これ面白い
http://gomiken.in.coocan.jp/japanese/math/index.htm
五味健作
卒業した数学
前置き: Outgrowのすすめ

私の場合,中年にさしかかって伝統的な数学の研究に飽き足らなくなった丁度その頃,学内に分散していた三つの数学系学科が一つになって数理科学研究科を発足させたことで,数理科学を真剣に目指すよう背中を押され,在籍のまま数理心理学(数理科学としての心理学)に,特に Mathematical Noology に転じることができ,その転じが Eusophy(仁智学)の提起につながった. そういう幸運が無ければ,outgrowできない儘「その道一筋」で終わっていたかも知れない.

数学者社会に対して私はambivalentである(この英語の形容詞にも適切な和訳が無い). その中で鍛えられたことは幸いだった. それが無ければ現在の私の研究も無かっただろう. 数学的鍛えの足りない人が数学的本質をもつ対象について行なう論考を見る度にそう思う. そういう人は,対象の数学的本質を見抜けないか,見抜けても上手く扱えないのである. 例えば,哲学者は総じて本来高かるべき問題意識を無数学か似非数学で貶めている(このことの実例を仁智学のページの§2.4(哲学の千年不毛,数理科学の実り)で説明している). 他方で,数学者は大方が折角の高い問題解決能力を数や図形や関数志向の低い問題意識に空費している. 数学の伝統の中で高いとされる問題意識が学問全体の中で見てもそうなのではない. 学問に限らず人の営みの評価基準として仁智学のそれに優るものは無い(このことを仁智学のページの§H(地球温上昇に立ち向かう市民活動)で敷衍している). 数学の伝統から,と言うよりは因習から脱すれば数学を仁智学の下での科学にとって有効な道具としても表現力豊かで厳密な言語としても使うことができる筈なのに,残念なことである.

研究論文(降順)


gomiken.in.coocan.jp/japanese/math/cfsg.htm
別冊数理科学「群とその応用(サイエンス社 1991」より
有限単純群の分類 五味健作
 「数理科学」の1970年の12月号「有限群特集」は,私にとって思い出深い号である. この年に私は大学院に進学し,研究者としての第一歩を踏み出していた. 専門は有限単純群論と決めていたものの,教えを受けるつもりだった近藤武先生は,丁度Princeton高等研究所に行かれた後であり,同じ専門の先生は他にいらっしゃらないので,しかたなく一人で勉強していた. そんな折り突如として数理科学に有限群特集号が出たのである. 情報に飢えていた私は,空腹の時に思い掛けず山盛りの御馳走を出された人のように,その号を貪り読んだ. とくに冒頭の「有限群の最近の発展」という座談会の記事は,傍線を引きながら繰返し繰返し読んだ. そのため,表紙が取れてしまったが,補修をして20年たった今でも手もとにある.

 そこで私は,1970年前後から1980年の単純群分類の完成に至るまでの疾風怒濤のような動きを,Thompson, Gorenstein, Aschbacherという三人の大立者の業績に焦点を当てながら追ってみることにしたい.
以下略