
を小脇に抱えて走り回っている新聞少年に出会った。共産党の若き「エリート活動家」であり、
格好のターゲットであった。彼が高校でバスケット部に入っていることや、
夜は那覇市内のビルの屋上にあるビアガーデンでアルバイトをしていることも事前に調べあげた。
そこで私は、昼間、彼が『赤旗』を配達している途中、偶然出会ったふりをして声をかけ、
夜のビアガーデンでは、『おやっ、君はここで働いていたのちっとも知らなかったなあ』と驚くふりをして、
言葉巧みに接触していった。何度かの接触で彼の心がうちとけた頃、次の段階として、
勘定の時は多めに金を渡し、少しずつ私から金を受け取るように仕組んでいった。当時、
A-6はまだ高校生であり、進学や就職のことで悩んでいた。私は親身になって彼の相談に乗ってやり、
同時に、金銭面での援助をするようになった。毎月2〜3万円の小遣いをあげて、
『僕にも共産党の勉強をさせてくれないか。資料が欲しいな』と言う私に、
彼も私が警察関係の人間であることを察知したようだが、すでに遅かった。
金銭的魅力に取りつかれ、私から逃げられない間柄になっていたのである。
A-6はまさに、張りめぐらされた毒グモの糸にひっかかった蟻であった。A-6はやがて、
積極的に私のスパイ業務に手を貸すようになってきた」協力者獲得工作は、公安警察の歴史上、
途切れることなく、連綿と続いてきた情報収集法である。その手法はかつても今もさほどの相異はない。
大阪府警平野署の公安警察官が忘年会帰りに内部資料を落とすという失態を演じたのは、
1958年12月のことだった。落とし主は同署警備課の係長。
文書は係長が逐一下す指示により部下が協力者の獲得と維持に必死になっている様子が手に取るように分かる興味深い資料である。 工作対象者は若い共産党シンパ。「処置」というのは上司から部下への工作の指示内容、
「印象」というのは接触時に公安警察官が対象者に抱いたイメージ、(3)は「接触」を意味し、
(5)は対象団体である共産党への入党を意味する符号である。[昭和33・7・3]
「印象」前回のお祝い(5000円)に対して、嬉しそうに礼を言っていたし、表情も明るく快活によく話した。
許婚者が彼の自宅を訪問する旨語っていた。[7・31]「処置」作業遂行の面から考慮して、
破談になる方がプラスとなるので言動には特に注意すること。「印象」同人は報告要領が悪いので、
(3)の都度、是正指導が必要であると認められた。[8・7]「処置」対象の安易感を払拭し
(5)に対する熱意を促すと共に、常時(5)の意義を確認させ、督励に努めるよう留意されたい。
「印象」本人は明るい表情でよく話したが、結婚問題を気にしているため、
作業上のことはチョット消極的。[8・25]「指示事項」結婚問題で相談したり、意見を求めたりすること。
これは信頼と親密度を急速に高めるために役立つ。[9・8]「指示事項」これからは週一回以上の
(3)をして、この結果を聞きたい。[9・17]「印象」当方のために「なにか」をしなければ
という気持ちが充分読みとれた。報告書は以下、複数の協力者、
あるいは協力者候補に対する同様の記述が延々と続くが、
ここで報告書内の協力者工作のうち代表的な一例を、可能な限り原文に忠実に再現してみようと思う。
平易にするため隠語や符合の一部を平文にしたが、原則的に推測を排した。
1958年9月1日。大阪府警平野署警備課の係長「つじい」と部下の「さとう」「くらさき」は、
ある男に対する協力者獲得工作のため、一般の警察官「はやし」を同席させて検討会を開いた。
時刻は午後一時から二時間。ターゲットになったのは対象団体組織の幹部K夫妻と親しいA
(いずれも報告書内は実名)。狙いはAを通じてK夫妻及び団体内部の情報を得ること、
そしてA自身を忠実な協力者として団体内部に送り込むことだった。検討会ではまず「くらさき」
がAの本籍、住所、家族構成を報告。続いて基礎調査によって判明したAのデータを発表した。
以前、Aは大阪市浪速区内で駄菓子店をしていたが、夏はアイスクリームの外交員として働いていた。 現在は夫妻宅の付近に居住し、夫妻宅で開かれた会合などに出席。政治意識を買われて信頼され、
親交があるようです」続いて面識がある警察官「はやし」が報告した。「現住地に転入以来、
交際を続けています。世話をして防犯懇談会を開催した際に懇意になりました。以来、
数回にわたって飲食を共にし親交を重ねています。動静や集会情報など自発的に提供してくれており、
好意的、協力的です。前に家で酒を飲ませてもらったので、今度は私の家に招くことになっています」
「はやし」の報告を受けた「つじい」らは、情報提供に好意的であり、
支持者として信頼されていることから一般協力者としての獲得条件があると判断。今後指導・
説得すれば対象団体内に正式に加入し、情報提供をするスパイになる可能性が十分にあるとにらんだ。
「つじい」らは方針を固めた。「家に招待する約束になっているんだな。では、まずは親交のある『はやし』
を介して接触を図ろう。場所は『はやし』の家では防衛上問題がある。東住吉区のお好み焼き屋にしよう。
場所の設営は『くらさき』がやれ。日取りは9月4日の午後7時。前日の午後は『はやし』と『くらさき』
の二人が場所を点検して、店の主人に『はやし』を紹介しておけ。今回は手がかりをつかむ程度でいい。
協力要請も行わず、暗示する程度にしておくこと。それから今後は作業員にまかせて『はやし』
は手を引け。悪感情を与えない程度に距離をおくように」全員が了解し、午後3時、検討会は終わった。
当日の午後7時10分。打ち合わせどおり、Aを連れた「はやし」が東住吉区のお好み焼き屋に入った。
店内に客として待機していた作業員は、「はやし」が席に着いて注文を済ませ、トイレに立つと、
わざとらしく大きな声で呼び掛けた。「珍しいところで会ったな。こんなところにも来るのか」
「ちょっと連れがいてな。まあ一緒に来いよ」席に戻った「はやし」は作業員を紹介した。「こいつ、
同じ会社の者でね、いい男なんだ」同じテーブルに加わった作業員はできるだけ自然に場を盛り上げた。
表面上は明るくこだわりもみせなかったが、作業員に対しては当たらず障らずの受け答えをしていた。 作業員は直感的に作業の意図を察知したと感じたが、酒と煙草、パチンコなどが好きだという
お好み焼きを口にしながら対象団体の動向や活動内容を話した。作業員がテーブルを離れた後、
「あの人、何をしている人なんだ」と聞かれた「はやし」は「保安関係の仕事だよ」とだけ答えた。
翌日の午前10時。署内の一室に「つじい」と「くらさき」が顔をそろえ、再び検討会が開かれた。
「我々の意図を察知している気配がある。徐々に作業目的を説明し、協力要請する。
対象団体の主義主張を説明し、視察の必要性を説こう」そう判断した彼らは九月九日、「はやし」
を通じて秘密裏に平野署に呼び、説得にかかった。もともと対象団体に批判的な感情も持っていた
意外と素直に説得に応じた。「わかった。絶対に協力関係がバレないようにしてほしい。だが、
わたしは対象団体のメンバーじゃないから参考程度しか分からないぞ」「つじい」らはこう答えた。
「われわれの指示どおりに動いてくれればいいんだ」彼らには育てがいのある男に見えた。
いずれは正式に対象団体に加入し、情報を持ってくる強力な協力者に仕立て上げる
そんな腹づもりだった。協力を約束した「つじい」たちは不安や動揺を与えないよう配慮する一方で、
幹部Kと親交を深めつつ接触するよう指示した。期待に応え、
たちまち宅で行われた集会の様子や参加者といった情報を提供するようになる。
徐々に信頼も得るようになった、9月22日の検討会では報酬金を与えることが決められる。
4日後の夜。「つじい」らは団体機関紙の入手を持ちかけ、快諾を得ると2000円を手渡した。
「機関紙代や交通費にかかる費用の足しにしてくれ」そう言う「つじい」らに、いったんは
「そんな心配はしなくていい」と固辞したが、結局は現金をポケットにしまい込んだ。
情報提供と引き替えにカネを受け取るのは協力者として後戻りできない一線を渡ったことを意味する。
工作は大きなヤマを越えた。今後の接触は安全を考えて西成区の旅館が使われることになった。
順調にいっているかにみえた協力者工作に突然、障害が発生したのはその直後のことだった。
「つじい」らから機関紙入手の依頼を受けた九月末、団体の幹部に対し、二部もの購読を申し込んでしまったのだ。 幹部から「どうして二部も必要なのか」と問われ「知り合いに革新的な考えの人がいるので読ませたい」
と答えた。だが報告を受けた「つじい」らは焦った。「不審に思われたかもしれない」
「最悪の事態を考えて作業を進めろ」10月最初の検討会で、「つじい」
らは作業にブレーキをかけねばならないと決意した。「幹部は不審を抱き、今後は十分監視するだろう。
当分は事態を静観し、積極的な活動は避けよう」だが、注意を払いながらも順調に情報提供を続けた。
翌年には地方選挙も迫っていた。「つじい」らは慎重な作業をするよう配慮しながら、
優秀な協力者にすべく全力を傾けた。対象団体幹部に対して批判的な態度を取ると、
表面上は幹部に従うよう説得し、一方でいかに識見があり政治的感覚に優れているかを褒めそやした。
確実に「つじい」らの協力者として育ちつつあった。
10月末で途切れている工作報告書の末尾はこう締めくくられている。
「11月の着眼事項洗脳工作を推進し、団体外支持者として育成する。
時機をみて作業目的が対象団体への加入にあることを示して協力と決意を求める」
もちろん、報告書内の工作はすべてがうまくいったわけではない。こんなケースもある。
対象は大阪学芸大学の学生。目的は同大学の自治会活動の動向把握だった。報告書は「着眼事項」
として「前月の作業で対象との親密度もある程度増したので、対象宅を訪問し(3)(接触)
を通じて更に親交を深める」と記述している。工作に乗り出したのは同じく「つじい」「さとう」「きたむら」。
彼らは大学教職員組合の統一行動に対する自治会の反応や学内の情勢を聞き出すため、
9月14、24日の二度にわたって学生宅を訪問。一度目は留守で、二度目に接触に成功したものの、
学生は「今月中旬から一度しか学校に行っていないので詳しいことはわからない。
自治会新聞も入学以来一度しかもらっていない」と答えるだけだった。
報告書は学生について「作業員に対して別に悪い顔もしなかった」と記したが、
検討会の結果、月に一、二度しか学校に行っていないようでは作業価値に疑いが持たれる、
などとの理由で新たに管内に居住する学生の中から対象を選定して作業を行う」と結論づけられている。
別班は非公然組織であるため、自衛官の身分は維持しつつも、所属は「陸上幕僚監部付き」になる。 政府が答弁書で「ない」と答えたのも、「陸上幕僚監部運用支援・情報部別班」
という組織はそもそもないからだ。別班員は自衛隊の組織から切り離され、
身分を偽装しての活動を求められる。当然、その第一歩は「自衛官の匂い」を消すところから始まる。
「あれじゃあ、自衛官だと丸わかりです。身分を偽装している意味が全くありません。
仲間内でいる時も自衛官らしさを消しておかないと、いざという時にばれてしまいます」
別班は自衛隊の仲間たちにも存在を秘匿している。だから、別班員になると、
自衛隊駐屯地には立ち入らない。当然、自衛官が定期的に行う射撃訓練も受けられない。
別班員たちは、「あんなに正確に射撃できるわけないじゃないの」とか、「俺たち非公然の身分でしょ。
銃撃戦で外国で人を殺したら、日本政府は俺たちを守ってくれないでしょ」とか言い合っているという。
この内情を知る人物は、前回会った別の人物と同様、「別班員が自ら外国で活動することはありません」
と語る。ただ、この人物に言わせると、別班の仕事は海外に絞った情報収集活動だという。
「別班員は、目標の国を訪れる日本人や、現地の人に頼んで情報を取ってもらうという、
いわゆるハンドラーという役回りです」海外の情報を集めるのならば、
別に非公然の組織にする必要もないのではないか。別班は、
1950年代に吉田茂首相に認めてもらった組織だとされる。この人物は「当時は戦後間もない時期で、
自衛隊は軍国主義の復活ではないか、という批判の声も多くありました。一方、
朝鮮戦争が起きるなど日本の共産化を防がなければならないという緊迫感もありました。
このため、世間を刺激しないため、非公然の組織にする必要があったと聞いています」
では、別班員たちはどんな情報を集めていたのか。昔は自衛隊が「露華鮮」と呼んだ、
ソ連(ロシア)、中国、北朝鮮に関する軍事情報を集めていた。よくやったのが「地誌」づくりだという。
別班員たちは、滑走路の長さや橋の強度、港の水深などを一つ一つ調べていたという。「航空機など、
すでに大きさがわかっている物体と一緒に写真を撮ってもらい、三角関数で長さを割り出します。
橋の強度は、鉄筋の太さやさび具合、コンクリートの厚さなどから推定できます」。 橋の強度がわかれば、どのくらいの重量の車両がどの程度の速度で何両ほど渡れるのかと推測できる。
その結果、情報収集対象の軍隊の機甲師団の進撃路を割り出すことができるという。
また、時代の流れとともに、別班員の仕事も変化している。一つは人工衛星の発達だ。
昔、苦労して集めた一つ一つの情報が、衛星が撮影する画像から簡単に入手できるようになった。
「だからと言って、ミサイル開発の実態をつかんだり、配備状況を知ったりするのは至難の業です。
難しいから危険度も高い。一体、どんな情報なら取れるのか、皆の悩みだと思います」
中国は2014年に反間諜(スパイ)法を制定し、2023年7月には改正法を施行した。この人物は語る。
「自衛隊も他の官庁も、もう中国を訪れる日本人に情報収集を頼むことはしていないと思います。
後は現地の協力者をつくれるかどうかですが、危険性が高いのは間違いありません」
別班員たちは雑居ビルに作った「○○研究所」といった仮の仕事場に出勤し、
今日も情報集めに精を出している。場合によっては、仮の会社名のウェブサイトだけ立ち上げ、
実際の勤務地はレンタルオフィスの人もいる。悩みながら、今日も情報集めに奔走している。
ネット上では「別班はやっぱりある」「政府がないと言っているんだから、ないに決まっている」など、
議論がかまびすしい。この人物はこうも語った。「あるわけないと言ってくれる人たちがいれば、
それだけ別班は活動しやすくなります。また、あると言ってくれる人がいれば、
外国は日本も侮れないと思ってくれる。どちらにしても、心理戦としては好都合です」「自業自得、
身から出た錆。逮捕されたのが嬉しくて、嬉しくて」と中学校時代の同級生は笑いながら吐き捨てた。
輸入車販売会社社長(38)を性的姿態撮影等処罰法違反未遂(撮影未遂)
の疑いで現行犯逮捕した。「正午すぎ、ある商業施設のエスカレーターで、
20代の被害者女性のスカート内に自身のスマホを差し入れ、下半身を撮影しようとした。
女性がロングスカートを着用していたため、未遂に終わったが、目撃者が110番通報。
駆けつけた警察官によって現行犯逮捕されました」 翌日、容疑者の父親である同社の会長は、愛息子の代表取締役と、
同社の傘下グループのすべての役職を解任。併せて、社員としても在籍させないことを発表した。
その翌日、元“3代目”に新たな容疑がかけられた。容疑者を大麻取締法違反(所持)
の疑いで再逮捕したのだ。「1回目に逮捕されたとき、
容疑者の持ち物から乾燥大麻0.15グラムが発見されたんです」容疑者は2件の取り調べに対して、
「間違いありません」と容疑を素直に認めているという。容疑者の人物像については、
おとなしい性格で仕事もできると報じたが、中学校時代の同級生は真っ向から全否定した。
会長と専業主婦の妻との間に生まれた容疑者は、市内の山の中腹にあった大豪邸で育つ。
地元の公立小学校を出ると、有名私立中・高一貫校へ進む。
「この地域の中ではトップに次ぐ学力レベルの学校でしたね。勉強は目立っていいほうでもなく、
かといってできないほうでもなかった」運動はあまり得意ではなかったようで、
「おそらく名門高校野球部で主将として活躍した父親の影響で、野球部に入っていました。
でも、活躍したという話を聞いたことはない。たぶん補欠だったと思います」人柄については、
「当時、われわれ生徒の間には、カースト制度のようなものがあった。容疑者は実家が超金持ちですから、
やはりカーストのトップに君臨していた。まるで王様のような存在で、みんなからチヤホヤされましたね」
常にマウントをとってくるようなところがあったようで、「“オレはすごい”“うちの家はすごいんだぞ”が口癖。
完全に他人を見下していて、同級生が彼をイジることは許されなかったですね。性格は明るいんだけど、
言葉の端々にトゲがあって、横柄で、他人を傷つけるんです。だから、みんなも異様に気を遣って、
いつも持ち上げるから、彼自身もいい気になっていた。かといって暴力を振るうほどの度胸はなくて。
とにかく嫌なやつですよ」エスカレーター式に上がれる高校には進学せずに、
アメリカの高校へ留学した容疑者。「特に英語が得意というわけではなかったが、親は“(3代目として)
箔をつけるため”と言っていたようです」だが、この頃からすでに黒い噂も流れていたという。
「夏休みになると日本に戻ってきていたんですが、彼は帰省すると地元のアパレル店店長とよくつるんでいた。 その店の事務所で大麻を吸っているらしいと。金も持っているし、やりそうだなと思っていました」
容疑者は大学在学中の20歳前後に結婚していたことも判明した。
「あのアパレル店の女性店員でした。授かり婚だったようですが、数年で離婚したと聞きました」
その後、容疑者は傘下のグループ企業に就職し数年を経て本社勤務に。
社長へのステップを順調に踏んできたかに思えるが。「6年ぐらい前、彼が専務だったときに、
父親と仕事の方向性の違いでケンカして、会社を一度追われていますよ。
それで無職になったら、いきなり民泊のオーナーをやり始めて。金持ちのやることは違いますね(笑)。
でも、支店を出すタイミングで、すぐに本社へ復帰していました」容疑者が社長に就任する直前、
中学校の同級生数人が集まって食事をする機会があったようで、「参加した友人によると、容疑者が
“みんな、いまの年収を発表しあおうぜ”と言い出したみたいです。そうしたら、その場がシーンとして
誰かが“それはやめようよ”と諫めたようです。相変わらず、エラそうにする、ウザイ野郎だと思いましたね。
そのくせ、バーに行っても、容疑者はいっさい奢ることなく、逆にほかの同級生に払わせると聞きましたね。
金持ちのくせに、どケチなんですよ」盗撮未遂は保留処分になっているようだが、
大麻では起訴される可能性が高いようだ。社長に就いたのは02年。
立て直しに成功した後の14年には、請われて社長に就任した。「典型的な同族企業で、
創業家が4代目まで社長を務めた後、5代目として白羽の矢が立ったわけです。
株主である創業家が力を持っているこういう企業の社長は普通はやりたくないと考える人が多いものですが、
彼は“大企業病にかかっている立て直せるのは自分しかいない”ということで乗り込んでいくのです」
そう話すと、同族企業にとって「理想のサラリーマン経営者」だという。
「彼が社長になってから高級ウイスキーが世界的ブランドになるなど、
非常に成功しているといえます。しかし、彼には会社の株を集めて乗っ取るような野心はなく、
創業家の次期社長候補もきちんと育ててくれる。創業家にとっては、
会社を立て直してくれるけど乗っ取られる危険がない、最高の人材です」 世間では批判を浴びた「45歳定年制」も大企業の創業家側から見ると、
「“よくぞ言ってくれた”という感じでしょうね。
創業家からすれば会社にしがみついて定年までいることしか考えていないくせに給料が高い45歳以上の人材なんていらない、
出て行ってほしい、というのが本音ですからね。ただ、
それを言うと批判を浴びることを分かっているので普通の人は言わない。しかし創業家の意向を忖度して、
自分が悪役になってあえて発言するのです」全国紙の経済部記者はこんな見方。
「ゼロからイチを生み出すのではなく、誰かが発明したものを拡声器で宣伝するのがうまい人、
という印象です。実際、45歳定年制にしても、元々は東大の教授が言っていたことの改変で、
オリジナルではありません」経済財政諮問会議における議論でも同様の側面が見られるといい、
「例えば元首相はリフレ派で、金融政策をこうするんだ、という信念がありました。
しかし、そういう意思はない。諮問会議の議題の資料は官僚が作成していますが、
彼ら事務方が主張してほしいと考えていることをうまく言う。だから役人に重宝されるのです」
発言は強い信念から発せられているものではなく、周りの「空気を読んで」ということなのか。
「ジャーズへの発言にしても、企業が明言するのが難しい局面で、
パッと意思表示したら決断しやすくなる。じゃあウチも、と。
この状況でジニーズのタレントを使うことは人権意識の強い海外の常識からみるとまずいんじゃないかという議論は元々ありましたが、
発言したことで他の企業も追随した。パフォーマーとしての影響力は甚大です」
信念はないが空気は読める男。その人格はいかに形作られたのか。
両親と弟の4人家族で、弟は現在、女子医大教授で心臓外科医を務めている。
横浜港で荷役の会社に勤めていた父親について、
〈いつも酒と海の匂いがした〉と振り返っている。地元の中学校時代からバスケットボールを始め、
高校在学時には国体の代表に選ばれたこともあるスタープレーヤーだった。
その後、経済学部に進み、就職先として商事を選んだのは、「一番人気のある会社だから」
との理由である。現在までとんとん拍子で「スーパーサラリーマン」の階段を駆け上がってきたが、
やはり強い信念を持ってスタートラインに立っていたわけではなかったわけだ。 そんな彼が出世できたのは、「本当に偉い人に気に入られてかわいがられるのです。
10歳上くらいの先輩には生意気だ、と言われてよく思われないのですが」と、
商事出身の経済評論家は言う。「彼は隙を見せることを厭わず、大きな理想を語ったりするのですが、
そういうところが、偉い人からすると、俺の若い頃に似ている、無茶もするし危なっかしいところもあるが
、若い頃俺もそうだった、といった印象を抱かせるようです」無論、出世を勝ち取るにあたり、
人知れず努力したことも間違いない。そんな新浪氏の成功譚は多くの雑誌などで取り上げられ、
第三者が好意的に取り上げた著作も世に出ている。だがそれらの資料の中には、
彼が父母や弟について言及した部分はあるものの、「妻」に関しては不可解なほど全く触れられていない。
彼は今年春、結婚制度に疑問を投げかける発言をしている。
その背景を探る意味でも以下、知られざる「結婚歴」に触れながら彼の歩みをたどってみたい。
「4度の結婚歴があることは彼の周囲ではわりに知られています。ただし、全員と入籍したかは分からず、
内縁関係のまま別れてしまった相手もいるかもしれません」と、知人の一人。
「最初の結婚は商事に入社してからそれほどたっていない頃だったと思います。相手は同じ商事の同僚。
しっかりしていて感じの良い人だったので、比較的早く別れることになったと聞いて、別れちゃうのか、
と思ったのは覚えています」社内留学制度を使って米ハーバード大に留学したのは29歳の時。
2年でMBA(経営学修士)を取り、帰国している。「1人目と結婚・離婚したのは留学の前で、
留学を終えて帰国してから2人目と結婚しているはずです。2人目の相手は大手航空会社のCAです。
彼が30代の時ですね。ただし、しばらくしてその人とも別れることになった。別れる時、
お金をたくさん払わなければならなかった、と聞いたことがあります」3人目の相手は、
九州にある巨大学校法人グループのご令嬢。年は20ほど下だ。「00年か01年ごろ、
ホテルで親族が集まるパーティーがあり、連れて来て、あいさつしたことがあります。交際中で、
ゆくゆく結婚するかも、と言っていました」ちなみに00年に商事のプロジェクト統括室長となり、
02年に顧問を経て社長に就任。 一方は、00年当時は青山学院大学の4年生。その後、東京大学大学院に進んでいる。
「結婚したとは聞いていましたが、式は挙げていないはずです。学校法人グループの総長だった父には、
3人娘がいます。二人の娘は婿養子を取りましたが、姓が変わっていなかったので、
籍は入れていなかったのかもしれません。ただ、父はいたく気に入り、
学校法人に迎え入れようとしていました」父親について、“総長だった”と過去形で書いたのは、
07年、その総長が強制わいせつ事件で逮捕され、立場を追われることになったからだ。
翌年開かれた判決公判で裁判長は、学校法人の20代の女性職員二人に対する起訴事実を全て認定。
一人はエレベーターに引っ張り込まれて胸や下半身を触られた他、
受験志望者が乗るバスの中でも体を触られている。
もう一人はやはりエレベーター内で下半身をなでまわされており、裁判長は
「被告は抵抗や抗議をしにくい女性職員の立場を十分認識していた」と指摘、
有罪判決が確定している。なお、事件発覚後に設置された第三者委員会は、
セクハラ被害を申し出ていた女性職員48人に聞き取りをしたというから、
刑事事件にまで発展した二人のケースは氷山の一角に過ぎなかったわけである。
元社員は、「来てわりと早い段階で学校法人の娘と結婚した、という話は出回っていました。
後に、その女性の父親がわいせつ事件で逮捕された時も社内にはうわさが流れました」
さる財界関係者は、「その3人目の妻をパーティーなどにも連れて来ていて、友人たちに“3人目の妻”
として紹介していた記憶があります」と、述懐する。「奇麗な方で、若くてシャキッとしていて、
気の強そうな人、という印象です。その人との間には子供もいたはずです。彼女と別れた後、
“子供は妻が連れて行くから子供に会いにくくなる”と寂しそうに言っていたことがあったそうです」
この財界関係者は4人目の妻についても聞いたことがあるという。「4人目の人は、
3人目の人と別れてしばらくたってから、という印象です。数年前、父親の体調が悪くなった時、
新しい彼女がいて、その人が父親の世話もしてくれる、と周囲に話していました。
その人が4人目の奥さんですね。女性にモテるので監視の目は厳しいようですが、
いろいろとサポートしてくれる人のようです」 元社員は、「気に入った女性を秘書にして、その人と結婚した、と聞いています。
その人が4人目の奥さんでしょう」3人目の妻の実父による事件などについて、
期日までに回答はなかった。元社員の話。「社長時代の幹部クラスでのあだ名は“荒波”でした。
直情型ですぐにブチ切れて人を怒鳴りつけるなどのパワハラ気質がひどかったからです。
秘書にした女性社員と結婚する、といった女性関係も含めて、“どの口が人権なんて言うの”
と思っている関係者は多い」コンプライアンスに触れるようなパワハラがなかったかどうか。
他企業をうんぬんする前に、まずご自身の過去を調べてみてはどうか。「上告棄却の翌日、
朝日と毎日だけがベタ記事を書いていた。だけど、ほかはどこも取り上げていなかった」と話した。
00年4月には自民党の阪上善秀議員が衆議院で質問したにもかかわらず
「どのメディアも取り上げてくれなかった」と当時を振り返った。「キャンペーン始まる直前、
予備取材をする時に、ある女性週刊誌のベテランの大物記者の人から、私の自宅の電話にかかってきた。
『何か調べてんじゃないの』とそれとなく言う。その人はベッタリでしたから『何のことですか』
ってしらばっくれたら、『もう分かってんだよ』って恫喝が始まりまして」と身内
から圧力がかかったと振り返った。続けて「事務所は自分からは手を下さないんだけども、
自分の影響下にある人にはそういうふうにさせて嫌がらせをする」と指摘した。
「芸能界では事務所以外でもよくあること」と尋ねると、「よくありますね、当時は。
今は時代は変わりましたけど」と即答した。「夜討ち朝駆け」のため、毎晩、帰宅するのは深夜3〜
4時ごろになったが、帰って自宅リビングの灯りをつけると、そのとたんに電話が鳴ったという。
受話器をとると女性の喘ぎ声が録音されたテープが流れ、この現象はしばらく続いた。
その目的を聞くと、「『お前が家にいるのは分かってるんだぞ』という脅しですよね」。さらに「あとは、
ある時自宅(の玄関)をパッと開けたら、ビックリするぐらいの吸い殻が山盛りになってたんです。
風で飛んできたんじゃないよねっていう。その時にはさすがに背筋が凍って家族を緊急避難させた。
誰がやったかは分かりませんよ。でも、そういう不可解なことが起きてました」と証言した。 非公然組織ながら、「自衛隊に別班は実在する」という。
2013年にその存在をスクープした共同通信編集委員で立命館大学客員教授が言う。
「自衛隊内には首相も防衛相も知らない秘密情報部隊があり、
そのメンバーである自衛官は他省庁の職員や商社マンなどになりすまして国内外で情報収集活動を行なっています。
その正式名称は『陸上幕僚監部指揮通信システム・情報部(旧運用支援・情報部)別班』。
文民統制(シビリアンコントロール)の原則を逸脱していると言える別班の活動実態について、
複数の自衛隊幹部らから証言を得ました」劇中の堺雅人がそうだったように、
海外に派遣される別班員は自衛官の籍を抹消されることもあるという。
「ただ、海外での破壊工作や現地警察当局との銃撃戦はあり得まん。別班が海外で行なうのはロシア・
中国・北朝鮮などの軍事、治安、政治に関する情報収集活動です。軍事がメインで、
対象国の軍人の異動情報や部隊の配置、配備された兵器の性能、軍幹部のスキャンダルなど、
軍に関するあらゆる情報を現地の協力者を使うなどして集めています」
別班が仕入れた情報は、どのように扱われるのか。「そもそも別班は非公然組織ですから、
別班情報であることを隠されて陸上幕僚長や防衛省情報本部長に上がり、
そこから政府のインテリジェンス機関に『防衛省・自衛隊からの情報』として報告されます」
以前にもその存在が指摘されたことはあった。1978年、
日本で初めて別班の組織図や構成員の実名を記した『赤旗』特捜班による『影の軍隊「日本の黒幕」
自衛隊秘密グループの巻』が発刊され、物議を呼んだ。2008年には、陸幕第二部長(情報部長)
を務めた塚本勝一氏が『自衛隊の情報戦陸幕第二部長の回想』(草思社)を著している。
同書によれば、陸自の調査学校で情報分野に興味を示した10数名の要員が、
情報収集活動を行なうために陸幕二部の統率下にある部隊に臨時として派遣勤務させられた。
ところがそのうち、部外の人を相手に情報収集活動するメンバーたちについては、
予算の関係で正規の班にできなかったという。著者の塚本第二部長は、このことを悔やんでいた。
「これが“別班”と呼ばれる所以であり、“非公然組織”となった理由」だと言う。 その塚本第二部長のもとで北朝鮮情報を担当し、
1973年に自衛隊を退官したのが元三等陸佐の坪山晃三氏(故人)だ。退官後、信用調査会社
「ミリオン資料サービス」社長だった坪山氏と知り合い、2000年代に取材していたジャーナリストが言う。
「取材当時、坪山さんは自ら『別班』とは一言も言いませんでしたが、間違いなくその1人だったと思います。
『赤旗』特捜班による『影の軍隊』を、坪山さんから『読みなさい』と渡されたのは、
赤旗の徹底的な調査を認めていたからではないか」同書には、金大中拉致事件
(1973年)の実行犯とされているKCIA(韓国の情報機関)工作員・金東雲
(表向きは在日韓国大使館一等書記官)と坪山氏との関わりも詳しく書かれている。生前の坪山氏は
「金大中の行動を割り出すよう金東雲に依頼されたが、拉致計画が分かった時点で調査を打ち切った」
と前出のジャーナリストに語ったという。韓国大統領選の有力候補者だった金大中氏は、朴正煕・
軍事独裁政権の命を受けたKCIAにより監視されていた。1973年8月8日、来日中の金大中氏は、
白昼堂々、滞在していた都内のホテルでKCIAに拉致され、船で韓国に連れ戻された。
「『影の軍隊』には、KCIAが戸板に縛り付けた金大中を海に投げ込んで暗殺しようとした瞬間、
日の丸を付けた飛行機が近づき、暗殺を阻止したと書かれています。
拉致を知った米国が複数のルートを通じて『暗殺中止』を求め、米CIAが座間基地(神奈川県)
の駐留米軍を通じて自衛隊の哨戒機に出動を依頼した、とも書いている。
日の丸を付けた飛行機について、政府は『特定するに至っていない』と答弁しましたが、同書は
『座間基地には別班の班長が通勤しており、拉致を事前に知り得たはず』と推測しています」
事実であれば、「政敵抹殺をも厭わない韓国軍事政権の暴走を日米の連携で食い止めた」
ということになる。「坪山さんは事件後、当時の後藤田正晴・官房副長官に
『警視庁と公安調査庁が網を張っているから、姿を隠してくれ』と言われたそうです。
なぜ、民間企業の社長が官房副長官からそんな指示を受けるのか。『影の軍隊』
には坪山さんの会社に自衛隊や外務省の人間が出入りしていると書かれており、
坪山さんの会社が情報組織だったことは否めないでしょう」 推測の域が、自衛隊退職後の坪山氏は表向きは会社経営者として、
実態は別班として活動した可能性がある。複数の元自衛官らに「別班」について聞いたところ、
「金大中事件で活動はあったろうが、具体的な内容は都市伝説の域を出ない」、
「陸幕二部にはそれほど予算がつかず、精鋭が集まる部署でもない」などの声が寄せられた。
元航空自衛隊三佐で軍事評論家の潮匡人氏は「ケーブル1本にも会計検査院のチェックが入る防衛省・
自衛隊に、大規模な秘密の部隊が作れるわけがない」と指摘する一方、
元陸将で韓国防衛駐在官、陸幕調査第二課長を歴任した福山隆氏は「現在も守秘義務があるので、
別班については『肯定も否定もできない』としか答えられません」と含みを持たせた。
自衛隊を管轄する歴代の防衛大臣経験者たちは別班をどう見ているのだろうか。
小野寺五典氏、久間章生氏は「全く知らない」と答えたが、
石破茂氏の回答はやや趣が異なる。「そういう秘密部隊があるという話は承知しているが、
私自身が報告を受けたことはなく、部隊もメンバーも見たことはない。しかしながら、
ヒューミントを行なう別班のような対外情報機関はどの国にもあり、専守防衛に徹する日本にこそ必要。
問題は、その組織をどうコントロールするかだが、それは立法府が担うべきと考えます」
いつか存在が明かされる日は来るのか。メディア報道はすでにパターン化しつつある。
本質、根源的な問題に迫るものでは決してなかった事件の現場を訪れ、
漁協関係者や事件当日現場にいた漁師の皆さんにインタビュー、ヒアリング調査を実施した。
英雄のように取り上げられた彼らの口から出たのもまたメディアへの違和感であった。
「この事件が首を狙ったテロかどうかなんて自分たちにはどうでもいい。
自分は目の前で起きたことに咄嗟(とっさ)に反応しただけだ。テレビカメラに追い回されて、
いろんなところから野次馬や見物客がやってきて。事件の捜査のために漁港は一時閉鎖されて、
何日も、自分たちは漁に出られなくなった。漁に出られなかったら自分たちはおまんまの食い上げだ。
その間の生活の保障は誰がしてくれるのか。
自分たちは注目されて英雄扱いされているように思われているかもしれないが、
自分たちこそ事件の被害者だ。そのことをテレビも新聞も誰も報道してくれない。 今は、学校教師や塾講師による盗撮やわいせつなどの性犯罪も多く報じられている。
私も子どもが生まれてからは特に幼児に対する犯罪を意識するようになった。
自分が子どもだった当時は何の疑問も抱かなかったことも、「今思えばアレは“アウト”
だったんじゃないか」という記憶もある。小学生の頃、若くて生徒から人気の男性教師がいた。
放課後に少しでも先生と話をしたくて教室で先生を取り囲んで雑談をする時間があった。
先生は女の子を膝の上に乗せながらみんなと話していた。特定の子だったわけではなかったが、
気づくといつも膝にいる。きっと女の子たちも先生の取り合いをしていたのかもしれない。
しかし、膝の上は不安定。生徒を手で支えるのだが、
支え方が絶対おかしいと思ったことがあった。赤ちゃんを抱えるようにガッチリ股間をガード。
「アレって、今思えば押さえ方がおかしかったよね」時が経ち、同級生とそんな話になった。
先生に変な意図がなかったとしたら申し訳ないのひと言に尽きるが、今、
膝に生徒を乗せて話す教師は皆無だろう。中学校の校長が盗撮で逮捕された。
学校内での自浄作用がないとすれば、外部に教師を監視する会をつくることが必要ではないだろうか。
それ以前に、子どもがすぐ親や周りに助けを求められるようになるためにも、当然、
裏で糸を引いてる人物がいるはずです。しかし、ガバナンスがどうなっているのかは全く分かりません。
どういう手続きを経て、誰がどのように意思決定しているかも見えてこない。不気味な状態です。
つい数カ月前までは、テレビ局や新聞社などの大手メディアもひれ伏す立場にあったわけですからね。
しかし、闇に葬り去られているセクハラ、パワハラ、枕営業、性加害、
さらには性加害どころじゃない殺人事件などは存在しますよ。『CIA陰謀論の真相』
という本を出し、そこである大手芸能事務所が関わる殺人事件について触れたのですが、
完全に黙殺されています。多くのメディアが一笑に付し、
見て見ぬフリをして相手にしてこなかったのと全く同じ構図です。
メディアへの圧力、そしてメディア側の忖度はいまだに歴然と存在しているんです。
ただ、長い目で見れば、こうしたタブーは徐々に暴露される流れになっているとは思います
自分に飛び火しないか首筋の寒いお歴々は少なくないはずだ。 相手を都合よくこき使ってくる、リスペクトのないアホも少なくない。「都合がいい」とは
「(自分のために)利用しがいがある」ということだ。日本では、誠実さや従順さが良しとされるが、
それはあくまで利用者からみた使い勝手の良さを下々に叩き込むための仕組みである。
都合のいい存在から脱却するためには、ここに気がつくことが大切だ。
ただ、敵をつくったりするのは愚かなことなので、あくまで表面上は友好的に、
しかし無駄に利用されないことが必要となる。そのためには「陰で努力しない」ことだ。
手柄は手柄として理解されるように、「表に出す」必要がある。
一番大事な評価者にはもちろん、その周りにも「自分が始めて、そしてできたことだ」
と手柄になる過程を全て公開してシェアすることだと覚えておこう。
成果が出たあとで手柄として公表したら嫌な奴になりかねないため、最初からさりげなく
「自分がやっています」とアピールしておくとよい。自分の貢献状況を皆にシェアするのは、
早ければ早いほど自然だ。具体的な方法としては、「今、こんなことをしているんですよ」
「自分なりにこんな工夫を考えています」などと、ニコニコと自然に頑張りを周囲に伝えていくことだ。
こうした方法なら、謙虚な人でもしやすいだろう。せっかく仕事を引き受けたのに、
隠れて努力をしたために手柄をとられて、モヤモヤを抱えながらそれでも笑顔でいるなんて、
あまりに悔しいことだ。あなたの努力が理解されれば、
評価につながり大きなチャンスが与えられる可能性もあるし、何より最終的に気分が悪くなることはない。
苦しい思いを抱えながらも、ニコニコとできるのは最強の武器だ。それをアピールに活かしていこう。
大事なのは、努力を表に見せるということを「格好悪い」などと思わないこと。
見せていないとずるい人に利用されてしまうだけなのだから。お人好しはもうやめよう。
あとで後悔する。最終的に利用されて、苦しくなっているのが何よりの証拠だ。
「役に立つ」という考え方ももちろん大事だが、それはあなたの評価を上げるためにやることだ。
利用されるためにやるべきことではない。あなたの遠慮がちな姿勢は搾取側から見たら蜜の味だ。
もし、今の自分に自信がないとしても、周りと比べる必要はない。自信はあった方がいいが、あり過ぎても問題だ。 何事も淡々と安定してこなしていくこと、それが大切だ。コツコツと取り組んでいくと、
ある日振り返れば意外に大きな実績が積み上がっていて、それが自信の根拠になっていく。
だから、自信の有無を考える暇があれば目の前のことに集中する方がいいだろう。
目の前の仕事をアピールしながら懸命に頑張っていたら、「自信がない」などと考える暇もなくなる。
取り組んだことは全力でやるしかない。それを続けていけば、それなりに結果が出てくるだろう。
「やるしかない」、そういう気持ちでアピールを忘れずに全力で向かう、その姿勢が評価はもちろん、
根拠ある自信形成にもつながり、アホを遠ざけられるようになる。しかし、アホの中には、
どこに地雷が埋まっているかわからず、ちょっとしたコミュニケーション不足による誤解で怒り出したり、
きつくつめてくる輩がいる。そういった非常にセンシティブなアホはとても扱いにくい。
そんなアホの目的とはどんなことなのだろうか。こういう人物が怒る場合、
誰かが地雷を踏んでいるというよりも、何を言っても文句を言う人物と心得ておこう。
そこに明確な理由はないはず。なぜなら、本当にあなたのことを信用できないなら、
「黙って会わないようにする」だけだからだ。とにかくあなたをいたぶりたいだけなのだ。
こうした行動をとる背景には、大きなストレスを抱えている、ふだんは自分が低く見られている、
などいろんな理由が考えられる。どの理由だとしても、あなたが変わることで、
この人があなたに態度を変える可能性は低いだろう。悪化することはあっても、改善の見込みはない。
まずすべきなのは、本当にこの人とビジネス上の付き合いを続けることが必要か、
冷静に胸に手を当てて考えることだ。付き合わなくていいなら、
徐々にフェイドアウトして関係を切っていった方が精神衛生上いいだろう。仕方なく付き合うしかないなら、
もう割り切って、好き勝手言わせておくことだ。いちいち気にせず、受け流そう。
他人の気持ちはコントロールできないし、しかも他意があってわざと言っているのならなおさらだ。
気にしても何もいいことはないどころか、悪いことしか起こらない。何を言われても真に受けない、
と心に刻もう。そして、できることならば目の前から徐々に消し去るように事を運んでいこう。 そうした方が、目先には色々打撃があっても、長い目で見たらずっといいはずだ。
役に立たないアホにいい顔をするお人好しは卒業しよう。アホが取りがちな行動の一つに、
ただ自分の優位性をひけらかしたいばかりに、ハラスメントを行うことがある。
海外でもパワハラやセクハラはあるが、日本ほど深刻な問題とはなりにくい。
その最大の理由は「ハラスメントが酷ければ辞めるだけ」だからだ。
居心地の悪い場所に、自分を殺してまで頑張って居座る人はほとんどいないのだ。
いい職場でも、次のキャリアアップのステップを目指して3〜4年でいなくなるのが普通だ。
日本の企業社会も昔と比較したらモビリティが出てきたが、まだまだだ。
まだ日本では新卒でせっかく入った会社だからと辞めない人が多い。
だからアホは安心してあなたたちをいたぶるのだ。新卒至上主義も時間の問題でなくなるとは思うが、
日本社会では中途採用へのリスペクトとフル活用がまだ遅れているのが現状だ。
中途採用は新卒で入った会社の待遇を上回る場所がまだまだ少ない。
実は、日本の大企業で新卒者でも、今やアジアの有望企業以下の給与待遇であり、
欧米の一流企業に比べると一桁二桁少ないこともある。
しかし、海外の情報が日本語にならないので、新卒至上主義はしぶとく残ってしまっているのだ。
アホと戦わないために、思い通りの転勤や社外でキャリアアップできるモビリティを得るためには、
社内でコツコツとした準備が必要だ。実績を出し続け、
訴求効果の高い資格を取り、いいものが見つかるまでの貯えも準備しないといけない。
無駄使いせず隙間時間には勉強して、会社では実績づくりに精を出す。
アホ対策のためだと思うとこれらの努力はちょっとむなしく感じるかもしれないが、
これらの努力はアホに関係なくあなたの人生を輝くものにしてくれる。
社内に残っても社外に出てもあなたを助けてくれるものばかりだ。
大きな意義を感じながらモビリティづくりを頑張ろう。
世界では高度人材こそこういうたゆまぬ努力をやっている。その努力こそが、アホを退ける。
アホは基本的に小さな人間である。自分より立場の弱い相手、
自信がなくびくびくしている人間を嗅ぎつけて攻撃するのだ。
彼らは敏感である。攻撃対象を選ぶ場合、「自信オーラ」で判断する。 「自信なさそう」な人間ほど安心して攻撃してくるのだ。「自信があるオーラ」
を出している人間は面倒である。「世間知らずの根拠のない自信」も百戦錬磨のアホには、
それを打ち砕ける自信はあるので、純粋まっすぐな経験に裏打ちされていない自信家君も狙われる。
アホが怖いのはアホの攻撃を含めて人生の辛酸を嘗め切ってそれを乗り越えてきたようなオーラである。
これは静かなオーラである。苦労する人生を送り、アホにもいたぶられたが、経験をコツコツと重ねて、
自分を成長させ、困難を乗り越えてきたようなオーラこそアホを震撼させるのだ。
自信オーラを身につけるには、漫然と生きてはいけない。
何のために今何をしているのか、その意義は何なのかをしっかりと考え、
死ぬときに最高の思い出を持っていけるように逆算して人生を送らなければならない。
この心の持ちようができれば、一見どんなに大変な環境に置かれようが、
コツコツとした行動の積み重ねで、水滴が岩を砕くように、たいていのことは乗り越えられる。
こうした行為の積み重ねこそが、アホがおそれおののくような自信につながる。
アホを「揺るがない自信オーラ」で撃退するのはあくまでおまけのようなものだ。
死ぬときに後悔しないように人生を大事に生きることが、自信につながり、
その結果としてアホを撃退できる。その過程でアホなどどうでもよくなっていく。
ふとした瞬間に「ああ、そういえばアホを撃退していたなあ」と思いだす程度のことである。
自分の人生の目的に向かってコツコツと努力を続けてきた自信からくるオーラがアホに対する最大の武器となる。
立派なリーダーの下にこそ、アホがはびこることがある。なぜなら、アホが生きやすいからだ。
人格者のリーダーは、自分を基準にして考えて、周りに居る人間も自分と同様に人格者だと思いがちである。
また、海外では「失敗から人間は学ぶ」という考え方が一般的で、失敗には寛容だ。
それどころか、「人間の成長には失敗を必要とする」と考えているリーダーも少なくない。
つまり、一度や二度の致命的なミスで人間を判断しない。
それは素晴らしい考え方だが、その寛大さにつけこむアホがいるのだ。アホはしたたかだ。
人間には、接触時間の長さでその人に好感を持つ「単純接触効果」というものがある。 時間があるアホは、それを悪用する。寛大な人格者のリーダーに暇を見つけては必死に接触し、
人格者に取り入ろうとする。そして、「ご注進」という形で、ライバルを蹴落とすのだ。
特に潔さを尊しとする日本人が、そんなアホにやられやすい。どこかで「お天道様はきっとみている」
「あれだけ立派なリーダーが私の正しい行いを見逃すわけがない」と思ってしまうからだ。
アホの頻繁な接触にやられて、アホのいうことばかりを聞く人格者〞
のリーダーを勝手に見損ってしまい、さらに遠ざけ接触が減る。
そうすると加速度的にアホの信頼は増し、潔い人間の信用はさらに減る。
リーダーから見て近づいてこないものは可愛くないのだ。その結果、
こちらは素晴らしい人格者をアホと勘違いしてしまい、相手からもアホの烙印を受けてしまう。
立派なリーダーにつけこむしたたかなアホを野放しにしてはいけない。
対抗するためには、日本人として染みついてしまった「潔さ」は放棄しよう。そして、
意味があろうがなかろうがとにかく頻繁にリーダーに接触し、自分の正しさを説明しないといけない。
それくらい泥臭くならないと、したたかなアホには勝てないのだ。
立派なリーダーにこそ、つけこむアホがいると思い、したたかに、しつこく、泥臭く接触していこう。
そしてあなた自身がチームを率いる存在になったときこそ、
アホは立派なリーダーに媚びることを忘れてはいけない。アホに振り回されない人物になるには、
「世の中にはポジショントークしかない」ことも意識しておく必要がある。どこの国の人間であろうが、
自分の色眼鏡を通して物事を見ているし、自らの利益を優先する意識を持っていることがほとんどだ。
他人が何を言おうがそのまま信じてはいけない。
それは、あなたが心から信頼している人が言っても同じこと。その人が悪意を持って、
あるいは悪意が明確になくとも無意識に、あなたをコントロールしようとしている可能性があるからだ。
あっさり信用してそれに100%乗っかって事態を判断したり行動に移したりするのは非常に危険である。
情報は多様なソースから集めるべきだ。特に全く違う角度の情報にこそ価値がある。
複数の情報源に当たり、異なる情報を聞いたら、
情報元の人物の信頼度はいったんおいておいて、さりげなく情報を引き出していこう。 そうすれば立体的に情報を分析できる。
特にあなたと強い利害関係を持っていない人の情報は信用できるものだ。
その際、次のことを留意しておきたい。なぜその人がそういう情報を持っているのか
その人と情報源の関係はどうかあなたが信用している人とその人の関係はどうか
複数の情報源同士の相互関係はどうか複数の情報源の情報は時系列的か
内容的にどこが同じでどこが違うかそういう相違はどうやって起こっているのか
その背後にある各々の利害はどうかそれらの分析を踏まえて考えられる最も正確な情報は何か
情報をわざわざ伝えてくれる人には動機がある。人間の動機は利益に基づいていることが多い。
どんな人物でも意識的あるいは無意識的にバイアスがかかり、
たいていの場合ポジショントークになっている。できるだけ多様な情報、
特に真逆の情報を複数の情報源から常に集め、立体的に分析してから意思決定して行動を起こそう。
アホが行う情報操作に騙されないために心得ておいてほしい。リーダーになったら、
自分自身がアホにならないだけでなく、周囲から「アホ」と思われない振る舞いも身につけよう。
エース級カンパニーで世界の大成功者と共に働いていて思うのは、
呼ばれた会議では、何を思われようが、自分の意見を言った方がいいということだ。
日本人がよくする「こんなこと言ったらバカにされるかも」といった考え方はムダ。なぜなら、
多様性あふれる組織では、異なる見地からの意見は尊重されるからだ。間違いを恐れる必要はない。
多少、明後日の方向を向いていることを口にしても、皆が忙しいので、スルーされるだけ。
よほど見当違いのことを発言してしまえば尾を引くかもしれないが、
多忙なメンバーはやがて忘れてくれる。そもそも、
会議に呼ばれる者にはとにかく会議の議題について自分なりの答えを持ってくることが最低限求められている。
「会議で何も言わないやつはアホと思われる」のだ。知る限り、
意見を言わないで済む会議に呼ばれることは最初からない。そして、
どんなアイデアだろうが肝心なその場で、その瞬間に言わない限り道は開けない。
発言は会議における必須事項であり、かつ物事を動かすための原動力ともなる。もちろん、
言い方も大事である。意見の相違があっても、まずは相手の意見に敬意を表さなければならない。 日本人にありがちな反対意見の表明=人格否定の考え方などもってのほかだ。
フィーリングで反対するのも良くない。賛成しない根拠とロジックをまず明快に説明することが重要だ。
発言態度にもコツがある。どんな意見だろうが言う時は堂々と表明し、最後までしゃべり切る。
とにかく自信が大事だ。そもそも、発言して存在感を発揮した方が仕事していると思われる。
つまり言った者勝ちなのだ。あまりにもひどい意見はよくないが、
その会議に呼ばれるくらいの人なら基本自信を持って言う方がいい。失言をとがめられることはない。
発言が評価されればラッキー。それくらいの気軽な気持ちで議論の場に臨むことをおすすめするし、
そうでないと「アホ」の烙印を押されてしまうのだ。既存の体制の中で賢く立ち振る舞うか
あるいは体制をよりよく変えていくべく立ち上がるかあえて二項対立の設定とするならば、
やや前者の立場に立って書き、それが思わず広く受け入れられた。
なぜなら、アホと戦うことは何も生み出さず、ただ精神を消耗するだけだからだ。
ただ一方で、特に正義感あふれる若い方々から
「そんな風に皆がアホから逃げていては社会にアホがはびこりよくならない」という批判の声も届く。
まさにその通り。既存の体制の中で、賢く振る舞っていると、その行為自体が既存の体制を強化してしまう。
賢く振る舞いながらもいつか力をつけて体制を改革しようと思っても、
自ら強化してしまったその体制が自分の手足をもいでしまう。賢く振る舞う過程で作った貸し借りで、
まともな恩義・仁義の心を持っていれば持っているほど何もできなくなる。
本音では皆がアホに対して立ち上がって戦ってほしい。声を上げることの大切さは今の「世界の分断」や
「地球温暖化」の問題を見る限りとてもよくわかる。アホと戦うのは若者の特権でもある。
エネルギーも時間も豊富。そこで戦いに敗れ傷ついても、回復は早いし、
致命的なダメージにならない点も若者の利点である。戦うことの意義や、
戦いが思い通りにならないことも早いうちに学んでほしい。勝つためにはどういう戦略・
戦術が必要かも知ってほしい。なぜなら、守るものができ、人生の目標がはっきりし、
立場もできあがってきてから、アホと戦うことは容易ではないからだ。まず、失うものが大きすぎる。 【警察の裏金の作り方】
1・誰でも良いので、誰かを危険人物という事にする。
2・その誰かを捜査するという名目で張り込む(という名目で適当に時間潰す)
3・国から捜査費、残業手当、夜間手当、危険手当等の名目で少なくない額の諸費用が出る
4・一部は警察官本人へ支払われ、一部はプールされ裏金になり、派閥の人間を昇進させる為等に使われる。
5・一般人にも捜査協力者を募り行うので、一部一般人(法人等)との癒着も強固になり、互いに裏切れなくなる
って元警官が言ってたんだけどマジなん? そして社会に出てから立場や守るものを背負って出会うアホに勝つ難易度は半端ではない。アホは、
ポジション、資金力、権力を使って邪魔してくる。昔からアホが駆逐されないことには根拠があるのだ。
そこからアホと戦うことがどんなに割に合わないかを思い知らされるだろう。
ただちに戦ってもいいと思うのは、あなたがなにもかもを持ち合わせている場合だ。
それこそスーパーヒーローのように。
生まれながらに資金力や権力に恵まれ発信力もある人も世界にはいるだろう。
そういう人は戦ってもいいというより、戦う義務があると思う。しかし、多くの人がそうではない。
ならば自分の人生の目標を達成することを最優先にした方がいい。敵をつくらず味方を増やし、
アホまでも巻き込み、その力を使って、人生の目標を達成してほしい。したたかに清濁併せ呑み、
体制下で爪を研ぎ、時代を味方につけて、時を見て、味方をつくって立ち上がれたら立ち上がるという。
英語でいう「Don’t fight every battle」である。戦わずに戦うという道を戦略的に選んでいこう。
スイスが永世中立国であることは広く知られている。そんなスイスは「日本国憲法第9条」
がある日本のように平和を唱えているだけの国家なのであろうか答えは否だ。
スイスは国民皆兵の国だ。成人男性は軍事教練を受ける義務があり、
20世紀初頭までは全戸にマシンガンを含めて武器が配備され、
ほぼ全戸に核シェルターが設置されている。「平和を貫くために武装している国家」なのだ。
しかし、隣国を挑発したり、追い詰めたり、そんな姿勢は見せない。
いざとなれば戦う姿勢をチラ見せしているのだ。挑発したり、追い詰めたりすることは厳禁だが、
スイスにならってわれわれも「やるときはやるぜ」という姿勢をチラ見せすることはとても有効である。
アホと戦わないことを目指すあまりに、過剰にいい人に見せたり、
アホから逃げる姿勢が弱みに見えたりすることは避けないといけない。
アホは本来暇でガッツがない人物なので、「いい人」や「弱い人」
をいじめたくなったりいじりたくなったりする傾向があるのだ。アホが絡んできて、
相手を挑発しない程度に毅然たる姿勢を見せながら「スルー」を決め込むのだ。 アホを利用するために仲間に引き入れる時も、あくまで凛とした立ち居振る舞いを保つことだ。
それでも、アホの有力ないじりターゲットである「いい人」や「弱い人」に見られてしまったら、
これはどこかでファイティングポーズをチラ見せしないといけない。目的は挑発や戦って勝つことではない。
勝ってもさらに陰湿に憎まれたりしたら、何のために戦ったのか意味がわからなくなる。
目的は「こいつを怒らせたらやっかいだ」と思わせることだ。
「私はあなたと戦ったりするような無駄は絶対しませんが、あんまりいやらしいとやるときはやりますよ」
と心の中で常に唱えておくのだ。そうすれば、それを相手が感じてくれるようになる。
アホと戦ってはいけないが、なめられるのもよくない。
なめられることが戦いの原因を作ってしまっているともいえる。「アホとは戦わない」気持ちをもちながら
「やるときはやるよ」という姿勢も保持しよう。ことアホの悦びはいたぶっている相手の苦悩である。
相手の「怒り」「くやしさ」「悲しさ」などで垣間見られる苦悩が何よりの蜜の味〞なのだ。
では最高の反撃とは何かアホにはいたぶった相手が「全くこたえていない」
様子がいちばんこたえる。これがやせ我慢とか怒りの転換などでもアホは喜ぶ。
なぜならそれらは基本的にアホの攻撃が効いていることの裏返しだからだ。
アホが心から悔しがるとしたら、それは全くこたえていない、
これから攻撃性を高めても効きそうもない様子である。
いたぶっていることさえ理解されていない様子こそが最高の反撃なのだ。そのためには
「無の境地」でスルーすることである。こいつは図太くいたぶりがいがないドアホだと思われることだ。
鈍いと思われてもいい。悔しさを他で紛らわせるそぶりもよくない。八つ当たりもダメだ。
そもそもなんとも思わないように心を整えよう。そのためには、どうすればいいか。
目的に集中することだ。アホを含め、誰に対してもリスペクトを持って、楽しく、親切にし続けるのだ。
これを普段から普通に徹底していこう。楽しく、リスペクトを持って、親切に、淡々と堂々としている。
こういう人こそ、アホがいたぶりの快感を覚えにくい。その根拠として、
モビリティを持っておくことが大事である。いざとなれば、現在の職は辞しても何も困らない。 そう思えれば、アホのいびりは気にならなくなる。辞められたら困るとまで思わせたら最高だろう。
アホを自分から遠ざけるためには、つけいる隙を与えないことも大事だ。そのために必要なのが
「余計なことを言わない技術」である。世界の超一流の方々とビジネスを共にして身についた技術であり、
お付き合いさせていただいた「日本の一流の政治家」も同様の技術をもっていた。
別の言い方をすれば、「感じよく沈黙に耐える〞技術」である。
世界の超一流の人物たちと潜在的なビジネスパートナーとして会うと、大体の場合、
彼らは感じよくニコニコして迎えてくれる。そして私にしゃべらせる。彼らは、こちらに話させるのがうまい。
「余計なことを言わない技術」とはこういう一流の人間が身につけているものであると同時に、
そういう人間に会いに行く人間が身につけておかないといけない技術なのだ。
沈黙に耐えられず、話さなくてもいいことを、べらべらしゃべることは、相手に与える印象もよくないし、
交渉の現場だとしたら自分の立場も悪くなる。肝心なのは、嘘は絶対言わないこと。しかし、
本当のことは何でも言うのでもない。あえて「余計なこと」は話さないのだ。そうすると、沈黙は流れる。
そんな時のこちらの様子も彼らはよく見ている。「余計なことを言わない」を心がけると、
ニコニコしあいながら見合う時間が過ぎることになる。そこで、ジタバタせず、
自然体でいることが相手に伝わるように振る舞うことが大事だ。
もちろん、過去には大物との一対一のプレッシャーを感じながら過剰に雄弁になり、
言わなくてもいいことをたくさん話してきた。そこでたくさんの失敗もしたが、あることを意識することで、
沈黙にも耐えられるようになった。そのあることとは、「目的意識」を明確に持つことだ。
この会合の目的は何か、どんなことが目的かをしっかりと意識することで、
言うべきことが明らかになっていく。また、相手がこちらのことを調査しているように、
こちらも徹底的に相手のことを調べ尽くす。そうすることで、質問すべき事柄も明らかになる。そして、
心を強くして、沈黙を怖がらないように自分に言い聞かせる。「何食わぬ顔」で「余計なことは言わない人」
ほど恐ろしいものはない。逆に、常にギャンギャン吠えてるのは小物だと心得よう。 いざとなったら徹底抗戦できるだけの武器を持ち、
アホにいびられても平気な顔をしてつけいる隙を与えない。アホとの消耗戦を避けるために、
覚えていてほしい原則だ。「3年間、自分を捨てておれの真似をしろ」と言われても、
はじめは途方に暮れるばかりでした。「自分を捨てろ」と言われても、どうしたらいいかさっぱりわからない。
結果、ひたすら毎日怒鳴られることになります。何か言っても「違う」。何かすると「そうではない」。
意味もわからないまま、とにかく怒られる。会議室を確保し、席順を決め、議事録を取ることが、
最初の仕事でした。「これから打ち合わせでは、席順、相手の肩書きや見た目、
その場で話されたことをすべて、具体的・映像的に書き残しなさい。ノートとペンを手放さないこと。
それを会議が終わったら読み返し、家に帰ったら寝る前に読み直して整理する。必ず寝る前にやること」
「人間は書かないと5割忘れる。寝て起きると8割は忘れる」「人はね、打ち合わせの場では、
地位とか、雰囲気とか、声の大きさとかで相手を判断しがちなんだ。でもそんなのは関係ない。
偉い人が的外れなことを言うこともあるし、若い人がすごくいい意見を言っていることも多い。
ノートを読み返すと、その場で何が大事だったのかが自ずと見えてくる」
予定はいつも朝からいっぱいで、1日にアポイントメントが10件を超えることもざらでした。
当時は無印良品のA4ノートを使っていたのですが、3日で1冊使いきってしまうようなペースでした。
ノートには、日時場所参加者の名前と所属・肩書き席の並び順発言参加者の風貌や話し方
(身振り、手振りも)を記録します。「○○会社△△部□□部長」といった肩書きの詳細を書くことも、
重要な意味があります。こう断言しました。「人を、肩書きで判断しろ」
普通は「人を、肩書きで判断してはいけない」じゃないか納得のいかない顔をしていると、
いつもの上目づかいで続けます。「君がいま思っているような意味じゃない。
抽象的に相手を判断するな、ということ。君は好き嫌いが激しすぎる。自分が好きな人にはよくするけど、
嫌いな人には徹底的に厳しい。でも、それって君の主観だろう」主観で何が悪い。主観といってもフェアな主観だ。 明らかに仕事をしていない人や、プロジェクトにおいてマイナスな人は、年齢や肩書きに関係なく、
容赦なく切り捨てるべきだ。それが、ちゃんと仕事をしている人に対する最低限の礼儀だ。
そう信じていました。「そんなのは関係ないの。自分にとっていい人か、悪い人かっていうのはどうでもいい。
大事なのは、相手が『どういう立場にいて、何ができる人なのか』ということなんだ。
だから肩書きを見る。そして、その人と、これからどのような仕事ができるのかを客観的に判断する」
「よく、同世代で飲み会をやって、将来の夢を語っているのがいるでしょ。
ああいうのがいちばんくだらない。決定権がない人間同士が愚痴を言っているだけ。おれは昔から、
同世代とはほとんど仕事をしてこなかった。同世代とできる仕事なんてたかがしれてるんだよ」
なるほど。たしかに、若いときは同じ世代で飲み会をして夢を語っていても、
仕事には結びつかないことが多い。もちろん、5年後、
10年後におたがいが決定権のある立場になっていることもありますから、
関係は長く続けたほうがいい。ですが、現時点では、名刺の肩書きその人がいま、何ができる人で、
自分が何を提供すれば化学反応が生まれるのか、ということこそ重要な情報なのです。
「人は肩書きじゃない」という理想主義にはなんの意味もないことを悟りました。
もともと単純バカなので、言われたとおりにやってみました。出社すると、
その日の会議や打ち合わせに出席する人の名前をリスト化します。始まる30分前には会議室に行き、
席順を決める。鈴木さんはせっかちで、開始15分前には席についてタバコをふかし始めるので、
それまでに準備を終わらせなくてはいけません。最初のころ、会議の前に必ず、
どこにだれが座るのか、席順をこまかく指示してくれました。たとえば、その日の打ち合わせが、
来訪者が企画を提案してくる場だったとします。議事録を取るぼくは横に座ります。
正面に、先方の責任者が座るようにします。でも、それだけではダメなのです。
責任者だけが議論する場をつくってしまうと、新しい意見が生まれにくい。そこで、来訪者のなかで、
気に入りそうな若いスタッフ(明るくて、率直に意見を言いそうな人)を、目線が届く場所に座らせます。
席順で重要なのは、「目線」です。 自分の意見よりも、相手の意見を引き出したいときは、
みんなの目線が自分にぶつからない席に身を置いたほうが、議論を俯瞰しやすい。
議論に決着をつけたい場合は、決定権者の目線が、自分のほうへ向く位置に座ります。すべては、
議論が活性化するためです。席順を変えただけで議論の質ががらりと変わるのです。会議が始まったら、
各々の発言はもちろん、相手の身振り手振りやテンションまでもできるだけ正確にノートに取ります。
何ページか進んだら、最初のページに戻って議論の始まりを見直します。
最初は、自分の意見を言いたくてウズウズしていたのですが、怒られるので考えないようにしました。
「自分の意見は考えなくていい」わけですから、人の発言をメモすることに徹すればいい。
驚くほど集中できます。たまに、ノートをのぞきます。そして、前の会話を思い出してまた議論に戻る。
「さっきの、なんだっけ」と問われれば、ノートを見せながら、すぐに答えることができます。
そんなことを何百回と繰り返しているうちに、自分がその場にいるだれよりも、
議論の全体像を把握できていることに気づきました。鳥肌が立ちました。
自分の意見ばかり考えていたときは、相手の意見に対しては「違う」としか思わない。
若者の意見はスルーされがちなので、ますますムキになり、
その場の空気を支配している人に相づちを打っていました。
この相づちは「同意」ではなく、自分の存在をまわりにアピールしたいがためだけの相づちなので、
議論においてはなんの意味もありません。では「君の意見は」と問われたときはどうすればよいのか。
これは簡単です。それまで話されてきた議論のなかで、自分が「今回の議論に必要」と思った意見
(赤丸で囲んだり、☆マークをつけたりしていました)を引き合いに、「○○さんがこうおっしゃいましたが、
その意見に近くて」と切り出せばいいのです。実は、自身がそうでした。
じっと相手の意見に耳を傾け、何がいちばん大切かを探している。ある程度方向性が見えたら、
自分自身のアイデアと関連づけて話し始める。しばらくして、気づきました。「おれの真似をしろ」
と言ったこそ、相手の意見を自分の意見として取り込む「真似の名人」だ、ということに。
ゼロから1を発想するタイプのアイデアマンではありません。 みんなの意見やアイデアを総合的に判断し、もっとも優れたもの、
その場に必要なものを、順列に組み立てます。当初は、そこに反発していました。
「自分の意見」「オリジナリティーあふれるアイデア」を生み出すことがクリエイティブだと思い込んでいた、
自分の意見を横取りされたかのような感覚になったのです。不満そうな顔をしていると、
こう言いました。「だれが言ったとか、どうでもいいじゃん」その場で何がもっとも重要なのか。
そもそも、みんなで集まって議論をする最大の目的は何か。それは、自分ひとりでは何日、
何カ月かけても到達できないような発想が、みんなで言葉を交わし合いながら生まれること、
その一点のみなのです。どのようにしてこうした考え方を身につけたのかはわかりません。
もしかすると、もともと自我というものが極端に少ない人だったのかもしれません。
以前は、強烈な個性と自分を確立している(ように見える)人のほうが仕事ができると考えていました。
しかし、実は逆なのだ、と最近とみに感じます。人の意見を取り入れ、流れに任せ、
その場で求められている空気をつかむ才能を持っている人のほうが、
ずっと大きな仕事を成すのではないか。実際に見てきた大きなチャンスを得る人は、皆このタイプでした。
ひとつ注意したいことがあります。相手の意見を、自分の意見と関連づけて話す際に、
ただそのまま話すだけでは、「それ、自分がさっき言ったことじゃないか」という反発が生まれてしまいます。
反発を避けるための枕詞が大切なのです。相手が得意先や来客者の場合で、目上の方であれば、
「さっき、○○さんがおっしゃったように」という枕詞をつけます。若い人のときは、「△△さんの意見は、
とてもおもしろかった」と、切り出す。身内の場合は、「□□はよく知っているけれど」と、まず相手を立てる。
このひと言を入れるか入れないかで、印象はまったく違ってきます。
相手の意見を自分の意見として取り込む瞬間こそ、もっとも「自分を捨てる」必要がある。
そのアイデアや意見は、「あなたにもらったものなのだ」と表明することが大切なのです。いまもよく、
「よく知ってるけどさぁ」と言いながら、議論を活性化させます。その瞬間は、とても心地よい瞬間です。
たとえ手の上で踊らされている、とわかっていても。 「民主主義がほとんど機能しないほど劣化していたり、
包摂的社会にしていこうとしている人たちが挫折してがっかりしていることも知っている」
「日本の若い人たちが、もっともっと多くクリティカル・シンキングやメディア・リテラシーを持って、
社会的議論に積極的に関わるようになればいいのに」
日本の同世代にはあまりにもそれが欠如しているから、
偽情報でも陰謀論で好きなように操作されてしまうのだという。
「たとえば、ワーキング・プアの人々とか、女性の不平等とか、
LGBTQ+の人々のアイデンティティのこととか、
国の近未来をひどく憂慮している若者やシルバー世代がいることとか、
民族的文化的に異なる背景を持つ少数派のこととか困っていたり、
あがいたりしている仲間たちを見て見ぬふりをする人々が少なくないことはとても残念に思う」
確かに、日本では友人や知人は支え合うけれど、欧州にいると困窮する赤の他人のために、
立ち上がり連帯する人が驚くほど多いことを、すごく頻繁に目の当たりにしてきたと私も思う。
経済格差拡大、地政学的緊張の高まり、差別を助長するような政策、反知性主義の高まり、
気候危機の否定や不作為などの傾向は、日本だけで起こっていることではないと彼らは見る。
ただ、日本ではそれが誇張されていると言う。「地球が抱える今日的課題、
つまり、気候危機、持続可能なエネルギーへの転換、自然資源の枯渇、
性や国籍、人種などあらゆる側面での人権侵害といった課題に、日本の政府は、
持続可能な形で解決しなくてはという認識も意欲のかけらもないように見える」
地球温暖化にむけた脱炭素政策においても、未だに化石燃料に頼る日本は世界的にも非難されている Photo by iStock
「自民党政権自体がすでに諸外国で勃興するポピュリスト的主張や政策を実践しているから、
典型的なポピュリスト政党の出る幕はないと分析する学者もいるけれど、だからといって、
このまま放置していたら、得票目的だけの政策が歯止めなく繰り返されるだけ」
確かにドイツのための選択肢(AfD)やフランスの国民連合のような極右政党は、
日本を「理想」として掲げているという話は巷では有名だ。