さて、複素数、虚数の歴史
虚数を発見したカルダーノ
『当時は 0 や負の数ですら架空のもの、役に立たないものと考えられており、負の数の平方根である虚数はなおさらであった。ルネ・デカルトも虚数を否定的にとらえ、1637年の著書『La Géométrie(幾何学)』で初めて 仏: "nombre imaginaire"(「想像上の数」)と名付けた。これが英語の "imaginary number"、日本語の「虚数」の語源になった』

(参考)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A4%87%E7%B4%A0%E6%95%B0
複素数
歴史
→「虚数 § 歴史」も参照
負の数の平方根について、いささかなりとも言及している最も古い文献は、数学者で発明家のアレクサンドリアのヘロンによる『測量術』(Stereometrica) である。そこで彼は、現実には不可能なピラミッドの錐台について考察しているものの、計算を誤り、不可能であることを見逃している。

1847年、現代の代数学の言葉でいうと、コーシーは実係数の多項式全体の x2+1 による剰余環が複素数体と同型になることを示した[28]。コーシーの研究に刺激されたクロネッカーは、数とは何かという問題を取り上げ、自然数は神が創造した、他は人間が作った、という哲学に達した。1887年の論文「Ueber den Zahlbegriff(数の概念について)」では、負数や分数を多項式を使って捉えている。これらの考えは後にエルンスト・シュタイニッツが1910年の論文で商体を作るときに利用した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%99%9A%E6%95%B0
虚数
歴史
虚数を発見したのはカルダーノで、1545年の代数の本[12]には、数「10」を、和が 10 かつ積が 40 である2数の組に分ける問題が載せられている。
カルダーノは、この問題は不可能だが、形式的に解を求めれば
5 + √−15 と 5 − √−15
の2つであると書いている。
当時は 0 や負の数ですら架空のもの、役に立たないものと考えられており、負の数の平方根である虚数はなおさらであった。ルネ・デカルトも虚数を否定的にとらえ、1637年の著書『La Géométrie(幾何学)』で初めて 仏: "nombre imaginaire"(「想像上の数」)と名付けた。これが英語の "imaginary number"、日本語の「虚数」の語源になった。

その後、オイラーによる虚数単位 i = √−1 の導入(1770年頃)、ガウスによる複素数平面の導入(1831年公表)、代数学の基本定理の証明(1799年)を経て、徐々に多くの数学者、人々に受け入れられるようになった。

1843年にウィリアム・ローワン・ハミルトンは、複素数平面にもう一つの虚数単位を添加して3次元に拡張することを試みた結果、全部で3個の虚数単位を添加して得られる四元数の集合が自然な体系であることを発見した。